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はてなキーワード: 機械論とは

2021-02-28

anond:20200706082437

科学の探求の始まり

「この世界は何者かが設計たかのように精密に動いている。その設計内容を理解しよう」という機械論自然から始まってる。

ニュートンデカルトあたりね。

神の否定も、ニーチェあたりの神なぞに頼らず自分で考えろという論から始まる。

神を否定しようが世界自分以外の外部からなる何らかの機構のもと動いていく。

たとえば、山の木を切り続けると洪水が起こる。それを「山の神」なる存在仮定して「山の神が怒ったからだ」と考えた。なので「山の神が怒らないように木を切りすぎないようにしよう」と考えた。

その後科学で木による保水機能が解明された。だから森の保全大事だと考えられるようになった。だけど、「山の神が怒ったから起きる機構」はそこに存在し続けている。ある意味山の神は未だ存在する。

神というのは、山の神の例のように自分の外の世界抽象的に取り扱うツールだと思うよ。

2017-09-06

anond:20170906142429

昨日夜に病院に行った

症状も紙に書いた

時間について

いつもの宇宙論機械論

ビッグブラザーAIについて考えていた

ビッグブラザー的な妄想だった

誰がビッグブラザーなんだろうって妄想した

AI設計者がビッグブラザーなのかなって

2016-10-16

違和感ない?

この世界宇宙、あるいは宇宙がができる前の全ても含めた)が「ある」っていうのにすごい違和感を感じる。機械論自然観じゃなくて、どっちかといえば目的論自然観の方で。なんでみんな、さも「ある」のが当然みたいに話すんだろう。

2014-09-28

無意識を抑圧する風潮に強い喝!

抑圧とは感情意識外に追い出して押し込めることで誰でもやってるごく自然行為であり「自我を守るため」という文言正当化されうるものだが、

その延長なのかどうなのか知らないけど無意識存在すら抑圧する風潮があるよね。これは百害あって一利なしから正直やめてほしいんだ。

なるほど無意識の話は何とでも言えるからオカルトや怪しい商法と結びつきやすい。だから無意識の話を持ち出した途端に地獄業火のごとく怒り狂うのも分からないでもない。

人間簡単にレッテルを貼ってしまうからね。ところで業火と劫火と号火の違い分かる?だけど無意識はれっきとして存在するものであって、君達も意識しなくても自転車に乗れたり心臓が動いたりする。

心臓自転車のような物理的なものでもそうなんだから、「無意識思考感情イメージ認識」といった心理的なものだって当然存在するのは分かるよね。

いや当たり前のことだと思うんだけどここから確認しないと存在を認めたくないがあまり理解すら出来ない人がいるらしいんだ。

例えば、意識的論理的思考に凝り固まっている人を一蹴するのには「人の顔を見ればその人だと分かるのは何故?」と問うことだ。

昔「人の思考は全て論理的である一見論理的に見えても深い理由があってその人なりの論理で考えてるだけなんだ」と主張する人がいた。

そこで僕はこうつけ加えた。「なるほど機械論だね。論理的と言っても意識的論理だけじゃなく無意識論理も認める立場なわけだ」と。

しか意識的論理立場では人の顔の識別が一瞬で行えることをどう説明するんだろう?甚だ困難に思える。

かつての同僚はこう言った。「パターン覚えてるだけっしょ。顔データから検索するだけだから一瞬」と。しかし残念ながら人の顔は角度や表情や体調や老化や化粧で結構変わる。

そんな表記のゆれに即応するにはパターン覚えると言っても単純に顔画像を蓄えてそれと一致しているか否かを見るだけでは不十分である

認知メカニズム研究はそんな知らないけど聞いた話では人間写真だけからである認識すると実生活を模した環境での顔認知よりも正当率がはっきり下がる。

から精密な判定には文脈からの補完も関与してるという考えが主流になってて写真だけから画像処理で判定するのはある程度以上の正答率になると厳しいのではという意見も出ているらしい。

そういう話を聞いてるとやはり意識だけでそんな複雑な処理が行われてるとは到底思えないよね。カフェにいたから誰々だと思ったなんてほんとにいちいち「意識」してるのか?

ところでこの手の意識の話でよく人々が陥るのが意識無意識は明確に区別できるとすぐ考えてしまうことだ。よくよく考えてみるとそうではなく「言われてみれば意識してた」ものや「うっすら意識してた」ものや「意識してた気がする」ものがあるだろう。

意識してたかどうかを他者はもちろん本人も明確に知る術は無い。だから「Xに対する意識意識がないからってXに対する意識がないとは断定できない!」「俺は意識意識が得意だから実はすべて意識してるんだ!」なんて強弁するのは容易く

それを他者キッチリ否定するのは極めて困難なんだよね。極端な話「心臓すら自覚がないだけで実は本人が意識して動かしてるんだ。ヨガの達人が心臓意識して止められる話はあれはもともと心臓意識で動かすものからだ」なんて言えるわけ。

こうなってくると意識という言葉ゲシュタルト崩壊してくる。実は意識しててもそれを意識してなければ意識してないと盲信する余地が至るところに存在するし、反対に実は意識してなくてもそれを意識してると主張すれば意識してると強弁する余地が大いにある。

こういうのを数学ではill-definedと言う。定義になってない、定義として不適切ということだ。だから生理学レベルで厳密な(well-defined)定義ができるようになる時代が待ち遠しいのである。出来たとすればの話だが。

しかしこうも言える。Xに対する意識意識があればXに対する意識があるのだと。錯覚かもしれないし本人にしかからないが多分あるのだろうと主観的には明らかになる。

からたとえ生理学定義が無理でも人々が意識意識をより正確にできるようになれば無駄無意識をブッ叩くことも激減することであろう。悪意でねじまげて主張する人は別としてな。

我々としてはメタ意識支援ツールメタ意識を促すカウンセリング的会話術を開発していけば随分と世の中の混乱が解消されるのではないかと思うのである

2013-03-19

そもそもさあ

生命って宗教概念から宗教持ち出さずに機械論的に説明できるわきゃない

 
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