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はてなキーワード: 日本の歴史とは

2022-12-22

日本の歴史上、女の髪型が可愛かった時代がない問題

韓国の歴史ドラマって女の子ががかわいいんだよな。古くはチャングムの誓いとかさ。北の将軍様ですらメロメロになった。女優かわいいのはもちろんあるが、何より李氏朝鮮時代の未婚の女性髪型シンプルなまとめ髪であったという事実に大いに助けられてると思う。だってチャングムが晴れて尚宮になったあとは、髪型のせいでただの大阪のおばちゃんになってしまってたしな。

日本の歴史ドラマに出てくる女子髪型って平安時代お姫様みたいな黒髪スーパーロングに白塗りか、舞妓さんみたいな髪型(やっぱり白塗り)くらいやん。いくら女優の顔が完璧でも全くかわいくないんだよなあ〜そのせいで日本の歴史ドラマは損してると思うわ

2022-11-14

anond:20221113225404

ウクライナ仮想通貨投資の分は、FTXが米国民主党キックバックされたなど言われているが

アメリカ人関与の金融事件江戸時代からある

二朱銀流出事件日本人移民関連のハワイ総督賄賂事件

星亨が暗殺されて実情不明だが、赤十字大久保氏あたりにキックバックあったのかな?

それで日本政府日本司法不平等条約を作ったかもしれないわけで

日本の歴史教科書はアホくさいな

2022-11-12

なぜ日本の歴史には奴隷制がなかったのか

純血の日本人他国人間と比べて特別に善良だったおかげだよね、きっと

野蛮な白人、クロンボ、黄猿共とは大違いだ

2022-10-09

日本の歴史暴力で変わりすぎワロタ

朝廷←元ゴロツキ集団

幕府←ゴロツキ集団

明治政府田舎のゴロツキが造った国

戦後日本ヤンキー原爆落として造った国

anond:20221009023629

東京はともかく東日本は大して日本の歴史にも影響を与えてこないどうでもいい地域というイメージしかないが?

黙ってコメ作ってればいいんだよ、カッペ

オラのコメ食べてくんであんがどなって言ってればいいの

2022-10-06

中国戦国時代なんか「始皇帝中国統一しました、おわり」くらいの存在感しかなかったのに

キングダムのおかげでなんか一大イベントみたいになってるし、日本の歴史観も今後どんどん変わっていく可能性が

2022-09-16

中国人歴史教育を聞かれた

外国中国人に会ったんだ。その中国人日本人の知り合いがほとんどいないし日本にも行ったことがない。日本の歴史教育を聞いてきたんだ。どうも中国では大日本帝国悪事が事細かく教育されているらしい。日本でそれがきちんと教えられているのか知りたかったようだ。日本で教えられているにはいるがかなり削られているようだね。

2022-09-10

anond:20220910121646

日本の歴史の長さは最長

アメリカは百年程度

韓国は数十年

日本が発展させるまで土人国家だった

2022-09-05

anond:20220905155801

近年より近日に至るまで、世界の全人類は、かつてない未曾有の転換期を迎えようとしている。

それは、グロバリストと呼ばれる一部の富裕層により人口削減、グレートリセット新世界秩序と称して、

共産化社会主義化し、世界を一つにまとめ、支配階級奴隷階級に分け、人々はAI監視管理される完全独裁世界に向かっている

信じられない事であろうが、毎年行われる世界経済フォーラム(ダボス会議)がそれである

そこには、日本国の行先は無く、消滅させられることであろう。

世は亡国の様相が強くなり、政治家行政司法警察宗教団体企業個人に至るまで利益追及に明け暮れ、貧富の差が広がり、逆に国力を失いつつある。

資本主義終焉民主主義の末路を感じる

その中で弱者に対する人権侵害行為虐待虐め嫌がらせ蔓延し、組織的に人を追い込み

社会実験として善意の人を悪用し法を利用し集団的ストーカー行為最新科学技術電磁波マイクロ波等未知のスパイ技術兵器によるサイバー拷問と言う人体実験が行われている。


真実を知り、真実を見極め目覚めましょう。

高い民族性倫理道徳観、歴史文化が育んだ価値観未来日本国民の為に守りましょう。

二千八百年続く稀有日本の歴史の中に答えはあります

2022-09-02

日本の歴史には、時の権力者葬儀に対して上皇が踊りや笑い声を送った例がある

平清盛後白河法皇である

なお、『平家物語』「慈心坊」の巻6 には、清盛の葬送の夜、拍子をとって舞い踊りながらどっと笑う2、30人の声が法住寺殿のほうからしたとの記述がある。また、『百錬抄』の養和元年閏2月4日条には、より具体的に、法住寺殿の最勝光院から今様乱舞の声が聞こえてきたとある

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B8%85%E7%9B%9B

2022-08-28

ホロコースト否定論簡単に釣られてしまう人たち

ホロコーストなんて今どき、それ自体話題にすることは少ないし、日本の歴史問題の何倍も関心度は低いだろうとは思う。近現代とは言え遥か昔の話だし、同じ枢軸国がやったと言っても日本にはほぼ無関係だ。それに、日本ホロコースト否定論が世間を多少賑わせたのは1995年阪神淡路大震災オウム真理教で大騒ぎだった年に、文芸春秋社月刊誌だった『マルコポーロ』が廃刊になった記事の一件だけである・・・あ、例のT院長の件もあったな。

 

欧州では昨年か一昨年にスウェーデンホロコースト否定禁止法を立法するかどうかの話があったくらい(その後どうなったかは知らないが)、ホロコースト否定論は今も珍しい話題でもない程度には問題にされることがある。現状確か、イスラエルを入れて20カ国弱の国で否定論を公然と主張することには法的な規制がある。ホロコーストの中心地でもあったポーランドでは、否定論ではないがホロコーストについて自国の関与を主張するような言論禁止する法律が制定されたのも数年前。またアメリカでも、憲法修正第1条で言論の自由が広く認められているせいもあり、ホロコースト否定論の主張をしてもなんらお咎めを受けることはないが、FacebookYouTubeツイッターなどの主要なインターネットメディアでは厳しく規制されている(が、実際には消滅したわけでもない)。

 

いずれにしても、欧米日本ではホロコースト否定論について、かなりの温度差があるのは事実である日本では義務教育ホロコーストを習うことなほとんどないのではないかと思われるが、欧米では必須としている国や教育機関は多いそうである。それでも、関心の大きさからホロコースト否定の主張に賛同するような人はもちろん欧米の方が圧倒的に多いだろう。翻って日本ではそもそも関心が薄いので、否定論が目立つことはほぼない。せいぜい、ナチス軍服を着たとか、ハーケンクロイツの旗を公共の場で掲げたとかで、問題になる程度のことだ。その程度のことで神経質にビクビクしてタブー扱いするのもどうかとは個人的には思うけれど。

 

何故欧米で、ホロコースト否定が法的に禁止されたり、規制されたりするのか? 最も大きな理由あん悲劇を二度と繰り返さないためであるホロコースト否定デマであり、ナチ復興を許しかねず、そしてユダヤ人差別につながる。また犠牲者遺族たちの心を酷く傷つけるものでもある。だが、否定論に賛同する人たちはそんなことどうでもいいらしい、それは日本でも同じであるホロコースト否定賛同することが非常に危険行為だなんて、多分考えたことすらないのだろう。

 

日本ネオナチ怪文書にあっさり賛同する人たち。

こんなツイートが私の網に引っかかった。

https://twitter.com/masami6666/status/1563353770092003328

ツイート内の画像で示される文書は、そこに書いてある通り「国家社会主義日本労働党(NSJAP) 山田一成」によるものであるドイツナチスとは日本語では正式名称を「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」と呼ぶ。従って、山田一成日本ネオナチであることは否定しようもない事実である。ググればわかるが、ネット上の基地こちである

http://nsjap.com/jp/

また、Youtubeにある「密着24時!日本ネオナチ」というタイトル動画山田一成が紹介されているので興味のある方はご覧いただきたい。タイトルにそうあるくらいなのだから山田自身ネオナチであることを否定してはいないということでもある。

 

ネオナチなのだからホロコースト否定するのは当然である。ところが実は、傾向として、欧米の主流のホロコースト否定論者、いわゆるプロ歴史修正主義者たちは、ネオナチと結びつけられるのを嫌う。何故なら、思想的にネオナチと見られると、自分達が世間から信用されなくなることを知っているかである欧米プロ歴史修正主義者は、ほとんどの場合ネオナチ関係があったとしてもそれを隠す。世間から信用を失くすと、修正主義者目的である否定論を世間的に認めてもらうこと」が困難になると思っているからに相違ない。『ヒトラー戦争』という歴史書欧米では超有名なデヴィッド・アーヴィングは、彼をホロコースト否定論者だと書いた歴史学者であるリップシュタット教授を訴えた裁判で見事に負けたが、裁判ではアーヴィングネオナチ集会に出て聴衆を扇動していたことを暴かれた。しかアーヴィングはその事実を誤魔化そうとしたくらいだったのである

 

あるいはこれもその筋では有名な否定書、1970年台中から後半にかけて広まった『600万人は本当に死んだのか?』というホロコースト否定古典的パンフレットがあるのだが、著者の名前はリチャード・ハーウッドとなっている。が、そのプロフィールに該当する人物存在せず、本当の名前をリチャード・ベラルという。リチャード・ベラルはイギリスナショナルフロント国民戦線)という極右組織出版物であるスペアヘッド」の編集長だった。何故、実名と実際のプロフィールを書かないのかは、当然、世間に信用されたいからであり、ネオナチ世間に信用されない存在であることを知っているかである。そのパンフレット欧米国会議員などに広くばら撒かれた。

 

かつて、雑誌マルコポーロ廃刊騒動の時に、問題記事を書いた西岡昌紀とタッグを組んでいた木村愛二というジャーナリストがいたのだが、彼ですらもネオナチ呼ばわりされるのを嫌った。

 

なのに、上のツイート賛同意見を述べたツイートを発した人たちには、山田一成ネオナチであることなどどうでもいいらしい。山田思想的に偏向しているのは誰の目にも明らかなはずなのに、そんなことを気にすることもなく、ホロコーストなかった説をあっさり賛同する。私たち普通ネオナチとか関係なくても、ネットで広められるだけのほんとかどうかわからない主張を、そのまま信用したりはしないと思うのだが、あまりにあっさり信用の方向に流れるのだから、呆れるというかなんというか。その賛同者の多くは、いわゆる陰謀論の方に傾倒するような人たちばかりであることは言うまでもない。

 

日本にも、ホロコースト否定論の方に賛同する人たちが意外に多い。多いと言っても私自身の感触だけであるが、Youtubeにあるホロコースト否定論の動画チャンネルには6000人強の登録者がいる。否定動画としてはよくで出来ているので、否定論がどんなものか知りたければ『ホロコースト論争』で検索をかけて、同じタイトル動画ニコニコ動画でご覧になるといい。Youtubeにアップされた同チャンネル動画は何話分か削除されてしまっているかである。見ればわかると思うが、それ相当の知識かあるいは調査能力がないと、ホロコースト否定論には簡単には反論し難い。いうまでもなく、ネオナチ怪文書のようなものにあっさり釣られて賛同するような人たちに、その嘘・誤りが見抜けるようなものでは絶対にない。

 

まぁ世の中、そういうあっさり釣られる人もいる、だけの話なので、別にどうでもいいようなことなのかもしれないが、はてな増田をご利用の賢い方々には、そんなことはないだろうと思いつつも、注意していただきたいものである。今回は、私のアンチホロコースト記事などはあえて紹介しない。たくさんあるので興味があれば参考にはしてほしいが、興味がなければ特に面白いものでもなく、時間無駄になるだけだと思う。だが、一点だけ、怪文書反論しておきたい。

 

見直し学派は、ホロコースト説は何年もの間に大幅に変わったことを指摘している。

 

とあるが、そう思えるのは単純な話で、戦後長らく、ホロコースト実態がよくわからなかったかである。よくわからなかったと言っても、大勢ユダヤ人たち(や、精神疾患患者同性愛者、ロマ人、その他)がナチスドイツによって死に至らしめられたこ自体は疑いようのない事実として判明はしていた。たとえば、ユダヤ人人口が600万人弱、戦前に比べて減っていることは1945年5月終戦よりも前にわかっていたくらいだったのだ。何故わかっていたかというと、(これはある資料からの推測であるが)ユダヤ人ユダヤ人共同体集会所となっていたシナゴーグで名簿管理されていたからであり、各地のシナゴーグの名簿を集計すればたちどころに判明するからである。また、ニュルンベルク裁判ではあのアドルフ・アイヒマンユダヤ人処分数はトータルで600万人だと語っていた、とアイヒマン関係者が証言していたりする。それ以外にも多くの情報戦時中からすでに世界中漏れていた。ナチスドイツが極力、ユダヤ人絶滅などの非合法殺戮を極秘に行ったにも関わらず、である。そして、この600万人説は何度も研究調査され、現代までおおむねの数値として、主流の歴史学者から異論はない。日本研究者の柴健介氏も自著で「600万人以上」と推計している。

 

が、細かい話はよくわからなかったのである。たとえばあのアウシュヴィッツで殺されたユダヤ人実数は当初は全然からなかった。何故ならば、アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人の大半は、囚人登録もされておらず、ガス処刑死体は焼却処分されて、残った骨などは砕かれて近くのヴィスワ川やソラ川などに捨てられてしまったのだ。アウシュヴィッツ解放したソ連は、絶滅された総計を400万人とした報告書を提出したが、死刑に処せられたアウシュヴィッツ司令官を最も長く務めたルドルフ・ヘスはそれを否定して最終的には120万人くらいだと自己推計した(記録を取ることを許されなかったので、ヘスでさえ推計するしかなかったようである)。このヘスの値が現在判明している犠牲者数(110万人)に非常に近いことが判明するのは1980年代後半まで待たなければならない。ソ連の400万人説は、それっぽく推計したようには書いてあるが、どう考えても囚人生存者の証言を元にしているとしか考えられない。何人もの囚人が400万人くらいだと語っているかである。が、それらは皆、生存自身が推計値、あるいは収容所内の噂だと語っているに過ぎないもので、囚人に正確な数字が分かったはずはない。

 

あるいはナチスドイツ最初に作った強制収容所であるダッハウ収容所ガス室についてであるが、ダッハウ収容所米軍解放した時に、何千体もの死体があったのだ。これらの死体の大半は割とすぐに餓死や疫病の死体だと判明したようであるが、ダッハウにはガス室もあった。そのガス室にはダミーシャワーがあり、毒ガスの元を投入するような仕掛けまであった。そのガス室のすぐ隣には火葬炉もあった。もちろんその建築物そばにはたくさんの死体が山積みになっていた。こんな状況で、「ガス室で大量殺戮をおこなっていた動かぬ証拠だ!」と誤解するなという方が無理である米軍には当然、マスコミ記者たちも従軍していたので、そうしたガス室殺戮の話はすぐに広まったのである

 

ところが、よくよく調べてみると、ダッハウガス室でのガス殺処刑証拠は、ほぼないに等しい状態だったのである。確かに、ガス処刑については、裁判での証言はいたが、たったの一人なのである。それ以外には一通の文書証拠と、イギリス諜報員捕虜が語ったとされる伝聞証言程度のもので、他には何もなかった。一方でアウシュヴィッツガス室については、証言だけでも大量に存在するし、なにより加害者証言もかなり存在し、その最大のものとしては司令官だったルドルフ・ヘスが事細かに証言し、自叙伝にまで書いているのだ。ガス室・ガス処刑があったことを裏付け証言以外の証拠豊富である。(もちろん修正主義者証言は全て嘘であると主張し、アウシュビッツガス室裏付け証拠など絶対に認めない)

 

これらの内容は、具体的に歴史家などが調べなければわからないものばかりなのであるダッハウのガス処刑証言が一人しかいない件だって裁判記録を調べなければ判明しない。したがって、ダッハウなどの収容所現地にたくさんの死体があったことが原因で、誤った説が戦後長らく広まっただけの話なのだ。そうした事実を、あたかも、ディープステートのような闇の陰謀者が、初期のホロコースト説が杜撰なので、それをもっともらしい説に変えていった、かのようにネオナチは主張しているのである。つまりは、ネオナチ修正主義者論点先取、最初から話を陰謀論ホロコースト捏造と決めつけていることがわかる。

 

ダッハウガス室捏造だと主張するのであれば、何故証言者がたった一人しかおらず(陰謀実行者は偽証証言者を何故たくさん用意しなかったのか?)、文書記録やあるいは物証としての死体解剖してもガス処刑された死体しか判別できない死体がなかったのか(陰謀実行者なのだからそれらを用意して当然だと思うのだが?)、説明がつかない。その実際にいた証言者(フランツブラーハ)とて、たかが数名の処刑のその後の死体を見た、と言っているだけであるダッハウガス室連合国による捏造なら、そんなあやふやな頼りない、犠牲者も少ししかいない証言がたった一つだなんて、あまりにも変である

 

反論はそんなところ。こんな馬鹿げた幼稚な説でも、賛同する人がいるのはしょうがいかなーとは思うけど、何が事実真実かを知りたいのなら、もうちょっと知恵を絞って考えてみるという気は起きないの? と思ったりはする。

2022-08-27

anond:20220827224459

日本の歴史って天皇が中心だったこあんまりないっていうか

蚊帳の外だったからなんとか生き残った感あるよね

2022-08-18

[]

中央公論平成26年9月号に戸部良一帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。

開国来日外交英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国駆逐し、自分東アジア盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本歴史外交史を読めば、簡単なことです。

 

では、「あの大東亜太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうがしかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ自衛のためです」の主張には、賛成しかます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。

極東軍事裁判判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこ理屈世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治横槍をおさなかったなら、日本外交アメリカ戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍自己メンツのために日本犠牲にしたのです。

 故リチャード・ストーリという有名なイギリス日本史家は、「日本外交明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチドイツ日本を同じものとして考えるからです。

まったく異なった二国の外交説明させて下さい。

 日本中国戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。

 日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要ナチドイツ同盟を結び、ドイツ欧州を、日本東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしていますアメリカ正義保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢二丁拳銃で打倒したという西部劇です。

専制全体主義国家暴力脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)

 日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本もっと英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います

 

 昭和12年(1937年7月7日盧溝橋での偶発些細な事件では、日本中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。

アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もありますアメリカ戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本中国全土を占領しようとか、東アジアから英米勢力駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジア植民地解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗あい不可能になりました。

 もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。

ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはや日本だけいちはや復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的占領のぞくと、西洋諸国植民地になったという経験ももちません。ヴェトナムインドネシアビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治生活を強いられたかという、経験したことがありません。

 日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがありますアメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。

イギリスフランスオランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。

 

なお、日本南方天然資源確保・・・といいましたが、ナチ東欧ソ連一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカから資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダ商業ベースでの購入をのぞみ交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。

 万が一のインドネシアへの進出のため、また英米中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカ石油輸出禁止在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談提案します。それは軍部が対米交渉障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカハル国務長官などが強く反対し、この提案拒否します。

なんで日本が好んで戦争をしたと言えるでしょう。

 

 さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉ワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任がありますしかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任がありますハル国務長官には、アメリカ学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。

 日本昭和はいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのとき事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力意見が強まったりまったりしていました。日本場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行戦時体制ができ、陸軍要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費のぞくと、法案予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味国会機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部議会世論を気にしていたのです。

 

陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子小説や思い出。向田邦子小説芹沢光治良の「人間運命」も面白い本です。)

 日米交渉の難点の一つは、中国から撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。

 大東亜共栄圏思想ですが、日本中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底日本人の中国にたいする「シナ中国コンプレックス」をもっていたのです。

 東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。

日本場合いくら東条などでもある一定以上の文化教養があったわけです。それを、ナチ日本も一緒にしてもらっては困ります

 この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます日本場合は、これ以上の負担国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。

東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬ハト派」の人間外務大臣にして、交渉継続します。(東郷昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪禁固二十年の判決。)

東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています

 日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気必要でした。

 中国も内部に大問題をかかえており、また、日本一方的大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国協定を守らないので困っているという点では、英米日本と同舟でした。

陸軍英米大平方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本帝国主義政策関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。

また、よく誤解されることは、「日本日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊中国大陸駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本中国偶発事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊駐留させていただけです。

 日本人は賢かった、勇ましかったなどとは言えません。愚かなことをしてしまったものです。

2022-08-10

歴史ある地域に戻って住むかいなか

迷っていることがある。

とある史跡の多い地域で育ったが、今はそこから車で1時間弱ぐらいの距離の田園地帯の中にある会社(工場)でSEやってる。(現在自然豊かな場所にある賃貸で職住近接と言えなくはない生活を送っている。)

そこの社員は大半がいったん工場の近くから通う生活をするが、子供の進学を考えてどこかのタイミング東西南北どっちかの方向の地方都市移住する選択をする。

自分出身地付近もその選択肢の一つとして割と選ばれているような(というか自分もそうするつもりで働き始めた)のだが、

いざ移住先を検討し始めると、気持ちが他の候補地の方に傾いてしまいがちであることを発見してしまい戸惑いを隠せない。

昔は、「この町は史跡が多くてなかなか面白い風情だな」と思っていて

いちばん長く過ごした場所ではあるが生まれ場所ではないし、物心ついた時は別の地方都市暮らしていた)

将来またその場所生活することを割と望んでいた。・・・が、勤務先との通勤距離のこともあって別な方角の地方都市を片っ端から比較のために調べてみていると、

出身地積極的に選ぶ理由が意外と乏しいことが浮き彫りになってきた。

考えてみれば当然のことで、史跡まみれの町ということは大胆な都市計画ができなくて、さら観光業っぽい地元商店既得権のせいで

郊外かごく限られた地域しか新しめの商業施設営業できない状態になっているし、鉄道道路といったインフラ地元住民以外に観光客のためのものとして整備されていて

普通生活が(そういうシガラミがない地域と比べると)なにげに不便なのだ。比べる対象を持っていなかった時には気にならなかったが具体的な比較をするとその弱点が際立ってしまう。

もちろん歴史上のエピソードに関連した場所が沢山あること自体マイナスではないのだが、

その価値(すなわち日本の歴史勉強する価値)は相対的に下がってきているのではないか・・・?という気持ちが沸くようになってきている。

端的に言うと、そんな優雅なことを守り伝えていく余裕は今後の日本にあるのか?という事への疑念が強くなってきてしまっていて、ただの不便な場所に見えてきているという話である

科学的な発見がされた場所とかならまだ良かったのだけど・・・

いちおう土地勘があるとか友達も若干数いると言う利点はなくはないのだけど、

きれいな水と空気に囲まれ生活に慣れた後では、不便なくせに空気が汚い出身地に戻って住むことが大して魅力のない選択肢に映って仕方がない。

ただいずれ帰るという暗黙の了解のもと両親にはいろいろ支援してもらってしまっているし、今より実家が遠くなるのは良くないという認識はあるし、

地縁もないのに子供会社周辺で育て続けることはとてもする気にならないので、どこかへの移住はすべきなのだと思っているが、

どうせなら合理的街づくりができている所に住みたい気持ちがある。

通勤時間さえ長くて良いなら条件を満たす場所はなくはないが、通勤時間がかなり長くなるので即決できない。候補バリエーションは以下のような感じで、一長一短である

 A:実家の割と近くで駅とショッピングモール中間(古い住宅地道路が狭く空気はよどみがち。通勤40分)

 B:実家と同じ市町村の辺縁部でバブル後も開発が継続していた地域商業施設が充実しており斜面が多いが道路は広くて空気も奇麗。通勤60分)

 C:実家の隣の市町村最近開発された大型分譲地(空気は奇麗で道路も広いが、切り開いた斜面であり地盤不安。また将来ゴーストタウン化の懸念あり。通勤50分)

 D:会社のあるところの隣の市町村会社のある市町村よりはメジャーチェーン店が多く来ていて道路も広い。人口は同等で実家からは30分ぐらい遠くなる。通勤30分)

 E:実家とは別の方向の現在人口増加中の地方都市大都市に近い場所であり利便性は格段に高いが、実家から距離はやはり遠くなる。通勤40分)

 F:実家とは反対方向の地方都市県内最大都市なので、利便性最重視の場所からゆったりとした郊外まで幅広い選択肢がある。実家からは当然遠い。通勤45分)

気持ちを整理するために書き出してみたが、やはり決心を付けづらい・・・。なお通勤はいずれも自家用車。体調的な理由で長時間運転は苦手なので40分以上かかるところはしんどいと思っている。

2022-08-09

anond:20220809135759

もう少し解像度を上げて日本の歴史における天皇家の関わり方を理解しよう。

正確には、第二次世界大戦日本を亡国に導いたのは国学水戸学国粋カルト野郎A級戦犯。彼らが錦の御旗に使ったのが天皇

とはいえ最近の国粋カルト野郎天皇パヨク呼ばわりするありさまだが。

天皇過去2000年ぐらい、とき権力者に錦の御旗として使われる存在だった。

2022-07-13

こないだの人か。

https://anond.hatelabo.jp/20220702070421

庶民の「雑」な意見理解を、「間違い」って言い切る事は出来るのだろうか?

もちろん正しさなんてものは、人間である以上は、一義的に決められないが、

今の日本民主主義国家なので、「民主主義視点からの正しさ」はあると思うよ。

「それに反発する人間意見も封じ込めない」、ってのも民主主義だし。

間違いと思ったらお互いにいいあえるから平等じゃん。

「言い切る」ってことは独裁主義ってことになる。日本ではそんな状況ないと思うけど・・・

2022-07-12

■全員が「正しさを理解している」国って怖くないか

なんというか、具体例を挙げると

(左:一般大衆、右:専門家哲学者、〇〇キチ)

なにか八百長くさい・わざとらしいやり取りや行為を「プロレス」と呼ぶ → プロレスはそんな物じゃない!プロレスとはリングの上の神聖なうんぬんかんぬん

なにかふわふわした良く分からん文章表現を「ポエム」と呼ぶ → 詩を馬鹿にするな!ポエム蔑称で使うやつは教育を受けてないうんぬんかんぬん

こんなことはまあ良くある事だと思うしTwitterとかでも度々バズったりしてるが

もっと深刻なことでいうと

ある絵や映画とかを見て単純な感想をいう(あるいは性描写を単純に受け取る) → 日本美術教育実践的になっておらず無責任大衆大量生産しうんぬんかんぬん

不毛な議論を「宗教」「神学論争」と呼ぶ → 神学はれっきとした哲学の一分野でありその様な用法で使われることは日本の文化環境頽廃うんぬんかんぬん

なにかの独裁的な様子を「北朝鮮」みたいと言う → 諸外国を引き合いに出すのは差別日本なら日本の歴史で例えろうんぬんかんぬん

なにかの出来事に対して「どっちもどっち」「相対主義」をとる → 相対主義日本の悪癖で、ガンダムひろゆきの見過ぎの悪影響でうんぬんかんぬん

みたいな、用語その物への「雑」さによる、無数の人々の対立って常にあるわけだよな。

言葉狩りには至ってないが、用法が普及しきってしまっていて修正できない事への専門家のいら立ちとでもいうか。

相対主義漫画アニメで「理解」することとかはもっと深い問題だとは思うが。

でも実際、大勢人間が「なんかこの絵よくわかんねーけどおもしれー、うわーおっぱいだー」「相対主義ってのは、そういうもんだろー」「神学論争うぜー宗教くせー、もっと現場こいや」みたいな理解をして、そして毎年そんな人間再生産されている以上、

「雑」とされる感性ってどこまで雑なのか、それこそ大衆理解がなんで間違ってるって言えるのかということになるよな。

もちろん用語の使い方が差別的だステレオタイプ的だとか個別問題にあるにせよ。

東大慶応早稲田の偉い先生よりも、アニメ制作自身がどう考えてるかは別)や、ひろゆきが影響を与えているとして、

この国が資本主義自由主義であり何を選んだり消費するかの自由がある以上、庶民の「雑」な意見理解を、「間違い」って言い切る事は出来るのだろうか?

相対主義ってそんなに悪か?相対主義が原因の直接的暴力ってものがあるなら悪いと思うけど、無いなら、まあ最低基準かなみたいにしか思えない。

相対主義のせいで人々が社会正義に参画せずー」みたいなことをいうなら、別に他にもいろいろもっと強力な参画しない理由がある訳だし。

というか全員が全員「相対主義の悪を理解してる」「正しい芸術見方を知っている」国(義務教育でそう詰め込まれる国?)があるとしたらそれはそれで怖くないか

anond:20220712175830

2022-07-12

全員が「正しさを理解している」国って怖くないか

なんというか、具体例を挙げると

(左:一般大衆、右:専門家哲学者、〇〇キチ)

なにか八百長くさい・わざとらしいやり取りや行為を「プロレス」と呼ぶ → プロレスはそんな物じゃない!プロレスとはリングの上の神聖なうんぬんかんぬん

なにかふわふわした良く分からん文章表現を「ポエム」と呼ぶ → 詩を馬鹿にするな!ポエム蔑称で使うやつは教育を受けてないうんぬんかんぬん

こんなことはまあ良くある事だと思うしTwitterとかでも度々バズったりしてるが

もっと深刻なことでいうと

ある絵や映画とかを見て単純な感想をいう(あるいは性描写を単純に受け取る) → 日本美術教育実践的になっておらず無責任大衆大量生産しうんぬんかんぬん

不毛な議論を「宗教」「神学論争」と呼ぶ → 神学はれっきとした哲学の一分野でありその様な用法で使われることは日本の文化環境頽廃うんぬんかんぬん

なにかの独裁的な様子を「北朝鮮」みたいと言う → 諸外国を引き合いに出すのは差別日本なら日本の歴史で例えろうんぬんかんぬん

なにかの出来事に対して「どっちもどっち」「相対主義」をとる → 相対主義日本の悪癖で、ガンダムひろゆきの見過ぎの悪影響でうんぬんかんぬん

みたいな、用語その物への「雑」さによる、無数の人々の対立って常にあるわけだよな。

言葉狩りには至ってないが、用法が普及しきってしまっていて修正できない事への専門家のいら立ちとでもいうか。

相対主義漫画アニメで「理解」することとかはもっと深い問題だとは思うが。

でも実際、大勢人間が「なんかこの絵よくわかんねーけどおもしれー、うわーおっぱいだー」「相対主義ってのは、そういうもんだろー」「神学論争うぜー宗教くせー、もっと現場こいや」みたいな理解をして、そして毎年そんな人間再生産されている以上、

「雑」とされる感性ってどこまで雑なのか、それこそ大衆理解がなんで間違ってるって言えるのかということになるよな。

もちろん用語の使い方が差別的だステレオタイプ的だとか個別問題にあるにせよ。

東大慶応早稲田の偉い先生よりも、アニメ制作自身がどう考えてるかは別)や、ひろゆきが影響を与えているとして、

この国が資本主義自由主義であり何を選んだり消費するかの自由がある以上、庶民の「雑」な意見理解を、「間違い」って言い切る事は出来るのだろうか?

相対主義ってそんなに悪か?相対主義が原因の直接的暴力ってものがあるなら悪いと思うけど、無いなら、まあ最低基準かなみたいにしか思えない。

相対主義のせいで人々が社会正義に参画せずー」みたいなことをいうなら、別に他にもいろいろもっと強力な参画しない理由がある訳だし。

というか全員が全員「相対主義の悪を理解してる」「正しい芸術見方を知っている」国(義務教育でそう詰め込まれる国?)があるとしたらそれはそれで怖くないか

2022-07-08

だれかこの日本の歴史に残るレベル大事件を予知してた預言者はおらんのか?

地震についてはなんかいつも予知する未来人みたいなの出てくるけどコロナ安倍襲撃もそんな噂一つもなかったよな

なあ、日本の歴史が変わっていくよな

今日のこれは日本の歴史が変わる出来事なのは間違いないよね。

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