はてなキーワード: 苦痛とは
前日終電に近い時間まで飲み会して馬鹿眠いのに翌朝車で出勤するの辛すぎんのよ(神奈川⇒都内)。
てかまあ別に飲み会翌日じゃなくて残業したあととかでも全部一緒だけどな。
朝はどうせ渋滞してるからスムーズになんかいかないし、駐車場空いてないから早めに出て会社の回りで上限のある駐車場探さなきゃならないのも苦痛。
電車嫌い。
駅まで外を歩かなきゃいけないし、必然的に他人に見られるし、ホームに着いても電車来るまで待たされるし、電車には他人が同乗してるし、座ったら座ったで隣に知らない人が座ってきたりするし、立ってるのも疲れるし、荷物持たなきゃいけないし、重たいし、並ばされるし、ヤバイ奴に絡まれたり痴漢に間違えられるリスクあるし、文章になってないローカルマナーあってし間違ったり知らなかったりすると白い目で見られるし、目的地の駅に着いてもまた荷物持って延々歩かなゃいけない。しかも帰りにも同一の苦行が待っているという。
社長によるパワハラが原因で農業アイドル愛の葉 Girlsのメンバーが自殺したと文春によって報じられる。
このことにより、愛の葉 Girlsは元々所属していたHプロジェクトでの活動が難しくなり、
取引先であった株式会社フィールド愛の和に移籍することになる。
遺族が元社長及び元社員2名、またフィールド愛の和に対して「事業を継承したってことは賠償責任も継承してるに決まってるよなぁ!?」と賠償金訴訟を起こす。
フィールド愛の和からカウンター訴訟を起こされ、フィールド愛の和への請求が取り下げられる。
気が済まなかったのか元運営会社に対して給与未払い(約9万円)の支払い訴訟を起こす。
※支払われていた賃金を時給換算すると最低賃金を下回るため差額の支払いを求めたもの
元運営会社は「全額支払い済み。なんならこっちが貸し付けている金(約10万円)を返してもらってない」と反論。
→裁判にて被害者は諾否の自由があったとされ、労働者として認められず。控訴、上告共に棄却され遺族側が敗訴する。
自殺に対する賠償金裁判では遺族側の弁護士より元所属アイドルなどから聴取したとされる「本人の著名捺印なしの聴取報告書」なるものが提出され、元運営側は同アイドルらから聴取した「本人の著名捺印ありの陳述書」を提出。「陳述書」内で「聴取報告書」の内容が全面否定される。
また、「聴取報告書」作成時に遺族側の弁護士より聴取対象に対して「陳述書にサインしてくれれば月9のエキストラの仕事を紹介できるかも」といった「リターン(実際にこの言葉が使われている)」に言及してサインを迫る様子を録音したデータが公開される。
地裁判決により「認識が阻害されるほどの過重労働があったとは認められない」「進学費用の貸付保留は母親からの相談を受けての指導の範疇」「辞めるなら1億円を払えなどのパワハラ発言があったとは認められない」と、被告側の言動が自殺の原因であったとは言えないとされた。
遺族側は控訴。控訴ついでに「自殺には至らなかったとしても精神的な苦痛は受けていたので慰謝料を請求する」と予備的主張も追加するも高裁判決は地裁の判決をすべて踏襲し、なおかつ予備的主張に対しても「成立しない」と退けた。
遺族側は上告予定。
なんていうか、こう、何としてでも金を獲りたい感が出すぎててちょっと引く。
特に「自殺以降に愛の葉 Girlsが移籍した企業を賠償訴訟対象に加える」「控訴審で自死との関連性が認められなくても精神的な負担はあったのでその分の慰謝料請求を追加する」といった行為は正直、なんていか、ちょっとアレだなーって。
ちなみに、Hプロジェクト運営からは「遺族、弁護士側からの一方的かつ事実無根の記者会見やマスコミ発表により名誉が激しく棄損された」として、遺族側に対しての訴訟が起こされている。
いいね、ここまではとてもいい。
目的地が友人の家だとする。
DoorToDoorを実現するためには友人にも駐車場付きの物件に住んでもらう必要ある。
だよね?
それを金で解決するというのであれば、
友人のために家を買うなり、友人の家賃を払うなりする必要があるわけだ。
あるいは、目的地が美味い飯屋だとする。
当然、DoorToDoorを実現するためには、美味い飯屋のために駐車場を買ってあげる必要があるわけだ。
DoorToDoorを実現するためには、(以下略)
目的地がいくつもあったら、そのためにいくつもの駐車場を買ってプレゼントする必要がある。
金がある、では足りず、「金が無限にある」という条件にする必要がありそうだ。
だから「金が無限にある」という条件だけでは足りない。駐車場は用意できないから。
「目的地の近隣住民や店舗、オフィスを立ち退かせて、自由に駐車場を作る権限がある」という条件を追加しなければいけない。
つまり、金がある、程度では、自家用車を使ったDoorToDoorは全く手に入らない。
ブコメにもある通り、タクシーを使うのが最も利便性が高く、最も現実的で、最も低コストな解決法というわけだ。
■車を持ちたいんでしょ?という人が理解していない2つのポイント
1.駐車場は全くない
2.駐車場は目的地から徒歩xx分の距離にある(結局歩く。ドアトゥドアは無理)
のいずれかだ。
1.渋滞で退屈
2.車が多すぎて、気を張って運転しないと危険なため、とても疲れる
のいずれかだ。
運転が楽しいといったことはありえないことは理解いただきたい。
「車を持ちたいんでしょ?」の話を持ち出す人には、
医者にも親にもカウンセラーにも、たぶんメチャクチャ俺のことを思った結果の行動として言われる「やればできる人だよ」が一番精神に来る
もうとっくに諦めた恋だが、その人の結婚式に呼ばれることは決まっていて、そのことを考えると少し心がざわついて、かといって誰かに話すこともできず、その想いをここに書き散らすことにした。
つまらない自分語りだが、気持ちの整理のつもりで書き記す。特定に繋がらないよう、念のため一部フェイクを入れたりはしている。
まあきっと、どこにでもあるような話だ。
同性の友人に恋をして人生を一時迷走した、愚かな若者だった頃の話である。
驚くほど気が合ってすぐに仲良くなった。平日も休日もつるんでいるのが当たり前の関係。いつからそれが恋だったのか、はっきりとは覚えていない。自覚したのは数年後だ。
でも高校二年の夏を迎える頃には既に、恋だったように思う。他の友達と親しくしている姿を見るのが苦しく、時折よくわからない不快感に苛まれるようになっていた。それでも、友人と一緒に過ごす時間は何より楽しく、バカなことも真面目なことも、誘われればいつでもすぐに飛んでいった。
色々な偶然が重なった結果だが、我々は進学先も同じ地域だった。田舎から出てひとり暮らしの家を探す自分に「せっかくなら近くに住まないか」なんて向こうから提案をしてきた時は、嬉しくて嬉しくて、飛び上がらんばかりに喜んだ。
でもそれは、迷走の始まりだった。
ほぼ毎日のように会える友人。食事を共にする機会も多く、互いの部屋を訪れてゲームをしたり漫画を読んだり、だらだらと過ごすのも当たり前になった。試験期間中の真夜中にコンビニに行こうと誘われて、適当なスウェット姿で並んで歩いた。体調が悪ければ互いに見舞い、薬や飲み物を買って届けたり、食べ物を作って置いていったこともある。
夢のようだった。
唯一無二の相手になれた気がして、それが恋だと自覚もしないまま有頂天になっていた。
だが、当たり前のことながら、相手にとって自分はただの友達のままだった。
ある日、恋愛相談を持ち掛けられた。
薄々は気付いていた、友人に恋人がいるらしいこと。それでも目を逸らしてきたが、面と向かって話されてはどうしようもなかった。まったく気乗りしないまま、それでも頼ってくれたことは少し嬉しくて、夜のファミレスで話を聞いた。
相談を聞くうちに絶望的な気持ちに襲われた。友人は決して付き合っている相手の名前を教えてはくれなかったが、誰より友人を見てきた自分が相談までされてわからないわけがない。付き合っていた相手は、共通の友人だ。
同性の人だった。
衝撃に頭を撃ち抜かれたような気分のまま、よく冷静に最後まで話を聞けたと思う。「君も知っている人だ」とだけ言う相手に、最後までわからないふりを貫いて「誰だろう、思い付かない」ととぼけ続けた。はっきりと言われなかったのを良いことに、同性との恋の相談であることにすら気付かないふりをした。その事実を認めてしまいたくなかった悪あがきである。
その相手とは後々別れて友人に戻ったことも知っているが、最終的に異性のパートナーに落ち着くまで何人と付き合ったのかまでは把握していない。話してくれたのは一部のようだし、自分の知らない人だったこともある。それでも、その時々に恋人がいるかいないかくらいはいつもなんとなくわかった。それだけ近くで見ていた。
同性が対象になり得るとわかってもなお決してその恋愛感情が自分には向かないのはもどかしく、それでもたまに頼ってくれる友情が嬉しかった。しかし、次第に膨れ上がって制御しきれなくなってきた気持ちは、相手が自分の思い通りにならないことへの苛立ちとなって表れた。八つ当たりのような態度が増え、突発的に暴言を吐き、傷つけることもあった。その度に青ざめて謝って、また元の友人におさまった。そんなことを繰り返し、自分が嫌で嫌で仕方なくなった。なぜ自分は大切なはずの友人をこんなに傷つけているのか。
その頃になって遅まきながらようやく一つの可能性に気付いた。もしかして、自分はこの友人に恋をしているのではないかと。
それまで自分を同性愛者だと思ったことはない。初恋相手は小学校の同級生で、異性だったのは確かだ。でもどうだろう。その後に恋らしい恋をした記憶がない。友人への想いを「恋」だと認識してみると、これまで何年も自分ですらわかっていなかったもやもやとした気持ちや、たまに暴走する感情にストンと納得がいった。自分は何年もずっと、友人に恋をしていたのだ。
そう理解したら暴走は止んだ。危ないと思ったら距離を置き、"友人"として正しい立ち位置を確かめる。暴れ出しそうな気持ちは表に出ない方法を覚え、平常心で接することができるようになった。友人は魅力的な人だが少々人付き合いの下手なところもあって、学部やサークルの仲間とうまくいかないとこぼすこともあった。自分は努めて穏やかに慰め、君の良いところはちゃんと知っていると友人らしく励ます事ができていたと思う。困った時に頼ろうと思える相手でいたいと、いっそ便利な相手でもいいから傍に置いてほしいと、その頃はそんなことを思っていた。
本音は違う。もちろん特別な関係になりたかった。しかしこれまでを振り返って、自分が友人に相応しいとは到底思えなかった。数年分無自覚に積もった恋心はもはや相手への執着と成り果てており、こんなものをぶつけてはいけないと感じていた。きっと相手もこんな自分を恋愛対象には見てくれないだろう。気持ちを伝えて友人ですらなくなることの方が、当時の自分には恐ろしかった。
結局、辿り着いたのは「この恋を諦める」という結論である。これしかなかった。それは間違っていなかったと、今でもそう思っている。思いたいだけかも知れないけど。
決めたからといって、実行するのは簡単ではない。何せ相手はいつもすぐ近くにいる。夜に部屋で一人になれば、先程まで顔を合わせていた友人のことばかり考えていた。恋だと自覚してしまったからには邪な思いも混じってくる。触れたい。抱きしめてみたい。それ以上も勿論。
その度にそんな自分が嫌になった。
感情ごと消えてなくなりたいと思った。
何とかして気持ちを変えなくてはと悩んだ自分が次にしたのは、同性の恋人を求めることだった。新しい恋をすれば忘れられるのではないかと。
近隣の同性愛者に出会おうと思い立てばそれなりに手段はある。友人と遊ぶ時間を不自然でない程度に減らしながら、両手では収まらない数の人と連絡を取り、そのうちの何人かとは実際に会い、親しくなった。気が合えばホテルにも行った。
無意識だったが、自分が惹かれたと思った相手は皆、今思えばどこか友人に似た雰囲気のある人だった。相手を友人に重ねていただけだ。なんと失礼で最低なことだろう。そんなものがうまくいくわけがない。少し仲良くなってはすぐにダメになることを繰り返した。友人から目を逸らしたつもりになっていた当時の自分ではうまくいかない理由はついぞわからなかったが。
やっと恋人が出来たと思えば、今度は男女の見境すらなくすぐ寝るような遊び人だったこともある。その事実を知った時は流石に少し傷ついたが、今思えばそれも自業自得である。
もうやめようと思った。
落ち着きのない恋愛ごっこに振り回されては失敗して傷付き、思い詰めて眠れない日が続くうち人生そのものが嫌になった。人に会う事が苦痛で引き籠りがちになり、その頃には学業成績も散々なものになっていた。理由を親に問い詰められても何も答えられなかった。大好きなはずの友人が誰かと楽しそうにしている姿を見るだけで、惨めな気持ちに押し潰され死にたくなる日々だった。
もう何もかもが嫌だと自殺の二文字が軽率に頭に浮かび身辺整理を始めた時、見かねて手を差し伸べてくれたのはとある異性の友達だった。自分が同性と付き合っていたこともその人にだけは諸事情あり知られていて、それでも見放さず友でいてくれた稀有な人だった。
自信も何もなく己のどこがいいのか全くわからなかったが、とにかく寂しさで死にそうだった自分は好きだと言ってくれる言葉に甘えてぎこちなく交際を始めた。大好きな友人と重なる部分は何一つない人だったが、その分執着もない。僅かな自己嫌悪を感じながらも、喧嘩もほとんどなく穏やかに関係は続いた。
友人にも、恋人ができたと初めて報告してみた。友人は笑って「いつも一人でふらふらしてるから心配してたんだ。よかった」なんて言ってきた。
その晩は一人で泣いた。
それでやっと、諦めがついた気がした。
恋愛感情があるかと言われれば未だにわからないが、積み重ねてきた情はあるつもりだ。世間体が保たれている安心感もある。この場所を守るのが自分の務めであり、大切にしたいと本気で思ってる。
恋は終わった。はずなのである。
かつて恐ろしいほど執着した、かの友人とは今も付かず離れず適度な距離感のままだ。昔ほどべたべたはしていない。それでも気の置けない相手の一人として、それなりに仲良くやれていると思う。
それなのに、友人の結婚の報せを受けた時から、事あるごとにあの頃の自分が顔を出してきて、傷ついた顔をする。
何を言っているんだと自分でも呆れるばかりだが、もやもやするものを一度吐き出してしまいたかった。片想いの残骸処理のようなものである。
こんなところまで読んでくれた人がいるのかはわからないが、もし居たとしたら、しょうもない昔話にお付き合いありがとうございました。
どうか幸せになってください。
このまとめ( https://togetter.com/li/2013016 )のブコメを見てたら、ヴィーガンに対して、「よろしいならば戦争だ」、「カルトの教え」、「ただのアタオカ」、「疑似科学風の新興宗教」とか何とか色々放言があって驚いた。
何に驚いたかというとまとめのツイートの論理を全く追えていない点。
このまとめの主となるツイートの内容は「ヴィーガンの主張は規範的なものだから、他人に同調するよう迫るのは当たり前」と言う内容であって、
ヴィーガンの主張が正しいなんてことは全く言っていなくて、ほとんど必然的な論理関係「規範的な主張を認めるならば、それを他人にも認めるよう求める」を確認しているに過ぎない。
割合多くの人がツイート内の「正義の原理」と言う言葉を見て、「ツイート主はヴィーガンが正しいと主張している」と言う解釈をしたようだが、
普通に読めば、もしくは少しでも倫理学を学んでいれば、この「正義の原理」の意味は「規範的主張の根拠となる原理的な規範」と言うぐらいの意味であることがわかる。
誤った解釈をしていた人は改めてまとめのツイートを見てみてほしい。明らかにそう書いてある。
読んでもわからなければ、おそらく非常に基礎的な学問のトレーニングが足りていないから、適当にいっちょ噛みするのはやめた方がいい。
で、この論理が追えていない時点で、もうほとんどまともに話が通じる相手ではないので、文章を続けても仕方ないのだけれど、
このまとめのツイートが言っているようにヴィーガンの少なくとも一部は規範的な立場で肉食を否定している。
いわゆる「最大多数の最大幸福」、つまり、幸福の総量の最大化、そして苦痛の総量の最小化が善であることを前提として、
「動物も人間も苦痛を感じる」、「人間の苦痛には配慮して、動物の苦痛には配慮しない合理的根拠がない」と言う点から、
動物に多大なる苦痛を与える畜産をやめるよう求めるものだ(これは非常にラフなまとめ)。
この主張の根拠等についてはこれ以上詳しく述べないが、動物倫理の本を見れば書いてある。
つまり、少なくとも一部のヴィーガンの主張は明確な原理的主張を持っている。だから、否定したかったらこの原理を否定したらいい。
「カルト」、「宗教」と適当にレッテル貼りしたり(そもそもこれらの言葉をかなり独自の定義で用いているようだが)、
いつでも逃げられる場所から「よろしいならば戦争だ」とか「アタオカ」とか言っても、意味はない(ことはない。ただかなり合理性を捨てていると思うのだが、それでいいのだろうか)。
で、ヴィーガンに攻撃的な人たちは結局どんな武器を持っているのか?
ヴィーガンは少し本を読んでみればわかるように、実のところ、非ヴィーガンでも認めざるを得ないほど、単純ながらも強力なロジックを持っている。
それに対して、肉食側は今のところ、相手の主張を理解しないことによって敗北しないという「無敵戦略」や
つい意識してしまう程度には悶々とした気持ちが大きくなってきたものの、特定の誰かに愚痴る事で生じる不和を避けたいので、ネットの片隅に吐き出しただけのぼやき
TRPGに対する熱量は高く、様々なシナリオを通過してはTRPGライフを謳歌している。
何より本人にもその自覚がある程涙脆く、それだけ自探索者や他探索者に感情移入ができるTRPG適正の高いプレイヤーである。
また、ロスト経験が一度もない。
昨今のTRPG界隈に於ける平均的なロスト率というものがわからないのだが、約2年ちょいのTRPG歴がありながら、巷で有名な某高ロスシナリオさえも生還して帰ってきている。
あらゆるシナリオを通る時も、大体通過前に全生還の意気込みツイートをしている程だ。
生還する意気込みが高い程セッションはハラハラできるし、それ自体に問題はないのだが。
今私が抱えている悩みの場合は、そんな友人Aの普段の言動が仇となってしまっている。
友人Aが私とのシナリオだけ、軽々とロスト願望を口にしているのだ。
時は遡り半年程前。友人Bから「KPやりたいから二人で探索者コンビ組んで!」という話が舞い込んでくる。
友人Aと私は喜んでその話に乗り、コンビの探索者を作った。
卓当日も特に問題は起きず、滞りなくセッションは進み、その場の全員が楽しい時間を過ごす事ができたのだった。
とても賑やかなセッションの余韻に暫く浸ったのち、友人Bが「またこの二人の掛け合いが見たい!」と継続の誘いをかけてきた。
私は勿論のこと、恐らく友人Aもその誘い自体には気後れする事なく乗った……のだが。
その後友人Aの口から飛び出た発言に、私は小さな違和感を覚えてしまったのだ。
「ロストした〜い」
「早く一緒にロストしようね」
まるで普段全生還の素振りを見せる友人Aはどこに行ったのだろう、と唖然としてしまうような発言である。
気の知れた友人間だからこそふざけているのではないか?とも考えたが、これまで自・他PLの探索者の事を、本当の命のように愛でて涙を流しては大事にしていた友人Aの様を思えば、この言葉はあまりにも普段の言動に乖離している。
そんな私の戸惑いをわかっているのかいないのか、友人Aは繰り返しずけずけと「ロストしたい」と口にしていた。
そこに、驚くほど探索者への執着や想いはなかったのではないか、と思ってしまう。嫌々ながらも。
普段から探索者に対してサバサバしているPLであれば気にする事もなかったが、友人Aの場合は話が違うのではないだろうか……そんなモヤモヤを抱えた私は痺れを切らしたあまり、「いつもあれだけロスト嫌がってるのに、なんでその探索者の時だけロストしたがるわけ?」と問い質してしまった。
言葉の端に疑心暗鬼が見え隠れしているような物言いになってしまったなと、先に立たなかった小さな後悔をする私に対し、友人Aは暫し逡巡した後「だってこの探索者が死にたがってるから…」とだけ答えた。
まあ実際、確かに私とコンビを組んでいる友人Aの探索者はメンヘラキャラで、事あるごとに私の探索者に死を迫ったり、希死念慮を募らせたりと情緒の忙しいキャラではあった。(私は完全にそれをロールのフレーバーとして受け入れて楽しんでいた)
でも普段の友人Aであれば、探索者の抱える孤独や苦悩に寄り添って、どうその先の人生を開拓していくのかを深く考えているはずではないのか?
その後盛り上がる友人Bと私のやり取りにも一切反応を見せず、どうも歯切れの悪かった友人の様子に、私の心は腑に落ちるどころか更に疑念が渦巻いていく。
最早TRPG領域外、私情や人間関係が絡むただの見苦しい話をしてしまえば、友人Aとはここ最近「無言の壁」を感じている。
明確な出来事があって拗れたわけじゃない。
それでも移り行く日々の中、急に話が弾まなくなったり、価値観の相違を感じたりして、きっとお互い悩んで、過剰に気にして、勝手に作ってしまった埋められない空白。
実際に会えば学生時代のように仲良く馬鹿騒ぎができるのに、昔であればお互い笑顔で詰められたはずの距離に遠慮してしまっている。
……などと明確な出来事を伴わず、雰囲気上で空中分解的に拗れたこの人間関係事情を書き示そうたって、私の表現力では二人の間に生まれた微妙な感情を読み手に想起させる事は難しい上、こんなものは例えるなら痴情の縺れ如き面倒くさい感情に過ぎないので。この話に関してはここで割愛する。
要するに私の頭に浮かんでいるのは、『友人Aは私とのセッションを渋り、「さっさとロストしてコンビ解消させたい」と考えているのではないか』という疑いだ。
どんな小さな場面にも心を震わせ涙し、キャラの気持ちに本気で入れ込み、あれだけTRPGを愛している友人Aだろうが、私情の前ではなあなあになってしまうのだろうか。
お互い言語化できないすれ違いがあろうとも、少なくとも私は友人Aとのセッションを本気で楽しんでいたし、今でも楽しかったと胸を張って言えるが、しかし友人Aにとっては違ったのかも知れない。
「友人Bのための接待TRPG」、そんなセッションだったのだろうか。
そう思うとスッと血の気が引くような想いになる。
また、「早くロストしたい」と気楽な口調で言った口で、他の卓の話をする時はしれっと「前生還!」なんてはしゃいでいる友人Aの姿を(TLで)見せられるものだから、次第に私の中では失望にも近い気持ちが生まれてしまった。
そうであれば、正直に言ってほしいとさえ願ってしまう。
私としては、こんな疑心暗鬼を抱えたまま次のセッションに挑むのは憂鬱他ならないし、「もうこれっきり」とキッパリ言ってくれた方がどれだけ心が軽くなる事かと思う。
それを言ってしまったら、お互い「触れぬが仏」でなんとか保ち続けてきたこの関係性が完全に崩れてしまうから、友人Aなりの配慮としてそれらしい「ロストの理由」を繕ってくれているだけなのかもしれないけれど。
優しい嘘に惑わされてジクジク胸を痛めるくらいなら思い切り裏切られた方がまだ清々しい、と言う私の気持ちは変なのだろうか。
正直、友人Aは何故まだ私と関係を持ってくれているのだろうと思う事が度々ある。
私のツイートの話題にノリノリで乗っかってくる事もあれば、他の友人と集まる際には定期的に輪に入れてくる。(二人だけで遊ぼうと誘ってくる事はなくなったが)
実際会えば楽しいし。腹の底から笑う瞬間が生まれる事実に嘘はないし。
きっとお互いに居心地の悪さを感じる反面、学生時代に戻ったかのようなその愉快な一瞬を、どうにも手放せないのかもしれない。
友人Bが用意してくれた、友人Aとの次のセッションがあと数日前まで迫っている。
相変わらず友人Aはロストしたがっているけれど。
私はロストしないよう、思い切り楽しもうと思う。
そしていつか私から、私と友人Aの不和に対する決着を持ちかけなければならないのかもしれない。
また昔のように気持ちのいい関係性に戻る事はできないかもしれないけれど、せめてこの縁が完膚なきまでに壊れないよう願うばかりだ。
「動物と人が同等というより、動物と人の扱いを分けていい合理的理由がない」
同等にみることと、扱いを分けないことって同義だと思ってたんだが…違うのか?
それと世話好きの延長だとは自分も思ってない
ただし動物と人で分けてる
自分の快楽のために他人(他生物)に迷惑をかけるな、苦痛を与えるな、がメインの思想だよ
草食化させたいとかじゃないぞ
相手が動物じゃなくて人間なら誰でも納得することで、自分が傘持ってないからってコンビニの傘立てから人の傘取っちゃいけません、ならわかるでしょ
家建てたいからって動物の家である森を切り開くことも、他に食うものがあるのにわざわざ動物を食うのも、抗体作るためにウサギに注射するのも、みんなやめろよって感じ
このまとめ記事(「ヴィーガンは個人の趣味の話などではなく、正義の原理に基づいた規範的主張なのだから、それを他人に向かって主張するのは当たり前」 https://togetter.com/li/2013016 )のブコメを見てびっくりしたんだけど、このまとめの中心となっているTarouphoさんのツイートの意味が取れてない人が多過ぎる(いつものことだがね)。
例えば、
TANI_Röhei@赭埴庵 🏴 @Taroupho 何を勘違いしているのか知らんが、ヴィーガンは(少なくともその一部の派閥は)個人の趣味の話などではなく、正義の原理に基づいた規範的主張なのだから、それを他人に向かって主張するのは当たり前でしかないのだが。児童虐待に反対する人は、全ての人が児童を虐待することに反対するに決まっている twitter.com/otapediatricia… 2022-12-16 15:26:57
と言うツイート( https://twitter.com/Taroupho/status/1603637788272111616 )があるけど、このツイートが言っているのは(書いてあることをその通りに読めばいいのだが)、
「少なくとも一部のヴィーガンは、彼らが正当だと受け入れている規範的主張から演繹される結論として肉食を否定しているのであって、それを他人に対しても受け入れるよう迫るのは当然である」
ということ(多分)。ここで前提として以下を確認しておく。
以上の点を踏まえれば、先のツイートの内容は大体理解できるだろう。
オタ小児科医 @otapediatrician
その、「他の人、あるいは全ての人がヴィーガンになるべき」という思考自体が傲慢だし危険だし反社会的だし愚かだから嫌われるし未来永劫マイノリティのままなんですよ。 twitter.com/kohakunodarlin…
2022-12-16 05:19:03
要するに、「ヴィーガンが『他の人、あるいは全ての人がヴィーガンになるべき』と主張しているのがおかしい」という主張に対し、「規範的主張とはそういうものだ」と言っているのであって、今回のまとめのトップにある田村淳のツイートへの直接の言及ではない。そもそも「一部の過激なヴィーガン」の話をしていないということ。
職場やその関係での飲み会でなされる、相手の子供や恋愛といったプライベートな話に興味がない、とにかく全く関心が持てない。心底どうでもいい。
どうでもいい話を延々とされてさもそれに興味があるそぶりで聞き入らなきゃならないのが本当に苦痛である
でも人間そのものに興味がないかっていうとそれもちょっと違うんだよなー
自分に直接関わりのない芸能人や漫画家小説家なんかには十分関心があるし、国内外の人権問題にも強い関心がある
ボランティアや習い事で出会った人とかなら家庭の話にも普通に関心あるし
「自分が相手からどう思われているか、それによって自分の進退に如何なる影響を与えるか」で頭が一杯になって
相手の事に関心を持つ余裕が無い
https://note.com/thibiki/n/n747d86799cd8
この人を擁護するわけではないが、編集者というか出版社に属する(あるいは属していた)人間が、個人として具体的な原稿料に言及するのは正直難しいだろうな。
というか外野は原稿料を知りたいかもしれないが、大体の相場は普通に編集者と仕事していれば教えてくれるので、漫画家はそんなに知りたいとは思わんのよね。
1回も投稿したことない新人漫画家くらいは知らないかもしれないが……。
1番良いのはレーベルとしての相場を記載しておくことだと思う。ジャンプ+を各編集部は見習おう。サイトくらい作れるだろうし。
https://rookie.shonenjump.com/info/entry/201907_blog
上記のサイトによると、ジャンプ+の「連載」の最低ラインは12000円。
これを見た時、個人的には流石ジャンプ系列のレーベルだな……と思った。
10年~数年くらい前までは、大手の最低ラインは7000円くらいと言われていた(エッセイ系はちょっと分からん)。
個人的な肌感として、一応その最低ラインは今もあると思うが、ほとんど8000円以上だと思うんだよなあ。
ただ増田は男性向けレーベルを主としているので、女性向けは最低ラインくらいが多い可能性、というかそれより低いかもしれない。
このマンガがすごい!とかでオンナ編があるのも仕方ない。ああいう形でスポットを当てないといけないジャンルだと思う。
話は少しそれたが、男性向け漫画の原稿料は低い時に比べたらいくらかは底上げはされているという印象だ。
ブコメにも少しあがっていたが、昨今溢れている「なろう系」はかなりあがっている。
少しぼかした表現になって申し訳ないが、大手のなろう系コミカライズの相場は10000円前後だろう。新人はもうちょい安いかな?
KADOKAWAやスクエニがなろうでヒットを連発していたところに、講談社(というかマガポケ)が参入し、作画作家は取り合いの様相だ。
自分の作品を読んでいないであろう編集者から連絡がくることもあり、条件は良いけどこいつテンプレメールで済ませているな……というのもすぐ分かる。
※そうじゃない編集ももちろん沢山いる。ベンチャー系の新興レーベルの編集者はこれをやりがち。これを読んだらすぐやめろよな?
引き合いは沢山あるから、条件の良いところと……という選択が、作画が得意な漫画家にあるのは個人的には良いことだと思う。増田も大体この辺の相場で仕事をしている(正確にはしていた)。
ちなみにこれは男性向けに限った話ではない。
女性向けのなろうコミカライズの相場もかなり高い。個人的には男性向け以上にレッドオーシャンな気もしているが……。
こっちはKADOKAWAと一迅社の市場というイメージだが、他の大手出版社が参入してくればまた原稿料もあがっていくのかもしれない。
が、低すぎるということはない。下がり続けている小説家の印税と同じくらいにはもらえている。
何より、なろうコミカライズは紙が売れなくても電子が売れる。そして電子印税は紙より高いので実入りが良い。
※紙の方が刷った分もらえるので、発売とのタイムラグなく収入が入ってくるのは助かるが
……という感じで、なろう界隈の原稿料はあがっているし、それに引っ張られる感じで周辺の男性向け作品の原稿料も以前よりは多少あがっている、というのが増田の実感だ。
実入りはよくなっているが、描いていて楽しいかはまた別問題である。向いてない作家になろうコミカライズをやらせてはいけない。
作品にはよるが、テンプレ展開なものも多く原作書籍を読むのが苦痛になってしまうこともある。でもそういうのが安定して人気な世界なんだよな。なろうは分からん。
最近ラノベはラブコメが人気らしく、そういったお誘いも増えてきている。なろう系よりはちょっと原稿料が低い印象。NTRの波が成年漫画を飛び出してきた。
エッセイとか4コマ、なろう以外の女性向け作品は分からず恐縮だが、増田にその辺の知見がある人は教えてほしい。
多分ぜんぜん違う世界の話に聞こえると思う。正直なろうバブルがすごい。弾けると言われててまだ弾けてない。
昔だったら多分成り立たず、コミックスの印税で何とか帳尻を合わせていたんだと思う。
でも今はデジタルの進化がすごい。少ないアシスタントさんでも豊富な背景素材や3D技術を使えば何とかなってしまう。
たまにアシスタント使わず描いてる人もいるくらい、今の作家はデジタルの恩恵を受けている(あるいは恩恵を受けているのは編集部かもしれない)。
『飲み会が苦痛な人達の悩み「行けば孤立、行かなくても職場で孤立」「気配消して1次会で帰ろう」』
https://news.careerconnection.jp/entame/62719/
これ、ほんっっっっとーーーーーーによく分かる。
綺麗よりのサイバーパンクでエログロやエグさが中途半端なためそれを求めるのだったら退屈
お使いかNPCが固まってるところにカチコミをかけるだけのパターンしかなくて退屈
拾えるフレーバーログを楽しめるかにかかっているが、単純に長く読みにくいので世界観にハマれないとただ苦痛である
ステータス振りは多彩だが戦闘の幅はかなり窮屈で同じことの繰り返しのため退屈
スタート前の経緯もチュートリアルまでが変わってあとは進行に影響がない会話の選択肢が増える程度
それよりボスより強い野良チンピラや、種類は多いが効果は同じ飲食物など仕様面の雑さが目立つ
1060以降のまともなグラボが刺さってるならある程度は動く
なんかあれだな
歌ってよりかはインストの曲だと思えばいんだなってなんか目からうろこが落ちた気分になった
これまでラップは歌詞もわかんなきゃと思ってたけど、そうじゃないんだなって
たぶんソールドアウトは桶部分もきいてて心地いいからなんだろうけど
でも余裕ができてらのどじまんじゃないけどこずみくとらべるとかウェカピポとかカラオケでうたえるように練習したいなって思った
モニタ一枚でいい。なぜなら視線が散るから視界か知能かに問題あるのか知らんけど一枚の方が手は疲れるけど集中できた
メモリはよくわからん。けどノートPCは8GiBくらいでも文句はない
なんなら接続先も大したコード書けないから8GiBくらいで十分だ。CPUはようわからんがノートのが
Intel(R) Core(TM) i5-6300U CPU @ 2.40GHz
これだけど文句とかはない。
仕事拘束されまくって終わった後も人間関係とか設計のこととか不安とかずっーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと頭の中に残ってたけど
今の人間様のご機嫌とりするついでにプログラム書く仕事苦痛で辛いけど
趣味と仕事一緒にしないほうがいいって先生見てますかーーーーーーー?
食洗機。
はてブだとまるでボタン押すだけで洗えるかのように喧伝されているけどぜんぜん違う。
食器をどう配置するか考えなきゃいけないし、洗うのも一時間ぐらいかかって音もうるさい。
はてブで書いたことあるかどうか覚えてないけど、ミーレ60cm機使ってる。ミーレ以外にもボッシュとかガゲナウとかがある。日本で主流の45cm機と60cm機は容量が3倍以上違うので、使い方が違ってくる、60タイプだと5人家族の1日分がほぼ入るので、1日3食分を順番に詰め込んで、夜中に廻すという運用が基本になる(逆に毎回廻すと水と洗剤タブレットがもったいない)。うちはこれですごく恩恵あったけど、これを便利に使えるのっていくつか条件が要ると思ってる。
・食洗機の中とはいえ、汚れ物を1日放置することへの抵抗がない
この時点でミニマリストや「丁寧な暮らし」派には向いてないんだよね。毎回少量の食器をパッと洗うことに苦痛がない人にとっては、これどういう効果あるんじゃろ、となるのは理解できる。
あと60cm機は、ほぼ新築時の注文住宅か持ち家の大規模リフォームの時しか入れられないので、大半の人は「食洗機を買いたいな」となったときは45cm機や単体据置機しか選択肢にできない。こいつらは容量が少ないから食事のたびに廻す必要がある、食器格納の仕方に頭を悩ませる、騒音が結構ある、洗浄力が落ちるなど、60cm機と比べてメリットが薄れる割にデメリットが目立ってくる。
「今から理想のおうちを建てたい!」というタイミングで威力を発揮し、そうでない状況だとあまりメリットを享受できない(一番メリットが出るタイプの機種は後からは導入できない)のが食洗機だと思ってる。
そういう意味では「速いガス乾太くん」に似てるかもしれない。あれもガス配管や設置場所などの都合で新築時以外には導入するのが難しい。割と後付けしやすい電気式は、パワーが低く、乾燥に時間がかかり、コストが高く、うるさい。それを買うとストレス要因が多い割にメリットが低く、「衣類乾燥機いらねぇ」となりがち。