はてなキーワード: 類推とは
コンプラ白雪姫の内容はともかく注の法的説明について、いくつか誤りが見受けられます。
>(※注10:王のパートナーの方との契約に違反する行為ですが、契約内容自体に嘱託殺人罪に繋がる恐れのある行為が含まれるため法律行為の要素に錯誤があるものと判断され、契約行為そのものが無効であると考えられます)
嘱託殺人とは、殺される人の依頼を受けてその人物を殺害する行為をいいます。自殺関与罪の一種です。
また、猟師さんに殺人の依頼を受けることについて錯誤があったとは思えません。暗殺という犯罪行為を内容とする契約は、公序良俗に違反するため無効になると解されます。
>(※注22:「ひつぎの中の白雪姫にキスをしました」との表現については、見ず知らずの女性に対して昏睡状態にあることを理由に性的な行為を迫る大変卑劣な犯行であり、準強姦罪に問われる可能性があります。あまりに不適切であるため、一部表現を修正しています)
キスをする行為は準強姦罪(現行日本刑法では準強制性行等罪)には該当しません。強制性行にいう「性行等」は、「性行、口腔性行、肛門性行」をいい、キスは該当しません。刑法は類推解釈は禁じられているというのが一般的な解釈です。
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この人の「2度目の」謝罪会見動画についての、SNSにずらりと並んだ反応は、見た限り大きく3種類に分けられる。
1つは
「これも計算なんでしょ?」
的なもので、
2つめが
「ここまで追い込んでるやつらも同類」
「みんな内心ではホームレスを汚いと思ってるはずだ」
みたいな、つまり「本心」「本音」に即していないはずだから駄目だ、というもの。
加えるなら、
「そういう綺麗事なあなたたちは、一体ホームレスのためにいくら寄付をしたんですかw」
みたいなのが、この2と3の間に入るのかもしれない。
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1つ目の、つまり、この謝罪を、心からのものとして信じない、という表明、これが驚くほど多い。
なので、このDaiGoという人のこの(とくに二度目の)謝罪は、多くの人が指摘するように計算なのかもしれないし、
あるいは意外と、真実の、心からの反省に基づいて、あの涙だって流しているのかもしれない。
でも、もしあれが心から涙だったとしても、大勢の人が、それを信じようとしていない。
( https://twitter.com/umiuminemui/status/1426891746487586817 )
を含め、彼が繰り返しあちこちの動画とかサロンとかで示してきた、態度や言動の積み重ねによるものが原因であるらしく、
まるで寓話の狼少年そのままに、自分がしてきた行動や言葉の負債が、いまそのまま自分に跳ね返ってきている。
計算なのか本心なのかわからないが、筆者は、むしろ、この謝罪は「計算」であってほしいと思っている。
そうであれば、彼の内面は、「ちくしょう、うまくいかないなあ」といった悔しさで済むが、もし、彼が真実の反省からあの動画を投稿したのだとしたら……。
これがフィクションであれば、一種の痛快さとともに、一人の悪役の凋落の物語として消化できるのかもしれないけれど、
現実の出来事としては、教訓劇としたってあまりに陰惨すぎる。目も当てられない。
:
そもそもの発端になった、ホームレスや生活保護受給者に対する発言の時点から、
このDaiGoという人の「本心」なり「真意」なりは、なぜこれが問題になったのかとは、何も関係がない。
……少なくとも筆者はそう思っている。
「本心」や「真意」を気にする人は、例えば最初の問題の発言についても「DaiGoさんはそんな意図で言ったんじゃない」的な擁護をする。
しかし、繰り返すが、彼の「本心」も「真意」も、これが大きな問題となって「炎上」した理由とは関係がない。
■こういう場において(拡散され大勢に届きうる、つまり"公"につながる場所で)、
■こういう態度で(僕はこんな"辛口"な本音を言い放てるほど自分に正直でいられるんですよ、というアピールを"エンタメ"とする認識。なおこれは彼の「1度目の」謝罪で発言されているので、もはや「内面」の類推ではない)、
世に向けて放つこと。
それが、ホームレスや生活保護受給者の人たちに対する社会の視線を、どんなふうに「操作」(メンタリストを肩書とする人のようだから、そのことに無自覚だったとも思えないのだけれど)することになるか。
……問題はそこに集約される。
「この発言の底にある、叩いている人間によって捻じ曲げられたせいで語られることのない真意」のようなものは、
どこにも入り込む余地はない。
:
「彼の放った言動、彼の内側ではなく外側で記録されている言動という事実、それについて彼は責任をとるべきだ。」
これが、DaiGoという人に向けられた糾弾の内実である。……少なくとも筆者にとってはそうである。
もちろん、炎上してるとみて一緒になって石を投げてるような手合いだっているんだろう。
しかし、そういうイナゴめいた連中を、「糾弾している人たち」の「代表」に一方的に仕立てて、
「ここまで追い込んでるやつらも同類」
また、
これを書いてる筆者だって、家の前で不当に浮浪者に居座られたら迷惑なのでどいてもらいたいと思う。
そういうことと、
■「こういう言動を公にすることがどんなふうに社会の視線を歪ませるか、セーフティネットというものの存在意義をどんなふうに誤ったイメージにすり替えるか」
批判している人が「本心」でホームレスをどう思っていようが、また寄付をしたことがあろうがなかろうが、何一つ関係がない。
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もうちょっとだけ。
本当のところ、
「特にDaiGoが好きなわけじゃないが、この綺麗事を主張しているやつを"どっちもどっち"で相対化してやろう。そんなことができる自分はなんて冴えてるんだろう」
という満足を得たいがための投稿、というのについては、
「炎上しているところに行って一緒に石を投げてやろう」
の手合いと同様、この件に限らず常にどこにでも発生するものなので、言及してもあまり意味はないような気がする。
そういう「冴えてる私アピール」は、確かにお手軽な娯楽であるが、しかし、何一つ、
それこそ"お花畑な理想論の綺麗事"を言い募るよりもはるかに、世の中の役に立っていない。
要は「言葉で言い負かして痛いところを突いてしまえる私はなんてすごいんだ」という満足感は、
それこそ当人の「内側」から外へ出て、何かのエネルギーになったりすることのないものだから。
そして言うまでもなく、
ガソリンは風呂釜1杯ちょいで法規制を受ける。灯油は5杯。でもサラダ油は50杯!全然大したことない危険性だってこと。単純計算でガソリンの50倍も危険性が低いってお墨付きが消防庁から出てるわけ。
「サラダ油(動植物油)ってガチで危険性が低いんだな」「第4石油類よりナメられてるって相当だな」って思って、そのイメージを今日まで覚えてるわけ。
だったら何なんだよw そんなフワフワしたイメージでサラダ油が燃焼するかどうかが判断できるわけがないだろ。そもそも危険性が低いかどうかなんてお前以外誰も気にしてない。
なんて書いてあったかもう一度よく読んでみろ。「想像はつくが、即答はできん。」って言ってるだろ。論点は最初から、サラダ油を当てたライターで着火できるか否か、だった。ブコメにも専門家に殴られてるなどと誤解してる奴がいるが、専門家どころか、お前は大学でまともに議論したことさえないだろ。何について議論してるか理解できないアホは、邪魔以外の何者でもないからだ。真面目に勉強するってのはペーパーテストに受かるために知識を詰め込むことに収まらない。なんで今までそんなことも知らなかったんだ? お前こそが、真剣に勉強しましたなどと自分にウソをついている。
指定数量からどれほど危険性が低いかを類推するにしたって、それは妄想に過ぎない。指定数量はサラダ油にライターで着火しないことを保証する値ではない。確かに現実にライターでは火がつかなかった。だがそれは「たまたま現実に当てはまった」だけに過ぎない。お前は類推で空想を広げて自分は理解しているなどと思い込んでいるだけだ。わかるか? 山を張って当たっただけなのはお前の方なんだよ。それに気づかないでブーメランを晒してネットに残してしまったのは、アンラッキーなアホ、としか言いようがない。知らないことを知らないと言いきるには勇気がいる。学問の素養のない奴はそれをみて「不勉強への開き直りだ」などと言うだろうが、無知を隠そうとするのは子どもの態度であって、そういうやつは自分の領分への責任を持てない。あるいは本人は無責任でも、まわりがいつも尻を拭くために苦労してるような状況になる。よりタチの悪いのは、迷惑かけてるのに気づかないどころか自分は責任感に溢れる人間だと思い込んでるケースだ。専門家ぶってるお前は、どっちだ?
あと、普通言うまでもないことだが今は必要だから言っておく。消防庁からナメられてるから安全だなどと考えるのは権威主義であって、科学ではない。
それに化学の博士なら、サラダ油は分子量が大きくて蒸気圧が低いから引火しにくいこともなんとなくわかるだろ?わからないのか?
「化学の博士はサラダ油の分子量だってよく知っている。」子どもの考える博士のイデア。
てか「てか、蒸気に引火はせずとも油本体に火をつければ燃えるのでは?」って何?
…
液体の火災は、液体そのものが燃えてるのではなく、液体から出る蒸気が燃えてる...ってのは、それこそ化学やってたら常識だろ。
そりゃそうだろ。ライターの火を油本体に当てたとき、接触点での気化が進んでその場で発火するかも、って想定だろ。バカが得意げに語ってる引火点は液体全体を徐々に加熱していって蒸気に着火するギリギリの温度だ。条件がまったく異なる2つの温度は当然同じになるとは限らない。「お前は危険物甲種名乗んな」? 笑うわ。お前はエアプを名乗れ。まずは学位を返上してから。いや、博士号の返上は要求しない。元々ないものは返上できないだろ。危険物の免許もそのまま空想の中で抱えておけ。迷惑をかけるのさえやめてくれれば好きに幸せでいてくれて構わない。
みんな真面目に勉強してるんだよ。本当の意味で。成績の上下に関わらず。その上で議論して知を向上させようとしてるの。お願いだから部外者が足を引っ張るのはやめて。
オリンピック関連のホロコーストネタで盛り上がったが、個人的にはあまり興味はなかった。何せ、私はホロコーストそれ自体のことは実際詳しく知らないのだ。興味が偏っていて、関心があるのはいわゆる「ホロコースト否認論」だからである。否認論に詳しいのに、ホロコーストそれ自体のことをあまり知らないって変に思うかもしれないが、そりゃまぁ全然知らない人よりは遥かに詳しいけど、例えばワルシャワゲットー蜂起なんて言う有名な事件についてなどほとんど全然知らなかったりする。だもんで、話題になったホロコーストネタについては「へー」程度にしか思わなかった。興味が湧かないんだから仕方ない。
でも、ホロコーストへの興味が向く契機にはなる。最近は、ホロコースト否認に対する活動も停滞していたのだけど、Netflixで暇つぶしでもしようと思っていたら、たまたま目についた『シンドラーのリスト』。そう言えば、まだ二回しか見たことがない。その二回とも、ホロコースト否認やホロコーストそれ自体にすらほとんど知識がなかった頃の鑑賞だったので、ある程度知識のある今ならどんな感想を持つだろうと思って、鑑賞したのである。史実・原作通りではないこと程度は当然知ってる。例えば、映画の中の本当の主役であるアーモン・ゲート所長は、あのバルコニーから狙撃するのは実際には不可能だった、なんて話も知っている。プワシュフ収容所跡地はユダヤ人団体の反対により、当時使うことは出来ず、近所の採石場を使ったので、それに伴って原作の記述から変更したのである。
ともかく、映画は原作通りではなく、史実に基づき考証も経ているとはいえ、全体としてはフィクションである。そんなことは細かい話を知らなくとも映画を見てりゃ誰でも分かるはずなのだが、呆れたことにこのシンドラーのリストですら、ホロコースト否認論者たちは「事実ではない」と否認論に利用するのである。例えば以下のように。
この映画は、全く持って史実ではありません。その事を、私は、ニューヨーク・タイムズの2004年11月24日の記事で知りました。同紙が2004年11月24日に掲載した、エロン大学の歴史家であるデイヴィッド・M・クロウ(David M. Crowe)教授へのインタビューの内容は衝撃的な物です。クロウ教授に依ると、この映画が描く出来事が有ったとされる時期に、シンドラーは、収容所所長であったアモン・ゲートへの贈賄によって刑務所に入れられており、この映画が描く様な活動を出来た訳が無いのです。その他、多くの矛盾を同教授は指摘しており、この映画を「実話」と錯覚する事は全くの間違いなのです。(詳しくは、ニューヨーク・タイムズ2004年11月24日に掲載されたクロウ教授へのインタビューをお読み下さい。)
この映画が、イスラエルの墓地の場面で終はる事が、イスラエル建国の美化である事は余りにも明らかです。プロパガンダは感動的である事の一例です。皆さん、もっと、冷徹に物事を見てはいかがでしょうか。この映画が、オスロ協定に基ずく中東和平交渉とそれによって起こったイスラエル・ブームの時期に公開された事は、はたして偶然だったのでしょうか?私は、スピルバーグ監督が好きですが、同監督が、フィクションを史実と錯覚させるこの作品を作った事を本当に残念に思ひます。
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/7074177.html
西岡は、マルコポーロ事件で一気にその界隈の知名度トップに上り詰める以前は、英字新聞の常連投稿者であったらしい。だからニューヨークタイムズも定期購読でもしていたのであろうか、そうした記事を見つけたのだろう。
さて、西岡の文章、後半のイスラエル云々は、ネットの一般否認者でも使う論理なので無視して良いと思うが、問題は前段である。西岡の書き方では、『シンドラーのリスト』全体が全くの嘘であるかのようにすら読めてしまう。もちろん、映画はフィクション性が強いと言っても全くのウソではない。オスカー・シンドラーは実際に約1000人のユダヤ人の命を救ったのである。トマス・キニーリーの原作は史実と見做されているし、映画は概ね原作に沿っている。では一体どう言うことなのであろうか?
西岡は、私自身とTwitterでやり合った時もそうであったが、参照文献の示し方が杜撰なことが多い。その時は、西岡は「国会図書館で読める!」と豪語しながら文献名すら示さないという呆れた態度すら取っていた(その後その文献をめぐってややこしいやり取りになったがここでは触れない)。今回もまた「ニューヨーク・タイムズ2004年11月24日に掲載されたクロウ教授へのインタビュー」である。あのね、そりゃそのニューヨークタイムズは探せばどっかにあると思うけど、常識的に考えて一般日本人が、ある特定の日のニューヨークタイムズなんてすぐに探せると思う? 「普通は」とはあんまり言いたくないけど、普通は他者の参照のし辛さを考えて、一部その記事を引用とかすると思う。それを「お読み下さい」って、いちいち図書館にでも行って調べろとでも言いたいのか?
というわけで、普通ならニューヨークタイムズなんか参照できないと諦め、西岡の言っていることを鵜呑みにするか、あるいは真偽不明として信じないか、だけだろう。ところが、今時の時代、ある程度ならなんでもググれば見つかる便利な時代であった。その記事とはこれのことである。
Book Adds Layers of Complexityto the Schindler Legend - The New York Times
ニューヨークタイムズの記事って、有料だとほとんど全部ネットで読めるそうだけど、まさかこれが無料で読めるとは意外だった。当該部分のみを翻訳して引用しよう。このニューヨークタイムズの記事自体、ちょっと書き方が悪い。
「シンドラーはリストとはほとんど無関係だった」と語るのは、ホロコースト史家でノースカロライナ州イーロン大学教授のデビッド・M・クロウ氏である。『The Untold Account of His Life, Wartime Activities and the True Story Behind the List(オスカー・シンドラーの人生、戦時中の活動、そしてリストの背後にある真実の物語)』を今秋、Westview Press社から出版した。
映画では、リーアム・ニーソン演じるシンドラーが、1944年にポーランドのクラクフにあるエナメルウェアと武器の工場のユダヤ人経営者に、比較的安全な現在のチェコ共和国に連れて行くべきユダヤ人労働者の名前を教える場面が描かれている。しかし、クロウ氏が電話インタビューで語ったところによると、当時シンドラーは、映画の中でラルフ・ファインズが演じた残忍な親衛隊の司令官アーモン・ゲートに賄賂を贈った罪で刑務所に入っていた。また、経営者のイツァーク・シュターン(ベン・キングズレー)は、当時シンドラーの下で働いているわけでもなかった。
クロウ氏によると、リストは9つあったという。最初の4つのリストは、主にマルセル・ゴールドバーグが作成したもので、彼は腐敗したユダヤ人保安警察官で、ユダヤ人輸送を担当するSS将校の補佐役だった。(ゴールドバーグは後に、賄賂を受け取ったことや、好意的な態度をとったことで非難された。)シンドラーは何人かの名前を提案したが、リストのほとんどの人を知らなかったとクロウ氏は言う。他の5つのリストの作成者は不明である。
「そもそも、「シンドラーのリスト」はなかった」だなんて、ほとんどの人が「えっ?」と驚くに違いない。タイムズ紙も妙な書き方をするものである。だが読み進めれば分かるとおり、映画で描かれたようなシュターンとシンドラーが二人してリストを作ったというようなことはなかった、とクロウ教授は言っているだけなのである。そして、記事に書いていない内容を記事から類推するに、シンドラーは刑務所から釈放後、ゴールドバーグらが作成したリストに何人かの名前を加えるよう提案した、としてリストに関わっており、何れにしてもリストは存在していたのである。実際、原作者のトマス・キニーリーが使ったとされるリストはオーストラリアで発見されている。
'Schindler's list' found in Sydney
ともかく、西岡の記事だけを読めば、シンドラーのリストの話自体が全部嘘のように読めてしまうが、事実は、単に映画には細かい相違があるというだけの話なのだ。こんなの余程うるさい人でもなければ「映画は事実ではなくウソである!」だなんて言わないレベルの話でしかない。ホロコースト否認論者ってどいつもこいつも常にこの調子で読み手を騙しにかかるので注意されたい。西岡の場合などは特に、イスラエルがどうたらこうたらと余計な印象操作まで含めているので、より悪質度は高い。ただし否認論者としては必須のはずの「スピルバーグはユダヤ人」を入れなかったのは否認論者としての自覚が足りないとは言える(笑)
最初に書いた通り、ホロコーストそれ自体の知識はあまりないので、どこが史実でどこが違うのかなどの細かい話は、Wikipediaレベルの知識しかない。その上で言えば、オスカー・シンドラーはリーアム・ニーソン演じたような人物ではなかったと思うけど、概ね的なレベルでは史実通りと見なして良いと思う。「所詮はフィクションだから」と言う人も多いけど、現代の基準から言えば、信じがたいレベルの惨劇が起きていたことは事実だし、映画ではそれを描き切れてなどいないとさえ言える。そもそも描き切るなど無理だろう。今年もホロコースト映画が何本も公開されていて、食傷気味だという意見も多いし私もそれら映画を見る気もないけど、『シンドラーのリスト』や『戦場のピアニスト』程度の代表作はぜひ見ておいて欲しいという気はする。
・"歴史は韻を踏む"、"類似している"と表現し、共通点も具体的に述べ、その上で今後起こるであろうことを類推したまで。安易な"同一視"ではないことが分かるよう、こうして慎重に言葉を選んで筋道立てて書いたつもりだが、伝わらなくて残念だ。
・面白がっているのではなく、今の政権の言動に危機感を抱きつつも、長い目で見た時の社会の良識や自浄作用のようなものをある程度は信じているんだよ。
・とはいえ、日本ほどの高齢化社会は人類史上初の事態だ。ピラミッドどころか肩の張りだした壺のような形になった人口構成は、日本社会が危機に対応する力、危機から立ち直る力を急速に奪っていく。中国の覇権主義も日本にとって脅威となる。内憂外患は当分晴れそうもない。四半世紀単位で見れば、最悪の場合、日本では財政危機が起きたり、民主制が消滅したり、戦争や内乱で国家が分裂したり消滅したりする事態もあり得ると自分は思っている。もっとマイルドな未来が実現してほしいと願っているが、高度経済成長期のような右肩上がりではなく、最善でもどちらかといえば右肩下がりの時期が続くことはまず間違いない。
日本人が一個人として出来ることは限られていると自覚した上で、個々人は身の振り方をよく考えるべきだろう。ミクロな現象はマクロな現象に対して正面からぶつかったら勝てないのだから。政府の馬鹿げた言動には可能な限り掣肘を入れていく一方で、いざという時にどこでも暮らしていけるような備えと強かさが欲しい。
【同一視】
《名・ス他》差があると考えず、おなじと見なして取り扱うこと。
Oxford Languagesの定義
【類推】
《名・ス他》一方が他方と似る(幾つかの)点に基づいて、(既知の一方から)他方の有様を全体的に推し測ること。類比⑵。アナロジー。
「―解釈」
Oxford Languagesの定義
なんか事あるごとに旧日本軍の失敗事例持ち出すのってどうなんですかね。右も左も日本はあのころから何も変わってないみたいなことばっかり言って、政府批判して面白がってる。インパールがどうのとか言うのって聞き飽きてきたな。安易にあの時代を現在と同一視していいのかな。
「ルックバック」で出てくる殺人鬼が統合失調症への偏見を助長する描かれ方になってる、みたいな話があって、あれは悪意の塊の擬人化みたいなものであって全然関係ないだろうと思った。
まったく擁護できる点はないけど、同じように社会的に敗北を続けている中年男性として、自身を投影してしまうところがある。
感動ポルノと批判された主治医のインタビューを読むと、負け組である自分に小説家としての才能があれば、一発逆転できるのではないかと考えていたフシがある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c23df430ad639ed9d2b7a9b7d220f3a9f4652226?page=5
その気持ちが痛いほどわかる。
私も同じように自分に才能があると信じて、人生を無駄にしたので。
アニメも見ていないうえ、原作を読んでないから大変失礼な発言だけど、『ツルネ』って、おそらく不朽の名作などではなく、他愛もない青春小説なんだろう。
京アニは、自分たちがアニメ化することで、いい作品にできると考えたのだろう。
まずいんじゃないの?
ルックバックの作品中では、凶行に及んだ犯人は精神疾患だとは一切書かれていない。
更にコンテキストを作中外に広げ、京都アニメーションの事件の犯人などとの類似性に目を向けても精神疾患だと結びつけることはできない。
京都アニメーションの事件の犯人は責任能力ありと見なされていて精神疾患じゃない。
更に京都アニメーションの事件の犯人が当時精神疾患だと誤解されていたから、それを助長しているというのも意味不明。
つまり逆に凶行に及ぶ人は精神疾患だと=にすることを拒否している。
じゃあ誰が精神疾患と結び付けているのかって「精神疾患と結び付けるのはまずい」と言ってる人じゃん。
むしろあなたこそがデマの発祥もとであり「凶行に及んだ人=精神疾患」と結び付けるのを助長してる。
普通差別問題を考えるときに、ある特徴があるからと言って勝手に類推して差別するのは完全にアウトな行為。
鼻がでかいからユダヤ人だとか、目が細いからアジア人だとか、唇が厚いから黒人だなんて言うのはアウト。
被害妄想があるからと言って、統合失調症だと簡単に認定したり、幻聴が聞こえてたから精神疾患だと勝手に認定する。
松ってそんなに良いものかね。たしかに植木なり盆栽なり手間をかけたならば他の木にはない魅力が生まれる。でも、枝ぶりを矯正し続けてはじめて得られるゆがんだ美は、そんな称えられるようなものだろうか?
普通に植わっている松を見て、ああこれは松の木だな、なんてまず思わない。下に落ちている松ぼっくりから類推して松の木であろうと思うだけ。食べられる部位も松の実くらい。身近にある松は安価なパイン材。松はせいぜいこんなものだろう。
それならば、手間をかけずとも真っ直ぐ天を目指して伸びる竹のほうがよろしいと俺は思う。繁殖性の高さは玉に傷だが、手頃な刃物があれば誰でも加工できるし、青竹の香りの清々しさときたらこたえられない。筍もうまい。
というか、松竹梅で梅が一番下なのはあり得なくないか。花の可憐な美しさは誰もが理解できるし、漬け物として特別な地位をもつ実がある。普通に考えてこれが一番上ではないのか。皆も本心ではそう思ってはいないか。「松竹梅」がランクをあらわすと知ったとき、梅が一番上だろうと皆思ったのではないか? 松が一番上なのはおかしいと最初は思ったのではないか? 世間に慣れていくうちに松が最上だなんて刷り込みが完了してしまっただけではないのか。
VTuberの三面図や四面図で、キャラクターの上に線が重ねてあるのは目障りだと思いませんか?
例えば、ピアスや髪飾り、ワッペンやタトゥーとかのアクセサリーなどをキャラクターとは別に描いて、それの位置を示す際にキャラクターの上に線が重ねてあると非常に目障りに思います。
別にそれをすること自体は否定しませんが、線を重ねていない(最低でも全身の)画像もそれとは別に用意すべきだと思います。それか、三面図の文字・線なし差分を用意するとか。そうでないと、ファンアートを描く側にとって不親切きわまりないと思いますよね。
線の下の箇所をどのように描けばよいかが分からなくなるのと、またはあえて線が重なったデザインなのではないかと誤認してしまいそうです。それゆえに当のVTuberの方やキャラデザの方の意図しない描き方になるのではないかと不安でたまりません。
三面図や四面図だけでなく、スクショや他のファンアートを資料にすればいいという意見もあるかと思いますが、特に当のVTuberの方は動画で全身や後ろ姿を映すことは少ないかあまりないのと、画像検索で他の方のファンアートも、類推によって描かれているところがあってキャラデザの方の意図していない描き方になっている可能性があるのではないかと見ているので、信憑性に欠けるし、なおさら混乱してしまいます。神経質な私にとっては深刻な問題です。
VTuberのキャラデザを手掛けた方でファンアートをたくさん描いてほしいと思っているのであれば、もう少し描き手に対して配慮をしたほうがよいかと思っています。
非夢垢を用意するのは?
「非夢BLを夢的に楽しんだ」ことを表明しなければ(その作者に伝わらなければ)、たとえ真実だとしても増田が「非夢BLを夢的に楽しんだ」事実は残らないと思う。
そして、プラットフォームがわからないので何とも言えないが、現在の公開情報(ブックマークや閲覧の履歴など)から楽しみ方を類推されることもはばかられるなら、先に言ったように非夢垢を用意するなり、垢なしで読むなり。
書き手に回るときこそ、非夢垢を用意して、あたかも非夢者であるかのようにふるまえばよい。
非夢者としての交流が難しければ、交流を排す。更新情報を告知するだけのツイッターにするとか、そもそも交流系のアカウントを持たないとか。
「夢」にまつわる情報を公開しないまま腐女子としてふるまえば、それは表向きは非夢腐女子ではないだろうか。
読み手にしろ書き手にしろ、表明していない事柄について(「キャラくんになりきっているのでは」などの)憶測をぶつけてくる人物には一定の悪意があるので、気にする必要はない。
1~9までをプレイ、8以外はエンディングまで見たが、主人公がちやほやされるのって中ボスなどを倒してその地域の危機を救った直後(いわゆる「そして夜が明けた」のすぐ後。1と2にはなかったはず)かラスボスを倒した後のエンディングくらいしかなかったはずなんだが。
ドラクエの主人公は基本的に最初は旅人もしくは「自称勇者」レベルのうさんくさい奴扱いされて、実際に功績をあげることでようやく評価される(7なんて功績自体が気づかれない仕組みになってるし、中でもレブレサックなんて最善を尽くしてもろくでもない結末が待っていたりするけれど)。6や7じゃ「勇者」はパーティメンバー全員が転職できる職業だったはずだし、9じゃ勇者という言葉自体が出てこなかったような……。
そしてエンディングでも、讃えられたのは4までじゃなかったか? 5以降、最終決戦なんて一般人がろくに気づかない形でひっそり済まされていたように記憶している。しかも3は元の世界には帰れなくなる結末でもあるから素直には喜べないし、ファミコン版4のラストは幻想みたいに見えてせつない終わりだったし……。
2020年東京オリンピックは、大盛況で幕を閉じた。
開催国の日本はメダルラッシュに沸き、経済も上向いて最高の一年となった。
そんな明るい未来を予感させる年が終わり、翌年の2021年初頭、冷や水を浴びせるがごとく、凶悪なウイルスが人類を襲った。
突然変異を起こしたこの病原体は、例年の流行とは一線を画し、高い感染力と致死性を備えた最悪のウイルスだった。
この年、新型インフルエンザによる死者は世界人口の3割に達し、各国は大混乱に陥った。
しかもウイルスは毎年変異を繰り返し、有効打と期待されたワクチンさえも効果は限定的だった。
翌年以降も猛威を振るい続け、どの国も例外なくインフラや経済基盤に大きな打撃を受けた。
人類は衰退の一途を辿った。
労働人口が激減する穴を埋めるべく、積極的な投資が行われ、技術革新が起きた。
AIのおかげで高い精度の未来予測が可能となり、遺伝子操作の分野でも大きな成果があった。
何よりもタイムマシン理論の構築は、人類の知性のみでは到達不可能だったと言われている。
一部では目覚ましい科学の発達を見せながらも、人類滅亡は目前に控えていた。
新型インフルエンザウイルスの蔓延により生産性は激減し、深刻な食料不足になっていた。
それを引き金に各地で紛争が勃発。
もしも新型インフルエンザが発生した2021年の前の年、2020年に毒性の低いウイルスが流行していたら?
感染対策が十分に行われた翌年、新型インフルエンザは感染を拡大することができずに消滅する、というシミュレーションをはじき出した。
試作品のタイムマシンは、人間のような大きな質量を運ぶことができなかったが、微小な病原体であれば、過去へ送り込むことが可能であった。
遺伝子操作で新型インフルエンザウイルスのRNAを組み込むことにより、感染力だけが強く毒性の弱いウイルスが作成された。
遺伝子を組み込む毒性の弱いウイルスには、風邪の原因としても有名なコロナウイルスが選択された。
タイムマシンは、2020年へ、遺伝子操作したコロナウイルスを送りだした。
人類が袋小路に迷い込むことなく、より良い未来をつかみ取ることを願って。
◇◇◇◇
2020年初頭、突如発生した新型コロナウイルスはいくつかの国でパンデミックを引き起こした。
大きな犠牲を払いつつも、各国は隔離政策を打ち出し、少しずつではあるが封じ込めることに成功した。
翌年の2021年、新型インフルエンザが爆発的に広がるはずであったが、高熱を出した患者はすぐに隔離、他者へ感染することなく、人知れず消滅した。
こうして、新型インフルエンザが人類を追い詰める未来は消え、新型コロナで混乱する世界線へと改変された。
新型コロナは、新型インフルエンザを知らない人類にとっては大きな痛手となったもの、数年のうちに克服された。
この新型コロナ騒動で、一人負けの様相を呈した国が日本だった。
新型インフルエンザよりも一年早く発生した新型コロナのせいで、東京オリンピックは中止となった。
期待していた五輪特需も無くなり経済が衰退。日本はみるみるうちに失速していった。
そんな日本が打開策として打ち出したのが、かつての栄光、科学技術立国日本の復活であった。
とは言え、一度失われた物を手に入れるのは容易なことではない。
場当たり的な政策を繰り返し、国内外の失笑を買うことが多かった。
それは空間に不思議な亀裂があるという、今までに発見されていない現象だった。
実のところ、この亀裂はタイムマシンが新型コロナウイルスを送り出した際に生じたものだった。
タイムマシンが過去に物質を送るのはピッチャーがキャッチャーへ向けてボールを投げるのに似ている。
時空とはピッチャーとキャッチャーの間にある障子のようなもので、途中を通る時、空間に亀裂が入る。
2030年から2020年の間には新型コロナウイルスが通過した亀裂が発生しており、日本の研究チームが偶然にもそれを発見したのであった。
新型インフルエンザ世界線ではAIの発達によりパラダイムシフトが発生したが、AIが未発達な新型コロナ世界線ではあり得ない。
しかし、何もないところから考えを飛躍させるのは無理であっても、観測できる事象があれば、類推は可能だった。
落ちぶれた日本には他にできることもないので、この研究に力を注いだ。
ピッチャーが投げたボールの途中の軌道を観測すれば、それがどこから発生し、どこへ向けたものなのか推測できる。
時間的に連続した亀裂を観測することで、これが2030年から2020年へと微小な何かを送りつけた結果であると仮説が立てられた。
この仮説には様々な飛躍があり、突っ込みどころも多かったが、偶然にも正鵠を射ていた。
そして2020年という終着点は、日本にとって忌々しい年だった。
新型コロナは未来から「悪意によって」送りつけられたウイルスである。
そう結論づけた日本はこの過去へ向けたボールを撃ち落とすことにした。
ピッチャーが2030年から2020年へ投げたボールの軌道上にいる今、そこへ大きなエネルギーをぶつけ、ウイルスのような小さな物体を消滅させることは、それほど難しいことではなかった。
これが他の国の発見であれば、もう少し慎重な対応をしたかもしれない。
2030年から2020年へめがけて送られた新型コロナウイルスは、こうして途中で破壊された。
2020年に新型コロナが感染爆発を起こさなくなったことで、2021年に新型インフルエンザが大流行した。
新型コロナ世界線は消滅し、再び新型インフルエンザ世界線へと戻った。
こうして世界は2020年から2030年の間で、新型インフルエンザ世界線と新型コロナ世界線を繰り返すこととなった。
人類は2つのウイルスに繰り返しパンデミックされる監獄へ囚われた。
◇◇◇◇
この様子を興味深く観察する、高次の存在があった。
彼は驚きと興奮を持ってこの事態を観察していた。
文明が未発達で精神的にも未成熟な地球の生命体が、まさか時間を操る術を身につけるとは想像していなかったのだ。
ただ、感心はしたものの、地獄絵図をループするだけの人類にはすぐに飽きた。
宇宙全体を見渡せば、地球よりも優れた生命体は数多く存在した。
そう判断した後の彼の行動は速かった。
奇しくもその日、日本では何度目かの東京オリンピック開会式が開かれていた。
オリンピック開会式の段階では、新型インフルエンザウイルスも発生していなかった。
聖火台に火を灯す、オリンピックを象徴する儀式の始まる瞬間。その時はやってきた。
100万度を超える高温のプラズマが電子レンジよろしく地球をチンした。
こうして人類は終わりを迎えた。
この時、ループを繰り返した東京オリンピックは10回目の開催だった。
ごりんじゅう。
ご臨終。
お後がよろしいようで。
2007年のM-1決勝前→「サンドイッチマンが敗者復活で決勝行って優勝をかっさらう」
原発事故直後→「首都圏から避難する必要は無い。東電は存続するし、日経平均は1年そこらで戻るし、世の中平気で回る」
日本シリーズでDeNA細川が高卒新人野手初の初打席初安打を見て→「この選手がレギュラーに定着することはない」(今のところ二軍暮らしが続いているとはいえまだ現役続けてるので予測が当たったとは言えないが……)
どの予測のときも、俺が根拠を尋ねても答えようとせず、「とにかくそうなる!」と断言するだけ。だから、知識や論理をベースに類推しているのか、完全にオカルト的に未来予測しているのかすらわからない。
サンドイッチマン優勝をまんまと当ててるのを見るに、後者なのではないかと個人的には思ってる(自分は相当なお笑い好きだけど、あの年のサンドイッチマン優勝を理屈で予測するのは絶対に不可能)。
これまで俺がことあるごとに予測を尋ねても「そんなのわからん」としか言ってなかったのに、見えた?知った?分かった?のか、とうとう俺に対して断言予測を自ら進んで聞かせてくれた。
「あと半年で世の中は建前上は元通りになるよ。
相変わらずコロナで人は死に続けるけど、ワイドショーで感染者速報なんか全く出さなくなるし、飲食業もイベント業もコロナ前の感じで営業するようになる。
逆に『コロナの危難はまだ去ってない!』って警戒する人が陰謀論者くらいに扱われるようになる。
五輪は強行開催されて国民からめちゃくちゃ叩かれるけど、しばらくして世の中が元通りになるから免罪される。
というわけで、もう今俺はコロナ渦が年内で終わるものと思い込んでる。
ただ、個人的な話になるが、彼が最後に俺に対して「あとお前マジでもうそろそろ仕事見つけないと本当にヤバくなるよ」と言ったのが一連の予測としてなのか、そうではなく常識的アドバイスとしてなのか気になってソワソワしてる。