はてなキーワード: 垣間見とは
友人は長身でイケメンで穏やかで聞き上手でいろんな種類の友達がいる。
この間togetterだかで「エンジニアはメンヘラ女に沼る」という話がまとまっていたのを読んで、件の友人をふと思い出した。
その友人は共感能力が高く、何度かメンヘラ女に粘着されたりしていたので、周りが「お前までメンタル壊すなよ」と心配していた事があった。本人は心配のあと少し無言になったが、何かを察したような表情で「ああ、そういうことね、平気平気」と笑っていた。
友人が人間関係で落ち込む事は限られたケースしかないらしく、「他人の誠実さにちゃんと応えられなかった事」だけらしい。普通にいい奴なのだ。
「俗に言うにメンヘラにラベリングされる女の子って、価値観が極端に自分本位な子が多いんだよ。他人を慮る工程がごっそり抜け落ちてる子が多いの。例えばさ、自分は気が向いた時だけ鬼のように連絡飛ばしてくる子とかもピタッと一ヶ月ぐらい連絡来なくなるんだけど、また鬼のように連絡飛ばしてきたりするのね。別にそれはいいんだよ全然。そんなもん片手間に返せるから。でもこっちが一日連絡よこさないだけで発狂するわけ。メンヘラどうこう以前に要は幼稚なだけなんだよね。普通の人が言ったら顰蹙買うような言動がメンヘラだからって許そうと、機嫌を取ろうとする方が不健全だし、そんな子を特別扱いしてリソース割くほうが俺に良くしてくれた人達に対して不誠実でしょ。」みたいな事を言っていた。
彼の仲のいい女友達に家庭環境が滅茶苦茶の母子家庭で母親に「中学卒業したら風俗に行ってくれ」と土下座された子がいる。彼女は精神科で検査したら躁鬱とアスペルガーと境界性知能だと発覚したらしい。一度だけ友人伝手に会ったことがあるが、よく笑うジュディマリのユキを巨乳にした感じの子だった。その子は手首から腕にかけて横線だらけだったが、自分の気の短さや衝動的な所もちゃんと自覚していた。垣間見える多動っぽさには社会生活での苦労が容易に想像できたが、後天的に苦労してきて身につけてきた社交性もあった。その子になんで友人と仲が良いのか聞いたことがある。「私に寄ってくる男って体目当てばかりだったんだけど、〇〇(友人)だけは私のこと全く女として見てないんだよね。一人の人間としてちゃんと見てくれるし、雑に聞き流される私の話もちゃんと聞いてくれるの。私の男友達の中で一番仲良いんだよ。旦那も〇〇のこと好きなんだ」と楽しそうに笑っていた。
この子も大分類でメンヘラとしてあつかわれる子ではあるが、友人が言うにはこの子は連絡が遅くなっても相手の都合を理解する努力もできて、ちゃんと身の回りの人間を大切にできる子らしい。
恐らく彼のメンヘラへのドライな感性は、この子と付き合いの背景が下支えになってる部分があるんだろう。メンヘラにラベリングされる子の中でも、ただただ幼稚な上に自分の行いに対するフィードバックが上手く働かないタイプと、普通の人よりも多く苦労をしながら少しずつ修正していけるタイプがいるんだろう。
彼は、メンヘラ女達の中に宿る誠実さだけに目を向けて誠実に対応してきた。彼にとってメンヘラのラベリングなぞ、どうでも良かったのだ。
憲法は政府を縛るものというデマ → anond:20221020172754
増田の説は本質的に『十七条憲法も憲法だ』と変わらん。日本国憲法は『立法権を制限する事で人権を保障』する市民革命思想の流れを汲む近代憲法。共産圏の憲法はその流れと異なるから価値観を共有しないとされる。
『十七条憲法も憲法だ』というのはかなり乱暴な要約だけど、まさしくその通り。しかし、市民革命思想を『立法権を制限する事で人権を保障』と表現するのは意味不明だ。人権のために制限したのは行政権であり、その方法が三権分立ということすら理解していないのだろう。
共産圏国家の憲法との比較は例として出しただけであり、国が違えば国家の統治方法も異なるので憲法が持つ価値観が異なるのも当たり前だ。共産圏国家の例示で的を得ないようなら、コーランを憲法としてるイスラム圏国家でもよい。
直球のアレ来た。この内容について語りたいなら、「外見的立憲主義」という言葉の意味くらいは調べてこよう。今時、中学生でも勉強を真面目にしていたらこのレベルのことは言わないと思う。
先進国の現在の憲法が正しいのであり、そうでない国家の憲法は「外見的立憲主義」だから誤った憲法だと主張したいのはよくわかった。しかし、憲法に絶対的な正しさを求める精神は、盲目的に宗教を信仰する狂信者の思想と同じとしか思えない。「中学生でも勉強を真面目にしていたら…」の文言から、論理的思考力の欠如が垣間見える。
こういう増田って「国民国家」の意味を知らないのだろう。自分は自動的に一丁前の国民だとでも思っているのか。日本は「王政、封建制」を「国民国家」に改造するために憲法を持った。その役目は、政府の権限制限や。
またか。現代の憲法こそが真の憲法であり、その価値観に反するものは憲法ではないという意見だ。大日本帝国憲法のことは、憲法の名がついてるだけで憲法ではないと、頓珍漢な主張をするのだろう。
勉強になるブコメがたくさんついてる、良かったね! 知らないことを知らないと言うときに「デマ」って言葉を使うのはやめようね。
「デマ」という言葉はただの釣り餌。釣れたのは知らないことを訳知り顔で語るブコメばかりで、勉強にはならなかった。
憲法学的に言いたいことはいろいろあるが、国語的な増田式定義によっても、憲法が国の統治方法を定めてるから、国を統治する政府は憲法の定めに従って統治する必要がある、すなわち政府が憲法に縛られてるんじゃない
そこでいう憲法は形式的意味の憲法を指していないのでは/憲法改正の限界を超えた(n月革命を引き起こす)「改憲」はあり得るんじゃないの?
前者のブコメに対しては後者のブコメで完全に反論しているので、私からは特にコメントはなし。『憲法改正の限界』は無限界説のほうが正しいのは歴史的事実として明らかだ。憲法という言葉で権威付けしようとも所詮は人間の作ったルールでしかないことを、後者のブクマカはよく理解できていると思う。
デマだと断じるから何かと思った。すべての憲法の基本書の最初の章に書いてあることなので、それくらいは読んでから主張してほしい。
『すべての憲法』はさすがに主語が大きすぎる。『フランス革命の流れを汲む近代憲法』くらいの主語にとどめるべき。日本や欧米以外の国の憲法を知っているわけではないのに。
意味論的憲法だ。どんな実益があるんだこの説明と感じた思い出があるけど、細かく整理したうえで示しておかないと解像度が低いままトンチキなことを言いだす人が一定数出てきちゃうからなんだろうな。
同意なので反論は無し。論理ではなく世界史や宗教的価値観で憲法を理解している人ばかりでうんざりなのは、この人も感じていることだろう。
笑った。確かにそうだ。
推しとスタッフから構われていた自他共に認めるオキニの推しから降りて新しく推しができた。
原因は推しの事務所移籍で運営のやり方について行けなくなったこと、本人のやる気のなさが垣間見えるようになったことだけど、これに関してはついて行けなかった私が悪い。
推しからファンになった程度なので未練も何もないし、新しい推しは新人で一生懸命ですごく応援したくなる。
何が辛いってオキニのオタクだった頃の対応の良さに慣れてしまっていること。
前推しの時はラジオやニコ生にメールを出せば月に2回くらい読まれてたし、いつもの子だねって感じで質問にも答えてくれていた。
今の推しは何通メールを送っても読まれない、仕方ないことなのはわかってる。
前推しの時はくそ長い文章送ってもいつもの子って感じで読んでくれたけど、今の推しだと私はただのオタクの1人だし文章もつい長くなるから尺の問題でも難しいんだろうなと頭では理解しているつもり。
でも、理解してるつもりでもやっぱり読まれないと干されてる?とか思っちゃうし、リプで嫌な思いさせたのかなとか不安になる。
推しを応援するのは楽しい、でもメールコーナーで読まれないたびに勝手に不安になって嫌われてるのか悲しくなる自分が嫌すぎる。
推しにメール読まれるためとか認知されるために推してるわけじゃないのにね、馬鹿みたい。
最近リプもふぁぼリツもやめた、嫌われてるのかなアイコン視界に入れて不快にさせたくないなって思うから。
その証拠に今期でも何本かこうした作品がアニメ化しており、そして今後もアニメ化されるだろう。
だが個人的にこのような作品は、あまりよろしくないように思われる。
基本的に「俺TUEEE」系の作品とは、言葉通り主人公が強さで他を圧倒し、主人公の思い通りに進む物語のことだ。
こうした作品のどこにイデオロギー性があるかと言えば、それは力の獲得にある。
転生し、そこで特殊なスキルを得ることで無双する。つまり生まれ持った力の差がものを言うのだ。
この構図に見覚えがないだろうか?
そう、これってつまり現実で言うところの『親ガチャ』を指し示しているのだ。
生まれた環境や地位があれば、大して努力せずとも大成できるよね。
こうした思念のもとに成り立つ作品だからそこ、「俺TUEEE」の主人公は努力しない。大した努力をせずとも成功する。
だから他とは違う。俺は特別なんだと、つまり生まれた環境を要因し、努力を軽視する。
現代ではこのような考えが蔓延っているために努力型の主人公は脚光を浴びにくく、生まれ持っての才能ばかりに目を向ける。
すると自分が成功しないのはあくまで生まれが悪いからで、努力をしないからではない。
果たしてそれが正しい形だろうか?
しかしこのような言い訳には社会的な問題が随分絡んでいるように思われる。
国内での貧富の差の拡大、そして何より政治の腐敗によるものが大きい。
国民の声は聴かれず届かず、結局国を牛耳るのは世襲議員であり、我々の意思ではどうにもならない。彼らがどうしてそのような特権的立場に居るのか?それこそ環境と生まれが全てであり、ここに俺TUEEE系の物語と現実がリンクする。
現代人が「俺TUEEE」系の物語を好むのは、もはや努力では世界が変わらないことを知っているからであり、それは政治に対する絶望である。だからこそ虚構のうちにおいては、自らを特権階級に置く。
逆を言えば、こうした物語の氾濫は現政権の絶対性を示すイデオロギー的性質を我々に垣間見せ、虚構のなかでのみ国民を満足させる国家へとますます邁進していくだろう。
「座り込み抗議3011日!」って看板なら普通は継続して座り込んでると思うでしょ。別にタラコ野郎に好意的でなくとも。
尋ねて行った時座り込みいなかったら「いねーじゃねーか」ってなるでしょ。
タラコのツッコミは屁理屈ではなくごく素朴な一般的感覚じゃね?
というかそもそもさ、
そこは謝ろう?
そんなとこでみみっちいウソついて何になるんだよ。
仲間内で気勢を上げていくうちにいろんな面で段々盛っていってしまうのは人間としてわかる。
けど外部から突っ込まれた時には正気に返って「誤解を招いた文言を訂正します」でいいじゃん。
そこでそういう真摯な態度を見せれば「ああ、ちゃんと話の通じる、我々と同じ人間が基地反対してるんだ」ってなって興味なかった人もうっすら好感や関心持つ可能性が出るじゃん。
俺が基地反対派の内部にいたらこれが起きた日のうちに急いで内部で相談して新しい文言案決めてまっさらな看板と筆持って行っていって現場にいるひろゆきに案見せて決めてハイって筆渡して頼んで揮毫してもらう。
んで「ひろゆき監修」の看板にしちまえばいいじゃん。文言を監修しただけでも基地反対に賛同加担してるみたいな雰囲気になる。これが賢い錯誤の作り方だろ。
これがピンチはチャンスってことじゃないのか。
「座り込みは継続して座ってなきゃいけないなんて誰が決めたんですかー」て。
こんなん最悪のリアクション。そんな屁理屈言い張ってこの場合に何を守る気なの?
その屁理屈で守れるのは嘘・大袈裟・紛らわしいな看板文言の継続だけだぜ?
そこさえ守り切れば勝てる!っていう決勝点に関してなら
なりふり構わない屁理屈で「きったねー」って思われながら守るのもありだが、こんな看板死ぬほどどうでもいいだろ。
その場でパッと捨てる決定して訂正しちゃえばひろゆきの拡散力でポジティブな発信できたのにさ。
おめーらが内部の屁理屈をどう言い張ったって文言についてはチョンボだろ。
ズルだしウソだし錯誤狙いだろ。
そこを影響力強い奴に画像入りで焦点にされた時点で勝ちはないんだよ。
文言を正当化しようと食い下がれば食い下がるほど文言が焦点化して
「うわあ、こんな小ずるくてバカみたいな理屈で嘘を正当化しようとする人たちなんだ」になるに決まってんだろ。
ひろゆき「あれ?座り込んでないんですけど」
基地反対派「〇時と〇時に座るの!(怒)」
ひろゆき「それ座り込み〇〇〇〇日って言わないと思うんですけど」
観衆「日本語ですらねーのかよ…」
終わりやん。
見てる人間には「話逸らしてんじゃねーよ」という感情しか湧かない。
「敬意」の話なんか始めてキレて返すってのはヤベーよ。
看板の文字ぐらい突っ込みようが無くウソなく書けってだけの話でしょ。
そこを言われてこれだけキレ散らかして恫喝しながら撤回を迫ったりまでして少しも受け入れられないって言うの
相手がひろゆきだからこうやって世間に知られて笑われてるけど組織内部や沖縄内部で懐疑的な意見を受け容れる姿勢が全然なさそうに見えるの俺だけか?個人の感想か?
ぜってー仲間や地元民から「ここはおかしいんじゃないか」程度のこと言われても「敬意がない!」って恫喝して総括して吊るし上げそうじゃん。
こんだけキレまくってやべー集団だと世間に示していっちゃうんだろう。死守作戦するとこでも何でもないとこで総動員してアホじゃねーのか。
タラコは思想とかほぼないから素直に看板直して合理的対応すれば全然矛収めたと思うよ。
逆に「敬意」なんていう内部の論理や定義不明な話はタラコが一番嫌いなやつだから超張り切っちゃうじゃん。
そしてそういうのをアホちゃうかって呆れて無所属な自分との対照で世間に見せていくのはタラコの十八番の一番得意な構図。西村屋!って声掛かるくらいのオハコの構図のやられ役になりにいってどうすんねん。
ソース:「GIGAZINE」2022/9/25投稿記事「2022年秋開始の新作アニメ一覧」
https://gigazine.net/news/20220925-anime-2022autumn/
・声優総数:544名(延べ人数)
・ここには2022年10~12月期の出演作品数が3作品以上の56名を出演回数で降順記載
声優名 | 2022年10~12月 | 2022年4~6月 | 2022年1~3月 | 2021年10~12月 |
櫻井孝宏 | 7 | 3 | 3 | 2 |
杉田智和 | 7 | 1 | 2 | 4 |
竹達彩奈 | 7 | 1 | 1 | 2 |
小西克幸 | 7 | 1 | 1 | 1 |
津田健次郎 | 6 | 5 | 2 | 2 |
梅原裕一郎 | 6 | 2 | 3 | 1 |
松岡禎丞 | 6 | 3 | 2 | 1 |
福山潤 | 6 | 2 | 0 | 2 |
斉藤壮馬 | 5 | 1 | 5 | 3 |
内山昂輝 | 5 | 2 | 1 | 3 |
増田俊樹 | 5 | 2 | 2 | 2 |
八代拓 | 5 | 3 | 1 | 1 |
白石晴香 | 5 | 0 | 3 | 1 |
大久保瑠美 | 5 | 1 | 0 | 1 |
早見沙織 | 4 | 6 | 2 | 4 |
花江夏樹 | 4 | 5 | 5 | 2 |
諏訪部順一 | 4 | 3 | 3 | 3 |
花澤香菜 | 4 | 4 | 1 | 4 |
島﨑信長 | 4 | 3 | 0 | 5 |
悠木碧 | 4 | 1 | 4 | 3 |
内田雄馬 | 4 | 2 | 4 | 1 |
小倉唯 | 4 | 2 | 2 | 3 |
下野紘 | 4 | 0 | 4 | 2 |
羽多野渉 | 4 | 0 | 2 | 2 |
子安武人 | 4 | 1 | 1 | 0 |
Lynn | 4 | 1 | 0 | 1 |
江口拓也 | 3 | 5 | 1 | 4 |
梶裕貴 | 3 | 3 | 3 | 3 |
村瀬歩 | 3 | 0 | 5 | 3 |
高橋李依 | 3 | 3 | 3 | 2 |
東山奈央 | 3 | 2 | 3 | 2 |
水瀬いのり | 3 | 3 | 3 | 1 |
細谷佳正 | 3 | 3 | 1 | 3 |
大西沙織 | 3 | 1 | 3 | 2 |
佐倉綾音 | 3 | 4 | 1 | 1 |
安元洋貴 | 3 | 2 | 2 | 2 |
大塚芳忠 | 3 | 0 | 3 | 2 |
千葉翔也 | 3 | 1 | 1 | 3 |
鈴木崚汰 | 3 | 1 | 2 | 2 |
稲田徹 | 3 | 1 | 2 | 2 |
山下誠一郎 | 3 | 1 | 2 | 2 |
興津和幸 | 3 | 2 | 2 | 1 |
中村悠一 | 3 | 0 | 2 | 2 |
沢城みゆき | 3 | 0 | 1 | 2 |
田中美海 | 3 | 0 | 0 | 3 |
三木眞一郎 | 3 | 1 | 2 | 0 |
山下大輝 | 3 | 1 | 0 | 2 |
井上麻里奈 | 3 | 1 | 1 | 1 |
井澤詩織 | 3 | 1 | 1 | 1 |
小野友樹 | 3 | 0 | 1 | 2 |
逢坂良太 | 3 | 1 | 1 | 1 |
和氣あず未 | 3 | 0 | 1 | 1 |
三宅健太 | 3 | 0 | 0 | 1 |
斎賀みつき | 3 | 0 | 1 | 0 |
阿座上洋平 | 3 | 1 | 0 | 0 |
高野麻里佳 | 3 | 0 | 0 | 0 |
5作品以上の出演がある方は14名。
前期で主演役があった女性声優でも今期は役ゼロということは珍しくない。
可愛かったり格好良かったりで次回の活躍が楽しみな人がいろいろいたのに…。
https://news.yahoo.co.jp/articles/167538a475d9993892729eac4375467d81508062
一応卒業生だ。約10年前に卒業した。当時は体育会に入っていた。アメフトみたいな洒落たやつじゃなくて、もっと古風なやつだ。
さてタイトルだが、そんなはずがないだろう。こういうのは大学生に限った問題じゃない。ほぼ若者に限った問題だ。
若いうちは愚かだ。自分でもわけがわからないくらいにテンションが上がって、相当馬鹿なことをやらかしてしまう。
特に、シモに関してはそうだ。いろいろと欲求不満な年齢なだけに、性的暴行に走る人間もいるだろう。
ところで、私も彼ら犯罪者4人と同じくスポーツ推薦で入学した。少し、当時のことを思い出してみるに……
体育会のほとんどの部において、彼らと同じようなことをする者が最低一人はいた。
・同じ部の新1回生の家に押しかけて長居し、帰る頃に性交渉に及ぶ(行為中の写真を撮って部員に自慢する)
・個室のある居酒屋で新歓・追い出し・祝勝その他の飲み会をする際、メンバーによっては性的な行為が行われる
※2009年の京都教育大学の事件が懐かしい。当時京都の高校生だった自分は汚い物を見るような視線を向けた。今思えば、あの時は純粋だった。幽遊白書の仙水みたいに、この世には正義と悪があるのだと信じていた。
・他大学の女子であれば証拠が残りにくいと考えるのか、合コンになると途端に狂暴になる。後先構わず打ちまくるイメージ。店を出た後で「二次会に行こう」と腕や手を掴んで引っ張るのは基本だった。
元になっている価値観が原因だと感じる。
思えば、体育会の後輩は奴隷のように扱われていた。私のところだと、後輩は先輩の投げ込みに何百本でも付き合う必要があった。どれだけ痛くとも。それで、その彼が先輩になる頃には同じことを繰り返すのだ。
そういう鬱憤が溜まると、精神的に一定の域に達していない者は、「条件さえ揃えば誰かを好き放題してもよい」という価値観をもつようになる。精神的にレベルの高い者は「こういう文化は自分の代で終わりにせねば」と社会の未来を考えた意見をもつようになる。
自分も、強姦といってしまってもいいのか、そういう事案に巻き込まれたことはある。3回生の時だった。
ニュースの4人と同じく、中京区(東京で例えると新宿+池袋みたいな感じか。飲み屋街の近くに百貨店などが並んでいる)の個室居酒屋で合コンがあったのだが、お持ち帰り交渉に成功しかけた柔道部の後輩がいて、彼の住んでいる三条通りのマンションに男3人と女2人が入ることになった。
そいつは普段は大人しいのだが、酒が入ると異性に積極的になるタイプだった。ほろ酔いだった私も家にお邪魔させてもらって、三次会を楽しんだ。
日が変わった頃、私がトイレから出てくると、男女1組が【そういうこと】になっていて、残りの2人がそれを見ていた。性行為の一番初めが終わって、上の服を脱がせている場面だった。
私は立っていたから、たまたまその女子が嫌な表情を垣間見せたのを見ていた。どうやって止めたかは覚えてないが、「やめとけ、嫌がってる」とか言ったかな。
それで、後輩の方は急にしおらしくなって「、ごめんね」と女の子に告げた。酒が抜け始めていたのか、それともいったん理性が強くなったのかは分からないが、言うことを聞いてくれた。
でも、もし後輩でなくて4回生とかだったら。私は止めるために声をかけただろうか。かけなかったんじゃないか。今となってはわからないが。
かなり前の増田で、自分と同年代と思しき社会人が日記を上げていた。「俺の通ってる大学に入りたかったんか」と勘ぐった思い出がある。
https://anond.hatelabo.jp/20210301212331
後半の方に、社会に生きる人間としてよくない行為をする大学生が簡単に紹介される。こういうのを見ると、冒頭の話に戻るが、性的暴行に限らず、若い人間は愚かなことをするのだというのがしみじみとわかる。
あの4人は氷山の一角に過ぎない。若い人間というのは、京都府内だったら京大だろうと、京都府立医科大学だろうと、同志社だろうと立命館だろうと、それ以外のどんな大学でもそうだし、専門学生でもそうだし、フリーターや派遣労働者やニートでもそうだ。彼らは『愚か』という点では全く一緒の存在だ。
ただまあ、あの連中に限らずスポーツ推薦(特にセレクション入試)で入学している場合は、中学高校時代にスポーツの世界で活躍してきた人ばかりになる。ちょっとばかし全能感に駆られることが多い。それで物騒な行為に及んでしまうのだ。中途半端で、間違った方向の自信が他者を蹂躙することになる。
思ったより長文になってしまった。取り留めのない内容ですまない。
媒体が誰でも無料で読めるWEB漫画ということで良くも悪くも言及される機会が多く、作者さんをフォロー等してなくてもフォロワーさんのいいねやRTでTLに回って来て読んだことがある人が多いのではないかな。
以前までは特にジェンダー問題に関心が高い人の間で評判の良い作品といった立ち位置だったけど、俗称・山賊回(初対面の人の家に泊まりに行って、家主が寝ている間に食材を根こそぎ漁って、自分達だけ食事を作って食べたモラルハザード回)を皮切りに趨勢が入れ替わり、批判が増えて、遂に「つくたべ批判いいね罪」なる声に出して読みたい日本語まで爆誕したネタ漫画に…。
個人的に作者が描こうとしているテーマと描いている内容に齟齬があるというか、食い合わせの悪さを感じる作品だと前々から思っていたので、山賊回は論外としても、批判が起こるのもまあわかるんだよな。
LGBTQの恋愛というニッチ要素を商業作品として色んな人に読んで貰う為に、“食”という誰しもに身近で流行りでもあるテーマと融合させたんだろうけど、この2つのテーマの接続の仕方が、何とも雑で。
LGBTQ+食を題材にした商業作品というと「きのう何食べた?」が有名だけど、こっちは融合のさせ方にも全く違和感ないし、作中での“食”に対する言及の仕方などから作者の並々ならぬ“食”へ拘りの強さや熱量が垣間見えるので、LGBTQ当事者じゃなくてもグルメ漫画として面白く読めると思う。(だからこそBL畑のよしながふみにとってのアウェイである青年誌・モーニングでの連載ながら売れて、実写ドラマ&映画化までしたんだと思うし。)
他方、つくたべの作者さんは“食”にそこまで拘りがない人なのでは?っていうのは読んでて誰しもが感じる点なんじゃなかろうか。
一点例を挙げると、9/10現在の最新話であるバレンタイン回では、春日さんはバレンタインの催事に出掛けるも「ここはシスジェンダーの人達のための場所で私のようなレズビアンは存在を消されてしまう」と被害妄想を募らせ、野本さんは春日さんにプレゼントする為のチョコレートのパウンドケーキを6個試作する。
昨今バレンタインの催事は「チョコ好きガチ勢にとってのコミケ」状態となっており、一年でここでしか食べられない珍しくて美味いチョコを買う為の真剣勝負の場となっている為、女性相手のチョコを買いに来た女性が爪弾きにされる空気などない。(女性同士で贈り合う友チョコなどは昔からごく普通に行われている。)
野本さんサイドの方も、お菓子を手作りしたことがある人ならば全員が知っていると思うが、製菓用の材料というものは押し並べて割といいお値段がするし、本命用のチョコレート菓子を作る場合に用いるに相応しい種類のクーベルチュールチョコレートは結構高価である。
作者は6個も試作品を作るほど真剣な乙女心!を書いたつもりなのだろうが、非正規で低収入という設定の野本さんが練習用に濫用出来るほど安くはないはずだ。
試作品には普通の板チョコを使ったというならそれもおかしな話になる。本命用の、試作品を何個も作るようなチョコレートケーキを作るのにスーパーなどで売っている普通の板チョコを使う人がいないとは言わないが…。
作者はバレンタインの催事に興味がないのかな?、お菓子を作ったりしない人なんだろうな、と思わずにはいられない描写である。
つくたべという漫画ではこのように作者の“食”に対する興味のなさが随所に滲むので、“食に”興味が強い人ほど違和感を覚える仕様となっている。
まあ商業作家がご飯を食べて行く為に好きでもなければ興味もないジャンルの作品を描くのは珍しいことでも悪いことでもないし、それで成功するケースも往々にしてあるので(「キャプテン翼」なんかはその最たる例だろう。最近では「SPY×FAMILY」の作者が同様のコメントをして物議を醸したが)それ自体は別にどうでもいいんだけど、ここにつくたべの主人公の一人である「食べたい女」こと春日さんのキャラ設定を加えると、違和感が首をもたげる人が多くいるのは無理からぬことではないのかと個人的には思う。
春日さんは化粧っ気のない背が高くかなり太っている非常に大柄な女性で、齢30歳弱にして米の食べ過ぎで膵臓を悪くしている(と作中で本人が自己申告している。
彼女は幼少の頃に父親や弟と食事の量などで差を付けられていたトラウマから、実家を出て一人暮らしをしている現在では好きなものを好きなだけ食べるフードファイターもかくやの大食いとなった。
そんな春日さんと、料理が好きでご飯を沢山作りたいけど小食で食べ切れないから作りたいのに作れないという葛藤を抱えていたもう一人の主人公である「作りたい女」こと野本さんが出会う。
「食べたい」と「作りたい」の利害が一致した二人の女性同士の付き合いが始まって…というのがつくたべの導入であり骨子なのだが、やはり膵臓がやられていると申告している人に、本人が食べたいと言っているからといっても、大盛りの飯を好きなだけ食わせるのは虐待に等しいように読者の目からは見えてしまう。
そもそも大食いになったキッカケも男尊女卑な家柄でストレスを抱えた生活をしていたことから来る心因性のものなので、それは自傷行為に等しいのでは?とも思うし。
まあ二人はただの隣人同士であり、野本さんに春日さんの健康を管理してあげる義理はなく、「健康に悪いからもっと野菜を食べなきゃダメだよ!」などと口を酸っぱくして言い聞かせるような間柄でもない。
しかしそうは言っても、作中で野本さんは春日さんへの恋愛感情を自覚しているので、「野本さんは仮にも年上なのに、好きな相手の健康が気にならないの?」というのはごく自然に発生して来る疑問であるように思う。
心因性の大食いで既にブクブクと太り膵臓も悪くしているけどそれでも食べたい(まさに自傷行為、セルフネグレクトとも言える)女と、炭水化物と脂質ドカ盛りの料理を作って食べさせたい女。
この二人を読者が微笑ましく見守るにはあまりにもノイズが大き過ぎやしないだろうか。
春日さんのキャラ造形をBLのスーパー攻め様の女版的なバリキャリの美人OLみたいにはせず(※作者さんはもともとBLを描いていた漫画家さんだった)化粧っ気のない太った非正規のエッセンシャルワーカー女性にした理由も、作者さんが「女性差別・家父長」や「ボディポジティブ」や「脱コルセット」的なポリコレ要素を取り入れたいと思ったからだと推察するのだが、春日さんの大食いが心因性のものであるならば、それはボディポジティブなのか?となって来るわけで、そこにもテーマ同士の食い合わせの悪さを感じずにはいられないのだった。
巷ではつくたべを批判する人は差別主義者だと言われているようだけど、以上のことから、つくたべに対する批判が起こるのはごく自然的なことであり、作者の思想のせいではないと思うんだよな。
作者が描こうとしている、描きたいと思っているものは何となく分かるのだけど、そこに漫画家としての技量や扱うテーマに関する知識が追い付いてないというか。
もっと設定をシンプルにして、二人の女が笑いながら美味しくご飯を食べるだけの話でも良かったのでは?と思う。
ポリコレ要素を足したいのならもっと入念に取材をすべきだし、その上で物語に馴染むかどうかを吟味して、商業作品として良い物を世に送り出そうと思うのならば、足し算だけじゃなく引き算も行った方がいいのでは?と一漫画読みの立場から具申させていただきたい。
補足。マイノリティが活躍する作品の否定は差別だというコメントがあるけど、そういった作品の中にも当然だけどピンキリがあると思うんだよね。
例えば最近評判が良かった作品というとNetflixのハートストッパーなんかがあるけど、私もあれはすごく良い作品だと思ったし。
補足2。フェミが評価してる作品だから重箱の隅をつついてるんだというコメントがあるけど、上と同様フェミニズム作品の中にもピンキリry
意見が少しでも自分と異なると罵詈雑言はいた挙句、「無能」、「クズ」などの毒を吐く。吐いてる内容は正論なのかもしれんが、それに紛れる悪意がノイズになってほとんどの人間には相手にされてない。
俺はこいつとはフォローフォロワーではないし、ましてやいいねやリプやRTなどしたこともない。ただ、遠くから眺めてると珍獣を見てるようで面白い。いうなればsyamuと同じカテゴリの消費財だ。
先日もこいつがとある件で暴れ回ってた。発端は別のツイッタラーの発言だ。それが気に食わなかったようでお約束の罵詈雑言をちりばめた反論引用RTを連投していた。
まあ相手は大体無視するんだけど、今回はこの発言者がキチにたいして「そんな態度のやつとは会話しない。きえろ」と返しブロックした。まあ一連の流れを見てると彼がそう言いたくなるのもわかる。
ここからキチムーブがエスカレートした。なんとブロックをされながらも別アカで発言者のツイのリンクを取得して本垢で引用RTするという粘着してきたのだ。
こまった発言者はとりあえず自分の関連ツイをすべて消して、これ以上引用RTは控えてくれないかというお願いまでしてたが、将来の粘着を恐れたのか発言者はアカウントに鍵をかけてしまった。キチの完全勝利だ。
勝利したキチだがこの件で彼をブロックした人間は少なくないだろう。キチの年齢は知らないが、発言の節々から30代後半あたりだと思う。結婚はしてないし恋人もいないだろう。童貞の臭いすらする。
キチの行為を増長させてる一因は数少ない友人たちの擁護だ。例えば、キチムーブされた側がやりかえすと、「キチにそういう態度取るのやめなよー」と他者に促したりキチに混じって反論してきたりする。
じゃあこいつらもやばい奴らかと言うと他の発言を見る限りそういうわけでもない。むしろ既婚者であることや子持ちであることすら窺える。つまり現実世界でも居場所がある人たちなのだ。
俺はここに一種のグロテスクを感じずにはいられない。友人たちはキチの行為を増長させ、ますます他者理解の機会を奪っていく、「あなたはそのままで良いのだよ」という優しい言葉をなげかけながら。自分は正常な立場を確保しつつ友人に珍獣であり続けろと言うのだ。
ただ、今回のキチムーブに若干うんざりしてる友人たちの態度も垣間見れた。このまま離れてしまうのだろうか。まあ、友人たちが見捨てても俺は最後まで観察し続けてやるからな。
2011年に早稲田大学に入学後、アニメ好きだった自分は即アニ研(アニメーション研究会)に入部したんだが、部室のド真ん中に堂々と鎮座していた大画面TVが古今東西の様々なアニメを無限に映し続ける(垂れ流し続けている)姿はあの当時のアニ研の一種の風物詩だったと思う。当時最先端のアニメだったまどマギやアイドルマスター(無印)もバッチリ押さえて部内TVで映されていたんだが、最新のアニメのみならず80~90年代とかの古いアニメもほぼ全て網羅されていたようで、一体これだけの量のアニメをどうやって確保したのかと部の先輩に聞くと「基本的にはリアルタイム放映されてるアニメはこれまで部としてほぼ全て録画してデータとして保存してきたが、古いアニメに関してはWinny、Share、PerfectDarkで集めてきた」と。
大学入学したての18歳ピュアだった当時の自分としては部の憧れの先輩方が「Winnyその他の違法なファイル共有ソフトでアニメを集めていた」という事実に結構強い衝撃を受けた。
そのことについて直接先輩方に「先輩方は著作権法を堂々と犯していることに疑問や罪の意識を抱いていないのか」と問うことこそしなかったものの、その事実に非常にガックリきたし、何か「オトナの社会の汚い面」を人生で初めて垣間見させられたような気がした体験であった。
また、その古今東西のほぼ全てのアニメが集められていた部所有の高性能PC(と外付けHDDの数々)には、アニメのみならず膨大な数の漫画やゲーム、果ては割れPhotoshopなどが堂々と保存されており、「これもし警察にタレ込んだら結構大変なことになるんじゃないか」とも思ったものだった。
あの感じでは、アニ研のみならず漫研でも違法収集された漫画データの山とか部内PCに保存されてたんじゃないかと思う。直接行って確認したわけではないが。
アニ研には結局卒業までずっといたし、毎年のコミケに参加したりと、非常に楽しい思い出が数多く存在する場所だったが、それと同時に「著作権法違反者の巣窟としてのアニ研」という負の側面をもまた私はずっと忘れないだろうと思う。
ブルアカの今イベが、なろう系によって滅びたはずの青春と精神的な成長を描いた物語りで老害としてはテンションがあがった。ざっくりいえば、中二病から高二病に移った少女が、中二病も高二病も同じだと気づく話である。
そういう大人に近づくこと。少し言い換えると、自分本位さに気づいて他人を受入れられるようになること。冗談と侮辱との違いを感じとれること。自分を信じてくれる仲間とそうではない人たちがいることに気づくこと。分別がつく、ということだけど、実際それはまだらで、一人の中に分別のつかない子供っぽい一面があれば、分別のついた大人っぽい一面もある。そんなところが今イベの物語りには詰め込まれていた。
まあ、こういう大人になる物語りは旧世代の王道ではある。でも、ある事柄だと自分は分別が付いていないという性格の欠点に気づき、それで分別がつくようになるというのは、他人の人生を垣間見れるという面白さと同時に欠点を突きつけられる苦痛がある。苦みのある面白さは、なろう系の性格を全肯定することで苦痛を排して、自己を承認される快楽を楽しめる物語りによって滅ぼされたのだと思っていた。海の向こうだから生き残っていたのか、それとも過去の王道を目指しているのかはちょっと分からないところである。