はてなキーワード: ゲシュタルト崩壊とは
最初に提示された情報がそれ以降に提示される情報に対する印象に影響を及ぼす現象。
たとえば「東京の平均気温は50度より高いか?」と訊かれたあと「では平均気温は何度だと思うか?」と訊かれると高めの気温を答えてしまう。
たとえば選挙の事前予想で「A党が劣勢」と報道されるとA党への票が増える。
自発的にやっていることに他人から報酬を与えられるとやる気が低下する現象。
「好きなことを仕事にしてはいけない」などと言われる理由かも。
本人から直接言われるよりも第三者から噂として聞く方が信じてしまいやすい現象。
たとえばAさんから「綺麗だよ」と言われるよりも「Aさんがあなたを綺麗だと言っている」と聞かされるほうが嬉しい。
世界中から強豪を集めて大会を盛り上げようとするほど地元の選手が活躍できなくなる現象。
2013年にウィンブルドンでアンディ・マレーが優勝したのはイギリス人選手としては実に77年ぶりの快挙だった。
自分と同じ意見を持った集団の中に身を置くことにより偏った考えが助長されてしまう現象。
たとえば「青木まりこ現象」など。
カクテルパーティーのように大勢の人が会話している中でも、自分に関する言葉や興味のある言葉は聞き取れる現象。
相手の表情や仕草を真似て接していると相手から好意をもたれやすいという現象。
ある物事を意識した途端にそれに関する情報が目に付くようになる現象。
たとえば知ったばかりの言葉が急に世間でよく使われるようになったように感じたりする。
「見てはいけない」と言われると見たくなる現象。映画『カリギュラ』に由来。
以前に名前を聞いたことがあるというだけで有名人だと錯覚してしまう現象。
気分が良い時には良いことを、気分が悪い時には悪いことを覚えやすい、という現象。
過去に本で読んだり人から聞いたりした話を、まるで自分自身が体験したかの様に思い込んでしまう現象。
動物が周囲の人間の顔色を窺ってその期待に応えるように振る舞う現象。
「計算ができる馬」として有名になったハンスという馬が、実は飼い主や観客の動きを見ていただけだったという出来事に由来。
さっと視線を動かしたとき、その直後に見たものがわずかに止まって見える現象。
たとえば時計を見たときに秒針がなかなか動かないように感じる。
たとえば「捨て猫を助けるヤンキー」など。
何かの形をじっと見ていると、そのうちに「こんな形だっけ?」と元の形が分からなくなってしまう現象。
途中で失敗に気付いても、それまでの投資が無駄になるのが嫌で、やめるにやめられなくなる現象。
たとえば「鉄1kgと綿1kgはどっちが重い?」と言われると「鉄」と答えてしまう。
デパートの上層階の施設を充実させることで、そこに行って帰るまでの「ついで買い」を狙う戦略のこと。
ある情報を隠そうとするほど、その行動によって逆に目立ってしまう現象。
女優のバーバラ・ストライサンドが自宅の映った写真を取り下げさせようと訴訟を起こしたことに由来する。
たとえば赤色で『青』という字が書かれていると意味を把握するのに時間がかかるなど。
蛇に咬まれることはめったにないが一度でも咬まれてしまうと蛇を恐れるようになるということに由来。
信頼できない人から聞いた情報を時間経過と共に信じるようになる現象。
「情報」だけを覚えたまま「信頼できない人から聞いた」ということを忘れてしまうため。
達成できたことよりも達成できなかったことのほうを忘れない現象。
自分の名前や誕生日などにまつわる言葉や数字を無意識に好んでしまう現象。
幸運により金を得ると「無くなってもプラマイゼロ」という心理が働いて金遣いが荒くなってしまう現象。
たとえば予想以上のヒットで儲けた金をハイリスクな投資に突っ込んでしまうなど。
切りの良い数よりも中途半端な数の方が信頼性が高く感じられる現象。
たとえば「100%の人が高く評価した」よりも「99.8%の人が高く評価した」のほうが宣伝効果が上がるなど。
誰にでも当てはまるような曖昧な評価を自分によく当てはまっていると感じてしまう現象。
何かを評価するときにその特徴的な部分に印象が引きずられてしまう現象。
たとえば「身体能力の優れた人は性格も優れているだろう」と思い込んでしまうなど。
たとえば選挙の事前予想で「B党が優勢」と報道されるとB党への票が増える。
たとえば「5000円」と「4980円」とでは後者のほうが実際以上に安く感じられる。
酒に酔うと異性が魅力的に見える現象。
ロボットやCGモデルなどの容貌が人に近づくほど気味が悪く感じられる現象。
あらかじめ聞かされた情報がそのあとに聞かされる情報に影響を与える現象。
たとえば車について雑談した後にしりとりをすると車に関する言葉を思い出しやすくなる。
サッカーのオフサイドの判定などに影響を与えていると言われる。
デパートの地下の施設を充実させることで、そこに行って帰るまでの「ついで買い」を狙う戦略のこと。
その人の性格や特徴、職業まで思い出せるのに名前が思い出せない現象。
「誰かが通報するだろう」「周りの人も何もしていないから」「他人の目が気になる」などの心理の複合。
たとえば医師の期待を感じた患者が、実際にはそうではないのに「病気が良くなった」と報告してしまうなど。
悪い変化が起きていても、それがゆっくりとしたものだと、何もせず受け入れてしまう現象。
個々人は穏健であっても集団で協議を行うと極端な結論になってしまう現象。
積極的になりすぎるのがリスキーシフト、消極的になりすぎるのがコーシャスシフト。
何かのリストの内容を思い出すように言われたとき、手がかりを与えられたほうが逆に思い出しづらくなる現象。
共同作業を行うときに全体の人数が増えるほど一人一人が手抜きをしてしまう現象。
たとえば3人vs3人で綱引きをすると全力を出すのに、10人vs10人のときは無意識に力を抜いてしまう。
「俺はこのチンコの主人たり得るほどの男だろうか(語弊があったら困るが、チンコは別段デカくも太くもない)」
「あの人(男女問わず)は俺より強いから、俺のチンコを真に備え付けるべきはあちらではなかろうか」
「俺はチンコを備え付けるに不適格かもしれない(というかほぼ確実に不適格である)けれど、果たしてマの字を備え付けるに適格かといえば、全くそうではない気がする。何も無いのがベストなのか?」
「内臓を移植するが如く、五体チンコ不満足の人にチンコをあげるチンコドナーってもう世の中にあるのかな?あるなら多少の謝礼をもらったうえでチンコを手放したい」
掲げる人たちにとっちゃ何か意思の元にあるキャッチフレーズなんだろうけど
あまりに当たり前すぎるんだよ
「俺は安倍じゃない!」とか言われても
「当たり前だよ、何言ってんだ。」としか
当たり前過ぎてシュール過ぎてゲシュタルト崩壊して一転して宇宙意志を包括した何かのように思える
少なくとも抗議などと言う単純なものでは計り知れない
全国の安倍さんたちにはきっとそこまで相手にされてないし、相手にするよりはスルーしたい存在だろう
さて、なんだろうな、「I am not ABE」
思いついた人はその時ドヤ顔だったのだろうか
共感して掲げちゃった人はどうやって感銘を受けたのだろうか
もし「I am ABE」と名乗る頭のおかしい信者がいて、それに対抗したのだとしたらそれはわかる
しかしいるのだろうか?自分の事を教祖だと言っちゃうような恐れを知らない信者は
I am not ABE、I am not ABE、I am not ABE…
3回唱えてもやっぱり当たり前だわ、そりゃそうだと言う思いしか湧かない。正直虚しい
逆にI am ABEもやってみようと思ったけどそれは気持ちが悪いのでやめた
本人か全国の安倍さんもしくは阿部さんもしくは阿倍さん以下略しか出来ないわ
誰か知ってる人がいたら教えてほしい
抑圧とは感情を意識外に追い出して押し込めることで誰でもやってるごく自然な行為であり「自我を守るため」という文言で正当化されうるものだが、
その延長なのかどうなのか知らないけど無意識の存在すら抑圧する風潮があるよね。これは百害あって一利なしだから正直やめてほしいんだ。
なるほど無意識の話は何とでも言えるからオカルトや怪しい商法と結びつきやすい。だから無意識の話を持ち出した途端に地獄の業火のごとく怒り狂うのも分からないでもない。
人間簡単にレッテルを貼ってしまうからね。ところで業火と劫火と号火の違い分かる?だけど無意識はれっきとして存在するものであって、君達も意識しなくても自転車に乗れたり心臓が動いたりする。
心臓や自転車のような物理的なものでもそうなんだから、「無意識の思考・感情・イメージ・認識」といった心理的なものだって当然存在するのは分かるよね。
いや当たり前のことだと思うんだけどここから確認しないと存在を認めたくないがあまりに理解すら出来ない人がいるらしいんだ。
例えば、意識的論理的な思考に凝り固まっている人を一蹴するのには「人の顔を見ればその人だと分かるのは何故?」と問うことだ。
昔「人の思考は全て論理的である、一見非論理的に見えても深い理由があってその人なりの論理で考えてるだけなんだ」と主張する人がいた。
そこで僕はこうつけ加えた。「なるほど機械論だね。論理的と言っても意識的論理だけじゃなく無意識的論理も認める立場なわけだ」と。
しかし意識的論理の立場では人の顔の識別が一瞬で行えることをどう説明するんだろう?甚だ困難に思える。
かつての同僚はこう言った。「パターン覚えてるだけっしょ。顔データから検索するだけだから一瞬」と。しかし残念ながら人の顔は角度や表情や体調や老化や化粧で結構変わる。
そんな表記のゆれに即応するにはパターン覚えると言っても単純に顔画像を蓄えてそれと一致しているか否かを見るだけでは不十分である。
顔認知メカニズムの研究はそんな知らないけど聞いた話では人間が写真だけから誰であるか認識すると実生活を模した環境での顔認知よりも正当率がはっきり下がる。
だから精密な判定には文脈からの補完も関与してるという考えが主流になってて写真だけから画像処理で判定するのはある程度以上の正答率になると厳しいのではという意見も出ているらしい。
そういう話を聞いてるとやはり意識だけでそんな複雑な処理が行われてるとは到底思えないよね。カフェにいたから誰々だと思ったなんてほんとにいちいち「意識」してるのか?
ところでこの手の意識の話でよく人々が陥るのが意識と無意識は明確に区別できるとすぐ考えてしまうことだ。よくよく考えてみるとそうではなく「言われてみれば意識してた」ものや「うっすら意識してた」ものや「意識してた気がする」ものがあるだろう。
意識してたかどうかを他者はもちろん本人も明確に知る術は無い。だから「Xに対する意識の意識がないからってXに対する意識がないとは断定できない!」「俺は意識の意識が得意だから実はすべて意識してるんだ!」なんて強弁するのは容易く
それを他者がキッチリ否定するのは極めて困難なんだよね。極端な話「心臓すら自覚がないだけで実は本人が意識して動かしてるんだ。ヨガの達人が心臓を意識して止められる話はあれはもともと心臓も意識で動かすものだからだ」なんて言えるわけ。
こうなってくると意識という言葉がゲシュタルト崩壊してくる。実は意識しててもそれを意識してなければ意識してないと盲信する余地が至るところに存在するし、反対に実は意識してなくてもそれを意識してると主張すれば意識してると強弁する余地が大いにある。
こういうのを数学ではill-definedと言う。定義になってない、定義として不適切ということだ。だから生理学的レベルで厳密な(well-defined)定義ができるようになる時代が待ち遠しいのである。出来たとすればの話だが。
しかしこうも言える。Xに対する意識の意識があればXに対する意識があるのだと。錯覚かもしれないし本人にしか分からないが多分あるのだろうと主観的には明らかになる。
だからたとえ生理学的定義が無理でも人々が意識の意識をより正確にできるようになれば無駄に無意識をブッ叩くことも激減することであろう。悪意でねじまげて主張する人は別としてな。
我々としてはメタ意識の支援ツールやメタ意識を促すカウンセリング的会話術を開発していけば随分と世の中の混乱が解消されるのではないかと思うのである。
★これは血液型が明確に違ってたから「検査しよう」となって発覚したが、血液型に整合性あれば発覚しなかった。
実は、キメラ卵子による叔母姪関係はもっと発生してるのかも。1000組に1例とか。
/“既婚者の墓場 : 出産した子供の血液型が自…” http://htn.to/6Sqm1W
★@m_akasya @moekkoraraberu 親子鑑定は滅多に実施されないから卵子キメラの発現率はわからない。
全ての母子に親子鑑定実施したら、我々の想像以上の高率で卵子キメラは存在してる可能性がある
★卵子キメラと言うのは遺伝学的には「妹の卵子が受精した」となる。
妹だから姉と血液型が同一なケースも多い。又妹だから体質形質もある程度姉に近似。
つまり、妹卵子受精で出生しても、「気付かれない」ケースも相当ある
★「卵子キメラの子供」を見ても、「目元がママ似だし、よく風邪ひくのもママ似ね」てな感じで、
気付かれないケースもあると思う。叔母姪程度には似ているのだから
★極端な話、今隣で寝ている我が家の幼稚園児は、遺伝学的には妻の卵子による子供じゃなく、
今回のキメラ卵子ネタの「怖い」点は、こういう症例が、実は現代人が気付いてないだけで、
★@dekaino 珍しいのかな?
「出産した子供は母親と100%遺伝的に親子だ」と皆思い込んでるから、きちんと親子鑑定する人は少ない。
親子鑑定したら0.1%程度は卵子キメラが存在してる可能性は否定できない
★@06aik0 卵子キメラの発生率は、我々の想像より実は多いのかもしれない。
「血液型に整合性がない」なんてことなければ、親子鑑定はしない。
我々は「知らなかった方が幸せだった事実」を知ってしまったのかもしれない
★@ikoishy 99%の母子は、「母が産んだんだから、遺伝的に母と子に親子関係あるに決まってる」と思いこんで親子鑑定なんてしない。
自分は案外、キメラ卵子の受精出産は「想像以上に発生してる、我々がそんなことない、と思い込んでるだけ」と言う気がする
★@ikoishy 非常に失礼な話だが、貴方自身、貴方のお母様の「遺伝学的な母子」なのかどうか。
こうやって投稿してる自分も、自分の母を遺伝学的に母とは自信を持って断定できない
★出産的母子関係と遺伝学的母子関係の不一致度が1%なのか0.1%なのか0.01%なのか、
例えば「世田谷区の2014年の新生児出生全8524件について、全員親子鑑定を実施して、キメラ卵子の発生率調査する」という調査が必要
★そういう悉皆調査の結果、出産的母子関係と遺伝学的母子関係の不一致度が1%程度の「高い割合で発生している」と判明した場合、
人類が有史以来抱いていた「出産した子は自分の子」という「当たり前の概念」かゲシュタルト崩壊する。
★「不一致度が1%程度もありました」とニュースが流れたら、
「ウチの子供は本当に自分の子供?」と疑念を抱く母親が増えそうだ。まずは親子鑑定申込が急増するだろう
★受精と言うのは、我々が思う以上に「うまくいかない」。
受精卵の中でそのまま新生児にまで成長出来るのは半分以下。半分以上は「母親が妊娠した、と気付く前に」流れてる。
★母親が妊娠に気付く前に流れてしまう受精卵は、こういう書き方すると非難受けるが、
「仮に産まれたら障害児になったであろう受精卵」が流れてるケースが多い
★ここからは推測だが、「気付かぬママ流れてる受精卵」の中には、結構キメラ受精卵の比率が高いのでは?
仮に新生児でキメラ比率が0.1%なら、受精卵段階だと10%程度がキメラだったり
★医学の進歩で、「以前なら流れていた受精卵」も無事出生するようになった。
その分、体内にキメラを抱えた新生児比率も上がって来ているのでは?
★さらに非難浴びる投稿だが、高齢出産比率の増加も、キメラ率を高める可能性あるのでは?
★普通の人は、キメラ卵子などと言う珍しい事案をニュースで目にした場合、
「そんなのあるのか?」「事実は小説より奇なり」で思考停止する
/自分の思考パターンは、「そういう事案は、気付いてないだけで、実はありふれている」と言う前提に立って、発生確率や対策を検証する
「気付いてないだけで、結構こういう事案は発生してたんだろうなあ」と予想してたら、案の定マスコミが「他にもある」と続報流した
★@ri_on0044 というか、大半の母子は「遺伝的に真の母子に違いない」と思い込んでるから親子鑑定なんか受けないし。
「程なく」は副詞。「程なくして~」のような使い方もある。
それじゃあ「程なくすると」はどうなの? 文頭に持ってくると、こうなるのかな。
「息を切らせながら山道を歩き続けると、程なくして滝が見えた」
「息を切らせながら山道を歩き続けると、程なくすると滝が見えた」
「息を切らせながら山道を歩き続けた。程なくして滝が見えた」
「息を切らせながら山道を歩き続けた。程なくすると滝が見えた」
「息を切らせながら山道を歩き、程なくして滝が見えた」
「息を切らせながら山道を歩き、程なくすると滝が見えた」
どうでもいい追記。
「すると程なくして」が「程なくすると」になるのかもしれない。
先述の「すると」は接続詞として働いているわけだけど、副詞である「程なく」合わさった時、見栄えの問題も含めながら改良されて「程なくすると」なるのかもしれない。