2014-08-23

どぶろっく痴漢関係」を読んで、思ったこと

Love Piece Club - どぶろっく痴漢関係

http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/mejirushi/2014/08/19/entry_005292.html

話題になっていたので読んだ。

とりあえず、流し読みされやすテキストだと思った。

タイトルタレント名前が入っているので、人は集めやすいだろう。

下ネタ芸人の“どぶろっく”と性犯罪代表格“痴漢”という組み合わせもいい。

週刊誌における下世話な見出しを想起させる。

だが、肝心のタレントの話は、後半にならないと始まらない。

前半は自身痴漢体験談と「なぜ痴漢痴漢をするのか」という話。

興味深い話ではあるが、下世話な話を期待している人間にははっきり言って退屈だ。

その結果、適当に流し読みされて、間違った解釈をされるハメになる。

的を外した反論などを受けることも少なくないらしい。

話題になったテキストには、よくあることだが……。

特に“膜”についての話が話題となっている。

田房氏曰く、

「彼らにとっては、自分が相手に加害を加えているというよりも、
自分世界自分の半径1メートルを覆う膜のようなものの中に、女の子が入ってきた、という感覚なんだ」

という。

意見としては面白いが、論拠に乏しい。

引用している書籍取材されている強姦加害者は1人だけで、ケースとしては不十分だ。

それ以外では筆者の経験取材を論拠としているが、自己完結の域を出ていない。

「感じ」「感じた」という仮説的表現を多用していることが、その印象をより強調する。

それでも妙に説得力が感じられるのは、筆者の秀でた表現力が故だろう。

連続して「あの感じ」を使用するくだりは、映画を思わせる迫力すら感じさせられた。

実にドラマチックである

続けて“どぶろっく”について。

痴漢加害者の思考を“膜”の論理自己完結した筆者は、

これをどぶろっくネタもしかしてだけど』と重ね合わせる。

ここで筆者は『もしかしてだけど』の例として、次の二つを挙げている。

電車で前に座ってる女が白目をむいて寝ているが、もしかして、俺の股間を見て失神したのではないか」
「夜道で前を歩いてた女が、こちらを振り返って急に歩くペースを速めた。もしかして、俺を招くために部屋を片付けたいんじゃないのか?」

もしかしてだけど』を観たことがある人なら分かると思うが、

ここで用いられているネタは『もしかしてだけど』の中でもかなりエグい。

これらのネタは、全体の後半で用いられることが多い。

ソフトな『もしかしてだけど』に飽きてきた観客に向けられたカンフル剤的な役割を果たすためだ。

それがメロディ歌声もない言葉だけの状態で表記されているのだから

どぶろっくを知らない人には印象が良くないだろう。

事実Twitterでは、どぶろっくを知らない数人の方々が不快感を示していた。

YouTube公式動画が公開されているから、URLで紹介しても良かったのではないだろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=qj3bCb4a_9w

当然、それでも不快に感じる人はいるだろうが。

「そんなどぶろっくがこんなに老若男女に大人気なのは痴漢などの性犯罪に関する知識が日本の世の中に浸透していないことの表れである。」

“膜”の論理を用いて、筆者はどぶろっく人気をこのように評している。更に、

「「どぶろっくを笑う世界」には、痴漢などの性暴力存在しないことが前提になっている。
同じ世の中にそういった被害は実際にあるのに、その被害とどぶろっくは別々のもの認識されていて、
観ている人たちの中で、まったくつながっていない。」

と、どぶろっくを受け入れている世間に対して言及している。

今年の4月になって“膜”と『もしかしてだけど』を結び付けた人とは思えない。

自らのことを棚に上げて、よく言えたものだ。

そして筆者は、

性犯罪者のことを「異常者」「一生治らない病気」「性欲によるもの」と片付け、
社会全体で無視し、代わりに間違った認識だけを広めているためにその実態を知る機会がない。
つまり性犯罪というもの性犯罪被害者に対してもマトモに向き合ってないということである。
そして社会全体が「女性に対しての侮辱」に対して徹底的に鈍感なことが、どぶろっく流行を力強く支えている。」

結論付ける。

社会全体が「女性に対しての侮辱」に対して徹底的に鈍感」であることは否定しない。

が、その理由として、『もしかしてだけど』の流行だけを用いるのは、些か無理がある。

そもそも、

「例えば、お笑い芸人ギターを持って
「老人の家に孫のフリして電話して助けを求めてみたんだ もしかしてだけど 間違えて俺の口座に振り込んでくれるんじゃないの」
と歌っても、面白くないし不謹慎だしお笑いとして成立しない。
それは、「オレオレ詐欺」という犯罪が実際にあることをみんなが十分に知っていて、
その犯人はこういう発想で犯罪をしているということがパッとつながるからだ。
そして同時に「老人に対する侮辱」も感じ、不快な気持ちになる。」
女子中学生痴漢に遭って「マジ痴漢ってなんなの?! ムカつく!」と言いながら、
どぶろっくを見て笑っている、という状況は異常だと思う。」

などの記述から察するに、筆者は演芸に関してまったくの素人だ。

少なくとも、犯罪モチーフとしたネタは少なくない。

古典落語の分野を見ても、『穴泥』『置泥』『締め込み』『出来心』など、

泥棒主人公演目は数多く存在している。

現代若手芸人たちも、犯罪を取り扱ったネタを幾つも発表している。

例えばおぎやはぎは、「俺さぁ、結婚詐欺師になりたいんだよねェ」とのたまい、

結婚詐欺師になるための方法を二人で思案する漫才を作っている。

しかも彼らのネタの中では、かなり評価が高い)

筆者は立川談志は「落語は人の業の肯定である」と言ったことはご存じだろうか。

ことによると、毒蝮三太夫存在すら知らないのかもしれない。

女子中学生のくだりも同様だ。

痴漢経験したことによる恐怖と怒りを、笑いが超越する可能性を完全に無視している。

それが果たして異常だろうか。

我々は、我々が経験した哀しい経験を、世の中の全ての作品に反映しなくてはならないのか。

不幸にもそうなってしまった人もいるだろう。が、そうじゃない人もいるだろう。

そういう人たちは異常というのだろうか。

性犯罪者を異常と切り捨てる世間批判した、その口で。

痴漢に対して苛立ちを抱いていることは理解できる。

だが、その感情正当化させるために、“演芸”という他ジャンルを荒らすようなことをしてはいけない。

最後に、重箱の隅だが、

私も2008年どぶろっくの「男の妄想」芸を観たときから面白いと思って笑っていた。どぶろっくが好きだった。
だけど、2011年から痴漢に関し調べるようになり、今年の4月に「刑事司法ジェンダー」を読んで、
やっとどぶろっく自分が遭っていた痴漢被害がつながった。
10代の頃からあんなに痴漢に遭っていたのに、どぶろっくを観ただけでは分からなかった。

どぶろっくが好きだった」という人が、

「やっと」「どぶろっく自分が遭っていた痴漢被害がつながった」という表現を使うだろうか。

別にいいんだけど。

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