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はてなキーワード: 学問とは

2022-08-17

anond:20220816234142

学問に求められている究極の目標未来予知だよ。

まあ、厳密な予知はもはや人智を超えているが、それでも専門家予測には一定の信頼が求められる。

過去現在がどうなっているのかを体系的に纏めることは、学者自身目標としているかもしれないが、社会が求める目標はその先にある。

明日の天気はどうなっているのか?

明日世界情勢はどうなっているのか?

どんな商品を出せば売れるのか?

どんな言動をすれば炎上するのか?

どんな食品を食べれば長生きできるのか?

どんな薬品を調合すれば効果のある薬が作れるのか?

そうした疑問に答える責任を負っているのが学問

そうした疑問に答えるということが、未来予測するということ。

もちろん、現代学問宗教とは違うので、軽々しく「予言」を吹聴したりはしないけどね。

2022-08-16

学問道楽である

学校に求められているのは結局選別の機能だけで、ギョーカイによってはそれすらコネ下位互換に過ぎない

だったら具体的に学ぶ内容なんか、リベラルアーツでも四書五経でもその他の何であっても、選別さえできるなら大して変わりないのではないか

あの「教養を身につけることで人間になれる」っていうのがきわめて怪しいのはそこで

本質的には「野球だけやっていれば社会人として必要資質が身につく」みたいなのと同レベルの話でしかないのではないか

どちらも学者野球選手の食い扶持稼ぎに適当言ってるようにしか思えないのである

anond:20220816132255

内田大先生言うところの「食えるかどうかだけで進学先を選ぶな」「コストパフォーマンス勉強を語るな」みたいな言説って

突き詰めると結局そういう社会に行き着きそうな気がするんだよな

学問というのは最初から食うに困らない奴だけがやるべきである、という世界観

anond:20220816131534

講義で教えてくれる範囲なんて広大な学問領域の中ではごくごく一部

学べる内容を自分で学んだかどうかが決定的に重要

勉強しなくても社会人としてやっていけるけど、勉強嫌いな人が勉強必須部署に配属されると悲劇

学生時代遊んでても社会人になってから勉強好きになる人は結構いるけど、そういう人は好奇心旺盛なので卒論嫌だと言ったりしない

卒研やりたくない増田に対する過剰反応

この卒研やりたくない増田とそれに対するブコメとかの反応を見て思ったが

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220816014148

「こんな奴は採用するな」「こういう馬鹿を焙り出す」「嫌なら他の場所へ行け」という排外主義論調多数派になる事に違和感がある

この増田卒研についての個人意見を言っただけで、ここまで必死になって罵詈雑言を浴びせる理由わからん

そもそも既存ルールや決まりに疑問を持って追求する事自体学問の真価なので、それを実行している増田とそれにちゃんと付き合って議論してる増田教授は良い事をしていると俺は思うよ

ルールなのだから従え」が正しいならそれこそ自分で考える必要は無いし、突き詰めればブラック企業独裁国家ですら肯定出来てしま

この異なる価値観を(多分)良い歳した大人過剰反応とも言える勢いで攻撃する所に、世界から遅れて衰退した日本の縮図を見ました

卒業研究やりたくないんだが、大学教授勘違いを改めろ

卒業研究をやりたくないまぁまぁ偏差値の高い大学に通う大学4年生です。

学部卒業するためには、ある程度の単位を取っていれば、卒業研究任意にしてほしい。私は大学四年時は、翌年から始まる社会人生活でのパフォーマンスを高めるための学習時間青春謳歌するための時間に使いたい。

大学教授はよく「大学研究機関である」みたいなこと言うけど、それは教授エゴ押し付けだ。大学にはもちろん研究目的で来ている学生もいれば、就職予備校として活用したい、青春謳歌したいといった目的で来ている学生もいる。全学生共通していることは、学費を納め、正規手続きを行い、大学に在籍していることだ。全学生には4年間を自由に過ごす権利があるため、様々な4年間の過ごし方が認めるべきだ。大学教授は、学問の追求というエゴ研究強要し、この権利侵害しないでほしい。(私は研究する学生否定しているわけではないし、やりたいならやればいいと思っている。)やる気のない学生研究室や教授資源を割くよりもやる気のある学生資源を使ったほうが研究室の利益個人幸せ観点から見ても良いと思う。

また、大学教授は「研究で培った力は、将来社会人になってもきっと役に立つよ」という。本当だろうか。教授に本当に役に立つのか確かめ定量的根拠を示すようお願いしたが出てこない。なぜ定量的根拠を求めたかというと、論文でそれが求められるからだ。論文中で提案する内容を信頼してもらうために、評価実験を行い、定量的裏付けを行う。教授ならそのやり方に従い、根拠を明確に示してほしい。教授人生にとっては研究は役に立ったかもしれないが、学生1人1人の人生にとって役に立つとは限らないのだから無責任なことをいわないでほしい。占い師は客の人生を分かったかのような気で無責任アドバイスをするが、これと同じだと思う。

私は教授に「研究社会人生活でどのように役に立つのか教えてください。」と尋ねたところ、卒業研究で培う「難しい問題について色々と調査を行い、自分の頭で考え、試行錯誤する力」とやらが役に立つらしい。私は難しいスマホゲームクリアすることでも同様に「難しい問題について色々と調査を行い、自分の頭で考え、試行錯誤する力」が培えるのではないか質問したところ誤魔化されてしまった。

大学教授は、大学講義/研究学生の学びのための最良のコンテンツだと勘違いしている。なぜなら現在教授に就いている年代人間学生だった頃は、それらしか学ぶためのものがなかったからだ。今はインターネットを探せば、大学から提供されるものよりも分かりやすものはいくらでもある。社会から隔絶された場所に籠っている教授は極めて視野が狭い。

大学教授勘違いを改め、自身エゴ学生幸せを奪わないでほしい。

かなり伸びてるので追記

スマホゲームの例えは完全に釣りだよ、スマホゲームは解が用意されてる、研究で取り組む問題は解がないってのは納得した。でも解がないからこそ、よりやる気が出ない。解があったほうがモチベわく。

スマホゲームの話とか創作もあるけど大枠本記事の内容は本気でそう思ってる。卒業研究をやらずとも技術職の内定4社からもらった。4社とも時価総額3300億越えw 就活卒業研究については一切問われていないが、そういう人間でも就職できることが社会で起こってる。

・ちな地方旧帝理系です。卒研やらなくても学位もらえる大学あるの初めて知ったわ。看護大学とかじゃないよね

・「卒業研究が課されていない大学学部)に行けばよかったのでは」 こういう意見が多いんだけれど、自分場合研究を実際にやり始めてから、やりたくないと感じたのでこの道を選ぶことはできなかった。

2022-08-15

anond:20220815122814

遡ってみたけど、学問的に確かめられた正しい話、なんて誰も言ってないじゃん

「○○ってよくいうよな」

ひろゆきの真似だ」

「違うが」

経済学とかで正しいのか」

ずれていってる

2022-08-14

学問が嫌なのに大学進学する意味

高卒就職すりゃいいじゃねえか

anond:20220814101805

振る舞いを観察することだって、立派に学問であるし、そもそも脳の機能なんて学問的と言えるほどにはまだ解明できていないでしょう?

脳を構成する神経細胞のれべるでは男女差が無いのは明らかでしょうけど、

脳の本質は、OSみたいなもので、同じハードウィンドウOSマックOSを入れたら全然違うようなもの

それこそ、他人の脳のレプリカを作れるレベルまで脳科学が発達しないと、

本当の意味での脳の男女差なんて解明できないんじゃないかな。

anond:20220814101358

それは学問的ではない。床屋談義であり、アンタみたいなのが好きな口の悪い政治家が愚衆を味方につけるためにときどき講演で口を滑らせた体で使う用法だよ

2022-08-11

anond:20220811175842

学問ことなんか一つも触れてないのに、なに盛大に単語拾って自分お気持ち表明してるの?

コンサルタント

2022-08-09

カルトかどうかを議論するのは意味ない

という合意、いまだに界隈はとれてないのか?

 

カルトってのは、明確な定義学問的な確かな合意もない

なんとな~く「悪い宗教」を示す

もとはマスコミ語だったワードだそうだぞ

 

から、なんとな~く悪くないっぽい、天皇制だのキリスト教だのの宗教のことを

実はカルトであるって言う事はもちろん可能

だって、この世の全てのものには、どこか悪いところがあるから

更に宗教概念を広くとるならば、資本主義人権憲法アイドルファンの集いもぜーんぶある意味宗教であって

まりぜーんぶ、ある意味カルトと言うことが出来る。

 

したがってカルトかどうか、を議論しているあなた方の書きこみは

ぜーんぶ正解であり、ぜーんぶ無意味です。

清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう

前置きの前置き

この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ

前置き

清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口Twitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので

代わりにそれっぽいものを書いてみる練習

具体的には江口先生

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。

続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」を書くかは未定。

まり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが

最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。

とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ


前提

を先に見ていることが前提。

特に江口先生ブログに書かれている5つの定義

説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。



学問の自由辞書定義

まず、清水先生スライド提示するのが

1998年 国際大学協会(IAU)声明学問の自由大学自治社会的責任」による定義です。

学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者教員学生が、倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由

これは明らかに 辞書定義 ですね。

人びとがその言葉をどう使っているか国語辞典の載っているような形で説明している。

そして次に清水先生は、

一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」

「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」

自分言葉でも「学問の自由」を定義します。

世間一般用法という文脈なわけですから、当然、スライド引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、

同じく 辞書定義 が与えられようとしているもの解釈されます

実際に与えられた定義を見てみましょう。

ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります

IAU声明では「外部から圧力」となっているところが、

と非常に具体的な形になっています

世間一般用法として紹介される割には、議論のあり得るところで

「こういうのは多数派も少数派もない、学問独立って話なんですが、多数派から圧力特に抵抗しにくいので」

というふうに説明するほうが世間認識とあっているように思える。

とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部から圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書定義のままだと受け取ることもできる。

学問の自由」の濫用としての「学問の自由侵害」への説得的定義

次に清水先生は「学問の自由」の濫用の話を始めます

ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います

今は、とりあえず定義の話をしましょう。

現代の誰かが主張している「学問の自由侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生定義していると読める箇所を、少し文言修正の上、抜き出します。

見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生ブログで挙がっている

中絶とは、罪のない子供の容赦ない殺人である

中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全外科処置である

などと同じ形式となっている。

ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、

中絶の例ならば、中絶辞書定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、

清水先生は、この文脈での「学問の自由侵害」とは 辞書定義 学問の自由侵害とは全く異なるものだと論じていることです。


(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリック解説なので

批判の要点が掴みたいだけの忙しい人は飛ばしても良い。

どう辛いのかについては、「批判対象曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)


辞書定義明確化定義として使用することを目的とした約定定義へのすり替え

最初の節辞書定義から

これらは学問の自由侵害定義として読むことができるものであり、

先に導入された説得的定義社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。

ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書定義)」学問の自由ではない、という論証。

しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。

先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書定義と認めました。

逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生独自見解です。

すなわち、この時点で辞書定義として導入された学問の自由という概念

学問の自由を〜と私は定義します!」という約定定義へとすり替えられているのです。

一旦まとめると、

「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、

「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的定義の中に紛れこませる(定義すり替え)」

これが清水先生レトリックです。

定義を縦横に駆使するレトリック

付け加えていえば、ここですり替えられた約定定義根拠

学問の自由とは

「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの

という説得的定義の導入も行っています

まさに、

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

のものですね。

じゃあ、5つの分類の最後理論定義はどうか、

憲法23条保障する学問の自由

この一節は憲法学理論を援用しているため、少し強引ですが理論定義を示したものとも言えるでしょう。

実際、この定義根拠に「学問の自由侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し

これは日本国憲法保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。

否定しています

なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、

要は憲法学理論憲法原則としては国家権力監督するものであり、私人間効力の議論私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。

権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、

そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。

批判対象曖昧さ、具体性の欠如

ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、

正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で

直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります

ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。


清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、

書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、

Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。

ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセルカルチャー」の事例が話されているのですが

これも抽象的な定義操作時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。

詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、

これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」に譲り、

記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります

議論余地はない」ほど明らかなものだけ議論される

清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、

とりあえずここは論点にせず、清水先生解説をそのまま採用します。

ABORの主張は、

ナチス政治哲学擁護であるとか、あるいは進化論否定であるとか、 そういうもの学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」

「実際にそういうような授業になっているかどうかを、 授業内容を調査する仕組みっていうのを大学は作るべき」

学問の自由とはそういった環境で成立する。

ぶっとんでますよね。これ肯定する自由主義者いるんですか?

ナチス肯定論文を学問の自由擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?

しろ、何が相手だろうと自由である肯定する、過激自由論者ほど否定する内容です。

大学ナチス擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか

まとめると、

最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論余地のないことしか言っていません。

じゃあなんで議論になるのか。

清水先生立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が

ある意味辞書定義のように暗黙に共有されているからです。

千田有紀と呉座勇一

清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります

このちょうどいい2人については講演では全く触れない。

特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、

ちょっとからない」「詳しくない」「法律専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」

との返事。

「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。

訴訟原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば

この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。


たこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。

理論物理学者の性暴力学問の自由擁護することはできない」

何を当たり前の話をしているのでしょうか。関係ありますか?

せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラパワハラを長年犯してきた超一流哲学者大学から追放されたことを、学問の自由擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。

まとめ

文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しかさない。

それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書定義には触れないで、

何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。

暗黙の辞書定義説得的定義の関連は、聴衆が勝手勘違いしてくれることに任せる。

これが、学問の自由についての、清水先生の講演の構造です。

2022-08-08

anond:20220808184847

精神的苦痛ことな精神修養と環境の変化で解決できる。ただ学問に割く時間先生が要る。

肉体的な苦痛はどうにもならないので環境を変えるしかない。

この世界すべてが嫌いなら死んだほうがいい。誰のことも何のことも愛してないなら地球はただの岩石。

anond:20220807125854

でも統一教会信者からゼニをすいあげてフェミニズム学問含め)をキャンセルしてた構造があったわけでしょ。

ゼニで=商売できんようにしていやがらせしたろ!っていうのを全部冷笑系さんが放置してたからこういう清貧円安貧乏人国の日本ができあがっちゃったんだよね。

anond:20220808130018

高い知性のある人はジェンダー学なんていう反知性学問に進まないんだなこれが

2022-08-07

anond:20220806190110

清水晶子「学問の自由は守られるべきであり、学問へのキャンセルカルチャーは到底受け入れられない」

2022-08-06

ソフトウェアって工学なの?

工学って

基礎科学である数学化学物理学などを工業生産に応用する学問

ということでしょ?

ソフトウェアの開発・管理・維持、ぶっちゃけプログラムを書いたり直したりで数学化学物理学知識なんて不要じゃん。

てか、アルゴリズムデータ構造の何がどう、基礎科学の専門知識関係するのか全くわからん

少なくともメカ(古典力学)やエレキ(電磁気学)ほどには基礎科学ナレッジは要らんでしょ。

実際高校までの「情報」の授業、あれって「理科」や「数学」に含まれるんだっけ?

よく

エンジニアは多岐にわたるんだからITについての話なら『エンジニア』ではなく『ITエンジニア』と書け」

という論調を見かけるけど、むしろ

IT従事者ごときエンジニアを名乗るな」

と言いたいんだが。

ネトウヨ日本が好きなだけ」←いや、その「好きなだけ」が問題なんだろ

日本が好きなだけ」という空っぽ感情しか物事を見ないからまともに歴史を学ぼうともしないし、素朴な愛国心冷水を浴びせる学問を敵視する。

そして挙句の果てには愛国者を装って耳心地のいいストーリー提供してくれるカルトとズブズブの政治家自覚もないままに扇動されてしまう。

これが「日本が好きなだけ」の人間の成れの果てなわけです。

宗教についてムダな議論を避けたいなら100時間は本を読むべき

日本人であれば、

・最低でも仏教について50時間キリスト教について30時間は本を読むべきである

・残りの20時間自分が気に入った哲学なり倫理の本を読めばいい。共産主義の本でもOKアンチテーゼになる)

・ビジュルアル付きの入門書から始め、歴史的名著を最低20冊は読むこと

・ただし、戦後新興宗教の本は絶対に読まないこと

たったこれだけで驚くほど宗教観が変わる。

まり100時間人間歴史を学ぶということである

50時間かけて仏教の基本を知ったら、あとは自然に他の学問への目が行く。

武士道だとか神道だとか、日本人のあらゆる精神への理解が深まる。

キリスト教勉強重要で、世界に目を向けるために必要である

トータル100時間でムダな議論を避けられ、人生の観方が好転するであれば、とてもコスパがいい。

100時間を惜しむと、政治ツールとしての新興宗教ばかりに目がいき、現象論で終わる。

なぜならそれしか知らないかである

若い人には「盲信の対象」ではなく、「教養としての宗教」としての付き合い方を強くお勧めする。

2022-08-05

anond:20220805233553

分数の復習とかやってるレベル大学じゃない限り、専門科目の講義内容なんて東大だろうとどこだろうと同じだろ。学問ごとに学ぶべきことなんて決まってるんだから

まあ、ジョーホーケーみたいに地頭だけで俺の考えた最強のニューラルネットワークでSoTA出せば論文ポンな分野は、講義内容とかどうでもよくてクラスプロジェクトでサクッと論文出しちゃう経験でチギるのが重要という意味東大が強いとかあるだろうけどなあ。

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part6 〜質疑応答

前置き

音声の品質が悪く、ところどころうまく聞き取れなかったところがあった。その箇所は●●●と表記した。

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー 」Part6 〜質疑応答

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=9613s

2:40:13~2:45:40


私いくつか頂いていて割とまとまらないというか散発的な感じなので、すごく短くお答えしたいと思います

最初に「日本政府ジェンダーバッシングの背景に宗教団体ロビー活動がありますか」ということなんですけど、

これはあります。詳しいことは、っていうかご存知の方はご存知だと思いますけど、

先週末かな、にモンタナ山口さんと富山斉藤さんが、これ出していいのかな、

どっかで、延々と何か全部で見ると4時間か何かの番組お話になっているので、そちらを見ていただければいいと思うんですが、

ジェンダーバッシングの背景に宗教団体は確実にあります統一教会ちょっと新しくって、

もともとあったのは、どちらかというと日本会議系だったりとか、そっちにいたんですけれども、

仏教団体とか神道団体ですが、あるということですね。


それと関係して「今日出てきたABORの背後に●●●主義がありますか」ということですが、

ちょっとそこはわからないです、ぱっと見はないですが、

ただ問題はいろんな議論が直接、原理主義とか宗教から出てきているかどうかではなくて、

そういうところと結びつくようになってきている、ていうところのほうがジェンダー系では大きな問題だ、

ということはお伝えしておきたいなと思います


次ですが、

フェミ科研裁判と同じく京都地裁係争中の呉座勇一さんも学問の自由●●●を求める裁判をされています」ということなんですが、

ちょっとよくわからないんですが、これ詳しくないんですが、

私は呉座さんの裁判労働争議だと思っているので、学問の自由ではないんじゃないかなぁと思います

ちょっとわかんないんですけど私も、きちんと法律専門家じゃないので、

他の●●●の裁判をはっきりきちんと見ているわけではないんですが、労働争議ということではないかなというふうに思ってはいます

学問の自由っていうのは、研究者だったら何を言っても大丈夫ということではなくて、例えばある人が、

この場合は「女性蔑視問題になっていますが、学問の自由は守られるべきだと思われますか」っていうのがあるんですが、

ここすごく大事なところなんですけど、

ある研究者女性蔑視発言をしたから、その発言

あるいは非常に女性蔑視的であったりとか、

あるいはそれを超えて性暴力に至るようなことがあったりとかていうときに、

それは当然、性暴力って考えたらわかると思うんですけど、学問の自由では守られないです。

学問の自由っていうのは、保障するのはあるその研究者が、

今言ったような、今おっしゃていただけたような、あるコミュニティの中の、学問コミュニティの中の手続きであるとか、

そこで積み重ねられてきた知見に則って、どういうような議論するか何を考えるか、

ということに関してはそれは自由だということなんですね。

それの外には学問の自由というのは別に適用されないので、

例えばすごく離れた領域っていうのを考えてみると、何でもいいんですけど、理論物理学研究者がいて、

その研究者が非常に女性差別的なあるいは人種差別的なことを言ってそれが問題になった。

「いや学問の自由だよ」と言われたら学問の自由じゃないんですよ。

その人が女性差別的なことに言ったりとか人種差別的なことを言ったりとかっていうのは、

それは学問とは全く関係ないということなので、それは学問の自由では守られない。

そこら辺ちょっと、この件がそうだということではないんですが、

学問の自由っていうのが適用されるのは、そういう意味では結構狭いことになるので、

こはちょっと注意したほうがいいんじゃないかなというふうには思いました。


次なんですが、「キャンセルカルチャーという言葉を初めて聞いたんですが」、

何か今回のフェミ科研裁判とどう関係があるのかというご質問かなと思ったんですが、

一つは●●●さんもおっしゃってくださったように基本的には、その今●●●さんがおっしゃったこととも関係するんですが、

学問の自由ということ自体がそんなに、

今回はすごく大事なんですね、この文脈では学問の自由は非常に大事なんですが、

学問の自由っていうのをとりあえず出しておけばいいということではなくて、

一体学問の自由っていうのが何を守ろうとしているのかとか、どういうふうに使われようとしているのかとかていうのを、

1回1回読み解いていく必要がある。

それを忘れて学問の自由なんだよという話をしていると結構足を掬われるって話を、

から実際に英語圏ではそれで足を掬われてきている。

日本語圏はそもそもさっき「学問と見られていない」とおっしゃっていたのは、ほんとそのとおりだと思うんですけど、

そもそも日本語圏では学問の自由以前に、例えばジェンダーとかセクシュアリティとかそういう問題に関しては、

気にしようとも思っていない人たちが圧倒的に多いんですけど、でもその人たちが「気にしたほうがいいよ」って言われた瞬間に、

学問の自由」って言い出す可能性は逆に言うとめちゃくちゃ高いと私は思っていて、すでに言い出している人たちはいっぱいいます

なのでそこはやっぱり気を付けた方がいいよね、っていうふうに私は思いますし、

そのことっていうのは、例えば今回この学問の自由大事だっていうのと、

それからある特定の別の学問の自由の使われ方に問題があるっていうのを、

同じ地平の上で、だけど、こっちは大事でこっちはまずいということを言えるような、

私たちが言説上の力をつけておかないと、ふらふらと引っ張られる可能性があって、それは非常に危険だってふうに思ってます

編集後記

つの講演に対し、知る限りこの増田を含め三つの文字起こしが乱立している。

先行文字起こしが二つがあるなか、あえてもう一つを公開したのは以下の理由のためである

なお、作業自体は滝本の文字起こしの公開前、Togetterまとめの文字起こしが中途で止まっている時から始めていた。

8/7追記

石畑隆氏版文字起こしhttps://note.com/philo_radi/n/ne2da785c938c)が加わって乱立四つとなった。

質疑応答部がなく、またここではカットしたフィラーや言い誤りの訂正等も比較再現されている。

小見出しを適宜挟んでいるところはここと近い。

公開先のnote組版の方がはてな匿名ダイアリーより読みやすい人はいるかもしれない。

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