はてなキーワード: 学費とは
いいんじゃないかな。
ちなみに、手放す理由は、、、分厚い。
こない厚さで、結局元使っていた財布に戻した。
15倍以上出して買ったのに!
避けてきたけど、もっと高く売れるなら背に腹は変えない。
値段設定もきっちり研究して出品。
サイズ感とカード入れの数、何より余計な装飾のないスリムなフォルムが
半月以上探し回って、気に入ったデザインと収納のCOACHを買ったけど
厚みがどうしても気に入らなかった。
3つ折り財布だから仕方ないけどさ。
それに、正直、私の目が肥えなさ過ぎてるのかもしれないけど、
雑誌の付録は糸がほつれてたりするから、そこはハサミで切った。
でも、素材感やデザインにそう大きな差を感じなかったんだけど。
年齢的にそろそろちゃんとした物を、と思ってたけど
今回、財布探すための労力と浪費を考えると、痛い学費になったけど、
んで、売れるといいなぁ。
経済的な事情もあり、1.2年次は母親に援助してもらいつつ、残りは総て払いながら行きました
この五年、何とかやり遂げて安心したけど、現役生が働きながら夜学に通うこと、これは安易にはおすすめできない。
まず単純に体力がもたない。俺の場合、現場仕事をやりながらの生活だったから、朝5~6時に起床し、現場から学校へ直行するので、終わるまでほぼ休息がとれない。帰宅するのは23時頃で、加えて一人暮らしだから速攻寝るわけにもいかない。ブラック自慢の好きな人は大したことないとか言いそうだけど、たいていの人はこの生活に意味を見いだせずに辞めていってしまう。
各大学の夜間部は、この所 どんどん閉鎖されて、受験生や向学心のある社会人の選択肢からだいぶ外れていってるだろうけど、もしも夜学を視野に入れてる人が居るならば、本当によく考えてもらいたい。人は、出来ること、出来ないことがそれぞれある事を認めなければならない。奨学金を貰わずに学費を払い、且つ生計をたてるには、(貯金無しの状態なら特に)おおよそ手取り30はないと厳しい。それを高校卒業したての若者が稼ぐには、肉体労働或いは深夜の高時給のバイトなどしか選択肢が無く、故に体力の消耗も激しい。実際、五年間耐えた自分も、この最後の半期は精神をおかしくして一時仕事が出来なくなったし、三年次は毎晩朝までトラックの運転手をしていて、何が本分かを見失い常に心は壊れかけてひとりで泣くこともよくあった。
卒業が決まって本当に嬉しい。俺にとって大学は、物事を深く、様々な側面から考える機会を与えてくれた存在で、その価値は自己満足ながら卒業まで耐えてよかったと疑いなく言える。人は、一度決意した物事も、たいてい継続の最中に「そうでもなかった」とか「本当にやりたいことじゃなかった」などと考えるものだ。それは実際、事実 間違っていない事の方が多い。しかし一度決めたことをやり通した経験の無い者は、何よりも、自分を信じることが出来ない。自尊心の欠如は、人間本来のその他の欲求を欠くことにつながる重要な事柄だ。この事に気づくのに、俺は四年半も掛かった。だから途中で投げ出してしまった人を安易に批判は出来ない。やり遂げなければそれに気づけないから。
それだけ、働きながら学ぶことは、大いにリスクのあることだ。
もしもこうした選択肢を考えている人が居れば、本当に よく考えて、選択してもらいたい。
ともかく、卒業できてよかった。
昭和の時代には、東大でも京大でも左翼セクトという罠があってね。
学生運動にどっぷりつかって、逮捕歴なんかついてしまうと公務員にも民間企業にも就職できんわけよ。
民青(共産党下部組織)なら党本部以外にも代々木系の就職先があって、世間よりも学歴信仰が強いから東大出は出世できたりする(今の共産党トップは東大がずらり)
中核・革マルをはじめとした新左翼セクトに入ってしまうと、医者、弁護士、大学教官以外は塾講師とかしかなかった。
学費も安かったけど、日本はもっと貧しかったから、東西冷戦の下で地上の楽園(共産主義革命)を夢見て人生を棒に振った人は案外多かったのさ。
まずマニフェストをそれぞれ読んでWikipediaを読んで後は適当にブログを読んだ。
自民党 : マニフェストは経済成長に主眼を置いて書かれている印象を受ける。(特に経済について)他の野党が酷いから投票するという層がネットでは目立つ。
実際それほど保守に寄っているわけでもないようにも見えるけど杉田水脈とか荻生田とか本当にヤバい(平気で差別発言をするなど)レベルの保守層が一定数いるのでかなり悪感情を持ってしまう。
立憲民主党 : 左派最強という感じだが民主党時代と違い弱体化が著しい印象。自民党と同じく層は厚く保守寄りからかなり左派の議員までいる。どうにもまとまりがない。ネット上では穏やかなリベラル層から支持されている様子。
しかし、個人的には急に革新的なことを言ってみれば、あまりに保守寄りだったりで主張がブレブレであるように見えることが多い。
公明党 : ネットでの人気は皆無に等しい。自民支持者からはボロクソに言われ、野党支持者からは自民の補完勢力と言われる。歴史的には自民党の暴走を防ぐべく中道左派としてバランスを取るのが役割とみなされた時期もあったと聞いたことがある。 憲法改正には賛成してるし増税にも賛成してる。やっぱり自民党寄りなんじゃないかなあ。創価学会も弱体化しているし向こう10年で急速に弱体化するだろう。
国民民主党 : ネットでの人気はほぼない。民主党時代に田舎に票田を持っていた人たちが残っている印象。老人ばかり支持しているんじゃないのと思っていたがデータを見るとそうでもない。とにかくよくわからない。
共産党 : ネット上で支持者は運動家っぽい人しか見ない。マニフェストは自民党と対照的。資料なども真面目で勉強していることがよくわかる。議員も高学歴。ネトウヨなどがいうような共産党への批判(陰謀論や何にでも怒っているだけ)は全然共感しないが、問題はマッチョ気質と本来の意味での保守的すぎるところであると思う。努力家で頭が良い人の考える政治という感じで、多数弱者は守られるが枠にはまらない弱者は切り捨てられそうだ。後中国共産党とはずっと敵対関係にあるがネット上ではあまり指摘されない。
維新の党 : 大阪出身なだけに思い入れがある。個人的に一番嫌な政党。投票する人の心理に共感してしまうからだ。学費無償化などとにかくお金のことを数字入りで大きく書くポスターと大阪の愛郷心を誘う手法で上り詰めた。思うことが多すぎてここではかけない。吉本とかと同じく大阪文化というものを大きく弱体化させている。大阪愛があるからといって市民は大阪文化を詳しく知るわけではない。自らが大阪文化なのであってそれを言語化できているわけでもない。それをうまく悪用されている感じがしてとても不快だ。私の知っている大阪文化というものは吉本の語るそれでも維新の語るそれでもなかった。上品な上方文化もあれば商人文化もある多様なものだった。大阪と言われて上品なものや知的なものを想像するステロタイプがどれだけ残っただろうか。また学費無償化などの裏で多くのコストカットが行われた。貧困層はより貧困になった。
れいわ新撰組 : 維新と名前がややこしい。しかも山本太郎が関西弁。割と好きだがよくわからない。他の野党が保守的で改革を口にしなくなったので革新的なのが好きな人はこっちに着くんじゃないのと思う。
N国党 : 特に書くことはない。(どうせ消えるので)
この時間まで研究室にいても、一向に発表資料作りが進まない。修論もどきは既に渡してある(期日までに改めて提出する必要はあるが)。発表中に首をかしげられても、いくら恥をかいたり叱られたりしても、約30分壇上で堪え忍べば取り敢えずは大きな山を越えることができる。一応発表練習はしてアドバイスもいただいたので、あとはそれに応じてスライドを修正すればいい。ただそれだけだ。でも、そのあと一歩の作業が進まなくて、ひとり背中を丸めてスマホで文を打っている。かれこれ5時間は作業が止まっている。こんな時間なのに眠気はない。なんか知らないけど涙と鼻水が止まらない。たぶん、ろくに寝てないから体がおかしくなったのだろう。
昔から人に頼るのが下手だった。言わずもがな、友達を作るのも壊滅的に下手である。
だから、自分で問題を解決しようとしすぎてしまう。ストレスを溜め込みがちなのも割と自覚している。自分の嫌いなところはその他にも色々あるけれど、特に「自分に甘くて他人に厳しいところ」と、「やらなければいけないことを先延ばしにする癖」は大学に入ってから悪化した気がする。
対人関係のストレスで勉強が手につかなくなり、センター試験はまあまあ悲惨な成績だった。センターの結果にあわせて出願した大学に後期試験でなんとか合格した。学費を出してもらっているし、入学を決めたのは他でもない自分なので、講義はしっかり出席した。選択科目はいくつか落としたものの、卒業に必要な単位はしっかり取った。1年生のときは将来なりたい職業もあまり考えていなかったので、取り敢えず何となくで教職課程を取った。教職科目は思いのほか興味深くて、教員になることも一度は考えた。でも決めきれず、向いていないことは薄々気付いていたものの、大学院に進学することを決めた。そして迎えた教育実習だが、これが本当につらかった。この仕事は自分に向いていないとはっきり分かった。加えて実習中には色々あって、精神的に追い詰められてしまった。正直、人生で初めて死を考えたほどである。2年半経ってもこのときのことを考えようとするだけで涙が出てくるので、極力思い出さないようにしている。暫くはベッドから起きれなかったし、泣きながら親や相談センターに電話した。見かねた親がはるばる新幹線でやってきて、ごみ屋敷と化した部屋を片付けてくれたこともあった。幸い研究室の活動は週1のゼミのみで負担は少なかったし、大学院進学も運良く推薦をいただけたので、進学のこともなんとかなった。でもこんな調子だったのと、先生が厳しく言わないのをいいことに卒研の開始は先延ばしになっていった。徐々に体力も回復してきた頃にはかなりギリギリの時期だったが、なんとか卒論発表には間に合った。ただこの頃から、先延ばし癖はどんどんひどくなっていった。
大学院に進学してからの生活を振り返っても、研究にきちんと取り組んだとはお世辞にもいえない。授業やTAの仕事、アルバイトには人並みに取り組めていたから、おそらく自分で規則や締切を考えてタスクを片付けるという作業が嫌だったのだろうと思う。卒論発表を終えたときには「修論は反省をいかして頑張ろう」と思っていたのに、気がつけば立派なダメ院生になっていた。趣味は楽しめていたから、たぶんただの甘えだと思う。
そんな私だが、義務教育時代は大きな問題なく過ごすことが出来ていた。未だに「どこで間違えたんだろう」なんてことを考えてしまうのは、この頃の成功体験によるものだろう。そんなこと振り返っても仕方ないが、あの頃の全能感や将来への期待感みたいなものを思い出すと、現状にひどくがっかりする。ただ、今思えば部活でもちょっと浮いた存在ではあったと思うし、友達からお祭りに誘われなくて落ち込んだこともあった(自分から誘えばいいのに)。多分、人からの悪意にはめちゃくちゃ鈍感なところがあるので、それで自分の身を守っていたのかもしれない。今はちょっと人の目が気になるようになった。
ああ、どこで間違えたんだろう。
ああ、どこでなら取り返せたんだろう。
色々思い当たる節はあるけど、悩んだときにいい子ぶらないで親や先生に相談していれば、事態は変わっていたと思う。「誰にも言いたくない」というわがままは、きっと自分を苦しめる。自分ではSOSを出していると思っても、相手がそれを受け取っているとは限らない。「言わなくても気付いてくれる」というのは、ある種の甘えかもしれない。
と、誰にするわけでもない言い訳を並べている。
うん。政府は指示待ち人間なんだ。行政には「申請主義の原則」というものがある。基本的に政府は、市民に言われないことはやらない。これは怠惰だからでも無能だからでもなくて、自由主義の現代社会の基本原則の一つだ。新しい政策も、基本的には、政治家への陳情や業界団体の政府への要望書の提出をきっかけにして作られる。消費税増税も経済界からの要望があった。(防衛とか外交はちょっと別)
指示待ちの反対を考えると、行政が市民社会のあるべき姿へ向けて自律的に動くという状況になる。そのためには行政が「市民社会のあるべき姿」をあらかじめ把握しておく必要がある。現実問題として、市民の多様なニーズを全部把握するのは不可能なので、行政があるべき姿を決めるということになる。行政が正しい市民社会を決めるというのは現代社会にそぐわない。
原則として、自由民主主義国家の政府は自らの意思を持って動く機関ではなく、市民の意向を体現し、市民の意思に従って動く機関だ。(安倍首相も特定の層の有権者の意向を体現している)だから、学費を下げるべきだと思うなら、何らかの形で政府に市民の要求を伝えなければならない。単にツイッターでつぶやくのではなく、デモを計画し、実際にデモの場所に出向いてデモ行進を行うことでは、行政の受け取り方が違う。政治家の反応も違う。サイレントマジョリティの意見は、政府や政治家にとっては、「別に声を出すほど困ってないんだな」と受け取るしかない。
大人になってから物欲を満たすために頑張ってきたところがあるんだけど、
欲しいもの一通り揃えてしまったら次に欲しいものが思いつかなくて困ってる。
誰か提案して欲しい。
追記: