2018-08-04

毒の親

私の親は、今でいう「毒親」だったと思う。

特に母親が。




さいころから母親父親を嫌っていて、昼夜構わず目の前で喧嘩した。父親の声はほとんど聞こえなかったけど、母親の金切り声をよく覚えている。

父親実家祖父母と同居していたのだが、そちらとも母親はそりが合わなかったようで、空気はいつも良くない。

父親祖母悪口愚痴を常に私にぶつけていた。

母親は、自分のペースや考えていることに合わせないと、その他の意見を総批判。吐き捨てるように批判してくる。

小学生の時、鉄棒の前回りが怖くて出来なくて、やれるまで帰るなと公園に置き去りにされた。夜暗くなるまでやらされたけど(一人で)怖くて出来なくて泣いていた。

母親から褒めてもらったことは覚えていない。けなされた(バカにされた)ことは覚えている。

そしてそんな状態の私をかばってはくれない父親。「お母さんは怖いな」くらいしか言わない。喧嘩せども最終的には言いなり。




喧嘩していた夜は、違う部屋に移って扉を閉めていてもうるさくて怖くて、布団をかぶって「早く終わって」と泣きながら耐えていた。

母親と違う意見を言うと、「~(持論)~じゃない。(当たり前でしょ)バカね」見下す視線付き。

歩くペースや乗る電車など、もう少しゆっくりでもいいじゃないと思いゆっくりしていると、母親イライラするのか「グズなんだから」「ノロね(ノロマね)」と言ってくる。母親は悪びれもせずに言うが、言われるたび辛かった。

母親から聞く悪口洗脳され、反抗期もあったせいか父親祖母のことを邪険にした。母親のことも好きじゃなかったけど。

彼女から愛情を感じたことはない。自分の思いどおりにいかいから怒る。そうとしか思えない言動の数々。

そうした環境が嫌で、高校生の時一度バイト上がりに深夜まで友達と遊んでいたことがある(連絡はいれていたが「帰ってこい」の催促を無視していた)。

家に帰ったら母親に盛大に泣かれたが、私が「兄は遊んでてよくて、どうして私はダメなの」と問い詰めたら何も答えずに「出ていけ」とのこと。多分、兄があまり注意を受けずによく遊んでいること、普段から兄びいきの発言が多いのでイラついていた、それについて問いただしても納得のできる言葉をもらえなかったこと、その辺の複合的な心情が爆発したと思う。

心配するから」の一言があれば謝るつもりだったが、何も答えてはもらえなかった。

母親は頭ごなしに意見をし、理由説明しないことが多い。「なぜ?」と問うても「そうだから」と答えになっていないことが多い。

「好きなようにしていい」と私には言うくせに、母親には基本的に逆らわない父親。結局折れる。奴隷

季節は冬、ラジオの早朝英会話教室みたいのを聞いていたことがあって、ラジオは両親の部屋にあったから聞きに行ってたが、寒いから布団に入れと両親それぞれに言われ、困ってどっちの布団にも入らなかった。その時ほど面倒なことはなかった。最初良心からだったのかもしれないが、次第に相手に対抗してどっちの布団に入らせるかムキになっていた。くっだらない。

車の免許を持っていない母親は、車を運転することでの疲労や維持する費用ガソリン代のことをまるで考えない。父親運転するのが好きだったのか、数時間程度なら休憩なしでぶっ続けで運転していた。それをこっちにも要求してきた。疲労感やあなたの足ではないからねとどんなに説明しても理解はしない。

旅行中は喧嘩をしないことが多かったから、旅行は好きだった。

私の出産の時、初孫で浮かれていたのか、次の日にさっそく病院へ。夕方出産でお風呂にも入れていなく、前日までの長い陣痛で数日まともに眠れていなかったが、まぁ孫に会いたいだろうと12時に来るように言ったが10時に来た。来たら1階まで迎えに行くと言ったが(病院は1階が診察室で2階が病室。お見舞いは基本的入院してる人が1階まで迎えに行く)そんな早くに来るとは思わなかったからちょうど風呂に入っていた。迎えに行くつもりだったから病室も教えていなかったがアクティブにずかずかと病室を聞いて上がってきていて(1階の受付はほぼ診察の人用でまぁ話しかけづらい雰囲気だったけどそんなの関係ない人なので)、風呂のあと仮眠したかったが叶わず、夜まで居座られ大して眠れず。病院の決まり子供を抱けない、写真も近くで撮れないと知り露骨がっかりし、ずっと私の病室で私の見ていないTVをひたすら見ていた。帰れ。

誘われたけど、里帰り出産なんかしたくない。絶対に。

普通は里帰り出産するでしょ?でもしなかったから、二週間くらい孫ちゃんとこっちおいでよ。行きと帰りは夫くんに車で送ってもらってさ」

その理屈はなんだ。あなた普通は万人の普通ではない。ましてや私の普通でもない。二週間って別居でもあるまいし通常の家族が「実家に帰るね~二週間くらい☆」な気分でそんなに離れるか。乳児も連れて。私は嫌だ。それに行きと帰りだけ夫を足に使えというのか。結構距離を。

当然断った。




もういい年だから、親のせいにしてはいけない。自分意見がないのも、あっても言えないのも、周りに合わせることを第一と考えるのも、決断力がないのも、怒る怒られるということに極端に恐怖するのも、誰かの怒鳴り声でもパニックを起こし過呼吸になるのも。

でも、私は自分の子供をこうにはしたくない。同じ思いをしてほしくない。やっぱり大事だよ、生まれからの18年あまりは。一生の性格を培う。人一人を歪めかねない。

縛られている自分も嫌だ。だけど、夫と子供は守りたい。私の家族を守りたい。

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