はてなキーワード: 愛着障害とは
「ごめんなさい
二度目である。
フェードアウトすればよいだけだ。
共依存ばかりしてきた私と回避型愛着障害の彼女、間違えて出会ってしまって間違えてしまった。
そしてその恋愛から15年くらい経ったけれど毎回共依存をしてきた
私はマチズムの発露である偽メンヘラホイホイ男共とはレベルの違う本物のメンヘラ好きである。
具体的に言えば愛着障害のある子に手を出してきた。
基本的に愛着障害以外は専門外なのでよく知らないが、他もちょっとずつは齧ったことがあるので少し知っている。
毎度無作為に選んでいるつもりだしどこで手を出すかも異っているが見事に全員障害持ちである。
子供の頃の家庭環境に問題のなかった人とデートすらしたことがあまりない。
15年も前の話だ。
少し前までその子がメンヘラだったから私が共依存になったと思っていた。
救えなかった罪悪感はあるにはあったが、やはりそれでもある意味合いにおいて彼女を恨んではいた。
それでも10年単位で長文の激しい連絡を取り合ったりはしてきた。
その子は明らかな恐れ・回避型。そして解離性障害も併発していた。
その子のことを私はきちんと好きでいたつもりだった。
だから、それをきっかけとして臨床心理学を学んだ。その時は必死だった。
なぜかは正直いまでもよく分かっていないが、今考えてみると私が共依存者であることを意識的にまたは無意識的に嗅ぎとり彼女は逃げることにしたのかも知れない。
そして今、私はプロではないが二度のデートで相対する女性の過去を勝手に赤裸々に話させることができる。
墓場まで持っていかねばならない話のリストが大変な量になっている。
というよりは気が付いたら語り始めている。聞きたくもないのに。
だから私はやはり共依存という関係へ依存しているのだろう。相手は誰でもいい。
なんならそうさせてもいい。
意識してはいなかったが、私がそうさせた子もいるのかも知れない。
私は私のこの恋愛の代替物としての共依存をきっとやめることはできない。
そして過去私が救ってきたと考えてきた女性達はきっと私が傷付けてきたのだろう。
素人にできることは傾聴することじゃない。下手に臨床心理学の手法を学ぶことではない。
下手に病理を学ぶことではない。
ただ静かにそこにいること、それができないなら去ること、それだけだ。
いや違う。私はおそらく無意識に精神分析の帰結を悪用しているのだ。
手を出さないことも多かったし、手を出すにしても回数は少なく
しかし違っていた。私は近くで破滅が見たかったそれだけなのだろう。
次こそはきちんとした恋愛がしたいと叫びながら二度目から五度目くらいのデートで彼女達の愛着障害を聞くのだろう。
そして聞き出したにも関らず、一見して奔放に見えるその恋愛遍歴にまた勝手に傷付いてまた匿名ダイアリにお気持ち長文を投下するのだろう。
勲章のように。
そしてその周りで世話を焼いて苦労しているふりをしながら自分としても傷付いていると勘違いしながら、
そしてそれをきっと私は求めているのだろう。
それが恋愛感情があまり強くない私が得た恋愛感情の代替物なのだろう。
過去の投下へのコメントさん達に元気付けられて頑張ってみたんだ今回は。
https://anond.hatelabo.jp/20210420223753
パターン化した行動を誘発させないためにスペックシートだけを見て選んだ。
雑に扱ってくれる男と愛のない関係を結ぶことを求める典型的なタイプだ。
今回の子は本当に趣味が合った。色々なペースも本当にあっていた。
気が付いていなかったと思っていたが、違和感はあったのだろう。この人以外は継続させる気がまったく起きなかったのだから。
だから双方ともに踏み込まないように踏み込まないように、踏み込んでしまったあとにもどうにか継続できるように、丁寧に慎重の物事を進めた。
今考えてみても先方は相当いろいろ察しながら我慢していた。それが今では明らかに分かる。
ヤリかけたが回避した。それも含めてきちんと進めた。でも無理だった。
出会う場所が違っていたら、出会うタイミングが違っていたら友人くらいにはなれていただろう。
「ヒロイズムですか?」
たしかにそうかも知れない、とその時は思った。
ただ、それより更に厄介かも知れない。
私は岩井俊二が好きだ。ただリップヴァンウィンクルの花嫁が好きだが連続して見られない。
なぜか分からなかったが、今回少し分かった気がする。
いつか涙を流すことができるのか。
そういえば私は女性と別れたときも、親族の葬式も泣いたことがなかったな。
そして先程、過去の女性から幸せになれそうですとのメールが来ていた。
文面を見たところある程度克服したのだろう。
それに対して上記の内容を送った。
「俺は君が思うような人間ではないよ」という書き出しからはじまる優しい文面の内容だ。
自分でもなぜ送ったのかは分からないけれど、不安型の子にドンピシャで利く内容だった。
今回の二回目のデートの子に送ったラインも回避型の子に絶対に送ってはならない内容だった。
そしてさらに追加で違う回避型の子にちょっかいを出すラインを送った。
これらのあとに後悔したし、どうかしていたと思ったが、やはりクズだなと感じる。
もうさすがに被害者ぶるのはやめようと思う。
でも、私は悪くない。
なぜか。
私がやっていることは健常の人にやっても全く問題はない。
無視しない。
返信をする。
しかし後で見かえすとかなり利く内容になっている。
わざとではないが、おそらくもう無意識にこうしているのだろう。
どうやら私こそが恋愛においてのみ強い愛着障害を持っているらしい。
ただ、ひとつだけ救いがある。
今回は二度目で終われた。
きちんと私の傾聴の姿勢が切れて、言ってはならないことが言えた。
それはきっと救いなのだ。
理由は私がADHDと自閉症スペクトラムと軽度知的障害併発のキメラだから。あと二次障害の躁うつ病。
父親がアルコール依存症とそれに伴うDV・母親がそいつの言いなりという貧困&虐待家庭で育ったので、私の治療はおろか定型発達の兄弟も一緒に精神病発症した。
いわゆる「理解のある彼くん」に恵まれて若いうちに結婚できたけど、私は絶対に子供は産まない。
子供の意思を問わず「理解のある息子くん・娘ちゃん」に仕立て上げてしまう自覚がバリバリにあるので本当に産みたくない。
自ら望んで私の治療支援を行ってくれている夫とはわけが違う。子供には逃げ場がない。
夫には夫の逃げ場を用意してもらい、夫とは普段はほぼ別々の行動をしている。私は家事はケースワーカーさん・ヘルパーさんに手伝ってもらい、なんとか日中の仕事を続けている(障害者雇用ではあるが)。
あと、特に何も問題がないときも夫婦カウンセリングを月1で行っている。支援者である夫自身のケアについてまだまだ足りていない部分が多く、もどかしく感じている。
こんな状況なのに子供なんて作れない。
日本人は経済という悪魔の祭壇に、捧げてはいけないものまで捧げてしまったんだと思う
持続可能でさえない、異常な価値観を親が子供に強いて、社会がそれを許容するような社会は、早晩立ち行かなくなって壊れる
少なくとも、そう思う
発達障害や愛着障害やパーソナリティ障害で、ジャックハンマーみたいに薬をモリモリ飲んで
冷静に考えたって、そんな人生や願望かなえるには犯罪でもやらないと無理っていうようなネットの病んだ価値観に狂ってその矛盾と苦しみを背負ってカーツ大佐みたいに悩んだ挙句、統合失調症みたいになったネット民や増田は
ある種で言えば、父祖の代の被害者と言えるのかもしれないし
まあ、彼ら彼女らはプライドだけは王侯貴族のように高いから、救いの手を差し伸べられることすら見下されてると怒り狂ってさらに精神を病むわけだが…
【ネタバレあり!】
結論としては、少なくとも僕の心は救えなかった。
上映後、一瞬だけ前向きな気持ちに、爽やかな気分になったが、考えれば考えるほどそれが間違いに思えてきた。
僕だって最初は旧劇の「気持ち悪い」から成長したなと思ったよ。
だけど違うんだ。
この映画を観て前向きに、背中を押された気持ちになれるのは、もともと自分を肯定できている人間だけなんじゃないか。
そう思わざるを得なくなってきた。
僕にはレイもアスカも、ましてやマリさえいない。これまでもいないし、これからもできる見込みはない。
ヒロインがいないだけじゃない、ミサトや加持のようなまともな大人さえいない。
リアルの世界では、自己保身ばかり責任逃ればかり板についた大人しかいない。
すぐに自分に限界を設けるくせに、そのくせ自分よりできる人を妬む。
「碇君がもうエヴァに乗らなくていいようにする」と言って、初号機のなかに14年もの間、残り続けたレイのように、美しい自己犠牲の精神を持っている人間が令和の時代にどれほどいるのだろうか?
また、ゲンドウを追おうとするシンジを危険人物として処分しようとしたサクラとミドリから、その身を挺して庇ったミサトのような人間はリアルに存在するのか?
さらにはシンジ自身も、幼少期に母と死別、父に捨てられ、14歳で世界の命運を懸ける戦いに駆り出され、14年間も宇宙空間で眠り続け、その間にトウジやケンスケ、委員長は成長して大人になってましたって、不遇としか言いようがないよね。
現実なら愛着障害やPTSDを、何十年も患っていてもおかしくないほどのショックを受けている。
そのシンジが映画のクライマックスで、ゲンドウを救って、カヲルを救って、アスカを救って、レイを救うんだぜ。
劇中でゲンドウはシンジに対して自身が怯えていることを自覚しただけで終始、シンジへの愛情を示すことはなかった。
逆にシンジがゲンドウを理解して、ゲンドウがやっとユイを求め続ける呪縛から解放される始末だ。
シンジのように不遇でも最終的に救済されたり、世界を引き受けるほどの度量を身につけるなんて、不自由で空虚で孤独な現実世界を生きる僕には想像できない。
庵野監督が言いたいのは「現実と向き合え、和解しろ、大人になれ」ということ。
それは今まで彼の作品を応援してきた、非モテ・コミュ障のオタクのこれまでの人生を全否定するようなものではないか。
アニメ監督として評価され、売れっ子漫画家と結婚、カラー設立と、どんどん庵野監督のリアルが充実していくごとに、弱者のオタクからどんどん乖離していって、非モテ・コミュ障の心理なんて想像できなくなったのではないか。
パートナーや子供のいる、かつてオタクだった人達は、この映画から受け取ったメッセージを追い風にして、これからの日常を生きていけるのかもしれない。
また、夢や希望に燃える少年少女達にエールを送れる映画かもしれない。
でもみんながその段階に至っているわけじゃない。
他者の評価に依存して挫折して現実逃避している人間の、生きているというよりまだ死んでいないだけの人間の、報われない戦いはまだ続いているんだ。
善逸の抱きつき癖を女好きという扱いで括ってしまうことが前から腑に落ちなかったんですよね。
善逸の生い立ちは作中明確に描かれてませんが捨子として荒んだ幼少期を過ごしたことが伺えます。
それ故か愛着障害と思しき言動が顕著なキャラクターです。異様なまでの自信のなさもそれで説明できます。これによって善逸の意識の中では母性への欲求と異性への関心が混合されてしまっており、幼児退行的反応として女性に抱きついてしまうとは考えられないでしょうか。
ねずこは、擦り寄って甘えることだけが異性とのコミュニケーションだった善逸を変えた存在です。女性を庇護の対象として認識できただけでも善逸にとっては大きな進歩だったはず。
そういった大きな気づきを与えてくれたという点で禰豆子は善逸の中で特別な存在になっていったんじゃないのかなというのが自分の感想ですね。
また禰豆子は人間に戻ってからも鬼であった頃の記憶を失ってはいないので、善逸が如何様な人間か、自分のことをどう思っているのかは理解しています。
自我を完全に取り戻した禰豆子が、その後善逸の歪な部分を指摘して、それでますます善逸は成長していったのだろうと、希望的観測ですが私はそんな風に想像するようにしています。
無粋ですが無惨との戦いで炭治郎がああなった以上、竈門兄妹は誰かの扶養の下に入るしかこれから生きていく術はないので、禰豆子は近いうちに誰かしらと結婚しなければならないプレッシャーを既に背負っています。
禰豆子の意思を尊重したとして結局善逸が相手になることがベターな選択となってしまう気がしてなりません。
禰豆子を守り、人間に戻し、もとの暮らしに戻ることが第一の目的であった炭治郎が、
鬼殺隊の通念に染まりきってしまい、無惨討伐という大義のために破滅的な行動に出たことが、個人的には残念でした。いくら痣の影響で限られた命だといえお粗末すぎませんか?
無惨を倒したことは多大な功績だとしても竈門兄妹が困窮する未来が見て取れるあの展開は釈然としないものがあります。
クライマックスで無惨と対峙しているときの炭治郎の脳内に禰豆子のことはなく、炭治郎の魅力であった「家族思いの長男」というキャラクターは崩壊してしまいました。
ねずこはせっかく人間に戻れたのに、対峙した兄は無惨の血を浴びて鬼化しかかっていた。こんな虚しいことないでしょう。
鬼滅の刃は終盤に向かうにつれ炭治郎が鬼討伐に取り憑かれ正気で無くなっていき、炭治郎が元来振りまいていた慈悲を善逸や伊之助、義勇といったサブキャラが補っていた様な気がします。人気投票で炭治郎の順位が下がったのもこういった背景があるのではないでしょうか。
あるよー、愛着障害とかでは?
あなたは離婚した原因を「夫が家事をやってくれなかったから」「義実家のイベントに無理やりつきあわせたから」と解釈していますが、間違っているので説明します。
結論から言うと、この結婚が破綻したのは、あなたの激しい不安と自己嫌悪のせいです。
一行目から間違ってます。30代40代の独身女性でも、ひとりの生活を充実して楽しんでいる人はたくさんいます。結婚をして子供が3人いて家計収入が10億円あって麻布の豪邸に住んでいても不幸な人もいます。あなたが勝手に「結婚している女=幸福」「結婚していない女=不幸」という社会規範を内面化して、他人を見下し、断罪しているだけです。
なぜ社会規範を内面化してしまうのか? 自分に対して不安があるからです。自分の好きなように生きることが怖いので、社会的に良いとされている規範を内面化し、それに従おうとしているのです。たぶんこの人は外面はめちゃくちゃよく、仕事仲間からは評判がいいのですが、心を真に通じ合わせられる親友は少ないか皆無でしょう。仕事仲間の距離感ですと規範的な人は重宝されますが、もっと親しい友人になろうとするならば、規範を解いて自己開示しないと距離が詰まらないためです。
不安なので、他人の目を過剰に恐れています。別にほかの人はたいして気にしていません。
当時30代に突入したぐらいだったヤツは、「男は30ぐらいになったら結婚して家庭を持つのが当たり前」と思っていた。そしてそのイメージの中には結婚したら子どもを産んで育てることが含まれており、将来男の親が介護の必要な身になったら奥さん(!)がその介護をするもんだと信じていた。
夫もあなたと同タイプで、なんらかの規範を内面化しています。不安な人と不安な人は惹かれ合います。
ここがあなたの核です。〈自分が愛されるに足る人間ではない〉と確信しているのです。強烈な自己嫌悪があるため、愛してもいない相手と結婚し、破綻に飛び込んでしまいました。
私は結婚前からある程度ヤツの欠点を把握していたので、「何でそんな男と結婚したの?」と聞かれることが多かったが、今Twitterなどで世の奥さんやお母さんたちの愚痴を見ると、結構私が元夫に苦しめられた内容は既婚者あるあるネタばかりだということを知った。
日本人は世界の国でもかなり自己評価が低い国民という研究もありますので、ツイッターで探すと同じように不安ベースで結婚し、共依存になって人生を無駄にしている人がたくさんいます。不安な人同士で惹かれ合っているだけです。
私も元夫も相手にいろいろ要求するばかりで相手のために何かやってあげようという気持ちがなかったので離婚に至ったのだが、仮にどちらかが一方的に尽くすばかりの関係なら、あまり結婚することにメリットはないと思う。
普通は「結婚することの最大のメリット」というのは〈愛する人と一緒に人生をともにする〉ことだと思いますが、あなたには実務的なメリットしか見えていません。これはあなたが自分のことを愛していないので「他者を愛する」「他者から愛される」という感覚を理解できないためです。
話し合いはすべきですが、まず大前提として、〈好きな相手と結婚しましょう〉ということのほうが先でしょう。
好きな相手と結婚をするためには、まず自分を愛する必要があります。強烈な自己嫌悪を抱えたままでは誰かに愛を与えることはできませんし、「好きだよ」と言われても実感として受け取れません。結果的に、同じく自己嫌悪を抱えた人がやってきて「嫌いだけど、こいつくらいしかパートナーになってくれないし」という、侮蔑ベースの共依存に陥ります。
自分を愛せない人=愛着障害を抱える人というのは、幼児期に母親からの愛情を充分に受けられなかった場合がほとんどです。研究があります。いまでいう「アダルトチルドレン」です。まずあなたの場合は、生育歴から振り返って、自己嫌悪の正体を検討していくべきでしょう。ひとりでこれをやるのは大変なので、カウンセラーを頼ってプロの手で紐解いてもらうとよいです。
あなたの結婚が破綻したのは、家事バランスが問題ではありません。自己嫌悪があり、愛を与えることも受け取ることもできず、お互いに見下し合っているパートナーと共依存になり、それが物理的な負担増により限界を迎えたというだけです。家事バランスは最後のひと押しで、最初から崩壊寸前です。なので夫が家事を100%やり、生活費を100%支えてくれ、義実家とのつきあいがゼロでもあなたの結婚生活は不幸なものに終わっています。
書いとるが?
HSPのひとは、身体醜形障害になりやすいみたいよ。美容整形の人もほとんどがそうらしい
単なる不細工くらいはなんの障がいにもなりやしない
実際不利になるとされるレベルの外見についてはちゃんと障がい者認定がされる
目鼻口があるべき位置についていてない、皮膚の裂傷/欠損と大きなアザや火傷があるなどだね
けど、ブサイクは障がいにならないという事実がHSPを苦しめるのでは?
本人が外見のせいで精神的に苦しんでいるのは事実なのに誰の共感も得られない
そしてこの精神的な苦しみは甘えでもなんでもなく生得なものだし
一度、カウンセリングとか行ってみるとよいと思う
○ 身体醜形障害研究⑦-HSPと整心精神医学とレジリエンスとマインドフルネスの関係
HSPは、相手の感情を察知しやすいので、母親の自分に対するネガティブな感情を過剰に察知し愛着障害を来たしやすく、
しいては「基底欠損」、「自己の障害」から思春期失調に至り易く、思春期失調症候群、パーソナリティ障害、身体醜形障害、気分変調症状態などになり易い傾向がある。
また、感覚過敏、ストレス耐性の低さは前帯状皮質の活動性の低下、自律神経の易刺激性となり、自律神経失調症を招きやすい。
HSPのストレス耐性の低さから、慢性的なストレス下に置いては脳内アドレナリンの低下とセロトニンの低下を招き慢性うつを罹患しやすい身体環境となっている。
HSPはストレス耐性が低いのが特徴だが、それはすなわちストレスからの復元力・レジリエンスが弱いことでもあり、
HSPへの基本的な対処法としてはレジリエンスを強める方法であるマインドフルネスレジリエンス療法(MBRT)が適応されることは前回までにみてきた。
HSPは元々ストレスによって脳が疲弊、疲労しやす状態にあるのである。
○ 美容整心メンタル科では身体醜形障害や美容整形依存、思春期失調症候群の遠隔診療(オンライン診療)
下記はカリフォルニア大学のビアンカ・アセベド博士の研究紹介動画と書籍と記事(Pod cast)、
興味があればどうぞ
HSP brain studies
https://www.youtube.com/watch?v=qep36Vy_0pE
> Did you know that the brain of a highly sensitive person (HSP) works differently?
> The results of fMRI brain studies conducted by Dr. Elaine Aron, Dr. Art Aron, Dr. Bianca Acevedo and their colleagues are quite fascinating.
エレイン・アロン博士、アート・アロン博士、ビアンカ・アセベド博士らが行ったfMRIによる脳の研究結果は、かなり魅力的です。
[Amazon] The Highly Sensitive Brain: Research, Assessment, and Treatment of Sensory Processing Sensitivity 1st Edition
https://www.amazon.com/Highly-Sensitive-Brain-Assessment-Sensitivity/dp/0128182512
> The Highly Sensitive Brain is the first handbook to cover the science, measurement, and clinical discussion of sensory processing sensitivity (SPS),
> a trait associated with enhanced responsivity, awareness, depth-of-processing and attunement to the environment and other individuals.
> Grounded in theoretical models of high sensitivity, this volume discusses the assessment of SPS in children and adults,
> as well as its health and social outcomes.
> This edition also synthesizes up-to-date research on the biological mechanisms associated with high sensitivity,
> such as its neural and genetic basis. It also discusses clinical issues related to SPS and seemingly-related disorders such as misophonia,
> a hyper-sensitivity to specific sounds. In addition, to practical assessment of SPS embedded throughout this volume is discussion of the biological basis of SPS,
> exploring why this trait exists and persists in humans and other species.
>
>The Highly Sensitive Brain is a useful handbook and may be of special interest to clinicians, physicians, health-care workers, educators, and researchers.
『高感度脳』は、感覚処理感度(SPS)の科学、測定、臨床的考察を網羅した初めてのハンドブックです。この巻では、高感度の理論モデルに基づいて、子どもと成人のSPSの評価、健康と社会的転帰について論じています。また、高感受性の神経基盤や遺伝的基盤など、高感受性に関連する生物学的メカニズムに関する最新の研究をまとめています。また、SPSの臨床的な問題点や、特定の音に過敏に反応するミソフォニアなど、一見関連していると思われる疾患についても解説しています。さらに、この巻全体に組み込まれたSPSの実用的な評価に加えて、SPSの生物学的基盤についての議論があり、なぜこの形質がヒトや他の種に存在し、持続するのかを探っています。
臨床医、医師、医療従事者、教育者、研究者にとって有益なハンドブックです。
[foreverbreak] Highly Sensitive People How to Tell If You’re an HSP + Shedding Light on This Misunderstood Trait
非常に敏感な人々 あなたがHSPであるかどうかを見分ける方法+この誤解されている特性に光を当てる
https://foreverbreak.com/podcast/s1/e5/
まぁ、アセベト博士でなくてもいいけど(TEDとかにもあるよ)
ってなってるね
○ 社会不安障害(SAD)の患者さんは治療の機会を逃しています。
海外では、SADは一般的に理解度が低く、治療の機会を得にくい病気とされています。
海外で行われた調査によれば、SADの患者さんの約2/3は病院に行っておらず、
また、病院に行っている場合でも「自分がSADであると認識して受診した」患者さんは3%にすぎないという結果となっており、
一方、日本では、SADという名称や病気の症状については、あまり認知されておらず、
その症状の原因を「自分の性格のせい」であると思って、治療を受けていない(病院に行っていない)方が多いようです。
SADは発病すると、他の精神疾患(うつ病、アルコール中毒、パニック障害など)を併発する割合が70%を超えるとも言われていますので、
SADの症状が現れている場合は、それは「性格のせい」ではなく「病気である」と認識して、早めに専門医(精神科や心療内科)の診断を受けてください。
SADの治療法には大きく分けて、薬物療法と認知行動療法の2つがあります。実際の治療では、この2つの治療法を併用することが多くなっています。
・薬物療法
最近の研究では、SADは脳(セロトニン神経系とドーパミン神経系)の機能障害により発症するのではないかと推測されており、
現在もその発症原因について、世界中で研究が進められています。
海外では、早い時期から薬物による治療の研究が盛んに行われており、既にSADの治療薬として承認され、
患者さんの治療に使われている薬(一般名:パロキセチンなど)もあります。
一方、日本では、SADという病名で国(厚生労働省)に承認されている薬は一つしかなく(一般名:フルボキサミン)、
患者さんの症状により抗うつ薬や抗不安薬なども治療で用いられています。
現在、SADという病名で承認を受けるために進められている治験(国から薬として承認を受けるための臨床試験のことです)もあります。
・認知行動療法
認知行動療法は薬物療法より歴史が長く、精神療法の中でも重要と考えられている治療法ですが、日本ではあまり知られていません。
認知行動療法では、エクスポージャー、ソーシャルスキルトレーニング(社会技術訓練)などの方法を用いて、
実際に恐怖を感じる場面に直面したときに感じる不安感を自分自身でコントロールできるようにします。
薬物療法と違い、副作用が少ないのが利点ですが、患者さん自身もかなり努力しなければなりません。
そのため、認知行動療法では、問題点を順番に洗い出していき、解決できそうな問題、患者さん自身も大きな不安と感じないような小さな問題から
○ 社会不安障害(SAD)の診断
SADの診断基準には、米国精神医学会編「精神疾患の(strikethrough: 分類と診断の手引)診断・統計マニュアルDSM-Ⅳ」、
WHO編「精神および行動の障害」ICD-10 などいくつかあります。
- よく知らない人と交流する、他人の注目を浴びるといった、1つまたはそれ以上の状況において顕著で持続的な恐怖を感じ、
自分が恥をかいたり、不安症状を示したりするのではないかと恐れる。- 恐れている社会的状況にさらされると、ほぼ必ず不安を生じる。
- 自分の恐怖が過剰であり、また、不合理であることに気づいている。
- 予期不安、回避行動、苦痛により、社会生活が障害される。または、その恐怖のために著しく悩む。
※罹患(りかん)期間:症状が出始めてから現在に至るまでの期間のことです。
e治験.com
『ソシャゲで SSR 引いたったwwwwwwww』って言われても
ハァ、ソシャゲ興味無いんで。転売出来るならアカウントだけ貰うわ ってなるだろ
○ 身体醜形障害研究⑦-HSPと整心精神医学とレジリエンスとマインドフルネスの関係
HSPは、相手の感情を察知しやすいので、母親の自分に対するネガティブな感情を過剰に察知し愛着障害を来たしやすく、
しいては「基底欠損」、「自己の障害」から思春期失調に至り易く、思春期失調症候群、パーソナリティ障害、身体醜形障害、気分変調症状態などになり易い傾向がある。
また、感覚過敏、ストレス耐性の低さは前帯状皮質の活動性の低下、自律神経の易刺激性となり、自律神経失調症を招きやすい。
HSPのストレス耐性の低さから、慢性的なストレス下に置いては脳内アドレナリンの低下とセロトニンの低下を招き慢性うつを罹患しやすい身体環境となっている。
HSPはストレス耐性が低いのが特徴だが、それはすなわちストレスからの復元力・レジリエンスが弱いことでもあり、
HSPへの基本的な対処法としてはレジリエンスを強める方法であるマインドフルネスレジリエンス療法(MBRT)が適応されることは前回までにみてきた。
HSPは元々ストレスによって脳が疲弊、疲労しやす状態にあるのである。
美容整心メンタル科では身体醜形障害や美容整形依存、思春期失調症候群の遠隔診療(オンライン診療)
学問以外への業務拡張は、部活から始まったように思います。授業についてこられない生徒に活躍の場を、と言って中堅校以下でブラック部活的(スクール・ウォーズ的)に始まり、その有り様が全国化していったような。
1960年代に校内暴力が頻発したのは、様々な理由はあろうかと思いますが、一つの理由としては、戦争PTSDを抱えた養育者(が作った社会)によって育てられた次世代が愛着障害に近い状態になっていたのではないかと思っています。
ブラック部活は、愛着障害の治療の集団療法という側面があったのだろうと思います。愛着障害が存在している状態での授業は困難を極めます。授業を成立させ、生徒に学問を修めさせるために、教員は意図せず心理療法を施していたのだろうと思います。各種行事もそうですね。
そのあたりから、学校に福祉的機能が入ってきて、今は学校によっては福祉機能のほうが学問機能よりも大きくなっているかもしれません。障害を持つ生徒への合理的配慮、個別の支援計画、外部機関との連携。部活動。
教員は、授業を成立させるために、福祉的業務をやむなくやっていたのですが、文部科学省がこれを正式に業務にしてしまうのです。
ただし、それに対する予算措置もなければ、人員の補充もない。専門家集団を校内に組織することもない。外部機関との連携とか、非常勤カウンセラーやスクールソーシャルワーカーの配置はしますが、外部機関だったり非常勤なのでお客さんです。彼らは責任は取れません。
以下は、『身体はトラウマを記録する』という本の抜粋群なのですが、
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太古の昔から、人間は自分の中の非常に強く恐ろしい感情に対処するのに、集団で行なう儀式を用いてきた。古代ギリシアの演劇の内、文字による記憶が残っている最古の物は、踊り、歌、神話の再現を含む宗教的儀式から発達したと思われる。ギリシア演劇は、戦争帰還兵にとっては再統合の儀式だったのかもしれない。
演劇を通してトラウマを治療する。愛と憎しみ、攻撃と幸福、忠誠と裏切りは演劇の本質であると同時に、トラウマの本質でもある。トラウマを負った人は深く感じることを心底恐れている。一方、演劇は情動を身体化し、それに声を与え、リズミカルに場面に関わり、それを体現する。
学校からは、能力と集団の絆をはぐくむために、昔から大事に受け継がれてきた、音楽、演劇、美術、スポーツがどんどん姿を消している。
見捨てられる経験をすると、人を信頼できなくなります。そして、里子は見捨てられるというのがどういうことなのか身をもって知っています。彼らに信頼されるまでは、何一つ影響を与えることはできません。
筋肉を動かすこと、意識の集中が必要な作業をしたりすることは、喪失体験に対抗する大いなる助けである。
教師達は最初、「もしソーシャルワーカーになりたかったら、ソーシャルワークの学校に行っていたでしょう。でも私は、教師になるためにここに来たのです。」といった類いの反応を示すことが良くある。とはいえ彼らの多くは、頭の中で警報ベルがひっきりなしになっている生徒で教室が埋まっていたら教えようがないことを、すでに身にしみて知っている。どれほど熱心な教師や学校システムでさえも、子ども達のあまりに多くが深刻なトラウマを負っていて学習できないために、しばしば苛立ち、無力感を味わう。試験の得点を上げることだけを主眼としていても、教師達がそれらの生徒の行動面での問題に効果的に取り組めなければ、成果は上がらない。
規則を平然と無視する生徒は、アメリカの学校で広く行なわれているように、譴責しても、停学処分にしてさえも、考えを改める可能性は低い。
他者の言葉をしっかり聞き、自分の言葉もしっかり他者に聞いてもらう。他者に本当に目を向け、他者にも本当に目を向けてもらう。
教師が怒鳴ったりする代わりに、子どもが経験していることを言葉で表したり、選択肢を与えたり、自分の感情を説明する言葉を見つけさせ、思いを表現し始めさせたりするようにするべきだ。安全の経験を学ばせるのだ。
(しかし)学校はトラウマを誘発する更なるトリガーとなってしまいがちだ。
トラウマに敏感な教師なら、手に負えない生徒の親に電話をして状況を説明すれば、子どもが殴打され、さらに深いトラウマを負う可能性が高いことに、程なく気づく。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 べッセル・ヴァン・デア・コーク https://www.amazon.co.jp/dp/4314011408/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_mpGTEb5V1TPY4 @amazonJPさんから
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いわゆる教育困難校と呼ばれる学校はこうした子どもたちが非常に多いです。進学校であればこうした子どもは少ないかもしれません。少ないですが確かにいます。教員は守秘義務があるので、他の生徒に知られないようにこれに対応しています。個人情報なのでメディアにも明かされません。
日本の福祉政策の不備を、教員が無償労働で払っているように思えてなりません。でも、そうした子どもを学校が福祉的にケアすることを国民は望みます。学校の教育機関としてのリソースがそちらに持っていかれてしまっているように思います。まあ、そういうことを言うと、福祉的ケアを導入した教育の方が教育効果が高いと言われて、口を封じられるのですが。十分なリソースがあれば効果は高いでしょう。しかし、リソース不足でこれをやれと言われれば機能不全に陥りますね。実際、陥っているように思われます。