横だけど、気が狂った人が主観的に納得するかどうかは数学の厳密性とは全く別の議論だろ それを言い始めたら「¬¬A→A」という主張に対して、「俺はお前が¬A→Aと言ってるよ...
ここまでは、気が狂った理解であり、定義の厳密さには無関係 ここからは、気が狂った理解にはあたらず、定義の厳密さに疑義を挟む余地あり その境界はどこなの?それこそ恣意的主観...
だから多くの専門家の批評を受ける必要がある 究極的には多くの人が「これは厳密である」と信じているからとしか言いようがないけど、そもそも「客観的」ってそういう意味だろ
こいつは狂ってる否かが、結局は異端審問的な多数決にかかってるってことなのかね。まあいいけど。
当たり前だろ まず「客観」を多数決以外で定義するのは無理だろ
「この蛇の長さは35センチだ」も多数決なのか? >「客観」とはつまり「主観」の集合体ですか? 違います。 ・「主観」は各個人の意見 ・「客観」は意見ではなく事実 と言えま...
お前の論理でいくとそういうことだろ 気が狂った人が「これは35センチではない」って主張してくるかもしれんのだから
というより、客観と呼べる立場として「事実」と呼ばれる概念はあるだろうけど、何が事実か、たとえば「35cm云々」が事実なのかが多数決によってるって感じでは? 事実は多数決という...
それで言うと、推論規則は事実でも、 「¬¬¬¬¬A→Aと主張する人をどう説得するか」みたいなのは人間の意志だから、 推論規則の厳密性とは別の話なんだよな
別の話と分けて考えられると言い切るには無理があるよ思う。 虹に対して認識する色の数が言語によって異なる話じゃないけど、数学者が定義を構築するとき記号列、といっても記号は...
「正気な人間に対して正しく一意に定義を伝達できるかどうか」と、「気が狂った人間がそれをどのようにねじ曲げて認識するか」は別の話だろ その正気をどのように保証するかは究極...
じゃあ、定義が先にあって、「定義」を書いた記号列はその表現に過ぎない別物なのであり、表現が一意でないとしても定義が一意じゃないわけではないという考え方があるけど 「定義...
定義と表現が別物なんて言ってない 厳密に表現する手段として記号論理なり推論規則なりが定められていて広く認められてるのに対して、 「¬¬¬¬¬A→Aと曲解してくる人間の存在...
別にあなたが別物と言ってるとはいってないよ?「こういう考え方にはどうお考えか」といっただけだし。 考える範疇を数学から哲学ということにしたところで「数学の定義は厳密か」...
「定義」が一意だとしても「表現」が一意でない、というのはその通りだが、 (正気な人間を想定した場合に)その「表現」から「定義」が一意に導けないのであれば、それはその定義を...
定義と表現が別ではないというなら、そもそも数学者が定義を考える最中の頭の中の、定義にあたる思考内容は、やっぱり記号列を想起してるときの記号列そのものってことか? ならた...
気が狂った人として言わせてもらうと、 35センチなる量は近似値であって 現実には存在しない。 人間の使う数字(というか記号全般)は連続量を表現できないので。
それは先にその例を出してきたやつに言え
もっというならコピペ元の書き手に言う方が適切だろうな
「この蛇の長さは35センチだ」も多数決なのか? 横だけど、これは物理学の範疇であって数学が扱う領域ではない。 物理学では「証明」は存在せず、実験結果と蓋然性があるだけ。
数字を使ってるから一見一意に感じるのが誤解を誘うミソやね
長さっていう連続量を持ち込むのが文脈上筋悪だけど、 「長さは近似値である有理数で表現して良い」 という暗黙の前提が働いてるね。
なんでこの元増田のトラバは深夜の1時とか4時とかみたいな時間帯のトラバしてるやつも結構いるんだ?この話題は夜型人間に受けるの?