はてなキーワード: 創作物とは
生成AIに関して著作権非親告罪化をすると、絵師に対してAI疑惑をふっかけることによる魔女裁判が始まるってのも大概の飛躍理論だけど、それが心配なら生成AIの出力結果(一部を含む)のネット発信を法人限定のホワイトリスト形式にすれば解決するんじゃね?と思った。
まぁ、個人のクリエイターが創作物を発信する際にAI生成物をわずかでも含んでいたらアウトになるって弊害もあるけど、今現在、プロとして活躍している人達が逃げ切れる間だけAIを規制できれば、クリエイター特権は守られることになるんだからいいんじゃないの?次世代は次世代で勝手にどうにか生き延びてもらいましょ。
どの道、人権意識が青天井で高まっていけば、性的搾取が価値の中核である日本のクリエイティブ産業なんか最終的には壊滅するのは確定しているので、それまでの10年か20年をどうにかこうにか逃げ切れればいいじゃんね。
魔法少女にあこがれて一挙配信を観たが、弱みを握るのがうまく描かれていてかなり打算的だなと思った。
自分は、作者の悪意に気付く事や作者の打算を上回る事ができていないのでは?という事に危機感を感じた。この程度の話が理解できないと、自分は何か騙されてしまう事があるんじゃないか?と疑心暗鬼になった。
お色気漫画とかエロ漫画もそうだけど鼻の下を伸ばして作品を自分は観てていいのだろうか?と思ってしまった。作者が引っ掻き回してる(悪意ある)のに自分は釣られてていいのだろうか?と。お色気なシーンで感情移入したように欲情してていいんだろうか?と。それに欲情して自慰をしてたらある意味自分が作者に負けた事になってないか?と時たま思う。(エロ以外なら例えば感動物の作品も涙を流したら作者に負けた感じがする。)
あと、自分が知らない読み方や知らない意味の漢字単語や言い回しがセリフにちょくちょく出てきて自分の基礎学力が心配になった。
ちなみに、バカがアニメを見ると付いていけなくなって辛いという日記を以前に書いたが、読解とかの素質が無いのに自分が創作物を見てていいんだろうか?と思う。
Twitter(現X)上で「ひよこババア」なる語がトレンド入りした。この語は「DLsite」において従来の「ロリババア」という語句がクレジットカード会社の要請にこたえる形で置き換えられるために用意された造語である。なお、あくまでDLsite側は置き換えを予定するものとしている(3月27日時点)。
さて、昨今インターネット上でアダルトコンテンツを中心にこういったある種の表現規制が散見される。このような規制の多くはクレジットカード会社からの要請、依頼に起因する。そのためTwitter上ではクレジットカード会社を非難しDLsiteを肯定するツイートが支持を集め、新たに改変された語句をネタとして消化するツイートが多く投稿された。しかし、私は以下の三つの可能性からこの改変は悪手であると考える。
今回の改変は「ロリババア」だけでなく、「ロリ」、「獣姦」、「痴漢」などの語句が改変予定が告知された。これらの語句はそれぞれ、「ひよこ」、「動物なかよし」、「秘密さわさわ」という語へ置き換えられる予定だ。
改変前の語が日常会話等において不適切なものであるということを前提として、これらの語が信用に重きを置くクレジットカード会社が避けたい語であるというロジックについて賛同こそできないが理解できる。問題はDLsiteが用意した改変予定の語にある。
おおよそ不穏当な言葉である改変前の語がマイルドな表現に改変されることは一時的な規制の回避にしかならない。そもそも、「ロリ」や「痴漢」という語をクレジットカード会社が拒絶するのはその語が気に食わないからではない。その語が意味するものを忌避しているからである。つまり、架空の児童を扱った創作物や動物虐待の可能性がある創作物、性的加害を扱った創作物の購入にクレジットカードを使用されることが彼らのリスクであるということだ。そのため、「ロリ」を「ひよこ」などと置き換えることは根本的な解決にはならない。おそらく、改変された語が定着するころにはその新たな語を規制するだろう。
さらに、この効果の薄い対策によって「本来アダルトコンテンツにアクセスすることを望まない人物」がアダルトコンテンツを目に入れるリスクを高めることとなる。従来の語はそれそのものがゾーニングの効果を発揮していた。「ロリ獣姦」と表示されていれば閲覧することのなかった人物が「ひよこの動物なかよし」では閲覧する可能性が高くなる。昨今の表現規制や表現の自由に関係する問題で度々提起されるゾーニングの問題を余計に悪化させることは創作活動を委縮させる一因となりうると考えられる。
『ざぁ~こ♡ 超ひどい閉じ込め合意なし』という題の作品、あるいはDLsiteのジャンル欄で列挙されるこれらの分かりづらい語が従来の言葉より購買の機会、あるいは意欲を減衰させる可能性は高い。
今回の事例を分かりやすくするために、人間の別の欲求である食の分野でこのようなことが起きたと仮定する。
「愛の林檎液体麦ゆで麺」とか「肥満骨引き延ばし麺」を「トマトソースパスタ」、「豚骨ラーメン」と認識できないことは間違いなくストレスであるし、アレルギー表示が「豆の種」、「救荒穀物」、「昆虫ねばねば」などと表記するようになれば間違いなく購買を避けるだろう。これと同じことがアダルトコンテンツで起きるようになることへの影響は大きいといえる。
この文章の題を「ひよこババアはロリババアではない」としたのはこれが理由である。「ロリババア」という語が不適切な語であるという議論は何度か起きてきた。ロリもババアも一般的に「良い語句」ではない(この場合の「良い」とは社会性やTPOといった面での良いであり、言葉に優劣をつけるものではない)。しかし、度々議論を起こしながらも「ロリババア」という語がつかわれ続けるのは広く大衆に知られた語であるためだ。そして、「ロリババア」という語と共に尊大で神々しく母性すら感じる精神性と未熟な体形からくる親しみやすくどこか幼い印象という質感が普及した。この質感の高まりは近年間違いなく最高潮に達している。数々の創作物で題材とされ、数多くの媒体を通して私たちは「ロリババア」を享受してきた。「〇〇じゃ」、「〇〇なのじゃ」といった文字列を目にした時に老人ではなくロリババアの声が再生される人も少なくないはずだ。DLsiteにおいて「ロリババア」は公式ジャンルの一つとなったことも記憶に新しい。
現実世界において「ロリもババアもいるのにロリババアはいない」しかし、「ロリババア」は創作物の中には確かに存在する概念なのだ。この概念は私たち人類が生み出して今日まで育んできた大切な概念なのだ。そのため「ロリババア」という語句の中には私たち一人一人が出会ってきた「ロリババア」が存在している。だからこそDLsiteをはじめ創作物と出会う場所で「ロリババア」という語句を見つけるたびに過去の体験の延長線上にある「ロリババア」を想起するのだ。この大切な「ロリババア」という言葉が「ひよこババア」に変わることは「ロリババア」という概念を消してしまいかねない。「ロリババア」が「ひよこババア」に変わることで今まで愛好家が一から築き上げた「ロリババア」像は崩壊し再構築される。その中で零落する概念が出てくることもあるだろう。そんな中で新たに登場した「ひよこババア」は今まで親しんできた「ロリババア」なのだろうか?
魅力的なキャラクターと出会い、それが「ロリババア」という言葉で言い表せる概念であると知って他の「ロリババア」を探す。そんな経験を積み重ねてきた私はこの愛着ある「ロリババア」を失いたくない。
冒頭で私は現在「X」と呼ばれるSNSを「Twitter」と記述し、そこで行われる投稿を「ポスト」ではなく「ツイート」としました。もし、これを読まれた方が「Twitter」から「X」への変遷を経験し、「ふぁぼ」が「いいね」に変わったという体験をしたのであれば分かっていただけるかもしれませんが、それぞれ改変前後でその概念に抱いていた感情や思考は異なるものであると私は考えます。かつて、歌に詠む「花」といえば「桜」ではなく「梅」を指していた時代がこの国には存在します。どちらも春に咲く花ですが、開花の時期も見た目も香りも違う全く別のものです。同じ字、同じ読みでも意味が変わることがあるのです。私は「ロリババア」は「ひよこババア」という呼称に変わることで、今まで「ロリババア」という言葉に内包されていた言語化しきれない美しい概念が失われて、いつの日にか私の愛した「ロリババア」が全く別のものになってしまうことを恐れています。そのため、このような文章を書きしたためました。
以上でこの文章は終わりです。ここまで至らない文章にお付き合いいただきありがとうございました。
このような内容を投稿すれば必ず「代案を述べよ」という意見が来ると思っていたながら、その点について触れなかったことを謝罪します。
そして、代案についてですが、そもそもこのような問題はDLsiteに限った話ではなく世界規模で起きている問題です。このような大きな問題にDLsiteやFANZAのような一企業が抵抗することが現実的でないのは火を見るよりも明らかです。Twitter上で見かけるクレジットカード決済を停止することや、そのままの名前を使うことが不可能であることは理解しています。また、規制を強めているクレジットカード会社にも罪はないと考えます。というのも企業がリスクを回避するのは当然のことであるためです。そのため、クレジットカード会社を攻撃することも間違いであると考えます。
そのうえで、代案はこの問題の背景にある「現実の性加害=創作物内での性加害」という構造を打破する以外に対策は無いと思います。
「つるぺたババア」に改定案が変更されたそうです。とはいえ、「ひよこババア」でも「つるぺたババア」でも「ロリババア」とは異なるものであるし、懸念点を解消するものではないと考えます。
私はしないかな、する時は皮肉やパロディ目的で架空の主張かもう歴史の中のものだと思う。
以下は私がそんなにしない理由です。
そういうことがしたいと思う他の人は勝手にしたらいいと思います。
別に政治的な表現が含まれるだけで嫌いになるわけでもないですし、
あったら意識高さが伝わって来て嬉しいとかもないです。
ちょっと気を付けとこ。」と思うじゃないですか。感覚としてはそれ。
もちろん思想の内容面では全く異なり、もっと人道的なものだと思います。
さて多くの場合、オリジナルに比べて二次創作のキャラクターの方が知名度があります。
思想を持ってる人にキャラクターやコンテンツの素晴らしさが伝われば素敵ですよね。
しかし、寄ってくるのがいい人もしくは同調してくれる人だけとも限りません。
政治運動に限らず二次創作でも、解釈違いの奴や意図を汲み取らない奴、
最後まで見ない読まないって奴どこにも絶対いるじゃないですか。
キャラも公式も悪くないし、社会派オタクくんもそんなことは望んでないだろうに。
例えば古風なキャラを先進的な思想の持ち主に改変してあるファンアートを見て、
「このキャラって、保守的で封建的で考えが古くて、時代錯誤なところが魅力
だったのに、なんか現代的な価値観に染まっちゃったんだ。なんか残念だな。」
と思われることもあるかもしれません。意図的にそういう改変してるならともかく。
ぶっちゃけ私自身も、雑な社会運動してる二次創作でイメージが悪くなったキャラや作品もあります。
残念ながらインターネットに一度アップした以上、悪意があろうとなかろうと、
二次創作の作者の手を離れて拡散・無断転載・意図せぬ解釈などされてしまうことがあります。
自分の知らないところで、自分の二次創作が他人を喜ばせたり不快にしているって、
そういった不幸なすれ違いを防ぎ、自分の管理下に置ける、法的にも問題がない
と言う意味ではキャラクターを使うよりもオリジナルの方が少しは安全なのかな、と思います。
そもそも公式の温情で二次創作という犯罪行為をお目溢ししてもらってる立場なので、
実社会との接点を持つような創作物は扱いが難しいのかな、と個人的には思います。
揉めた時に間に企業が入って対応してくれるのも個人の匿名性が守られて安心だから、
やっぱり公式に任せるかなぁ。
昔、エロBL同人に「実体験に基づいた描写です」って書いてあるのに近しいもの
を感じます。エロ漫画の作者の顔を知りたくないとか、絵師は自我出すな、
みたいな気持ちとも近いかもしれません。私は知ってても抜くが…。
せっかくのお休みなのに仕事の話をずっとされるような感じとも言えます。
個人的な体験で恐縮ですが、数年前に虚構と現実の区別がついてない人間に
「私はメンヘラロリコンのレズだ」と思い込まれ、あたかも私がそのオタクを性的な目で
見ているかのように振る舞われたり、粘着されたりするという不快な出来事があり、
無事トラウマになりました。虚構も現実で創作活動を行なった結果なので、
完全な虚構としての創作物というものは存在しないのかもしれない。
だから狂ったように女体化ロリ同性愛二次創作などを描く私を、彼女はロリコンのレズだと思い込んだのかもしれない。
それは勘違いさせてごめん。それはそうとして顔も知らん会ったことのない人間と
あと、LGBTに理解があることと趣味で腐女子やってることを混同する奴いるよな。
あれ嫌い。愛知県出身って言ったら勝手に名古屋出身だと勘違いされるみたいな…。
なぜか私個人の身の回りの離婚率が異様に高く、友達も知ってる限りで片親や毒親の方が
過程環境に問題のないご家庭と比べて、比率が高い状況です。未婚率も高い。
私自身も片親です。結婚をすることによって税金年金の免除などの多少のメリットがあるにせよ、
親戚付き合いや介護など、結婚することによって生じるデメリットが大きいのでは?
と思っています。どうせ配偶者は所詮他人なんだし、死ぬ時は一人なんだからその過程はどっちでもいいかな。
このように終わった結婚観なので、結婚が実現した後二人はどのような幸せな生活を送るのでしょうか?
現実の話でもフィクションの話でもいいけど、オタクくんがどういう社会を築きたくて
なんで?なんのために?気まずくない?
品定めや口出しされるのも腹立つし。
現ジャンルは、アイドルゲームなのになぜか政治軍隊革命君主その他犯罪行為に
かかわるキャラクターで構成されており、今はお腹いっぱいだから。
私は二次創作に啓蒙的な役割を求めてないので、現実性や政治的なメッセージを
過度に入れ込むことはないのかな、と思います。デメリットもでかいし。そういう
実用的な知識や問題提起はオタクくんの描いた創作物楽しませてもらってからゆっくりしていい?
とりあえず今回は活動的で声の大きい方々が暴れて悪目立ちしただけだと思っている。
もちろん主張し続けること自体は大切なことだと思うのですが、私はやらないかな。
観察:
推測:
というのも、ハリウッド映画などを見ていると、叫んだり息を呑んだりするのだ。「見ていられない」シーンや、痛ましい負傷をするようなシーンで。
多分、母はブレードランナーやインセプションを見ても、訳が分からないだろう。ロイの感情や入れ子の舞台を読み解けるようには思えない。
カスみたいな筋書きの実写ドラマでキャイキャイやってる層というのは、テレビのそれが廃れないのを見ると、かなり厚いのだろう。
そんな時間などない、と考えられる皆々様方も多いのではないかと思う。
しかしながら、これは決して一日一本新しい映画を見ろということではない。
一度観た映画でも構わないから帰ったらとりあえず音楽代わりに映画でも流しておけ、というものである。音量は大きめならなお良い。
別に音楽だって学びはあるし、有名な投資家は一日一冊本を読むとも言うし、別に映画である必要はないのでは?
私は今『セッション』という映画を流しながらこの文章を書いているのだが、AIで簡単に出力されそうな顔をしたハゲがカマホモっぽい主人公を口汚く罵っている。
我が家には激安のプロジェクターがあり、それで映画をクソ狭い自称マンションのカスアパートの一室の薄汚れた壁一面に映し出している。推定80インチ。
みんなは顔面の全長が力士の肩幅ぐらいある巨大なハゲから精神崩壊レベルの罵倒を喰らったことある?多分ないだろう。
この映画を流すのはもう3回目なのだが、未だに罵倒のシーンは胸がキュッとなる。かわいそう。
別にちっこいテレビで流したって構わないのだ。出先の時は自分もそうするし。
元々読書の習慣はあったのだが、ふと思い立って違うジャンルの創作物を見る習慣をつけてみようかと思ったのがきっかけである。
その中でも映画が特に調子が良い気がする。たぶんだが、大事なのは感情が籠った言葉が常にある程度耳に入ってくる状況なのではないかと考えている。
でもよくよく考えてみたらさ、映画って本というか活字の要素入ってくるよね。字幕とかだと特に。
本は好きだし、必ずしも上位互換だと言いたくない気持ちは全然あるんだけど、実際映像って結構なジャンルが兼ねられてて娯楽として効率的な感じがする。
ちなみに今主人公がドラムを拳で突き破った。とってもいたそう。
このさ、なんというか作業の合間にちょっとだけ目を向けて映画を見る時だけに生じる快楽ってあるよね。微笑んじゃうやつ。
ハゲとユダヤ人がうるさくて集中できなくなってきたからそろそろ書くのやめるね。
数ある娯楽の中でもなんかコスパいい感じするし。
『セッション』みんな見ようね!
画像生成AIの著作権問題、文化庁議論で争点はっきり(https://ascii.jp/elem/000/004/188/4188529/)
興味深かったのが、東京大学の田村善之教授は、生成AIの登場で、著作権の保護範囲を拡大するべきではないと述べられた点です。「高品質の創作物の出現を、プロのクリエイターなどの少数の卓越した者に大きく依存した創作の文化から、アマのクリエイターなどの多数の者が高品質の創作物を作出しうる以上、従来以上に保護範囲を拡げて、創作者にインセンティブを付与する必要はないのではないか」と話しました。「少なくとも保護範囲は従前のままとしておいたほうが、AIを活用した新たな創作が促され、著作権法の究極の目的であるはずの文化の発展に資するのではないか」としました。現在は過渡期でもあり、将来的にはほとんどの創作者がAIを活用する時代の到来が見込まれるため、それを見越した法制度の設計の必要性も述べられていました。
パブコメに対する文化庁の返答で、非常に重要に感じた文言があります。「本考え方では、新たな著作物などのコンテンツを創作する活動を行うものとして、クリエイターの用語を用いています」という表現です。生成AIを利用していようがいまいが、著作権上はクリエイターとして区別をしていないという姿勢が感じ取れるところがあります。
ああいうので「男性の声か女性の声か無意識に決めつけるのはやめましょう」っていうの、創作に対する営業妨害だと思うんだよね。
ようはみんなにそういう意識根付かせて言葉の用い方に対する偏見を一切持たなくさせたら「役割語」が技術として効力を失い、創作のスムーズな消費のさまたげになる。
役割語というと「何の単語を用いるか」みたいなごく狭いレベルで考えがちかもしれないけど、「単語をどのように用いるか」というのも役割語の一種だろう。
たとえばいくら「俺」が男性的な一人称だとしても、主語省略可能な部分でも「俺」をぶっこんだら、これはネナベしてる女に見える。
かりに創作でネナベ女を登場させたい場合、これを応用すればセリフだけでネナベ女だと読者に推測させられるのだが、そういう文脈も一切否定するのは、どうなのかなと。
参考
どう読んでもそうならないと思います
このメッセージは、精神疾患を持つ姉がいると自称し、さらに殺人を仄めかしている投稿に対する批判的なコメントのようです。コメントは、そのような重大な主題について軽率に創作することの危険性を指摘しており、実際の犯罪事件を引き合いに出して、創作物が現実の悲劇を軽視しないよう警告しています。また、「子は親の鏡」ということわざを引用し、犯罪者を生み出す家庭環境についての社会的な見方を述べているようです。このコメントは、創作において現実を反映させる重要性と、その影響を考慮することの大切さを訴えていると解釈できます。
ゴラクやビックコミックの劇画とも違う。あれらの劇画にもない臭さ時代遅れ感が画風ににじんでるのがあの手の女性漫画。
今じゃ80過ぎでも最新の美少女デザインのガワで受肉する時代なんだから、あんな漫画読んでるのってよっぽど保守も保守な人なんだろ。
年をとればああいう漫画が好きになる、ってのも多分間違った三段論法?から来た思い込みだと思う。
・子供はアンパンマンのような情報量の少ない絵が好きだったのがジャンプを読むようになる。
・若者が演歌好きじゃなくても年取ると演歌が好きになるという流れがある。
この事実の悪魔合体的推論が、年齢に比例していずれはあんな女性漫画を好むようになるという推論だ。
しかしまあ、漫画に限っていうなら当時流行った絵柄を好むようになるってだけの話じゃないのかね。
今の年寄りは昔から、今から見れば年寄り臭い漫画を読んでたというだけでしょ。
「わし」が年寄り専用の言葉よりは単にその一人称が主流だった世代専用語というべきなように。
俺は生きれたとしたら90歳になってもきらら読んでると思うし。
なんといってもああいう漫画読むやつって自分が醜い精神容姿になったのを自覚したうえで、自分より優れたやつを見ると嫉妬で耐えられなくて、自分と同等以下の人や物で周囲を固めたいって発想から、同じように醜いものを扱った漫画を好むってことなのが、受け付けない。