はてなキーワード: お笑い芸人とは
お笑いについてはコンテンツ見れば見るほどハードル上がっていくんだろうね
お笑い芸人のトークとか見てて、この人本人ってムチャ沸点高いんじゃね
日常生活クスリとも笑わずムッツリして過ごしてそうだけど幸せなんだろうか
でもその孤独と渇望が新しいネタを生むのか。そりゃ落語家も自殺するよな
とか思う
異性の好みについては童貞の頃はワンピースみたいなくびれロケットおっぱいオンリーだったけど
貧乳ぽっちゃり。それもまた善し。とかだんだんストライクゾーン広がっていく感じ
そういえば音楽なんかも、聞いてるだけだとどんどん好みが先鋭化されていくけど
人とセッションしてくと課題曲こなすためにジャンル周辺の曲も聞いていくと
まあよく言う、本を読むだけでは知識は腐るとかそういう感じ
休日の雨の午前中、同棲中の女性と遅い朝食中、TVから松本人志の「俺には目指す人物がいないから心に迷いが生まれ隙ができる(意訳)」って話が聞こえてきた。Xのアゴお化けが新興宗教に10億円だかを騙し取られたって事件を出汁に、心が弱った時には悪い奴がやって来るよねーみたいな話とかマチャミのモノマネとかそういう文脈で。
松本人志の場合は頂点獲ったからもう上が居ないって意味だろうけど、と、すれば、お笑いを目指す人の頂点、お笑い芸人の多数のロールモデルが松本人志って事だ、けど、その松本人志自身は自身をロールモデルには出来ないようだ。
昔はあったんだろうなー、〇〇みたいになりたい!ってのが。
私のロールモデルは飼っている猫です。
私は猫になりたい。
この生焼けのアジもきっと美味しいはず。
「ツッコミスキルを鍛えたい!」と世の中のみんながそう思ってる。何故だ?何故なんだ?ツッコミなんてお笑い芸人だけのものだろう?それともあれか、合コントークに使うのか?
いやいや。ツッコミというのは「人心掌握術」なのだよ。人を感動させ賛同させるためのな。生きていく上で必要不可欠な存在、それがツッコミスキルなのだよ。
え?「なんでや!ツッコミはそんな大層なもんじゃないやろ!」って?ノンノン、ツッコミは凄いんだ。大層なものなんだ。なのに「ただの間違いの訂正と誤解されている」んだ。
例えば。「なんでや!阪神関係ないやろ!」っていう間違いの訂正。違和感の訴えとも言えるが。まあ、芸のあるツッコミとは言えません。
この場合は相手がツッコミ待ちだからマシだけど、そうじゃない場合には?ツッコミって体(てい)で間違いを訂正したら嫌な顔されたなんてオチが見えますねえw
だから間違いの訂正に間違いの訂正をしたい。そんなんじゃねえよツッコミってモンはよ、ってね。これツッコミじゃなくてガチダメ出しなw
もひとつ例をあげようか。んーそうだな・・・例えば「人すくな!」。こういうツッコミってどうなんだ?誰にでも言えるよな?見れば誰でも分かる違和感を口にする意味ってなんだ?代弁とか?おもに代弁だな。
でもタイミングが難しい。速すぎても遅すぎてもだめ。特に遅すぎないのが大事。遅れて「人すくな!」と言うと「見りゃわかるわ」と言われるのがオチ。これではツッコミのつもりがボケになっちまうw
みんなが「人少ないな」と思いかける瞬間に「すくな!」と代弁するから賛同される。
なぜ俺はこんな話をしたのか?ちょっと考えれば分かる分析を披露するため?いやそうじゃなく、ツッコミは単なる違和感の訴えなんかじゃないってこと。それが言いたかった。
違和感を訴えるだけなら、どのタイミングで「人すくな!」と言ってもよいはずだ。訴えるだけなら簡単なもんだ。そうじゃないって。ツッコミは鋭くないといけない。
鋭いツッコミとは、人々の違和感をスッキリさせるツッコミだ。そのために絶妙なタイミングで違和感を訴えてるだけで。訴えるだけならサルでもできる。
もう分かっただろう。ツッコミは間違いの訂正でも違和感の訴えでもない。ツッコミは違和感からの解放。人々のモヤモヤをスッキリさせるから「人心掌握」できるのだ。だから人生の必須スキルなのだ。
みんなそのことを多かれ少なかれ分かってるから「ツッコミスキル鍛えたい!」と思ってる。でも間違いの訂正や違和感の訴えを頑張ってもダメなんだ。それではツッコミスキルが鍛えられない。
ここまで読んだ読者にはもう分かっただろう。ツッコミスキルを鍛えるには、違和感に着目すればいい。常日頃感じた「違和感をメモする」ことから始めてみては。
ただーし、文句を言うのではない。違和感の解決が目的だ。文句ばかり言ってたら違和感が強まるだけ。これはつまらないお笑い芸人になる罠である。
ツッコミスキル鍛えるつもりが文句スキルを鍛えてたなんて笑えない。笑えないし笑わせることもできない。これは文句たれるだけのつまらん人間から脱却するチャンスでもある。
じゃあ違和感はどうやって解決すればいいのか?秀逸なツッコミはどんな具合に違和感を解決していたか思い出してみよう。
フットボールアワー後藤のツッコミ集botをここに置いておきますね。 https://twitter.com/gotosmart_bot 好みが合わない場合は各自用意するように。
秀逸なツッコミというのは例外なく「的確すぎるwww」と笑いたくなるだろう。ただ違和感を表明するのではなく的確に表現するから「たしかにwww」と笑いたくなる。
しかも、ごく当然のことを的確に言いながらも斬新さがあるでしょ?つまり、みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける。だから「たしかに!」と感動され賛同される。これが鋭いツッコミってやつ。
言い換えると、あやふやな説明しか与えない既存の認知をくつがえし、そしてスッキリした枠組みを与えることで、人々の違和感を解決する。それが鋭いツッコミ。
言われてみると当たり前だけどこれがツッコミスキルを鍛えるために重要なんよ。
ここでFAQに答えると、「世の不条理を的確に表現するだけなら批評家でもできるじゃん。でも笑えないこと多いじゃん。」そう思った?
笑える批評もあるよ。映画や音楽の評論家に多い印象があるな。批評が笑えないことが多いのは、抽象的な不条理は「みんなの違和感」として共有するのが難しいから、
視点の斬新さは必ずしも必要ないから、的確さといってもインパクトある的確さにすると暴論になりがちだから、だな。
もひとつ。「詩はユニークで的確な表現を使うけど、だからって笑えるわけじゃない。笑いなんて理屈で説明できないんだよ。」そう思った?
これはそもそも違和感がたりない。詩は美を表現するものだ。違和感が表現されることもあるが、そればかりでは美しくならない。そういうことだ。
大事なことなので2回言います。「みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける」。これが面白いツッコミよ。
となれば、ツッコミスキルの鍛え方はもう完全に分かっただろう。
まず違和感をメモする。メモする時は文句にならないように。これはもう言った。普段から「おや?」と引っかかる物事にアンテナを拡げておくのがいいな。
次に、違和感を的確に表現する練習。これも愚痴にはならないように。表現に斬新さは必要ない。ここまで読んだ君なら、表現を奇抜にするだけじゃ無意味だって分かるだろ?
斬新さが必要なのは視点だ。単に表現が斬新なだけで視点がありきたりなままでは、違和感は解決されない。ありきたりな視点で解決できるならみんな違和感にモヤモヤしてない。
さて、1つの違和感に対して的確な表現を模索してると、突然頭がピカッと光ることがある。新しい視点のひらめきだ。
この回路を鍛えるために練習するのよ。1日に何十回もピカッとするようになったら人生(QOL)も変わる。
最後に、新しい視点集めをしよう。違和感とか関係なしに、新しい視点だなと思ったらメモする。自分にとって新しければどんな些細なことでもいい。
むしろ些細なことのほうがいい。エロ画像集めてると後で見たらあんまエロくないのに保存しちゃうことがあるだろ?興奮してると些細なエロでもエロく感じる。
それと同じで日頃から些細な新しさでも積極的に興奮していこう。派手な新しさの中に本当の新しさは少ない。些細な新しさの中にこそ可能性がある。
だから新しさの感度を高めていくのだ君達。ただし、フェイスブック式の機械的な「いいね!」にはならんように。それでは逆に感性が鈍くなる。
ちゃんと新しいと感じることが大事。ほんのわずかでも新しいと感じてるのを確認してからメモする。
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いやあ、みんなありがとう。以下返信。
まず「なるほど」「こういう能力が欲しい」ってコメントしてくれた人達。ありがとう。
本エントリをツッコミ待ちと解釈した人達、ツッコミ入れた人達。バレちった?w皮肉じゃなく本心なら半分正解。なかなか鋭い。
>「秀逸なツッコミ」は「秀逸」だと気付かれないツッコミです。ツッコまれた人だけが「あ、なんか話しやすい」と思えるのが理想です。目立ちたがりのツッコミは存在がうるそうなる。
確かにそういうものかも。気付かれないほうが気付かせることができる。そう思うんだ。人にツッコむときは気をつけたい。
なるほど。そういう役割もあるね。いろいろ考えてみる。桂枝雀にも興味もったよ。ありがとう。
> 要は、何か違和感のある空気となった時、違和感へ触れることがタブーな雰囲気になる前に即ツッコミをいれてフラットな雰囲気に戻す事ができる能力=ツッコミ力ということでしょうか。
あぁ、場のみんなが違和感に触れやすくする役割もあるのか。他に、触れやすくても言葉にしにくい違和感を代弁して解放させる役割もある。両方ツッコミだけど想定してたのは後者。
> 例えツッコミが復活してきたのって、流れとしてはツッコミのボケ化だと思う。ボケはほんとセンスでやる行為だから真似できない、でもツッコミは例え上手くすりゃ形は真似できる。しかし本当はそっからが大切なんだ
面白い見解だね。ボケ的センスを加えたツッコミ。高圧的に間違いを訂正するツッコミから、ボケて違和感を解放してあげるツッコミへ。
> ツッコミキャラの自負持ってる奴はたいがいクソだと思うけどね
> ツッコミは、別に鋭くなくて、場が和めば、それでOKだという考え方もある。
いやそれは本当にそう思う。「鋭いツッコミ」ってある意味鋭くないものだよな。
> フリスビーをどこに投げても取ってくれるのがツッコミなのであって、違和感だの非常識だのは関係ないな・・と思ってるのでツッコミを鍛えたいなんて思ってなくて、だから関東の人の会話はフリスビーが飛び交ってる。
なるほど。確かに相槌に近いところがある。どんな暴投でも拾ってくれる相槌。拾う気があればスキルなんて鍛える必要ないとも言える。違和感というよりもっと広く「興味」でどうだろう。
> 笑いの話でいうと、司会者気取りでつまらん無茶振りをしてくるやつが不快。ボケをやりたがる人って少ないよね。
たしかにね。ツッコミが暴力装置になっててボケは損な役回り。だからツッコミの再定義が必要。また、意図せぬボケをしても関西風に「おいしい」と思えるかどうか。
> 日常生活で「面白いツッコミしよう」って思ってる人は、99%がスベッてる。自分の周りの『面白い人』を思い浮かべてみれば、無理に面白いこと言おうとしてないでしょ
うん。身体に染みついてないとな。ツッコミは笑いの道具である前に認識様式でないと。本読む時ツッコミ入れながら理解するけど、そのとき無理してるか?って話。
> 長いよ!自称Sですと同じニオイがする
> ツッコミは多分普段からのキャラの方が重要だと思うけどな。いじられる要素持ってたら言葉に何も説得力を持たないから。
そう。世間ではツッコミキャラ=いじり役になってる。それに目指す価値があるかってことだと思う。
> ツッコミスキルで一番重要なのは、望まれないツッコミはしないということではなかろうか。
批判的ツッコミは危ないね。人々の否定感情を代弁する批判的ツッコミも誰かを傷つけうる。
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補足。
ツッコミには愛が必要って話が出たので補足。本文に沿えば愛あるツッコミとは「違和感からの解放」。一方、文句(に近いツッコミ)ってのは「常識の反復」なんだよな。
例えば、友達が何かに文句ばっかり言ってたとしよう。その人は何かに対する違和感を抱えこんでる。その違和感を直接解決するには、違和感に的確な理解や表現を与えないといけない。
だから、常識や固定観念でしか考えられないでいると、なかなか違和感を解決できないことが多い。違和感を解決できないから、文句を周りにブーブー垂れる。
また、違和感だけでなくその背後にある問題もなかなか解決できない。常識にとらわれて理解が不足し視野が狭くなってるからな。
そう考えると、文句ばっかり言うのは、SOS信号を出してるともみなせる。視野の広い人による愛あるツッコミ待ちってこと。
世の中には文句に近いツッコミが得意な人が沢山いるけど、そんな人では救えない。文句では文句への没入は救えないし、常識では常識への没入は救えない。
増田に限らず、ネットではいろんなところで釣りという言葉を耳にしますが、
自分なりに目的を考えてみましたが、他にありましたらトラバかブクマでもして頂けると助かります。
名称は適当に決めただけなので、心理学とか詳しい方いたらマズローでいう○○だろ禿げとか指摘して頂いて構いません。
1,認証欲求型。
最近多い気がする、
自分と逆の思想をわざと大袈裟に書いた後、その思想が叩かれるのを見ることで共感者がいることを再認識したいタイプ。
実はこのA君が僕ですとか、後になって宣言するものなんかが当てはまりますね。
当事者が叩かれることがデフォのネットでは、こうした手段で批判を避けようとすることは、賛成はできませんが理解はできる行為です。
2,愉快犯型
自殺予告とか何時までに何レス行ったらエロ画像うpとかが当てはまりますね。
叩くにせよ、のばすにせよ自分の立てたスレなりで必死になってる人が滑稽で面白く感じる、その考えは理解出来ます。
お笑い芸人が無駄に身体を張ったりするのはこの手の滑稽さを売りとした笑いなんでしょう。品はないと思いますが。
95割やすくつなど、知らない人なら叩くジャーゴン的な表現も釣りとしてここに含まれるかもしれません。
3,構ってちゃん型
ちょっと頭に問題がありそうな人を頑張って演じて、レスやブコメなんかを稼ぐ場合とかが当てはまりますね。
評価とかはともかく、反応されるので暇潰しとしてするのは理解できます。
他になんかある?
26歳にして、なんだかモテるようになった。
というか、そろそろ一人ぼっちが寂しくなり、出会い系に登録して色々食い散らかして、残ったのが彼らだ。
問題は、誰と付き合うか、だ。
まずは自己紹介。
○増田(26歳)
○性格
おっとりというか、ぼーっとしてるというか、鈍感というか。
○顔
自分じゃなんともいえん。
○趣味
○セックス
で、ココからが本題。
○Fさん(38歳)
○性格
やさしい。
○顔
エロさが顔ににじみ出ている。
○趣味
全く会わない。
エロい話以外はしたくないらしく、休日もAVばっかり見てるらしい。
○セックス
フェラが大好きなおじさん。
そうえばまだキスもしてない。
○Nさん(32歳)
○性格
引っ込み思案。
○顔
○趣味
今度のTGSに参加するらしい、僕も予定があえば参加したかったなあ。
○セックス
いやほんと凄いよ。
拳ぐらいってのが比喩じゃなく、まじで拳ぐらいある。
その上セックスも超上手い。
一晩で六回ぐらいイカされたこともあるし、トコロテンもしちゃった。
○Kさん(35歳)
○性格
にぎやかな感じ。
いっつも喋ってて、暇をさせてくれない楽しい人。
○顔
お笑い芸人の河本が変顔している最中に、6000発ぐらい殴ったらこうなるんじゃないかな?
○趣味
全く会わない。
○セックス
ドへたくそ。
へたくそすぎて、一回もイケたことがない。
○Rさん(28歳)
○性格
いつも笑顔な感じ。
楽しませてくれるだけじゃなくて、真面目な話題もそつなくこなす。
○顔
かなりのイケメン。
DAIGOを5000万円ぐらいかけて改造しても、これだけのイケメンにはなれないと思う。
○趣味
あまりあわない。
あわないけど、僕の趣味に興味をもって接してくれるので、一緒にいて楽しいです。
○セックス
上手ではないけど、凄く丁寧に愛撫してくれるので、不快ではないです。
とまあ、こんな感じの四人の中から誰と付き合うか悩んでる。
お笑い芸人の客層がそのあたりらしいよ。
Love Piece Club - どぶろっくと痴漢の関係
http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/mejirushi/2014/08/19/entry_005292.html
話題になっていたので読んだ。
タイトルにタレントの名前が入っているので、人は集めやすいだろう。
下ネタ系芸人の“どぶろっく”と性犯罪の代表格“痴漢”という組み合わせもいい。
前半は自身の痴漢体験談と「なぜ痴漢は痴漢をするのか」という話。
興味深い話ではあるが、下世話な話を期待している人間にははっきり言って退屈だ。
その結果、適当に流し読みされて、間違った解釈をされるハメになる。
的を外した反論などを受けることも少なくないらしい。
話題になったテキストには、よくあることだが……。
特に“膜”についての話が話題となっている。
田房氏曰く、
「彼らにとっては、自分が相手に加害を加えているというよりも、 自分の世界、自分の半径1メートルを覆う膜のようなものの中に、女の子が入ってきた、という感覚なんだ」
という。
引用している書籍で取材されている強姦加害者は1人だけで、ケースとしては不十分だ。
それ以外では筆者の経験と取材を論拠としているが、自己完結の域を出ていない。
「感じ」「感じた」という仮説的表現を多用していることが、その印象をより強調する。
それでも妙に説得力が感じられるのは、筆者の秀でた表現力が故だろう。
連続して「あの感じ」を使用するくだりは、映画を思わせる迫力すら感じさせられた。
続けて“どぶろっく”について。
ここで筆者は『もしかしてだけど』の例として、次の二つを挙げている。
「電車で前に座ってる女が白目をむいて寝ているが、もしかして、俺の股間を見て失神したのではないか」 「夜道で前を歩いてた女が、こちらを振り返って急に歩くペースを速めた。もしかして、俺を招くために部屋を片付けたいんじゃないのか?」
『もしかしてだけど』を観たことがある人なら分かると思うが、
ここで用いられているネタは『もしかしてだけど』の中でもかなりエグい。
これらのネタは、全体の後半で用いられることが多い。
ソフトな『もしかしてだけど』に飽きてきた観客に向けられたカンフル剤的な役割を果たすためだ。
それがメロディも歌声もない言葉だけの状態で表記されているのだから、
どぶろっくを知らない人には印象が良くないだろう。
事実、Twitterでは、どぶろっくを知らない数人の方々が不快感を示していた。
YouTubeで公式動画が公開されているから、URLで紹介しても良かったのではないだろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=qj3bCb4a_9w
「そんなどぶろっくがこんなに老若男女に大人気なのは、 痴漢などの性犯罪に関する知識が日本の世の中に浸透していないことの表れである。」
“膜”の論理を用いて、筆者はどぶろっく人気をこのように評している。更に、
「「どぶろっくを笑う世界」には、痴漢などの性暴力は存在しないことが前提になっている。 同じ世の中にそういった被害は実際にあるのに、その被害とどぶろっくは別々のものと認識されていて、 観ている人たちの中で、まったくつながっていない。」
今年の4月になって“膜”と『もしかしてだけど』を結び付けた人とは思えない。
自らのことを棚に上げて、よく言えたものだ。
そして筆者は、
「性犯罪者のことを「異常者」「一生治らない病気」「性欲によるもの」と片付け、 社会全体で無視し、代わりに間違った認識だけを広めているためにその実態を知る機会がない。 つまりは性犯罪というものと性犯罪被害者に対してもマトモに向き合ってないということである。 そして社会全体が「女性に対しての侮辱」に対して徹底的に鈍感なことが、どぶろっく流行を力強く支えている。」
と結論付ける。
「社会全体が「女性に対しての侮辱」に対して徹底的に鈍感」であることは否定しない。
が、その理由として、『もしかしてだけど』の流行だけを用いるのは、些か無理がある。
そもそも、
「例えば、お笑い芸人がギターを持って 「老人の家に孫のフリして電話して助けを求めてみたんだ もしかしてだけど 間違えて俺の口座に振り込んでくれるんじゃないの」 と歌っても、面白くないし不謹慎だしお笑いとして成立しない。 それは、「オレオレ詐欺」という犯罪が実際にあることをみんなが十分に知っていて、 その犯人はこういう発想で犯罪をしているということがパッとつながるからだ。 そして同時に「老人に対する侮辱」も感じ、不快な気持ちになる。」
「女子中学生が痴漢に遭って「マジ痴漢ってなんなの?! ムカつく!」と言いながら、 どぶろっくを見て笑っている、という状況は異常だと思う。」
などの記述から察するに、筆者は演芸に関してまったくの素人だ。
古典落語の分野を見ても、『穴泥』『置泥』『締め込み』『出来心』など、
現代の若手芸人たちも、犯罪を取り扱ったネタを幾つも発表している。
例えばおぎやはぎは、「俺さぁ、結婚詐欺師になりたいんだよねェ」とのたまい、
結婚詐欺師になるための方法を二人で思案する漫才を作っている。
筆者は立川談志は「落語は人の業の肯定である」と言ったことはご存じだろうか。
女子中学生のくだりも同様だ。
痴漢を経験したことによる恐怖と怒りを、笑いが超越する可能性を完全に無視している。
それが果たして異常だろうか。
我々は、我々が経験した哀しい経験を、世の中の全ての作品に反映しなくてはならないのか。
不幸にもそうなってしまった人もいるだろう。が、そうじゃない人もいるだろう。
そういう人たちは異常というのだろうか。
だが、その感情を正当化させるために、“演芸”という他ジャンルを荒らすようなことをしてはいけない。
最後に、重箱の隅だが、
私も2008年にどぶろっくの「男の妄想」芸を観たときから、面白いと思って笑っていた。どぶろっくが好きだった。 だけど、2011年から痴漢に関し調べるようになり、今年の4月に「刑事司法とジェンダー」を読んで、 やっとどぶろっくと自分が遭っていた痴漢被害がつながった。 10代の頃からあんなに痴漢に遭っていたのに、どぶろっくを観ただけでは分からなかった。
「どぶろっくが好きだった」という人が、
「やっと」「どぶろっくと自分が遭っていた痴漢被害がつながった」という表現を使うだろうか。
別にいいんだけど。
その「解釈」そのものが女性に対する侮辱である、と言う内容だろ。
例えば、お笑い芸人がギターを持って「老人の家に孫のフリして電話して助けを求めてみたんだ もしかしてだけど 間違えて俺の口座に振り込んでくれるんじゃないの」と歌っても、面白くないし不謹慎だしお笑いとして成立しない。それは、「オレオレ詐欺」という犯罪が実際にあることをみんなが十分に知っていて、その犯人はこういう発想で犯罪をしているということがパッとつながるからだ。そして同時に「老人に対する侮辱」も感じ、不快な気持ちになる。
この辺の例えを見れば分かると思うけども。
業務的なものではなく、普通に人と仲良くなるためのコミュで大事なことはただ1つだと思ってる。
自分を抑えたら、人と壁が出来る。
自分を出せたら、人との壁が取り払われる。
「愛してるの響きだけで 強くなれる気がしたよ(棒)」
◯次は、お腹に力を入れて歌ってみてほしい。
「愛してる〜 の響きだけで〜 強く〜 なれ〜る 気〜がしたよ」
これだけで声って全然変わる。びっくりするくらい。
要は会話において、これが出来るか出来ないか。
自分を知ってほしいのか、知られたくないのか、またそれは何故なのか。
人と会話を「すべき」って思う前にまずこれを見つめて欲しい。まず、その「べき思考」を外す。
自分は変わりたいのか、否か。
◯後は、「腹から」「笑って」「自分を出せている」時のことを思い出すか、
それか、それが出来てる人を見てください。
そのために有効なのが、物真似。
表情、声の出し方、トーン、笑い方、間…そういったものを真似てみる。もちろん実際に声を出して。
これをすることで、感情を込めて話すというのがどういうことなのか理解できると思う。
後は、それを自分がしていく。それが出来る時と出来てない時の差を見つめて欲しい。
こんなに違うのか、って気付けると思う。それこそ、最初の歌い方の違いと一緒。
ギャルの真似、DQNの真似、お笑い芸人の真似、タレントの真似…誰と決めずに男女問わずやってみてほしい。
自分と違う、真逆の人間の真似をした方が、より楽に効果は得られると思う。
大げさ・馬鹿っぽいくらいで良い。
自信を持ってそれが出来るようになれば、ああ俺は人見知りなんだな、じゃなくて、
ああ俺は今あれが出来てないだけなんだな。って思えるようになる。
そしたら、「人見知りする」相手に対して胸を張ってそれをしてみればいい。
「みんながカメラマン」を使った結果、別に被害が起きなきゃ搾取される投稿者がいるだけで、別に問題ない。
具体的に言えば以下の感じ。
「自分の息子が隣の家の子供の面白ビデオを勝手に投稿、テレビ朝日に止めてくれるように頼んだが、ゴールデンで放映、隣家から苦情」
「市民活動家の許可を得て撮影し投稿、変な擬音や落書きで珍ニュース扱いのバラエティ利用。訴訟へ」
「ハリケーンで巻き上げられる自宅を観る度に精神的な被害が、と訴えられる」
「テレビ朝日は、一切の責任を負わない」「第三者からの請求には、投稿者の責任と費用で解決」「違反していた場合の損害は、投稿者が賠償」
「自分の息子が隣の家の子供の面白ビデオを勝手に投稿、テレビ朝日に止めてくれるように頼んだが、ゴールデンで放映、隣家から苦情」
表示されるのは氏名だが、「生放送中に、街の名前をうっかり放映」「放映を止めるのが間に合わない」という放送局側のミスでも、責任は投稿者にある。
結構ソフトな表現にしたが、うっかりライブ映像を投稿した場合、矢面に立つのは迂闊な子供を持つ保護者だ。
「一切の責任を負わなくて良い素材テープ」が有ったときに、「責任を負う可能性のある素材テープ」との使い方に差が出るのは、当然だろう。
「市民活動家の許可を得て撮影し投稿、変な擬音や落書きで珍ニュース扱いのバラエティ利用。訴訟へ」
同一性保持権は著作者人格権の一種なので、「著作者人格権を行使しません」とは「好きに使って良いよ」という事になる。
なので、ある市民団体や活動家に取材を申し込んで、ニュースで取り扱って貰うように投稿した結果、
番組内で「疑似科学乙ww」とか画面に書き込まれてバラエティでお笑い芸人に散々弄られても、文句は言えない。
地域・期間・回数・利用目的・利用方法・利用態様を問わず許可してしまっているので、
「大学生の時に、ブスから美人へのメイク講座としてうっかり投稿→就職後もことある毎に再放送され出版へ」となっても止められない。
「ハリケーンで巻き上げられる自宅を観る度に精神的な被害が、と訴えられる」
ハリケーン映像とか台風の被害投稿とか、結構ありがちな素材だろう。
「店の看板が一瞬写る、風評被害だ」とか「自宅が吹っ飛ぶ映像が何度も映る、苦痛だ」とか。たぶん問題ない。
たぶん問題ないんだが、訴訟になったときに、テレビ朝日が強力な弁護団を組んで、普通に勝訴したとする。
示談にした方が安く付くとか、そもそも再放送しなきゃ良いとか、テレビ朝日には関係無い。
一番判りやすいのは「「FNNビデオPost」利用規約」だが、使用権を貸与したものとして扱うことになってる。
期間や利用形態の定めがなく著作者人格権を行使しないともなっていないので、FNNは無制限に使うことが出来るが、利用者が止めてと言ったら止める必要がある。
若気の至りを止められるし、市民団体から抗議がある可能性がある編集は、FNN側が当然責任を負う事になる。
裁判になれば、無茶苦茶な利用規約は無効になるから実はあんまり関係無い。
また「ホテル従業員が芸能人の利用をTwitterに投稿」とか炎上するにしても今と変わらないこともある。
今までのビデオ投稿系と何が違うかと言えば、「著作者人格権を行使しない」ので「こんな使い方されるとは思わなかった」を許容しろって事。
WBSのトレたまに投稿した社員一同頑張ってます動画を、面白おかしく加工して銀魂でネタにされるとは思わないだろう。
幼稚園の娘がプリキュア踊ってるのを投稿したら、将来3D化された上で「ギルガメッシュナイト〜今夜はロリパーティー〜」でイジリー岡田になめ回されるとか。
著作者人格権を行使せずに、テレビ朝日が指定する第三者に利用させることが出来るって「契約」は、つまりはそういうこと。
テレビ朝日は投稿データを、地域・期間・回数・利用目的・利用方法(放送、モバイルを含むインターネット配信、出版、ビデオグラム化、その他現存し、または将来開発されるあらゆる媒体による利用)・利用態様を問わず、自由に利用し、またテレビ朝日が指定する第三者に利用させることができるものとします。当該利用にかかる対価は無償とします。
正直、テレ朝が偏向報道した結果、893のフロント企業から抗議が来て、動画投稿者の個人情報を渡して責任取ってねって振ったら、大炎上するだろう。
まず間違いなく心あるテレビマンなら止めるし、まともな上場企業の法務がチェックしてれば、そう言うことにはならない。
だから、心霊写真を投稿したつもりの女子高生の顔だけ切り出して、「いっぱいだしてね!」と入れた上でAV専門店の看板素材として提供されたりはしないだろう。
ただ、この契約というか規約上は、そう言う使い方を許容せよと書いてある。
裁判に持ってくまでは担当者の良心に依るしかない規約って、マズイと思うわけだよ。
削除は入るかどうかってところだが、正直無期限無制限に使用させろっていう割に、削除に未対応とかすごいことになってる。
バラエティに使って将来DVD化する時に許可得たくないってことなんだろうけど、そう書かないとこれ駄目だよなあ。
公共性があると思って近所の火事投稿したら、週刊誌に「天誅だ!(写真はイメージです)」とか使われる可能性があるとか、フリーダムすぎる。
北海道帯広市の野江呉服店の娘として生まれたふみ子は、左乳房の切除手術を受けたが、
がんは転移しており放射線治療を受けるも1954年になくなった。
中城ふみ子が育った野江呉服店は、開拓地の都市のなかでではあるがかなり裕福で、
ふみ子を帯広高等女学校から東京家政学園に学ばせる余裕があった。
ふみ子の写真は多く残されているが、どこか気取っていて、
しなを作ったりポーズをとったりするものがほとんどだ。若いころは特にそうだ。
彼女は「プチブル」なのだ。「私はあなたたちとは違うのよ」とでも言いたげな、言い方が悪いが、
いかにも「成金」的な姿勢が写真からにじみ出ているようで、私はひどく嫌だった。
彼女の容姿はかなり整っている方で、それが彼女の「気取り」に拍車をかけているようにも感じた。
ほどなくして彼女は結婚し母となる。結婚は恵まれたものではなかった。
写真で「気取り」を見せることは少なくなったが、
「罪と罰」と捉える論者も多いが今回の話では割とどうでもいい。
この一緒に写っている女性は顔も体もでかくて(お笑い芸人のバービーに似ている)、
ふみ子と一緒に写ると自分のボリュームが強調されてしまうから少し下がって写りたい!と訴え出たそうだ。
今に残る写真では、この女性とふみ子の顔の大きさは同じくらいで、
病に侵され余命いくばくもないふみ子も、
この写真を取る際のやりとりには僅かにだが笑顔を見せたという。
この、弱ってボロボロになってたたずんでいるふみ子が一番好きだ。
彼女の可憐な学生時代も性の奔放さも、実は「プチブル」に担保された性質のように思う。
病は「プチブル」的なものをごっそりそぎ落とし、何かが残り写真に写っている。
歌人としての才はギリギリそぎ落とされずふみ子の手元に残った。
ブルジョアジーというものを、革命でも何でもなく、がんというこの時代の不治の病が打破したのだ、と私は思う。
一つの身体においての事例だが、近代の克服を自分の身体を削ることで成し遂げたのだ、と本当に勝手だけど思う。
冬の皺(しわ) 寄せゐる海よ 今少し 生きて己の 無残を見むか
•あれってテレビで深夜ラジオ的グダグダ感をやってるだけだし、それなら普通に伊集院をはじめとする深夜ラジオ聞いた方がよっぽど面白い。
•旅行番組として見てもやっぱりつまらない。乗り物に乗ってるだけ。ちょっと面白い素人のyoutube動画レベルのクオリティ。大体おっさんが深夜バスに乗ってる絵のどこが面白いのか一度冷静に考えた方がいい。
•普通の感性の持ち主が見ると、大泉洋の軽薄さが鼻につく。初期は知らないが、途中からは俺大物オーラと俺面白いでしょオーラがウザい。あのチリチリとニヤニヤで面白そうな雰囲気を醸し出してるだけだが、実際は若手のひな壇芸人レベル。(つまり、吉本の若手のひな壇芸人も、あのガチガチの体育会系に埋れてるだけでノビノビやれば化ける奴は多いと思う。そういう意味では吉本は罪。年功序列で一定のレベルまでの成長しか許容しない。だからポストダウンタウンはもう吉本からは生まれない。)
•大泉洋は芸人じゃないし、水曜どうでしょうはお笑い番組ではない、というツッコミには、「大泉洋は自分をお笑い芸人レベルで面白いと思ってるし、そのファンもお笑い芸人と比較したがる傾向がある。旅番組だとしたら、旅ではない企画が多すぎる。それでも成立するのは、水曜どうでしょうの本質は旅ではなくお笑いにあるからだ。」と答える。
•実際ダウンタウンの番組に大泉洋が出てた時は松本にトークの仕方を揶揄されてた。松本はああいう調子乗りを嫌いなんだと思う。伊集院光も同じく嫌いだと思う。ハマタとは太鼓持ちだから気が合いそう。
•もし見るなら、夜食食べながらとか勉強しながらとかがベストで、集中して見ることには耐えられないレベルのつくり。そういう意味では、ラジオのように声を聞いてるだけで状況を把握できる作りは当時は新しかった。しかしそれは面白さとは別。
•最初と最後のネタが笑い声被せてるだけであまりにもつまらない。おっさんが仮装して変なことしてるだけ。滑っても笑い声が入るぬるま湯。ああいう雰囲気を楽しむものだとしても、やはりつまらなすぎる。吉本の養成学校の入学当初に披露してボコボコにされてトラウマになるレベル。
•タレントにただキツイことさせてれば面白いと思ってるあたりがやはりつまらない。大学生で卒業すべきノリ。
•水曜どうでしょうは、どんなにつまらなくても笑い声を被せれば面白風味になるということを発明した画期的な番組とも言える。吉本や東京の芸人ならば、このクオリティのものは世に出さないから、そこは盲点だったのだと思う。
•そんな水曜どうでしょうを惰性で見続けるファンはやっぱりつまらない。水曜どうでしょうに対するお笑いファンの正しい姿勢は、「うわー昨日夜更かししてたらたまたまやっててさ〜、面白いとは思わないけど人気あるし一応見とかなきゃお笑いファン名乗れないかな〜って思ってさ、まあ見たけどさ、ああ〜これは雰囲気だけだわ〜ロジックないわ〜って思って、まあ勉強しながら耳が寂しい時にはまあナシじゃないかな〜ってぐらいな感じだった〜」ぐらいが正しい。深夜ラジオならケンコバレベル。下の上くらいだ。
•個人的な経験としても、水曜どうでしょう好きは松本の一人ごっつやVISUALBUMはおろか、伊集院の深夜の馬鹿力、爆笑問題カーボーイなども見てない人ばかりだった。多分水曜どうでしょうは面白くない人の面白い番組なのだろう。
•番組がつまらないのにファンが面白い、なんてことはあり得ない。だから水曜どうでしょうファンはつまらない。はいQ.E.D。
社会的によくないとか羨ましいとか嫁が面白いとかいう感情は全くなく、
なぜオレはダウンタウンではないのかと疑問に思っていたあの頃の古い記憶を呼び覚まさせられた。
これから先の努力次第で、年収で上をいくことや、人気で上をいくことはもしかしたらできるかもしれない。
もちろん可能性は非常に低いだろう。分かっている。だが、確率はゼロではない。
しかし、そういうことではないのだ。
この先いくら頑張ってもオレはダウンタウンにはなれないのだ。
このことに気づいたときの衝撃は今でもはっきり思い出せる。
放課後何をする気にもなれなかった。一週間ボーッとしていた。
お笑い芸人を目指すと言っていた無邪気な同級生もいるにはいたが、
かわいそうに、という同情をおぼえたことを記憶している。
そっちの道へ行っても、うまくいって単なる大成功しか待っていないのだぞ。
お前がこれからダウンタウンになることは決してできないんだ。気づいていないようだがな。
それとも気づいていて見ないふりをしているのか?
就職活動中は、ものをつくって社会貢献をしていきたいだー、お客様と一対一で信頼関係を築きたいだー、商品を輸出入してグローバルに働きたいだー
などのたくさんの行いたい仕事をさも一番したい仕事であるかのように言っている人が多数いた。多数というよりほぼ全員、自分も含め
社員の方も仕事が楽しい、仕事にやりがいを感じるとバカの一つ覚えみたいに言っていた。
実際就職活動中に仲の良い人たちと居酒屋で会話するときもそのようなことをいう人は多かった。
体育会系でサッカーや野球を小学生になる前からやってきた人もいて、そのような人たちはいわゆる超一流企業と呼ばれるようなところから内々定をもらっていた。
でもそのような方たちや第一志望である企業から内々定をもらった人たちも本当にそこで働きたいのだろうか。
小学生になる前からサッカーを始めて、現在もサッカーを続けている人なんて20年近くはサッカーとともに過ごしてきたのだから
なれるものならばサッカー選手になって日本代表として試合に出たいに決まっているだろう。
私もダウンタウンの松本人志のようなお笑い芸人になりたかった。
でも当たり前ではあるが才能や環境がなければ、自分のしたい仕事なんてできない。
そういうことを考えたら、仕事をしたい働きたいという気持ちが一切なくなってきた。
自分は女性と付き合ってすぐに別れたことがない。高校で付き合っていた女の子とは、大学で遠距離になるまで2年以上付き合った。大学2回生の時に付き合った子とは、4年弱も付き合った。将来のことで意見が食い違い別れてしまったが。そして、今付き合っている人とは4年と4ヶ月目だ。自慢ではないがもう将来の話もしている。
そこで、長く付き合うコツは何か考えてみた。
•異性との交友は基本的に事前報告、ムリでも事後報告する
女の子とご飯を食べにいく場合など、彼女に事前に言ってOKをもらってた。たまたま会って、ちょっとカフェで話すぐらいの時も、その場で連絡する。また、行く時よりも帰る時の連絡が大事。「もう食べ終わって、これから家に帰るよ」みたいなことを連絡すると、むこうも安心するから。同棲してなくてもね。まあ異性と二人きりって状況をあまり作らないのが一番だけどね。
•お互い本気にならない怒り方を身につける
長く付き合うためには怒らないんじゃなくて、本気にならない程度の怒り方を身につけることが重要だと思う。ちょっとイラっとしたことでも、付き合った当初は言わずに我慢して溜まってゆき、いつか爆発するってことになりがちだ。なのでお笑い芸人のキレ芸みたいに、コントロールした怒り方というか、空気を悪くしない怒り方をお互いに時間をかけて身につけていくべきだと思う。
•見返りを求める
恋愛は見返りを求めちゃいけないみたいな事言われてるけど、それは付き合う前。付き合った後は、お互いに同じくらい相手に貢献するべきだし、そこは厳しくやってきた。例えば、相手がご飯を作ってくれたら自分はお皿を洗うとかみたいに、何かしてもらったら自分もお返しをするし、自分が何かしたらお返しを求めることが長続きするコツだと思う。そういう価値観を持ってない人とは、こっちが飽きたらおしまいだから。
•ありがとうとゴメンは徹底する
長いこと付き合うと、これを言うのがめんどくさくなっちゃうんだけど、見返りを求めるのと一緒で、自分が言って欲しい時になかったらその場で「謝って」とか「ありがとうは?」って指摘してた(もっと冗談っぽくだけど)。で、自分も相手から指摘されたら素直に謝ったり感謝したりする。どれぐらいで言うかのラインを、お互いに探って行って共有することが大切かな。
自分はメールや電話で言葉足らずになったことから誤解が生じて喧嘩するってパターンが多かったから、大事な話はなるべく会って話すことにしていた。それと、大事なことや謝らなきゃいけないことは、事前に相手に「話したいことがある」と言って相手に心の準備をさせるとお互い感情的にならずに話せるかな。
•思い出グッズは見えるところに置いておく
細かいことだけど、デートや旅行のお土産なんかは残るものを買ってきて、部屋に飾っておくと喧嘩した時とかでも自分は謝るきっかけになったことがある。その時々の好き嫌いって気まぐれな感情よりも、誰かと長い時間を共有したってことの方が大切だと思うから。
長く付き合っていると、あんまり相手に異性を感じなくなってしまう。裸にも慣れて、セックスもマンネリ化しがちだ。そこで、相手本体とは別の興奮ポイントをつくることが大切だ。自分は彼女の裸の写真を撮って、その画像を加工してイヤらしい台詞をつけて興奮してた。ドMなのとかドSなのとか、色んな台詞をつけるとフレッシュな気分で楽しめていいよ。