はてなキーワード: 情報量とは
■Google お店フォト の営業がやってきた
googleのストリートビューと連動するサービスのおみせフォトというものがあるらしい。
ストリートビュー上で見かけた店の中を見れるシステムということで、飛び込みで営業マンがやってきた。
しかし、話が進むと実は最初の撮影料だけいただきます、とのこと。
ワンカット10000円。店の中に入るまで2カット、入って1カットは最低限必要。できればもう2-3カット。だから全部で60000円だそう…。これがGoogleのガイドラインなのかどうかは聞きそびれた。
そんな余裕ないので断ると、黒の細身のおしゃれスーツ+ベネトンのデザインみたいな切り替えし柄ネクタイをしめた自信満々の30がらみの営業マンは、大げさにリアクションし話をずらしながら続ける。
いそがしいので重ねて断ると、問題なのは価格ですか? いくらなら大丈夫ですか? とやや上から食い下がる。おかえりいただいた。
名刺を見ると、下請け会社のようで、サイトを見ると設立して二年足らず、googleソリューション事業のほか、営業代行、太陽光、回線業、クレジットカード決済代行業、WEB制作事業とあり、スローガンは「夢をかなえよう」だった。総務省許可番号とあるが、何を許可されているのかは書いてなかった。お店フォトについて検索すると代理店によって価格が違うらしい。また同じエリアにもいくつも代理店があるようだ。
お店フォトよくある質問
http://www.google.co.jp/intl/ja/help/maps/businessphotos/faq.html#q6
なにこの情報量。
大阪府立図書館のシステムが新しいものになった。残念なことが2点ある。
1. レスポンスが遅い。
2. 情報閲覧性が悪い。
以前のシステムは、はっきり言って素人が作ったような簡素なものだったが、レスポンス性には問題はなかった。使っていても、「待たされている」感がまったくなかった。一方で、新しいシステムでは、いちいち「待たされている」感がするほどレスポンス性が悪い。システムの更新直後なので、今後、最適化がされるのかもしれないが、現状のレスポンス性で今後ずっと使うとなると、「どうにかして欲しい」と感じるくらいレスポンスが悪い。
情報閲覧性に関しても、前のシステムは「情報量が適度に少なかった」。そのため、自分の探しているものがすぐに見つけることができた。これが良かった。一方で、今回の新しいシステムでは、とにかく色々な情報を一つの画面に詰め込みすぎている。慣れたらいいのだろうが、UIの悪い例だと思う。UIの良いものというのは、使用者の経験(どれくらいの時間そのシステムを使ったか)にかかわらず、見つけたいものをすぐに見つかることだと思う。新しいシステムは、その点で劣っていると思う。
このシステムを制作したのは、それなりに経験のあるSIなりSEなりが用意したのだと推測するが、ユーザの立場にたっていないまま、使用者の意見を取り入れないまま、「えいやっ!」で作ったシステムのような感じがする。今後、ユーザの意見を取り入れて改善していって欲しい。
撮り鉄問題でいくつか思いつくことを書いてみる。
撮り鉄は、昔からいる。現存している昭和50年台までの写真は、写真のコストがとても高かった時代のもので、かなり道楽ができる人でないと写真を残せなかった。戦中、終戦後10年くらいに写真が撮れた人は貴重な存在だった。
今は、携帯にもスマホにもカメラが付いている。3DSにもカメラがある。選ばれし者の趣味ではない。
廃止が決まりました的なイベントやその周辺の時間のキャパシティは限られている。電車が撮れる時間は一瞬だ。しかし、最後だよという情報は、一瞬で全国を駆け巡ってしまう。都市部は潜在的人口が多いので、反応する人も多い。
伝統的な撮影ポイントは、すでにお立ち台通信という書籍で情報が知れ渡ってしまっている。本来、鉄研や友の会的な人の口伝だったものが、全国の潜在的趣味者に知れ渡ってしまった。いい場所は限られることと、列車のダイヤと天気と太陽の位置が理想的な状態になることは稀なので、集中してしまう。
JR東や大手私鉄は、基本設計が同じ車輌を発注しているので、どこにいっても同じ金太郎飴のような電車が増えた。ゆえに地方線区に残ったお古のほうが雑多で趣味的に面白くなる。
業績至上の鉄道会社の本音としては、地方の路線はお荷物であり、社会的使命という方便がなければ、廃止したい。旅情よりも都心の手持ちの土地を効率よく運用したほうが圧倒的に儲かる。
情報の共有と蓄積が進み、最適解を常に得続ける鉄ヲタが増えた。18きっぷの乗り継ぎパターンや最適な座席位置を体得していたり、きっぷの予約も最適解を常に得続ける鉄ヲタに独占されるようなった。人気列車の指定席の転売が問題になり、乗り放題の企画きっぷが廃止されるに至った。
博物館はこども向けで、トワイライトエクスプレスやななつ星などのクルーズトレインは、富裕層老人向けで、20台から40台向けの楽しめる企画がない。
定年後の趣味として出戻った人が参入。お金があるのに昔の貧乏鉄をやっている。
鉄道旅行や鉄道趣味から失敗をしながら試行錯誤を繰り返すことがなくなり、常に最適な収穫を得るような趣味に変節してしまったためにリソースが大幅に制限されるようになったのではないかとうすうす感じる所存。
1 オナ速の登場
先日電車でJKが「○○ちゃんはオナ中でオナクラに入ってた」なんて宣ってたが、これは断じてオナニー中毒の少女がオナクラで働いてたという意味ではなく同じ中学で同じクラスという意味だ。
しかしながら、タイトルにある「オナ速」のオナは今度こそオナニーのことであるから自慰マニア各位は安心するように。ただし、それはオナニー速報のことではなくオナニー速射でもなくて、残念オナニー速読でした。
勘違いされがちだが速読は特殊能力でもなんでもなく誰でも速く読めばそれで速読なのだ。速読の習慣の多寡によってスピードに著しい差があるため、まるで速読自体が超人技であるかのように思われているが何ともあほくさい話である。つまり、頭の硬い大人たちが速読という誰でも訓練なしにその場でできる素朴な行為を勝手に特別なものと考えて挙げ句の果てには不可能と決め付けて凝り固まっているだけの話なのだ。そしてそうした洗脳された可哀想な人を思い込みから救うための治療法をわざわざいかめしく速読法と呼称しているだけのことだ。
だからオナニー速読ではそういうくだらない風潮に小石を投げてもっと単純に楽しめよと訴えかける。つまり、オナ速は世にはびこる速読法の類いのものではなく、あえて言うなら読書の楽しみ方である。
まず声をゴリラにして叫びたいのは、このご時世読書の楽しみ方が画一化され過ぎているということだ。スローリーディングが近年もてはやされているが、それも読書の楽しみ方の一端にすぎない。スローリーディングの最も不自由な点はスローへの不必要なまでの拘りである。速さも遅さも両方大切なのに。
自由や個性という言葉を強調する人間に限って、単に不自由で没個性な自分のやり方を正当化したいだけで、自由や個性とは程遠いシロモノであるのはよくあることだが、だからと言って自由や個性を叫ぶのを止めてしまうと人間社会の硬直化に対する抑止力が女性の「硬いのはチンポだけにしてよね」という台詞しかなくなってしまうというジレンマがある。
こと読書に関しても、自由という名の不自由の押し付けであることを恐れずに私は言いたい。今こそ全人類が読書解放運動を起こすべきであると。読書にまつわる先入観を捨てて、読書を再定義&新発見していかねばならない。読書ってまだまだこんなもんじゃないぜってところを見せてやらないといけないぞっと。誰に見せるのかは知らないけど。
よく言われることだが、文字情報というのはそれ自体は画像よりも遙かに情報量が少ない。しかし、文字の意味するものを想像し推し量ることで初めて豊かな情報を含んだ感覚が読み手の前に現れる。換言すれば、想像力と推理力いかんで全くもって読書体験が違ってくるということだ。
したがって、みんな「読書」「読書」と共通する言葉で呼び習わしているけれども、その中身は「あなたとわたしでまるで違ってた」ということが当然あるわけである。
だから、異次元な読書に遭遇してもそれもまた1つの読書法であると寛容の心で迎えることにしよう。受容すること、それがあなたの読書を豊かなものにする。
ところで、何故オナ速という名前にオナニーが含まれるのかというと、読書にはオナニー的な側面が色濃いからだ。ここでのオナニーとは単なる自己満足の同義語ではなくて、胸を高鳴らせながら「オカズ」と呼ばれる情報を探して、良いオカズを見つけたら食い入るように「味わい」、「集めた」オカズからより興奮度の高い「妄想」を作りあげる、という一連の特徴を有する行為のことだ。
うーむ、改めて考えると読書ほどオナニーに酷似した行為はない。そう思わないだろうか?よく考えてみてほしい。
ここで、読書のような高尚で知的な行為がオナニーのような低俗で馬鹿な行為のわけがないと思う諸君は、エロ漫画やエロ小説から類推してもよい。具体的には、エロ動画→エロ漫画→エロ小説→小説→高尚な専門書というオカズの状態遷移図をイメージして欲しい。
そして実際にエロ動画を楽しむ時のような気持ちと心構えを保持したまま矢印にしたがってオカズを推移させてみるとよい。そうすれば、高尚な専門書もその本質においてはエロ動画となんら変わる所がないのが認められるであろう。ただし、チンコは出さずに楽しむこと。
なるほど読書は確かに限りなくオナニーに近いことが分かったけれども、賢明な諸君は既にお気づきだろうが、それでもただ一点、陰茎の有無という点が異なる。もうお分かりだろう、オナニーには陰茎があるのに読書には陰茎がない。
そしてこの一点のために、読書とオナニーの間には深い深い断絶が生じているのだ。読書という本来楽しい行為が文字通り去勢されて、無味乾燥なものに堕してしまっている。
若者の活字離れが叫ばれて久しいが、実は近年ではケータイ小説やラノベの隆盛によって活字と接する機会がむしろ増えているのだという。
それを知り、今こそ読書を復権する一世一代の大チャンスであると考えた私は、まず読書と自慰の間の橋渡しに取りかかった。そろそろいい加減に読書と自慰の両者は和解しても良かったのだ。誰もやらなかったから私がやった、それだけのこと。
3 これがオナ速だ
以上を踏まえ、オナニーとしての読書を前面に出した速読がオナ速である。
繰り返すが、これは速読法ではなく読書の楽しみ方である。速読法というもの自体が実にナンセンスなことは既に述べた。よって、従来の速読法を去勢されたものとして否定的に見る。全否定まではしないけど。
ではオナ速の方法を紹介しよう。オナ速に入門したはいいが何から始めて良いか分からないという新入生は必見である。ただし、技法論に終始して楽しみが失われては本末転倒だから、最低限の技法の紹介にとどめる。
それではまず、君はエロ漫画を速読する習慣を身に付けねばならない。オナ速は楽しさをモットーとするが、開放的な享楽の裏には必ず厳しい統制があるものだ。エロ漫画片手に厳しく行こう。
先ほどの状態遷移図を今一度見てもらおうか。エロ動画→エロ漫画→エロ小説→小説→高尚な専門書。
これを見ても分かるようにオカズカーストの最上位に位置するのはエロ動画である。最もオカズとしてのパワーが強い。
次がエロ漫画、その次がエロ小説と続く。困った時はまず身近な相談役のエロ小説先輩に聞く。それでも解決しない時はエロ漫画先生に、それでもまだ解決しない時はスクールカーストの最上位のエロ動画校長を用いれば良いのだ。
しかし君たちはまだ駆け出しのヒヨっ子なので、最初からエロ漫画先生の力を積極的に借りたほうがいいだろう。エロ小説先輩は気が優しいけどちと力不足だ。
さてエロ漫画の読み方だが、分かっているとは思うがチンコは出さない。そしてこれが重要なのだが心のチンコをしごく。
「ネットペニス」という言葉をご存知だろうか?かいつまむと、どれほど処女力の高い女性であっても2chの男どもの手にかかれば毎日妄想内で犯されまくりで、実質ネットごしに処女喪失したのと一緒じゃね?という話である。
この話で重要なのはネット上でも処女喪失が成立することではない。そんなことはどうだっていいことだ。
本当に大切なのは、バーチャル世界でもペニスが存在することの発見、そしてそこから論理的に導かれる、ペニスがあるならオナニーだって出来るじゃないか!という気づきである。
まだピンと来ない人もいるだろうから具体的に言おう。これをエロ漫画に置き換えると、物理的にはチンコを出さないけれども、精神的にはチンコを出してオナニーすればいいと。そういうことなのだ。
そもそもオナニーに物理的チンコは不要である。第一に物理的チンコは性感帯の一部に過ぎないし、第二にその性感というのも単なる快楽物質の分泌に過ぎない。言うなれば、チンコは快楽スイッチの1つに過ぎない。
その快楽スイッチが身体に存在するのは甚だ不便だと思ったことはないだろうか?心にスイッチを備え付けたい。思春期にそう強く切望していたのは私だけでは無いだろう。
それは可能である。可能なのだがそれに納得して貰うために少し説明しなければならない。
まず基本事実として、人間は適切なオカズさえあれば深いエクスタシーに達することができる。言い換えれば、物理チンコなどなくても純粋に精神的な手段で快楽が得られる。これをエナジーオーガズムと呼ぶ。
次に、オカズを物理的に調達しなくとも純粋に心の中で妄想するだけで、オカズとしての働きを十二分に果たすことができる。これは妄想を習慣としない人には信じがたいだろうが事実である。
以上何でもない2つの事実を確認したが、この2つからとんでもないことが分かる。純粋に精神的なスイッチを作ることが可能なのである。これを精神的チンコと定義する。
そして他でもないこの精神的チンコをしごくことこそがオナ速の極意なのである。なんだってー!? 要するに、心の中に精神的チンコと呼ばれる快楽スイッチを作り、それをこすりながら読書する。これがオナ速の全貌である。
4 オナ速の実践
とは言っても、精神的チンコをしごく感覚はなかなかつかみづらい。そこでまず感覚のつかみやすいエロ漫画から始めるのである。
その際にページを「読めないギリギリの速さ」でめくってほしい。読めるギリギリじゃなく読めないギリギリ。限りなくセーフに近いアウトで頼む。読めてしまったら従来の読書法に先祖返りする危険性が高いからである。
ギリギリ読めない速さでめくりながら読もうと努力するのだ。読めてきたらまたスピードアップして「読めないギリギリの速さ」にする。この繰り返しで少しずつ速くしていくこと。
勘違いする人が続出しそうなので言っておくと、これは一見すると速読習得法のようだが全く違う。速さは従来の読書を回避するためのものに過ぎない。実際のところ、速さが欲しいなら「読めないギリギリの速さ」にせずに最初からビュンビュン飛ばせばいいのである。それをしないのは速さ自体はどうでもいいからだ。
さて、読めないギリギリの速さで読もうと努力すると言ったが、その努力のしかたも大切である。絶対にやってはいけないのは、立ち止まること(停止)と目など身体を緊張させること(緊張)、である。
停止と緊張を避けるには、ページをめくる速さを一定にするとよい。淡々と流すようにリズミカルにページをめくる。理想はエアロバイクを漕ぎながらのタブレットによるオナ速である。これなら絶対に停止と緊張が起きない。
さてページをめくるリズミカルな動作は何かに似ている。そう、シコシコに似ている。あとは言わなくても分かるな?そう、めくる動作に合わせて精神的チンコをしごくのである。
合わせると言ってもタイミングが重要だ。ページをめくった次の瞬間、ちょうど紙面を視認した瞬間が黄金のタイミングだ。このタイミングでスイッチオン。ここから少しでもズレるとガクンと成功率が落ちるので注意しよう。タイミングをつかむには身体でリズムをとりながらやるのが良いだろう。コツをつかむのに1ヶ月は最低かかると思う。
成功すれば一瞬視界が明るく光って快感が生まれるからすぐそれと分かるはずだ。安定して成功するようになったら、今度は吹き出しのセリフも正確に読み取ろう。
それも出来るようになったらエロ小説に取りかかり、それも出来たらやっと高尚な専門書に進むことができる。長い道のりだが決して無駄ではない。全てはエロ漫画のように生き生きと読書をするためだ。
エロ小説や高尚な専門書の読み方もエロ漫画と基本的に同じだけど、しごくタイミングには少し注意が必要である。文章だけの本の場合、おすすめのタイミングは数行をまとめて目に入れてその次の瞬間である。一行ずつしごくやり方も試行錯誤したがどうもうまくいかない。数行ごとが良いと思う。
数行ずつのまとめ読みをマスターしたら5行、1/2ページ、1ページと増やすことになるが、無理に急ぐことはない。無理をしてオナニー性が薄れたと感じたら数行ずつのまとめ読みにただちに戻るべきだ。
ともかく、以上の方法を実践すれば新鮮な読書体験が得られるであろう。その感覚、喩えるならエロ漫画のような読書。何がエロ漫画だと思うかもしれないが、とにかくエロ漫画なのである。
5 将来の展望
これまでオナ速という一見不思議で実は本質を突いた読書法を紹介してきたわけだが、ここで衝撃の発表がある。それは、私たち人類は知らず知らずのうちにオナ速をしているのだ。なんだってー!?
例えば、美味しそうなシュークリームを見た時にパッケージをどんな気持ちで読むか考えてもみてくれ。思いっ切り精神的チンコをしごいてないだろうか?それは否定しようがないれっきとした事実だ。
気になる異性からのメール、面白そうなゲームの特設サイト、すごく注目してる新製品の情報、それらをどんな態度で読んでいるか?それはもう目を血走らせて食い入るように見ているのではないか?
そのような読書態度はエロ動画に対する態度と全く同じであることに気付いてほしい。みんなしごいて見てるだろう。
そのようなありのままの人間理解に基づいて情報社会というものを捉え直さないとダメ。これまでの無味乾燥な情報科学では限界があることは明白であり、古めかしい情報観は終焉を迎えようとしている。もう夢見る少女じゃいられない段階に来てるんだよ。
オナ速というのはそのほんの始まりに過ぎず、決してゴールではない。
一番強いのは遺伝。これは疑いようがない。生物として変えようがない。
動物でも他者の子供(種さえも違う)を育ててしまう物も居るが、それらは単に「騙されてる」(自分の遺伝子を残せると勘違いしている)ケースが多い(他種の場合にはそれのみ)。
場合によっては、種全体の益を取り他者の子供を育てることもある。
だが、人間の場合、各人が子供をきっちりと作る、という生物になっている。つまり「個」がとても強い。
したがって、それを理解した上で他者の子供を育てる、と言うのは難しい。
この能力により、過去の経験をすべて知識として一瞬のうちに取り入れ、スタートポイントを一気に繰り上げることができるため
他の動物にもそういう点があるかもしれないが、言葉や文字などによって与えられる情報量はその比ではない。
この「情報」を伝える、残す、ということを養子にすることで、遺伝子を残す、ということの変わりとして考えられるかどうか、が問題。
ある意味、「遺伝子」も一種の情報でしかないわけだから、本当に人間が進歩すると、遺伝子よりも外部情報のが大きくなり、
そういった時には、もはや「血」による伝達よりも、「情報」自体の伝達が重要になり、そうなれば自分の子であろうと他者の子であろうと、
お前のサイトにアクセス解析導入してて、そいつのアクセスの形跡を調べられるか?出来るなら、アクセス制限かければいいよ。.htaccessでググれ。
あとは、コピー・ペーストでパクれないように、右クリック禁止用のJavascriptを入れるとか、透過画像を上にかぶせる(CSSで出来る)などが考えられる。そんなに手間じゃないし、おそらくパクリ元もいちいち手入力してないだろうから、防げると思う。
Google関係についてはウェブマスターツールから申告できたはず(違ったらごめん)。検索順位は変えられない(なぜなら、言いがかりをつけてライバルサイトを落とそうと企む奴が出るので)が、お前さんのサイトをコピー出来ないなら、情報量も減って順位も下がるだろう。
※ 個人の感想です
こういうところって大抵クソ重いから、ブラウザがプチフリーズしちゃってすぐに閉じられなかったりするんだ。うちの PC では。
本文より広告の方が面積が広いようなサイトとかはまず見ない。AdBlock 系を使うことで改善はされるけど、こういうところは内容面でも役に立たない・つまらない記事率がかなり高い印象。
あと検索してたどり着いたのが SlideShare だったりするとすごくガッカリするんだこれが。内容がスカスカなだけでなくページ送りがメンドくせえという二重苦。製作者のドヤ顔が透けて見える場合は+1して三重苦。プレゼン資料は検索に引っかからないようにしてほしい。
zenback キーワードに至っては単純に読み込みやクリックの手間が増えるだけでノイズ以外の何物でもない。迷惑極まりなく、サイトごと閉鎖してほしい。
わざわざ閲覧者を減らすこともないのに。
経緯上、この手のサイトも「あ、はずれだな」と思って斜め読みだけして閉じてしまう。本当に欲しい情報以外の駄文が多いのが特徴。
特にソーシャルボタンが追っかけてくるのは目障りだし気持ち悪い。「うちのサイト面白い?ねぇねぇ面白い!?」と延々声をかけられているよう。それに追っかけてくるソーシャルボタンに限って結構でかいし。
さらに言えばこいつのせいで記事が隠れて読めないことすらある!馬鹿か?これ考えたやつは死刑でいいよ。
古い記事については情報が役に立たなくなっている場合があるので、日付やバージョンなどが明記されているとありがたい。
ブログA「これはこうするとホラ解決!」→ブログB「その情報は古く非推奨。今はこっちの方がベターかつトレンド」みたいなのがあるととんだ二度手間でこっちのやる気が失せちゃったりする。
HTML 作って FTP でアップロードして…みたいなサイトなら仕方ないけど、CMS やブログ使ってて日付を表示してないサイトとかはわざと隠してるんじゃないのと思っちゃう。
「上記広告は…」に関してはブログのオーナーに非があるというつもりはないし、常識的なサイズの広告ならいいんだけど、表示される広告のでかさが半端じゃない FC2 とかの場合は運営バカじゃねーのって思っちゃう。あれ頭おかしい。
広告自体はいいんだけど無差別に大量に表示するのはやめてくれってことだよね。
それだけの情報量を娘さんが持ってるってことは、
そこで問題が起きていないなら、iPhoneが入り口になっても
何か大きな変化が起こるわけではない気がする。
確かに、人の目の届かない範囲でネット利用できる割合は増えるだろうが。
子どもが云々って話は、基本的にネットだから発生する話ではなく、
もともと持っていた素質が、ネットを介して表れやすくなるだけだと思う。
娘さんが普段から、いじめっ子とか、大人騙してお金巻き上げそうとか、
恐れるほどの問題は起きないんではないか?
娘さんは、なんで急にiPhoneが欲しいと言い出したんだろ?
以前、この話が流行ったけど
http://blogos.com/article/53423/
娘さんと、このiPhoneを機に iPhone以外のことも含めて
情報とどう向き合って行くか、コミュニケーションをどうすべきか、
話し合う機会にすれば、お互いによいのではないかな?
真面目に答えすぎたな。
これに関しては脳科学や心理学に関連しそうなので知恵袋で聞いたほうが的確な答えが返ってきそうだけど、
シミュラクラ現象といって、人は2つの目と口の位置に3つの点があるとそれだけで顔と認識してしまう習性がある。
つまり脳内では顔の形状をそのまま見ているわけではなく、ある程度簡略化して見ているわけ。
つまりあれは人間の認識にのっとったリアリティを追求した表現じゃないのかな、と思っている。
人間はコミュニケーション能力が他の動物に比べて異様に発達している生き物。
そして顔の表情というのはコミュニケーションに関する情報量が多いから、体の他の部分の認識と違って多くの情報を読み取ってしまう。
個人的に、創作が好きなら2次創作でなくオリジナルでやってほしいと思ったりする、元サークル参加者。
監督や声優を覚えるのは、なぜ、どういう理由でその作品が作られ、
どういう結果で現在のアウトプットができているのかという流れを知るため。
例えば、文学研究では宮沢賢治が妹を亡くしたせいでこの作品を書いたとか、
どういう環境にあってこの作品が生まれたみたいな研究は当たり前にする。
それと同じこと。
その作品をより知りたいという意味もあるし、
自分が好きな作品を探すための指標がどこにあるのか(原作者なのか、監督なのか、キャラデなのか、シナリオライターなのかetc)を知るためにも役立つ。
2次創作するファン活動の、
どっちがすごいとかえらいとか全くない。
アプローチが違うだけ。
2次創作でも、より完成度を上げるために、
原作に当たって登場人物の服装を正しくしたり、言葉使いを厳密にしたりとするうちに、
より作品世界への理解が深くなる。
この作品のこの作画の荒れは次回の主人公見せ所の作画を上げるためだと理解できたり、
この記事を発端にツイッターを始めとしてネット上で様々な「デフォルメとは」が語られているがそれは置いておくとして。
いやはやこのぬこねこを名乗る人物は自分の手を汚さずに自分を持ち上げさせ敵勢力を排除させるヤの字の組長のような才能に長けた人物である。
だが悲しいかな、自分の手を汚さないがゆえに、彼はこの議論において自己価値を高めるには至っておらず、
その上で自分の正しさに裏打ちを得たような錯覚のみを得るにとどまり、
わたしは デフォルメしか描けません これがわたしの絵柄なのです 今の自分の絵柄が大好き あいしてます 手を抜いてるつもりはない 可愛い絵を完成させる事に いつも全力を尽くしてる なのによく「本気絵まだですか」とか「ガチ絵がみたい」とか言われる デフォルメは手抜きにみえますか?
ここから議論もどきは開始されるが、このつぶやきから発せられている議題は"デフォルメは手抜きにみえますか?" であることが分かる。
が、それは囮の議題でありこの記事の意味するところは「私(ぬこねこ)の絵がいかに素晴らしいか」「私の絵に臨む姿勢は正しいんだ」に収束しているのが
記事の編集内容から、そもそもに自分と取巻きのリアクションを自分で編集している、という点から読み解くことができる。
彼は怖いのだ。
自分の絵が「手抜き」と呼ばれることが。自分が「いつも全力を尽くしてる」絵が軽く見られるのが。
絵にせよ音楽にせよなにがしかの表現活動を行うものはこういった局面に達した時に「ならば手抜きに見えない絵を描けばいいんだ」といった"自己の発展"によって
自分の抱えるコンプレックスを払拭するのだが、怖れを抱えたぬこねこには自己発展の修了を待っている時間的余裕が無い。
彼は即時的な恐怖からの脱却を望み、その結果が「自分自身は完成している」という自己評価になる。
「これがわたしの絵柄」なのだから、私は自己発展の必要がないのだと。
彼の不運は自己防衛行動だった自己技術の停滞時点ですでに彼が満足できる必要量のファンが集ってしまったことである。
彼らは常に自分を褒め称え、彼らは常に自分の絵に喜んでいる。ぬこねこにしてみればそりゃそうだ、手を抜いていない全力の、私の完成された絵なのだから、といった所だ。
彼らといる限り自分のコンプレックスは覆い隠されている。ぬこねこは安住の地を得てしまった。
完成された「わたしの絵柄」を"正当に"評価する集団に囲まれ甘美を享受する日々を送るぬこねこだったが、そこに邪魔者がやってくる。
「本気絵まだですか」
眠っていたコンプレックスが呼び起こされる。なぜだ?私の絵は完成している。なぜだ?私の絵はいつでも本気で描いている。なぜだ?なぜこいつの目には私の絵が「本気絵」とみなされないんだ。
・・・・・・そうか、こいつは私の絵のような、「デフォルメ」という様式そのもののことをわかっていないんだ。なるほどなるほど。私のせいじゃない。
コンプレックスに向き合えない人間というのは、つまり自己否定ができない人間であるため言い訳の弾数が豊富である。
彼は悩みをTwitterに打ち明ける。2つ持っているアカウントのうち、自分が選んだ人間しか見ることのできない非公開アカウントの方に。
彼らは期待通りにデフォルメは難しいだとか技術を要する高等なものであるだとか「デフォルメ」のことを褒めちぎってくれた。
どうだ聞いたか。デフォルメはすごいんだ。つまりデフォルメを描く私はすごいんだ。よかった。私には否定される要素がない。めでたしめでたし。
彼は気づかない。彼が促した、彼が望んでいる意見は「デフォルメ絵は是である」だから、気づけない。
デフォルメが優れていることとぬこねこの絵が優れていることに関連性が薄いことに気づけない。
自分から議題の焦点を「デフォルメ」にしたためにコメントに登場する「ぬこねこさんの絵が好き」や「ぬこねこさんのような絵を描きたい」の価値に気づけない。
「本気絵まだですか」の言わんとしていることに気づけない。
ぬこねこよ。彼らの表現する「本気」とはディテールの多い絵や等身の高いキャラクターのことではないんだ。
「ぬこねこ絵」でこたつを囲み鍋を突くキャラクターが見たいんだ。
「ぬこねこ絵」で描かれる"キャラクターが"暮らす日々を、"キャラクターの"生き様を、"キャラクターの"本気を、見たいんだよ。
どうして気づかない?・・・・・・否、お前は気づいているが無視している!「わたしの絵柄」がちょっと歩くだけで崩壊することを知っている!!
歩く絵の!座る絵の!食べる絵での!「わたしの絵柄」を持っていないからだ!!
知っているよな!?お前の取巻きがお前を助けるために言った言葉を!!
「デフォルメは少ない情報量でパフォーマンスを発揮しなきゃいけないからむしろ普通の絵より難し」いんだ!!
「如何にこのサイズで何処まで描き込んだりするかとか全体のパーツのバランスをどうするかとか」考えなければならないんだ!!
「少ない線でキャラクターの容姿・ポーズが分かるってのはすごい事」なんだよ!!
鳥を、雲を、飛行機を!「わたしの絵柄」で描いたことがあるのか!?
デフォルメには2種類の絵があると聞いたことがある。
1つ目は、単に細かいのが描けないから大雑把に描くという、よくある甘えといわれているデフォルメ。
2つ目は、細かい事まで把握した上でデフォルメ化したとき、見えにくいところを簡略化する上級デフォルメ。
というのが前にあったな。
お前は、どっちだ?
わざと私を退屈させようとしているんじゃないかと思うほど。
この人、私のこと嫌いなのかなって考えていると、「ねぇ、今夜うちに泊まっていかない?」
ただのバカ男だと切り捨てられないのが不思議。
高学歴な人が少なくない。
ペーパーのテストができるだけじゃなくて、頭の回転が早かったり、書き言葉みたいに理路整然とした話ができたりする。
情報量ゼロの女性ファッション誌愛読しているような脳ミソゆるふわ女子よりずっと頭良い。
でも、お喋りはてんでダメ。
会話のための会話。会話を楽しむための会話。コミュニケーションの内容じゃなくて、コミュニケーションをすること自体に意味があるコミュニケーションができない。
あまちゃんのステマが発覚した。たぶんどこもやってることで氷山の一角なんだろう。
2ちゃんでも●?とかが流出していろんな人の書き込み内容もバレたしね。
そういうことを知ったから最近、アニメ板とかドラマ板とかに居ても、「最終回に向けて盛り上がって来たね!」とかいうコメントでも、なんか白々しく感じちゃう。
「これもお金もらって書いてんのかなぁ」って感じて落ち込む。俺は本当の気持ちを書き込みたいけどこの人の書き込みはノルマなんだって。
それに今の2ちゃんは、なんか一方向に一致団結した不自然な書き込みが増えた。なんか「カタギじゃない」って感じがする。
昔の2ちゃんだってカタギじゃなかったけど、その頃とはなんか質が違う。今は皮を一枚向いたらロボットの集団が出てきそうな不気味さがある。
Youtubeもすごく酷くなってる。動画再生前のCMはもちろん、再生中も変な画像が浮かび上がってきて、それをクリックで消さなきゃいけない。
お目当ての動画を見るために何秒も待ち、何回もクリックしなきゃいけない。広告ブロック入れろよって言われるかもしれないけど
そんなことしなくてよかったのがインターネットじゃないのか。
そういえばスマホでも、ロックを解除するたびに広告を表示するアプリが開発されたらしいね。
みんな本当にそんなのを望んでるの?
マイノリティ・リポートっていう映画がそういうのをもっと発達させた世界観らしいね。
疲れた状態でネットをやると、広告のギラギラした色彩にめまいがする。必要な情報だけを見て、広告は排除しようと脳が頑張ってるけど、防御しきれない。
安心してページ全体を見ることができないし、昔と比べて、今のネットは一画面中の情報量が減ってる。情報量が多いのに情報量が少ない。
http://anond.hatelabo.jp/20130913110646
この人の言うことは凄くわかる。
トゥルーマン・ショーの主人公のジム・キャリーになっちゃう感覚だよね。
「親友だと思ってた人が、父親だと思ってた人が実は役者だったんだよ」って凄いショックだと思う。
掲示板で感動的な話を書いて人を騙したり、スクリプトでブログに書き込むってそういうことだよ。
人だと思って話しかけて、人だと思って話を聴いてるのに、その相手が「残念、ロボットでした~」って言う。
そんなことされたら、もう二度と騙されない為にその界隈には近づかない。侮辱だよ。
インターネットっていうものがどんどん変わっている気がする。それもたぶん面白くない方向に。
俺たちは一体どうすればいいのかなぁ?
カナダ製SIMフリーモバイルWi-FiルーターをAmazon(日本)で買った。
昼ごろポチッて翌日着。速い。お急ぎ便じゃないのに。ごく自然に、脳内で「O-MO-TE-NA-SHI (CV: 滝川クリステル)」が再生された。
中身はルーター本体、USBケーブル、ACアダプター、電池、説明書。これだけ。最低限のものしか入ってない。
問題は説明書。
電源の入れ方、電池の取り付け方など、「説明されなくても分かるわ!」といったことしか書かれていない。
肝心の対応周波数帯域とか、バッテリー駆動時間とか、通信速度とかは一切書かれていない。
これは説明書なのだろうか? 滝クリのO-MO-TE-NA-SHI かーらーのー『合掌!』ほど謎である。
そう古くない(私が買ったのは新品だ)製品なのに、HPに載っていない。
必死にGoogle先生に尋ね続け、やっとのことで説明書(PDF)を見つけた。
どうやらHPのリンクは消したが、アップしたPDFは放置しているようだ。杜撰。
さらに輪をかけて酷いのは、このPDF版説明書、2種類あるのだ。
Ver1, 2のような位置づけではなく、よく分からんが2つあるのだ。
両方に目を通したが、2つとも書かれている主旨は同じ。そんでもって、ルーターにくっついてきた極薄紙ペラ説明書とも言っていることは同じ。Frequency (周波数)の“F”の字も出てこない。
「とりあえずSIM 挿してみてちょ。動かなかったらごめんね(合掌)」とか、O-MO-TE-NA-SHI JAPAN じゃ考えられない。
海外行ったことある人なら分かるだろうけど、日本のサービスが過剰なんだよね。
それこそお客さんに合掌するほど。いや、しねーよ。んなことするのは滝クリだけだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130912211917 を書いたものです。
さきほどは感覚のみでソ以降の盛り上がりを書きましたが、今度は理屈でせめて行きます。
さて、まず、「ドーはドーナツーのードー」をドのパート、「レーはレモンのレー」をレのパート、というように、「ドレミファソラシ」のパートに分割します。あまった「さあ歌いましょう」は「仕上げのパート」とでもしておきましょう。
では、まずはドのパートから見てみます。ドのパートのメロディは「ドーレミードミードーミー」ですね。一見してわかるように、「ドレミ」という、隣接する3つの音だけで構成されています。
次に、レのパートを見てみましょう。レのパートのメロディは「レーミファファミレファー」です。これも、「レミファ」という隣接する3つの音で構成されています。ドのパートで使われていた3つの音の「お隣」を使っているわけですね。
さて、ではミのパートを見てみましょう。「ミーファソーミソーミーソー」です。もういいですね、ここでは「ミファソ」という隣接する3つの音で構成されています。さて、ミのパートには、さらに特筆すべき部分があります。実は、この「ミーファソーミソーミーソー」というメロディは、ドのパートを「平行移動」させたものになっています。頭の中でまずドのパートを鍵盤で弾いてみてください。このとき、「ド」は親指で弾きましょう。さて、それでは今度は「ミ」の鍵盤に親指を置いて、ミのパートを弾いてみましょう。指使いが完全に一緒だったことがわかると思います。かんたんに言えば、「ミのパートはドのパートをみっつ上に移動させたもの」なのです。
そしてファのパートです。ファのパートは「ファーソララソファラー」ですね。これはさっきと同様に、レのパートをみっつ上に移動させたものです。
さて、ということは、ドからファまでのパートは、じつは「ドとレのパート」と「ミとファのパート」に分解できることになります。「ドとレのパート」をみっつ上に移動させると「ミとファのパート」が作れるわけですね。
こういうふうに、似たようなメロディーを音の高さやリズムを少し変えて(今回はリズムは変わってませんが)繰り返すことを、「モティーフの展開」などといったりします。「ひとかたまりのフレーズ」のことを「モティーフ」と呼ぶわけですね。モティーフを展開することで作曲を行うことはとても一般的です。すごく有名なところだと、ベートーベンの交響曲第五番(よく運命って呼ばれてるやつ)です。最初の「ジャジャジャジャーーーン」がモティーフです。「同じ高さの音が3回、それに続けてそれよりも低い音が1回」というモティーフですね。「運命」を頭の中でならしてみてください。「ジャジャジャジャーーーン ジャジャジャジャーーーン」。音の高さを変えて展開していますね。そのあと、「たたらた、たたらた、たたらた〜」「たたらた、たたらた、たたたら〜」と曲は展開していくわけですが、よく見てみるとこの「たたらた、たたらた、たたらた〜」の部分、「たたらた」が「同じ高さの音が3回、それに続けてそれよりも低い音が1回」となっています。ここも実は「ジャジャジャジャーーーン」のモティーフ展開だったんですね。音の高さとリズムを変えただけで曲の雰囲気を操る、お手本のようなモティーフ展開になっているのが見て取れるでしょう。
そう、「運命」も「ドレミの歌」も、やってること自体はかわらないのです!!!
さて、ドレミの歌に戻りましょう。「ドとレのパート」(モティーフと呼ぶには少し長過ぎるけど)を展開して、「ミとファのパート」が作られていました。同じ形のメロディを繰り返しているため、とても安定感がある一方、「みっつ上」に持ち上げられることによって、少しずつ緊張感も高まっていますね。ここまでが「だんだん不穏なものを感じはじめる」前半パートです。
さて、問題の「ソ以降」を考えてみましょう。
ソのパートは「ソードレミファソラー」です。今までのパートでは「ドレミ」とか「レミファ」とか、隣接する3つの音しか使われていなかった(=最大でも2つ隣までしか音が飛ばなかった)のに対して、怒濤の「ソからド」への急降下です。と思いや、「ドレミファソラー」と、一気に「ラ」まで駆け上がります。今までのパートでは3つの隣接する音しか使われていなかったのが、急に6つの音が使われています。落差、倍です。しかも今までは狭い範囲をちまちま動いていたメロディーでしたが、今回はその6つの広い範囲を「一気に駆け上がる」というメロディーです。これで盛り上がるなというほうが無理でしょう。
そしてラのパートです。ラのパートは 、ただでさえ盛り上がるソのパートのフレーズを1つ上に展開して畳み掛けます。
シのパートでさらに、ラのパートを1つ上に展開してダメ押しです。
まとめます。ド、レ、ミ、ファのパートは、「隣接する3つの音」だけを使ってメロディーが作られていました。しかし、ソ、ラ、シ、のパートではそのルールを外れ、「隣接する6つの音」を使ってメロディーが作られています。これが、「音域から見たときのソ以降の盛り上がりの秘密」です。
では今度は「パターンから見たソ以降の盛り上がりの秘密」を暴きましょう。前半は、「ドとレ」「ミとファ」のパートをセットにすると、同形のメロディが見えてきました。これは言い方を変えると、「1つのパターンを消費するのに、2パートかかっている」ということです。一方、ソ、ラ、シのパートはパート単体で同形のメロディを成しています。言い方を変えれば、「1つのパターンを1つのパートで消費できる」わけですね。これにより、「短期間に同じパターンが何度もせめて来る!!」みたいな感じになるわけです。これが「パターンから見たソ以降の盛り上がりの秘密」です。
ドレミの歌、丁寧に見てみると、ドからファまでは一定のルールで盛り上がって行き、ソからはそのルールよりもさらに盛り上がるためのルールを新規に採用して一気に盛り上げる仕組みが隠されているのです。そりゃ「ドレミの歌のソ以降の盛り上がりは異常」にもなりますね。
余談ですが、感覚で書けば8行で終わるものが、理屈で書くとこれだけ長くなってしまいます。これは逆に言えば、人間の感覚というのがファジーである一方でものすごい情報量を一気に処理しているとても優れたものであることを示唆してるとも言えるんじゃないかな〜なんてことを考えてしまいそうですね。
【サブタイトル】たかがゲーム、されどゲームw 数年前の話です。
私は誰かのサポートをするのが好きで、会社でもそういった仕事を求めていました。
あんなサポートこんなサポートをしているうちに、構築をやっている彼と知り合いました。いいカップルだったと思います。
彼の趣味であるMMORPGを一緒にやるようになりました。私自身別のMMORPGは経験者でしたが、このゲームでは初心者です。彼はサーバーでもトップ5に入るプレイヤーで、初心者の私は彼からいろいろ教わりました。
彼と同じギルドというかリンクシェルというか血盟というかいわゆるそういうものに入りました(分かりにくくなるのでギルドということにさせてください)。彼とはレベルが離れていたので、最初期は一緒にも遊べませんでした。リアル彼女というのが知られると人間関係が面倒になりそうなので、私はネカマということにしました。彼からはアイテムやゲームの中のお金も貰わないでゲームを進めました。
サポートが好きなので最初はサポート職に就きましたが、同じ頃ゲームをスタートしたメンバーの中ではアタッカーが足りなかったのでアタッカーに転職しました。
この頃彼はゲーム初期からのメンバーで、私たち後発メンバーの目標であり憧れでもありました。
二人のデートは普通にデートすることもあれば、ネカフェのペアシートで同じゲームにログインし、別々のパーティーで別のダンジョン攻略をしたりしていました。他人の画面って意外とおもしろいので、これは私は好きでした。彼がよいアイテムをばっしばっし引き当てるのも面白かったです。
彼と付き合い始めて1年半(ゲームを始めて1年半でもある)経ったころ、会社で「お客様を支える仕事を直接しないか」と言われて、私は構築に回りました。構築だと手元を離れてからお客様に密着していなくなるのがさびしいですが、それでもこの仕事も楽しいと思っていました。
ゲームでは後発組の私たちもがんばって先発組に近づいていっていました。やったことがある人は分かると思いますがMMORPGの進捗は情報量に左右されます。先発である彼からゲーム内の相場のノウハウと効率のよい狩場を教えられた私、そして私のはいっている後発グループは、他の後発グループに比べて成長の著しかったと思います。ようやく彼と一緒に遊べるレベルになってきたのです。
同じ頃、彼とゲーム初期から遊んでいたメンバーがぽろぽろとゲームを引退し始めました。理由はリアルだったり、別ゲーが面白くなってだったり、ゲーム内で知り合って付き合いだした子と別れたからだったり、よくある話ばかりだと思います。ギルドの中で後発組が後発だといわなくなり始めた時期でもあります。
その頃から彼がギルドでのパーティーは彼が仕切るようになっていました。タンカーは彼で、アタッカーは私でしたが、回復が足りないときは私にその役割が振られました。パーティーの今のメンバーで足りないところを穴埋めする役割ができる=真の意味でのサポートなので私としてはうれしい限りでした。
ところが、彼が出張で3週間、ゲームにつなげない状態になりました。ゲームの中での3週間はリアルの3ヶ月以上に値します。ギルド唯一のタンカーの不在で、毎日の狩りに支障がでました。そこで穴埋めとして私がへたくそながらタンカーをすることになりました。彼が帰ってくるまでの仮のタンカーなので装備もいまいち、腕もいまいち、行かれる狩場も限られていましたが、なんとかギルドでの生活をまわしていました。回復が足りないときは他のギルドの友達を応援に呼んでいました。
彼が戻ってからは即、彼にタンカー職をお願いし、これまでどおり、難易度の高い狩場に行かれるようになり、私としてもほっとしていました。
そこでギルドのみんなから、彼から私にタンカーとしてのスキルを伝授させてほしいという話になりました。
ギルドチャットで彼は快諾し、私をタンカーとしていつ狩りに行くかの相談となりました。
そこに携帯にメールが来ました。彼から「SKYPE起動して」と一言。ゲームの最中は二人でSKYPEすることがほとんどないので、なんだろうと思って起動しました。
彼「無理だから」
私「え?」
彼「君にタンカーなんかできるわけないじゃない。向いてないよ。」
私「そりゃあなたほどうまくないから、不在の間だけレベルを下げた狩場でやるつもりなんだけど。」
彼「俺がいない間、どうやってたの?」
私「私がタンクで、回復足りないときはAさんやBさんにお願いしてきていただいていました」
彼「・・・後発組中心で?」
私「はい」
彼「下手なメンバー見せると、他のギルドから『あそこのギルドは効率の悪い狩場に人を借りて行かれる、儲からないし経験値もよくないし、迷惑なギルド』って思われるよ。そういううわさが立つと、ボス攻略のために人を借りるとかできなくなるから、下手なやつ等と行くときは外部呼ぶのやめて」
私「でもそれだと、ハントに行かれなくて、みんなギルドやめちゃうかも」
彼「(長い無言)とにかく、君はさ、回復でさえあの程度なんだから、もっと回復うまくなってからアタッカーだのタンカーだの考えたほうがいいよ。
タンカーがいなくて困らないように、俺が毎日タンカーやるから」
その日は一応私がタンカーの練習をさせてもらいました。それまで回復職でしか行った事のない一番難易度の高いダンジョンに行くことになり、どういうわけかクリアできてしまいました。
が、それ以降は私の練習話になっても、「練習より短時間で何度もクリアしてアイテムを取るほうに力を入れよう」と彼が方針を決め、私の練習はなされることがありませんでした。
そしてその日、ギルド内のダンジョンアイテムの配分ルールが変わりました。それまでダンジョンで出たアイテムは職業に関わらず欲しい人がくじ引きをして勝った人が受け取っていました。それを「現在の職業に適したものを渡す」ことになったのです。
私には回復用の装備だけがまわされ、アタッカー用タンカー用の装備は回ってこなくなりました。ルール変更に際し、彼は自分がそうした装備がほしかったらお金をためて買えばいい、本気でやりたいならそのくらいするだろう、と言っていました。
彼は他のギルドからアタッカーを引き抜くようになりました。私のアタッカーでの参加はどんどん減っていきました。もう回復ばかり。装備も回復用としては最高位になって、他のメンバーに譲るばかりに。けれどもアタッカーは新しく入るのであまることがありません。またタンカー装備はアタッカーの中で有望な人に渡され、私にはやはり回ってきませんでした。
付き合い始めて2年が過ぎる頃、彼が構築からはずされました。何があったかは同じ社内ですので知ろうと思えば知ることはできました。でも、私はそれをしませんでした。私は彼が異動したということしか知らない、そういうことに私たちの間ではなっていました。
ゲームの中では、他のギルドから回復のうまさで有名な人が入ってきました。
ある日のこと。パーティーを組み始めて、いつもどおり、一番最後に私の役割が割り振られます。今回は何ヶ月ぶりかのアタッカーでした。
がんばって買いためてきた装備を身に着けたキャラで戦って、1戦終わったところで、彼からSKYPEに呼び出されました。
「あのさ、火力たりなくない? そもそもなんでそんな動きなの? ソロじゃないんだから。パーティーでのアタッカーの動き、覚えてないの? それにその装備、なに? 前のダンジョンで装備とっきてないの? その装備じゃこれ以上の狩場無理じゃないかな。なんでそんな装備なのかなぁ」
私はPCの前で凍りつきました。
何ヶ月ぶりのアタッカーで、動きが悪かったとは思うのです。装備も悪かったとは思います。でも、でも・・・装備がない理由って、それは・・・
涙が出そうになったのですが、ゲームごときで泣くのも悔しいと思い直し、冷静に返答しました。
「そうですね、火力も足りないし役割も担えないのでギルドを抜けますw」すると、いきなり抜けたらみんなが動揺するのでそれは困るといわれました。
何を言われているのか分からない。
その日そのあとどうしたか、ショックが大きくて一切覚えていませんが、彼に言わせると「いきなり落ちるといってゲームを落ちてギルドのみんなに迷惑をかけていたよ」だそうです。
職場で会っても、私は彼に話しかけることができませんでした。もっとも構築の私は会社に戻る頻度がすくなくて、社内で彼と会うことも少なくなっていたのですが。
ゲームでは、帰宅してから彼がパーティーを組み終わる頃にわざとログインするようになりました。もしくはログインしても放置のふりをしてみんなとは別の場所でひっそりと遊び、ギルドの主だったメンバーがパーティーを組んで出かけてから、人手の足りない他のギルドのパーティーに加えてもらって狩りに出かけるようになりました。
その後、よくパーティーに加えてくれるギルドから来ないかと誘いが来たので、そちらに移りました。
彼は会社を病気で退職しました。私も友達が設立したITとはまったく関係のない会社に誘われて、そこで総務から経理からPC関連から、とにかく穴埋めとなるべき場所全般を担当して働いています。仕事が本当に楽しい状態です。
ゲーム内では2年以上前に彼とは無関係になりました。リアルでも、もう彼とは何ヶ月会ってないでしょう。
私は、移り住んだ新しいギルドで楽しくやっています。ミスや装備の関係で効率が悪くなっても、今のギルドマスターはおおらかで、長い目で見てくれています。それでも時々、装備の悪さや不慣れな動きでパーティーの効率を悪くすると精神的にぐちゃぐちゃになりそうになります。今ここで見ているわけのない彼からSKYPEで何か言われるのではないかと思ってしまうのです。突然、精神的に萎縮して、ごめんなさいを連発し始める私に、ギルドマスターたちは困っていると思うのです。なのでなるべく冷静になるように努めています。が、それでも突然、SKYPEで装備のこと立ち位置のことDPSの値のことを言われたらどうしようと思ってしまうのです。
今年になって、モラハラについて詳しく知る機会がありました。
私がやられていたのは、モラハラだったんですね。
やることなすことすべてに、上から正しくない正しくないといい続けて心を折り続ける。
彼はそれがわかってやっていたのでしょうか。そうではないことを信じたいです。
彼には、早く完治していい仕事を見つけて、そしてできることならばモラハラしないで付き合える彼女を見つけてくれることを心から祈っています。
それとは違うでしょうが。別にここで盛り上げたところで増田がわいわいしてはてなが儲けるだけなんだから。
2ちゃんねるの●流出にかこつけて、〇〇はこんな事言ってて恥ずかしくないか?と煽り立ててるのを見る度に
結局、お前らも同じじゃんと失望する。
情報量で言ったら2chの方が圧倒的で、馬鹿な事やってるのも多いが、有用な情報も圧倒的に多いけど?
褒められてるブクマなんてのも、意識の高い(笑)話と、「ライフハック(笑)」とかくらいでしょ?
もし、ためになる話、理系の深い話があるなら是非とも教えてもらいたいんだけど?
これ以上、幻滅させないでくれ。
逆に、Twitterで多数の人をフォローすると、自分と感性が合う人ばかりがタイムラインに出てくる。
なぜなら、自分が共感できる人、興味がある分野の人ばかりをフォローしてしまうから。
自分が聞きたいと思う情報、意見、主張をする人ばかりをフォローしてしまうから。
そして、いつの間にか、自分と近い意見・主張ばかりがTLにならぶ。
まるで、自分の考えが、世の中の主流なんでないかと思ってしまったり、
逆に、自分がタイムラインの偏った人々の意見に強く影響されてしまったりする。
Twitterでフォローする人が少ない場合は、最初にフォローする人は比較的ランダムに決まる可能性が高い。
そこまで、自分と近い意見・主張ばかりがTLにならぶことはないだろう。
しかし、今度は、情報量が少なすぎて、Twitterが面白くなくなる。
Twitterで誰もフォローしなかったら、タイムラインは更新されない。