2015-06-16

贈り物は文化に組み込まれ経済刺激施策だったのではないか

五時夢の引き出物調査を見て思った。

引き出物にかぎらず、土産物とかその他贈り物って基本的にいらない。

みんな自分なりのインテリアを組み立ててるところに、個性の強いアイテムが飛び込んでいくことになる。

そのへん考えてすぐに消費できる食べ物が重宝されるわけだけど、それだってちょっと不便だ。

お歳を召した方は砂糖キロとかしょうゆ二リットルとか平気で渡してくる。

別に消費できないわけでもないけど、それまで場所を取られるのがストレスだ。

サラダ油とかも同様。お茶コーヒだって飲まない人はやっぱり困るだろう。

無難食品関係でもこれである食器なんてたいていの家に最初から必要最低限揃ってる。

そこになぜ微妙にでかくて微妙に主張したデザイン食器を置かなくてはならないのか。

はてブの方で人気のミニマリスト的には半ばテロのような所業であろう。

引き出物新郎新婦写真なんか入ってると最悪だ。実用にも観賞用にもならない。即座に捨てるのも憚られる。

カタログでもらえるやつも、みんな帯に短したすきに長し感溢れてる。しかたないので各種ギフト券にする。

贈り物はこの一見実用的なのに絶妙に扱いにくい商品たちを強引に消費させるための文化だったのではないか。

百貨店はこの文化にけっこうなウェイトを置いていたから、衰退していったのだろう。

今やネット自分に一番合っている商品を見つけて買うことのできる時代である

個人から個人への贈り物ならまだしも、趣味趣向の共通性を持たない人たちへの贈り物で、

一定レベル満足度を実現するのは価値観多様化した現代では無理ゲーである

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