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はてなキーワード: 集合体とは

2024-03-12

文科省統計のせいで地元があらぬ誤解を受けている

文部科学省統計によると、私の地元大学進学率は近隣市の1/4〜1/2程度で10%台半ば。県下でも最低水準とのことで、それをもって子育てに向かないやら教育行政問題があるやらと語る人がいる。

しかしながら、私の地元や近隣市は、人口面でも面積面でも小規模〜中規模程度だ。市境を一つや二つまたいだ程度でそこまで学力に差がつくわけがない。肌感覚的な面でも、中学同級生大学に進んだのが5人に1人未満とは思いづらい。

ということでSNS等で貼られていた画像をもとに、ソースと思われる文部科学省学校基本調査卒業後の状況調査票(高等学校 全日制・定時制市町村別状況別卒業者数」(以下「件の統計」)を確認した。数字は件の画像と一致しており、確かに私の地元大学進学率は低い数字であった。

ところが、よく見ると分母に当たる高校卒業者の数が、市内の中学3年生の人数の1/3程度しかない。年によって学年の人数に違いはあるが、丙午でもない限り1/3にまで減ることはまずないだろう。また、大体の人は高校に進学する上、中退がいても数が知れている。

そこでさら調査方法確認したところ、各学校が回答し、それを学校所在地市町村が取りまとめる方式と判明した。

ところで私の地元人口面でも面積面でも小規模で、高校は1校、名前を書けば受かると言われているようなものしかない。その高校の生徒数、進路実績を見たところ、件の統計数字が一致した。

まり、各市町村の括りで出る数字は、正確には各市町村に立地する学校数字集合体であるようだ。件の統計において、高校が立地していない市町村に全く数字記載されていないことも傍証となろう。

かくして私の地元名前を書けば受かる高校の進路状況をもって、大学進学率が低く教育水準が低いと世の人に判断される状況になっているわけだ。

なお、先述の事情から、私の地元中学生は大学進学意思がある人はもちろん、そうでない人も大体市外の高校に進学する。


小中学生であれば、私立等を除き基本的居住する市町村学校に通うため、市町村単位での集計はそれなりに参考になるかもしれない。

しかし、高校生にもなると通学範囲はぐんと広がり、通う市町村と住む市町村が一致しないことも増える。この状況下で、立地する高校数字をもって市町村数字かのように公表するのはいささか問題があるのではなかろうか。政令市中核市施行時特例市くらいの規模ならいざしらず、相互に人が行き来する中小規模の市町村においてその影響は大きい。

世間一般では学力水準は居住選択において重要ファクターのようで、住宅関係生活ガイド的なメディアでも指標として用いられているようだ。

だが、先述のとおり、こと高卒生の進路に関してはその公表の仕方に疑義がある。文科省も件の統計世間でどう使用されているか考慮の上、表現に気を遣って欲しいものだ。

それはそうと、大学進学率を気にする教育熱心であろう層が、件の統計について違和感を持たず鵜呑みにしてしまうことを考えると、何か皮肉めいたものは感じる。

2024-03-08

何者にもなれない私達が何者かになるために文章を書こう

長くなくていいから、文章を書こう。

私の妻は「自分には消費する趣味しかない。何も生み出していない。」とよく口にする。

子供生んでるんだから十分じゃねぇか?とは思うけど、妻は「子供自分人間になってきた」と言っているし、

何か形のある作品を創り、残していく人に憧れるのだろう。

何も残していない、誰かの役に立っていない気がする、役に立っていない自分でありたくない。

そういう気持ちがあるのかな。(もちろん今のままでもそんなことはないが)

世の中に同じような考えを持つ人はたくさんいるだろうから、そんな人たちに提案がある。

何者かになるために文章を書こう。

文章を書くのはい趣味だ。

自分が考えていることを言語化してまとめることができたり、書いてるうちに「おかしくない?」と立ち止まれたり、

文字を書いたりキーボードを叩くとき自然と集中している。

形が残るのもいい。私は自分の書き物を読み返すのが好きだ。

稚拙文章だったとしても、未熟な考えだったとしても、そのときに生きていた自分に会える気がする。

がんばってた自分を見るのはなんか嬉しい。

何者にならなくとも、誰かの何者かになれる可能性があるのもいい。

今はネットが普及していて、誰が書いてるかわからん文章を誰かわからん人が読んでる。

それがいい。みんなが無理に反応しないからいい。刺さった人は反応してくれるし、どうでも良かった人は放っておいてくれる。

これは何者でもない人の持つ数少ないメリットだ。

感動させたり、感心させたり、新しい知識を与えたり、笑いを与えたりできるかもしれない。

そもそも何者でもない人の経験や覚え書きや挑戦の記録などを集めた集合体が、インターネット構成する重要ファクターだと思っている。

その一部になれるなら、それはとても社会的クリエイティブ趣味だろう。

書く内容はまぁなんでもいい。

例えば「家を買った話」と「家を買わなかった話」はそのどちらも「家を買った人」「家を買わなかった人」それぞれが読む理由がある。

自分の考えの後押しになったり、「こうはなりたくない」と思われるかもしれない。

でもそれでいい。どんな小さなことでも誰かに影響を与えた瞬間に、何者かになれた気がする。

アドバイス感想文、知識妄想、なんでもいい。人間の数はめちゃくちゃ多いからいつか誰かに刺さる。

まぁでもせっかく人に影響を与えるなら、人生を良い方向にしてあげたいから、悪口とかは多すぎないほうがいいかな。

幸い、日本に生まれていれば文章を書く方法をある程度は知っている。

文章は上手くなくていい。自分が読みやすければいい。売れるために書くわけではないから、今の自分過去に残すために書けばいい。

何回か書いてれば上手くなってくるかもしれないし、別に楽しければ上手くならなくてもいい。

幸い、日本に生まれていれば多少読みにくい文章でも読み取ってくれる能力者が人がたくさんいる。

Twitterでもまぁいいけど、実は140文字に考えをまとめるほうが難しいんじゃないかと思う。

どっちにしろ思っていることを正確に文字にして書き出すのは、どんな人でも無理。

下手に要約するより、思いついたことを全部かいちゃったほうが今の自分の考えに近いことが書ける。

要約は読む人に丸投げしちゃおう。世の中広いから、要約するのが趣味の人もいるだろう、多分。

はてな匿名ダイアリーみたいに思うままが自由文章かいて、不特定多数の目に触れさせてもらえるサービスがあるのは素晴らしいことだね。

大体書きたいことは書き終わったけど、私は誰かの何者かになれたかな?

この文章で誰に何も与えられなかったとしても、

私達はもともと必ず誰かの何者かではあるから、「消費するだけ」と言われる趣味だけ楽しんでも十分だけどな。

「楽しければやれば良い」「楽しくないことをなるべく減らそう」で生きていこう、私は。

はてなログインして右上に「日記を書く」ってボタンがあるんすよ。

それポチって押してみて、なんか書いてみたら良いよ。

この文章感想とかアンサーとか。

私がそれを消費します。

2024-02-27

anond:20240227163040

ちなみにマルチバース界隈では存在可能なすべてのバース集合体をオムニバースって呼んだりするのでクソややこしい

2024-02-17

エッタラジェンダの会社について思うこと色々

まず私は株式会社エッタラジェンダについて特に支持する立場でも反対する立場でもない。今回の件について自分の頭の整理をするための文章なのでもし目に止まった方がいたらこんなことを考える人もいるんだー、ふーん程度で流してほしい。

2月9日株式会社エッタラジェンダが設立された。

この知らせはさほど広いとは言えないインド界隈にゆっくりと知れ渡る。

社名が映画RRRのエンディングテーマ曲名であったこから社名に対する賛否両論が巻き起こり、特に否定的な反応が目立った。

私自身、率直な感想としては「私はなんでもいいけど大丈夫かいな」だった。

「旗を上げろ!」という意味の「エッタラジェンダ」という言葉はRRRの象徴的なシーンやメッセージを思い起こさせるもので、ファンにとって思い入れの強い言葉になるのは自然なことだと思う。

個人的にはこれは線引きの問題だと思っていて、会社という団体を立ち上がることで「エッタラジェンダ」の「内側」がファンの中で生まれしまたことが大きかったのでは、と思っている。

多くの人が強い思い入れを共有する集団の中にエッタラジェンダという具体的な集団がつくられ、突然エッタラジェンダの外側に出されたように感じ戸惑う人がいてもそんなに不自然なことではないような気がする。

これがもし「合言葉を共有する集団」のど真ん中で行われたことじゃなければこんなことにはならなかったのでは。

長い妄想だけど、喫茶エッタラジェンダにはRRR大好きなマスターがいて、一般的カフェメニューの他に結構本格的なインドカレーが食べられたり赤と青のシロップがじわりと混ざり合うイメージドリンクがある、とかだったらむしろファンとして一度は行ってみたいお店になれた世界線もあったんじゃないかなあ。そしてたまに貸切でインド映画イベント期間限定イメージメニューとか出てくるとか(そういうお店行きたい)

もし株式会社エッタラジェンダシステム開発(長い)だったとしても名刺交換の時に「へえ、インド映画?そんなに好きなんですかあ」で済みそうな気がする。そもそもこの場合映画ファンに向けて大々的に会社設立の報告をする必要もあまりないが。

他にも「ん…?」と思われてしまう原因、いろいろあったんじゃないかな。

・「エッタラジェンダ」という言葉日本での意味合いが限定的すぎる。例えば株式会社ビームだったら同じことにはならなかったのでは(炎上の気配が見えても違う意味を強調して若干逃げ場もある)

・RRRのヒットで界隈が急に大きくなり、強まった商業色や乗っかり的なものに対するファン疲労。これをぶつけられたのは気の毒である

設立者の方のこれまでのファン活動を鑑みて、権利関係に関して深く理解された上でとは考えにくい部分がある

などなど。

ただ、上記のいずれも反対する気持ち理解できるという話で、法律的または権利的に直ちにアウトではなくあくま道義的可能性)または気持ち的な問題がメインだ。

上記の線引きがどうの話も個々の感受性思い入れベクトルや強さの問題で、コンテンツに対する愛情の強さとは必ずしも比例しないし、辛いと思うこともどうでもいいと思うことも間違っていないと思う。

今回否定的気持ちツイートしたほとんどの方も気持ち的な問題というところは理解されている印象を受けた。悲しみや怒りを感じる投稿は多くあったものの、社名変更希望通り越して強要だったり、口汚く罵倒する言葉ほとんど見えなかった(見えるところにないだけでDMではわんさか届いてたりするのかもだけど)

新たな挑戦をする人を寄ってたかっていじめているような見方をされている方もいたけど、(もちろん強い言葉で詰め寄るのは論外として)嫌だと思うものを嫌だと言うまでの権利は誰にでもあっていいはずだ。今回、新たな挑戦「そのもの」を叩く人って言うほど多かったか…?

結局好きなものを共有するだけで、それ以外は異なる価値観の人の集まりでみんなが同じ意見であることは不可能だし、その状態を目指す必要もない。どの意見も間違っていない。間違えがちなのはいつだって伝え方のほうだ。

そもそもファン向けビジネスをしようと思った時、お気持ち蔑ろにできるものなのだろうか。ファンというもの自体お気持ち集合体だと思う。お気持ち論は根拠にならないという意見もあったが、結構割合の人が同じように感じている気持ち無視して進むことは事業としてリスクがあったのでは。

つらつら書いてみたけど、会社は結局一番残念な形で終わってしまった。お会いしたことはないが、設立された方はオフ会の仲間の皆さんからとても慕われているようだ。ホームページ(すでに消えたが)を見ても「良い奴」なんだろうなあと思う。

動力が並外れに高くてあっという間にリーダーになってしまタイプなのかな、と。それだけに今回これだけあっさり全部取りやめてファン活動のものから撤退されるのは惜しいと思う。

何度も開催した大規模オフ会の中心的な人物(だよね?)として多くの人から慕われていたのが、いざ会社を立ち上げた時にぶつけられた想定外否定的意見の数々に戸惑い打ちのめされたのは想像に難くない。ご本人から詳細を説明されたツイートも状況を好転させることはできなかった。一個人にそれをすべて耐えろと押し付けるつもりはないが、もう少しいい形で共存できる方法はなかったのかと考えてしまう。元々は同じファンなのだから

実務的に頼れる(それこそ法務とか、今回の対応含め)人物はいなかったのか、長いことインド映画を盛り上げてきた方々の力を借りつつ一緒に進めることはできなかったのか、勢いよく進む傍らで大局を把握する軍師表現)的な方がいるだけでも随分違ってたのではなどと、今回のことが起こらなかったもしくはうまく乗り切れたシナリオを思い描いている。

また、この新しい団体によるイベントはどんなものだったのか、いつか私も何かの上映会に参加していたのだろうかともはや叶わないたらればに思いを馳せる。

追記

今回の騒動を異なる価値観気持ちのぶつかり合いではなく、単なる「集団いじめ加害者」と「新しいことをしようとして潰された被害者」の物語としてとらえる人の多さに少し驚いてしまった。

人の感性って思いのほか色々あって、絶対に分かり合えない価値観の人も少なくない。

自分理解共感できる痛みは尊重すべきもので、自分理解、納得できない痛みは非難していいなんていう善悪の考え方は社会で生きていくにはあまりに危うい。だいたい他人気持ちは誰かを納得させるために存在しているものではない。

その気持ちに至った土台の中に明らかな事実誤認が含まれているのならそれを教えるのはアリだと思うが、気持ちのもの否定は争いしか生まない。

もう一つ、設立者の全面撤退により、今回の会社に対する議論ではなく結局クレームつけて潰したという構図だけがクローズアップされてしまい分断が加速しそうだなと思っていた。

設立者さんの人柄やコンテンツ愛で補われている部分も多々あったが、会社設立までのプロセス問題提起されてから設立者さんの対応はいずれも思うところがある。これが全て有耶無耶になって批判勢がただ悪者になるのも違うのでは。

しかし、設立者さんは撤退の際問題提起をされていた方にDM捨て台詞暴言を送りつけていたとのことで。相手の言い分を理不尽と思うなら公に反論してもっと議論を重ねればよかった。批判を押し切る選択肢も、少し主義を曲げて社名を変える、スピーディーユニット名を全面に出す(そういやこの話どうなったん)などやりようがないようには思えない。

これまでの対応でもあまり良い手を打たれているとは思えず歯痒い思いをしていたが、これは本当に悪手だったと思う。そもそもネット上での騒動なんだから裏で仕返ししようとバラされるに決まってるじゃないか。本文スクショを貼られなかっただけ良かったと思う。こんなことをしたら「愛と勢いに溢れたちょっと不器用だけど応援したい人」のイメージまでも失ってしまう。

サークル内の兄貴分としてはとても頼りになる人、けれどいざ法人化となったとき批判する勢力を納得させるだけの力量もなく、かといって一度全て飲み込んで突き進み結果で語るだけの推進力もなく(社名を絶対に譲歩できないのであればこれが一番現実的選択肢だった)、多くの人が寄り添った「優しすぎた被害者」の立場までも本人が手放しかけている。

もしくは人一人の力なんて結局はこんなもんなのかな。

応援してます!」だけではなく現実的な助言や手助けをくれるパートナー存在が見えなかったことが個人的には一番残念。

anond:20240217182658

「この蛇の長さは35センチだ」も多数決なのか?

>「客観」とはつまり主観」の集合体ですか?

違います

・「主観」は各個人意見

・「客観」は意見ではなく事実

と言えます

「この蛇は長い」は主観です。

これぐらいは短いよと思う人もいれば、

怖がりの人だと、うわー長いと思う人もいるでしょう。

「この蛇の長さは35センチだ」は客観です。

怖がりの人もそうでない人も変わりませんし、

意見ではないですよね。

2024-02-14

婚活サービス登録する直前で逃げ帰って、結果的結婚できた

30代後半で出会いもなくてもうどうしようもなくて、老舗の婚活サービス登録しようと銀座センターに出かけて行った。

そこでアンケートに延々答えて、その結果からカウンセラーの診断みたいなのを受けて、お値段とか期間とかセックスしちゃダメとか色々交際ルール説明をしてもらって、「では最後にもう一度規約をご確認いただき、ここにサインをお願いします」というところまできて、いや、やっぱりやめますと席を蹴って帰ってきた。

理由は、自分が単なるデータフローになってしまうように感じたから。

自分仕事で、市場データセールスフォース取引データなんかを見て、この商材はどんなターゲットに売れるか、だとか、案件の成約率を増すにはどうすべきか、だとか、そんなことばかりやっていた。いまこの場でアンケートに答えて分析された自分というのは、まさにそのデータひとつだった。個人ですらない。様々な属性集合体。この属性とあの属性マッチ率が高く、別の属性情報を加えるとスコアがこうなって……という感じで、自動的プロセスされていくだけの存在

そして会場の隣の部屋では、まさにそのプロセス実体化みたいな「婚活パーティ」が繰り広げられていた。男女が5分間隔ぐらいで顔を合わせて、話をして評価する、そんな仕組み。

「寂しさ」、「人恋しさ」、「誰かを好きになりたい」みたいな動機根本にあってここに来たのに、なんでバラバラデータとして処理されるんだ。

40手間になってすごく青臭い感じだが、怒りが湧いてきた。これはちがう、人間として人間を好きになろう。次に会った人を好きになろう、ダメならそういう人生だ。そんな風に思い込んでその場を離れた。そして、その後これは本当にラッキーなことに、自分と同い年の女性たまたま、少し会話する機会があった。呪文のように「この人を好きになろう」と思い込んで、えいやでLINEを聞いて、「今度上野美術館で絵を見てみようと思うんですけど、興味ありますか?」と声をかけてみた。

で、半年後に結婚した。

彼女は、正直自分の好み(だと思っていた)のルックスとは対極だったし、稼ぎがあるわけでもないし、性格も色々難ありだと思えるところもあった。でも、不思議なことに「好きになろう」と思い込んでると、その人の良い面の方が常に上回って感じられるようになった(と、振り返って思う)。同時に、自分にも難があるのが次々にわかった。マンスプしがちだし、気が付くと洗濯掃除やらせちゃうところがあったし、喧嘩して泣かせるようなこともあった。そういう自分が凄く嫌で、次は変えよう、好かれようと思った。そう思ってる自分不思議なぐらいだった。

で、結婚して5年経って、いまでも朝出かけるときキスするぐらいの仲の良さではいさせてもらっている。

出会いラッキーだったが、結婚まで持ってくことができたのは、婚活サービスへの怒りが原動力だったのかなと今でも思う。それに、お互い40手前で後が無かったし。

2024-02-11

結局セックスが1番手っ取り早い幸福である功罪

異論は大いにあると思う。

そしてこれは決してセックスできない君たちを否定する内容ではない。

はてぶ自体セックスマーケットにおいては無価値インディビジュアル集合体によって支えられている貴重なカルチャーであり、知能と自由意志を持った我々人類が辿り着いた一つのオアシスだ。

しかしながら、世の中の苦しみの多くが金で解決できるように、セックス解決される事柄も山ほどある。

ごめん、ツラツラと書こうと思ったけど、文学ジェンダームーブメントベースとなっている鬱憤不安なんかはセックスで満たされていたら生まれなかったよな、って事。

2024-02-08

anond:20240208130504

ここで言うリベラルは我こそはリベラルネット活動家たちの声がデカイ連中の集合体だよ

から必然と鼻持ちならねえフェミリベラル共産活動家が増える

2024-02-03

anond:20240203160825

人間集合体である社会は、物理的に可能とか効率的だということとはまた別の力学支配されている。

道路啓開とか緊急の物資配布のような作業にはリスク管理リソース配分といった調整作業応分費用がかかる。誰がそれを担保するのか。

ボランティア問題解決型の思考をする。ゴールから具体的に必要施策を逆算して「それなら自分たち有志でやれる」「じゃあやろう」となる。

ヒマなお人好しをとりあえず呼び集めて命ずればそのとおりやるだろうというトップダウン型では何も動かない。

現場ニーズから逆算して自分の手持ちカードにつながった時にボランティアという選択肢が生まれるのだ。

ダメ元で呼びかければ誰か奇特な人がやってくれるんじゃねえの?というような夢想はどこにも繋がってない。

被災当事者にとっては、そういうコタツうつらうつらしながらの夢想タネにされること自体が、どこにも吐き出せない毒を少しずつ胸にためることにもなる。

2024-02-02

俺の人生なんてたいしたことないよ

そう、たいしたことないんだよ

俺が半年必死になってどでかいストレス抱えてやってる仕事なんて、本当はたいしたことないんだよ

自分がつらいって思うからつらいだけで、落ち着いて考えてみればたいしたことない仕事集合体なだけなんだよ

他の会社では他の人が同じようなことを易々とやっているんだよ

から俺も易々とやればいいんだ

こんな仕事はなんてことなことなのさ、と

そういう気持ちでやれば、それはなんてことないことになるのだろう

 

思い返せば最初はそうやってできてたじゃないか

初めてこの仕事に向かい合ったときは新鮮な気持ちで楽しく速やかに手を動かせていたよね

でもだんだん同じことの繰り返しな毎日に飽き飽きし、また、他者怠惰仕事っぷりにうんざり

いつしか重たい気持ちを背負いながら仕事をするようになり、仕事効率が下がり消化しきれない仕事が積み上がり

それがまた俺の気持ちを重くしていったんだよなぁ

 

俺に必要なのは仕事の見えるかとかToDoリストなんかではなく

俺がやってる仕事なんてたいしたこといから、ぽぽいのぽいで簡単に終わるはずなんだよと信じる心かなぁ

今日も新鮮な気持ちで頑張っていきまっしょい

2024-01-30

加害者が一番守られるのはどうなのか

犯人を決めつけて誹謗中傷するのは良くない、わかる。

でも原作を改変され約束反故にされ、当人に訴えても聞き入れられなかった被害者世間に「約束反故にされた。原作者であり自分作品ではあるが本意の形ではない」と声を上げ

ファン視聴者TVを見る潜在顧客番組を成り立たせるテレビCMを打つスポンサーの潜在顧客)が「それはおかしい」「いじめを見ているようで不快である」「弱いものが守られる社会であるべき」と意思表明することは自由ではないか

大きな騒ぎにしたのは外野、騒ぎすぎ、というが、TVが成り立っているのはスポンサーがあるからであり、スポンサーCMを打ってテレビの前の顧客商品を買わせることで益を得ているわけだ。

ならば出資者問題視するように「弱いものが守られる作品でなければCM番組も見ない」「弱いものいじめするキャスト作家を使わないで欲しい」と表明するのは正しい抗議ではないか

原作者さんは誰にも守られなかったからもう声すら上げられないのに、追い詰めた発端を作った人々は守られて「環境から変えるべき、誰かを非難すべきではない」と言われるのか?

環境ってなんだ?個々の認識集合体こそが環境ではないのか?

その集合体の中で強い権力を持つ個体認識が偏って、誤っていればこのような事態が起きるのは必然ではないか

誹謗中傷(「殺人鬼」と呼んでみたり「お前が殺した」と責めること)は良くないが、過ちを過ちだと問題にすること(本人に向けてではなく本件の問題点をつぶやくことやSNSトレンドにして社会問題にすること、スポンサー業界に伝わるように抗議すること)は過ちではないのではないか

誰をも責めてはならないと言う話になってしまえば、力の弱いものは抗議する力を持てない。

ストだって誰かの不便を強いたり、誰かを傷つける。交通のストのせいで死に目に会えず人生が変わる人もいるかもしれない。でも誰かを傷つけるならやらないべきだと言うのか?そうじゃないと思う。

難しい境界線だが過ちに口をつぐんで、定義もできてない「環境」のせいだ「業界」のせいだと、対象をふんわり濁してしまうのは良くないのではないか

2024-01-23

anond:20240123130651

大体このパターン集合体増田だけどw

自然消滅なんて普通だし、むしろそれを目指すもんだぞ

はっきり切らなければ原則に反する!とかアスペの奴らが刺したり刺されたりする

2024-01-19

可哀想な家庭環境について

凶悪事件を起こした犯人の家庭環境が悪いときに、こんなに可哀想なんだからしょうがないだろうという論調がある。

これが適用されるのは犯人が親を殺したとき場合のみだと思う。

何年か前に祖母と母に虐待されていた子どもが二人を殺害したときに周囲から減刑嘆願書を出されていたと思う。(記憶曖昧なので詳細は違うかも)

自分を壊した直接的な人間を殺したときは同情の余地があるけれど、全く無関係人間被害に遭ったとき厳罰を受けるべきだろう。

社会が悪いというが、社会集合体社会が間接的にあなたを傷つけても、ネームドの個人が傷つけたわけではない。

ただこれを曲解する人もいるかもしれない。例えば特定少年のような考えの持ち主は、あの女が自分を傷つけたか厳罰を与えてやるというようになる。

個人が罰するのではなく法が罰する理由がここにある。しか最近司法も信用できなくなるようなこともあり難しい。

2024-01-18

anond:20240118125852

売って金に換えんと意味がない

ここに理解の誤りがある。株式投資信託を前提にすれば組み込まれ株式集合体であって、その企業が稼いで配当した金は投資信託に組み込まれる。いまは非分配型が主流なので隠れてしまいがちだが、分配型であれば分配金として持っているだけで受け取れる(非分配型は受け取らずに株の所有持ち分を増やす)。投資である企業収益を上げ続ける限りは価値は増大する(その収益が怪しくなるのが「不景気」。ただし波があれど長期的には成長する方向にベットしている)。

2024-01-13

anond:20240113213100

未婚男性の1.6%、既婚男性の5.9%が年収千万以上なんですと言われてもな

1.6%の方は低身長ホビッツの集合体だろうなという感想しかない

逆に既婚男性年収100万以下男性の既婚者1.2%は人権のある身長で、未婚者5.0%はホビなのは一目瞭然よな

2024-01-12

anond:20240112164604

そもそも都市部田舎を出てきた人たちの集合体

故郷を離れることでしか生きられなかった人たちだ

そんな言葉が響くわけがなかろう

2024-01-06

東京の悪い面は全て地方のせい

冷たい東京人は大体北関東東北田舎モン出身者だから気にすんな

anond:20240101030604

田舎者の、つまり余所者集合体から

大阪人余所者にも良くも悪くも構うけど

東京人のもの余所者からどうしようもない

anond:20240101080245

zonke まぁな。 ただ、東京の奴って結局地方から集まってきた人達なのよね。生粋東京人なんてそんなおらんのよね

https://b.hatena.ne.jp/entry/4747158238831247887/comment/zonke

2023-12-14

40歳過ぎて視力が落ちてきたのでメガネ検討してるが、メガネに少々失望している

メガネかけたらなんかこうバーっとメガネ視界全体のピントが合って超クリアになるんじゃないのか…

距離によって対応が違う虫メガネ集合体みたいな使い方しかないのか…


いや、人間の脳はそれで補正してよく見えるようにしてくれる

視力が落ちてないときの視界も本当は周りはボケている、オリジナル水晶体もそこまで完璧ではない)

というのは理屈ではわかるのだが

2023-12-09

きおくのかけらは、いのちのかけら

その村は、実に奇妙な村だった。

おおよそ布と呼べぬようなボロきれを最低限、身にまとう格好で生活し、浅黒な肌は古来の原住民を思わせ、ぱちりとした大きな目と背の高い鼻は相手を威嚇するようであった。

こうした彼らアングロサクソン系に属さぬ種族の暮らす集落は、全体の人数はおおよそで百人前後

森林に囲まれ場所集落を築き、たいして大きな村とも言えず、互いの顔を知り合い、共存して暮らしている。

まさに一個の家族、巨大な集合体のようなもので、かれらは時計時間に暮らさず、出来事時間によって生活をする。

まり村のF氏と午前11時に会う約束をするならば、「11時に会おう」と言うのではなく「子牛を散歩に連れ出す時間に会おう」という必要があった。

尤も、11時ならば彼は散歩に行くので会えないことにはなるだろう。

然しこうした出来事時間を持つ社会的集団は少なくなく、それはむしろ、急激に進歩を遂げた我々とて同じ。

以前、といっても数百年ほども前だが、とにかくそのころは我々先進国であろうと正確な時計は持たず、正確な時刻を知らずに暮らしていた。

故に、時間、というもの絶対的ものに成り得ず相対的であり、さらには個人的

各町、各村によって時間は異なり、時計がずれている事さえも常識であった。

からこの町が奇妙だと、

そう評するのは何も、こうした出来事時間に添って暮らすためではない。

彼らは我々との認識が、著しく異なっていたのだ。

そう、”死”に対する認識が。

彼らは”死”を恐れない。

いいや、そうではなく、むしろ彼らは”死”を喜んで受け入れるのだ。

まるでそれが大層めでたい事のように。

その事に気付いたのは、滞在三日目の朝だった。

日の高さが頂点付近にまで登り詰めた頃に起床すると、いつもと違う雰囲気に戸惑い、太鼓の音などが聞こえ、辺りには明るい民謡のような、陽気な歌声が響いて回った。

それからテントのような簡易的な宿を出ると、村の人々はみな笑顔で、子供などは小躍りしている。

「なにごとかね?」

私は腹に贅肉を垂れ下げる彫り深い顔の中年男性に訊ねた。

するとその男は「ああ、あの家あるだろ」といって軒先の一軒を指差し、あそこの爺さんが、雄鶏の鳴く頃に死んだんだ、と私に言った。

満面の笑みでだ!

私は奇妙に思い、「どうしてみな笑い、騒いでいるのだ?」と訊ねた。

すると男は不審者を見るような視線を私に向け、「めでたいからに決まってるだろう!」と言った。

私はますますからなくなって困惑したが、同時に彼らの習慣にえらく興味が沸いては、滞在予定の一週間を変更し、長期に渡って居続けよう、という気になった。

私は此処で一年を過ごし、教えられ、そして理解した。

彼らが何故 ”死” を祝福し、そして恐れないのか。

そもそも、私が間違っていたのだ。

”死”は恐れるものではなかった。


私は彼らに訊いた。

「どうして”死”がめでたいのか?」と。

すると彼らの一人は笑顔でこう言った。

「ようやく、完全な一人の人間になるからさ!」

私は人間だ。

そして、私は既に死んでいたのだ。

それだけに過ぎない。

割れの私は既に死んでいて。その死んだ片割れこそが ”死” だったのだ。

もしこれまでの私と今の私とに違いがあるのだとすれば、それはその事に気付いているかどうかの違いに過ぎない。

私は教わった。

誰もが、いや、どの生物も、不完全で生きてるのだということを。

それは半身が欠けているからであり、人間なる生き物は、そうしてかけた半身に

”死”

という名前をつけたのだ。

誰もが死を恐れながら、死に惹かれ、死に関して興味を示すのは無理もないこと。

理由が分ければ明白で、それは自分を求めていての行動だったのだ。

誰もが自分のかけらを求める。

しかし同時に、自分を知ることを恐れる。

それはそうだ。

キミは死ぬ、いや、キミがキミの半身を得たとき

キミは知ってしまうのだから

すべてのことを。

私の半身、それが持つ、きおくのかけらは、いのちのかけらなのだ


今の私は好意的に ”死” を向い入れよう。

いいや、これでは言い方が適切でない。

自分

を受け入れる。

ただそれだけのことだ。


私は枝木のように細まった腕を床で十分に見つめた後、ゆっくり目を閉じる。

すると彷徨い続けていたであろう、”自分”を見つけては。

やあ、こんにちわ

そんなふうに声をかけて、

そんなふうに思いながら、

私は安らかな表情をして、意識を失った。

2023-12-05

anond:20231204214217

人の五感のうち、データ客観的言葉を用いて表現することが難しいのは味覚と嗅覚なんだよねって偉いお爺さんが言っていました。

味と香りというもの化学的に見ればさまざまな成分が複雑に絡み合った集合体でありそれをただしく知覚して言葉に起こすことは極めて難しいうえ、その感じ方と感覚表現する言葉の使い方についても各人がこれまで生きてきた中で得た経験知識によって異なるものから共通認識を持つだけでもたいへんなんだよねって。

2023-12-04

二度あることは三度あるスープ増田酢魔のプーするアドン左派とコルアドに(回文

おはようございます

タマネギ微塵切りをベースにしたトマトヒヨコ豆インのスープ3回目よ!

3回目なので手順も手慣れたものよ。

パパッと作っちゃったわ!

鍋より楽かもーって思うほど、

だって鍋のベーナーは途中途中で具材を買ってきて追加投入で

色々なものを食べられると言う利点のメリットはあるけれど、

手間がその都度都度かかるじゃない。

だけどスープの方が一度最初に全部具材を入れてしまって作ってしまうので、

あとは温めて食べることが出来るから

逆にこっちの方がうんと楽かも!って思うのよね。

なので、

今シーズンは鍋のベーナーの季節だけど

おでん屋さんですらまだ始まっていないわ!

栄養的にはどうなのかしらね

タマネギトマトヒヨコ豆にシメジ

レシィピを書いておくと

タマネギは4玉、

トマトカットトマト2缶、

ヒヨコ豆も2缶

シメジは1ふさ。

とりあえず味付けはブイヨン3つね。

ニンニク1欠、

そしてオリーブオイル

ニンニクオリーブオイルタマネギを炒めるときに使うのよ。

ときに、

シメジとかのわさっと出来ているパックのやつってあるじゃない。

あれの数え方ってどう数えるの?

1ふさ?なんか違うような気がしないでもないけど、

キノコノ数え方シメジ特にまだ軸にくっついている時のあの集合体での数え方は

相撲取りの一山本さんの数え方と一緒なのかしら?

1勝したら一山本

2勝したら二山本!みたいにその場所中で成長の度合いが一目で分かるような感じなのかしら?

からあのシメジのまだ軸についている集合体のあの1つの数え方。

なんていうのか募集中よ!

なので、

そのキノコシメジの分量はお好みでいいかもしれないわよ。

でさ、

ここで真面目にレシィピを書いて記して記し記しておかないと、

あとで自分が見返したとき

夏川りみさんばりに古いアルバムめくり~って歌い出せないじゃない!

忘れたときにあのレシィピなんだっけ?って

思い出せないときココを振り返ってふざけた分量を書いていたら困るでしょ?

からここはしっかりとボケずに間違わずに真面目な分量を記して記し記ししておかないといけないのよ山脈に向かってヤッホー!って叫ぶのよ。

あとこれまでの反省点として

出来上がっても飽きちゃって食べなくて全然鍋が減らなかったので、

今回から出来立てをもうすぐ寝かさずに味が馴染む前の

逆に言えばそうよ!

フレッシュな感じのトマトの酸味がまだあるような落ち着いていないソワソワした感じのトマト味を味わうには出来立てがそう言うフレッシュさがあることにも気付いたわ!

あとさ、

ヒヨコ豆もサラダで食べるのと煮て食べるのではメーカーブランドの種類によっては仕上がりの固さが違ったりするので、

私はサラダでいただくときちょっと硬めのメーカーヒヨコ豆を好んで食べるのよ。

なんかヒヨコ豆に詳しい人みたいでしょ?

全然詳しくないけど。

そんでフレッシュ出来たてのそのスープトマトの旨味とタマネギ色になるまでタマネギを炒めた良い塩梅のところまでになった、

そのタマネギの旨味も相まって、

ペキカン!なフレッシュさをまとったスープの完成ね!

これから

味がまとまってきて落ち着いてくるから

微かな舌で感じるダイレクトな味わいのテイストが変わってくるのよね。

そう考えると

日常の鍋のベーナーの運用より

スープ作ってしまってしまうほうが手間が色々が省けていいかなーって思うのよね。

で鍋のベーナーから小鍋の小ベーナーに移して

パスタからめたり鶏肉ちょっと煮込んだりすれば、

ここでバリエーション無限に広げられるワールドなのよね!

からまた鍋のベーナーとは違う楽しみが出来るから

これも新たな発見よね。

今シーズンはもしかたらこの鍋のベーナーのレシィピ1本で乗り切れるかも!って思うのよ!

今年はおでん屋さん出来ないかも知れない懸念があるけれど、

まあ飽きるまでスープ屋さんをすることにしてみるわ!

うふふ。


今日朝ご飯

ハムタマサンドしました!

相変わらずちょっと物価高騰で具のゾーンが薄い気がするけど、

いつになったらあのリッチな味わいのハムタマサンドを取り戻すことができるのかしらね

久しぶりかな?

ハムタマサンド

久しぶりだとセクシーヤミーさが増すわね!

美味しくいただいたわ!

デトックスウォーター

レモン炭酸ウォーラーに追いレモンポッカレモン買ってきたので、

レモン感アップでレモンレモンよ!

喉渇いたときの爽快さはそれに勝るわね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-12-02

グリッドマンユニバースアマプラで☆5とかアホ抜かしてるから見てやることにした

いやこれは面白いわ。

俺の個人評価だとグリッドマンは☆3.5(ラストトリックが「で?」にしかならんかったので)、ダイゼノンは☆3なんだけどこの映画なら☆4出していいな。

まあ正直、最近見たゴジマイのガッカリ部分との対比でめっちゃよく見えてるだけかも。

適切なテンポで入る戦闘シーン、物語全体に存在する一貫性過去作に対しての理解度、そういった基本的な「ここちゃんとやってくれないとやっぱマイナス評価なんすよね~~」が入り込む余地バリバリだったゴジマイに対してこっちはそういうの全部埋めてある。

序盤のうちに自己批判して「グリッドマン怪獣?そんなことあるわけないやろ?なっとるやろがい!」とか「ダイゼノンって要するに「ミイラが蘇って恋人が出来ましたってことね」いやいやそうだけど」とか言ったりしてたのが着地点に対しての情報共有として上手く成功してたな。

まあ全編通してこれやっておけば受けるやろの集合体みたいな所あるんだけど、娯楽映画でそれ以外のことやる必要ってないんですよね良く考えてみたら。

時間しかないんだから客に受けることだけしかやる時間なんてないんだよな本来

でもこれ1クール作品2本見てないと何がどう起きてるのか分からねえ感じはあるな。

グリッドマンダイゼノングリッドマン差し戻ししてることでエモくなってるシーンが結構いからなあ。

まあでもそれでいいんだよな。

ぶっちゃけこれ見るのってダイゼノンまで全部見たやつだけだろ。

まりこの映画ってファンしか見てないアイドルコンサート動画みたいなもんか。

あれも☆5多いジャンルだしなあ。

アマプラの点数ってガチで「特定の母数の中での平均点」なんだなあ。

まあでもそれで点数高いってことは「どういう客が見に来るかを考えてそれに合わせて作った」ということだよな。

それって凄い立派なことだよ。

可処分時間を奪い合う現代においてとにかく誰でも良いか顧客にしちまえが横行する中そもそもの敷居を高くしてそれに応えるってのはフェアだねえ。

ゴジマイもシンゴジも「ゴジラを見に来た人」「庵野を見に来た人」「ALLWAYSを見に来た人」をごった混ぜにしてたのアカンのやろなあ。

まあそもそもの話として座組みの仕方が客の数を増やすためになんでもごった煮抱き合わせにしてたのが客に対して不誠実な態度だった感じよなあ。

有名アイドル使ってることを客寄せに使って演技後回しにしてる映画みたいなことしてる時点でゴジマイはアカンかったんやなあ。

最初からダメだった映画の割には頑張ってた方なんだろうなアレは。

いい作品ダメ作品を許せる気持ちを見てる人間に与えるなあ。

2023-11-22

anond:20231122150958

当たり前でしょ、結局のところは使う人間モラル問題なわけ

そっすね

動作として"入ってるデータのみ"を使った出力ならば、盛り込んだデータ数に関わらず「引用部分が従である」が成立しないので引用が成り立たないという話。

意味わからんのだけど、著作物だけを学習させることが問題ってことか?著作物以外の要素が入ってればセーフ?

大体学習引用すり替えてる時点で意味わからん

学習モデル」って書き方は混乱するか。ここでは生成過程に注目していたので「モデルデータ」とかにしたほうが分かりやすいか。後で書くけど「すり替えて」はおらず「学習する段階の話」ではない

AIは新たに自分の頭で考えた要素を付け足さず、モデルデータから選んで切り貼りする以上の動作を行っていないので「著作物引用した新たな著作物」とは言えず「転載物の集合体」として扱える(と考える)。モデルデータの中身が全部無断で使われた著作物なら、モデルデータの中身が6組なら無断転載6件、100億組なら無断転載100億件ってこと

なんで引用かそうでないかを考えたのかは「引用が成立するなら権利侵害ではない」は無断転載検証するにあたりだいたい確認するから

著作物だけでイラストの描き方を学んだイラストレーターは著作権違法ってことになるけど大丈夫か?

多分「学習引用すり替えてる」前提に立ってこれを書いてて、かつ「AI学習人間学習と同じ」にこちらが乗っかったからめちゃくちゃ面倒くさいことになってると思うので、もう「AIの指す"学習"と人間のやる勉強とかの学習は全く別」って観点で話進めるね

著作物だけでイラストの描き方を学んだ」場合というかだいたいがそうだと思うが、絵の描き方を勉強する過程サルまねやトレースを行う行為自体著作権法では制限してない。トレパクとか模写自作発言とか無断転載(+自作発言)くらいの事態が起きたら著作者権利侵害した行為として評価がくだる

"画風パクり"が著作権含めどの権利侵害してるのか?みたいな話は生成AI以前もたまにやってたが、だいたい特定の絵についてトレースや模写をしてなくて"参考にした画風の持ち主の名を騙っていない"ならとくに問題なしという結論が出たはず

じゃあ「生成AIは画風パクりだからセーフやろ」という話が上がってくると思うが、これは先に上げた「転載物の集合体であることを考えれば"画風パクり"とは全く違うものであるので、画風という観点判断してはいけない

AI便宜上"学習"(Training)って言葉を使っているのでややこしいのであって、いわゆる学習モデル実態は「入力パラメータファイル集」なので"学習の成果"とは意味合いが違う

かなり前の方の増田でやった「学習モデルの再頒布禁止」という話については「生成AIを動かすために学習モデルを作る」ことは権利侵害にあたらないが「無断転載素材入り学習モデル頒布」はガッツリ権利侵害だぞって話(これに"学習"って言葉つけないといけないからややこしい)

ただ生成AIシステムコンピュータープログラムである以上「プログラム動作時のデータ処理の流れを追うログ出力コードを盛り込むことは不可能」なんてことはない

からそんなことできないの

ニューラルネットが内部でどう動いてるかなんてのは未だにブラックボックスなわけ

まさかそちらから具体的なアルゴリズム名前を出してくるとは思わなかった

ニューラルネットワーク(以下NN)の内部動作は、人間が指示を出してNNから返された出力を見て「どんな考え方したらこんなアイデア出てくるんだよ思考回路マジわからん」というのがだいたいなので、これも便宜上ブラックボックスだね~」と言っているにすぎない

NNがたとえば古代アステカ文明遺跡から発掘された謎の箱をパソコンに繋いだらAIになったとかいう代物なら間違いなくブラックボックスと呼んで差支えない

だが実態は"アルゴリズム"なので、NNはなんでも作れる不思議な箱ではなく、入力層・多層の中間層・出力層を設けた計算手順にすぎない。NNの参考書読んで人力で計算しても(時間かかるし高難易度関数オンパレードだが)再現可能ではある

参考にしているStableDiffusionも動作原理アーキテクチャも明らかなので、人間再現不可能ブラックボックスではない。プログラム実装してるのがエリートプログラマであるってだけの人間だし

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