はてなキーワード: はさみとは
https://anond.hatelabo.jp/20170914150144
当該漫画を読んでないのでそのレビューとあんたの反論だけからないよう想像して口突っ込むけどさ
でもさー良く考えてもみなさいよ、きっかけはねねっちが失言したからでしょうが
なるっちが中学生の頃からゲーム会社に入るためにプログラム一筋でやってきたって話聞いた上で「なんとなく~」「なりゆきで~」って言い方したらそらカチンと来るじゃん
無論、ねねっちが天才だったとしても努力して個人的にうみこさんにも指導してもらう行動力も見せてる事を我々読者はわかってるけどなるっちはその辺知らなかったわけじゃん
で、ねねっちもなるっちの実家の問題や自分で生活費を稼がなきゃならないシビアな状況を知らなかったわけで、それを知った時にあん時まずい対応取ってしまったんやとねねっちと共に読者も理解するって構造になってるのわかんないのかしら。
まずこういうコミュニケーションがすげえ嫌だわ
ねねっちがどういう経緯でその仕事してるかなんてねねっちの勝手だろ
「どーせなりゆきでこの仕事してるだけなんで~」ってそれを言い訳にしてちゃんと仕事やらないならキレていいけど
ならねねっちの勝手じゃん
なんでそんな他人のことについてなるっちが不機嫌になる権利あるわけ?
なんでその顛末が「ねねっちがまずい対応をとってしまった」になるわけ?
なるっちが苦労してその仕事についてたら、ねねっちは自分の就職経緯について正直に述べることすらできなくなるわけ?
自分と関係ないことでいちいち不機嫌になるなるっちの性根がおかしいだけだろ
それと同じ感じの変な了見で不機嫌見せる奴がリアルでも居るからなんだよ
そんでなるっち的立場の人間が無神経とか言ってマジで糾弾されるからなんだよ
その問題に限って言えば
人格を直すべきは一方的にねねっちのみであってなるっちになにも問題はないだろ
それをどっちも悪かったみたいにするのはやめて欲しい
あと単純に、
ねねっちみたいにダメな人格や非常識によって不和を巻き起こすキャラで話を転がすの、
上司のネクタイを「偽物ですから」ってはさみで切って、用意してた本物をプレゼントするというパフォーマンスをしたゴマスリ社員が大不興を買って殴られたりする(上司は偽物であるのは知っててつけてた、高校生の息子が初アルバイト代で贈ってくれたネクタイだったから)
ゴマスリ社員は制裁を受けてるわけだけど、だからって読んでて楽しくもなんともない
ただなんか心がざわざわさせられるだけ
嫌な刺激で読者ひきつけてるだけ
なるちゃんて子に「っち」を使ったならねねちゃんは「にゃん」でも「ぽん」でも「ちん」でもいいけど「っち」以外を使えや
ゾンビ映画が好き。ゾンビってだけで本当にたくさんの種類があるけど、どれもそれぞれ個性があって好き。色々見たけど、コメディゾンビよりシリアスゾンビのほうが自分は好きだ。夏休みだし改めて自分の中でのゾンビベスト5を決定しようと思う。そしてそれぞれもう一度観てみよう。やはり有名な映画ばかりが上位に来たけど、有名な映画は有名になるだけありそれなりに傑作なので仕方ない。別にゾンビ映画マニアとかではない。マニアの人からしたらにわかだと思う。にわかが選ぶゾンビ映画ベスト5のつたない紹介!(多少のネタバレあり)
いままで観たゾンビ映画の中で一番怖かった。ある日主人公が病院で目覚めるとゾンビウイルス感染により世界が終っており、ゾンビに怯えたり生存者に出会ったり仲間になったりしながら軍の基地に向かっていくが、後半は人間vs人間の戦いになる。気難しいゾンビ好きも納得の正統派ゾンビ映画のストーリー展開である。この映画以前にはなかった全速力で走ってくるゾンビも怖い。しかしただ怖いだけではなく音楽がめちゃくちゃかっこよくて陶酔できる。怖さとかっこよさを両立させた英国おしゃれゾンビ映画。続編の28週後もとても良いしランキング2位に入れたいくらいだけどシリーズものなのでいったん除外する。しかし28日後がメインで28週後はおまけって映画ではない。28週後もそれはそれで独立した話になっていて28週後のほうが好きってい人もいるみたい。
ゾンビ映画好きじゃなくても観たことがある人が多い傑作(怖いけどグロ描写がないのでたまにテレビで放映するから)。駄作っていう人もいるけどさすがハリウッドだけあり映像が圧巻だしブラピがめっちゃかっこいい(男ならこれを観て将来ブラピになりたいと思うだろう)。これも28日後と同じく全力疾走系ゾンビ。おびただしい数のゾンビが数十メートルの高い壁を重なり合いながらけたたましく登っていったり一斉に全力でおいかけてきてきたり、圧倒的スケール。大勢のエキストラを使っているのでCG満載な感じもない。ストーリーは、国連職員のブラピが世界規模での人類ゾンビ化の原因は何なのか?どこでどのように始まったのか?解決策はないのか?などを探りながら国境を越え色々な場所に行く。ただ逃げたり助けを待つだけではなく科学的な原因を探ったり解決策を見つけ出そうとするのはゾンビ映画的には珍しい。テレビでやってると必ず見ちゃうので2位にした。
普通のゾンビ映画のように追いかけてくるゾンビから逃げるっていうストーリーではなくて、とある美人のレズビアンが謎のウイルスに感染、どんどん肉体が腐ってゾンビ化していく様子を描いた話。最初は性病っぽい症状から始まる。腐り方がすごく気持ち悪い。腐っていく過程でどんどん人が離れていき孤独になって、それまでは雑にあしらっていた自分に惚れているダサ男に腐った体ながらも色目を使ってさみしさを埋めようとする感じもゾクゾクした。ストーリーは冗長だが腐っていく過程の描写がすごく怖いしとにかくグロい。あまりない視点のゾンビ映画なので3位にした。続編はそんなに良くなかった。
タイトルの通り「人間の世界終わった感」がすごいので世紀末的世界観が好きな人におすすめ。どんでん返しがあるとか、これまでにない大傑作!とかではないけど、よくあるゾンビ映画とは一線を画すひねりのある設定なので、あまりあらすじとかは読まないで観たほうが純粋に楽しめそう。前半は「なんだろう?ここはどこだろう?ゾンビはいつ出てくるのだろう?」とか思いつつ普通に観ていると突然驚かされる。28日後と同じくイギリス映画で、やっぱり音楽がおしゃれ。怖いけど音楽のかっこよさが気持ちいいシーンも多かった。ラストはちょっと切ない。観終わった後も映画の世界観の余韻に浸れる。
ゾンビになる前の個人の性格がゾンビに反映されている、多少の自我を持っている系ゾンビ。どB級映画だけど主人公の女軍人が超絶きゃわいいのと、縦横無尽に壁とか天井とかまで這いつくばれるハイテンションゾンビに笑ってしまう。狙ってコメディにしようとしているわけではないのに面白くなってしまっている感じの映画。でも、ちゃんと怖いシーンもある。自我がちょっと残っている系のゾンビなので、ゾンビになってしまったとある青年が、感染前に思いを寄せていた女を守ろうとする姿が健気で切ない。普通に考えるとゾンビ映画ランキングのベスト5に入るようなクオリティではない気がするが自分としては何故か琴線に触れた映画でした。
振り返ってみるとあまり古い映画を観ていない(ドーンオブザデッドは観ました)。古いとゾンビメイクにリアリティがないので個人的にはあまり楽しめないかもしれない。ロメリストの方にはさみしいランキングになってしまいました。趣味が合いそうな人は是非おすすめのゾンビ映画(ホラー・スプラッター映画でもいいです)を教えてほしいです。
○朝食:なし
○夕食:ご飯、納豆(二つ)、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)、10品目のサラダ(水菜と大根など)、ネギはさみ焼(名が体を表してないな、厚揚げでネギを挟んだ商品)
○調子
はややー。
・OverTime
ゲームで本当よくあるんだけど、ラスボスだけ今までシステムとか要領が違うの、嫌い。
が、ストーリーが実に滾る。
フランクさんは舌戦をするわけじゃないから、そこまでしゃべらないんだけど、
ショッピングモールでやりたい放題! っていうレベルさえ上げればとにかく楽しいゲーム部分と、
飽食の傲慢さが生んだ悪夢というストーリー部分が、実に人間の身勝手さを感じられて、楽しかった。
次は当然「2」に行きたいんだけど、前日談の「Case:0」もプレイしておこうかな。
これも、たしか二年ぐらい前にプレイしたけど、さすがにもう忘れてるからなあ。
前回は確か「1」のOverTimeでフリーズしてやる気が失せて、その微妙な熱量のまま「Case:0」をクリアしたせいで「2」をプレイする意欲が消失したんだよね。
とはいえ、ゾンビぶっ殺しっていうゲーム性が続くと、それはそれで飽きそうだから、別の短めで終わるゲームを挟もうかなあ。
XBLAも大量に積んでるし。
●3DS
○ポケとる
を捕獲。
残りは、コイキングぽんちょのみ。
○はねろコイキング
コイキングは、56代目。
ログボのみ。
確実に年齢覚えてるのは4歳のとき
それより古いのだとリヤカー?押し車?みたいなやつに立った状態でおしこめられて散歩にいった記憶
たぶん3歳とかかな
その次はもう5歳のぞうぐみだ
せんせいのお手伝いをして荷物をもって後ろからついていってるときに先生のジャージのおしりのところに1cmくらいの穴があいてて教えてあげたら先生が恥ずかしそうにしてたこと
手編みの毛糸のマフラーもどきが数mくらいまでになったときに自分のひきだしにいれといたらなくなってしまったこと(当時は盗まれたとは思わずになくなっちゃったとがっかりしてただけだったけど今思えば盗まれたんだなあと
道端にはえてるむかごを食べたこと
ぷらものランナーのゴミがきみどりの透明なやつでめちゃくちゃきれいで持って帰ったこと
そんで銃の形っぽくして宝物にしてたこと
コマ回しをしたこと
あやとりが得意だったこと
折り紙で難しいやつ(ライオン)があったからみんなが順番に先生に折ってもらっていて、自分も折ってもらいたかったけど、結局卒園まで折ってもらえなかったこと
女友達の家に遊びに行ったら室内にブランコとか滑り台があって驚いたこと
お泊りの予定だったのにさびしくなって押入れの中で鳴いてたら親よばれて結局泊まらずに帰ったこと
冬の散歩中にまだ熱かったバイクのマフラーに足があたってふくらはぎの横にみずぶくれができた
水疱瘡ができて医者にいったらはさみで切られまくって血だらけになった
男友達の家にお泊りにいったときに夜寝る前にじごくのそうべえを読み聞かせてもらった
めっきらもっきらどおんどんのもちが食べたくてしょうがなかった
身近な発達障害者と左利きを見ると、左利きも人知れず生活に困難を強いられています。英語で障害は困難を意味する difficultyと言います。
なぜ左利きは健常者なんですか?
参考
世の中の製品(道具や機械、楽器など)は、右利き用に設計されているものが多い。これは左利きにとって不便なだけでなく、危険性が高い場合がある。また一般に左利き用の製品は右利き用に比べ割高であり、経済的負担を強いられる。
機械の操作ボタンの多くは(向かって、以下同)右側に配置されている。
エレベーターのボタン、パソコンのテンキーやエンターキー、カメラのシャッターボタンなど、ほとんどが右利きを前提にしている。ただし定員の多いエレベーターは左側にもボタンがある機種もある。
テレビ受像機の電源スイッチや、自動販売機の硬貨投入口は向かって右側にある。
ノートパソコンのマウスの差込み口(USBジャック)、DVDなどの光学ドライブは右側についているものが多い。また有線ネットワークアダプタのコネクタが左側に付いていることが多く、ケーブルを挿すと左側のスペースにはみ出るほか、CPUクーラーの排気口も左側に付いていることが多く、熱気が左側に排出されるためマウスを左側に置きにくい。
マウスを使用する際、メインでクリックする方を左ボタンとしている。(右手の場合に押しやすい人差し指が左ボタン、押しにくい中指が右ボタンに配置される)
電話機の受話器は左手で持つように配置・配線がなされている。右手でダイアル・またはプッシュボタンを操作したり、メモを取ったりするため。
缶コーヒーや缶ジュース等の飲み口(プルタブ)は右手で開けやすいよう、切り口が左奥方向に折れていく構造になっている。
アイロンの電源コードは本体右側から出ている物が多い。左手でアイロンをかけるとコードが邪魔になる。
机に引出しが付く場合は概ね右側にある(ただし学習机では引出し部分が机の左右どちらにも置けるものもある)。
公衆電話ボックスの折れ戸式の扉は、左手では非常に開けにくい構造になっている。
電子レンジやコインロッカーの扉は左開きであるが、これは左手で開けて右手で品物を出し入れするためである。
文字の多くは上から下への縦線と左から右への横線で出来ているが、左から右への横線が左手では書きにくい。これは習字や英語の筆記体で特に問題になる。左利きは紙を右へ傾けて字を書くと横線が左上から右下への斜線になるため書きやすくなるので、多くの左利きが無意識のうちに紙を傾けて書く。また鏡文字を書いてしまう左利きもいる。
横書きで左から右へ文字を書く場合、書いた文字に左手が触れ、乾いていないインクがにじんでしまうことがある。(縦書きやアラビア文字、ヘブライ文字ではその心配はない。)
なお左利きでも右利きと同様にペンの鞘を右手前に倒して(ペン先を左前につきだして)持つ者もおり、その場合は上記の左から右への横線の書きにくさや、横書きの際に乾いていない文字に左手が触れるといった問題が起こりにくく英語の筆記体も普通に書ける。
はさみの噛み合わせはほとんどが右利き用であり、左手では非常に扱いづらい。(刃が噛み合わない。)ただし左利き用や両利き用のはさみも存在する。
片刃である日本剃刀、小刀、和庖丁の多くも右利き用である。また両刃であるカッターナイフも左手で持つとロック部分を手のひらで覆うかたちになるのでしっかりと握ることが出来ない。
缶切りも本来は右手で引く力を利用して開けるが、左手では押し込む操作となる。(近年ではプルトップ式が主流になり、困難は減った。)
錠前、コルクスクリュー、パチンコなどは、右手で回転しやすくなっている。なおスロパチンコにはCRサンダーVという左ハンドルの機種があった[8]。
剣道では利き手に関わらず、右手が柄の鍔側・左手が柄頭を握るように指導される。
まだまだ山のように左利きは社会生活に困難があり発達障害者と同様、社会においてできないことも、右利きより得意なこともあります。人口割合もどちらも15%で日本にはそれぞれ1000万人暮らしています。困難があっても見えにくかったら障害者扱いされないのですか?
【発達障害】多くの教員は「忘れ物をしない普通の子」として生きてきたから「やる気があったら忘れるわけない」という発想になる、という説
https://togetter.com/li/1112722
この人たちはどうして欲しいんだろう
テストで100点満点中10点しか取れない、ハンドボールがあさっての方向に飛んで行く、歌えば音階を外しまくる
こういうのはまあしょうがないって言ってもいいけど忘れ物はしょうがないなあじゃ済まないんだよね
教科書を忘れてしまったら周りの席の子が見せてあげなきゃならない
はさみを忘れたら先生が予備のはさみを貸してあげなければならない
用意してないなら教室の隅でボーッとしてろ!なんてのは許されないわけだから
「せんせぇ~~わたしの○○がありませぇ~~んわすれましたぁ~~」
「ぼく○○がないんですけど、どうしたらいいんですかぁ~~」
そうやって数人のボーダー児童が毎日毎日何かを忘れてその度に周りがフォローしてあげなければならい
支援学級の児童ならしつこいくらいに担任が忘れ物をしないように配慮してなんなら保護者に電話かけて念押しとかできるけど通常学級でそこまで面倒見れない
結局、「通常学級にいるけど実質障害児なんだからたとえ毎日忘れ物をしても僕は私は特別に怒らないでほしかった」ってこと?
もっと言うと健常も障害も関係なしに「忘れ物はしょうがないんだから誰が何を何回忘れても怒っては駄目、フォローは学校で全部やれ」ってこと?
は~……
怒らなかったら健常の子も気が緩みに緩んで忘れ放題になるでしょうね
予備のリコーダーや教科書やコンパスや体操着や給食着やありとあらゆるものを忘れ物をすることを想定していくつも余分に用意しろと
気があうし彼氏よく笑うし生活してる世界全然違くて話してて楽しいから、すきだけど、彼氏が忙しすぎる(ほんとか知らんけど)しなんかわたしのこともうちょっと優先的に扱ってほしいなぁと思う。
性格が賢い人特有の?医学部特有の?自分大好きと部活めちゃがんばる感じ。
大量に覚えるのもできるし、上記の性格は医学部にめちゃ合ってるなぁと思うけど主に部活にバイトにテスト勉強で忙しそう。
そのほかには、部活以外でも友達と運動したり(わたしからしたら部活やっててそれ以外でまだ運動するんかいて思う)、1人で本読んでたり、暇さえあれば(3日以上の休みは)実家帰っててわたしとはデートしなくてもいいみたい。
いつもだいたい会うときはご飯食べてなかったらご飯食べて、お風呂はいって
一緒に寝てそしたら朝がきて、学校行くって流れ。ご飯自炊お互いしないのと、人の作ったご飯が食べられないらしくどっか食べに行く。
わたしは一緒になんかしたいよ〜〜 どったか出かけたいよ〜〜 家自転車で15分の距離だよ?!
週一では会ってるからそれ以上?デートしたいって思うのは贅沢なんかなぁ
耐えられなくなってちょっと全然会えない優先順位低いって感じるんだけど、、、?って文句言っちゃって、そしたらあいてるとしたら日曜日で、先に予定言ってくれたらあけてるじゃん 優先順位低くないよって言われて、実際平日はそうだったからたしかにってなってそこでは丸くおさまったんだけど
1週間くらいたって、じゃあ◯日はあいてないの?(わたしが今月唯一空いてる日曜日)ってきいたらんーそれはまだちょっとわからんって言われた。
まだわかんないってなに????
掘ったら研究室の用事とかなんやらが入るかもって言ってて もしはいったらしょうがないけど入らなかったらデートしようよってわたしは思うんだけど、そもそも約束してくれないことがショックだった。あんまり会う気ないんだなーっておもった。だから無理やり約束できなかった。最近会いたいって言われた記憶もない。向こうが会いたいと思う前にわたしが痺れ切らして連絡しちゃう。
最近急に家いっていい?って聞いていいよって言ってくれたためしがないよぉ
今日はほんとごめんって毎回言われる。
はぅ こんなにもやもやして、向こうもめちゃ「なんで今日はあかんの?!」って言われまくってお互いいいことなくない?
ヤレるから付き合ってんの?キーーーープっすかぁーーーー?でもわたし、こんな気きついし言いたいことまあそれなりに言うし、大変なのにいつもよしよししてくれてありがとーーーって思います。
わたしからライン全然しないから、連絡ほぼなかったりするけどそんとき、2日に一回くらい近況報告のラインが来るのはうれしいよーーー。
なんかどやったら同じくらいのペースで会いたいって思えるんかなー
てゆかわたしんことほんとにすきなのかなーーーー
最初はすきだよって言ってくれてたけど
わたし全くすきって言わない人なんだけどそしたらお互いなんも言わなくなって、記念日もお互い知らないふり(向こうはふりじゃなくて知らないんかもw)だしわたしそれはさみしい。そう思うならすきって言ったがいいよなぁーーーと思って、すきだなぁっておもうし、いまよっぱらってるからラインですきだよーーーーっていったら
違う話題の方に返信はきたけどスルーされた、、、酔っ払ってる感でとるからかな?w わたし酒めちゃのめるけど彼氏飲めないんよなぁー お酒の席の普段言えないこと言えるやつ2人で飲みながらやってみたいなぁー
すきだよーーーって返してほしかったけど、そうだよねわたしが望むセリフが返ってくるために会話してるわけじゃないもんね
わたしはとりあえずもっとコミュニケーションとりたいし、いつもみたいに平日の夜に会うだけじゃなくていろんなパターンで一緒の時間過ごしたいよーっ
忙しいのがんばってね
って思うけど別れて次いったがいいのかなぁ、、、会えたら楽しいけどなぁ
私(♀)は今、北日本のどこかにある某システム会社でシステムエンジニアをしています。
小さいときからパソコンや電子工作が好きで、高校卒業後は情報系の専門学校に入学しました。
飛びぬけて優秀というわけではありませんが、進学の推薦に困らない程度の成績は維持していました。
「私子ちゃんの成績なら進学なんでしょう?」「私子は進学のほうが向いてるよ」と周りからは言われました。
私も進学したいという気持ちがありました。
親に相談したところ、母は「ダメとは言わない。進学するなら奨学金を借りてほしい」と言いました。
父は「四大を卒業した女はすぐに結婚して辞めると思われる。四大なんて女が行くところじゃない」と言いました。
父が言うならそうなのだろうと思いました。
今のシステム会社に入社し、同期の1人と一緒に運用系の部署に配属されました。
学生時代はCやJavaの基本について学んではいましたが、その部署ではプログラミングをすることはほとんどありませんでした。
代わりにLinux,TCP/IP,ネットワーク構築の技術が求められました。
LinuxやTCP/IP,ネットワーク構築は初めて見る知識で先輩が教えてくれる業務をこなすのに必死でした。
一緒に配属された同期は性格の明るさと器用さでどんどん仕事を覚えていき、私と差がついていくのがわかりました。
同期と差がつけられるのが悔しかった私は、勉強をはじめました。
そのころ、我が家は祖母の介護をめぐりよく父と母がけんかしていました。
母が「殺せ!殺せ!私を殺せ!」とはさみを持ってよく叫んでいました。
私と弟が母親をよく羽交い絞めにして止めました。
祖母は、父に対しかなりの毒親っぷりを発揮&クソトメであったため、介護も大変だったようです。
喧嘩を見なければいいと思った私はよく図書館で勉強していました。
その秋のAPは落ちました。
配属されて1年ほどたったころ、私はある女性(40代、既婚)の下で働くことになりました。
以下おばさんと呼ぶことにします。
「なぜわからないの?」「かんがえたの?」「もう1回調べて」とよく言われたので、言うとおりにしました。
厳しいなぁと思いましたが、私の成長を思ってしてくれているのだと思いました。
自分なりにがんばってみるものの、つき返される日々がつづきました。
そのうちに、夜眠れなくなりました。
毎日倦怠感がありました。
「仕事 がんばる 方法」「仕事 落ち込み 立ち直る」でぐぐることが多くなりました。
いろんなにきび治療方法を試したので、にきび治療に詳しくなりました。
元気出す系のドーピングアイテムにも詳しくなりました。(レッドブルからプラセンタまで)
ある日、おばさんが言いました。
「あなたを見てるとイライラするのよ。あなたの成長なんて知ったこっちゃないのよ。さっさとやってよ。」
土日出勤・給料未払いというブラック企業勤めの弟が居たので、相対的ホワイト企業勤めの私がうつ病、ちゃんちゃらおかしかったのでしょう。
夕食のときに、父が「会社を休むのなら学校にでも行け」といいました。
私はおもわず泣きました。
「飯がまずくなる」と父にしかられたため、自分の部屋で食べました。
休んでいる間の家族の目がつらかったので、1ヶ月で仕事に復帰しました。
「つらかったら半日で帰ってもいいんだよ」と上司(男性、おばさんとは別人)に言われましたが、家に帰ってもろくなことがないので、定時まではたらきました。
そんな中、弟が交通事故で重傷を負いました。
弟は障害者手帳を持つようになりました。
用事があり作りませんでした。
弟は帰るなり私を殴り、「なぜ俺の飯がないんだ」と叫びました。
さすがに理不尽だと思い親に訴えました。
母は「あの子はやかんみたいな子だからね。すぐに沸騰するのよ」といいました。
その後親から弟にお叱りがあったようです。
弟は私に会うたびににらむようになりました。
親に言いつけたことへの報復が怖くて、夜は自分の部屋の扉に、机やいすでバリケードを作って寝ました。
APは5回ぐらい落ちました。
親の怒号や弟の報復におびえることなく勉強できる場所がほしいと思いました。
実家暮らしで、うつ病で趣味もなくなっていたので、お金はありました。
親は、一人暮らしをすることについては何も言いませんでした。
隣の部屋のおじさんの声、車の音がうるさかったですが、親の怒号や弟におびえた日々に比べたら天国でした。
好きな時間にご飯が食べられる。
好きな時間に帰ってこられる。
以上です。
当時、めちゃくちゃ話題になっていた某作品を、だいぶブームが落ち着いたころに遅ればせながら入手して、わくわくしながら読み始めたんだ。
だが、比較的序盤で、あるキャラクターが「きりーつ。れーい。きょーつけー」と発言していた。
その一文を目にしたとたん、なんだかすべての文章が受け付けなくなってしまい、その後、ほとんど読み進めることができなくなってしまった。
そういう書き方が悪いわきゃなくて、単に好みの文体が一致しなかった、というだけの話だけど(特に「きょーつけー」がダメだった)。
同様に、「明らかに海外が舞台なのに、日本語での語呂を使った言い回しやダジャレをくり返す」という作品も受け付けない(該当作品はひとつではない)。
そういう文章に出会うたびに、頭の片隅がすっと我に返ってしまう。
自分が脳内で補完している音の響きが乱されて、没入できなくなるのだろう、と推測している。
でも、本当は楽しみたいのに、それができないのはさみしい。
訳あってここ数か月、幾多の合コンに参加してきた。
未だ戦果はゼロに等しく、財布の中身もそれはそれはさみしい事になっている。
しかし、今回言いたいことは戦果云々ではない。
端的に言って、「社会人の合コンには、マルチ女が紛れ込んでいることが驚くほど多い」ということである。
なぜだろうか?
合コン後、数日経ってから戦友達に進捗を聴くとかならず、「誰々ちゃんからゲーム大会(しかもそれは経営者の尊敬できる友達が主催したもの)に誘われた!」
お持ち帰りに失敗しているという重大な瑕疵はさておき、なぜだろうか?
なぜ必ずといっていいほどの確率でマルチ女が紛れ込んでいるのであろうか。
1つ思い浮かぶこととして、単純にマルチの見込み客を見つけやすい(しかも、男女関係を匂わせているから数字に結びつきやすい)ということがあるだろうか。
では仮にそうだとすると、マルチ女たちは、「マルチのターゲットになり得る人間が合コンに来る確率が高い」と読んで合コンに参加していることになる。
ではここでいう「マルチのターゲットになり得る人間」とは、いったいどのような人のことを指すのだろうかという疑問が浮かぶ。
それに対して、私は一つの仮説を挙げたい。
多少語弊があるだろうが、「微妙に貧困に片足突っ込んでいる層」こそが、彼女らのターゲットなのではないだろうか。
具体的な年収などの諸条件もそうだが、微妙に貧困だからこそマルチのような副業だとか、成功している経営者のセミナーへのい食いつきが良いのだと考える。
低層からの脱出を図りたいというその気持ちが、マルチを引き寄せるのかなあ、と。
逆に貧困ではない層は、「合コンなどに頼る必要などないからマルチも寄ってこない」、もしくは「マルチの側から見切りを付けられる」などの理由でマルチのターゲットにならないのかな、とか考えたりする。
そもそもお金への執着が貧困層ほど強くないから、マルチ商法には合わないのかなあとか。。
というのも、私自身、決して金持ちではないが貧しくもない層に居る。ローンやカードの審査は何の問題もなく通過できる程度には身分の堅い仕事をしている。
その状態で冒頭のように「訳あってここ数か月、幾多の合コンに参加してきた」ところ、上に書いたように何人ものマルチ女と遭遇したわけである。
ぶっちゃけ私自身、モテたいとか彼女が欲しいとか強く思って合コンに参加するので、ある程度お金に余裕があることを無意識にアピールしてしまう。
車を買っただとか、大手に勤めているとか。。。
運よく仲良くなった女の子からは度々、「ああいうのはモテたい感が強く出てて、こっちとしては引いてしまう」と指摘される。反省点である。
で、上記のようにお金に余裕のある感じを演出してしまうので、まともな子からはダメ出しをされる。
いずれのマルチからも「勉強会」とか「フットサルサークル」、「ゲーム大会」には誘われることなく、自宅で一人悲しくエロ動画を観て果てていたりする。玉砕もいいとこである。
マルチのターゲットにされていないというのは、嬉しい反面ちょっと悲しかったりもする。
理由はふたつ。ひとつは、純粋にマルチの世界も覗いてみたいという好奇心が満たされないから。
もうひとつは、もしかしたら友達になれるかもしれない人に相手にされていないと思ってしまうから。
たぶん、マルチに嵌まるような人と仲良くしていても良い事はないのだろうが、それでも少しは他人を信じたいという、寂しい20代の心の叫びなのだろう。