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2022-08-05

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3920s

1:05:20~1:10:25

Sara Ahmed, "You Are Opressing Us!"

「誰かがノー・プラットフォームにされたと言うためのプラットフォームを与えられ続けたり、あるいは口を封じられたことについて延々と話をしていたりする時、そこにはいつもパフォーマティブ矛盾がある。しかしそれだけではない。そこであなたが目にするのは、権力メカニズムなのだ。」

自分がすでに抱いている信念を裏付け証拠を求める欲望は、時に、その証拠を生み出すための挑発や威嚇につながることがある。

侮辱的な言語行為が次々と述べられるのは、侮辱され気分を害してほしいという欲望があり、他者が気分を害するせいで『われわれの自由』が制限されるのだという証拠を望んでいるから、である。」

この枠組みを非常に早い時期に的確に指摘したのが、イギリスフェミニストとして知られるSara Ahmedです。

2015年のブログ記事でAhmedは、ガーディアン紙に掲載された、これ別の書簡なんですがこれも公開書簡です、

個人に対する検閲や口封じを許すことはできない」というタイトルの公開書簡を取り上げます

この公開書簡英国でのいくつかの例を取り上げつつ、

トランスジェンダーについてあるいはセックスワークについて特定批判見解を持つフェミニストたちが、

大学沈黙させられているというふうに主張するものでした。ちょっとここ分かりにくいんですけど、

2015年の英国のこの文脈では、沈黙させられているというふうに主張しているフェミニストたちというのは、

階級的にもそれからジェンダーモダリティという点でも、いわば多数派の側になります

Ahmedは、公開書簡で取り上げられている例というのが実際には、特定見解理由にした検閲だったりノー・プラットフォーミング、

ノー・プラットフォーミングっていうのはイギリス運動なんですけど、

イギリス学生運動の中で採用されてきた戦略で、非常に危険で受け入れ難いと見なされた見解とか信念、それこそネオナチとかです、

そういうものを公開する機会そのもの提供しない、そういうのがノー・プラットフォーミングといわれるんですが、

ただAhmedは、この公開書簡で取り上げられている例が実際には、

そういう検閲とかノー・プラットフォーミングには当たっていなかったということを、事実確認した上で、

にもかかわらずこれをあえて、キャンセル検閲、口封じ、ノー・プラットフォーミングという形で主張することで、

どういう効果が目指されているのか、ってふうに問います

これAhmedの引用なんですが、

「誰かがノー・プラットフォームにされたと言うために

そういう発言をするためのプラットフォームというのを実際には与えられ続けていたり、

あるいは口を封じられたことについて延々と話をしていたりする時に、そこにはいつもパフォーマティブ矛盾がある。

しかしそれだけではない。そこであなたが目にしているのは、権力メカニズムなのだ。」。

まり検閲された、口を封じられたという主張それ自体が、

検閲され口を封じられたはずの側がより力を獲得する、そういう目的のためにされていると。

からこそ、検閲され口を封じられること、言い換えればキャンセルされることというのは、ここではむしろ求められている。

キャンセルされたいんですね、どっちかっていうと。

次の引用ですが、

自分がすでに抱いている信念を裏付け証拠を求める希望は、時に、その証拠を生み出すための挑発や威嚇につながることがある。

侮辱的な」、これoffensiveですね、「侮辱的な言語行為が次々となされるのは、侮辱され気分を害してほしいという欲望があり、

他者が気分を害するせいで『われわれの自由』が制限されるのだというそ証拠を望んでいるから、なのである。」。

からキャンセルされると、そのキャンセルされた人ということでどんどん力が集まって、むしろキャンセルされたい。

キャンセルされるために、より侮辱的な、よりoffensiveな言葉が発せられるという、そういう仕組みができてるというのが、

Ahmedの見立てなんですね。

「この書簡は、フェミニスト発言自由になされるべきで、健康で活発な民主主義のしるしである討議や対話可能にするものだ、と考えている。しかし、トランフォビアや反トランス発言を、ハッピーダイバーシティ食卓自由に表明してよいような、ただのありふれた観点として扱うことはできない。食卓を囲んでいる誰かが、別の誰かを抹消するべきだと、意図的あるいは事実上主張しているときに、対話などしようがない。あなたを会話から抹消したがっている誰かと「討議や対話」をするとしたら、「討議や対話」はそれ自体が抹消のテクニックになる。特定の討議や対話を拒絶することこそが、したがって、生き延びる鍵となる戦略になりうるのである

学問あるいは言論の自由というもの支点とした、抑圧側と被抑圧側の逆転の構図、

表現を変えるのであれば、抑圧されて周縁化されてきた側からの異議申し立てを封じるための口実、

あるいは道具としての、学問とか言論の自由の利用っていう、

今日の報告では、90年代からこの図式が少しずつ洗練されつつ引き継がれた様子っていうのをざくっと見てきたわけですが、

その図式が現時点で到達しているのが、自由侵害された口を封じられたという主張が、

実は封じられることもなく自由に繰り返され拡散されることで、力をさらに獲得している、

クリックアルゴリズム時代キャンセルカルチャーというパワーメカニズムだ、ということになります

からこそ私たちは、国家や強力な組織経済あるいは社会規範要請などから学問の自由というものを守ると同時に、

現代の今2022年時点の学問の自由というのが、もろ刃の剣であること、学問の自由特定の利用には警戒すべきであるということを、

忘れてはならないと思います

最後にこういう自由濫用というものサバイブするためにAhmedが提唱した戦略引用して、私の報告を終わりにしたいと思います

「この書簡は」、先ほどの公開書簡ですね、

「この書簡は、フェミニスト発言自由になされるべきで、

健康で活発な民主主義のしるしである討議や対話可能にするものだ、というふうに考えている。

しかし、トランスフォビアや反トランス発言を、

ハッピーダイバーシティ食卓自由に表明してよいような、ただのありふれた観点として扱うことはできない。

食卓を囲んでいる誰かが、別の誰かを抹消すべきだと、意図的あるいは事実上主張しているときに、そこに対話など存在しようがない。

あなたを会話から抹消したがっている誰かと「討議あるいは対話」をするとしたら、

「討議や対話」はそれ自体が抹消のテクニックになる。

特定の討議や対話を拒絶することこそが、したがって、生き延びる鍵となる戦略になりうるのである」。

ありがとうございました。

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3186s

53:06~57:07

David Horowitz, Academic Bill of Rights (ABOR)

学問はあらゆる問題について政治的中立であるべき

学問の自由は常に複数観点提供される環境において成立する

特定問題について異なる見解があるなら議論の双方の側を教えるべきで、授業内容を調査する仕組みが必要

ポリティカル・コレクトネスを巡って提示されたこの図式、

すなわち既存差別や抑圧への批判を、それこそが自由侵害であるとして批判し返すというこの図式は、

この後現在に至るまで、とりわけ大学を中心に学問の場において着々と展開されてきています

例えばDavid Horowitzによる、学問権利法案ABORというんですが、

これは、学問はあらゆる問題について政治的中立立場を採るべきであり、

学問の自由とはそのようにして常に複数観点提供される環境において成立する、というふうに主張します。

これだけ見れば、これだけ見れば、リベラル多文化主義的な主張かなっていうふうに思いかねないんですが、

Horowitzの主張は、これが先ほどの庵逧先生のご発表ともちょっとつながるんですけど、

それが当代の学術領域において、どれほど学問的に反駁され否定されているものであろうと、

特定問題について異なる見解があるならば議論の双方の側を教えるべきであると、

実際にそういうような授業になっているかどうかを、

授業内容を調査する仕組みっていうのを大学は作るべきだ、いうふうにHorowitzは主張する。

このABORの問題を、アメリカ大学教授連合AAUPというところが問題点を指摘する声明を出しているんですが、

そこで述べられているように、これは学術的知見の蓄積に裏付けられた主張であるか否かにかかわらず、

例えばナチス政治哲学擁護であるとか、あるいは進化論否定であるとか、

そういうもの学術的に正当な主張の一つとして教えるべきだと、そういう議論なんですね。

から何が学術的な裏付けのある議論であるかについて、学術コミュニティで蓄積されてきた知見を認めないという点において、

ABORは「学問の自由」を唱えつつ実態としては学問の自由侵害している、いうふうに言うことができる。

Turning Point USAによるProfessor Watch List (2016)

リベラル左派の横暴に支配された大学において、差別されている保守派学生を守る」

差別や抑圧をめぐる逆転の構造

差別や抑圧への批判や対抗の言説が、その言説に同意しない(差別的、抑圧的な)主張をする自由を抑圧し、そのような考えを持つ人々を差別している」

抑圧側と被抑圧側を逆転させる支点としての「学問の自由

ABORは、リベラルあるいはレフトの価値観大学が乗っ取られていると、だといいなと思うんですが、

でも大学は乗っ取られてる、それと異なる、つまり保守派主義主張学生研究者の「学問の自由」が侵害されているから、

それを守らなくてはいけないという構えを取っています。ただこの構えが実はただの口実でしかない。

学問の自由」というのがここでただの口実でしかないことは、例えばもっと2016年にTurning Point USAという、

これ、学校とか大学保守派価値観擁護・推進することを目指すアメリカNPOなんですが、

そのTurning Point USAというのがProfessor Watch Listというのを作ってまして、これを見るとよく分かる。

Professor Watch Listは、

教室において保守派学生差別左派プロパガンダを推進する教員を暴き記録するということを目的としています

このリストは、リストに加えられた教員とか研究者あるいは大学へのメールなどでの攻撃というものも当然誘発することになって、

先ほども出てきましたアメリカ大学教授連合AAUPは、このリスト自体学問の自由への脅威だというふうに批判している。

ABORから10年以上が経って出てくるProfessor Watch Listというのは、

ABORとは異なって、最初から学問の自由」というのを活動根拠として打ち出してないんですね。

にもかかわらずそれ以外の点つまりリベラル左派の横暴に支配された大学において、

差別されている保守派学生を守らなくてはいけない、これが「学問の自由」の擁護であると、

そういうふうにABORはなるんですけど、でもその構えというのはそのままABORから踏襲されてる。

ブッシュ・シニアミシガン演説を思い出していただけるといいんですけれども、

差別や抑圧を巡るこういう逆転の構図っていうのが、ここでは非常に重要な働きをしている。

ポリティカル・コレクトネス論争からProfessor Watch Listまで、30年近くあるわけですけど、

学問の自由」というのがどう使われてきているのかというと、差別とか抑圧への批判あるいは対抗の言説が、

その言説に同意しない、つまり差別的あるいは抑圧的な主張をする自由というものを抑圧するんだと、

そういう考えを持つ人々を差別するのだという形で抑圧側と被抑圧側を逆転する、ある種支点の働きを担ってきたわけなんですね。

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part1 〜学問の自由とその濫用

前置き

2022.7.24 一般公開シンポジウムフェミ科研と学問の自由

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI

より、清水晶子氏発言部の文字起こしである

長いため講演部Part1~Part5+質疑応答の6部に分割する。

分割の境界スライドにある番号に従うが、副題は増田判断である

スライドはすべて図表のない文字ベースのものであったため、引用記法を用いて本文に組み込んだ。

講演部については、「女性スペースを守る会」が公開している文字起こしベースに、

増田が誤字の修正や、句読点の変更、改行の追加などの編集を行った。

質疑応答部、スライド部の文字起こしはすべて増田が行った。


批判記事の紹介

まず、江口先生による、8/9のブログ記事は必読だと考える。

加えて、講演に対する批判として書かれたものではないが、一般論として「キャンセルカルチャー批判」的な立場で書かれたベンジャミン・クリッツァー先生記事

なども参考になる。これら2記事は、江口先生も講演に欠いている「ミルタイプ言論の自由擁護」として紹介されている。

また、あまり整理がされていないが、この講演に対するTwitter上の批判的な反応を一覧できるものとして、

他、法学専門家による分析という点で他になく注目に値するものとして、

(あと、この書き起こしを編集している私自身も手前味噌ながら批判記事を書いている。「清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう」anond:20220809001101 )

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part1 〜学問の自由とその濫用

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=2457s

40:57~48:23

2022/7/24

学問の自由キャンセルカルチャー

清水晶子(東京大学

菅野優香

はい、お二人目は清水晶子さんです。

清水さんは東京大学大学院総合文化研究科で教鞭を執られています

フェミニズム・クィア理論をご専門とされ、

研究関心としては非規範的な身体と性の政治、とりわけ身体他者性、自己表象生存戦略可視性を巡る問題などがあります

最近英語圏フェミニズムおよびクィア理論史を改めて辿ることにも興味があるとのことです。

主な著作に、

Lying Bodies: Survival and Subversion in the Field of Vision英語の本です、2008年

「埋没した棘――現れないかもしれない複数性のクィアポリティクスのために」、2019年

フェミニズムの思想と「女」をめぐる政治」、2020年

フェミニズムってなんですか?』、2020年、などがあります

清水さん、どうぞよろしくお願いいたします。



清水晶子:

はい、ご紹介ありがとうございます清水晶子です。もうそのまま入っていきますが、

本日は「学問の自由キャンセルカルチャー」というタイトルで報告をしたいと思います

少し方向性が違うかもしれないんですが、よろしくお願いします。

学問の自由とは

学問の自由という原則は、学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者、教員学生が、倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由定義できる」

1998年 国際大学協会声明学問の自由大学自治社会的責任

学問の自由というところからいきたいんですが、学問の自由とは何を指すのか。

一般的には、大学だったり研究機関とかっていうものが、

政府なり場合によっては非常に強力な宗教だったり経済的権力だったりというところから圧力を受けることなく、

さらに言えば個々の研究者が、大学当局だったりとか大学経営陣あるいは多数派社会的通念・経済的要請などから

不当な干渉や抑圧を受けることなく、学問良心手続きとに従って真理を探究する自由、というふうに考えることができる。

例えば、1998年国際大学協会声明学問の自由大学自治社会的責任」という文書があるんですが、これによると

学問の自由という原則は、学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者・教員学生が、

倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、

そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由定義できる」というふうにされています

学問の自由というものの基本がここにあるというふうに考えると、フェミ科研裁判文脈における学問の自由の主張というのは、

ある意味まさにここに相当するもの王道の部分というふうに言うことができるというふうに思います

2000年代前半:ジェンダーバックラッシュ

過激性教育ジェンダーフリー教育調査プロジェクトチーム

2014年広島大学でのいわゆる「従軍慰安婦」に関する講義

産経新聞による吊し上げ↑ 日本科学者会議広島支部幹事会による抗議

2020年日本学術会議会員任命拒否

日本学術会議会員任命拒否違法状態是正を求める意見書」提出(日弁連

残念ながら、日本フェミニズムとかマイノリティ政治に関わる研究者にとって、

今言ったような意味での学問の自由というのは、必ずしも安定して保障されてきたものではない。

からこそ、その必要性というのはしばしば痛感もされてきましたし、主張もされてきました。

今世紀に入ってから過去20年に限定しても、

2000年代前半のフェミニズム女性運動へのいわゆる「バックラッシュ」いうのがありまして、

ここでは与党自民党プロジェクトチームにおいて、ジェンダーという語それ自体使用疑義提示されたりしている。

2014年には、いわゆる「従軍慰安婦」問題を取り上げた広島大学研究者の授業というのが、

先ほども産経新聞出てきましたけど、ここでも産経新聞ですが、産経新聞によって吊し上げにあって、

批判や抗議が大学殺到し、日本科学者会議広島支部幹事会が学問の自由侵害であるというふうにして、

産経新聞に抗議をする、声明を出すという事態になったりもする。

もちろんさら記憶に新しいのは、2020年日本学術会議の会員任命拒否ですね。つまり当時の菅内閣総理大臣が、

日本学術会議が会員候補者として推薦した内の6名の任命を拒否した、というかしなかった件ですよね。

この任命拒否については、憲法23条保障する学問の自由を脅かすものであるというふうにして、

2011年11月に、日弁連が「日本学術会議会員任命拒否違法状態是正を求める意見書」というもの総理大臣に提出をしていると。

これらの事例での学問の自由というのは、この重要性、

この意味での学問の自由重要性というのは、本日シンポジウムのいわば前提になっているものだというふうに考えます

学問の自由」の濫用

差別的・抑圧的な言説に対して政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを「学問の自由侵害」とする言説

その前提をご確認いただいた上で、私の報告は少し角度を変えて、学問の自由という主張や枠組みがどう利用されているのか、

もう少し強く言うと、どう濫用されているのかでもいいかもしれないんですが、それを考えたいと思います

今申し上げたように、従来はそして一般的には、学問の自由というのは、

国家とか、強力な宗教団体、経済団体多数派社会通念や経済的要請、などなどの圧力を受けることなく、

研究者の社会的通念と研究手続きに則って真理を探究する自由を指す、というふうに理解されています

その意味では学問の自由という枠組みは、

力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、

研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのものです。

ところがこの学問の自由の主張が、全く逆のベクトルで利用されることがある。

すなわち差別的・抑圧的な考察や言説に対して、政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを、

これは「学問の自由侵害であるというふうにする言説、というのが見られるようになっている。

これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。

けれども法的な解釈とは別のところで、こういう言説上の戦略というのが一定の効果を持ってきているのも事実です。

二面での闘い

国家による学問の自由の明白な侵害

②現状を追認し被抑圧側の異議申し立てを封じるための口実としての学問の自由の動員

結果として、フェミニストとして学問の自由を考えるにあたって、

私たちは一方では、フェミ科研裁判のように国家による学問の自由の明白な侵害というものと闘わなくてはいけない。

けれども同時にもう一方で、学問の自由というのが、差別的あるいは抑圧的な現状を追認し、

抑圧されてきた側からの異議申し立てを封じる目的で動員されるということに対して警戒をしなくてはならない。

学問の自由を巡っては、フェミニストには現在ういういわば両面での闘いというもの要請されている。

この現状は忘れるべきではないと思います

実は今日、私からお伝えすべき論点はそこに尽いているので、ここで報告終わってもあんまり問題ないっていう感じなんですが、

ちょっとさすがにそれでは簡便過ぎるので、この後の時間を使って、

こういうタイプの、マイノリティ権利主張を抑圧する目的で動員される「学問の自由侵害」という枠組み、

この言説というのが具体的にどう現れてきたのか、

これが非常に大きな論点になってきた英語圏の動きというのを中心に、簡単にまとめてご説明したいと思います

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

2022-08-04

山上マジで日本を変えるのかもな……

統一教会を潰す所までは行かないかも知れないけど「自民党と仲良しこよしの統一教会」はぶっ壊せそうだ。

世界的な影響力がどれぐらいか分からんけど「日本における統一教会」は全く変わるぞ……

政権与党総理大臣という最強の後ろ盾を失うんだからな。

すげぇ……世界って1人の人間の力で変えられるんだな……

技術学問経済じゃなくて政治世界で、政治家や財閥の子孫でもない人間が世の中を変えていく。

この高齢化年功序列の国でまだ40代人間日本を変えていく。

凄い……歴史に残るぞれこれはマジで……。

TIMESの「世界で最も影響のある100人」に選ばれるべきだろ。

2022-08-03

社会心理学のような学問やってる人にとって、ネット匿名掲示板かめちゃくちゃ面白いんだろうなー。

宝の山を前にしつつ、投稿人のリアルな特徴は得られないもどかしさ…!クーー

学歴関連のツリー学力教養がないとどんな悲惨なことになるのか身を以て示してくださる業の深い増田がいらっしゃるので、

子供学問に興味なくても最低限の教育は施さないとな、と思いました

anond:20220803011738

第一に平均は平均でしかなく、正規分布もしてないので世帯収入400万未満の家庭の子東大にけっこういます

第二に、単純に学問適性の高い人物高収入になりやすく、学問適性の高い人物の子遺伝的に学問適性が高い確率が大きいだけ(収入は間接的な相関であり因果関係を持たない)、という可能性を排除できないので、

その統計日本において教育コスト学力キャップをかけるという主張の根拠になりえません

anond:20220803001321

地方トップ公立予備校行かないと入れないですよ?

予備校に行かないと地方トップ公立にすら入れないのは学問に興味や才能がない子の話でしょ

あれはどうなってるんだ、これはどういうことだろう、と世界の真理を尽きせぬ好奇心と探求心を以て追い求める学問の徒においては、

教科書を読み返したり、副教材の便覧や資料集を開いたり、図書室や図書館の資料を漁って読みふけったりしているうちに自然偏差値70~80みたいな学力を身に着けるので

たか地方公立高校受験程度で困るなんていうことがあり得ない

日本公教育は学びに大して積極的な子に対しては十分すぎるぐらい充実している

anond:20220802235525

よほど学問に興味がないから、学力というものがかけた教育コストに比例すると思ってこういうことを言うんだろうな

2022-08-02

anond:20220802233021

貧乏の子学問への興味と素質があるのに高卒肉体労働しなきゃいけないようなカースト社会は大問題だけど、日本はそうじゃないじゃん

世帯収入250万の家庭の子だろうが生活保護世帯の子だろうが学問に興味と素質があったら東大入れるんだよ、日本

anond:20220802232013

学問に興味がなくて大して素質もない子に大枚はたいて教育コストかけて本人にも重大なストレスかけて

無理矢理難関大に行かせるメリットって別にそんなに大きくないよね

もとより学問に興味ないんだから大学で何学ぼうがそれを活かせる仕事に就けるわけでもないんだし

偉くなって家督を継いでもらわなきゃ困るなんて大昔のイエ制度じゃあるまいし

anond:20220802230641

家が金持ちだと子供の側に学問への興味がなくても勉強する環境になっていて奨学金取らなくても大学くらい当然いく空気なのよ

anond:20220802230853

地方に住んでも対して変わらないし、教育投資せず難関大に行くのは「理論的に言えば可能」なだけで全く現実的ではないよね

いや全然違う

地方においては地元で一番の進学校ほとんどの場合公立小学校中学校もみんな公立

なんでただまじめに勉強しているだけで特別金をかけずとも「その周辺土地で一番の進学校」に行ける

地域にもよるがその中でおおむね学年で10位以内に入れて、頭がバカでなければ授業をまじめに受けて教科書ちゃんと読むだけでそこまでは到達できて、

それぐらいあれば旧帝大には余裕で入れる

 

逆にいうと地方で育ててそれぐらいのこともできないような子は「学問に興味がない」or「頭がバカ」のどっちかなんで、元より大枚はたいて教育する価値がない

都会で金をかけて育てる価値があるのはスポーツ系のアスリート芸術系に育てたい場合ぐらいのもんだよ

年収250万定時制高卒父・3歳年上兄・ワイの父子家庭(母は高卒離婚精神疾患で大抵の時期は入院)の環境

大学に現役ストレート合格してしまったものなので年収〇〇万ないと子供が育てられないみたいなのイマイチ実感がない

ちゃん地方公務員になって結婚して子供2人生まれてたまにLINE飛ばしてくる家族写真幸せそうにしているし

子供の側に学問への興味があったら勝手勉強して奨学金取って大学ぐらい行くんじゃないスかね

anond:20220802224900

女は男以上に収入が低いんだから共働きのカツカツ生活子供は持てないか

子供教育費も碌に払えない貧困家庭になってて今より悲惨だと思うんだけど

地方に住めばいいだけじゃない?

子供の側に学問の素質と科学への興味関心があれば市立小市立中県立高から塾もカテキョもなしで旧帝大ぐらいフツーに入れる

スポーツとか芸術とかは親に金がないとどうしようもないが、今の日本学問に関して上に上がれないのは単純に本人が学問に興味か才能がないだけ

2022-08-01

戦略コンサルイメージ

マッキンゼー通称ファッキンぜー、運動会ブイブイ系と意識高い系学問ADHDを揃える。能力よりも派手さで押していく感じ。

BCGツベルクリンみたいな名前をしている。地味だけど無駄プライドが高い。

Bain → 頭は悪いがプライド鬼のように高い人がよく行く

2022-07-30

自演文句言う奴

学問板で主張の内容ではなく自演かどうかに突っ込んで「自演かな?」「自演わらわらで草」とか煽ってくる奴がいる。何か月も。

学問板なのに内容で議論を戦わせようとせずそういうメタ的なところを攻撃材料にしてる時点で最高にださい

せめて自演何が悪いのか説明してからにしてほしい。広い目で見れば政治家の票集めだって自演だけどお咎めなしだぞ。

もっというなら本当に自演だというならそれを客観的証明してからにしてほしいものだ。

ID無しスレから証明不可能というのは言い訳しかないよな。内容で戦えず、せめてものいちゃもんさえ証明されたものじゃないとか、駄々っ子小学生以下だろ。

東大チー牛反対声明に噛みついているのが低学歴ミソジニーオスしかいない件

勉強意味がない』と言いたいのではない 『勉強ができたらいいってもんじゃない』『筋肉お金などの精神安定剤大事』なんだ。

健全な肉体には健全精神が宿る』『衣食足りて礼節を知るってね。

【大きな失敗をしない】と言う意味では、勉強よりも大事なことって世の中にいっぱいあるんや

いや、むしろ大人になるほどお金健康の話して、学問の話しなくなるし、そういうことなんやぞって。

高学歴になるほど理詰めで「語義的には正しいけど、解釈と主張が頭でっかち」というズレ方をする。

全然チー牛の話関係なくて、男というだけで女より上でないと気が済まないけど

自分低学歴論理的反論できないか勉強以外に大切なことはあるんだ!とか全然関係のない話してて草なんだ

2022-07-26

anond:20220726113513

はいはい女は強者

政治学問裁判所警察軍隊医療トップポジションは男が独占してるけど女は強者

平均収入正規雇用率も男の方が遥かに高いけど女は強者

流石男は論理的ですね

2022-07-25

anond:20220725041905

占星術は最古の学問天文学派生

その歴史分の知識の積み上げがあるのに

長く続いたものに敬意を払わないんだよなあ

 

占星術ダメなら歴史だって勝者のみが編集した真実っぽいオカルトみたいなもんじゃ

2022-07-20

教養」とは何か

教養を身に付けられる本を教えて欲しい。

anond:20220720124155


この問いに答えるには先に「『教養』とは何か」ということをクリアにしないといけないと思うが、これを抽象的に論じ始めると喧々諤々の議論となって、増田の「本を教えて」という望みにたどり着かない。

ブクマトラバがもうそんな状態になりつつある)

しかし、日本の「教養人」と言われる人/自称している人たちの中で「教養」の範囲は割と共通していて、だいたい以下のラインナップに自分の専門や好みを付け加えたものになるのではないかと思う。

ほぼ全員が「教養」と認めるであろう分野

(1) キリスト教

 これはもう間違いない。およそ西洋で発展した学問は深掘りすればすぐにキリスト教にぶち当たる。

ただ日本キリスト教について知識を身に付けようとしてもなかなか良い本が無いのが現状。(その辺で売ってる入門書は表面をなぞってるものばっかりなので読んでも誤解して終わりだと思う)

個人的には内村鑑三の一連の著作から入るのが分かりやすくて良いと思うが、古くて読みづらいかも。田川建三から入るのも面白いかもしれないけどどうかなぁ。

なお、「教養人」といえど聖書は誰も通読していないので、上記の本で引用されたところを拾い読みしておけばよい。

(2) マルクス主義

 ひと昔前までマルクス主義はすべての学問を包括する「グランドセオリー」と言われていて、どんな問題でも切れる便利なナイフのように活躍していた。

その残滓が今でもあって、社会科学においては今でも学生が知らず知らずのうちにマル経用語を覚えさせられていたりする。

むかしは手に入りやすくてわかりやす入門書不破哲三のものしかなかったが、数年前のマルクスブームでたくさん良い本が出ており、個人的にはデヴィッド・ハーヴェイ入門書お勧めしたい。(ただ抵抗が無ければ不破哲三著作は今でも分かりやすくてよい)

みんなの憧れ『資本論』も上記入門書の傍らに置いてちびちび読んでみると良い。そこらの難解な哲学書に比べればぜんぜん読める。

だいたいの人が「教養」と認めるであろう分野

(1) 歴史

 マルクスをやればみんな歴史がやりたくなる。マルクス主義史観学校で習った日本史/世界史に当てはめて、その切れ味を試したくなるからだ。

好きな時代や分野をやれば良いと思うが、「教養人」はみんな網野善彦と遅塚忠躬の著作が大好き(偏見)なので、ぺらぺらめくっておくと良いだろう(マルクス主義史観の多少の解毒剤にもなる)。

ウォーラーステインも読みたくなるが、長すぎて誰も通読していないので、川北稔のアンチョコを読んで、読んだふりをしておくと良い。

なお、第二次世界大戦については最近川田稔昭和陸軍全史』という誰でも読めるすばらしい本が出たので、知ったかぶりができなくなった。

(2) 文学

 文学となると何を読むか、ということになるが、サマセット・モーム先生が『世界の十大小説』というすばらしいアンチョコを出しているのでまずはこれを読むと良い。

そこで採り上げられている小説のうち、『カラマーゾフの兄弟』と『戦争と平和』は「読まなければ人ではない」という風潮があるので、せめて読んだふりはできるように。キリスト教知識がここで生きてくる。

日本小説では、夏目漱石についての柄谷行人の論考を読んで、日本近代について一席ぶてるようにしておこう。

それと『失われた時を求めて』はとりあえず買って挫折するのが大事

(3) 哲学

 わが国では哲学について昔からデカンショデカンショ半年暮らす、あとの半年寝て暮らす」という有名な言葉があり、デカルトカントショーペンハウアーが昔の「教養人」の必須科目となっていたらしい。

ただショーペンハウアーがここに入っているのは少し不思議で、今ならニーチェが入るのではないかと思う。

どうせ正確な理解なんて無理なのだから適当アンチョコを読んで知ったかぶりができるようにしておくと良い。

なお、なんか知らんが日本人はヘーゲルが大好き(な割に誰も理解していない)なので、一応挨拶だけしておこう。

教養」として挙げる人が一定数いる分野

(1) 法律学

 「教養」として名前が挙がることが多い一方で、まともに条文を運用できる人がほとんどいない分野。

上述してきた分野と違って、本を読むだけではだめで、指導教官のもとで実際の事例にぶち当たってトレーニングを積まなければならないので難しいのだろう。

下手に基本書を読んでも本職に知ったかぶりをすぐ見抜かれるので、時折ネットで話題になる法律問題について法曹解説を読んで都度勉強すると良いだろう。

(2) 中国思想インド思想(仏教含む)

 ここまで挙げた学問はいずれも西洋で発展したものなので、「日本にはなんもねぇのか」という気分になってくる。

こうした「教養人」が抱えるコンプレックスについて内田樹が『日本辺境論』という本で書いているので、ちょろっと見ておくと良いだろう(Amazonで1円で売っている)。

ここらで本居宣長とか丸山真男とかを読み出す人も多いのだが、どうせ不毛作業になるので、視野を広げて中国思想インド思想辺りに目を向けるのが良い。

個人的には森三樹三郎の著作が分かりやすくて良い。

(3) 自然科学

 「教養人」というのは大概文系であり、自然科学についてはからっきしな奴が多い。

自然科学話題になると、トーマスクーン科学革命構造』をそれらしく引用して逃げ切りを図る人が多いのだが、本職に馬鹿を見抜かれるので素直に勉強しましょう。

ヨビノリをはじめとした学習コンテンツYouTubeに転がっているので、せめて高校数学物理ぐらいはやっておかないといけない。

人によっては「教養」として挙げる分野

(1) 詩

 上述してきたような分野をやっていると、唐突に詩が登場したりして困惑する場面が多々出てくる。

論理的(笑)な「教養人」の中にはこれを不得手として敬遠する人が多いのだが、どこかで対決しなければならない。

幸いなことに最近詩人渡邊十絲子という人が『今を生きるための現代詩』という詩についての分かりやすい概論を出したので、一読した上で適当な詩のアンソロジーでも買ってくれ。

(2) 映画

 なんか知らんが「教養人」は映画好きな人が多いので、ある程度は観ておかないといけない。

イギリスエンパイアという雑誌が「史上最高の映画500本」という特集をやっているので、上から適当に観ておけば良い。


 とりあえずこの辺を押さえておけば周囲からは「教養がある」という認定を受けるのではないかと思う。

ただ教養があったとしても「教養人」からマウントを取られる可能性が低くなるだけであり、「他人との会話が盛り上が」るなんてことはまず無いから気を付けて呉れ給へ。

2022-07-18

anond:20220718203826

名案。

オレオレ詐欺とか特殊詐欺防止にも役立つ。

しかし知能というのは多義的で、

本人あるいは家族社会にとってその金の使い方が有益か正当かを判断する能力と、

勉強ができるとか合理的判断ができるかというのは別問題だったりするし、

そもそも何に価値があり正しい使い方かなどというのは個人価値観により、国家が決められるものではない。

学問的に頭は良く知性も理性もある人間しょうもない性犯罪を起こすことはままある。

働いてお金を稼いでそのお金風俗店にでも行くか円光でもするかした方が経済合理的ではあるが、

そういう損得勘定ができない頭のいいひともいる。

役に立つかどうか、を考えるときの話。

何かが役に立つかどうかって、あんまり決めつけないほうがいいと思うんだよね。

やりたいことをやろう、とか、好きに生きていこう、とかのジャマになるから

子供のころから言われていて逆方向に何十年もかけて一周してきた感じがするからちょっとそれを書いてみる。役に立たないかもしれないけどね。

小学生の時、学校先生はよく言ってた。

勉強は役に立つからするのではありません。人生を豊かにするためにするのです」

中学生になってゲームセンターで遊んでいると、年上のお兄さんたちはみんなで考えて答えてくれた。

ゲームなんか役に立つわけねぇだろ。オマエにはまだ分からね―だろうけど、だからいいんだよ」

「違うね。役に立てられるかどうかは自分次第なんだよ。それに、立つか立たないかで行動を決めないほうがいい。勉強だって同じさ」

高校時代に会った職人さんはよく怒鳴ってた。

知識ってのはなぁ、役に立つかたたねぇかじゃねぇんだよ! 何度も言わせるな。役立てられるかどうかなんだ!!」

そんなの全部分かってると思ってたし、だけど実際には役に立つことと立たないことってたくさんあって、みんな心のなかで本当は順位を決めてると思ってた。

これがすごく上手く書きづらいから、伝えづらくて自分の中にもしっかり入らなかったんだと思う。

「みんな生きてるんだ」とか、「働くって尊いことなんだ」とか、「人は平等なんだ」とか、そういうのの一種だと思っていて、暇つぶし無意味なことをバカにしてはいけないとか、あまり役に立たないことをしてるように見える人でも笑っちゃいけない、どこで何が役立つかなんて誰にもわからないことがあるんだから――、みたいに。

だってそうだよね? たくさん役に立つ人や仕事が偉くて、誰にでもできる仕事はそんなに偉くない、ってたいていの人がどこかで思ってない?

役に立たないなんて簡単に言うもんじゃないってお説教もう中学生になるかならないかのころに聞き飽きてたし、おとなになって働くようになっても「職業に貴賎なし」とか『働かないアリには意義がある』とか、そんなのばっかりで、多様性担保のための有用指標隠蔽するために、差別助長させない社会的配慮としてこういう議論はずっと見てきたから、心の奥底ではどこかで嘘だなって思ってたんだよね。

How to本とかだってたくさんあって、売るためなのか売れるからなのか知らないけど偉い人が書いてる立派な本を出してる大きな出版社が競うように、『これさえ覚えれば安心』『今すぐ役立つ即戦力』『要らないものは捨てて楽になろう』みたいなのずーっと出してるじゃない。

無能な人は**をする」とか、「役に立たない人の特徴は**」とか、「**で迷惑をかけない方法10選」とかさ、そんなのばっかりでしょ?

だけど、根本的に、もっと本質的に、徹底的に実は間違ってたんじゃないかなって思う。

中年になった父が呆れたり怒ったりしながら何度も何度も言っていたのは、差別とは話とは違って、「知識技術勉強は役に立つかどうかとは無関係」ってこと。

本当にこれって、表現するのが難しい。

データベース存在運用方法無関係、って書いたらSEさんは理解してくれるかな。

詳しくないけど、ベースって書いたらだめかも。データ自体が役に立つかどうかは運用の仕方次第、とかのほうがいい?

運送業の人なら信号の色と指示内容は無関係、とか。

赤や緑や黄色自体には危険とか進めなんて意味はないし。

日本語問題だよね。

知識という概念は、有用性とは無縁である。……って書いても分かりづらいでしょ?

勉強という行為意味は、その活用法を定義してはいない。……とかじゃ、お説教みたいだよね?

技術は人次第、だと名言だけど……、役に立つかどうかの判断技術無関係って説明になってるかどうかちょっと疑問。

あ、そうだ。

役に立つ、ってどういうことか考えたらいいのかな。

有用である効果である、用を成すのに適している、とかって感じ?

主語がないんだけど、役に立つ、って言葉もそうだからややこしくて、将棋技術知識将棋をする時にものすごく役に立つし、古文勉強古典を読むのに必須だし、ハキリアリの生態に対する知識は蟻や農業研究をする時に役に立つ、みたいな。

外資系ファンド通訳をする時に将棋知識はきっと役に立たないし、サーバー構築に古文勉強はたぶん必要ないし、定期運送操縦士免許を取るのに蟻の知識は役に立たない、みたいな。

何が言いたいか伝わってるかすごく不安だし、もっと言うと自分がしていた誤解と言葉に対する認識の溝を感じてもらえるか自信はないけど、無関係概念だよね、って話。

きっと以前に指摘してくれた人はいるんだけど、関連付けること自体が間違った発想だよね、って。

……もどかしいなあ。(笑)

『役に立つ知識』も『役に立たない知識』も存在しなくて、知識は単に知識なんだよね。

日本日本人と日本語だけで話してる時に英語中国語ドイツ語も役に立たないし、ごはんを作る時にサーバー構築技術はいらないし、眠れなくて落ち着きたい時にパイロット免許は役に立たない。状況によって必要技術知識勉強も違うから、役に立つ時も立たない時もあるのは当たり前で、それは技術知識勉強有用性の指標には成り得ない、とか書くともっと回りくどくなる? ああ、自分技術知識自身がある人だと「だったら役に立つ状況が多いほうが有益ってことだろ?」とか言いたくなるのかな…。

なんか凄く凄く溝を感じる。

通称としての知識体系やその象徴としての言語、みたいな方向からのがいい?

学科、って括りは現実世界には存在しないから、どこからどこまでが現代文外来語英語かってあんまり意味ないよね。

数学確率統計から代数幾何とかあるけど、全部机上の話であって実在構造を厳密に数値化するなら分子なの原子なの素粒子レベルなの? って話あるよね。

同じ理由物理袋小路な面があって、生物化学も突き詰めれば物理と繋がっていて、地理歴史考古学ありきだから古典も外せないし、古典には外来語も入ってくるから知らないよりは知っていたほうがいいし、歴史は暦の面から天文学重要から数学必要なこともある。どこからどこまで、って知識学問で切り分けて必要必要って決める意味あるの? って。

だって**学、って言葉では言うけどそんなもの実在しないでしょ?

ほんとうは役に立たない物だってそうで、この世界にあるもの、って、みんな人間のためにあるわけじゃないから、おかしな言い方だと思わない?

……違うかな。

人間自分達のために作った物は、人間のためのものかもしれない。でも、これも境界曖昧かな。コンピューター計算するためのものから(たぶん2,30年は)役に立つけど、農家の人が(たぶん何年も品種改良して)作った野菜人間のために人間の作ったものかどうかよく分からない。だからか知らないけど、「役に立たない野菜」っておかしな言い方でしょ?

変なたとえだけど、もし人間がいなければ、世界にあるものはみんな役に立つかどうかは関係ない気がするんだよね。それでもきっと存在してると思うけど。

いろんなものをそう考えてみるとおもしろいかもしれない。

サバイバルナイフサバイバルする時に役立てるために作ったもので、バケットホイールエクスカベーターは鉱石採掘する時に役立つ機械で、黒曜石は小さな肉や植物を切る時に役に立つ。

でも、黒曜石が役に立つ石だからって、石を役に立つか立たないかで分類するのはおかしい。

乗り物好きな人が近くで笑ってるけど、少なくともバケットホイールエクスカベーターはお庭に近所の人からもらったテッポウユリ移植するのには役に立たない。ナイフや黒曜石のほうがまだいい。

「それでも、誰がどう見ても役に立たない知識や物ってあるだろ?」

 って言われると困っちゃうかな。

何かまちがってるような気がするけど、ずっと考えてたらよく分からなくなってきちゃったかな。

しかしたら「人は何の為に生きるのか」と同じまちがいかも。

人間ってすごく特殊一部の人を除けば、誕生から何かをする為に産まれた、って決められている存在ではなくて、「何をするか」だよね?

偉い人とか平凡な人っていうのも実は同じで、区別とか差別ってそういうものなのかもしれない。

世の中の人を役に立つ人と役に立たない人に別けて考えるのってあんまり楽しくない気がするんだけど――、

あなたはどう思いますか?

おしまいです。コメント以外では初エントリーでした。おやすみなさい。

2022-07-16

安倍暗殺を「テロ」と呼んでいいのか?

山上容疑者私怨だった。政治目的ではないから、テロではない」

という主張をよく見かける。


そのへんって、どうなの?

法令上の定義とか、学問上の定義とか、細かく分類できるんだろうけど、テロと呼ぶことは間違いなの?




追記

法令学問にかんがみて、テロ定義を論じるのはかまわない。

しかし、Twitterでは左翼論客がこの事件矮小化するため、テロという見方否定し、「安倍が殺されたのは私怨トラブルだ」と言っている。彼らは安倍元首相をテロ被害者だと認めたくないらしい。そのようにして安倍晋三と自民支持者を叩きまくっていて、私には卑劣に見えた。

ところが実際には、共産党声明などでテロと呼んだ。立憲民主党の泉代表辻元清美テロという言葉を用いた。もしこれがテロでないとすれば、野党側もさっさと頭を下げ、うかつにテロと言ったことを謝罪・訂正する必要がある。

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