はてなキーワード: はさみとは
直接言えないから寝る前だけど書く。
無駄に長い。
書いてる人→既婚子持ち30代ワーキングマザー。書いて思ったけど、ワーキングマザーでないマザーってあんまりいなくない?ハウスキーピングも広義ではワークだ。
・子どもは?ってきかれてウザいだろうという話
わたしもいま子どもがいるけど、結婚して3年ほど子どもがいなかったので何度もされたことある質問。
きっと耳タコの人もいるはず。
聞かないでよ、個人の自由でしょ?プライバシーの侵害だ!めんどくさいなぁ、1回答えたらオートでコピペできないかな、適当に流すのすらダルい、などなど。
だけどね、この質問、なくならない。
一枚岩じゃないの。
光合成が行われた結果つくられるものはなんですか?→酸素です!というように、答えが必要だからしている質問じゃないの。
そういう質問をして、子どもを持っていないことを貶めたい目的があるとき。
失礼なことだとは露ほども思っていない。なんのことはない、あたまがなかなか柔らかくならないタイプの人はいる。悪人か善人かはともかく。
ほかにもあるかもしれないけど、純粋に答えが必要な人は、軽く聞いてすぐ引くし、面倒な流れには多分しない。
純粋に答えが欲しい人の中には、あなたと共通の言語が欲しい人もいる。子どもの有無は生活圏の大きな差異を生むので、自然と子持ちは子持ちと、そうでない人はそうでない人と関わる時間が増えてそうでない時間は減っていく。
「あなたと一緒に話すことが減るのはさみしいですよ」のかわりに、「子どもはまだなの?」と聞いちゃう人もいる。
・子どもほしい?
あなたが20代後半~30代の女性なら、子どもを持つか持たないかの境目で、妊娠適齢期を前後して「どうしても子どもを作りたくなるシーズン」がやってくる可能性があります。
もう産めないかもしれない。
いまが最後のチャンスかもしれない。
やけつくような焦りに似た気持ち。
その気持ちは、ほっておくとそのうち化膿します。ちゃんと対処しましょう。ほしいでも、ほしくないでも、どちらでも。そのうちすっきり気にならなくなるタイプの人もいれば、死ぬまで引きずるタイプの人もいます。
で、ほしいあなた。
もし20代後半~30代前半なら、迷う前にともかくトライしましょう。なるべく早くにね。なぜかと言うと、子どもはすぐに出来るとはかぎらないから。
病院がこわい?
慣れます。慣れましょう。
自然にできないなんて落ち込む?
横に生えていたら切開するし、神経に障っていたら大きい病院に転院して抜きます。
それと同じで、もし子どもを作るのになにかしらの問題があったら、可能な限りの治療を受けて問題をクリアにするのは当然のことです。
自然にとかいうワードが出たら親知らずのことを考えてください。しらんふり。
30代後半以降のあなた。
高齢出産があたりまえになってきたといっても、生物としての機能が時代にそんなすぐ合わせられるわけはないので、早めに越したことはないです。
女も男もね。
あと、早く子どもと出会うと、子どもと過ごせる時間がそれだけ長くなります。
ほしくない人、予定がない人。
子どもの話題もーいいやめんどくさいつらいってなる内心は仕方ありません。うまく付き合いましょう。
そして楽しく過ごしましょう。
では、おやすみ!
昨晩は妻が作ってくれたつまみで一杯やりながら色々話した後、
私「おーけー」
ほろ酔いで就寝。
今朝妻は仕事に行き、休みの私は個人的な仕事を終えた後にラジオを聴きながら食器を洗った。
そこでふと気付いたのは、どこの家にも刃物ってあるよなぁということ。
それらを全てテーブルの上に並べてみた。
最終的に全部の刃物を並べてみた。
包丁5本
カッター3本
彫刻刀2本
糸鋸(手持ち)2本(個?)
ノコギリ2本
はさみ3本
だからといってこれらで人を傷付けるわけではない。
用途に沿った使い方をしている。
これは当たり前の話。
1本の刃物で何十人の人を殺す人もいる。
キーアサインを変更して使うので、変換キーと無変換キーが近くて親指で押しやすい位置にあるキーボードが好き。
会社では仕事でずっとガリガリとコーディングしてるし、家に帰ったらFPSやるから、一日中キーボードに触っている。だからなるべく品質が良くて作業が捗るものを使いたいし、キーボード選びとカスタマイズは俺なりにこだわっているつもり。キーアサインカスタマイズでよく聞くものは、CapsLockキーにCtrlを割り当てるというもの。Ctrlの元の位置、キーボードの下の端の方だと押すときにホームポジションから手を離すか、小指を無理に曲げなければいけないのが、Aキーの隣のCapsLockの位置だと自然に押すことができてショートカットキーを使う時とかに便利で、多くの人がこのカスタマイズをやっている。変換キーと無変換キーは英語キーボードにはないこともあって、CapsLockに比べたらカスタマイズ人口は少ないけれども、変換無変換もカスタマイズしているという人もちらほら見かける。やったことのない人もいるだろうけど、これがすごい便利。
小指が押すキーは8~16個。
だいたいみんなその程度だろう。それぞれの指でキーを押し分けて文章入力しているはず。
でも、親指が押すキーは0~1個。
こういう人は結構いるんじゃないかと思う。キーボードの手前にスペースキーがどでんと置かれていて、変換と無変換とか何に使うのか知らないし、親指で押すのはスペースだけといった感じ。だから片方の親指でスペースキーを押して、もう一方の親指は余っている。その状況はもったいなさすぎる。もし日本語配列を使っていて、変換無変換キーが余っているなら、カスタマイズして活用しない手はない。途端に親指の稼働率が上がって、作業効率も大幅にアップする。
変更のやり方は、CapsLockをCtrlに変更する分にはキーボード単体でできるものも売られているけど、それだと製品の種類も限られてしまうし他の変更もできないのでソフト的に変更している人が多い。キー配列を変更するフリーソフトだと、例えばAutoHotkeyとかChangeKeyとかがある。AutoHotkeyは多機能、ChangeKeyは超簡単。Macは詳しくないがKarabinerというやつがいいようだ。フリーソフトが禁止の環境の場合なんかは、レジストリをいじる方法もある。
幸運なことに俺がこれまで勤めた職場ではキーアサインの変更はできたけど、もしこれができないとなったら即転職だろうというくらいに体に染みついて必需となっている。前に人から聞いた話で、仕事で使うパソコンがネカフェのように毎日起動のたびにリセットされる仕様で、個人的な設定は一切できない職場があると聞いて恐れおののいたことがある。それ以降、と言っても何度もないが、面接のときにはパソコン環境を必ず聞くようにしようと決めている。開発環境に制限がかかるような職場では仕事が捗らない。
何にアサインを変更するかについては、これは人によって千差万別。基本的にはよく使うキーとか元の位置では押しにくいキーをアサインするのがいい。
EnterとBackspaceをアサインするのがいちばん汎用性が高いだろうか。日本語配列のキーボードだとEnterもBackspaceもホームポジションから遠くて押すのにいちいち手を動かさなければいけない。とくにBackspaceなんか小さいから押しにくくてしょうがない。これが変換無変換にアサインされると、ホームポジションから手を動かすことなく押せて、改行や訂正などがタイピングの流れにのって素早くなる。
EnterとBackspaceの押しやすさに関しては、英語配列もそこそこ押しやすくはある。英語配列キーボードの利点は、記号の並びと長いEnter、Backspace。記号は'と"とか、;と:とか、似てる記号が一つのキーにまとまっていて直感的。あと=がShiftとの組み合わせじゃなくてキー単押しで出るのが、コーディングで=を多用する場合にかなり便利。EnterとBackspaceは、単純に長いのでホームポジションから指が届きやすい。ただ変換無変換のアサインを変えて使うのにはかなわない。ホームポジションですでに変換無変換キーに親指が乗るキーボードを選んで使えば、届きやすさが英語配列の比じゃない。EnterBackspaceの理由で英語配列が好きっていう人は一度試してもいいんじゃないかと思う。
他のキー、例えばShiftとCtrlを変換無変換にアサインするというのもありだろう。無変換にShiftを割り当てておけば、たとえばカッコ記号が打ちやすくなったり、変換にCtrlを割り当てておけば、Ctrl+Zやコピペなんかがやりやすくなる。あとFPSで走る時にも小指がつりそうにならずに済む。
やらない人にはわからないと思うけど、FPSとかのPCゲームだと右手にマウスを持ってカメラ操作、左手でWASDキーを押して移動する。そしてShiftを押すとダッシュで、スペースを押すとジャンプできることが多い。マリオだとコントローラーを両手で持って十字キーとBボタンYボタンなんかを操作するけど、それを左手一本でやるのと同じなのでキーの押しやすさが重要だ。試してみてほしいが小指でShiftキーを押しながらWASDキー操作はできなくもないがちょっときつい。そこで無変換キーなどをShiftに変えておけば、無理なくダッシュ移動できる。
ちなみにFPSに関してはこのページのキーボードのコマンド図を見ると、キーアサインを変えていないデフォルトの日本語キーボードがゲームに向いていないというのがよくわかる。
WASDポジションから一瞬で指が届く無変換とあとCapsLockも何の役目も持っていない。だからカスタマイズをしない限り、無駄なキーがあるゴミ。ただ、キーアサインを変えれば余っているキーがとたんに強みに代わる。一瞬のリロードの差が命取りだったりするから、すぐ押せるキーは多い方がいい。
あとは仕事で多用するキーをアサインするのも王道で、イコール記号を多用する人なんかは、無変換をShiftにして変換を=にしておくと元の配列と比べて非常に打ちやすい。他にも文字起こしをするなら巻き戻しや再生のショートカットにアサインするのもありそうだ。
それとどうでもいいけど親指シフトで入力するのにも変換キーと無変換キーが使われる。本当は専用キーボードを使うのがベストだけど、ほぼ廃れて入手できないので、生き残っている少数の親指シフト民は日本語キーボードの配列をソフトで変更して使っている。親指シフトでは左右の親指で別のキーを打ち分ける必要があるから、なるべく変換と無変換が近いキーボードを選んで専用キーを割り当てて使う。
で、そういったカスタマイズをして使うのにキーボードの選択は間違えないようにしなくてはいけない。ものによってはスペースキーの幅が広くて、変換無変換が押しにくいものがある。使いやすいキーボードは、ホームポジションに指を置いて、無理なく親指が届く位置に変換無変換があるもの。あわよくばそのもう一つ外側のキーも親指で押せるようにスペースが短めで、変換キーと無変換キーが近いキーボードがいい。ホームポジションに指を置くと、親指がだいたいVとNキーの手前に来るから、この幅とスペースキーの幅を比べてみるのがわかりやすい。一番いいのはOADGという団体が規定した標準日本語キーボード配列で、ホームポジションで親指がほぼ無変換スペース変換のそれぞれのキーの間の谷に来る。これだと手元を見なくても触っている感触でキーの区別をつけることができて、かついずれのキーも押しやすい設計。さらに欲張るとスペースだけでなく変換無変換のキーも山なりの形だと、親指でも押しやすい。
そういった条件を兼ね備えたキーボードが、東プレが出しているRealforceだった。家電量販店でもずらっと並んでいたりするから一回くらい見たことがあるんじゃないだろうか。検索すると、日本製プレミアムキーボードの最高峰と書いてある。静電容量無接点方式を採用することで耐久性に優れた、長時間使用でも疲れにくい高級キーボードの代名詞。メカニカルキーボードの茶軸とか青軸赤軸黒軸と双璧をなす存在だ。Realforceは変換無変換は押しやすいわキータッチも選べるわ耐久性が高いわで、かなり理想的だった。
だった、と書いたのは、このあいだ新製品が発表されて、そこではキーの配列が変わってしまっていたからだ。スペースが大きくなって、変換無変換が使い物にならない。以前は無理なく押せたキーが、押しにくくなってしまった。Realforceはキー刻印にもこだわっていて、キーの文字には消えにくい昇華印刷というものを採用しているんだけど、キートップの印刷なんてキーボードの機能自体を左右するものでもないのにそこのこだわりは残して、キーボード機能自体と言ってもいいキー配列は変えてしまった。
なぜこのような配列に変えたのかはわからない。もしかしたら、大口の納品先の意見を参考にしたけど、そこはキーアサイン変更ができない職場でカスタマイズ人口がゼロだったから、変換無変換の有用性が見落とされたのかもしれない。もしかしたら、キーカスタマイズなしのゲーミング用途に寄せたのかもしれない。WASDポジションはホームポジションよりも1キー分外側に指を置くから、スペースキーが長い方がジャンプボタンが押しやすい。もともとRealforceの中にはスペースキーの長いゲーミングモデルもあったんだが、そのキー配列に近くなってしまった。もしかしたら、単に他社のキーボード配列を真似したのかもしれない。どんな理由で変えたにしても、カスタマイズ前提のキーボード選びの候補には上がらなくなってしまった。新モデルは変換無変換の押しやすさは軽視されていて、キーカスタマイズの視点は入っていない。
これまでずっとRealforceを使っていたが、こうなってしまっては俺の中ではもうRealforceをプレミアムキーボードの最高峰とは呼べなくなってしまった。
カスタマイズなんかしないで使う人が大半だとは思う。ただ、Realforceは高級キーボードであるからには、大半とか平均を狙っているのではないと思っていた。多数派に迎合することなく、より使いやすいキーボードを作り続けているのかと思っていた。キー荷重やキー刻印にこだわっているように、配列にもこだわりがあるのかと思っていた。
変換無変換が押しやすい位置にあってカスタマイズしさえすれば、一段階もっと使いやすくなる。それを知っていてなお、スペースキーの大きな新配列を使うというのは到底自分を誤魔化せない。それでは最高峰ではなく凡百の並のキーボードと変わらない。いまのところ新製品はテンキー付きモデルだけで、テンキーレスは旧製品がまだ販売されている。マウスを使うのにテンキーが邪魔でずっとテンキーレスモデルを使ってきたが、おそらくテンキーレスも新配列に置き換わるのは時間の問題だ。今使っているものがすぐに壊れるわけでもないし在庫を確保しておけば当分は大丈夫としても、新しい製品で採用されているAPCなどの新機能をもう試せないというのはさみしい。
時天空をご存知だろうか。時天空はモンゴル出身の力士で、土俵上での華麗な足さばきによって知られている。かく言うわたしも時天空の足技が好きだ。本人には申し訳ないが時天空が一番好きな力士というわけではないけれど、しかし、彼が勝つと思わずにやりとしてしまう。
土俵の上で時天空はいつも、仏像のようなふてぶてしい顔をしている。立ち会い、ぶつかって両者まわしを取る。相手力士の真っ赤な顔。だが時天空は、素知らぬ風に足をかける。相手の力士は、しまった!という顔でバランスを失い倒れる。
時天空の相撲は、わたしが相撲だと漠然と思い描いているものの輪郭から、時折大いにはみ出す。だからわたしは時天空が好きだ。柔道のようだと思うかもしれない。モンゴル相撲のブフは、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。時天空の相撲は、イマジネーションを広げてくれさえする。あの器用な足でまた何かやらかしてくれるのでは?そんな期待をこめて、毎場所テレビを見る。
そこまで言うなら時天空の相撲を見てみたい、もし可能であれば生で国技館で見てみたい、と思っていただけた方がもしかしたらいるかもしれない。願わくばいてほしい。しかしその望みは叶わない。なぜならば、時天空は引退してしまって間垣親方になってしまったからだ。では親方として、警備をしたり解説をしたりチケットをもいだりする、あの仏像のようなご尊顔を拝せるのでは?しかしながらその望みも叶わない。なぜなら元時天空、間垣親方は亡くなってしまったからだ。時天空は2017年の1月31日に亡くなってしまった。今日はちょうど一周忌だ。だから上の文章は、本来ならば動詞を全て過去形にしなければならない。
昔から相撲が好きだったわけでなく周りに詳しい人もおらず、面白そうだしいっちょ見てみますか!と思って見始めたわたしのようなミーハーな若輩者にとって、時天空はありがたい力士だった。なぜなら、時天空と言えば足技だと覚えておけばいいから。とりあえず時天空が来たら足技が出るのを待てばよかったので安心だった。本当は足技が失敗することもあったし足技は特に出ず押し出しで勝つこともあったけど、とりあえず時天空といえば足技。これで間違いがなかった。
力士の立ち会いはよく軽トラックの衝突にたとえられるが、ぶつかられて上半身はその対応をしておきながら、よくもまあ器用に足をかけられるな、バランス感覚はどうなっているんだと常々思っていた。
それに時天空は、四股名もSFみたいでスケールが大きくて格好いい。旭天鵬(現友綱親方)に似てるという意見も散見されるが、土俵上の時天空は、旭天鵬からお母さんみたいな雰囲気を全部抽出しきったあとみたいなおっかない顔をしていて、でもどこか荘厳で、鎌倉後期の仏像みたいで、思わず拝みたくなってしまうようなところがあった。
同僚と国技館で相撲を見ていた時のことだ。幕内の取り組みが始まって当時は平幕の下の方にいた時天空が出た。
「この人は足技がすごくて!」
などと僭越ながら紹介した直後、時天空が裾払いを決めて勝ったことがあった。同僚は普段から大相撲を見る人でなかったからピンと来てなかったようだったが、わたしは嬉しかった。思いが通じたような、どこか共犯者めいた気持ちが満ちた。むずがゆくなるくらい嬉しく、誇らしかった。これからも応援しよう!と思った。
でもその時はまさか、その場所とその次の場所が、土俵上で時天空を見られる最後になるとは思わなかった。
肋骨の骨折で休場というニュースを見て、時天空がケガなんて珍しいな、十両落ちちゃうのでは?と思ったが、その後実は悪性リンパ腫だと知りショックを受けた。場所のたびに休場の発表があり、十両に落ちているのを国技館のチケット売り場の電光パネルで見て、やっぱりと思うと共に早くよくなってほしいという気持ちが募った。
わたしは、時天空に手紙を書こう!と思った。もしかしてあまり読めなかったりして?と思ったが、時天空は日本語がペラペラだし、たとえ読めなくてもそういうのは気持ちだから出そう!と身勝手なことを考えた。ふりがなをふったら逆に失礼か?などと考えながら文面を考えていた矢先、ツイッターで久しぶりに時天空という文字列を見た。リンク先には引退と間垣襲名会見のニュースがあった。
引退はさみしかったがその何倍も復帰が嬉しかった。丸坊主になった時天空は、痩せていたけど想像していたほどではなかった。しかし、目を真っ赤にして涙を流しながら会見していてはっとした。わたしのなかの時天空は、土俵の上のむすっとした顔でしかなかった。しかし仕事だからそうしていただけであって、こんな心許なさそうな表情もするんだと思ったらこみ上げてくるものがあった。でも同時に、モンゴル人力士のなかで真っ先に日本国籍をとり年寄名跡を持っていたことを知り、さすが時天空だと思った。ぜひ後輩を指導してあの足技を継承してほしい。引退はとてもさみしいことだったけれども、帰ってきたことに対する嬉しさのほうが何倍もある。
お相撲さんやっぱり違うな!と思った。元々の体力があるから病気も治るんだな!よかったよかった!わたしは安心してはしゃいでいた。
その後すぐ元時天空、間垣親方は大相撲中継で向正面で解説をしていた。名前を呼ばれると「ハイッ」といい返事なのがかわいくて、それと現役時代と比べて顔が少し穏やかになっていた。時折満面のスマイルを見せるので、うおー時天空こんな一面もあったのかー!とさらに好きになった。解説も日本語が上手なだけでなく的確で詳しく、ついこの間まで幕内にいただけあってこの人と組んだ時はこうだったああだったと、話が尽きないので、聞いていて楽しくためになった。力士たちは「時天空関ととるのは嫌だった」とか「もう二度ととりたくない」とか「足技だけは教えてくれない」とか言っていて、声に出して笑ってしまった。
時天空という力士が幕内からいなくなってしまったことは残念だったけれども、これだけ解説も上手だったら楽しみなことが増えたと思っていた。当時は大島親方だった旭天鵬も、もう一度断髪式すればいいって言っていてその通りだと思った。
わたしはそれからすっかり安心しきっていて、その次の場所で間垣親方が休場していることを全然知らなかった。テレビの映らないところで警備とか協会の仕事をしているんだと思い込んでいた。でもそんなことはなかったらしい。元時天空の間垣親方は、2017年1月31日に亡くなってしまった。
時天空が好きだった。全く知らない人の「時天空サッカー」というツイートを見たときに、なぜだか明確に好きだと思った。モンゴルの平原をまわし姿でサッカーする時天空。似合う!足技はブフで培ったものか柔道で東農大にスポーツ交換留学に来た時のものかと思っていたが、柔道部だったころはそこまで足技に力を入れていたわけではないらしいとも聞く。ではあの足技はなんだったのか?やってみようと思ってやってみたらできたのだろうか。乗馬で鍛えたインナーマッスルが、相撲にも活きたのだろうか。
朝青龍のことを知って、自分もいっちょやってみようと来日して入門。稽古をしながら大学にも通い、卒論を日本語で書き上げたというスーパーマンぶりには目を見張る。卒論のテーマは「ダイナミックモデルを利用したモンゴル国の人口動態に関する研究」、興味深い。
わたしはにわかファンなので、相撲を見始めた頃の時天空はすでに30代なかばのベテラン力士。幕内下位定着たまに十両陥落くらいのイメージだったが、三役経験もあるし前頭一桁代だった時期も長い。時間前に立ち会いをしたり、まわしがとれかけたり、なかなかにバチバチだった時代があったようだ。
亡くなったことがどうにもショックで、当時は巡業の写真などをずっと探しては見ていたのだが、土俵の下ではにこにこしている写真ばかりで意外だった。名古屋場所でトゥクトゥクに乗っている写真。赤ちゃんをだっこしている写真。後援会の人たちとじゃんけん大会をして負けているところ。ウインク。
解説の動画を探していていたときに、酔った時天空が「iPhone4で彼女の顔を見ながら電話したい」と言っている動画を見つけてしまったりした。時天空はとても楽しそうで明るくていつも笑顔で、すごく人生を楽しんでいるように見えた。幸せそうだった。解説の時もそうだった。見ているこっちが笑ってしまいそうになるくらいだった。
一年経った今でも時天空のことを思い出す。病気さえなければまだ幕内で相撲をとってたのではないかと思ってしまう。足で足をバーンと蹴ったりひっかけたり、器用に相手のバランスを崩して勝っていたと思う。
時天空が亡くなってすぐ、入門直後はきまり悪くなると日本語がわからないふりしてごまかしていたこととか、部屋が世論で問題視されていた時に懸賞金を手紙と共に返したこととか、時天空の人となりが感じられる話が世に氾濫して、そのどれもに心動かされ泣いてしまっていた。でも、亡くなってしまってその話を知るくらいなら、知らないでいていいから元気でいてほしかった。じゃんけんが弱いのもお酒が強いのも知らなくてよかった。おっかない顔の足技師としてにやにやさせてほしかった。40歳までは関取だと思っていた。やっぱり、あまりにも早すぎたと思う。
日々、自分の頭の中を好きなものでいっぱいにしていないとやっていけない。時天空もまさにその一部だった。でもその部分は時天空の形の穴になって、他の力士で埋めようとしてもなかなか埋まらない。時天空は、お腹は出ていたけれども膝下が不安になるくらいほっそりしていて、他の力士はそこがひっかかってしまうから駄目だ。
時天空は膝下に脂肪がなくてひきしまっていて美脚だった。その脚が器用に動いていた。またあんな足技が得意な力士が出てきたら面白いけれども、でもたとえ出てきたとしてもそれはまた別の力士で別の魅力があるんだろう。だから時天空の形の穴は埋められないのかもしれない。埋めなくてもいいのかもしれなくて、埋められないことそのものが、時天空という力士が代え難い魅力を持っていたということの証明なのかもしれない。
追記:ニュースで相撲関係の悲しいことばかりが続いてつらくなる。口に出すのもおぞましいような表現で特定の力士を侮辱する言葉はもう見たくなくてインターネットが縁遠くなる。協会のこととか理事長選とか、にわかファンのわたしにはよくわからないしあまり興味もない。わたしはただ、土俵の上で色んな力士がそれぞれの最高の状態で相撲をとっているところが見たいと思う。それを見てわくわくしたいと思う。
ハティの最期の舞台を読んだ。解説で犯人当のミステリとしては簡単な部類かもしれないって書いてあってびびった。結構わかんなかったよ。思い返せばずばり犯人その人を描き表している部分があったけども。
大概のミステリがそうなんだけど、作中で犯人の名前が確定するまで作者の手の内で踊らされる糞雑魚読者です。
さておき、本作の内容について。最近の実社会の諸問題にも結構当てはまるけど、意図しない邪悪さが大概の悲劇の根底にはあるんだなあって思い知らされた。
殺されるハティは顕著だけれど、他の登場人物もそれぞれ罪深い我欲を持っている。とんでもない高校教師のピーターは言うまでもないけど、その妻のメアリにしたってもうちょっと夫婦間の接し方ってのがあるんだろうって思った。まあ介護やら仕事やらで大変なのはわかるんだけど。
この小説に登場する人物がみんな有してる罪深さって、ある種どうしようもないところに根差しているところがあるからしんみり来る。不倫の問題もそうだけど、他社への無理解とか、周りを無自覚に馬鹿にしているところとか、一本芯が通り過ぎている性格をしていたりとか、読んでいるとそうならざるを得ないよなあとか、そうなってしまうのもわかるわあって思わされてしまうから、一概にみんなを批判できないんだよね。
よく言えば主要人物はみんな肉付けがしっかりしているってことで、そういったどうしようもないところが人物に人間らしさなり人間臭さを与えているんだけど、それ故に軋轢が生じて問題に至ってしまうってのはさみしいなって思う。仕方がないことなのかもしれないし、そもそも軋轢の一切ない社会ななんてどんなデストピアだよって話なんだけど。
ただこの作品は、犯人が殺人さえ犯さなければ悲劇の度合いが幾分か軽くなっていたのかもしれない。人殺しはやっぱり駄目だからね。でもなあ、ハティがとんでもない怪物だから、こんな最期になるのも必然だったのかもしれない。
田舎町では異彩を放つとても賢い高校生で、他人が求めている反応をコミュニケーションの最中に読み取り活用できる天性の女優なんだけど、ものすごく邪悪なんだよね。愚かだといってもいい。
自分が被っている仮面がどれだけ罪深いか最後までわかってなかったんじゃないかと思う。自覚はしていたけど、認識がちょっと甘かったんちゃうんかな。
「他人の考えていることがわかってしまう」とのことですけど、実は「他人の考えていることが全く想像できない、考えられない」というのが問題なのではないでしょうか。
私は集まりの場でいつも率先して騒ぎますが、何も考えなかったことはないです。
私も想像と経験談でしか語っていないので正確なことは言えませんが、あなたが「自分を疑っていない」と決めつけた大学生、社会人、老人達だって、自分を疑った(という表現は適切でないように感じますが…)ことくらいあると思います。彼らだって何かを経験し、何かを思考し、何らかの感情を持ち、何らかの事情があるからこそそういう行動します。その行動があなたの中の常識とか思想とはかけ離れているだけなのではないでしょうか。
あなたは他人の考えていることを全く理解できていません。それどころか想像もできていません。それは、自分の理解できない行動を取った人々を「何も考えていない」「自分を疑っていない」と決めつけたところから明らかです。
一度、対話することそのものを目的とした対話や、議論することそのものを目的とした議論をしてみてはいかがでしょうか。そのようなことをしても差し支えない関係の人がいるならその人でも、あるいは匿名でもいいと思います。
まずは相手の話をじっくりと聞いてみてください。相手が何を言いたいのか曖昧なときは、曖昧なままにせず質問をはさみましょう。なるべく、言葉の定義を問うような単純なものだとやりやすいです。「愛ってなに?」とか。
現時点でのあなたからは、不寛容で、世の中をわかった気になっている無知な若者という印象を受けました。
不躾で偉そうなことばかりを言ってごめんなさい。騒ぐ人間なので、何も考えていないとか言われてちょっと怒ってる…。
あと、「自分を疑う」というのはかなり抽象的で定義が曖昧なので、乱用したり話のミソにしたら読んだ人と書いた人の間ですれ違いが起こってしまうかもやし、起こってますね。
範囲を明らかにしたり(例えば、この場合の「自分」って「自分の存在」なのか「自分の思考」なのか「自分の行動」なのか)できれば具体的な例を挙げた方がいい(「自分を疑う」とは、私の行動を目撃した人たちが私に対してどのような印象を受けるかを想像し、それに基づいて自分がとるべき行動を決めることです、とか)と思います。
とにかく、他人には他人の事情があるんやから、理解した気にならないほうがいいし、あなたは全然理解できていないと思う…。ということが言いたいです。長々とすみませんでした。
それとも風邪でしょうか。
http://www.kawamura-jibika.com/blog/?p=250
より
3-1.
鼻を温めて深呼吸をする
鼻を温めると血流が改善され、鼻の中がすっきりしてくるはずです。
花粉症の鼻づまり、風邪の鼻づまりなど、どんなタイプの鼻づまりにも効果があるといわれています。
鼻に蒸しタオルを当てる
お湯をためたタライに鼻を近づける
熱がなければゆっくりとお風呂に入り、体を温めて血流を改善しつつ、湯気を吸いこむような気持ちで深呼吸してみてください。
外出中に鼻づまりを何とかしたい時は、使い捨てカイロを鼻の根元に当ててみましょう。
3-2.
脇の下を刺激する
テレビ番組で紹介され、鼻づまり解消法として注目が集まっているのがこの方法です。
子供のころ、横を向いて寝てると鼻づまりが解消されたという経験はありませんか?
脇の下にある自律神経を圧迫することで反対側の交感神経を刺激し、血管を収縮させて鼻の粘膜の腫れを改善する、という原理です。
鼻づまりなのに脇の下が関係しているの?と思った方はぜひ試してみてください。
やり方は簡単で、つまっている鼻とは反対側の脇の下にこぶしをはさみ、圧迫します。
こぶしの代わりにペットボトルでも構いません。
圧迫するときはこぶしを入れた脇を下にして、横に寝てみるとよいでしょう。
3-3.
鼻うがいをする
鼻の奥についた花粉やほこりをしっかり洗浄する効果がありますので、花粉症で悩む方は毎日行うと良いでしょう。
鼻うがいのやり方は以下の順序です。
煮沸した水で0.9%程度の食塩水を作る
顔を横に傾けるとスムーズですが、傾けすぎると食塩水が耳管に入り、中耳炎になりかねませんので注意してください。
また、鼻うがいが上記のようにできない方は、鼻で水を吸い込み、鼻の中を洗う要領で行っても構いません。
真冬は水が冷たく、そのままでは痛みを感じる場合もありますので、できればぬるま湯を使って行いましょう。
煮沸した清潔な水で行ってください。
だそうです。お大事に。
なんか、ひょんなことから月蝕歌劇団(という小劇団が都内にあると思ってほしい)の公演を見に行って、それ以来なんか芝居づいている。
これまで演劇なんてぜんぜん興味がなかったのに。
いくつか劇場に足を運んだところで、もう1回くらい観ればもっと色々と見えてくるものがあるかと思い、また月蝕歌劇団に足を運んでみた。
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演目は『ねじ式・紅い花』と『盲人書簡−上海篇』の2本立て連続公演
(前回の観劇の記録は
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
を参照のこと)
ということで、自分のログを兼ねて、また観劇記を残しておくことにする。
御用とお急ぎでない方は、しばしお付き合いを。
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ただし。
自分は舞台観劇についてはとことん素人なんで、これから書くのは、通りすがりの素人が見た印象批評くらいのつもりで、紹介文としての情報は期待しないでほしい。
(というか印象批評というワードも小林秀雄みたいで偉そうだな。ほんとに感想文くらいの感じで、ひとつ)
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■全体として
歴史の長い劇団というのは知っていたけれど、今回は公演100回記念とのこと。
で、旗揚げ時代からのライバル劇団その他のビッグネームが集結した大プレミアム公演だったらしい。
普段は若い女性主体の “少女歌劇団” っていう感じの劇団なんだけど、今回はキャストの年齢が大はばに高めだった。
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ちょっと変わった構成をしていて、1つのシーズンというか公演期間を前後に分けて、2種類の演目を上演する。
さらに各演目について前座というか露払いというか、出演キャストの歌唱ショー、寸劇、詩の朗読その他をまとめたパフォーマンスとして “詩劇ライブ” というのがある。
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なので、フルで鑑賞すると1シーズンで合計4演目。
これを多いと思うか、アリだと思うか。
いろんな作品世界が見られてオトクだとも言えるし。
リハーサルやシナリオの練り込み等々のリソースは分散されるから内容的に落ちるものになるかもしれないし。
自分が見たところ、器用な高能力キャストと、まぁそうでもないキャストでうまく仕事を振り分けて、不満を感じさせない作りにしている感じだった。
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順番に見ていってみると。
.
先に不満点を言わせてもらうと。
演目『老人と子供のポルカ』の歌唱。
左卜前役のベテランキャストがカンペ片手に左右のキャスト(岬花音菜、慶徳優菜)を振り回して大暴れ。
休みなく次の曲『本牧メルヘン』が始まり、そのまま岬花音菜がマイクを握るが、息の上がった彼女にはキーが低すぎた。
おかげで貴重な戦力(岬)を空費。
トリの白永歩美がキッチリと『バフォメット(と、あとなにか悪魔がもう一柱)の歌』(詳細不明)で締めてくれたのが、せめてもの救い。
ハプニングなら再発防止策を取ってほしいし、プロットなら、申し訳ない、あれに快哉を送るハイなセンスは自分は持ち合わせていない。
しかし。
詩劇ライブというのがファンミーティング兼同窓会だというのなら。
いとしの大スターがいつにないハジケっぷりを開陳したほうがファンサービスとしてのお値打ち感は高いのかもしれない。
と、思って周囲を見回してみると、自分と同じか、あるいはさらに年配の観客がホクホク顔で舞台を見守っている。
ハテ、招カレザル客ハ自分ノホウデアッタカ。
うん、わかった。
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■後半の前座『詩劇ライブ 暗黒少年探偵団』
詩劇三傑(←たったいま自分が決めた。はるのうらこ、岬花音菜、そして白永歩美の3人)のパフォーマンスがたっぷり見られたので実に良し。
はるの嬢は前回と同じギター伴奏かと思ったら、ギターからキーだけもらって、ほぼ独唱。それでいてピッチは正確、ハイノートも申し分なく出ていたし、なんというか、 “このヒト、ひょっとして劇団の隠れた屋台骨なのではないか?” という予感がさらに強まる。
(↑それは本編でガツンと証明されるんだけど)
なぜ合唱のときは控え(それはもう、あからさまな控え)にまわるんだろう?
リハーサルの負荷をソロに集中させるためか。
岬花音菜はカッパの舞。そして小阪知子を舞台に引き出してカッパの相撲。
あいかわらず、この人は歌って動いてが実に良い。
そしてトリは白永歩美。
朗読、歌唱と大活躍。
いつ見ても、この人は安定しているなぁ。
はかなげで、あやうげで、その状態のままガッチリ安定しているという不思議なキャラクター。
そういえば『Those ware the days』に日本語歌詞をつけたものを歌ってたんだけど、受付で立ち読みしたセットリストにそんなのなかったぞ、と思って調べてみたら、『悲しき天使』なんていう日本語版があったのね。
知らなかった。
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さて本編。
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■前半の本編『ねじ式・紅い花』
つげ義春の原作、『ねじ式』『紅い花』『女忍』『沼』『狂人屋敷の謎』をまとめて1つのストーリーにしてある。
実を言うと、前回の公演を見たあとに、某氏から、
「なに、月蝕歌劇団が面白かったって? それじゃアレだ。主催の高取英のアレ読んどけアレ」
といって勧められたのが、『聖ミカエラ学園漂流記』(小説版と戯曲版)。
前回の公演を観たときに、
「この人の持ち味は “奔放に見えて実は緻密な複数世界のマッシュアップ” だろうな」
と感じていたのが、この本で確信に変わったのだけど。
原作が2作品や3作品なら、例えば2つの世界の登場人物が呉越同舟で共闘する、みたいな展開もあり得るけど、さすがに5作品同時となるとメドレー形式にならざるを得ない、という感じ。
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さて、もう1つ、高取氏の特長と思ったのが、ストーリーに必ずクライマックスを用意する、という点で。
(それが、エンターテイナーとしての氏の本性によるものか、それとも “客にはなんとしてもカタルシスを持ち帰ってもらわないと次につながらない” という興行師としての冷徹な計算によるものか、そこまではわからない)
それが、つげ義春の茫漠としたアンチクライマックスな世界とどう折り合いをつけるのか、そこに興味があったんだけど。
これが『紅い花』を中心に最小限の改変を加えただけで、見事に全ての原作が一斉に収束に向かうオチといえるオチになっているのは、さすが。
最後にはねじ式青年が『パーマー・エルドリッチの3つの聖痕』(P. K. ディック)みたいに無限増殖するあたりの幻想テイストが高取氏らしい。
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あと、前回公演みたいな「身捨つるほどの祖国はありや」的な大きな主題は今回は抑制されている。
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助成金云々の楽屋落ちは生臭いので忘れたことにする。
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そして、この劇団特有の時間がゆがむ感覚をまた味わう。
今回は、サヨコの祖父の楽屋オチ的な台詞。
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「最近、嵐山光三郎が書いたんですがね、松尾芭蕉は忍者だったんですよ」
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えーと、嵐山光三郎の “芭蕉忍者説” は2000年代なんですが。
高取氏の作品世界が戦前、戦後、昭和30年代、1960年代、1980年代みたいに複数の時代を放浪するように、劇団自体も、60年代、80年代、そして2000年代の全ての時代に存在しながら、どの時代にも存在しないような不思議な立ち位置。
それが、この劇団の持ち味でもあり。
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あ、あと、狐舞の意味がやっとわかった。
なんのことはない、 “ここから現実感と見当識がゆるんで、心象風景と象徴劇が始まりますよ” という演出効果だ。
多色発光LEDを掲げた葬列も、夜光塗料の試験管をもった少女たちも、おそらく同じ。
少女漫画で「なんでクライマックスに花びらが飛び回ってるの?」とか訊かないでしょ? アレと同じだ。
そういえば、最近の子供は漫符(怒りの青筋とか緊張の汗とか)がわからないケースが多いらしい。
つまり自分は月蝕の鑑賞において子供だったわけだ。
というあたりで。
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そして、問題の↓
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■後半の本編『盲人書簡−上海篇−』
あー、うん。
むかし『草迷宮』(寺山修司)を観て途方に暮れたことを思い出した。
あるいは、さらにむかし『原始人』(チャーリー・ミンガス)を聴きながら、
「これは良い音楽なんだ、良い音楽なんだ、みんながそう言ってるから良い音楽なんだ」
と歯を食いしばっていたことを思い出した。
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はっきりしたこと。
自分に “前衛” を受け止める感受性はない。
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それでも、なんとか受容を試みてみる。
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(1)1930年代の第二次国共合作を背景にした不穏で混沌とした上海共同租界。
(2)明智小五郎と小林少年という、戦前・戦後の言ってみれば “陽のヒーロー” をどす黒く改変したキャラクターと、堕落した母親としての小林少年の母。
(3)白痴の少年と娼窟の姉妹がからむ、不快にユーモラスな人物群。
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この3つの人物群を主なストーリーラインとして、失明した小林少年を中心に “目明きと盲(めしい)、世界が見えているのはどちらか” という問いを主題として話はすすむ(ように見える)んだけど。
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途中、影を喪失した少女、みたいな挿入話をはさみながら、ひたすらグロテスクなストーリーとも言えないストーリーの断片が続く。
クライマックスは小林少年と恋人(?)のマサ子の再開を中心にしながら、全てが虚構の中の虚構、悪夢の中の悪夢、という入れ子の構造をあからさまにするところで、唐突に終わる。
最後の最後には第四の壁も突破して現実のキャストの名前まで出てくる。
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うーむ、書いておいてなんだが、なんの説明にもなっていない。
ねぇ、寺山修司って、ホントに70年代、80年代の青少年のカリスマだったの?
(今度、『書を捨てよ云々』でも読んでみるか……)
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可能性としては、今どきの若者がP. K. ディックやら筒井康隆やら読み慣れてるせいで、 “崩壊する現実” やら “虚構の中の虚構” を普通においしく摂取しているのに対して、当時はその種の超現実的な幻想悪夢ワールドが知的にトガった青年だけの愉悦であったとか。
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ま、さておき。
これ以上はどうにも言いようがない。
自分にとって確かなことは。
ということ。
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さて。
キャスト、演出その他については、以下の通り。
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■白永歩美
女忍コジカの息子、宗近と小林少年を好演。
このヒトが、登場するだけで舞台が猟奇的でビザールな空気になるような、言ってみれば “嶋田久作” 的な怪優でありながら、それでいて結構な美人サンである、というのは劇団にとって大きなアドバンテージなんじゃなかろうか。
劇団のカラーを一人で体現しているような。
ビジュアル、演技、歌唱、トップの名称は伊達じゃない、って感じ。
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というか。
実のところ、トップというネーミング自体はどうでもいい。
それがプリマドンナでもソリストでもエースでも四番でも同じことで。
その種の人に求められるのは才能でも鍛錬でも、ましてやプロデューサー/ディレクターの寵愛でもなく。
それは「いつ、いかなるときでも、自分が前に出ていってなんとかする」という思考形態だと思う。
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例えば才能、というか生まれつきの資質なら。
前回の公演には高畑亜美という彼女に負けず劣らずのビザール美人さんがいた。
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例えば技能なら。
前回の公演で、白川沙夜というキャストは、ストーリーテラー、コメディリリーフ、仇役という3つの仕事を3本の腕で同時につかんでブンブン振り回して大暴れしていた。
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でも、彼女たちは今回はいない。事情は知らない。
いっぽうトップには「事情により今回は出演しません」という選択が無い。
脚光も浴びる、注目もされる、そのかわり劇団の出来が悪ければ矢オモテ、火ダルマ、槍ブスマと。
群像劇主体の劇団で、ある程度は負荷が分散するにせよ、あの細っそい体にかかっている重責を想像すると、なんというか、なんというか。
長くなった。
ともあれ、健康にお気をつけて。
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■川合瑞恵
前回までは “作りようによっては、いかめしく見える” ビジュアルを活かしたワンポイント役だったのが、今回は『女忍』パートのキーとなる女忍コジカに大抜擢。
これが大根だったら目もあてられないところを、実に器用に演じきってしまった。
本職はモデルさんだと思ってたんだけど。違うの?
芸能関係って器用な人が多いのよね。
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■岬花音菜
演技はさておき、まずは狐舞。
今見ているのがカラダのオモテなのかウラなのか、腕なのか脚なのか分からなくなってくる超絶変態空間機動がひっさびさに大炸裂!!
これだ! これが観たかった!
いや、じつは、このところモヤモヤしていた。
「いや、たしかに踊りも歌も演技も良いけど、ここまで追っかけるほどか?」
でも、たしかに思いちがいじゃなかった。
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そこには、たしかに岬花音菜がいた。
およそ2ヶ月前、片目の猫の舞で自分の脳味噌をブチ抜いた岬花音菜が。
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ちなみに。
あとから取材を試みたところ。
あの一連の動きは、ボランティア(アルバイト?)のダンス教室で子供たちに最初のウケを取るために編み出した動物踊りがオリジナルだとのこと。
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するとなにか。
自分の鑑賞眼は子供レベルか。
まあいいけど。
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というか、彼女の狐舞に視線をもぎ取られ、ねじ式青年と女医のベッドシーンの大半を見逃していたことに、劇場を出てから気がついた。誠に申し訳ない。
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さて。
キャストとしては『紅い花』パートのシンデンのマサジ、『盲人書簡』で白痴の少年を担当。
この演技、周囲の評価はウナギ昇りだろう。
じっさいTwitterを中心にネットを見ると、彼女と慶徳優菜の評価はウナギ昇っている。
ただ。
自分としては評価は保留としたい。
なぜって?
あまりに、あまりにもハマり役すぎて、いま見ているのがキャラクターなのか、それともキャスト本人なのか、観劇素人の自分には判然としないから。
(これ、自分の中では笠智衆と同じ位置づけだ)
大竹しのぶがアニーを演じたり、同じ劇団でいえば白永歩美がピーターパンを演るのとは、意味が違う。
『紅い花』ではプレ思春期の少年のいら立ちを、『盲人書簡』ではスケベなアホの子を、と、いろいろ打ち出しているのは分かる。
分かるけど、いずれも、まずは本人あっての効果であって。
このあと彼女は “月蝕きっての永遠の少年役” として存在感を増していくのだろうか。
それもアリだと思うけど。
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■慶徳優菜
『紅い花』キクチサヨコ役。
だけど彼女の評価も保留。
理由は岬花音菜と同じで本人そのものだから。
その意味では、娼窟の妹と小林少年の想い人のほうが、本人のポテンシャルがよく分かる気がする。
そっちの方はというと、うん、悪くない。
ただ、これは自分の思い込みかもしれないけど。
なんというか彼女は “月蝕、次世代のプリマドンナ育成枠” というのに完全に入っている気がする。
この直感が正しければ、それはおそらく本人の十分な資質と劇団の目算があってのことだろうけど。
なんかモヤっとする。ほかの新人も若手も、ひとしく頑張っている(ように見える)のに。
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■はるのうらこ
なんというか、詩劇ライブのときは “ひかえめな、でもシャレのわかるおねーさん” というオモムキの彼女。
キーとなる配役のキャスティングが多いから、信頼の厚いキャストなんだろうな、という以上の認識はなかったんだけど。
(そしてそれは、ねじ式青年という大役を見ても動かなかったんだけど)
これが。
『盲人書簡』娼窟姉妹の姉役。実にすごい。
あのフワっとしたキャラが、女の嫌なところを全部集めて煮詰めたようなキャラクターに大変身。
慶徳優菜をサポートに娼窟パートのカラーというか空気を完全に支配していた。
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あと、些細なことだけど。
キーアイテムとなるタバコをチャイナドレスに入れ忘れたか、取り出せなくなったか。
取り出そうと悪戦苦闘して2秒。
見切りをつけてアタマの中でプロットを切り替えるのにコンマ2秒。
架空のタバコをふかして場面転換の決め台詞につなげるまでの時間の空費がわずか2.2秒。
はるの氏にとっては迷惑な賞賛かもしれないけど、ここの所作の切れ味に地味に鳥肌が立った。
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■宍倉暁子
彼女が登場すると、そこだけ別の照明があたってるようだった。
さらに今回の千本桜ホールより少し大きめの劇場向けにチューニングされた、よく通る発声。
今回集結した “夢のベテラン勢” の中では、彼女が出色だった。
彼女だけは気になって調べたら、舞台を中心にTV、映画と活躍の現役大ベテラン。
たしかに分かる。
自分の外見と所作が人にどう見えるか、何十年にもわたって掘り下げていないと、ああは行かないと思う。
『紅い花』では漂泊の釣り人。すこし困り顔の茫漠とした旅客でありながら、マサジのカウンターパートとして要所を締める。
『盲人書簡』では軍人と密通する小林少年の母として、実に汚ならしい堕落した母親像を体現。
教科書的に言えば寺山修司の作品世界に通底するコンプレックスというかオブセッションというか、ともかく “その部分” を実に彼女一人で背負って担当していた。
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■大久保千代太夫
今回最高の当たり役の一人。
犬丸は尾張織田と敵対している設定だけど、人物造形はおそらく美濃のマムシこと斎藤道三がベースだと思われ。
自分に襲いかかった刺客を手籠めにして側室にする一代の梟雄らしい悪太郎ぶりと、戦国武将の透徹した死生観が、もう全身からみなぎっていた。
『盲人書簡』の方は。
うーん、自分の中では “生ける舞台装置” としての黒い苦力(クーリー)の集団は、なんというか、全員が均質な筋肉質の没個性の集団だったんで、あの巨躯が逆にマイナスにはたらいた気がする。
こればっかりは、いたしかたなし。
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■小阪知子
影の殊勲者にして功労者。
前説とカッパ相撲のときから(自分の見立てでは)この人は切れ者だろうな、と思ってたんだけど、今では確信に近い。
馬鹿をやる、それもビビッドに馬鹿をやれる人間は、なんというか、切れる。これは自分の持論。
自分が見るかぎりでは、月蝕歌劇団キャストのベテラン高位職者(?)には2つのカテゴリがあって。
1つは白永歩美、岬花音菜のように “スタア” 役を仰せつかってスポットライトを浴びる職種。
もう1つは、前回公演の鈴乃月葉や今回の彼女のように “ひとり10役をこなしてストーリーラインを維持する” という重責の担当者。
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■若松真夢
薄い眉、暗く沈んだ眼。白永歩美が陽のビザールだとしたら、彼女は陰のビザール美人。
もっといろんなキャストで見てみたいと思った。できれば和装で。
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■城之崎リアン
詩劇ライブのみに登場。OGか。
そりゃ、男女問わず固定ファンがガッツリと付いたことは想像にかたくない。
問題は、貴公子以外にどんなキャストをやっていたのか、想像がしにくいことで。
もっと昔から見ていなかったことがくやまれる。
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■登利忌理生
前回の中村ナツ子に続き、今回の「なにものだ! このひと!」ワクに期待のダークホースが登場。
自分は茶髪に偏見があるようで、「えっとぉ、学校卒業の記念にぃ、オーディション受けちゃいましたー!」みたいなハスッパな外見と、そこから飛び出す恐ろしい長セリフと演技巧者ぶりのギャップに舌を巻いた。
本当に何者だ! と思って調べてみたけれど、月蝕以前の芸歴がまったく引っかからない。
あれか。学生演劇出身か。
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■音無ねむ
今は、まだ大部屋女優といった立ち位置。
(たぶん。自分が調べた限りでは、まだ無名)
何者でもない。
何者にも、まだなっていない。
だけど、あの男に引けを取らない長身とキリっとしたマスクには、絶対に活きる使いみちがあるはず。
実際、『盲人書簡』の “新聞朗読笑い男” には何とも言えない味があった。
(キャスティングの認識、間違ってないよね?)
陵南の田岡監督ふうにいえば、「体力や技術を身につけさせることはできる。だが、彼女をでかくすることはできない。立派な才能だ」ということ。
まずは、その長身を恥じるような猫背をやめて、胸郭を開いてまっすぐ立つところから、カンバレ!!
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■J・A・シーザー(と音響)
ふむ。ふむふむ。
エンディング、こんな感じかにゃ? 間違ってるかもだけど。
(いま手元にGarage Bandしか無いんで大変)
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Bm....................BmM7(←Daugかも)
寺 の 坊 ん さ ん 根 性 が 悪 い
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Bm.............Bm........F#m..GM7
守 り 子 い な し て 門 し め る
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F#m.........Bm........F#m......Bm.E
ど し た い こ り ゃ き こ え た (か)
.
(間奏2+4小節)
E.................Bm.......Bm.......Bm.......Bm
+--------+--------+--------+--------+--------+--------+
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Bm.......D/A...GM7..........Bm.D/A..E..
守 り が 憎 い と て 破 れ 傘 き せ て
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Bm.......D.....GM7.......Fm#......GM7
か わ い が る 子 に 雨 や か か る
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Fm#.........GM7.......Fm#......GM7
ど し た い こ り ゃ き こ え た か
.
(間奏4小節)(以下同じ)
.
メジャーセブンに合わせて変えたか。
採譜するまで気が付かなった。
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えー、日本のニロ抜き音階(いわゆる田舎節)で作られた民謡/童謡に、7th、9thがタップリ乗ったモダンコードをあわせて。
さらに、それを流行りのリズムパターンに乗せると、こう、実にカッコいいニューエイジ/ワールドミュージックになるのは皆さんご存知のとおり。
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こういう音楽はみんな大好き。ボクも大好き!
この種の音楽の嚆矢は自分が知る限りYMO(実質、坂本龍一)で、80年代ではあるけど、このスタイルが「教授(坂本)のパクリじゃ〜ん!」と言われなくなったのはEnigmaやDeep Forrestが日本でワサワサ紹介されて一般化した90年代のような感じがしていて。
(“姫神せんせいしょん” や喜多郎については、当時ノーマークだった自分に語る資格はない)
問題は、J・A・シーザー氏が、何故この時期にこの種のスタイルをぶつけてきたか、だ。
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本公演エンディングの『竹田の子守歌』はJ・A・シーザー氏の手になるものではないとの指摘がありました。
お詫びして、訂正します。
以下、上記の誤りを前提にした言及をカットします。
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でも、今回のエンディングが実にイイ感じだったことは確かで、これからもこの路線はアリなんじゃないか、と思った次第。
うん、自分に言えるのはそれだけ。
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最後に音響について。
なんか、今回の殺陣は斬撃の効果音のタイミングがやたらと良かった。
何か条件が変わったんだろうか。
ただ、いつもながら思うのは、客席一番奥にコントロールブースを置かないで、それでもあのレベルの音響を維持できているのは、それ自体が奇跡に近いことだ。
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ただ、生きている動物の仕込みはさぞかし苦労しただろうな、と。
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んー、今回の月蝕歌劇団はこんな感じでした。
全体としてどうなのかって?
うん、良いところもあれば、首をかしげるところもある。
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まずは。
自分はもともと聖子ちゃん、キョンキョンのころから、それほどアイドルが好きではないので、フレッシュなキャストのライブ感、というのにはそれほど重きをおかない。
なので、(おそらくは)キャストそのものに入れ込んでほしい、という劇団の方針には同意しかねる。
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しかしながら。
高取英氏の作品世界。これにはどーしても、どーしても不思議な引力を感じでしまう。
結果として、スケジュールが合って演目の印象が良ければ、これからも足を運ぶような、そんな感じがしている。
というあたりで。
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また機会があれば。
、
わたしはなんか他より小さくて、他への働きかけもやっぱり少ないんだよな。それはもちろん思いやりとか倫理観とは全く違ったことなんだ。
暴力は、人が人に向けたら、それは人にとって良くない。だからわたしは小さくて良かったなと思う。
このまえ豆苗そだてて食べたんだけど、すごいぐんぐん育つの、パンッとしたみずみずしいみどりいろで、親近感どころか尊敬さえして、はさみ入れるときなんかもう、せつなくなってしまって。けど、そのへんから、あ、わたしは、尊敬もしてたけど、おいしそうだとも思ってたんだなって、なんだか初恋みたいな気分になった。考えてみたら自発的に植物そだてて食べるのはじめてだったんだよな。
で、おいしく食べました。
わたしは、それくらいやっぱり小さいんだよな。植物レベル。もっと小さかったら、微生物に恋?みたいなことも考えうるよな。
肉…やっぱり、わたしはたまたま小さかったから、よかったなーと思う。でももし、人を食べたら、ぜんぶ恋みたいになって、せつないけどおいしい!って気持ちになるのかな?