はてなキーワード: 満足度とは
はてなブックマーク - え?吸引力弱かったの?!ダイソンのマーケティングの巧みさに脱帽した件 : ゆるくハタラク=ゆるくイキル
床のゴミを吸い込む性能で他社に劣るわけではないのです。
と書いているぶんだけまだマシか。
http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20060406_1g.pdf
元になった調査。
家電製品ロングレビュー - 主要メーカー6社のサイクロン式掃除機をガチ比較 前編 - 家電 Watch
1位。4位。5位。9位。
「実はダイソンの吸引力は弱かった!」みたいなネタは意外性があって面白いからよく広まるけどそれにいつまでも乗っかっていたらいけませんよ。
「来場者数は4倍に増えた、貸出数も2倍に増えた、だから我が町にも!」
かと思います。
いやいや、癒着があるからだ!みたいな嫌儲の人たちの意見は無視して、行政サービスにとって利用者数って売上かそれ以上に意味があるものなので。
だれからも税金という形で前払いしてもらってるのに、一部の人間だけ享受できるではいけないわけで、広く全ての人が享受できないといけない。
そうなると、指標はどうしたって利用者数や貸出数、来館者アンケートになる。
そう考えると、あの来場者数や貸出数の増は魅力的で、来館者アンケートもいいときてる。
経費がかさんでも、そりゃ任せたくもなるでしょうよ。
それに対して、「○○が破壊される」「○○が失われる」というのは「利用者数や貸出数では測れないものがある!」と言うのと同じなんです。
一番簡単なのは、利用者数でも利用者満足ではなく、「アーカイバとしての価値が重要!」という主張ですが、どうやらそうでもない。
だったら、今までの成果を、こんなことをしてきた、こういう成果があった、それがこう失われた、そうやって示さなければならない。
たぶん、端を発したTカードの問題から来てるのでしょうけど、個人情報の問題はごもっとも、考えなければいけないけれど、嫌儲の話はややこしくするだけ。
市としては、来場者数や貸出数の増は魅力的で、それによってCCCが儲けるかどうかは関係ない。
公共事業で儲けることが悪というなら、土建屋はどうなるんだということで。
例えば大学等なら、
「整理されたライブラリーが用意されることで、研究が捗る。貸出数があろうがなかろうが、ライブラリーは常に揃えておく必要がある。」
といった具合に。
それが出来てない。
「取りづらい!」「分類が悪い!」みたいなことを言ったところで、
「でも来館者は増えてるよね?満足度アンケートもいいよね?しょうがないよ。HAHAHA」
になるのは当然かと。
先日、ラーメン店に入ってふと気づいた。ラーメンで感動したことが無いことに。
ふらっと入っていっぱい食べてさっと出る。その敷居の低さゆえついついラーメンを食べてしまうのだけど、未だに感動を覚えるラーメンに出会ったことがないのだ。
それには、余りにも低い参入障壁が関係しているのではないかと思った。
昔から食べられてきた日本のファーストフードと言えば、鮨に天ぷら蕎麦なのだけど、これらは修行期間が長い。
30歳やそこらではまだまだ若手という印象がある。
それに対して、ラーメン店で10代からきっちり修行をして40代で店を持つ人なんてのは殆どいないのでは無いだろうか。
むかしTOKIOのガチンコという番組の企画で、冴えないラーメン屋がその道のプロに指導を受けて一人前になるというものがあった。
精々1年程度でどれほど味が変わるのだろうか。
人の味覚というのは、うまいものを食べることでその味を覚えていくのだと思う。
一流店で修行をするということは、料理のイロハだけでなく、まかないなどを通して一流の味を覚えていくという事なのだと思う。
そこで、ラーメン店に入って、そこの主人を見て、自分より美味いものを時間と金を掛けて食ってると、こいつは強者だと思うことがあるだろうか。
修行期間が無くとも、意欲があれば積極的に美味いものを食べようとするだろうが、美食家の匂いがラーメン屋からは感じないのだ。
ここまで書いたのは全てn=1の主観と偏見なのだけど、満足度と修行期間というのはおおかた相関があるのではないだろうか。
今の仕組みだと、どうしても読み手からすると不満が残るんですよね。
書き手のニーズは、好きな作品について語りたいとかバズりたいとかそういうあたりでしょう。
でも読み手のニーズは、第一に自分が知らない作品を知りたい、第二に、自分の思い入れのある作品について語るきっかけにしたい、あたりだと思うんですよ。
となると、邪魔なものが有りますよね。そう、あまりにも定番すぎる作品。
どうしても全作品の中から選ぶとなると、やはり定番作品が30くらい決まってしまいます。
書き手は、その作品についてガチで語ることはハードル高くてもベスト100作品のなかに紛れ込ませれば語りやすいなどメリットは有るかもしれません。
でも、読み手にとっては、いい加減他者の定番作品語りとか読みたくない、それよりは、1つでも多くの自分が知らない作品を紹介してほしいわけです。
なので、定番作品を30~50くらい決めて、それについて語る記事は別途もうけてもらい、それ以外の100作品を出してほしいと思います。
たとえば昨日バズってたこれ。
おすすめのクッソ面白い漫画ランキングベスト100を発表します!! | まぬけブログ
俺が読んだことのないマンガが1作品もなかった逆にびっくりした。
いいですか、一つもですよ。普通人が好きな作品紹介したらどんだけがんばっても10作品くらいは知らないの出てくると思うじゃん? 一つもないとか。どんだけー!!!?
そのくらい「ちょっとマンガが好きなら誰でも読んでる作品」をただ羅列してるだけのラインナップになってる。あまりにも浅すぎるし個人としてのこだわりが全く感じられない。
そうでなくとも定番作品が半分くらいを占めてます。 しっきーとひとでの記事との重複も多すぎる。
頑張ったね、とは思うけれど、今更投稿する記事にしてはあまりに自己満足にすぎる。 全く価値を感じない。
さすがに堪忍袋の緒が切れました。前言撤回。 文句の一つも言わせてほしい。
これはもう終わってる。 ここまでレベル低いまとめならそもそも必要ない。
もう「ベスト100マンガ」まとめという仕組み自体がダメになりつつ有る。
これなら最初から定番作品50と、僕の好きな作品50に分けてくれたほうがいい。
書く方が大変なのはよくわかるけれど、読み手だって時間使ってるんです。スクロールで指疲れるんです。 読む時間に比べてあまりに得るものが少ないと、がっかりを経由して怒りが湧き上がってきます
素直に自分の好きな作品書いてるんでしょうけれど、書き手にとってもせっかく頑張ってるのにがっかりされるのはつらいだろうし、読み手にとってもせっかく読んだのに苛つかされるというのはお互いにとって不幸すぎます。
「ベスト100マンガ」記事は、どんどん選書の満足度が下がってきてついには不満の方が上回るようになってきてしまった感があります。
長い前置きになりましたが、ここからが提言です。マンネリ化も極まりお互いにとって不幸な関係になりつつあるベスト100選について、そのマンネリを少しでも払拭するために提案です。
以下の作品については、ベスト100マンガとは別に殿堂入り作品として記事をわけて感想をかいてもらうルールにしませんか?
そのルールだったら100書けない、というレベルのブロガーさんは、無理せず50作品紹介とかにしてくれたらいいです。
しっきーやひとでは先行者として認めるとしても、これから書人は惰性で100作品かき集めればいいみたいな発想は捨ててほしい。は無理に100作品に拘わらない。そのほうがお互いにとって幸せな関係になると思います。
ワインが苦手という増田がいたので、苦手あるいは飲み慣れていない人向けのワイン攻略法みたいなものを書いてみる。
無理して攻略する必要があるのかと言われれば、別にないと答えるしかない。
しかしながら、西洋料理(主に仏・伊・西料理)はワインと一緒に食べることで美味しさが一層引き立つことは間違いないわけで、お酒を飲めるにも関わらずこの至福のハーモニーを知らないまま一生を終えるのはあまりにも勿体ない。
とはいえ、ワインって何だか難しそうで敷居が高いうえに高価なイメージもあると思う。
たかが酒にそんなにお金かけてられない、というのもあると思う。
そこで、ワインを気軽に楽しむための手がかりみたいなものをここに書いておく。
つい先日、「日本初上陸!高コスパワイン!!」と銘打たれた700円のワインを買ったものの不味くて1/4しか飲めなかった自分への自戒を込めて。(残したものは料理用に使う)
なお、ここでは赤ワインのみを対象とする。ワインと聞いてパッと思いつくのはやっぱり赤ワインだろうから。
まず、これが曲者だ。
冷蔵庫は温度が低すぎる。そのため渋みが強まってしまい、味も縮こまってしまう。
よって、室内に置いておくしかないのだが、夏場は室温が高すぎて、これまた美味しくなくなってしまう。
当然、ワインセラーなんてものは愛好家以外持ってないので、飲む時期を選ぶしかない。
シャツ一枚だけではちょっと肌寒いな、そう感じたらワインを買ってみよう。
夏場に赤ワインは飲まない。これが鉄則。
百貨店で買うのが一番無難だと思うが、ちょっとワインを飲みたいなと思ったときに、ワインを買うことを目的に百貨店に行くこと自体は億劫だ。また、そもそも百貨店が近くにない、という場合もある。
ネットは安いし便利だが、送料を考えるとまとめ買いする必要がある一方でそんなに大量のワインは必要ないという問題が出てくる。
そうなると、現実的なワイン購入の場所はリカーショップかスーパーかということになる。
食料品の買い物のついでにサラッと購入するのがもっとも敷居の低いやり方だ。
なお、セイコーマートというスーパー(?)が良いとの噂を聞くが、私の住んでいる地域にはないのでよく分からない。
できるだけ安く買いたいというのが一般的な心理だと思うが、物事には限界というものがある。安いワインだと500円くらいで売っているが、はっきり言ってマズイ。劇マズだ。
この価格帯のワインを買って飲むと、「ああ、やっぱりワインって不味いな。しょうがない、発泡酒飲むか」ということになってしまう。
1,000円から1,200~1,300円あたりが割高感を覚えずに購入できる値段帯ではなかろうか。
まともな4合瓶の日本酒と同等の値段帯であることも大きなポイントである。
まず、大前提として、大手酒造メーカーが輸入しているワインはまずもって美味しくない。ボトルの裏側のラベルに輸入元が表示されているはずだから、そこは必ずチェックすること。誰もが知っている会社名が記載されていたらそっと棚に戻しておこう。スーパーなんかだと、置いてあるワインが全て大手メーカーの輸入品ということもあるので、そのような場合はすっぱりと諦めるべし。
また、安定剤(アカシア)が添加されているワインもだいたい美味しくない。これも裏ラベルに表記されているのでチェックのこと。
低価格帯のワインで個人的にお勧めの輸入業者は「モトックス」と「スマイル」。次点で「稲葉」、「三国ワイン」といったところ。もし、これらの名前を見かけたら、一度購入してみることをお勧めする。
次に、どこの国のワインがよいか、という点について。
よくチリワインがコスパ最高とか言われる。これはあながち間違っていないとは思う。ハズレを引く可能性が低いからだ。1000円前後の価格帯において不味いチリワインというのは記憶にない。逆に、イタリア、スペインあたりは結構な地雷が混じっている。フランスもボルドーを除外すればそんなに悪くない。南アフリカもよいと思う。オーストラリアはあまりよい印象がない。また、この価格帯の国産ワインは論外。
葡萄の品種については、覚えるのが面倒くさいと思うのでこだわらなくてよいと思う。葡萄の品種ごとにワインを造っているメーカーもあるので、美味しいと感じたワインがあれば、同じメーカーの他品種ボトルを飲んでみればよい。
おすすめのワインは、ベタだけれど、チリのコノスル。自転車のラベルが貼られているワインだ。大体どこのスーパーでも置いてあるし、値段も800円くらい。葡萄の品種も主要なものは網羅しているので、飲み比べてみるのも面白い。
フランスワインでボルドーは除外するようにと言ったが、2009年だけは別格。
ボルドーワインは生産年ごとの味の触れ幅が大きく、当たり年以外は大抵美味しくない。
だが、2009年は飲みなれていない人でも美味しく感じるほど出来がいい。
もうあまり見かけることはないと思うが、ボルドーワインは1000円から売られているので、もし見かけたら迷わずゲットしてほしい。
さらに付け加えるなら、ボルドーと並ぶフランスワインの名醸地、ブルゴーニュには手を出さないこと。1000円台のブルゴーニュには地雷しか存在しない。
飲むときには家で一番大きいグラスに入れて飲もう。並々といれずにグラスの1/4から1/5くらいの量を入れて飲む。本当はワイングラスで飲むのが一番よいので、興味が出てきたらグラスが薄くて容量が大きいやつを買ってみよう。安いものなら1000円くらいから売っている。
ワインオープナーはソムリエナイフと呼ばれるタイプのものが一番使い勝手がよい。地味に栓抜きとしても使えるのがありがたい。こちらも1000円くらいから売っている。
以上、これから赤ワインが美味しくなる季節なので、一度軽い気持ちでワインを買ってみてはいかがだろうか。
ただし、ボージョレヌーボーには手を出してはいけない。あれは普段ワイン漬けになっている人がお祭り感覚で飲むものであって、決して美味い飲み物ではない。たとえ「有志以来一番の当たり年!」と銘打たれていても買ってはいけない。
なお、最終的にはネットで購入するのが一番お得で楽チンなんだけれど、ワインセット(10本で1万円など)を購入するのは避けたほうがよい。経験上、美味しいワインが入っている割合は3割から5割くらいだ。ネットで評価の高いワインを調べて買ったほうが満足度は高いと思う。
全ての女がそうとは限らないけど、私に限って言えばまさしくそれ。
後背位と、騎乗位で後ろに反るやつ、それをするとかなり乱れる。
たぶん、相手の顔が見えなくなると羞恥によるリミッターが外れてオナニー的に自分が開放されるんだと思う。
オナニーでは叫ばないけど。
クリや入り口のほうが気持ちいいし、奥は気持ちよさは感じない(正確には内臓が揺らされるような感じはわかる)んだけど、なんだかわからない乱れる。
気持ちよさはないのに逝く。
膝を叩くと足が上がるみたいに、反射みたいな生理的な反応で、クリオナの時のようにどんどん高まって高まって逝くのとはちょっと違う。
ここだっていうスポットにあたると、「ああ、これはすぐ逝くな」とわかる。同時に理性が飛ぶ。
そのままグリっとされるか、数回ノックされると、簡単に逝く。
ただ、逝ってるときはすこしそっとしておいて欲しい。
連続イキが出来る人がいるというけど、私にはちょっと信じられない。
勘違いしないでもらいたいのは、気持ちいいセックスと満足なセックスはまた別で、早漏だけどこれでもかってくらい愛撫してくれる彼氏のセックスのほうがよかった。
今年の夏休みは3日だけだった。
世の中には9連休を取られる方もいるようだが、私の夏休みは公休の金曜日を含めて3日間であった。
今年は3日だけかよ、Fuckと思っていたが終えてみればかなりの充実感を得られた。
◆連休1日目
◆連休2日目
友人が家まで起こしに来てくださる
途中移動などがあるが、基本何かを食っていた
深夜に車で家まで送って貰い、別れる
◆連休3日目
目覚ましに催促される事なく目が覚める、正直さんぽ
◆今
彼の顔を見なくていいだけでこんなに心がぴょんぴょんするとは驚きだ
◆所感
月に1度こんなに満足度を得られるならこの先も頑張れそうだ。
この記事について。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1508/05/news107.html
全く専門家ではない、ずぶの素人の憶測なんだけど、興味があったら聞いてってください。
性行為において、能動的に愛撫する側である「攻」と、受動的に愛撫を受けて反応を返す側である「受」では、
ロボットを作る難易度が全然違う気がする。「受」の方が作りやすいと思う。
「攻」の場合、バグった時の危険が相当怖い。ハグの勢いで抱き潰す、手コキやフェラの勢いで引きちぎる・握りつぶす、などなど…。
機械には悪意も慈悲も無いものだと思ってるし、普通の人間の力を超える力(物理)を持ってる慈悲ゼロの存在に身を預けるって結構なリスクだよなと。
あと、「ユーザーである人間(受)の反応を見て、気を利かせて動くAI(攻)」っていうのも、非常に難しいと思う。
だいたい、攻めるのって人間にも難しいだろ。男女共に大半がヘタクソだよ。
検索ワードをサジェストしてくれるGoogleや、商品をレコメンドしてくれるAmazonは非常に「攻」っぽい在りようだなと思うけど、
それが性行為になると、現実的に可能なの??って思うわけです。まず入力が曖昧だろうし。
だからセクサロイドは「受っぽいSiri入りの抱き枕」である期間がかなり長いのかなと思っている。マグロというか。
スピルバーグの映画A.I.では、ジュード・ロウが「攻」っぽいセクサロイドを演じていたけど、これは遠い未来なのではないかなと想像してる。
そして「攻」のセクサロイドが技術的に可能になると、人間相手よりセクサロイド相手の方が行為の満足度は高いものになると思う。
デジタルデータにしやすい視聴覚情報のエロは、誰もが過激なもの・クオリティの高いものに接して慣れていて、
一方で「官能的な触り心地」みたいな領域になると、非モテ男は経験値も興味もゼロだったりする。
デジタルデータにしづらい=ネットで無料配布がされない情報だから、得られる人と得られない人の格差が大きくなりやすい。
見る・聞くことについては、もうかなり平等に得られていると思うんですよ。
昔はモテ男と金持ちだけしか美女の裸を見られないまま死んでいくのもザラだったのが、
今ならXVIDEOSやFC2動画で無料で観放題だから、視聴覚情報においてはモテ度や金持ち度による格差がなくなった。
セックスロボットが出てくることで、触覚の上質な性的情報も、平等に誰でも得られるようになっていくんじゃないかと思う。
「ロボットとの間に子供も作れる」だと、ロボットに遺伝情報は無いし全く意味がわからないのだけど、
自然妊娠しか子作りの方法が無い場合、一人の女性が作れる子供の数は非常に限られるけど、
iPS細胞で人気の女性(アイドルとか)の卵子を大量に製造できるようになった場合、過去に類を見ない事態が起こり得るのかなと思う。
チンギスハンかな、男性で大量に子作りした人はこれまでにも居るでしょう。光通信の人間牧場の人もそうかな。
それが、遺伝情報が盗まれて、日本中に石原さとみの子が、世界中にスカーレット・ヨハンソンの子が…って可能性も生まれるのか。
同じ女性の子供がiPS細胞×人工子宮で物凄い数になっていった場合どうなるのか、遺伝子プールとかその辺り詳しい人、教えてください。
(良い卵子と良い精子と人工子宮で良い子供を生産することを試みる人も居そうだな…。
しかし「良い子供」が欲しかったらロボットを買うのかな?家族がロボットでなく人間でなくてはならない理由って何?)
本当に馬鹿げた発想だと思います。ペット等を含め、生き物には主体があるけど、ロボットに主体はない。
ロボットに感情移入しすぎた人が団体になって活動なんかをするのかもしれないけど、まあ馬鹿げている。
ロボットは道具ですから。人権があるわけがない。靴やハサミと一緒。
自分のロボットは自分の好きなように大切にすればよく、他人が他人のロボットをどう扱おうが勝手というのが当たり前の話。
人権が無いからと言って、人間に似せて作られた存在を虐待する人間が居るであろうことは、悲しいことではあるけど、
ロボット虐待を規制しても、そういう人間は家族などの別の人間や生き物を虐待するんですよ。
堕胎が難しかった時代は、男性にとって強姦が遺伝子をのこす方法として優れていて、そういう状況だと強姦を好む性質が次世代に受け継がれてしまう。
堕胎が可能になることで、和姦の方が遺伝子をのこす方法として優れたものになる。「世の中に適応している性質」は、世の中の状況によって変わります。
虐待を好む性格の人が、生身の人間と違って「完全所有」することができるロボットにのみ性的関心を寄せて、
ロボットがある時代においてもあえて生身の人間との生殖を行う人が、攻撃的でなく正常な人間関係を形成できる人々に絞られていけば、
要は「虐待好き」の精子を受け止めるゴミ箱としての役割を、ロボットが果たしてくれれば最高と思っています。
その役割を風俗嬢など、たまたま貧困家庭に生まれただけの生身の人間が、負わざるを得ないところに追い込まれる状況こそ人権侵害。
経済格差を利用して、発展途上国の少年少女に負わせようなどという話もいよいよ醜い。そこは「生き物」ではなく「道具」が負うべきところだ。
そういう意味でいうと汗水ながしてみんなに分配してると税率が軽減されるというのはすでに組み込まれているんだよね
その根本的なところからお金持ちになりたいから莫大な富を生み出す商品や方法を考えようというスタートが
でてくる条件があるかないかというところにおいてやる気がおきるかどうかの話なんだよね
すでにあるところから没収するタイプの話であれば現時点での満足度はあがるかもしれないけど
いつまで継続するかによって成長の度合いとかかわるんじゃないかな
いま現状よくなったとして次の世代が育たなくてこまるのは次の世代なので逃げ切り世代に含まれると安心
だろうけどそういう方策を政治家とかそういう人たちが唱えられるかな
実際余裕資産の利子だけで不労所得な人もいるとおもうけれども引退やら功績やらで得てる人もいるんじゃないかな
そういう人はOK 相続はNG 一攫千金だけどその価値はみとめられないといった個人感想 みたいな
感情やタイミングや状況評価などでかわる基準で税率かえられたら 金持ちじゃなくても困るとおもうんだけどな
あなたが宝くじに当選したとき 本気で買った券じゃないから半分は税でもっていく とかなにをもって本気なのかとかみたいな
適当なタイミングでいいように税をきめたらもとよりやる気をなくすのでは
話はずれたけど億を稼いでる人間は百万単位で働いている人への給与を支払いその生産結果を責任もっているわけで
400万円稼いでいる人がその稼ぎを個人だけのものにする方向転換すれば10億かせいでいる人の資産は減るんだよ
大企業で高額給与の人が起業したら大企業の取締役の収入は減るわけだよ
起業したひとはその直接収入の増加分の責任を負うわけだけど多くの場合責任とってるところを見ないから甘い汁吸いやがってとおもうよね
お金を右から左に動かすだけでお金が生まれてるっておもっちゃうだろうけど
その動かしたお金で働いたり生活してたりする人がいてはじめてお金として動いてるんだよ
一流企業の大きな収益をがっぽり税金で引くと 一流企業で働く人の給料がコンビニバイトと同じになったりするんだよ
コンビニでバイトするのと一流企業ではたくのと同じ給料だったらどっちで働くよ
受験勉強必死にこなして大学はいって就活して一流企業にはいるために何千万と養育費つかって はいって コンビニと同じて
一流企業につとめていても社員なら税率軽減トップは増税とかしたいだろうけどトップの給料がへったらいやおうなく部下の給料へるでしょ
部下と同じ給料で責任おもいのを何をたよりに耐えていけばいい?
それじゃあ個人で投資家やってる資産家にすごい税かけてやれっておもうかもしれないけど
すると仕事なくなるよね
お金があるならたんす預金 ていう構図にいやおうなくなるよね 使えば減るだけなんだもん
投資家がおおきなお金をもってるのは もってるんじゃなくて貸し付けてるから運用になっているわけで
その金額は名目上個人資産だけど企業が借り受けて運用してるわけなんだよね
全部解約して引き出したらその名のとおり個人資産になるけどそれをたんすにでも入れない限り
使えば使った分だけ経済活動になるんだよね
・60点。(ただし70点満点)
・(70点満点の映画の例:「ドゥームズデイ」「トロールハンター」「戦慄怪奇ファイル コワすぎ!史上最恐の劇場版」など)
・とても面白かったです。
・「劇場版あまちゃん」を観に行ったら「橋本愛が福士蒼汰のセフレになっていた」という超展開。
・全国のあまちゃんファン激おこプンプン丸だが、能年玲奈ファンの私は、めっちゃかわいい能年ちゃんが観れたので大満足、といった塩梅。
・けれん味のあるゴアシーン。
・いまいちだと言われるシナリオも、ホラー映画と思えば十分すぎるぐらい。
・超映画批評、「リアル鬼ごっこ」75点、「進撃の巨人」40点
・「リアル鬼ごっこ」は、トリンドル玲奈の下着姿と、斎藤工の白ブリーフ姿が観られた。
・たぶんそれが原因で35点差。
・石原さとみがおっぱいを出してくれてさえいたら、本当に言うことがなかった。
・後編には期待しています。
・原作で唯一の東洋人ハーフのミカサ役の水原希子が、映画版では唯一のアメリカ人とのハーフ
・冒頭シーンに出てくる爆弾に金髪の白人女性が描かれているので、作中に「西洋」は存在するはず
ということで後編は「巨人は放射能大怪獣! 全部アメリカが悪いんや!」オチと予想します。
どうなる後編。出るのかおっぱい。
ギリシャ人は怠け者で働かないから財政が破綻したとか、年金が手厚すぎて破綻したという(不正確な)俗説には
http://lacucaracha.hatenablog.com/entry/2015/07/17/000000
などもそうであろう。
では、怠け者だとか年金が問題でなかったのだとしたらどうしてギリシャの財政はここまで悪化したのだろうか。
この原因は、ITバブルの崩壊に求められる。ドイツなど米国への輸出が多かった国はITバブルの崩壊の影響を
大きく受けた。そのためユーロの中央銀行であるECBは政策金利を下げていくことになったが、このとき、
米国への輸出に頼っていたわけではないスペインやギリシャの景気はさほど悪くなっていなかった。しかし、
ユーロ圏の政策金利はドイツもギリシャも一律なので、ギリシャの金利も下がっていくことになる。
このことは、ギリシャ国民は預金をしていて得られる金利収入が減ることを意味する。そして重要なのは、
ギリシャは景気が悪くなかったので、企業活動が活性化してさらに生産や所得が増えるという効果が無いなかで
このような事態になったということである。すると、ギリシャ国民としてはそれまでと同じペースでの消費
を続けた場合、金利収入が減る分だけ生涯を通じた消費からの効用・満足度が減ってしまうことになる。
そのため、仕方なしに、魅力の下がった預金をやめて現在にお金を使うことにした。具体的にはドイツなど
からの輸入を増やした。これすなわち経常赤字の増加であり、ギリシャの対外借金の増加である。
(なお、これは米国への輸出が減っていたドイツにとって渡りに船になっている。)
このときの借金が、リーマンショックによる疑心暗鬼の拡大で一気に市場の注目の的になってしまったのが
欧州債務危機であり、一度注目の的になってしまうとそれによる金利上昇で経済活動の縮小と債務の雪だるま式拡大
が起きてしまう。一度こうなると、市場の不安を鎮めない限りどうしようもないが、ギリシャの中央銀行ではなく
ユーロの中央銀行であるECBには限界があること、ユーロの政治家はしょせんはそれぞれの国の代表者であり
積極的に財政的に助けることはできないこと、という制約によって不安を鎮めることはできなかった。
そして今に至るのである。
つまり、ITバブルの余波で景気が悪化したユーロ主要国を助けるためにECBが政策金利を引き下げたことが、
当時は景気が悪くなかったギリシャの国民に消費・輸入を拡大するよう追い込んだのであり、そのときの
経常赤字こそが対外借金なのである。ドイツはそのときの政策金利引き下げの恩恵を大きく受けて息を吹き返した。
ギリシャはもし政策金利が下がっていなかった場合よりも生涯を通じた満足度が下がることを受け入れさせられ、
モバイルの話です。
いろいろググってみたけど、一部のユーザーがすごいヘビーに使うからということらしいけど、それが理由なら何故個別に対処しないのだろう。できないってことはないと思うし、たしか、以前は個別にやってた気がする。一部のユーザーがかけてる迷惑(?)を何故利用者全員で負担しなければならないんだろう?一部のユーザーがーって理由はなんか納得出来ない。料金上がってるし。
料金が上がったのはLTE=3.9Gとかキャリアアグリゲーション=4Gとかの設備投資をしたからなのだろうけど、(3Gは元をとったので通話が定額にできてるってことでOK?)ウチが一番はやい!ウチが一番安定!ウチがお客様満足度No.1!って急いでたのはキャリアだよね?
で、各キャリアはそれができる端末を販売してるだけではなく、大容量の通信が必要なサービスも展開してる。端末買ったってそのサービスを楽しめなきゃ意味ないよね?
何だかんだで毎週楽しみにしていたアニメ、プラメモが終わってちょっと悲しい
振り返って見ると、脚本家が締切間際に「もうどうにでもなれえ~」と言いながら滅茶苦茶にして書いたような脚本だったな
プラメモのストーリーは「難病美少女の闘病と死(アンドロイド版)」というテンプレ以上でも以下でも無いというのが残念
脚本の構想10年なんて言うことも言われていたらしいが、これって丁度セカチューくらいの時代だったな
内容もどことなくその時代の雰囲気を醸し出しているし、もしかしたら、セカチュー辺りに触発されて書いた脚本なのかもしれないと思う
企画段階では、バトルものだったらしい。だったらそっちを見たかったよ。序盤の雰囲気から期待して、徐々に裏切られていく感じはここから来てたんだなと納得
話数が進むごとにゴリゴリと俺の中の期待値(と満足度)が下がって行ったわけだが、ここでその理由を振り返ってみる
---
こんな条件を満たすSFって言うのはなかなか貴重なワケで、おまけに前評判として「シュタゲの林直孝が脚本」というのを全面に出して宣伝してたから期待していた
だった
シュタゲは面白かった。シュタゲに有ったもので、プラメモに無かったものは何だろう?
そう、
というワクワク感だろう
プラメモのなかでシュタゲの「改変した過去を戻せ」に匹敵するような問題解決の姿勢は見られない
つまり、シュタゲの名前を出して煽っていた割に、出てきたものは全然違うものだったわけだ
例えるなら、「銀座有名寿司屋の板前が作る創作料理」という謳い文句でトンカツやフレンチが出てくるような期待はずれだったのだ
なんか、いっそのこと、怒りに燃えるソウタ君vsアイラちゃんの方がよっぽど見たかった。プラメモガンとかプラメモソードを活用してガシガシバトルしてほしい
あるいは、アイラの寿命が近いことを知った主人公が東奔西走して、解決方法を探るというようなアクティブな話が見たかったんですけお!!!!
ファッション鬱は大抵、バカにされる。四方から攻撃を喰らい、ネットで「あたしたちって繊細だよね」「そうだよねこんな冷たい社会なんて生きていけないよね」と傷を舐め合うしかない。
で、そんなのが許されるのは身内の葬式に出るまで、昔で言えば親だけど、今は寿命が延びているので祖父母の死あたりだろうか。少し前に、私も最後の祖父母を喪った。
今年に入ってから、必要以上にうつ病の罹患を恐怖するようになった。
昔は楽しげにウツダシノウとか言っていたのに、今は恐れしかない。
イライラの多かった無職時代に処方してもらった眠剤の最後の一錠を二年ぶりくらいに飲んだ。
そう言えば、安定剤を処方してもらっていた頃、よく通勤電車で具合を悪くしていて、医師に成分最小の錠剤に切り替えてもらったことがあった。何種類も薬を飲んでいる繊細メンタリティな方々は、そりゃまともに働けなくなるわとあのとき悟った。
でも、今は事情が違うのだった。
昔うつ病をこじらせて自ら命を絶った友人は、肉料理が大好きだったにもかかわらず、死の前には老人や離乳期の赤ちゃんのように、お粥しか食べなくなったという。
今の私の味覚も満足感も、お粥が最上である。どんなに贅沢な肉や好きな麺料理を食べても、お粥の満足度には敵わない。お粥はいいものなのだ。
けれど、お粥を食べれは食べるほど、他の食べ物がどんどん美味しくなくなっていく。
とりあえずなんか口に入れて暇潰しをするだけ。
味覚が鈍化したかのようですごく怖い。
コロッケ?あ、こないだ吐きましたね。食べたときは美味しいと思ったんですが。
うつ病になりたくない、うつ病は怖い。だって治らないんでしょう。
でもこのままでは本格罹患してしまうかもしれないし、既になっているかもしれない。
どうしたらいいのか、うつ病なんて嫌だ。
私が好きなジャニーズのアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。
それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。
(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)
ジャニーズのコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間がセットリストに組み込まれている。
それは大体アイドルがトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。
ツアー名に自分たちのグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。
…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。
本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。
これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、
構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、
他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、
薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。
コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。
自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。
だから、私はコンサートでもアイドルの名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。
そんな私が変わったのは今年の春。
好きなアイドル、ジャニヲタ的に言うと自分の担当するアイドル=自担、が出演するコンサートツアーが始まった。
今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)
自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分の名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。
でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。
ファンサが手厚いアイドルはお手振り指差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。
それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。
全国に何万人いるか分からないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。
そのおかげで、今春のコンサートツアーの概要はほとんど覚えていない。
いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担の視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題のJr.の活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担の視線しか追ってない。
これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。
自担に干された。
「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡も横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。
そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサートの満足度に影響するようになったことを自覚した。
ただ平穏にパフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。
もう"正しいファン"ではなくなっていた。
自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。
その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。
自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。
これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。
「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。
「アイドルがグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。
アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足でしかないけど、それにしても自己満足、自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。
というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。
コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじ込まれる私の団扇は自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。
もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。
コンサートで披露されるパフォーマンスも、自担の視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。
たった半年前までは、ファンサ厨は自分の幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。
そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。
でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。
時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。
こうしてファンサ厨が一人できあがりました。
俺の知っている限りあらゆるメディアがおぼえたてセックスはすごいのだと言い張るのだ。最近では「お兄ちゃん、右手の使用を禁止します」がそうであった。ほかにもさまざまなエロ漫画がおぼえたてセックスすごいと俺に囁いた。しかし俺はそのたびに疑問に思うのだ。おぼえたてはすごい。それはわかる。そこまではいい。しかし男女(であるとして)相互におぼえたてすごいやめられない、セックスすごいよぉと思えるためには前提条件がひとつ必要なのだ。それは少なくとも男性の側が早漏ではないということである。包茎であることもあまりよくない。この世界は敵だらけだ。
たとえば挿入から射精までの時間を5秒としよう。服を脱いでからふたたび着るまでの時間を1セックスとする。1セックスにつき何回射精できるかは個人差があるだろうが、おぼえたてはすごいのだから5回くらい射精できるとする。若いってすばらしい。みんな敵だ。しかし早漏の人はそのすべてを5秒で終える。仮に挿入時間と女性の側の満足度にある程度の比例関係があるとしよう(かならずしもそうとは限らないが、この記事の目的は単に逆恨みすることなのでそれでよい)。その場合、挿入時間と女性の満足度は1対1の比例ではなく、おそらく指数関数的な動きを示すはずだ。もっとも挿入してから男性が3日射精しないとかだと話は違うが、この場合そういう例外的な事例は措いておく。
指数関数的であるということは、時間が短ければ短いほど満足度の上がる比率は下がる。つまり5秒×5セット=25秒分の満足ということではなく「え、もう?」×5回ということである。これはすごいな。心折れるな。もう俺ヤギでいいやっていってヤギ探す旅に出るも、ヤギからも「え、めえ?」とか言われるレベルだ。もうだれも信じられない。ヤギですら。
つまり「おぼえたてセックスすごい」というのは、あくまで男性が早漏でないことを前提にしているということだ。神速のホワイトスペルマであるような人種は、何度セックスしても速度的な意味で常に神の領域にいる。時間が止まって見えるほどの異能があったとして、自分の内部では5秒を無限の時間に感じ「ああ、まだだ、まだ遠い……この5秒は永遠だ……」と思っていたとしても現実には挿入してフンッ、ハッ、あああ……である。
ご理解いただけただろうか。あとおぼえたてセックスすごいのとお医者さんごっこの経験ある人はそれを詳らかにしていただきたい。現実とファンタジーの境界線の彼方に我々は見果てぬ夢を見るのだ。
あと「お兄ちゃん、右手の使用を禁止します」は、すごく安定したテキストと、すごく妹かわいいのと、おぼえたてセックスすごいのと、妹かわいいのと、妹がすごいので、ぜひやってみるといいと思います。ただし個人的な嗜好により最初のえろしーんまでの煮詰まり感がすごくありがたいので、えろしーんを通過すると一山越えたなあって感じになってあとは作業になります。もっとなんかこう、お兄ちゃんの夢精ジュースが飲みたいとかいう理由で、煮詰まった状態を延々と繰り返して相互におあずけ繰り返すようなエロゲないすか。
引き出物にかぎらず、土産物とかその他贈り物って基本的にいらない。
みんな自分なりのインテリアを組み立ててるところに、個性の強いアイテムが飛び込んでいくことになる。
そのへん考えてすぐに消費できる食べ物が重宝されるわけだけど、それだってちょっと不便だ。
お歳を召した方は砂糖ニキロとかしょうゆ二リットルとか平気で渡してくる。
別に消費できないわけでもないけど、それまで場所を取られるのがストレスだ。
サラダ油とかも同様。お茶、コーヒだって飲まない人はやっぱり困るだろう。
無難な食品関係でもこれである。食器なんてたいていの家に最初から必要最低限揃ってる。
そこになぜ微妙にでかくて微妙に主張したデザインの食器を置かなくてはならないのか。
はてブの方で人気のミニマリスト的には半ばテロのような所業であろう。
引き出物で新郎新婦の写真なんか入ってると最悪だ。実用にも観賞用にもならない。即座に捨てるのも憚られる。
カタログでもらえるやつも、みんな帯に短したすきに長し感溢れてる。しかたないので各種ギフト券にする。
贈り物はこの一見実用的なのに絶妙に扱いにくい商品たちを強引に消費させるための文化だったのではないか。
百貨店はこの文化にけっこうなウェイトを置いていたから、衰退していったのだろう。
今やネットで自分に一番合っている商品を見つけて買うことのできる時代である。