はてなキーワード: ジョエルとは
語り尽くされていると思うのでゆるく。
おっさんと少女のロードムービーですが、おっさんは過去に子供をなくしており、少女も周囲の人を全て無くしています。この状態に導いたのはなんとキノコ。煙さんが吐くアレです。ともかく街中がキノコ人間だらけになっている。そして例によってキノコに噛まれるとゾンビゲーのようにキノコ人間に早変わり。なのでこの二人の過去は結構悲惨だったんですね。キノコに違いない! と早合点した兵士(というかその上司)におっさんの娘は殺されます(この娘はスタート時のプレイアブルキャラで、伏線化するのかと思ったら写真以外に全く登場せず終わります)。
で、その悲惨な状態に希望の光が灯されます。なんとおっさんが知り合った少女は抗体の持ち主だというのです。おっさんは運び屋としてサイコな知り合いたちとやんちゃをやらかしながら旅を続けます。途中トラップを仕掛けまくるシャイニングのジャック・ニコルソンばりの禿げ上がった人や、ラッパーっぽい兄ちゃんたちと殺し合ったりもします。なぜかといえば、抗体を持つ少女を医療機関へと預けるためです。お届け先は荒廃前の世界で政府に敵対していた『ファイア・フライ』と呼ばれる連中でした。
ところがだんだんおっさんは命を守りたいがあまりに殺人鬼化してゆきます。言ってしまえばシェイクスピアとかそういう歌舞劇のテーマにある葛藤劇の一種と言えるでしょう。一体何が正しくて何が悪いのかという疑問を常にプレイヤーへと投げかけるわけです。例えば一番安らぐキリンさんのシーン。これは途中で人間がいない都市部で、すっかり緑地化した中心地にてキリンが草をはむというものです。人間がいないからこそ楽園のような光景が繰り広げられるという、チェルノブイリ原発の赤い森をモチーフにした名シーンと言えましょう。こうしたシーンは常に何かを引き換えに何かを手に入れる、という構造の徹底により表現されます。それはゲーム内の1エピソードである鹿肉の取引一つにおいても、車を入手する際の貸し借りに関しても理解されることです。主人公のおっさんは中盤の後半付近で「生きるためには殺さなくてはならない」と述べます。このような出来事から、「何かを得るためには、引き換えに何かを捨てる」といったテーマが浮かび上がります。この何かをするための対価が強くメッセージとして打ち出される理由は、荒廃後の世界で貨幣に変わる価値があるとすればなにか、という疑問が制作側にあったと仮定できます。この仮定に寄って立つならば、それはもう一つのテーマである命の軽重にかかってくると思うわけです。つまり暗に「金なき世界で命より重いものがあるとしてそれはなにか」、あるいは、「命が最も重たいはずなのに殺し合っている」、というメッセージ性を背負っていることになります。そして作中で命は安易に取引材料として扱われます。アメリカを代表とした世界荒廃物語ブーム(ポストアポカリプスでしたっけ)は結局金に疑問を持つアメリカ人がユートピアどころか、カタルシスであるディストピアを夢見ているようにすら思えて来ます。もっとも今作に限っていえば、だいぶ警句的な気もしますが。
ゲームラスト数分になると、少女の中にいる菌が抗体によって抑えられているのではなく、共存していることが知らされます。この菌糸の絡まった脳によって世界中の人々を治療する因子となるか、少女を殺さずに人類を見捨てるか、という選択を迫られたジョエルは少女エリーを救い出します。仕組みとしては菌類が発生させる電子連絡手段、クオルモンをヒントにしているはずです。この少女の脳という仕組み自体がそもそも共存というテーマで締めくくられており、実は上記で述べた「取捨選択」の答えは小さな少女が持っている、というラストになっています。
そして頭蓋を開ける行為はパンドラの箱を連想させます。やや飛躍しますが、彼女がパンドラのツボ(本来は箱ではなくツボ)であったと仮定した場合、災厄の中心にいる女という役割をきっちり演じきっていることになります。生い立ちは不幸で、彼女自身も自分の身の回りの人間はみな死んだと告白します。そして彼女のせいでホスピスのファイアフライは結果的に大量殺害されました。彼女は災厄と幸福の鍵を脳内というツボに温存しており、全人類にとっては全く救いにならない生き方をジョエルにより強制させられてしまいます。もっともジョエルにとっては娘と重なる彼女こそ救いそのものであり、エリーにしてみればジョエルは自らを許容し、許す存在であったに違いありません。事実、ラストでこの裏付けは取れます。つまり二人の間には共存というよりむしろ共依存関係が存在していることになります。
共依存関係の裏側は「弱さ」です。そういえばファイアスフライの女リーダーも疲れ切ったという手記を残し、打算的にエリーを殺そうとしました。ジョエルの弟も当初は保身のあまりエリーを届けようとはしません。モブの連中は自分たちが生きるために他人の犠牲など問わない生き方をします。全て各人の弱さからもたらされた結果であり、一種超人的な人間であるジョエルもまた、娘を失った空疎な記憶から立ち直ることができません。
ドラマでもいいです個人的には。洋ドラでもまあいいかなという。
ゲーム性としては一本道かつクローズドワールドのステルス&シューターですから、プレイ感は他ゲーと似た感じにはなります。
難易度中は同タイプのゲームを基準にすると難易度イージーくらいなので、撃ちもの苦手でもどうにかなるかと。
序盤はおっさんを隠して仲間に撃たせて弾丸節約もできますし、おっさんの殴りが強いので、殴り続けてるだけでも中盤まで進めることができます。多分映画のようなストーリーに没入できればいいと考えてるからこそこの難易度なんだろうな、という印象ですかね。
サバイバルモードでは緊張感が上がった、もはや別ゲーという声もあるそうですが、ハードモードってもともとそんなもんかと思います。
アメリカでゾンビ菌のキノコ?みたいなやつで大量感染が発生した
全人類もかなり市にまくった
免疫がある女の子をしかるべき研究機関につれてくことになって旅が始まる
研究機関では免疫を取り出すには女の子を殺す必要があるということになり、
女の子はもともと覚悟はしてたから素直に麻酔かけられて殺される覚悟で手術台に寝てる
でもおっさんは世界よりも女の子を選んで、無理やり女の子を助け出した
目覚めた女の子に対しておっさんは、実は免疫ある子がたくさんいた・免疫の研究はとりやめになったと言うが、
女の子はそれが嘘だとわかっている
でも助けられたおっさんの気持ちもわかってるつもりだったから、再度、問いただした
それは本当だと誓えるか?
って
でも女の子は、おっさんの気持ちもわかるから一概に非難したりもできないし、非難したとしてももう何もかもが遅すぎるので何も言わない
ただ落胆した表情を見せるだけ
ここにおっさんと女の子の旅と、おっさんと女の子の絆という信頼の物語は終わった
敵が固すぎる
市にまくる
ちょっとのムービーを見るために何度も死にながらそこまで進む、という感じ
難易度簡単にしても鉄砲うちまくったりできないし、敵は弱くならないからしんどい
適当に都合よく進みすぎる
れんがとビンが落ちていすぎ
一番かわいくて印象に残ってるモーションは、手を上げたよりも少し高い高さのシャッターを閉めるためにぴょんってジャンプして着地の勢いでシャッターをしめるところ
いろいろ会話シーンがあったらしいけどそれがどこで発生するかがかなりわかりづらかったから、ゲームに必死になってる自分はあんまり見つけられなかった
もともと娘いたのに娘と重ねてもっと優しくしそうなもんだけどな・・・
エリーとの二人旅っつってもエリーに銃弾あたったりとかゾンビにかまれたりとかほとんどきにしなくていいからシングルプレイとほとんどかわらなかった
ICOとかワンダ、トリコをやったあとだと、これを二人の旅というにはちょっと足りないと思った
ロリコンホイホイゲーだった
とゆーか娘との二人旅だと思ってたし・・・
追加ストーリーはまさかのエリーがキマシタワーだったからサプライズだった
はい、流行りの診断名がつけられただけのよくいるタイプですね。
20〜30年前だったらそのころ流行していた境界性パーソナリティ障害の診断名がつけられていたでしょう。
発達障害と診断された人(とくに知的障害を伴わない、成人になって初めて診断された軽症例)がなんか勘違いしてるのはそこね。
発達障害自体は存在するけど、実はお前が発達障害だとは限らない。
なぜならバイオマーカーが存在せず、医師はお前の主観まみれの症状報告と生育歴の聴取に頼って診断しているから。
これも勘違いしてる人が多いけど、ナンタラ検査だのWISCだのWAISだので発達障害は診断できません。
そして発達障害と似たような症状が発現する精神疾患は多数あり、いずれも鑑別が難しい。
とりあえず、アホみたいなレッテルを自分に貼り付けて絶望するくらいなら、まずはアレン・フランセスの本、次にジョエル・パリスの本くらいは読みましょ。
【追記を読んで】
「ガイジ」ってネットスラングではあるけど、もともとは知的障害を持つ子どもを揶揄する言葉だよね。
「勉強だけはできた」人間が自称するのに使用する言葉じゃねえだろ。
あとお前、病名間違ってるよ。
「自閉スペクトラム症」か「自閉症スペクトラム障害」だから。
【ブコメへ】
ADHDには部分寛解という概念があります。現れている症状は固定されたものではなく変化します。
状態像は変化するということを踏まえて、最近の診断基準からは不注意優勢型などのサブタイプが削除されていて、代わりに直近6ヶ月間ではどのような状態に近かったのかを特定する形になっています。
元増田は薬を飲んだら日常生活に支障がないくらい症状がおさまった、と言っているのでは。
「2級相当は社会に出られない程度」というのも勘違いされているように思います。
「社会に出られない程度」の社会が具体的に何を指すのかがいまいち分からないのですが、3級でも働けない人はたくさんいますし、2級でも働いている人はいます。
自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー
できる人ばかり辞めていく会社が研修費用を出すようになったら、さらに退職が加速したというお話「人事に聞かせたい」 - Togetterまとめ
「従業員にトレーニングをして、よそへ行ってしまったらどうするのか」という疑問に対するStanger氏の答えは、「従業員にトレーニングをしないで、彼らが会社にとどまってしまったらどうするのか」ということになる。
従業員の才能を爆発させるには「会社に人を長く留める」戦略を捨てる必要がある
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/gigazine.net/news/20171005-superboss/
「弱いつながり」理論でいうと、SNSでつながる友だちは、それこそFacebookの友だちが3,000人規模で、国内のスタートアップの経営者なら、たいていの人に直接または1hopでつながることができる。
ttps://s.nikkei.com/2vJsvYx
優れたマネージャーは自分より高い給与をもらう可能性のあるポテンシャルの高い部下を喜んで雇う
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/www.masafumiotsuka.com/2015/11/the_peter_principle.html
人材は会社の資産として残らないが仕組みは会社の資産として永遠に残る
ttps://www.amazon.co.jp/dp/B010JM64M6/
ttps://employment.en-japan.com/engineerhub/entry/2019/11/07/103000
ttps://www.slideshare.net/yattom/ss-79372905
ttps://tinyurl.com/y8tkhuhz
ttps://bit.ly/2MylBjs
"競争優位につながるような戦略的なソフトを開発しようとするなら内製しかない。"
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4822273784
ttps://medium.com/@kuranuki/aac6062adfb2
どの部分を汎用的につくり、どの部分をやっつけで作るか、そして、どの部分をパフォーマンス優先でつくり、どの部分を可読性優先でつくるか
(中略)
ソフトウェア開発とは、経営的意思決定の集積なのだから、経営的意思決定を外部の会社に委託するというのは、「経営を外部の会社にやってもらうようなもの」だからだ。
もっと言うなら、自分の会社の今後のビジネス的ポジションを、他社に決めてもらうようなものだからだ。
外注を出された会社は、そのソフトウェアが未来に実現するであろうビジネス的価値を犠牲にして、できるだけ少ないコストで作ろうとする。
ttp://fromdusktildawn.hatenadiary.jp/entry/20061003/1159869683
ttps://bit.ly/2JzCggZ
「ソフトウェア業界(特に受託開発業界)は、基本的に正直者が馬鹿を見る世界である。顧客が、保守性というソフトウェアの最も重要な品質を正しく評価できないという、情報の非対称性が存在するからだ」/分かるなぁ
「モダンな開発環境×技術顧問×内製化」Sansan×日経電子版 アプリ開発の最前線を語る夜
ボタンを1つ追加するだけで2週間。内製化によるスピードアップは必須だった。
「アプリ内にボタンを1つ追加するだけで、2週間の開発期間と、数十万円のコストが発生していました。それでは急な仕様変更に対応できないし、技術ノウハウも貯まらない。」
ネットサービスの肝は、開発にかける額の多寡というよりは、内製化するかどうかにあると思っています。
ローンチした後、そこからの追加・改善はものすごいスピードでやらなくちゃいけない。これは、内製体制でないと絶対に不可能です。
2017年1月、ネット証券大手のマネックス証券は証券基幹システムを刷新した。
お客様へ提供するサービスの開発スピード向上と、ノウハウの社内蓄積、開発コストの適正化を目的に、
(中略)
サービスの改善や新サービスの開発時に、ASPサービスの提供会社との会議に費やしていた時間を削減し開発のスピードアップを図ることで、競合他社への競争力を強化したいと考えました。
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/s/quality-start.in/it-strategy/467
ttps://twitter.com/kanayang2009/status/129677947572465666
ttps://amzn.to/2ncDXrO
だから育てるんだ。
ABテスト デザイン OR ボタン OR 文言 - Twitter検索
外注でもA/Bテストでユーザの反応を計測してトライ・アンド・エラーでシステム開発ってできるもんなんだろうか。
できるとして、それって内製化した方がずっとクオリティ高くなるんじゃないの?
ttps://twitter.com/fromdusktildawn/status/874796380522336256
「外部委託すると細かい継続的な機能の改善が遅くなるので、自社採用でかなり優秀な人材をケチらずに採るべきだね。なかなか見つからなくても妥協せずに」ホリエモン
ttps://bit.ly/2QWMsoJ
外注はPDCAを回せないという致命的な欠点がある。ITスタートアップの感覚だと外注と内製には天と地ほどの差がある
ttps://bit.ly/2J5UCWQ
銀の弾丸ではないがリーンな開発は競争力の源泉。そのためにはPMFをコントロールできる開発チームが必須でそれは内製でしか達成困難。
ttps://bit.ly/2vkDd8E
正解に当たるまで回し続ける!3ヶ月で200回のA/Bテストから得た「意外な結果」とは
弊社のイベント一覧のページなのですが、単なるテキストの羅列のパターンと、リッチなレイアウトのものでテストすると、いつも必ずテキストの方が勝ちます。
海外テック情報局:eBayではダサいデザインのほうがコンバージョン率が高かった|gihyo.jp … 技術評論社
デザイナと口論したいのではなく,見たいのは数字とお客さんの利用例。
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選択の科学 24種類のジャムを売り場に並べたときと、6種類のジャムを売り場に並べたときでは、前者は、後者の売り上げの10分の1しかなかったのです。
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エンジニアでないファウンダーは最大一人まででお願いします | On Off and Beyond
理由1:変更につぐ変更を重ねられるようにする
最近 lean startup なる考え方がはやってますが、これはどういうことかというと、
東大合格者ランキングは正しいのか?――常に分母は何かを考えよ
何事にも閾値はある。そこに至らなければ、意味がないという数字だ。
「頭のいい人が成功しない理由」という本に、閾値の話があった。
だれもが中途半端にやめてしまう。それでは足りない。閾値を越えない。
ttps://ameblo.jp/chimu841/entry-10036171360.html
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①内製
②外注
フラクタルなレモン市場問題|建築不動産クラスタ交流会の件その1
ttp://realtor-readyabooks.hatenablog.com/entry/20100515/1273919457
ttp://ledsun.hatenablog.com/entry/2016/02/28/014851
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/情報の非対称性
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/逆選抜
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/取引コスト
「探索コスト」
時給制(時間を売る)が生産効率低いのって自明だよなぁ・・相当ボランティア精神ないと時給制で効率よくやろうって気持ちにならないよね
でも拘束時間で金額を決めてしまっては効率化を目指さなくなるんじゃないか
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/194800390/comment/redhornet96
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/etomiho/status/872820182883762176
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/etomiho/status/872822997106565120
ttp://getlife.hateblo.jp/entry/2013/09/10/015011
見積もりが人日で工数を計算していると、実際にはそれよりも短期間で実装できても見積もり日数になるまで納品を待ったりすることはある。
納期よりもかなり早い段階で実際には完成しているにも関わらず、
エージェントが利益相反行動をしていないかどうか監視するためのコスト。
自身の行動がプリンシバルの利益追求にかなっていることを証明するために
ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212240292
ttps://twitter.com/search?q=rails%E3%80%80%E9%A1%A7%E5%95%8F
「顧問プログラマ」再考 - Rails 雑感 - Ruby on Rails with OIAX
ttps://www.oiax.jp/rails/zakkan/rethinking_of_adviser_programmer.html
ITエンジニア採用に欠かせない原則とは (1/5):IT人材ラボ
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/s/itjinzai-lab.jp/article/detail/856
ttps://www.slideshare.net/fukumura1/fukuokarubykaigi-medpeer-ver1
【256人がリモートワークで回る仕組みを考える】後編
ttps://www.remotework-labo.jp/2015/10/interview_10/
メジャーリーグのワールドシリーズがついに始まりましたね。そこで、5日ほど前のものですが、アメリカ3大ネットワークの1つNBCによる上原の記事を翻訳してみました。誤訳があったらご指摘ください。
ウエハラ・フェノメノン
http://hardballtalk.nbcsports.com/2013/10/18/the-uehara-phenomenon/
さて、君もおそらく、今年のボストン(レッドソックス)の上原浩治が、野球史上の全投手と比べて、最も塁に出るのが難しい投手だったということをご存知だろう。それはとてもいいことだ。ここにWHIP(1イニングあたりの被安打と与四球の合計。少ないほど出塁されていない)の歴代トップ10、少なくとも50イニング以上を投げた投手のリストがある。
2. デニス・エカーズリー, 1989年, 0.607
3. デニス・エカーズリー, 1990年, 0.614
8. J.J.プッツ, 2007年, 0.698
興味深い小ネタを2つほど――リストの11位はまたも上原で、2011年のことだ。12位は? ペドロ(ペドロ・マルチネス)だ。それは2000年のことで、WHIPは0.737であった。彼がほかの選手の3倍のイニングを投げたことを考えると(訳注:ペドロ・マルチネスは先発投手)、彼の三振四球比(K/BB)が284割る……まあ、多くの人々が、ペドロの2000年のシーズンこそ野球史上で最高のシーズンであったと信じるのも、驚きではないだろう。
とにかく、トップ10を見れば君も気づくだろう……クローザー(抑え投手)だ。いや、そのうちの2人――ベノワとメレディス――はセットアップマン(セットアッパー、中抑え)だが、残りは全てクローザーである。歴代のWHIPトップ10のうち8人がクローザーだという事実は「9回はアウトを奪うのが最も難しいイニングだ」という神話に小さな短剣を投げつけるかも知れない。だが、今日のポイントはそこではない。我々が焦点を絞っているのは上原だ。
上原がキャリアをスタートさせたのは日本である――大阪大学(訳注:大阪体育大学の誤り)を出て、ドラフト1位で指名されたのだ。上原は1年目に20勝を挙げて、読売ジャイアンツの先発投手として活躍。また、オリンピックやWBCなどでは、日本代表の先発投手としてめざましい活躍を遂げた。2007年、32歳のときに、上原は読売のクローザーになり、そこでも周囲を圧倒した。2008年のシーズン終了後、上原は先発投手としてボルチモア・オリオールズと契約する。(しかし2009年)彼はもがき苦しんだ。彼は故障した。翌年、オリオールズは上原をブルペンに送った(リリーフに転向させた)。上原は驚くべきコントロールを見せ(44イニングで与四球は5個)、いくつかの試合では実際にボルチモアのクローザーもつとめた。だが、誰も彼に熱狂することはなかった。
そして2011年、当時は誰も驚異とは考えなかった驚異のトレードが行われることになる。
オリオールズは上原と幾ばくかの金銭をテキサス・レンジャーズに送った。レンジャーズはトミー・ハンターという悩める先発投手と、クリス・デービスというマイナーリーグの一塁手を送り返したのである。
私は、彼らが言うことも正しいと思う。将来の50本塁打男(訳注:デービスは今年のアメリカンリーグ本塁打王・打点王)と、年間WHIPの史上最少記録保持投手を、小さなトレードが生むことになるなんて知るよしもない。OK、それがことわざだかどうかは分からない(訳注:ここら辺ちょっと自信なし)。上原はレンジャーズでいい投球をしたが、怪我なしで居続けることはできなかった。テキサスでのWHIPは驚天動地の0.685。純粋に安打を打たれなかったし、四球も出さなかった。だが、1年半でたった54イニングしか投げなかった。そしてともかく、ただ1つ、誰もが本当に注目したのは、上原が2011年のポストシーズンの3試合で苦しんだということだった。それはおおむね1試合のことだ。2011年の地区シリーズ、タンパベイ(レイズ)との一戦で、上原は7対3でリードする7回に登板。すぐさまデズモンド・ジェニングスに四球を与えると、B.J.アップトンにライナー性の安打を打たれ、エバン・ロンゴリアに本塁打を打たれた。そして降板させられた。
上原はまた、デトロイト(タイガース)とのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズにおける、次の二度の出番でも失点を許した。しかし私は、それが酸っぱい後味を残した初めての出番だったのではないかと思う。上原はそれまで、アメリカの野球ファンたちの心に、何一つ印象を残してこなかった。無地のスレート(屋根葺き用の石板)のようなものだったのである。ロンゴリアの惨事のあと、誰もが皆、上原に(悪い)印象を持った。翌年、上原はボルチモア(オリオールズ)とのワイルドカード決定戦に、レンジャーズがすでに3対1で負けている状況で登板。トレード相手のクリス・デービスを三振に仕留めた。アダム・ジョーンズも三振に仕留めた。マット・ウィータースも三振に仕留めた。だが、それは大事な局面ではなかったし、ロンゴリアの記憶を消し去るのに十分ではなかった。
レッドソックスは、425万ドル(約4億2500万円)という以前と同じくらい少額の契約で、上原と1年契約を結んだ(とはいえ、今では2年契約になっている。付与オプションが有効になったからだ。ボストンにとって大変嬉しいことだろう)。上原はクローザーではなく、セットアップマンでもなく、セットアップマンのためのセットアップですらなく、単なるチームの6イニングの選択肢になろうとしていた。レッドソックスの本来のクローザーは剛速球投手のジョエル・ハンラハンであった。ハンラハンは9試合で肘を破裂させ、トミー・ジョン手術を受けた。
そこで全員1つずつ繰り上がった。つまり、今やアンドリュー・ベイリーがクローザーになったということだ。ベイリーはアスレチックスのクローザーとして2009年に新人王を獲得し、翌年もまた周囲を圧倒していたが、その後はあらゆる怪我と辛苦を経験していた。ベイリーはレッドソックスのクローザーを3カ月弱つとめ――そして肩を故障した。6月26日、レッドソックスは上原をクローザーに指名した。
ではここで、上原の残りのシーズン(クローザー指名後)の成績をご紹介していこうと思う。拍手喝采は紹介が終わるまでお待ちいただきたい。
投球回:44 1/3
被安打:14
ふざけてるよな:分かるよ。
失点:3
被本塁打:1
三振:59
与四球:2
待った、今すぐ止めろ:2四球。よく見ろ。
被打率:.094
被長打率:.152
早く言えよ:ちゃんと頼め。
WHIP:0.358
紳士淑女の皆様、ご来場ありがとう。気をつけてお帰りください。
どうやって? OK、これはたった44回1/3でサンプルとして少なすぎるし、クローザーは1試合でたった1イニングしか投げないし……、どうやって?? 上原浩治は剛速球を投げない。Pitch f/xは上原の速球が平均で89.2マイル(143.6キロ)だと示しており、これは彼が日本から来たときとだいたい同じままだ。上原のマネーピッチ(決め球)、スプリットフィンガー・ファーストボールは約81マイル(130.4キロ)。102マイル(164.1キロ)の速球の世界で、一体どうすれば上原は対戦相手に出塁するのが無理だと証明できたのだろうか?
もちろん、コントロールの話から口火を切ることができるだろう。これはマリアノ・リベラの栄光の輝きの中で、常に最も過小評価されてきた部分の1つである――そう、リベラは対戦したみんなのバットをへし折ってきたし、同じ球を繰り返し繰り返し投げ続けてきたが、四球で自滅することはまずあり得なかった。リベラの最高のシーズンはおそらく2008年だ。彼は70回2/3で6人の打者にしか四球を出さなかった。
上原は、大リーグでのキャリアを通じて常に、気が狂うほどコントロールが良かった。2012年のレンジャーズでは、わずか36イニングしか投げなかったが、四球を出したのはたった3人だ。我々は、キンブレルの代名詞である剛速球を投げるようなクローザーと恋に落ちている(訳注:ここら辺自信なし)。しかし、剛速球を投げない代わりに、ピンポイントコントロールと多くの惑わし(投球術)で成功した名クローザーたちは、これまでにも多数――デニス・エカーズリーを筆頭とするが、偉大なるダン・クイゼンベリーとダグ・ジョーンズも含まれる――存在した。上原も明確にそれらを備えている。
2つめはこれだ:上原の投球――特に、ツーシーム・ファーストボールとスプリッター――が非常に鋭く動き、メジャーリーグの打者たちはしばしば当てるのに失敗しているということ。それがストライクゾーン内であったとしても。これは重大だ。大リーグの打者はストライクゾーン内のボールにバットを振るとき、一般に大成功を収めるものである。今年、打者がストライクゾーン内でスイングした上原のボールは、31.1%が空振りだった。これはいうまでもなく球界で最高のパーセンテージだ。
ストライクゾーン内のボールで打者を空振りさせた投手のトップ5は:
2. エルネスト・フリエリ, 26.9%
3. アロルディス・チャップマン, 25.6%
さて、同じトップ5の速球の平均急速は:
ああ、そうだ。君にも違いが分かるだろう。彼らは打者のバットを吹き飛ばす。上原は打者のバットの上下を通り抜けるのだ。上原には、大きく違う方向に動く2つの球種がある。ツーシーム・ファーストボールは右打者に向かって突っ込んでくるかのように見えるし、左打者を引き剥がす――リベラの代名詞カッターの逆バージョンのようなものだ。そして、スプリットフィンガー・ファーストボールはチェンジアップのように機能する傾向がある(速球より8マイル遅い。これは理想的な差に近い)上、遅くになって急降下する。打者の観点からすると、これは見たところ(飛び回る)スズメバチと、地中から現れるゾンビの手に、攻撃されるかすら定かではないまま、草原に踏み入れるようなものらしい。打者はどこを見ればいいのか分からないのだ。
全力の上原を前にしては、今や逃げ場などどこにも存在しないのだ。
特に、上原は今38歳で、レッドソックスは上原をクローザーとする前に2人の男たちを試していたということを考慮すると、これは極めて異例な才能の行列である。ここまでのポストシーズンで上原は7試合に登板し、そのうちの1試合でタンパベイのホセ・ロバトンにサヨナラホームランを許した。ほかには、落ち着く前にタイガースの2人から安打を打たれたが、失点は許さずにイニングを終わらせた。木曜日、上原は1回2/3をパーフェクトに抑えた。
全体として、このポストシーズン、上原は8イニングを投げて安打を4本で抑えた。WHIPは0.500。ここまで、一人の打者にも四球を出していない。
・1990年刊。直訳すれば「豊かさのてこ」だが、内容を勘案して邦訳するなら「技術革新の文明史」かな。日本にはあまり紹介されていないが、著者は経済史分野では世界的に著名な研究者。「THE LEVER OF RICHES」はその代表作で、世界経済史に対する独自の解釈と、包括的なサーベイとしてのまとまりのよさを両立させている名著だ。
・「なぜ近代の技術革新が西洋(特にイギリス)で起こって、他の国々ではなかったのか」がテーマ。この問題を解明するためにまずは過去2500年分の人類の文明史を振り返って検討する。次に、このテーマについて検討する。
・西洋世界の勃興に関しては、様々な人が様々な観点から評論しているが、本書では技術革新というファクターを重視する。なぜならば経済学の研究がしめすように、技術革新こそが経済成長の主たる要因であったからだ。イノベーションは、労働や資本などの具体的な資源制約とは無関係に人々の富を拡大させる「フリーランチ」なのである。
・古代(B.C.500~A.D.500)。ローマ、ギリシャ、ヘレニズム文化の時には革新的な発明はあった。たとえば紀元前に活躍したアレクサンドリアのヘロンは今でいう蒸気機関や自動ドア、自動販売機に近い装置を発明して、オーパーツとすら言われている。しかし、そうした発明の多くは未発達のままにとどまったか、破壊されたか、忘れられた。ローマ人は高度な文明をもっていたと言われるが、その技術はかなり未発達で、革新速度も遅かった。
・中世(A.D.500~1150)。農業面での革新は、農業効率を向上させる重すきと三圃制。エネルギー利用も多様化し、水車や風車も工具の研磨やビール醸造や皮のなめし用などいろんな分野で使われた。11世紀の南イギリスには、50世帯にだいたい1つは水車があったというから驚きだ。馬や船はそれまで戦争の道具としてつかわれていたが、商業目的にも利用されるようになった。そのため蹄などの馬具の改良や積載能力の向上が図られた。
・紙は西暦100年頃に中国で生み出され、イスラム社会には8世紀頃に到来し、西洋にはそのあとに伝わった。時計や冶金などの金属加工技術も、東洋→西洋への技術移転の流れだった。この頃は自らがあみ出した技術というよりも、ローマ期の技術の遺産か、東洋の技術を拝借したもも多かった。ヨーロッパ世界はそうして先進技術を異文明から柔軟に吸収し、それを自己流に応用していた。ヨーロッパの中世は停滞といわれるが、実はその後の技術発展に向けた種まきがされていた時代でもあった。
・近世(1500~1750)。ヨーロッパの技術レベルはだいたい1500年頃に中国など東洋文明圏に追いついた。その後、中国などとの差を徐々に広げていった。この時期のヨーロッパは、若干の航海術の発展と、トマトやポテトなど新たな作物の導入などぐらいで大きな技術革新はなかったが、人々の間で技術進歩の可能性を信じ始めた時代でもあった。(※言っておくとグーテンベルクの活版印刷(1450年)なんかは世界史的にみると革新的ではないから。紙への印刷(木版)は7世紀には中国で始まっていた)
・近世期は技術的ブレークスルーというよりも国民国家の発達が、その後の近代技術革新を準備したことの方が大きかったかもしれない。たとえば今でも有名なリヨンにおけるシルク産業の発展はもともと、ルイ11世がイタリアの専門職をそこに住まわせたことに端を発する。このように各国のトップは次々と、産業振興策を打ち出した。他国から有能な専門職人材を呼び寄せるだけでなく、新しい技術を奨励するため補助金を与えて開発を促し、寡占を奨励した。また特許権の制定もこのころなされた。たとえばイタリアのベニスでは16世紀には特許権がある程度は普及していたと言われる。もちろん、こんな”民間活力”をいかした技術進歩の奨励なんかは、イスラム社会や中国社会では到底考えられないことだった。
・近代(1750~1830)。そんな下敷きをすでにひいていたから、この頃、次々と新たな技術が実用化されたのは自然な流れだった。むしろ、この頃には、まったくのゼロから生まれた技術なんて何一つなかったと言っても言い過ぎではないかもしれない。たとえば、ワットが蒸気機関の発明にはたした役割はせいぜいコスト低減や耐久性向上などの実用的な貢献であって、蒸気機関の元アイデア自体は17世紀ヨーロッパにすでに存在していた。ただ、そうした数々の新技術の卵が社会全体に広まったことに大きな違いがあった。繊維産業で言えば、教科書でも取り上げられているような数々の綿加工技術の機械化による生産性向上はめざましく、イギリスにおける綿布の値段は1780~1850年の間になんと85%もダウンしたという。
・蒸気機関の発展・普及によってその後から熱力学が生まれたようにその頃の技術とは、科学的知見を基礎としたものではなくて、もっぱら経験的にもとづいて進められたものであった。1850年より前は、科学と技術は別の存在だったと言ってよい。1850年以降、科学や数学、物理学が技術分野に本格的に応用され始めた。
・技術革新自体はランダムとも言える現象で、特定の新技術がなぜ他でもない西欧でおこったかを具体的に説明するのは難しいが、どんな条件が西洋近代の飛躍的革新を可能にしたかを検討するのは意味のあることだろう。もちろん「必要は発明の母」なんて諺を持ち出す気はない。当然、革新的技術のニーズはいつでもどこでもあるのであって、要はそのニーズを発明によって掬い上げ、実用技術として広めるのに、何が効いていたのか、である。
・「化石燃料資源の豊富さや、地理的要因」に西欧世界の勃興を求める「環境決定論」はナンセンスだ。たとえば北ヨーロッパはよく雨がふるから水車の技術が発達したという意見がある。しかし、これではなぜ水車がイギリスでよく普及したのにアイルランドではまったく普及しなかったかを説明することはできない。同じようにイギリス国内にあった豊富な石炭資源が産業革命を可能にしたという意見がある。しかし、そもそも石炭資源を上手に利用出来るようになったこと自体が技術革新の果実ではなかったか。この説明は物事の原因と結果を取り違えている。木炭資源の枯渇による価格上昇がイギリスでの石炭利用の革新をもたらしたという議論もある。しかし、木炭から石炭への代替自体は16世紀からすでに模索されており、部分的に成功をおさめていた事実を無視している。第一、その頃の中国だって森林資源は枯渇していたのに石炭利用は19世紀になっても進まなかったではないか。
・「産業革命前の科学技術の発展」を求める意見もある。しかし、前もいった通り(真理や総合的把握を求める)サイエンスと(実用を求める)技術は1850年以前にはほとんど別々のものだった。たとえば製鉄法や食料保存法などの技術は人々がその仕組みを把握するずっと前から使用されていた。発明家に科学の知識はなく、科学者は実用の世界に降りてこなかった。両者の融合が始まったのは1850年ごろからだ。たとえばトマスエジソンは科学的知識がなかったため、自己のインスピレーションを補強するために数学者を雇った。
・むしろ重要なのは、新技術にたいする政治や社会の寛容さ。人々が技術進歩に向けて継続的に取り組めることを社会が担保できているかどうかにある。この意味において、専政的政治制度よりも多元主義的なものの方が好ましい。ダグラスノースの言う所有権の制定も、この意味では一面の真理がある。
・中国と西欧を比較した場合、その差は際立つ。それは、中世まで技術リーダーだった中国が近世になって急速に停滞した理由を説明する。中国はもともと”one-party state”で、技術進歩は漢の時代からほとんど”お上”主導で行われていた。宗の頃は農民の創意工夫活動を促すための金融インセンティブも行われていた。しかしこうした活動は近世頃から弱まっていき、清の時代になってからは中国政府は技術の進歩につながるような政策(度量衡の基準化、商業法、警察、道路)をとりやめてしまった。一方で社会的にも明(14c~17c)代からとくに中央集権的要素を強めていき、多様な民の活力はますます脇に追いやられた。このために中国の歴史には、新たな技術が十分に伝播しなかった例で溢れている。たとえば複数の車輪を搭載した紡ぎ車はカラムシ繊維産業では見られても、それが綿産業に伝播することはなかった。社会構造の上部に官僚があり続けたこともまずかった。成功して裕福になった実業家はだいたい子供を官僚機構に入れたがり、天才やエリートが(一般的にコンサバな立場を好む)官僚機構に吸い込まれていった。
・これに対して欧州はちがった。前述のとおりヨーロッパの技術開発は民間が主であって、政府は従であった。第一、(言語や宗教、生活様式や歴史などいろんな意味で共通点があるにも関わらず)複数の国家が乱立し中国のような中央集権ではなかった。それぞれの国が富を張り合っていたから、結果的に技術の世界でも競争が促された。人の移動も頻繁だった。だから技術の才ある人は、彼の国で抑圧的な政策が取られたら、別の国に移るだけでよく、西欧全体で見たら一つの技術は断絶せずに繋がりを維持することができた。こうした好条件にある社会は西欧を除いて他はなかった。まさしく、世界の技術リーダーになるべくしてなったと言えよう。
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圧縮アルゴリズムそのものを新規に考えたら高校生じゃなくても随分凄いだろ。既存の技術を組み合わせて実装するぐらいなら俺も高校生の頃にやってた。
HDDの中にあるファイルを片っ端から圧縮してみたら平均してPKZipの5%増しぐらいのサイズにはなってた。だから存在価値は無かった。
でもそれ危ないよな。ジョエルのおっさんもこう言ってる。
しかしポインタと再帰の明らかな重要性以上に重要なのは、これらの学習から得られる精神的な柔軟さと、これらを教えている授業からふるい落とされないために必要な精神的態度が、大きなシステムを構築する上で欠かせないということだ。ポインタと再帰には、ある種の推論力、抽象的思考力、そして何よりも問題を同時に複数の抽象レベルで見るという能力が要求される。そしてポインタと再帰を理解できる能力は、優れたプログラマになるための能力と直接的に相関している。
オールJavaのコンピュータサイエンス教程では、こういった概念を扱うための頭の回転の良さを持ち合わせていない学生をふるい落とせない。程度を下げた新しい授業はどうにか切り抜けられるが、Java会計アプリケーション以上に洗練されたプログラムを作れるほどには頭の出来の良くない卒業生たちを、Java 100%スクールが量産しており、その様を私は雇用主として目の当たりにしている。そういう学生はMITの6.001やイェールのCS 323を決して生き抜くことはできない。最近オールJavaになったデューク大や、私と友人がひどい目に合ったCSE121の言語をSchemeとMLからJavaに変えたペンシルベニア大の学位よりも、MITやイェールの学位に重きを置く理由がここにある。優秀な学生でもデューク大やペンシルベニア大を出た人は雇いたくないと言っているのではない。ただ優秀なのが誰なのかを見分けるのがすごく難しいのだ。かつては学生の出来がいいかどうかは、再帰アルゴリズムを数秒で書き出すことができるかとか、連結リストを操作するポインタを使った関数を、ホワイトボードに書くのと同じくらいの早さで実装できるか見れば良かった。しかしJavaスクールの卒業生たちについては、彼らが躓いているのが十分な教育を受けていないためなのか、それとも優れたプログラミング仕事をするために必要な脳の部分を持ち合わせていないためなのか、わからないのだ。ポール・グレアムは彼らをほげプログラマと呼んでいる。