はてなキーワード: 晩酌とは
あなたの好きな酒を教えてほしい。
できればつまみも合わせて。
今も飲んでるので、自分のしょうもない酒遍歴を語る。今年30の独身の男。
大学に入ってサークルの男どもとアホみたいな飲み方で酒を覚える。
店は安くチェーンの飲み放題、酒はピッチャーで頼む!けどコールで飲むと結果、全部吐いちゃう。六本木のゴミ捨て場で朝を迎えたりする。
お酒: とりあえずビール飲んどけば大人!は好きじゃないけど。あとはジンバック、テキーラ!
社会人になってIT系だったから飲みっぷりの良さで先輩方に可愛がってもらい、大衆系居酒屋の魅力を知る。
お酒: 1次会から3次会までずーっとビール。何リットルでも飲めると思ってた。第3のキリン濃い味デラックスを買い貯める。
先輩方の飲み方に合わせて麦焼酎のボトル入れて炭酸割りにハマる。家でも晩酌スタート。
家で飲むために黒霧島の1.8Lパックを炭酸割りかストロングゼロ。氷はタッパーで作って砕くスタイルを確立。
店ではハイボール。週3,4で安居酒屋で会社の人、友達と飲み会。
大学生時代に飲み放題で飲んでた日本酒は醸造アルコールに甘い米のカスをぶち込んだ汁だと気づく。
コロナが始まり在宅ワークで大好きな居酒屋、飲み会に行けなくなり、絶望。
ソーダストリームをもらったので、甲類+レモン果汁で無限レモンサワー ×毎日。
色々好みも変わってくるなぁと。
みなさん良き週末を!乾杯!
自分の勤務先は某地方都市を中心に展開する書店で、ピーク時の年商は300億円を超えていたので、国内でも大手の部類であったと思う
しかし、今年1月末に新会社への事業譲渡と大幅な規模縮小を発表し、自分もリストラされることとなってしまった
(今と同名の新会社を設立し、そこに事業と従業員の一部を引き継ぎ商号も従来のままなので、表向きは何も変わらない)
出版不況と大手ECサイトの台頭で町の個人書店が一掃され、大手書店も苦戦が続く中、当社は書籍販売からの脱却を進め、規模拡大と多角化経営を推し進めていった
「どこの本屋も苦境だけど、うちは書籍以外も手広くやっているからなんとか黒字が出せてるんだな」と当時は勘違いしてしまっていた しかし世の中そんなには甘くない
書店と併設してDVD・CDのレンタルをやっていたが当然そこではレンタル専業の大手などと競合する(サブスクの普及でレンタル業界も苦戦が続く)
本やゲームの買取等のリサイクル事業も展開していたが、規模でいけばブックオフに敵うわけがない
VRゲームがみんなで楽しめるネットカフェなんていうのも新規出店していたが、既にアミューズメント業界は飽和状態で利益など生み出せるわけがない
書籍販売以外にも収益源となる柱をつくる!と言いながら、いくつものレッドオーシャンに飛び込んでいき結果として甚大な被害を出してしまっていたのである
ではなぜ赤字を垂れ流しながらも事業規模の拡大を図ることが出来たのだろう 会社側は公式には認めていないが粉飾決算が行われていたことはほぼ間違いない
(色々な関係者から聞いた話を総合すると、粉飾は数十年以上に渡って行われており、規模も数十億円レベルなので非常に悪質な粉飾である)
ここからは自分の推測であるが、経営陣が事業規模の拡大を推し進めたのは「新事業による黒字化」ではなく「粉飾決算を隠すため」がメインの目的であったのだろうと思う
PL(利益計算書)の粉飾は比較的簡単で売上を水増しするか、経費を過少計上するかだけでいい 問題なのはBS(貸借対照表)の方だ
PLで利益を水増しすればBSの純資産の部の繰越利益剰余金が増えるので、左右をバランスさせるためには資産を増やすか負債を減らすかしかない
負債の部は銀行借入を過少計上(簿外債務)させるとして、資産の部で計数操作が可能な項目はどれか
現預金はすぐに銀行にバレるので論外、建物や土地の固定資産も固定資産台帳の提示を求められるとアウトなので、行きつくのは「売掛金」か「棚卸資産」となる
当社は書店なので基本的には現金商売で売掛金は発生しない そこで棚卸資産(在庫)を過大計上するわけだが、店舗数が一定なのに在庫だけが膨らめば当然怪しまれる
それを隠すため新規出店を続けたわけだ 更にいえばゲームの買取やトレーディングカードの買取をはじめたのも同じ理由だと考えている
在庫操作は粉飾決算で一番多い手口なので、銀行も念入りに分析する 銀行側から「一般的な書店と比較して月商対比で在庫が多くないですか」と聞かれた際に、
「新規出店したので在庫も増えた」「書籍だけじゃなくてゲームやトレカの在庫もあるから」「書籍の在庫はいつでも取次に返本可能だから不良化することはないよ」と逃げることが出来る
今までに出店したことがなかった他の地方に積極的に出店したのも、他のエリアの地方銀行からの資金調達を可能にするためという裏の目的もあったのだろう
そうこうして自転車操業を続けていたわけだが、粉飾にはいずれ限界がくる 当社にとっての限界点は2019年6月であった
全店舗において注文した書籍が納入されないというトラブルが発生
会社側は顧客に対して「平成から令和への元号切り替えがうまくいかず、発注システムが不安定となっている 正常化には時間がかかる」という説明を行ったが噴飯ものである
町の個人書店ならいざ知らず、年商数百億円規模の書店からの注文がゼロだったら当然のことながら出版取次から取い合わせが来る
会社の説明は全くの出鱈目で、「資金繰りに窮し出版取次への5月末の支払が遅延したため、当社の経営危機を察知した出版取次サイドが出荷を全て止めた」というのが事実である
このままでは書籍の入荷が出来ず営業が続けられない、万策が尽きた経営陣はついに取引銀行を集めたバンクミーティングで全てを白状…という流れとなった
地元エリアを中心に数十店舗を展開する書店がいきなり倒産し全店舗閉鎖するのでは、地域に対する影響が大きすぎるので、会社側は私的整理による事業再生を目指した
しかしながら、単なる経営悪化ならまだしも長年に渡る悪質な粉飾決算が行われていたのは事実なので、銀行側も容易には応じない
私的整理は銀行借入のみに限定した債務カットが可能なので、納入業者等に迷惑をかけることがありません そのため事業価値を毀損せず再生を図ることが可能です
但し法的整理と異なって法的な拘束力がないため、全債権者(ここでは全取引銀行)の同意が必要となります(同意を得られないまま法的整理に移行するケースも有る)
一方で法的整理は裁判所が手続きを進めるため、債権者の過半数から同意を得られれば再生手続が可能となります
但し銀行借入だけでなく、商品仕入先に対する買掛金など一般的な商事債権も債権カットの対象となるため、事業継続に支障が出る場合があります(現金先払いでないと仕入が出来なくなるなど)
当社の場合は、最終的に国内最大手のレンタルチェーン店や大手家電量販店がスポンサーとして新会社に出資し経営参加することとなったので、なんとか全銀行の承諾が得られた
しかし新たに策定された再生計画には不採算店舗を中心とした店舗の閉鎖と人員の削減が当然のように織り込まれていた
自分が勤めていた店舗も残念ながら閉鎖対象となり、そして面談の中で自分が削減対象人員となっていることも伝えられた
「このまま会社が倒産すれば全社員が路頭に迷うことになる 大変申し訳ないが事業存続のためなので理解して欲しい」と言われてしまうと、承諾せざるを得なかった
会社として生き残るため多少の出血は止む無しという判断をするのは当然のことだろう
最終出社日に退職にかかる色々な手続きを終えると私は定時に会社を出た
私と同様に本日付で退職する同僚と個人的に送別飲み会を開いて会社の愚痴でも言い合いたい気分ではあったが、新型コロナが流行る中で居酒屋に行くことはやはり抵抗がある
まっすぐに帰宅し一人で晩酌を済ませた私は気晴らしにデリヘルを呼んでみることにした
過去に何度か呼んだことがあるお店のサイトをチェックすると、好みのタイプの女の子が居たのですぐに電話で連絡をした
先客が居たので待つこと約2時間、とても明るくてかわいい女の子がやってきた
普段は関西の店舗型風俗店に勤務しているが、今はコロナの影響で客足が激減しており、コロナの影響があまりない地方都市へ出稼ぎに来ているのだという
シャワーを浴びて照明を暗くし、私と彼女は布団の上で楽しいひとときを共有した
「ごめん 布団汚しちゃった 予定日はまだ先だったのに ほんとにごめんね」 見ると敷き布団に少しだけ血が付いている
コロナ禍になってからも、幸い収入の減少も無かった。そのうえ完全リモートワークが可能だったので全社的に移行したため、
通勤片道1時間以上がチャラになった。勤務時間が長くなっても家族と話できる時間は増えた。
もともと飲み会は好きでもなく、プライベートでも酒は飲まない。そのため元々仕事帰りに酒を飲むとか、帰宅して晩酌するということもなかった。
今ではつきあいの飲み会で金が出て行くこともなくなり、正直なところ助かっている。
家は郊外ながら車もあり、リモートワークに耐えうる回線と生活空間とは分けた書斎・デスクをたまたま用意していたため、環境ストレスは少ない方だ。
コロナでこうなるとは夢には思わず、ただ書斎スペースは欲しいな、と思っていただけだった。
つくづく、自分は運が良かったなと思った。
住まいは都会に近くなったので、都会に出てイベントに参加することも楽になった。可能性も広がった。
転職を検討するタイミングが少し遅れたら、コロナ禍でそもそも都会に出ることすら難しかっただろうし、
出来たとしても都会を楽しむ余裕もなくコロナ禍で外にも出れなかっただろう。
元いた会社では、海外出張も経験させてもらった。今だと海外も行けないだろうし、コロナ前から欧州の良い面も悪い面も冷静に見るきっかけになった。
観光じゃない、英語での仕事での外国人とのコミュニケーションは悪くない経験だった。
転職をもっと早くにしていたら、この経験はできなかっただろう。
もっとも、そこはオフィス需要が大きい業界だったので、リモートワーク中心の世の中になると影響を受けたらしく、それなりに業績影響も大きいらしい。
今の会社は取引先へのコロナ影響が大きいが、まだ影響は出ていない。この先はわからないけど。
転職タイミングが早すぎたら、経験不足で今の会社には入れなかっただろう。
転職タイミングが遅すぎたら、コロナでの減収は免れなかっただろうし、そもそも転職すら不可能だっただろう。
有能だから勝ち残ったわけじゃないし、無能だから不利益を被ったわけではない。ただただ、自分は運が良かっただけだ。
この先幸運が続く保証は一切無いし、どこかで抗えない波に飲まれてしまう恐怖はずっとある。
いま不幸な人は、自分を責めないようにしてほしい。あなたは無能だから不幸なのではない。
何故この話を書こうと決意したのかだが、某国に属する(属していた)人に対するヘイトが随分とSNS上で話題になっているからだ。
自分は率先して嫌いになろうとも思わないし、それだけを理由に傷つけたり貶めたり不利益を与えるような行動はしない。
でも、その括りを好きにはなれない。
何故そのような考え方になったのかを綴っていく。
小説を模す。個人の特定を防ぐためのフェイクを入れる。伏字をする。一人称・敬称などは性別を判別できないようにする。
匿名だし眉唾だと思われるだろうが、その姿勢は大切だと思うので是非続けていて欲しい。インターネットの情報は煩雑すぎる。
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小学生の頃の自分は随分と積極的に他者との交流を図っていたし、いじめやいじりというような小さな「悪」ということを見過ごせない、俗にいうところの「イイ子」だった。
ただし、幼稚園時代から口から生まれただのなんだの大人達から言われるような、イイ子ではあったが一筋縄ではいかない人間だ。
同じクラスにAさんという人が居た。皆ともよく遊んでいた明るい子だったが、ある日突然いじられるようになった。
自分はそれを見過ごせずに、いじりの中心人物であるBさんに何故そのようなことをするのかと問うた。
Bさんは「Aさんは外国人だから」といった。ばかばかしいと思った。他の国の人間というだけで人の嫌がることをしていい理由にはならないだろうと大きな声で反論した。
クラスの中で発言権を持つ私の言葉はすぐに広まった。そしていじめ未満のいじりは消えた。
それからしばらくしてAさんのいじりなんてなかったかのように皆でまた遊ぶようになったころ。Aさんが私を家に呼んでくれた。
この間、助けてくれて嬉しかったから家に来て欲しい。見せたいものがある。
私はその子の言葉に応じた。家に帰った後、待ち合わせをし、Aさん宅へと向かった。
最後の曲がり角でAさんが妙なことを言い出した。「本当は誰も連れてきたらいけないと大人の人達から言われているから、声を出さないで、こっそり行かないと」
言葉の意味は理解できたが何故そのようなことを大人が言い聞かせているのかわからなかった。ただ、子供の私はそれをスパイごっこみたいで楽しいと思った。
Aさんの言葉の通り静かに角を曲がった。数軒の件の家が並ぶ場所。その中の一軒が件がAさんの家だった。
Aさんの家に入ったあと、何をして遊んだかは忘れてしまった。ただ、そんなに長い時間ではなかった。Aさんの宝物を色々と見せてもらっては、すごいすごいと二人ではしゃいでいた記憶はある。
二人で夢中になっていると、時計を見たAさんが「帰った方がいい」と切羽詰まったような様相で言った。Aさんは「見送ってあげられない、もう家から出てはいけない時間だから」と言っていたが、門限は家庭ごとに違うものだろうなと思って頷いた。
帰ろうとする私に、Aさんが宝物入れから一つのキーホルダーを取り出し「これは私の国の~~の記念のキーホルダーで、仲良しの証だから持っていて欲しい。それから、もし万が一大人の人に会ってしまったら、このキーホルダーを見せて」と手渡した。(~~は忘れてしまった)
友達の証として物を渡されるのは、物目当ての付き合いの様で好きではなかったが、Aさんが頑として譲らないので受け取り、私はAさん宅を後にした。
家を出て、曲がり角を曲がってすぐのころ。大人の人が話しかけてきた。
「あの地区から出てきたけど見ない顔だ、どこの子だ」といった内容だったが、素直に答えるべきか悩んだ。Aさんが「誰も連れてきてはいけないと大人から言われている」と告げていたからだ。あのあたりで同じ年の子が何人いるかはわからない、友人の家に行ったと言った場合、Aさんが浮上する確率が高かった。
私が沈黙していると大人の人は「ここは来ちゃいけないところだ、もう夕方だし帰りなさい。大きな道まで送ってあげよう」と言った。私は追及を免れたことに安堵し、頷いた。
大人の人は色々と話しかけてきたが、そこから[誰が私をあの場所に連れ込んだのか]を特定しようとしていると感じて、色々と本当と嘘を混ぜて話したが子供のやることだ、話しているうちに矛盾に気付いたのだろう、大人は聞き出すことを諦めたようだった。話題は変わった。
学校の勉強の話から、戦争の話になった。「日本人は戦争をして沢山人を殺した悪い人たちなんだよ」というから「私は戦争には参加していない」と言った。「でも君のおじいさんは戦争に行っただろう」と言われたから「祖父は体が弱いから徴兵されなかった」と言った。大人の人は悔しそうな顔をした。
「でもおじいさんはそうだっただけで、戦争に参加した人はいるだろう」と食い下がるので、苛立ってきた私は「それはおかしい。戦争は確かに悪いし人を殺してはいけないが、戦争が悪いと言うならアメリカもイギリスもドイツも戦争をしてきたし、なぜ日本人だからという理由だけで悪い悪いと言われなくてはいけないのか。人を殺した子孫が悪いというなら、地球に生きているほとんどの人間が先祖を辿れば人を殺しているはずだ。こういう話は日本だからとか国の括りで話すべき問題じゃない。」という旨の話をした。
祖父の体が悪かったのは本当だ。徴兵されず家族の役にもたてず、それを悔い、戦わずに生き延びた者として戦死した人たちの代わりに悲惨さを伝えたい、もう二度と起こしちゃいけないと、晩酌の度に私にいろんな話をしていた。
だから私にとってその話はセンシティブで、所属した国だけを理由に悪い悪いと言われるのは嫌だった。(当時の自分はそこまで自分の感情を理解せずにただただ嫌だとしか感じていなかったが、今の私から見るとそのように考えたのだろうと思っている)
大人の人の話の内容が、私を特定するものに変わった。流石にこのあたりで、子供の私でもおかしいと思い始めた。
「どこに住んでんでいるのか」「親はどんな仕事をしているのか」「家族構成は」「学校のクラスは」色んな事を聞かれたか、答えなかった。「仲良くなりたいから教えて欲しい」みたいなことを言っていたが「住んでる場所や名前がわからなくたって仲良くなれる」と返した。
そんなやりとりをしているうちに大きな道に出たので「もうここまでで大丈夫です、ありがとうございました」と言って大人から離れようとした。
大人の人は私の手を掴んで「教えないなら、車が来た時に突き飛ばしてやる」と言った。だから「やれるものならやってみればいい。私は学校では良い子で通っているから飛び出しをするような子じゃないって証言が出る。車の運転手だって加害者になりたくないから私の近くにどんな人が居たのか覚えるはずだ。それに、ここに来る途中の○○店の店主さんが表に出ていた(嘘)けれど、店主さんとはおつかいで何度も会う顔見知りだ。もし私が事故に遭ったと知ったら、その時にどんな人が近くにいたか教えてくれる」と答えた。
それに大きな道といっても田舎なんだから車なんてそうそう通らないし見通しも良い。いざとなったら車が見えたあたりで大暴れして運転手の目を引いて、自分から道路に飛び出してやろうとすら思っていた。そうすればよそ見運転をしていない限り、運転手は危ないと思って減速するなり避けるなりしてくれるだろうと思っていた。あわよくば、車を止めさせて「助けてくれ」と泣きついてやろうとも。
大人の人は手を離した。「恐いと思わないのか」みたいなことを聞かれた記憶がある。何と答えたかは覚えていない。
「最後に名前を」としつこく聞くので、この一帯では有名な地主(広い田畑を所有している人で、色んな所に顔のきく権力者をどう言っていいのかわからないのでそう表記する)の苗字を出した。大人の人はすぐに去っていった。
あの大人の人は一体何がしたかったんだろうと思いながらも、私は道すがら何度も振り返り、回り道をして、すれ違う人すべてに挨拶をしながら家に帰った。
翌日、Aさんに「あの後大人の人に会ったけど、もしかしたらAさんの家に行ったことに気付かれたかもしれない。Aさんは大丈夫だったか?」と聞いたがAさんは「大丈夫だった」と答えてくれた。
それ以降もAさんに何か変化がある訳でもなく、私や私の家族に何かがあった訳でもない。(一応親には報告したが)
子供のごまかしが効いたとは思えないが、地主の名前が効いたのかもしれない。
大人になって何回目かの引っ越しをする時、そのキーホルダーが出てきた。
その時の私は既に裏面に刻印された形を国の形だと認識できたし、その国の名前も知っていた。
そしてようやく、小さい頃の私に起きた事象が何だったのかを理解できた。
私は日本人というだけで悪意を向けられていたのだなと気付いた。
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誰かの話ならそこまで深く根付かなかったかもしれないけれど、当事者には十分な衝撃だった。怖いことをされたと理解したし、そのようなことを施された事実を嫌だと思った。
ああやって子供に刷り込んでいくんだなとか、大の大人が子供に向かって脅迫するんだなとか。過去の出来事で第三者の視点なのにもかかわらず、当事者としての恐怖をじんわりと感じている。
何事もなかったのは運だけだろうと、勝手に思っている。受け答えを一つでも間違っていたら、とも思っている。(いや、かなり間違っていたからこその脅しだったのだろうが、実行されなくてよかったという意味で)
SNSで話題に上がるたび、日本人から嫌がらせを受けた人もたくさんいるんだろうと心を痛めつつ、自分も日本人だからという理由でその国の人から脅されたんだけどなと思う。
(勿論、現実社会において四面楚歌の状態である前者の方が立場的に辛いのは承知しているが)ハッシュタグが使えて羨ましい。誰かに伝えられて羨ましい。大変だったね、辛かったね、怖かったね、そう言ってもらえて羨ましい。それを言える環境に居るのが羨ましい。
でもこれを自分が素直にインターネットに流したら色々と言われてしまう。ハッシュタグを使って盛り上がれるくらい数が多い人たちに所属していた(している?)人に不利益を与えられたと言ったとして、その先はと考える。
自分はそういう目に遭ったという事実を伝えるだけなのに、国をほのめかしただけでSNS上ではこちらが四面楚歌になるし、自分の意見はこうだという話に第三者が考えを押し付けてきてSNSを妙な討論の場として使われてしまう。フォロワーさんやフォローしている方に迷惑をかけてしまうのは嫌だ。
SNSとは違ったこの匿名ブログならば、傷つくこともない代わり、このような話をしても「釣り乙」で済まされてしまうだろう。
冒頭にも書いたが、それで良いと思う。自分に都合の良い情報ほど人は素直に受け入れてしまう。疑わずに読んだ人はどうか疑ってくれ。
最初から疑って読んでくれた人は、ここまで読んでくれてありがとう。
最後に。
あの国に住む人全員が、あの地区に住む人と同じ考え方だとは思わないし、親や大人の人達の言いつけを破ってでも宝物を見せてくれたAさんとの間に、確かに友情はあったと信じている。
(実はAさんが悪意を持って私を呼び寄せたのかもしれないと考えることもできるが、それならこんな中途半端にはならなかっただろう。その線は薄い)
大人になってからあの国の人と交流する機会があったが、丁寧で優しい人の比率は高かった。
(演技だと言う人もいるかもしれないが、自分だって日常の中でいけ好かない奴の顔面を殴りたいと思いながら手を出さずにいることもある。お互い様だ)
でも自分は好きにはなれない。その国というだけで身構えてしまうから、好きになるために向き合おうと努力する必要があるだろう。
他にも、普通とか嫌いではないとか、そういうカテゴリーに入れて、そこから関係を構築していくことになる。
一人一人と向き合う以上「それに属する全員を受け入れる」なんて軽々しく口になんてできないし、そんな無責任なことを言う気もない。
ただ、あの大人の人のように「嫌いだから」というただそれだけを理由に、誰かを傷つけたり貶めたり不利益を与えたりしないように生きていきたい。
そりゃあ…何だかんだ自分に甘く好きな時に好きなもの食べてる人たちとは違うんで…
現在168センチ、53~54キロ(夏はもうちょい痩せる)。アラサー既婚子持ち。
甘い飲み物は基本飲まない(コーヒーはブラック、紅茶はストレート)。
口に物を運ぶときは常に一日のカロリー摂取量を超えないよう意識してる。
例えば昼に外食したら夜ほぼ食べない、夜に飲み会あるなら朝昼はサラダスープのみとか。
ストレッチと筋トレ(ゆるいやつ)もやってるけどこれは気休めだな…
私、食べたら即吸収する体質なんですよ。
別に今はダイエットしてる訳じゃないけど、24時間365日上で書いたことを守って生きてます。
ちなみに夫は食べても太らない家系の人。身長175㎝で体重は私と同じくらい。
そんな彼は毎晩晩酌して、甘いものも大好きで常にお菓子買ってくる。
子供はどっちになるんだろうね…
私は非常に気分を損ねていた。
帰りついた自宅の駐車場に車を停めて、運転席の背もたれをうんと倒し、不貞腐れて仰向けに寝転がっていた。
朝、私は今日を素晴らしい日にしてやろうと息巻いていた。
喫茶店でサンドイッチを食べ、たっぷりのコーヒーをちびちびと舐めながら、窓際で日向ぼっこをしよう。その為にもお気に入りの目玉焼き柄シャツを着て、人に会う予定もないのに化粧をして、車通りの少ない道をゆっくり走っていこう……。そうやって幸せの逆算をしながら、あらゆる準備を嬉々として行っていた。
目当てだった喫茶店は混んでいたので諦めたが、いくらか離れた元酒屋のそこは空いていた。カフェスペースに先客はおらず、そっと床板を軋ませるのは、なんとも言えない優越感があった。注文が届いてからマスクを外す。なんともいい匂いだ。ピザトーストは分厚くもっちりとして、確かな食べごたえでもって私を満足させた。
ナイフとフォークを用いてピザトーストを切り分けている間、三人連れの女性客が入ってきた。やや離れた席に座った彼女たちは主婦友達らしく、子どもの話やなんかで盛り上がっている。店内のラジオと合さって、程よい午後の気だるさを演出していた。
デザートとコーヒーが運ばれてくると、プリンは直径10cmほどのボウルにたっぷりと入っていて驚いた。甘くざらついて飴がけになったそれもまた、なかなか気に入った。
半分ほど残したコーヒーを冷める前に飲んでしまうべきか、時間をかけて舐めているべきかで悩んでいると、今度は三人連れの若い男性客が入ってきた。灰皿はないかと店員に声をかけて、禁煙だから外でどうぞ、マスクは飲食が始まるまで外さないようになんて言われている。
彼らは私の隣の席に座ってお喋りを始め、もう向こうの主婦の声も、ラジオの音も聞こえなかった。許容できない距離に人間が増えたのが不快で、私はマスクをつけた。こうなってはのんびりとコーヒーを啜っているより、さっさと飲みきって、それから自分の世界に閉じこもってしまうのがいい。そう思って一度つけたマスクをずらし、コーヒーを飲み切る。マスクを戻して背もたれに体重をかけた。
「一口飲む間だけマスクをずらして、すぐに戻す人はこの辺りじゃ初めて見た」
私は眉を寄せ、それから絶望した。なんだこの躾のできていない男は。こんな人間のたった一言で、素晴らしくなるはずだった私の一日は台無しにされなければならないのか!
男性客たちをひと睨みするが、気にした様子もない。うんざりして頭を抱える。ほんの一分、もしかしたら十五秒、忘れようと目を瞑ったがとても無理だった。不機嫌なまま立ち上がり、ごつんごつんと踵を響かせてカフェスペースを出る。会計をしたが、そのまま店を出ていくのは悔しかった。
酒屋と雑貨屋の合わさったようになったスペースをぐるりと回って、何かいいものがないか探し出す。地下にワイン蔵があるのは知っていたが、ワインはあまり飲まないので降りていくのはやめた。ウイスキーと迷ったが、冷蔵ケースに珍しいビールが並んでいたので、二種類選んで買った。今日ではないがそのうち、餃子をつまみにこれで晩酌をしようと決めた。その瞬間ばかりは心が晴れたが、すぐに曇ってしまった。
予定よりも早く店を出て、帰路を辿る。本当なら服屋にも寄りたかったが、もうすっかり気持ちが萎えてしまって向かう気になれなかった。
いつまでも腹が立って、悔しかった。全く不躾な男だ。あんなやつは新型の病気とは言わないから、インフルエンザにでもかかって一ヶ月ばかり寝込んでしまえ。そして金輪際喫茶店になんて近寄らず、自宅で駄菓子をつまみに発泡酒でも飲んでいればいい(私は普段そうやって酒を飲むことが多いので、別にそれが粗悪だなんて思ってはいないが)。なぜ笑われなければならないのだ。なぜあんなしょうのないことが気になって仕方ないのだ。どうしてこんなに打ちのめされなければならないのだ!
どこか公園にでも寄ろうかと思ったがやはり気が向かず、結局帰ってきてしまった。家に入る気にもなれずに、車の中に寝転がる。この空間には私一人だけだ。私をおびやかすものは何もない。本当はそういう安心感を、どこか外の世界で味わいたかった。孤独や悲しさが溢れて流れていった。
このままで今日を終えるなんてとてもできない私は、日記を書くことにした。この自分勝手で、被害妄想的で、矮小で、傷ついた気持ちを、どこか遠くに追いやりたかった。それはそう、どこか私小説と呼ばれる物に似ている気がした。
日記を書き終えると、ずいぶん心が穏やかになっていた。今日という日が私の頭を離れて、このたかだか二千字足らずに収まっている。この出来事はもう、私から切り離された私以外の何かで、私の興味を引くに値しないものだった。
しかし、ここまで真面目に書いたら誰かに見てもらいたい。閲覧数がいくらかついたら報われるし、私を擁護してくれる人がいるかもなんてスケベ心も湧いてくる。くだらないと言われれば古より伝わる「嫌なら見るな」のアスキー・アートを心の中に貼り付けよう。そう考えて、私は投稿ボタンを押した。
禁酒というか、毎晩の晩酌を週に1~2回に減らした程度のもの。
晩酌やめようと思った理由は、毎晩飲み始めてからの記憶がほとんど残らないのが怖くなってきたのと、飲みすぎて次の日を無駄に過ごしてしまうことが週に一回くらいのペースで増えてきたから。
依存症は大丈夫だろうと思ってたけど、やめてからの数日はかなりの頭痛に悩まされて、それが離脱症状と呼ばれるものだとわかって少し怖くなった。
確かに今まではその頭痛を和らげるためにお酒を飲むという行為を繰り返していたように思う。
それを離脱症状なのだと自分に言い聞かせて飲まないように我慢したら1週間くらいで頭痛はなくなった。
本当は我慢できなくて飲んでしまったこともあるのだけど、翌日のほうが頭痛がひどくなって飲んだことをひどく後悔した。
そんなこんなを繰り返して、だいたい一ヶ月経った。
・髪が増えた。
これまじワロタ。ここのところ生え際の防衛ラインがガンガン攻め崩されて隙間からの地肌が寒々しくなるばかりだった。
あぁ。40も過ぎれば仕方ないよなと諦めてた。
ところが、お酒をやめて一週間くらいで、ドライヤーするときの抜け毛が減ってきたことに気づいた。
気のせいかな?と思っていたけど、一週間前くらいから明らかに生え際の産毛が増えてきた。
おいおい。季節的には生え変わりの時期じゃないか。って思いながら、防衛ラインにブッシュが作られて防御力が強固になっていく姿をみて少し涙が出た。
・貯金が増えた
それまで飲んでいた量は、だいたい第三のビールを2本、その後焼酎をグラスで2~3杯が平均。
考えてみると、それだけで500円弱飲んでいる計算になる。
それが出ていかなくなった。
試しに飲まなかった日は500円貯金をするようにしたところ、この一ヶ月で1万円以上たまった。
積み重ねてはじめて気がついたことながら、むしろそんなに使っていたのかと思うと少し怖くなった。
なぜかというと、今の所まだ、お酒を我慢するというのはそれなりに精神的コストを使っている状態なので、500円という価値がものすごく重くなったから。
今までは気になるものがあれば2000円までは思考停止でポチってたのに、4日分の我慢と天秤にかけるとおいそれと買えなくなった。
この一ヶ月で貯金箱には1万円ちょっとだけど、現実的にはもっとたまっていると思う。
・本を読む時間が増えた
今までは、飲んでしまえば忘れてしまうという理由で夜に本を読むことはなかった。
逆に飲まないようになると暇な時間が増えてしまったので、本棚から昔読んでいた本を引っ張り出してみることにした。
読み始めてみると楽しくて、3日に1冊のペースで本棚を消化し始めた。
風化した心の地層から忘れていた自分が掘り起こされたような気分だった。
・子供との会話が増えた
お酒を飲んでいるときのほうが楽しい父親なんじゃないかなって思ってたけど、そうではなかった。
子供にしてみると、感情の起伏が激しくて酔っ払った父親には近づきづらかったらしい。
そんなこと考えたこともなかったけど、お酒を飲まないでいると、子供たちが自然に近づいてくることがわかった。
これは素直に反省した。
・妻との会話が増えた
妻がなんでもないことを話しかけてくるようになった。
今まで会話を拒否したつもりはなかったけど、酔っぱらい相手に何を話しても無駄と思っていた部分はあるかもしれない。
とてもなんでもない、他愛のない話。例えばママ友とのやり取りとか、掃除用具をどれを買おうか迷ってる話だとか。
そういうことを話しかけてくるようになった。
でも多分これは、今まで話しかけられていたことに自分が気がつくようになったのだと思う。
これも素直に反省した。
だけど、気がついたら『お酒を飲み始めたら触れてはいけない存在』に、家族の中でなっていた。
それに比べて、お酒を飲まずに居間に座っているときは、自分を含めた『家族の時間』が動いていることに気がついた。
逆か。
それまでは、お酒を飲み始めた時点で、家族の時間から取り残されていたのだと思う。
そこに、戻ることができた。
朝目が覚めて家を出るまでの慌ただしい朝の1時間。仕事から帰ってきてお酒を口にするまでの1時間。
たったそれだけの時間しか家族と過ごしているとは言えなかったのかもしれない。
たまの休みさえ、二日酔いで潰れてしまっていることさえあったのだ。
それを思うと、後悔よりも申し訳ない気持ちがこみ上げて、涙を溢れさせて止まらなくなった。
突然泣き出して子供たちは戸惑っていたけど、妻を見たら何故か涙目ながら微笑んでいた。
妻はとっくに何かに気がついていたのかもしれない。
いつからだろう。多分、バランスを崩したのはコロナが始まってからだと思う。
それを言い訳にして、自分だけが辛いという顔をして、家族にストレスを押し付けていたのだろう。
毎晩飲んだって暴力や暴言がなければいいって思っていたけど、それは間違っていたかもしれない。
軽い気持ちで始めた禁酒だけど、やめてみてわかったことは、飲んでいる間、自分の想像以上の負担を家族に強いていることだった。
多分それは、家族も気が付かないうちに増えていたもので、だからこそ自然とストレスから開放されて笑顔が増えてきたのだと思う。
自分ではうまく付き合えていると思っていた。
夫は毎晩のように晩酌をする。
休肝日といえば二日酔いでお酒が飲めないときくらいだった。(当然休肝日になっていない。)
アルコール依存症というわけでもないが、それでも仕事が終わって家にいる時間の大半は酔っ払っていることが何となくストレスではあった。
依存症になってからでは遅いし、今のうちになんとかできないだろうかと考えた結果、そこで思いついたのが休肝日貯金という提案だった。
大体ビールを1缶空けると、割と良さそうな焼酎をロックで2~3杯。毎週ゴミの日に一升瓶が一本出てるので、一週間で飲みきっているようだ。
150x7+2500=3550円が夫の一週間の酒代と考えられる。
そういえば、以前夫がなんとなく大きな買い物をするのは気がひけるというようなことをいっていた事を思い出した。
自分の小遣いを貯めたとしても、なんとなく家族の手前使いづらいというような感じだった。
そんなつもりもなかったが、確かに毎日ちょっとずつ使う分には罪悪感がないのもわかる。
私「いつもおつかれさま。ところでそろそろ年齢的にも体のことが心配だし、お酒を減らしてみてもいいと思うんだけど。」
夫「あー、うん。そうだね。健康のことを考えなきゃだね。」
口ではこう言っておきながら明らかに生返事。次に何か私が言おうものなら言い返してやろうという身構えも感じられるが、ここまでは予想通り。
私「そこで考えたんだけど、休肝日を作ったらその分貯金してみるってのはどうかな。」
夫「、、、え?どういうこと?」
動揺が見えた!すかさず畳み掛ける。
私「あー、ほら。以前、金額の大きな買い物をするのに気が引けるって言ってたでしょ。だから、休肝日を一日作るごとに500円を貯金していって、溜まったら好きなものを買ってもいいってしたらどうかなと思って。」
しばらくして口を開く。
夫「うーん。でも、小銭とか用意するの大変だし、長続きしなさそうだな。」
実はそれも想定内。
私「そそ。それで考えたんだけど、寝るまでにお酒を飲まなかった日は、電子マネーサービスに500円チャージするっていうのはどう?いつも電子マネーでお酒も買ってるんだから、月末の請求は変わらない感じになるでしょ?」
ハッとした顔で顔を上げる夫。畳み掛ける私。
私「それでたまったお金の使い道に関しては、絶対文句を言わない。趣味のものでもゲームでも、好きなものを買ったらいいんじゃない?」
夫の瞳の奥が輝いたのを見逃さなかった。
私「そしたら、今日だけはこのビール一本で終わったらOKということにして、早速やってみようよ!」
えー、悪いよ。いいの?といいながらスマホを取り出す夫。どの電子マネーにチャージしようかアプリをぽちぽちし始める。
勝った。
最初の一週間くらいは日中の頭痛がひどかったらしく、それってどこぞで読んだ離脱症状じゃねーか!って大声で突っ込みたくなるのを我慢。
そんなこんな、すでに禁酒生活も10日を過ぎ、自分の仮説が正しかったことを実感した。
なんとなく夫の心理的には、小遣いを残しても使いみちがないなら、毎日の発散で消費してやろうという気持ちがあったみたい。
まぁ、私だって好き勝手買い物ができるわけじゃなくて、小遣いだからって好き勝手できていいですねという無言のプレッシャーをかけていたことは反省している。
子供も大きくなって少し手がかからなくなってきたので、そろそろ趣味を取り戻して、いいも悪いも子供を巻き込んでもらいたいなと思ったのは事実で、うまく行ってくれてよかったです。
さて、その分今度は子供にお金がかかるようになってくるので、次はどのタイミングで小遣い減額を申し出るかの戦略を立てなくては。