はてなキーワード: 創作物とは
概要:
というかじゃあ君らはChatGPTとか使わないということでいいの?
本文:
前提として,反AI絵師は「自分の著作物を生成AIの学習には使うな」という主張をしているように見受けられて,それ自体は別にいいんだけども他の著作物に対して目端が効いていないように思える,という認識がある.
そもそも人間が生成した全ての創作物には著作権が生じるもので,この観点からは絵も音楽も文章も等しく尊重されてしかるべき.
なんだけども反AI絵師は絵だけを過剰に特権化しているように思える.
この文脈での「反AI」のAIは,ほぼ「生成AI」とイコールという認識なんだが,となると文書生成に対しても反対しなければ筋が通らない.
なのだけれども,ChatGPTに代表されるテキスト生成やGithub Copilotに代表されるソースコード生成(提案)に対しては何も言っていない.
Whataboutismじゃねえか,と言われるかもしれないが,生成AIの代表であるChatGPTにおいてテキスト生成部分と画像生成であるDALL-Eが並列にメニュー上に存在している以上,そこを完全に別物だと主張するのは無理がある,と考える.
というかChatGPTに「こういう画像を作りたいのでDALL-Eに渡すプロンプト生成してくれ」って指示も可能だしな.
というわけで,この文脈で「反AI」と言った場合,画像生成とテキスト生成の両方に対して反対の立場に立っている,立っているべきである,というのがここまでの話.
で,生成AIは何もないところから生成できるわけではなく,学習するデータが必要になる.
反AI絵師はそこで「自分の画像を使うな」という主張をしていると理解している.
別にそう主張しても構わないとは思う.
思うんだが,じゃあテキスト生成もソースコード生成も,さらに突き詰めると検索エンジンも使うなよ,というのがここからの話.
テキスト生成も画像生成と同様に学習するテキストが必要になる.
で,そのテキストをどこから持ってきているのかいえば,インターネット上に存在する文書となる.
そして(大抵の場合において)インターネット上に存在するテキストには作成時点で著作権が発生してて,それを勝手に学習してテキスト生成に使っている,というのが現状の生成AIがテキスト生成を行う場合の振る舞いとなる.
上記の文における「テキスト」を「画像」に置き換えたものに対して反対の立場を取っているのが反AI絵師,という理解なんだが,であれば当然テキスト生成に対しても反対すべきだろう,と思う.
思うんだが,本当にその辺は反AI絵師はどうでもよいらしく,ChatGPTとそれに付随するDALL-Eも特段の問題としていないように思える.
一貫性の観点からは,著作物に対して同意を得ていない学習に基づく生成全てに対して反対の立場を取るべきでだろうと思えるのに,反AI絵師は画像生成以外を問題とせず,よく分からない特権を振りかざしているように思える.
絵を描く人間だから画像生成以外に対しては放置する,という主張なのかもしれないが,生成AIの生成対象が拡大している現状,その主張は「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」と変わらんのではないのか.
そもそも,Google検索の最初のバージョンはPageRankベースだったわけだが,これは「多くのWebサイトからリンクされているページは価値が高い」という尺度に従って構築されている.
あるページにリンクを張る,つまりリンク先のページに価値があるのかを評価するのは,リンクを張った人間であり,つまりその価値を生成しているのは人間なわけだ.
そして人間が生成した価値をもとにリンク先のページの評価を決める,というのはつまり複数の他人の脳みそのいいとこどりをしているに他ならない.
生成AIに反対するのが「自分が描いた絵にフリーライドして価値のある絵を生成しているのは許されない」という主張であるのならば,他人の脳みそにフリーライドしてページに価値を付けている検索エンジンも同様に許されないものであるべきだ.
これは「生成AIの反対するならば検索エンジンも使うな」という主張の根拠になる.
別に本気で言ってるわけではないんだが,反AI絵師がどこまで考えて主張してるんだろうか,という疑問はずっとある.
1. 反AI絵師の主張を丁寧に拾ったわけではない雑な話なので「藁人形論法」と言われたらそうかもしれん
2. 「反AI絵師」の「AI」が指し示す対象が「生成AI」ではないかもしれん
ただし著作権の適用対象の公平性の観点から「画像生成AI」に限定した議論を特別視できる理由はない
個人的には画像周りへの対応は,検索エンジン避けみたく「画像生成の学習に用いられることに同意しません」みたいなタグを埋め込む形での対応になりそうな気がしてる.
そしてそのタグが普及せずになし崩し的に画像についても生成AIが一般化するんじゃねえかなあ.
あと,「現状,PageRankそのままでは使われなくなってねえか?」という主張は妥当なんだが,だからといって何もかもが変化したわけではない.
結局人間の脳みそにフリーライドするのが一番効率いいのには変わりないしな.
Github Copilotは優秀だけど,だからといってあれがpilotになるわけではない(正解「案」を提示するのと正解を提示するのとの間にはマリアナ海溝よりも深い溝がある)のと同様に,画像生成も人間のそれを(少なくとも完全には)代替できねえんじゃねえかなあ,と思う.
上記の文章は最近うだうだ疑問に思ってたんだけども,「絵師の立場から言いたい「反AI」の人の態度について(https://note.com/magic_clover2991/n/n0ec2827346af)」読んで,頭の中の整理も兼ねて書くか,という気持ちになったので書いた.
生成AIは原理的に既存作品のツギハギコラージュしか生成できないから目だけ、ポーズと顔の輪郭だけなど部分の著作権侵害が必ず起こる
全く違うものを同じように言い出すな
文化庁のAIと著作権についてのパブコメの結果が話題ですね。自分も2万件超のコメントの一つです。副業程度の収入を得ているアマチュア絵描きとして、生成AIには何らかの規制が必要であるという立場でコメントを送りました。
主要な問題としてコメントに書いたのが、生成AIの学習に海賊版(違法アップロードコンテンツ)が使われている問題です。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoseido/r05_07/pdf/94011401_01.pdf
文化庁PDFの30〜32ページに海賊版、つまり違法にアップロードされた書籍、写真、動画、絵などをAI学習に用いることについての意見が並んでいます。文化庁の見解としては、生成AI事業者が海賊版であると知ったうえでコンテンツを学習に用いた場合、事業者は権利侵害の責任を問われる可能性があるとの考え方のようです。
現行の生成AIは海賊版の学習なんてしているのか? 確実にしているようです。画像生成AIのひとつNovelAIが、海外の無断転載の温床であるDanbooruから学習していると公言したりとか、MetaがAI学習に使用したデータセットが膨大な海賊版書籍によるものだったとか、さまざまな話題があります。
もとより、ウェブには権利者に無断でアップされたもの(創作物だけでなく写真なども含む)が溢れかえっていることは周知の事実です。ウェブから効率よく膨大な学習データを求めれば、そうしたコンテンツが混ざってくることは当然なわけです。それを承知のうえで、生成AIの開発は行われている。
これはクリエイターや企業の著作権にとどまる問題ではありません。海外では、画像生成AIの学習データに児童ポルノや個人のプライバシーに関わる画像が含まれていることも指摘されています。自分の知らないところで自分の写った写真がウェブに放流されAIの学習対象になっている、ということもあるのです。
「たとえ海賊版や個人情報でも学習データにするだけなら違法ではない」と反論がありそうです。
ですが仮に、ある漫画家が「海賊版サイトで漫画を読みまくって漫画を勉強しました」と発言したら、とうぶん仕事を失うでしょう。違法行為であるかは別として社会的、倫理的に許されない行為であることは明白だからです。
となれば、生成AIの学習に海賊版を用いることも同様に許されないでしょう(特に、AI肯定の立場から言われる「人間の学習とAIの学習は同じ」という見方ならば)。
クリエイターが、海賊版を学習したAIをそうと知って自身の創作に使うことは、間接的な海賊版の容認とも見なされるかもしれません。
非倫理的な学習方法によって成り立っているのが生成AIの現状です。批判的な立場からクリーンな学習データによるAIが求められるのはこのような理由もあるわけです。
残念なことに、生成AIを肯定・推進する立場の人々はこの学習データ問題に触れたがりません。自分の見てきた範囲ですが、本や記事やSNSで、ここに真摯に向き合っている人はいません。
「ディープフェイクや特定個人の模倣などの悪質なAIの使い方だけが問題だ」という主張をし、その範囲では厳しく批判をする人はいます。もちろん悪質な使い方は許されません。しかし、自身の使っている生成AIがその学習の成り立ちから非倫理的である可能性には触れません。認めると面倒なことになるのがわかっているからでしょう。
反発の声を都合よく切り取り、身勝手に新技術を忌避している反AIというくくりで片付け、本来の問題から目をそらしているのです。
生成AIの開発者も利用者も、まずこうした事実を認めて、横暴なやり方で莫大な学習データを確保し、その問題は無視して利便性のみで強引に生成AIを普及させているという現状に向きあうべきです。
学習データの無作為な広範さが、ディープフェイクなどの悪事を容易にし広めていることも認めないといけない。そこから改めて、あるべき生成AIのあり方を考えないといけません。
許可を得たクリーンな学習データのみを使用し、データの概要は開示すること、これが必要です。
AIの普及が避けられない、技術の進歩は止まらない、と言うのなら、その過程で誰かを踏みつけにしない努力も払うべきです。生成AIを批判する人の大半は、技術の発展に反対しているのではなくその過程の理不尽に反対しているのです。
しばしば「絵師は二次創作でさんざんパクり行為をやってきたんだから、AIに勝手に創作物を使われても文句言うな」みたいなこと言ってる人がいるけどさ、二次創作界隈こそ、一次創作者には元の作品を勝手に使うことを禁じる権利が明確に法律で認められ、かつ、界隈文化的にも「嫌がる人の作品を勝手に二次創作してはいけませんよ」という倫理が一般論として根付いているわけで、イラストAIも二次創作周りの在り様にスタンダードを合わせるべきだと主張するなら、今AI規制派の多くが求めているような「人様のイラストを勝手に学習に使うな」、「明らかにそっくりなイラストの出力を許すな」みたいな意見を真っ向肯定することになるのよね。
だから二次創作を引き合いに出すことは、生成AIそのものを邪悪視しているような人や、テキトーなイラストの作成がAIに取って変わられて食い扶持が減るようなことに文句言ってる底辺職業イラストレーターみたいな、強火アンチイラストAI勢に対する否定にはなるけど、穏当な規制論に対してはむしろ肯定することになる。
なんなの、高度なツンデレなの?
ラブライブのイベント行ってるような人間を、オタク趣味が高じて温泉むすめとコラボしてるような人間を「オタク狩りサイド」にしちゃう時点で被害者意識の塊はどっちなんだという話だね
暇空はパルワールドを安倍暗殺事件をもとにしたと火付けするような人間なのに、無知さ故に創作物に火付けする人間をオタクの救世主扱いして崇められるんだからお花畑だな
ランスシリーズの制作者が公認していたMODに言いがかりつけて公開停止に追い込んだり
大して閲覧数もなく細々とやってるなろう小説を堀口くんがモデルだと騒いで公開停止に追い込んだり
ロリ漫画でもそれがフィクションである限り創作する自由はあると主張した手嶋海嶺を児童買春してるペドだと罵ったり
上下左右にぐるんぐるんぶるんぶるん動いてる乳を見ると可愛いの前に「痛い」の感情が先に来てしまいアニメ・ゲームが楽しめないでいる。
ブラジャーもなしにあれだけ乳を自由にさせると足の小指をぶつけた痛みが両乳に走って動けなくなるレベルで痛い。
創作物とリアルを混同すんなと言われそうだけどアニメ・ゲームで常にタマヒュンエピソードが挟まれ続けてたらそっちが気になってストーリーが頭に入って来なくないか?
共感性疼痛と言って人は他者(人・動物・イラスト問わず)の怪我を見ると自分が怪我をしたと脳が錯覚して痛みを感じるらしいから乳揺れの痛みは分からなくてもタマヒュンなら男でも理解出来ると思うんだけど。
(追記)誰1人タマヒュンエピソードが挟まれてたら気が散ってストーリーが入って来ないんじゃないか?という質問について語らず乳揺れの話しかしないの面白いな。
ストーリーに関係のある表現は必要だけど全く関係ない表現が断続的に挟まってるのは可笑しいって話で常にタマヒュンエピソードが挟まってたら可笑しいだろ?
乳揺れの対偶に金玉ダメージを持ってきてる訳ではなくゾッとする様な表現としてタマヒュンを用いただけ
乳揺れについて良いも悪いも言ってないし本質はそこじゃないんだが…
続き
しっかり気持ち悪いオタクやってると、オタクそれぞれ別方向に気持ち悪くて、元増田のような意見にはならない
はっきり区別できるわけではもちろんないけど、アニメや漫画が市民権得なくても存在していたオタクのようなオタクから、
好きは好きだけどコミュニケーション手段や自己承認のためにもオタク文化を利用している人ら の割合とかバランスというか
自分が得られない勝利の代替というのはまあ非創作系の趣味全部そうじゃないか
創作系だって現実では不可能だからせめて夢小説内では、異世界では……って作り手側も代替要素もってるのもあるし
多かれ少なかれ子供に夢を託してしまうのは(無意識でもごく一部でも)あって、子供っていう将来得られるかもしれない後継者の存在を
色々複雑だねぇ
推され側の人らも実は似たようなもんでわりと夢から早めに降りてる
推しが推しの推しにしてることでもあるからみたいなのも増えて来てる
まだ自分の限界攻めたり超えようという意識もあるから真っ当(意識しないと見えてこないけど、完全に降りてる人のほうが少ない)
推しにも貢ぐし、自分も磨く、自分も推されたい(無理なら能力とか創作物だけでも評価されたい)のバランスが今もう崩壊しかけで
でも徐々になんか変わってってるところもあるし、もう少し世界が生きやすくなったり希望を実感できるようになれば
っていうのもなんか違うな
自由に生きりゃあええ
https://anond.hatelabo.jp/20240208215941
心情を理解はできるが、それを言い出したら、身体的特徴すべてに言えるのではないか。
「大切なキャラなら、胸に限らず、顔も、身長も、ぜんぶ平均的にするべき」ということになるのでは。
実際、漫画なりアニメなりゲームなり、創作物の主要キャラって、「顔の良い」のがスタンダードだよね。
現実離れした顔の整ったキャラが登場人物を占める作品が溢れている。
現実の平均を上方向に逸脱した身体的特徴が、ノイジーで、生きづらい世の中と結びついているというなら、顔面の良さもそういえるのでは。
悪いけど、ちょっとオエッてなる。
顔が良い方がよいみたいな意図が見えて、嫌になる
大切なキャラなら、顔の良さを押し付けずに平均的な顔にするべきだろうに
まあ楽しいんだろうね
本当にやめてほしいって思うけど、この傾向は変わらないだろうなぁ
漫画雑誌でもさ、グラビアの女性は顔の良さを強調するし、あれもやめてほしい
そうじゃなくて、顔をアピールするのはなんかもう古くない?
そんなに顔が好きか?という話だよ
俺は漫画が読みたいのに、表紙がグラビアだからどうしても目に入ってしまう
話はそれたが、顔の良いキャラをやめてほしい
話は好きでも顔が良くて辛くなる
たとえばさ、僕ヤバとか
もっと顔を良くなくしてほしい…
あんな色気いらないんよ…
でも作者さんは好きでやってるんだし、仕方ないんだろうけどさ
個人的にはあの顔の良さが雑音になってる
でも大きい方が読者も喜ぶし、Win-Winなんだろうなぁ
あー顔が良いのが良い世の中なんて、生きにくい世の中だ
これも、そう感じる人間もいるか~、という感じではあるが、元記事の「胸の大きさ」をテーマにしたものと、反応が同じになるだろうか。
「顔が良い」「かわいい」「イケメン」「美しい」と、無邪気に、無批判に喜ばれる。
物語を作る上で登場人物の名前を創作しないと何も始まらないというのは重々承知なんだけど、それでも昔から創作物の中の人名が結構苦手だ。とはいっても、ごくごく普通の名前がついている作品はそこまで気にならない。(例えばきのう何食べたとかは、登場人物の名前がごく自然に馴染んでて読んでても別に気になることはない。)気になるのは、作者の意図、狙い、さらに言うと「この名前いいっしょ?」みたいな気持ちがバキバキに伝わってくる様な名前が出てくる作品だ。一番苦手なのはワンピースかなー。「
モンキー・D・ルフィ」とか見ただけで共感性羞恥が発動して耳が赤くなってくる。作家の皆さん、恥ずかしい名前つけるのやめてくださいね。
例の件があって以来、脚本家と名の付く者は問答無用でネットリンチしていい、みたいな風潮だが、お前らは何の権利があってそんなに偉そうなんだ。
原作者が「原作通りに」と要望するのは分かる。自分のかわいい「子ども」だからな。一方で、その辺の考え方は作家によるわけで、原作通りでないから無条件にダメなわけではない。
脚本家が「自分のオリジナリティを出したい」というのも分かる。曲がりなりにも創作者だからな。原作者との約束は履行すべきだし、その自身の感性で解釈し再構成したものが面白いか、それに見合った能力があるのかは別の話だが、「完全なオリジナルでないなら自我を出すな」なんて言い始めたら、世の中の大半の創作物は世に出せなくなる。
翻って原作厨は何なんだ。いや、お前らは高々消費者の分際で何様になったつもりなんだ。さしたる教養がなくとも、「原作通りじゃない」なんて批評未満のことは誰にでも言える。誰にでも言えるから棍棒になる。棍棒を持ったら日頃の憂さを晴らしたいよな。分かるよ。
だけどな、それで殴ってる相手が生身の人間だってこと、もうちょっと考えようや。棍棒で人を殴り続けると人は死ぬんだ。知ってるよな?
なら、どうすればいいのかは分かるな。お前らは「聖書に書いてない」っていう理由で人に殴りかかる奴らと同じことをしているんだ。作家は人を楽しませるために作品を作ってるんだ。お前らの棍棒を作るためじゃない。