はてなキーワード: 学費とは
(長文)
はじめに断っておくが薬はなにも悪くない。開発してくれた人に土下座くらいして感謝を申し上げたい。
さて、夫婦である。結婚一年目。共に二十代前半。増田(夫)は学生。妻はサービス業の正社員。子無し。なんとなく結婚した。
学費や足りない生活費は増田の実家(太め)から仕送りをもらっている。
増田は高校生の時病院に行き、ADHDと診断、妻は結婚後諸々怪し目だったので病院に連れて行き、簡易的なテストを受け、軽めのADHDと言われた
諸々怪し目、というのは高校卒業後から結婚までの数年間税金類を全く払っていない(税金のシステムは知っている)、じっとしていられないなど
増田自身も親が勝手に払ってくれていたので税金の滞納こそないものの、金の管理ができずクレジットをきりまくりブラックリストに載る、整理整頓ができない、過集中などと明らかな症状がある
ここからが本題
増田は自分の過集中に嫌気がさし、3ヶ月待ちとかのアホみたいな病院でもう一度診断を受け、投薬を始めた。(ADHDとASDのダブルパンチだったのでまあまあメンタルに打撃がきた)
はじめに、とりあえず片付けができるようになった。物って元の位置に戻さないといけないんだなあと初めて実感した。ついでに掃除もできるようになった。床に足の踏み場ができて感動した。
それから、集中力が飛躍的に上がった。これは画期的だった。もとから自分で言うのもなんだが地頭は良いタイプだったので、特に進学等で困ったことはなかったが、勉強中に他のことに気が散ることがなくなった。おかげで成績はほぼ全教科最高点である。ありがとうコンサータ。
さて、そうなったところで増田はやっと妻のおかしさに気づいた。
「あとでやるから」とか「そのうち」とかそういう台詞がやけに耳につくようになった。その上、気付いたら部屋の片付けや洗濯、洗い物、ほぼ全ての家事を自分がしている状態になっていた
妻は極度の病院、薬嫌いなので、特に治療を受ける気はないらしい。
彼女曰く、「病気だとしても特に困ってないから」ということだった。
いやいや、税金分納の手続きをしたのは俺、毎日掃除しているのも俺、月々の支払いをしているのも俺、お前が無いと騒ぐ生活用品をなくなる前に買い足しているのも俺、そりゃあお前は困らないだろうよ、、、、、
訳あって彼女の会社の同僚とたまに連絡を取るので、それとなく様子を尋ねると、やはり彼女のフォローをしているのは同僚たちらしい。やっぱり困らないだろうね、あなたはね。
あとは増田個人の問題で、妻には申し訳ないことだが、性欲が全くなくなった。
オナニーをする気にもならない。半年間。立派なセックスレスである。
そして投薬を始めて約8ヶ月、最近は、夫婦としていつか終わるかもなと考える
そもそもあまり生活時間帯が合わないのだが、妻本体がいなくても脱ぎ捨てた靴下や、ベッドに放置されたグローの吸殻、つけっぱなしの電気、そういう全てが、だらしない妻をありありと存在させるのである。
おまけにセックスレスだしもうこれは…と思う
妻のことを嫌いだと思ったことはないが、愛想は尽きるかもしれない
賢くて間の抜けた、かわいい妻
いつまでこの人を愛おしいと思えるだろうか、とすでに遅刻が決定している寝顔をみて思う(今年3回目の遅刻を確認)
意外とツイッターとかでも反応してくれたひとがいてびっくりした。
おもしろがったら怒られそうだと書いている人がいたけど面白がってくれて嬉しい。ありがとう。ちなみに遅刻したのは俺じゃなく妻
追記2
投薬じゃなくて服薬だね
食うのも困る、自家用車も持ってないような本当の貧困家庭なら税金投入して子育て支援してやってくれと思うけどさ。
若いヤンキー家庭に多いパターンで、500万以上するヴェルファイアやアフォードに乗って、毎月数万円もスマホに金かけて、それで安アパートに住んで「子供に教育する金はない」ってさ、それ金が無いんじゃなくて、使い道を間違ってるだけでしょ。教育に使いたくないだけでしょ。
うちは地方都市で夫婦二人ともフルタイム共働きで年収2000万(片方は一般事務で500だけど片方が勤務医で1500ある)だけど、
車は10年落ちで四隅こすってドアも凹んでるヴィッツと、子供が生まれてから保育園への送迎用に追加で買った新車90万円のアルトだよ。
スマホは二人とも格安SIMで、スマホゲーなんてしてる暇はないし、youtubeやニコニコは家のWIFIで見てるよ。二人で月3000円もかかってない。
旅行だって子供が生まれてからは全く行ってない。車で1~2時間の公園や動物園に行くくらいだ。
とにかく将来の子供の学費と、自分たちの老後のために貯金してるよ。
それでヤンキー家庭は若いうちは刹那な享楽に浪費して貯金なんてせず、年とって若いときのように肉体労働で大きく稼げなくなったら、生活保護に頼るんでしょ。それも酒浴びるように飲んでパチンコに通いながらさ。
たまったもんじゃねえよ。
大学までで学んだことが、社会に出てから役に立たないというのが当たり前になってしまっているからだよ。
医学部とか原子力工学科とか教員養成課程とか、専攻が職業に直結する学部学科は大学・大学院までで学んだことが基礎となって社会人になっても勉強を続けていける。
文系の大部分の学科は、大学教員の個人的な研究の一部をさわるだけで専門性なぞ身につかないし、市場性のあるスキルでもない。
大学教員は左派的な人が多いので、営利企業で求められる考え方やスキルとは真逆であることもめずらしくない。
大学4年間で投じた学費と時間は、政権を批判する政治思想を植え付けられただけで、お金を稼ぐためには何の役にもたたないかもしれないのだ。
受験生は、自分の身の上をよく振り返って、ジャーナリストや政治活動家になるのか、ミュージシャンやユーチューバーになりたいのか、営利企業でお金を稼ぐ企業戦士になるのか、よく考えなければならない。
俺は苦労して医者になった。
両親は高卒で、片方は貧困のため仕方なく、もう片方は学力的に、それぞれの理由で大学進学を諦めて働いていた。
俺はそんな両親の長男で、田舎レベルではあるけれど、そこそこの頭の良さと、かけられた期待のおかげで、それなりに優秀と言われて育った。(親戚は高卒だらけだったが、唯一旧帝大卒のおじさんがいてそれを目標に、とか言われていた)
共働きで働いていた両親に変わって、母代わりの祖母が家にいて俺はよく慕っていた。祖母のお茶飲み友だちにもお前は頭がいいと褒められていた。
俺が小学校低学年の夏、その祖母が交通事故で重傷(ちなみにこれは医学用語ではない)を負ってから、俺は医師になることにした。小学校の卒業文集には未来の「増田医院」の話を書いた。
中高時代のことは面倒だから省くが、俺は医学部には入れなかった。偏差値が5以上足りなかった。通える範囲の地域で一番の進学校だったけれど、現役で医学部に進学したのは4人(国公立3人、自治医1人)だった。
なんとか浪人させてもらえることになり、政令指定都市にうつり寮から予備校に通った。
結果から言えば、俺は医学部には入れなかった。2浪はできないので、センター試験で85%以上なければ医学部は受験しないと両親と約束したからだった(具体的には84%に止まった。全統記述は偏差値67程度だったので、無理はできなかった)。俺と同程度の偏差値の奴らが少々の国公立医学部に受かっていった。俺より悪い成績の奴らがいくつかの私立医学部に受かっていった。俺は俺でも受かりうるレベルの私立医が3000-5000万の学費がないと通えないことに絶望を覚えた。(当時、帝京大医学部の学費は4900万くらいだった)
やりたいこともなかったが、旧帝大の工学部に合格したので進学した。
やりたいことがなかったので、1年生のときは単位をほとんど取らなかった。「旧帝大の工学部」の合格ごときで喜んだ両親をなぜか恥ずかしいと思っていた。2年目は休学した。休学して再受験しようと思ったけど、思っただけで、びっくりするほど何もできなかった(抑うつ的だったし、適応障害的だったなあと振り返って思う)。
復学してからは進級できて、そのまま4年生になり、大震災があり、思うところがあり、残り10ヶ月の期間だけ勉強して医学部を目指すことにした。両親には黙っていた。予備校には通えなかった。教授には2ヶ月後の記述模試でA判定を出さなければ受験を認めない、と言われた。3ヶ月後、教授から受験の許しを得、両親に黙ったまま勉強を続けた。
お金がなく、模試も全部で4個くらいしか受けなかった。2万円弱のセンター試験の出願料だけでも生活費を圧迫した。1校6万円する私立医の併願など、もちろん念頭になかった。
国公立医学部を受けるとして、地方の受かりやすいところを探せば統計的には確実に受かりそうではあったが、遠くに受験しに行くお金はなかった。女性ではないので性別を理由にした入試差別を受けることはないが、再受験生は性別によらず差別のリスクがある。こういった差別的傾向は当時も医学部受験界隈でよく言われていて、そのため差別のない(と言われている)大学の医学部を受けることが再受験生の受験戦略となるのだった。こうした入試差別は、偏差値に比例してなくなっていくとされていた。旧帝大医学部は純粋な学力勝負ができる。俺はそのまま部屋から受験しに行ける旧帝大医学部を受験することにした。
前期試験一発勝負をして、約10日後「合格」の文字を見ることができた。
医学部生活は面倒だから省くが、一言でいえば普通に部活をし、遊び、勉強をした。留年することなく進級・卒業し国家試験にも合格した。俺は医師になれた。
研修医生活は本題ではないので省く。でもちょっとだけ言うとすれば、医師の労働環境は、人間のする働き方ではなかったということだ(俺は比較的楽な方の研修だったが、週1,2回の連続30時間勤務や25連勤でもう無理だと思ってしまった)。女性医師は出産や育休で労働時間がああだこうだと言っている人がいるけど、この働き方は男でも無理である。東京は医師が多いのでまだ余裕があるが、俺の出身地方はすでに医師がどんどん減ってきており、崩壊は当然に時間の問題である。医師の使命感と根性で成り立っている地方は特に女性医師にやさしい環境ではないし、女性医師にやさしい環境でない地域は女性医師が残らないので、つまり男性医師も残らないか人柱になって折れるのを待つだけだろう。
お金がなかったんだよね。
お父さんは冴えないサラリーマンで、しかも下手に野心があるから転職経験だけ豊富。
お母さんはそんなお父さんを絶対視してる今どき稀な昭和の専業主婦。
東京郊外の極限は国道16号線だって言われてるらしいけど、その外側の狭小住宅に住んでる夫婦。
そこんちに生まれた娘は、なぜか小さい頃から勉強ができて、塾にも行かずに中受して、それでも都内の有名お嬢様進学校に合格しましたとさ。
だけどお金がないからそちらには進まず、地元の遊ぶだけが取り柄の子ばかりの中学校から地元一番の公立高校に行きました。
あの学校に行ってたらどんなに人生が変わったかと思うけど、高校ですら自分より賢い子は両手に足りない環境。
うちの高校からは東大東工大一橋合わせれば10人くらいは受かってるんで、私の成績なら東大行けるかなって思ったらぎりぎり落ちてしまって。
浪人は絶対させられないって父親が眦を決して言うので、滑り止めで受かった某有名私大に進みましたとさ。
だけど入学の段階になって、学費は払えないから奨学金を借りろと言い出すお父さん。
だったら浪人させてくれればよかったのに。
お金がないことの悲しさを噛み締めながら不本意な大学に通ってるけど、一部お金持ちがいるので有名なこの大学では友達付き合いにもお金がかかる。
お金がないので付き合いを断る私を見た先輩に勧められて交際クラブとパパ活アプリに登録。
その子はうちなんかよりよっぽど稼いでいる普通のサラリーマン家庭の子なんだけどやっぱりお金が足りないってことでパパ活に手を染めてる。
彼女いわくお茶とご飯で1万円くらいもらえるので飲食バイトなんかよりよっぽど割がいいと。
で、「大人の関係」ない前提で何人かのおじさんに会ってみました。
すぐわかったのは、おじさんは「大人の関係」にいずれたどり着くために私に1万円を払ってる。
こっちは往復の交通時間と合わせると4時間くらいかけて化粧しておしゃれしてしてると、実は1万円のお食事は時給2000円くらい。
受験時代に彼氏はいたけど彼の大学が早稲田で別々になってしまって、大学でも一年生の時に彼氏はいたけどもう別れちゃって男性経験がないわけじゃない。
そんな中で、大学の先輩の企業オーナーのおじさんから「大人の関係」都度5万円をオファーされて、ついついOKしてしまったのがはじまり。
一度許してしまえば抵抗感って一気になくなるもので、MARCH卒のサラリーマン役員50代、一橋卒の企業オーナー50代、投資で一発当てた無職30代を掛け持ちしてる。
私にパパ活を勧めてくれた先輩も、お茶とご飯だけとか言いながら、実際には大人してるみたい。そりゃそっか。
見た目野心強そうに見えるらしいんだけど、そういう問題じゃないんだよね。
MARCH卒のサラリーマン役員はいい人っぽかったし都度10くれるし他にパパ活してる彼女とかいなそうなんで生を許してるけど。
与信ってのがあるやで
堂々と金持ち(ただし倹約するまともな金銭感覚の)でええんやで
3人兄妹の真ん中で生まれた私はたぶん、軽度の虐待を受けて育った。
兄からずっといじめられていたのに、誰もかばってくれなかった。
両親からの直接的な暴力こそほとんどなかったものの、私だけ誕生日を祝ってもらえなかったり、サンタクロースからのプレゼントがなかったりした。
決して貧乏な家じゃなかったとおもう。世帯年収で1500万円ぐらいあったらしいし。
こどものころは「そういうものかー」と思っていたけど、高校生のときに、私だけご飯が出なくなってから異常であることに気づいた。
未成年に住むところを貸してくれる会社もなければ借りられるお金もない。
教科書を買うお金もない。理系だったから (?) なおさら教科書が高かったように思う。
奨学金も借りられない。一般的な日本学生支援機構の奨学金は親の収入証明が必要になる。
親に収入証明を出してもらおうとお願いし、土下座までしたが蹴り飛ばされて終わった。
今までで一番ひどい暴力だったが、痛みよりも呆然とした気持ちでいっぱいだった。
なんとか、友人の家や先輩の家に転がり込んで、生活費を稼ごうと居酒屋でバイトした。
まかないは好きなだけ食べて良いお店だったから、食べるのは1日1食でなんとかしのいだ。店長が理解してくれる人で、余り物をもらって持ち帰ったりもした。
ずるずると4年生になって、研究室に配属された。
その頃にはバイトでなんとかお金を貯めることができて、家も借りられた。家賃1.5万円の築40年以上経過してる、寝るためだけの場所。
研究は、目の前のことに集中していればいいから楽だった。まわりは大変そうだったけど、私にとっては現実逃避のようなものだった。
ふと冷静になると、友人や同級生は家族に支えられながら、心配されながら暮らしているのに、私はなんてみじめなんだろうと感じた。
そういうのを感じたくないから年末年始もお盆もただただ研究してた。
別に楽しいとか好奇心とかはなく、逃げるために研究してたのかもしれない。
ラボのスタッフには褒められてうれしかったけど、どこまでもみじめだと思ってた。
就活もしたかったけどお金がなくてできなかった。地方大で就活する場合、一般的に30万円ほど必要になるらしい。
例年、4年生の9割近くは大学院修士課程に進学する大学で、同級生は当たり前のように進学を希望していて、もちろん親に援助してもらっていて、なお一層つらくなった。
就活するにも進学するにもお金が必要で、でも親の協力を得られないとなんにもできない日本が嫌になった。
ここまで生きるのを頑張ってきて、必死でやってきたことを無駄にしたくなかったから、理解してくれた知人を尋ね回って進学する資金を集めた。
そのまま修士課程も必死に頑張り続けて、ようやく修士論文提出の直前まで来た。
ただ、やっぱりふとした瞬間に、どこまでもみじめで、どうしようもないやるせなさに襲われる。
来年度からDC1に採択されてきっと生活は楽になるけど、ここまでで350万円も奨学金以外の借金を背負ってしまった。
確かに奨学金は親の収入が少ない学生には配慮しているけれど、私のような親との関係性が悪い学生のことは考慮してくれないのだろう。
つくづく日本という国のシステムが嫌になる。他国がどうなってるかは知らないけど。
理系の博士課程1人を育てるために、1億円近い税金が投入されているらしい。
そりゃ確かに1 mLで10万円もする試薬もざらにあるし、多分本当にそのくらいかかっているんだろう。
一方で私が払った学費はたかだか500万円にも満たないものだ。
でも、どうしても日本という国が好きになれない。もっと人間らしい生活を送りたかった。もっと大学生らしいことをしたかった。
服だって新しい服を買いたいと思ったし、趣味にお金を使うこともしたかった。旅行にいける友人がうらやましかった。
私の青春はきっと、来ないままで終わるんだろうなって思うと無性に悔しくなる。
ちょっと前までは全部親が悪い、日本が悪いと思いこんでやり過ごせていたけれど、最近はすべてなにかに責任を押し付けようとしてそれらしい理由を探しているんじゃないかと思ってきた。
何が正しいのかはわからないけど。
どうすれば正解だったんだろうなぁ。一般に楽しくて自由な期間は全て終わってしまった。私にはモラトリアム期間はなかったんだろう。明日も明後日も漫然と研究して、過ごすんだろうなぁ。
今後もずっと親と国を憎みながら、過ごすんだろうなって想像できる。
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1/22 追記
はじめて投稿してみましたが、予想以上の方々に反応していただきありがとうございました。
賛同・同情してくださった意見や批判してくださった意見のどちらも、ありがたく受け止めさせていただきます。
また、本文中で触れていませんでしたが、私の大学生活を支えてくれた祖父母・知人には、当然ですが心から感謝しています。
(引用) 本人に貸与されるタイプは親のいらないし そもそも働けばいいのでは?
前半部分について、本人に貸与されるタイプでも親のサイン・判子は必要になると思います。最も一般的な日本学生支援機構の第一種、第二種奨学金でも、機関保証を用いている場合だとしても親・もしくは後見人の同意確認が必要でした。そのため、私は借りることができませんでした。企業や財団法人からの奨学金に関しては、すべてをチェックしているわけではないので100%ないとは言えませんが、ご存知でしたら後学のためにおしえていただきたいです。
また、後半部分についてですが、これはそのとおりだと思います。大学に行きたいというのは私のわがままであることは自覚しています (言い訳としては、大学入学時には祖父母が健在だったため、途中で、資金が大きく不足することを予定していませんでした) 。その上でですが、50%は大学進学しないというご指摘いただいたように、言い返せば50%が大学進学できる日本で、親の援助が受けられないという理由だけで大学進学ができなくなるとしたら、それは大きな問題であると思います。借金を背負ってでも大学で勉強したいという意思がある場合には、最低限人間らしい暮らしの中で、勉学に集中できる程度の援助が受けられる体制があれば良いなと思っています。とはいえ、国が憎いというのは確かに過剰な表現でした。申し訳ありませんでした。
(引用) 親が貧乏なケースよりも、親が金持ち(年収1000万超とかで色々な支援がなくなる)だけど非協力的な方が詰むケース多いよね。
(引用) 自分だけメシがない、っていうのは平等にメシがないより辛いよね
私が一番強く言いたかったのはこれです。簡潔にまとめてくださりありがとうございます。
はじめて自分の経験を文章にして、自分の考えがまとまったようでスッキリしました。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
定期さんの日常
パパ活の定義と範囲がよくわからんのでパパ活ではないかもしれないので界隈で定義されている定期さんとして活動報告です
およそ月に2~3回の関係をもって一回1.5万です
定期的に出会えるように連絡を取れるしているというだけで他の一見さんとかわりませんが
実家ぐらしであっても社会にでてお金が足りないのをキャッシングローンに行かず
いまの定期さんは二人で二十歳くらいと三十代です
定期さんになるのはこちらから定期さんはどうですかと持ち掛けたり
出会う人はアジア系外国人の方やほぼ障碍者の方ホームレスらしき高齢者もいらっしゃって
とりあえず一度相性を確認してからその後の関係を考えるようにしています
ごくたまにすごく美人でどうも経験がなさそうな方がはじめてをすませるためだけに
いらっしゃっている風なことがあります
学生がほとんどいらっしゃらない環境なので詳しくはわかりませんが
わりと数会っているとおもうのですが町ですれちがったりすることはありません
会いたいとおもうと会えるためこういう活動をされている方は少なくはないのではないかと思います
学生には学生の環境があるのかとおもいますが私がこういうのもなんですが
親からお小遣いをもらって学費を出してもらっている期間にそういうことをするのは何かの感覚が
狂っているとおもうのでもうだめかもしれんねと思います
今の定期さんは生活に余裕がほしいお小遣いのためのようですが定期さんにならなかった人に
いたのは年金がたりてない感じの奥様 働かされているお店の別経路でまわってきた方
メンヘラで仕事がない方 携帯電話はもっているが私物をみんなカバンにいれているホームレスらしき方
なぜそんなことをしているのかわからないきれいなお嬢様などいらっしゃいました
お値段的には2万が上限です
それ以上はなにか面倒なことがおきる可能性のあるところからの人である可能性もあります
通常はいちごとよばれる1.5万でホ別です
外国の方は基本一度きりの旅行者か地元の出張マッサージ店の待機要員的な方であることが多いようです
2万となるとこちらがだいぶ期待して会うというくらいになります
価格帯はそれぞれの地域などで変わるかと思いますし中でOKの二十歳くらいの方が業者でしたがホ別1.3だったこともあります
業者なのに1.3なのは意味わかりませんがわかるようになりたくもないので詳しくは聞いていません
よろしくない業者に派遣されている可能性も否定はできませんが私にできることはないためなんとも言えません
余談ですが私は25歳になるまで性的な思考はガチガチの大真面目で、カラオケに男女で言ってふざけておっぱいさわった友人を
一生ゆるさない最低で下劣な野郎だ性交渉とは一生の愛を誓うもので神聖であるべきという考えをもっていました
それに反して身体には性欲がつよくあり自慰行為も多く趣味も年を重ねて広くなってしまいました
25歳で初体験をすませた後その人と恋人同士になりましたが性的な思考が固すぎたことでストーカーのような思考に
なりつつもありそこまでのめりこめる性格でもあつくなれる性格でもなかったのですが一つ間違うと
そのままその後しばらくして結婚もしたのですがこれは第一に毎日おうちでセックスできるということが一番おおきな
実質性格の問題などは対応できる許容量があるとおもっていたので相手に対するこだわりはあまり大きくなく
こちらを好きになってもらえたらそれでいい程度でした
性格の不一致で離婚したのですがその後その人がちがうだれかと寝たり結婚したりする可能性があるということを
自分の性欲の強さがそうさせたのでしょうがこれは生体機能的なものでどうしようもありません
切り落とせというなら費用とその後のケアを全部保障してくれるなら切ってもいいと思うくらいには本人にも悩みでした
あまりにつらく自分も恋人を探そうと思ったのですがいまさら恋人を探すという時間的余裕も
環境的にも男女が言葉を交わし始める機会がそう多くなくなってしまった現在肉体的な関係を
肉体的にはいくつか経験しても潔癖症なところはさして変わらずでした
定期さんという形で恋人のような感覚になってくれる人が連絡先を交換しましょうといってくれたところから最初の定期さんが始まりました
はじめは一人だけだったのですがお相手にも都合がありやめてしまうことが恋の終わりのようなつらさもあり
おさえられない欲求の退避場所をもとめるようになってしまいました
そこで順次あっていった方から定期さんを提案していき二人目の方が関係をもってくれるようになったとき
非常に安心感をおぼえました
他人に嫉妬しなくてもよいしむしろNTRにもとより興味はありましたが自分の関係者はそんなことゆるせない
とおもっていましたが人の過ちなどゆるせるような気持ちの余裕ができたと思います
いまは二人以上は必要ないかなと思うのと二人いることで女性性に対する過度な期待と詮索をしなくて済むようになったともおもいます
どこの地域の方が5万とかいう金額で何をしているのかわかりませんが肉体関係者各位は
1万難ありまたは高齢者
1.5慣れている 相場
業者はどの価格帯にもいますが相場に沿わない素人も金額の多い業者も肉体関係者各位の
心づもりをもっていない可能性があるため一般に想像しうる問題に直面する可能性が多そうです
関係行為も特殊な欲望を満たすために特別そういうことをしているのではなく
つらく悩みの元である機能しつづける男性機能を沈めてもらうために
ボランティアをしていただいているような感覚でおねがいをしています
暴力的に吐き出すために男性はするというイメージも多いかと思いますが
非モテきもおっさんにはそういうお店で機能的に済ませるということが
簡単にできないためとてもありがたくできるだけ親切な対応をしたいとおもっています
本当に活発な男性機能は人間の脳に繋がって寄生している凶悪な生物かと
思うようなストレスを発生させることがあるためこれをエロなどで鎮静できないと
本当にいろいろな不便をきたすとおもわれます
5万とかどこのなにかわかりませんがそんなてのとどかない金額で
されているところもあるらしいということで自重を促すのが目的かもわかりませんが
大金の支払えないやっかいな性欲を抱えたいってみれば元気すぎる障害をもった人も
いるわけでそれに手を差し伸べるつもりがないのならそれを相手に
無償の愛を求めないでくれ、と叫ぶ親の増田があったので、それを読んで触発された。
父が嫌いだ。
幼少の頃からまともな会話や相談事ができたことがない。何を話しても自分にはわからない彼なりのユーモアから導かれた軽口を返される。一つも面白くないし、こちらは真剣な話をするつもりでも茶化されるので気分が悪い。
昔ながらの父親、換言すれば情緒サポートをしようとしない人間。母に対しては亭主関白。礼は言わず、家事や育児は全て母任せ。
自分は私立大学文系学部の3年生。高校は公立の全日制だったとはいえ、塾やら予備校やら今の学費やら、自分の教育に多くの金がかかったことは知っている。家族の暮らしに加えてそんな高い金を高卒の父の稼ぎだけでどうにかしてきたのだから、父は頑張ったと思う。
向こうの気持ちもわからなくはないのだ。母に「子供が欲しい」とせがまれたから仕方なく作った子供を愛すのが難しいのだろうとか、彼自身も父からは愛されずに育ったから接し方がわからないのだろうとか、曲がりなりにも半分は彼でできているので、想像するのは簡単なのだ。
しかし、彼を憎む気持ちが日に日に増していてどうしようもない。
昔から、家族仲の良い同級生が妬ましくて仕方なかった。毎年家族旅行に行っている家庭とか、土日の少年野球の練習に父が顔を出す家庭とか、父が購読しているから毎週ジャンプが読める家庭とか。
片やうちの父は、毎日残業で帰ってくるのは22時過ぎ、家を出るのも早いからそもそも顔を合わせることもない。週に一度しかない休みの日曜日、遠くへ遊びに連れて行ってほしいなど言えない。たまに父から誘われて車に乗ったかと思えば連れて行かれたのは中年と爺さんしかいないスーパー銭湯か、興味のない海釣り(しかも自分とは面識のない父の会社のおっさんがいる)。
とにかく喋らない上、叱るときは無言で殴ったり蹴ったりしてきた。小学校低学年の時ショッピングセンターで迷子になって、不安ながらスタッフに呼び出しをお願いしたことがある。30分待ってやっと現れた父は、息子の延髄に回し蹴りを入れた。
とにかく喋らず、自分を愛していると確信が持てない、というか嫌っていないという確信を持つこともできない。機嫌を損ねれば言葉もなく殴られ蹴られる。この記憶のせいで、大人の男性はみんな怖い。幾つになっても苦手意識が抜けない。
父に対する不満を母にぶつけたことがある。母は「父の代わりにならなくてごめんね」と謝った。やるせない気持ちでいっぱいで、その場で死にたかった。
21歳まで育ててもらったことに感謝こそすれ、恨むなど筋違いだと人には言われるだろう。いつまでも無い物ねだりをしていないで、いい加減大人になれと。
けれど、刻まれた恐怖だとか、与えてくれなかった物や気持ちは、如実に自分の発達を阻害している。
大人の男が怖いから話すことができない。柔和な人ならまだしも、父と似た、鋭い目で見据えられると、抑揚のない低い声で語りかけられると、内容をすっ飛ばして体が拒否する。
父は自分を否定はしたが肯定はしなかったから、自分はこれであってるんだろうか、叱られはしないだろうかと、ありもしない視線に怯えて何もすることができない。もう、1年と少ししたら社会人なのに。
不幸を背負われて、呪いをかけて育てるくらいなら、最初から自分のことなど出生させないで欲しかった。
憎い父を今さら殺しても何にもならない。だから殺さないけれど。けれどこの捌け口のない感情はどこへやればいいんだ。
呪いに負けない、強い自分を作りたかった。呪いにかまけて、こんなかわいそうな自分なんだから、少しくらい出来なくても仕方ないじゃないかと、そんな開き直り方をする人間にはなりたくなかった。
もっと金があって、教養があって、心に余裕のある親の元に生まれたかったという気持ちと、生まれた環境ばかり憎んでうずくまっている自分が嫌いだという気持ちにはさまれ、どうしたらいいかわからなくなる。
もしくは国そのものが存在しても、中身は反リベラル勢力に乗っ取られる。多分イスラム移民か。
前々から出生率とリベラリズム(それと経済成長)は負の相関があるんじゃないか?という仮説を持っていたのだが、最近フィンランドとシンガポールの事例を知って確信に変わった。
最高レベルの子育て政策も無駄? 急減するフィンランドの出生率
https://forbesjapan.com/articles/detail/30270
高校まで学費は激安で保育園待ちなし出産で170万円貰えるのに日本より出生率が低いシンガポールの話、行政の支援は出生率向上につながるのか
https://togetter.com/li/1361258
事実世界で出生率が高いのは発展途上国やイスラム国家だし、日本でも1番貧乏な沖縄が1番出生率が高く、1番豊かな東京が少子化だ。
なので遅かれ早かれリベラリズムは淘汰という自然選択の結果絶滅する。これが本当のリベラルの自殺というものだろう。
それにしても自然って、よくできてるよなぁ。
煽りとかマウンティングじゃなくて本気で思うんだけど、普段はてなーの現実辛い系発言見てると「それって東京から出れば解決するんじゃね?」って思うことが結構多いんだよな
結構俺(MARCH文系卒、アラサー、年収600万半ば、残業時間月平均10〜20時間)より悪い条件で働いてる人多いように見える
確かに地方にしては収入いい方かもしれないけど、多分はてなにいるような高学歴ならこんくらいの会社は地方にでもたくさんある
仕事は将来性ないし、やりがいも何もないけれど、零細IT企業にいるよりは安定してるし
俺はやりたくない仕事か超やりたくない仕事しかない意識低い人間なので、東京ならやりたい仕事があるってのもピンとこない
(地方の超やりたくない仕事に比べて)東京のやりたくない仕事も、そこに長時間労働や満員電車通勤が加わると超絶やりたくない仕事にレベルアップしちゃうしね
生活面に関しても、待機児童何それ?って感じだし(徒歩5分の保育園に入れず、徒歩10分の保育園にってことは普通にあるけど)
よく言う監視社会だの村八分だのいう話も、隣人の名字すらお互いに知らない生活してる俺にはよくわからない
俺は賃貸マンション住みってのとあるけど、ご近所問題に関しては東京で持ち家持ってる大学時代の友人の話し聞く限り対して変わらないように感じる
東京でしかできない仕事で東京でしか得られない高収入の人ならいざ知らず(ほんとはそういう人ほど地方に来れば異世界転生ばりの無双できそうな気もするけど)
年収1000万未満で、これからも超える予定ない人は地方に来て、浮いた家賃や私立中学の学費で東京遊びに来る生活したほうが絶対QOL上がると思うんだよね
俺だってうなるほど金があって独身なら東京いた方が楽しいと思うけど、既婚子持ちの普通の収入の人間(俺)にとっては総合的には東京にいるデメリットのほうが多いんだよね
自分も友人も出る気全くなかったので
成人式に執着する若者増田たちの気持ちがさっぱり分からないんだけど、むしろ時代が保守化してるって事なのかね
(別に金が無い訳ではない、皆親に学費生活費全額出して貰って大学行ってた子ばかり
家族生きてるの?
さっき自分の人生語らせてって言ったけど2行で終わってしまった。
少し考えたけど本当にこれ以上何もしてない。
3年間、三食食べてテレビDVDBD見て新聞雑誌漫画小説読んでネット見てみたいな生活の繰り返しだから
本当に何も書けない
改めて今涙がでてきました。
ああっ女神さまっシリーズやキノの旅は本当に好きで何度も見返した。
セリフも覚えてるくらい
昨日自分の人生が24年経っていたことに気づいてゾッとしたと同時に、
何のために生きているんだろうって涙が止まらなかった。
他の人は山ほど人生経験してるだろう中、人生の感想文が2行しか書けない。
何のために生きているんだろう
でも普通の人間なら、誰々とどこそこに言ったとかの思い出とかがいくつかあるんじゃないのかな?
普通の人がどうなのかよく分からないけど、多分そうなんだと思う。
だけどそれが俺には全く無い。
ただ3年もテレビを見て、録画してた番組を見て、小説や漫画や雑誌を読んで、ネットをやって、最近はSIMなし中古スマホでソシャゲをしてってだけ。
高校時代から大学時代までいとこの家(一戸建てで都内)に住んでいて、高校は公立名門校、大学は公立大学だった。
でも大学卒業の年に障碍を患った。だけど成績が良かったものだから中退するのはプライドがゆるさなかった。
親にはまだ生きていてもらわないと。
俺が年金もらうより先に親が死んじゃったらどうしよう。
普通のニートでも大抵は、職安にいってやりなおそうとした。でも挫折した。
だけど、俺は本当にそういうのすらない。
働こうとも思わず飯食って息してたら25になってた。
最近は障害手帳を取った後の就職活動で住宅問題のNPOにいってる。
自宅も住民の多様化が顕著になってきていて、子供にとっては辛そうなのと
うちは子供部屋だし、仮に俺が低学歴で長年のいじめられっこならば引きこもりになっていたかも。
暇でブラウザ検索を長いこと続けていて、あるネットのスレッドから。
ある大学の調査によると、高学歴のニートが低学歴者を上回っているそうだ。
そして完全にニートと認められている20代の30%は大卒以上だそう。
読みながら涙がでた。大学院卒のニートを抱えた親子の心情や葛藤が書かれた記事だったが、自分の生き写しのようだった。
彼らにはまだ40代になる前ならやり直せるといいたい。働き盛りだろう。
例えば今日はセガのゲームを遊ぶ日にしようと決めたら、ずっとセガ系を丸一日遊んだり。
そしてその次はバンナム系のゲームを遊んでおくんだ。この繰り返し。
ソシャゲを覚えてからはソシャゲの方が楽しくてゲームをする時間がかなり減った。
父親は地方公務員だった。母親は郵貯のキャリア職員である。妹は今の大学に二流公立高校からAOで進学している。
家は自家用車無くても困らない場所に住んでいるから免許すらない。
妹はバイトしなくても問題ないとこ通っているからバイトしていない。
でも今、親が再雇用になって経済面もやや厳しそうで、最近は中学生向け予備校で講師バイトすることがほとんど。
そんなとき、俺がブラックな職場で働いてたら経済的に支えてあげられるのにと最近よく思う。
失ったものなんてない
家を出て数年。
私はこの父がめちゃくちゃ苦手だった。
今も苦手。
別に悪い人じゃない。高卒で就職して立派に勤めあげて、私と弟の大学の学費まで出した。
酒は嗜む程度、煙草も吸わないしギャンブルもしない。浮気も知る限り無い。
真面目。で立派。冗談も言わない。
そんな立派な父は、私を褒めてくれた事が一度もない。
どれだけ良い成績を取ろうが稼ごうが。
それどころか、よくもまあそんな、っていうくらい細かいところにいちいち文句を付けてくる。たまに怒鳴る。
何も悪いことはしていないはずなのに、次は何を言われるんだろうと常に後ろめたかった。性格が暗くなるのが自分でも分かった。
会うとまた何か言われるから。
それでもたまに文句を言われると、それだけで泣いてしまうようになった。こっそり、自室でね。
そんな感じのまま家を出た。もっと早くにこうしていれば良かった。
暫くして結婚した。
旦那は「お義父さん、一人で寂しくて可哀想だからご飯にでも誘おう」と言う。
毎回その提案を私が潰す。
でも、自業自得だとも思う。
娘を気遣って言った事も多々あったと思う。
感謝はある。でもそれ以上に憎しみもある。
私は、父が生きている間にこの人を許せるんだろうか。
父さん、心の狭い娘でごめんね。
単位取得して、ゼミの卒論仕上げるだけで卒業だったのに、提出日に出せなかった。すべて自己責任だと思っている。
大学で唯一仲の良かった友人は両親が蒸発して、妹を大学の、お金を捻出するために大学2年の時にやめた。大学3年になって一人で授業を受け始めた。知り合いはいたけど、一人で大学に行って、帰ってバイトだけの生活だった。元々、内向的な性格で一人でもいいと思ってたけど、いざ本当に孤独だと毎日がつまらなかった。大学に行くのが毎日辛かったけど、3年生の時は何とか単位の取得はできる分には通った。4年生になって就活が始まって、就職先は見つかった。けれど一人で就活するのは辛かったし、キャリアセンターには通ったけど、一緒に頑張れる友人がいたら、もっと頑張れたと思う。
大学4年の後期に、ゼミの教授が変わり、非常勤講師になった。ゼミの教授が、好きで入ったのに悲しかった。非常勤講師になって、順調だった論文が書けなくなった。教授に言われて何とか書いてたけど、パソコンに向かうのが苦痛であったり、メールを見るのでさえ怖くなった。講師の方は良い人で自分を心配してくれたけど、自分には合わなかったのかもしれない。
教授達の会議によって、留年は回避できるかもしれないけど、指導教員が非常勤講師のため、留年回避は難しいと思う。だぶん留年だなんだけど、留年したら学費と前期の休学費合わせて60万ほどかかる。バイトで貯めるしかないな。