はてなキーワード: 入籍とは
はてな匿名ダイアリー、自分のメモとして使えるの便利だね
なんとなく誰かに見られているから文章をきちんと書こうとするし、でも匿名だから何でも書ける。
自分は30歳女。26歳の彼氏と同棲している。交際5年目。自分が子供を望んでいないことと、入籍に抵抗があるが生涯のパートナーとして共に生きようと話している。気持ち的には事実婚。
2022年の春から同棲をはじめた。同時に共通の貯金をはじめて、それが目標額に達したので去年犬を飼った。今は3人で暮らしている。
彼氏はまだ若いからそこまで将来のことを考えていないようだが、自分は老後のことを考えると鬱になる。金銭面の不安が大きい。
ということで、匿名性を利用して毎月の収支を記録していこうと思う。
貯金:13万
美容費:2万
現金:3.5万
クレカの使用金額を先月の副業の収入以内と決めて生活している。
1/1時点で
12月のカードで足が出たのが9586円、それを差し引いて76226円以内でカードを切るよう目標設定
ゲーム課金:3200
pkmn:1760
洋服:5000
雑貨:1607
現金の方は、3.5万の内訳で
食費:4400
交際費:5000
雑貨:3900
洋服:2500
ヘアメ:2000
その他:お祓い5000円
差額の500円は2月への持ち越しとする
カードも現金も二次元の趣味が高かったな。リアルイベントあったしな、しゃーなしってかんじ。
1/1時点で296884円
そこから犬関係の出費(今月は入院したので高かった)が71480円で残高は225404円
社会人になってからできた友人と言えば、たとえば、新卒同期なんかは友人としてわかりやすい例ではあると思う。
配属が異なっていたとしても、その後同じ新卒という立場の苦労を分かち合いながら、、、って感じで友人になれる。
それ以降って仕事上での「知り合い」は増えるけど、プライベートで遊びに行ったり気軽に飲みに行ったりって感じの人はあまり増えなかった。
ところが。社会人になって16年(40歳)になった時、あるプロジェクトで一緒した2つ年下の会社の男性同僚がすごい勢いで距離を詰めてきて友人になった。
今は競合企業に勤めているが、私に合わせてゴルフ始めて一緒にラウンドしたり、高頻度で飲み行ったり飯食いに行ったりしてる。
ちなみに双方既婚(友人は最近まで事実婚、昨年入籍した)で家族の交流もある。私としては「突然友人になってくれたが、なんだ?なんだ?」という感じ。
この同僚、初めて会議で合った時から「今度飲みに行きましょう」みたいな感じだったので、普通にフレンドリーな性格なのだろうなとおもっていたのだが、
実際はすごい気難しい人で付き合う相手をめちゃ選ぶタイプだった。なんで私に?と聞くと、「ああこの人は自分に合いそうだ」と直感したからだそう。
仕事も超できる人なので、私としてはいろいろ相談したり、考えを聞いてもらったりとだいぶ助かってる。
つーかゴルフは全部友人の車で迎えにきてもらってるしな。
40歳にもなると、家庭もあって学生時代や新卒同期の友人とはだいぶ疎遠になって家族ぐらいしかプライベートで話す相手がいなかったが、
この人が友人になってくれたので、休みの日も向こうの知り合いのゴルフや旅行に混じったりする感じでだいぶ充実するようになった。
私なんかの友達になってくれて本当にありがたいと思っている。本人には恥ずかしくて言ってないが。。。
Amazonで購入
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マッチングアプリの条件がこちらの手ピカジェルを使用することでした。
このコロナ禍なのでマッチング相手にこの商品の使用を指定されました。
これが初めての購入のきっかけになりました。
私自身あまりアルコール消毒に慣れていないものもあり最初は躊躇しておりました。
購入し使用してみると店舗の入り口に置いてあるようなアルコールとは違いあまり皮膚自体に乾燥感がなく潤っているような感覚でした。
保湿クリームを塗っていなくても保湿されているようなジェルが手に吸い付くようです。
私はあっという間に虜になりました。
彼女はそれを見てにっこりと笑いました。それが目的だったのです。
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(感想)
おめでとう!
小学校からの腐れ縁のオタク仲間で、それぞれ住んでるジャンルは全然違ったけど沸った想いをお互いに語り合い聞き合い、インターネットミームでゲラゲラ笑ったりした。一緒に旅行に行ったり、同人活動を手伝ってもらったり、しょうもないネットの記事をLINEに送りつけてだらだら下らない話をしたりしていた。
ただ自分はアホだからたまに何か失礼だったり不快なことをやらかしてしまって、その度に相互フォローのアカウントでエアリプみたいにぼかして愚痴られてるのが昔からしんどかった。
しんどかったけど、こんなアホのポンコツ人間とこんなにも長く仲良くしてくれていい奴だな、自分が悪いな、またやらかしてしまったな、いつも申し訳ないな、優しいから直接言えないんだろうな、とずっと思ってた。
コロナ禍が始まった年だったか、自分の推しが大変なことになって、すごく精神的に荒れてた頃があった。
大変だから何とか応援したい+見納めになるかもしれないタイミングだった。だから元親友を今までイベント事に誘ったことは多分ほぼ無かったかもしれないけど、その時はよかったら今度有料配信があるから観て欲しいって誘ってみた。けど観れたら観るわ(観ない)で、当日は自分の推しの映画だか配信だかを見ていた。
あっちの推しのイベントや遠征にも付き合ったのに、こっちの推しには、推しが大変だって話してたのに付き合ってくれないんだと思って、それが結構ショックでTwitterで思わず愚痴ったら、それがド地雷だったみたいでまたTwitterで愚痴られた。
それについては結構長いこと愚痴られて、やっちまった感で申し訳無さと自己嫌悪で結構しんどくて、お詫びに誕生日祝いも兼ねてプレゼントをあげてとても喜ばれたけど、謝罪に対しては「いやお前の推し知らんのよ」って言われたのもまたショックだったし、その後も愚痴は止まらなかった。
以前はルームシェアでもするか、老後は一緒の老人ホーム入ろう、なんて言ってたのに、突然家を買うみたいな話をしだして、態度も一気によそよそしくなった。
謝ったから許されるとは思ってなかったけど、遠回しに独り言みたいにぼやかれるよりハッキリぶつけてもらいたいと思って、ビビりながらクソ長文LINE送ったけど「別にお前のことじゃないけど、誤解させたなら悪かった」「Twitterで愚痴られるの気になってたって言う割に、自分はこないだそういうツイートしてたよね^^」みたいなことを返された。
こんな人だったっけ?と思った。
それから、私が悪かったなと思った。
私は期待し過ぎてたんだと理解した。
いつも私の推しなんか別にいいよって10年以上言ってたのに、いきなり見てくれって何だって話だし。そもそも顔がどうしても覚えられないってずっと言われてたのに。その時元親友の推しもコロナで大変だったのに、自分本意だったなって反省した。
元親友の推しジャンルは自分からは好まないものの、親友の好きなものだから知りたいし喜んでる親友を見たいと思っていた。でも友達だから必ず付き合う必要も無いし、断るという選択肢あったのにそれを選ばなかったのは自分だった。
「何かあるなら直接言ってくれ」は、嫌な思いをさせた側のエゴでしかない。Twitterも私が誤解してるだけならフォロー外して見なければいいだけだ。
ただこれは私の悪意が含まれるけど、もしこの場は誤魔化されただけで、実は本当に私の愚痴だとしたら、本人が見られる場で「はぁ〜嫌な思いしたな〜いやお前のことじゃないけどね?」と繰り返し発言する神経が分からないなとも思った。
だからとりあえずTwitterのフォローを外した。相互フォロー必須の鍵垢にしてたから申し訳ないけどブロ解した。一言も言わなかったけどフォロリムご自由にって書いてあるからまあいっかと思った。自分のことじゃないとしても、もう元親友の愚痴を見たくなかった。
あまりのよそよそしさで、もう元親友は私のこと嫌いなんだろうな、もう遊ぶこともないだろうなと思い込んでゲームのフレンド登録も消してしまった。
まあ腐れ縁だし遠い将来に来たる訃報くらいはなと思って、LINEだけは一応残した。SNS一つ残ってれば連絡は取れるし、今までもLINEでよくやりとりしてたし。
もしかしてこのことでまた何か呟くかなと思ってTwitterを覗きに行ったら、やっぱり私の愚痴を話してた。「おっ向こうからフォロー外したかw助かるわw」なんて言ってた。
最終的に「私は何もしてないけど突然友達にTwitterで暴言吐かれた。後から謝りたいと言われた」「元々変な子だったし付き合いも長いからまあいいよって返したけど、結局その後Twitterもゲームもブロックされた。LINEもブロックされてるかもしれない」「多少モヤったけど、自分でも驚くくらい感情が動かなかった」「私のことを大事にしてくれる友達を大事にしていこうと思った」みたいなことをツイートしてた。
ああ、これが本音かぁ。そうだったんだ、今まで長らく本当にごめんね。でも本当にそんな人だったんだね、今まで気づかなかったよ、ごめんね。
昔から変な奴と思いながらも付き合ってやってたのに、いきなり地雷踏まれたらそりゃあ不快で嫌いになるよなって納得した。
今まで一緒にゲラゲラ笑ってた思い出も全部パァになるくらいどうでもよくなったみたいだし、そこまでになったら私ももう関係を取り戻すのは大変過ぎる。
冷静に考えれば黙ってフォローを外すなんてとても乱暴で、ともすれば強いショックを与える可能性のある行為だったと思う。でも何も感じなかったそうだし、変に断ってから外すとそれはそれでめんどくさかっただろうから、結果的にこれで良かったなと思った。
本当に他意は無かったのに私が勝手に気にし過ぎてグルグルしてるなんて精神的に不健全だったし、向こうからしたらどうでもいい奴が視界から消えたし、お互いにとってこれがベストだったに違いない。
きっともう二度と連絡し合うことは無いんだろう。「達者でな」ってツイートに心の中で、お前も元気で暮らせよ、いつか線香あげさせてくれたら、もしくは線香あげに来てくれたら嬉しいよと返しながら、晴れやかな気持ちでTwitterの検索履歴から元親友のアカウントを消した。
それから1年半くらい経って、突然連絡が来た。
遠慮がちに腰低く「連絡見るのも嫌かもしれないけど、良かったら忘年会でも」みたいな連絡が来た。
正直ねずみ講かどこどこに投票してくれみたいな話かと怪しんだけど、私のことが嫌いを超えて無関心になってたのに、どういう風の吹き回しなんだろうと思った。以前元親友のことを相談していた友達には止められたけど、応じてみた。クリスマスも近かったから、元親友の好きな食べ物を手土産に買って行った。
実際会ったら全然ねずみ講じゃなかった。腰が低かったのは直前にクソ長文LINEが残ってたから気を遣ったそうだ。
仕事で鬱になってしまって、死ぬことをふと考えた時に、死ぬまでにやりたいこととして私に会いたいと思ったらしい。
一方的に切られてもショックを感じないくらいどうでもいい嫌いな人間に会いたくなるなんて、鬱はやっぱり怖い病気だなと思った。自分もなったことがあるが、食が細くなったり不眠になったりで体力が削られることで余計に弱って考えや行動がおかしくなるから仕方ないなとは思った。
あと友達を増やすにはどうしたらいいかと相談された。元親友にとって私は「友達を大事に出来ない人間」「いきなり暴言吐いてくる変な奴」なのに、どうしてわざわざ会って訊くんだろうと思った。
私を含めて友達と言える人はすごく少なくて、でも私以外の友達には遠慮してしまって物寂しさを感じてるらしい。自分なりに友達に配慮して、大事にしてて偉いなと思うと共に、どうして大事にされてないと感じる私がまだ友達扱いなんだろうと内心首を傾げた。
色々不思議だったけど、鬱はどうしても一定ネガティブになるから思考の壁打ちは大事だし、自分なりに答えて、後は昔みたいに最近ハマってるジャンルの話とかして、よいお年をって解散した。手土産は素直に受け取って帰っていった。
まずプラスのパターン。これは「何かを投じてる」という意識が無く、ただただ楽しい・快と思える状態。
次にプラマイゼロのパターン。これは例えば「あの人すごいめんどくさい(=精神でマイナス)けど、高いご飯奢ってくれる(=金銭でプラス)んだよな」「あの人暴力振るう(=体力でマイナス)けど、一緒にいると幸せ(=精神でプラス)」みたいな状態。
最後にマイナスのパターン。これは「こんなに○○してあげたのに、ちっともお返ししてくれない」「本当は○○したいのに物足りない、寂しい」など、自分の投資に対してリターンが少ないと明確に感じている状態。
例えば同級生、同僚だとか同じコミュニティにいたり、妊婦仲間とかライフステージが同じだと、時間や精神が自動積立されるから関係性が維持しやすくて、逆に同じじゃない場合は維持したいなら自分から積極的に投資しにいかないといけないし、相手も自分に投資したいと思っていてくれないと成立しない。
あと精神に関してはFXとか暗号資産みたいなもので、突然高騰したり暴落したりする。一番不確定要素がデカい。先の例で言うDV彼氏みたいな、客観的には大損でとっとと手放した方がいいのに、本人にとってはリターンがすごくて手放せなくなる、みたいなこともあるから、ちゃんと自分の状態をメタ認知していかないと危ない。
更に人間関係は、アップデートをかけ続けていかないといけない。
もちろんしなくてもいい・必要としない関係もあるけど、例えば学生から社会人になる、結婚をする、子供ができる、みたいなライフイベントは、その人の暮らしがガラッと変わる。暮らしが変われば連絡の取り方だけじゃなくて、その人のトピックスもボキャブラリーも変わってくる。
人間関係ってどうしても現状に甘んじてアップデートをあまりかけないけど、例えば「独身同士の付き合い」があって、ある日どちらかが結婚・出産した場合、「独身と既婚子持ちの付き合い」に変えられないとどこかで破綻する可能性がある。
そういった時に「これからも仲良くしたいんだけど、連絡は独身時代みたいな感じだと迷惑にならないかな?」「もしよかったら子供の話してもいいかな?子供連れて遊んでもいいかな?」みたいな一言を投げかけられるか=アップデートをかけにいけるかが結構大事だと思ってる。
こういう明確なライフスタイルの変化はまだわかりやすい。環境とか置かれた状況、時間の流れで生まれた小さな小さな変化の積み重ねによって実はお互い色々変わっているのに、それに気付けていないパターンは結構重篤なのにきっかけが無くてアップデートがかけにくい。
そして人間関係はここまで語った内容に加えて、縁や運、偶然というものもあると私は信じている。様々な要素があるからこそ、出会って3日で入籍するようなカップルもいれば、数十年来の付き合いがある日突然終焉することもある。高齢者になって恋が芽生えることもあれば、若くして運命の出会いによってプロの道へ歩み出す人もいる。人間関係は面白くも難しくもあって、それらを感じて一喜一憂しながら生きるのが、高度なコミュニティを形成して暮らす生き物の醍醐味なんじゃないだろうか、と私は考えている。
自分の法則で言えば、我々は最初はプラスの関係だった。それは間違いない。
しかしいつのまにか「お互い嫌なところを感じながらも、一応楽しいから」というプラマイゼロの関係に成り下がってしまったのを自覚しながらも、そのまま漫然と維持してきてしまったツケを払ったんだと思う。
私が勝手に期待という莫大な精神を一方的に投じて、一人で損が出た時の一言で、相手の精神を大暴落させてしまった。
私も優良銘柄だと思って保有してたけど、長期的に続いていた地味に痛い損失にふと目がいってしまって、もうこんなに暴落してるから、今から挽回するにはかなりの投資が必要になるし、元々損失のある銘柄にそこまでのリソースを割く必要も感じない。これはポートフォリオに積極的に残しておいても仕方ないと考えてしまった。
向こうも長期的に小さく小さく不快が積み重なっていたからこその大暴落だったんだろうし、アップデートをかけずにいた古いままの我々はもうとっくにガタがきていて、たまたまあの時の私の一打がきっかけになっただけの、必然の結果だったんじゃないだろうか。
向こうにとって今の時点で私からどういうリターンがあったのか分からないけど、忘年会の席であの時の話はほとんど出なかったから、向こうとしては過去のことには蓋をしてアップデートをかける気は無さそうだった。
破綻したものを再構築するのはとても大変だし、仕事や生活、他の友達との付き合いで忙しいから、私としても助かった。とりあえず鬱は本当に怖い病気だから早く寛解するといいなと思う。
読み返すといやに卑屈で、それでいて根に持った文章になってしまった。根に持つ以前に、数十年の付き合いだったから後ろ髪を引かれた部分はあって、「人生の大半を過ごした友達だからこそ」、「私の期待を分かって欲しかった」「何が嫌だったのかちゃんと理解させて欲しかった」「あの時のことを腹割って話して、わだかまりを無くしたかった」みたいな気持ちがやっぱりあったんだと思う。
でも関係の年数そのものに価値は無い。これも所詮「過剰な期待」だし、時間も経ってしまったから流石にもうどうでもいい。記憶の経年劣化で私も、きっと向こうも、都合の悪いことは忘れて、被害者意識だけが強まっているようなレベルまで塩漬けにしたものに、腹を割って話すような大規模アップデートは相当しんどいものになるに違いない。
だからもういい。めんどくさい。何考えてるんだろう本音はどうなんだろうどうせ後でツイートするんだろうってグルグルするの疲れた。あの日の帰り道もきっと何かツイートしてたんだろうなと思ってしまう。この気持ちを訴えたところで「それは申し訳なかったけど、その場ではダメなとこ気付けないんだね^^」なんて言われるに違いない。
もし仮にものすごい相互の努力の果てに無事アップデートできたとしても、疑心暗鬼は多分一生拭えない気がする。
そう。散々偉そうに持論を垂れておいて、結局のところ私は久しぶりのコンタクトで、忘却の彼方にあった遺恨を思い出してしまったから、これを綴っている。書きながらネガティブ感情を反芻してしまった。あの時感覚的に捉えていたことを、書き綴ることで言語化して、あの時よりも強くはっきりと再認識している。
人は楽しかった思い出よりも嫌な思いをさせられた記憶の方が残る。今はもうありし日の思い出への後ろ髪よりも、根に持つ気持ちの方が強くなってしまった。この増田は、ただの被害者意識と、エゴの塊から来る、自分のしでかしたことを棚上げした八つ当たりの怨嗟だ。
それを心の内に留めておけず、隠れてインターネットに吐瀉物を撒き散らす自分の何と幼稚なことか。そんな自分を吐き切って、これを限りにもうこの2022年に置いていく。きっと元親友も、自分のことは本来ならとっくに置いていっていただろうから。
辛い時に思い出してくれたのは嬉しかったけど、無事寛解した暁には今度こそブレずに、トラウマにまでなる思いやりのない非常識な私のことなんて早く忘れて、自分のことを大事にしてくれる友達と仲良くしていって欲しい。
新婚旅行と結婚式はコロナが落ち着いてからにしようと考えていたところ、妊娠。
予め予約していた写真屋さんでの前撮り?フォトウェディング?(ウェディングドレスと和装)のみ今夏に実施。
新婚だけど、結婚らしいことは夏にやったフォトウェディング的なのだけ。
同棲中からの貯金も貯まってきたから出産して子どもが1歳くらいになったところで結婚式をしようか悩んでいる。
元々結婚式にそこまでこだわりなかったし、コロナに振り回されて延期したり急遽変更したりした友達を見てると大変だったから去年の時点では結婚式はやらないって話を夫婦でしたのだが、今になってやっぱり結婚式いいなあと思い始めてしまった。
結婚式した人、しなかった人
教えてください。
今でも悪夢を見ているようだ。具合が悪い時に見る夢を。
これが夢であるようにと寝るが、毎朝母とのLINEを見返して現実であることを思い知らされる。
兄が将来的に自分の人生の障害になることは覚悟はしていた。一人暮らしなど無理に決まってる。仕事も障がい者雇用だから収入的な意味でも無理。
両親もそれをわかっていて、施設とかもあるといろいろ考えてくれている話はしていたので、比較的安心していた方であった。
ただその兄に子どもができるとなると話が大きく変わってくる。
百歩譲って相手の女が健常者ならまだ安心はできる。その女も障がいがあるとなると絶望的だ。
女の障がいは兄ほど重くはないみたいだが、俗に言うメンヘラだそう。よくSNSとかで聞くリストカットとかもするそうだ。
ただ女は「ホンモノ」だそうなので、そんな奴が子育てなんてできるなんて到底思えない。
夜泣きしたり無限にうんこ小便を垂れ流す生き物の世話をできるとは申し訳ないが信用できない。
女には健常者かどうかは知らないが、元彼がいたらしい。
その元彼に結構ひどい扱いをされていたそう。そんな中職場で、兄という「理解ある彼くん」が現れてしまった。
よりによってなぜ兄だったのか。せめて俺だったらよかったのに。
兄は自分の時間が奪われたり自分通りにいかないことが最も嫌いな自己中。女はメンヘラ。
兄には彼女的なのがいることも聞いていたし、お互いに付き合うのも勝手だ。結婚も祝わないが勝手にしろとも思ってた。
性事情も少なくとも全くしていないとは思っていなかったが、ここまで飛躍はしないと信じていた。両親もそうだった。
だがその考えは甘かった。
両親には、向こうの両親から突然言い渡されたようだ。しかも妊娠発覚からしばらくしてから。
両親は反対した。
そして彼女の返事。
これもとても丁寧で長い文章。彼女の障がいが軽い方だというのも字の丁寧さでわかった。
「中絶はしません。自分の子どもに幸せになれないなんて言うなんて」
手紙を何回も読み返し、読み返すたびに涙したそうだ。
向こうの両親はというと、せっかく授かった命、全面的に協力すると言ったそうだ。子どもも向こうの家で育てると。
「子どもが向こうにいるのであれば、父親である兄も向こうにいなければいけないのでは?」
当たり前の提案を両親はした。だがそれに関しては考えさせてくれと保留されたそうだ。
は?
入籍をして、兄を婿入りさせ、父である兄と子どもを向こうの家に住まわせる。サザエさんでいうマスオさん状態と言ったらわかりやすいだろうか。
それを考えさせてくれ?
やっぱり女も女なら両親も両親。
どんな子どもが産まれてくるかもわからない。産まれてきてから考えればいい。
重すぎるんだよ。料理じゃねーんだぞ。あんたらはどうせそのうち死ぬんだからそれでいいけど、子どもが産まれた瞬間から他人の人生を大きく狂わせることが確定してるんだぞ。
ちなみに女に姉はいるそうだが、もう結婚していて家庭がある。その人の意見は勝手にすれば状態で、この件に関しては投げやりだそうだ。
いいよな女は。一度家庭持つといざとなったら男がなんとかしてくれるもんな。使えそうにないわ。
俺は逃げたい。でも血が繋がっている以上逃げることはできない。
血縁関係などそんなもんだ。子どもや両親に何かあったら、結局最終的向く矛先は弟で家庭も持っていない、身内である俺だ。
それを「関係ない」で一蹴すると世間からは非難浴びたりするんだろうな。
このことは友人にも少し話した。
特別養子縁組、相互扶養義務…いろいろなことを聞いたが完全には理解できるはずもなく。
兄を婿入りさせたら兄と縁を切るようなことをしないと俺が危ないと、簡単な話ではないが心配してくれて少し楽になった。
まぁ、簡単に逃げ切れるとは思ってないが。
母親は、障がいの兄をこれまで育ててきたのもあるが、自身がストレスで入院になったり、父親(祖父)の介護で相当限界が来ていた。
その父親(祖父)と一緒に住んでいた弟とその嫁が介護をサボって金だけを吸い上げてたにも関わらず、遺産相続で父親(祖父)の意思とは関係なくかなり揉めていた。
本当に女ってカスな奴らばかり。結局は金。
このことで本を一冊執筆するくらい、壮絶な出来事を繰り返してきた。
ようやく落ち着いてきたと思ったら、また新たな障害が生まれてしまった。
もうやめてやれよ。母親が何したっていうんだよ。
仕事も上司に相談するほど退職を考えてたが、そういうのも全てどうでも良くなった。
家でゲームやってる時が一番落ち着くが完全には集中できない。死ぬほどハマってたソシャゲもあったが最近手につかない。外に出るのが嫌だ。
直近の外出予定を全部キャンセルした。
別にそれで寂しいとかないが、何もしてないわけでもない。
反出生主義ではないけど、「こいつはさすがに子ども持ったらいかんだろう?」と思いたくなる人、周りにいませんか?
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そして、出産して間もなく「元旦那がDV野郎だった」と離婚した
彼女は「PTSDと鬱病を発症した」と言い、生後間もない娘を実家に預けて一人暮らしをはじめた
鬱病を初めとした精神疾患の当事者会で知り合った運営メンバーと寝て、付き合うことになった
そして結婚した
そして実家にあずけていた娘(x歳になった)を引き取り母娘ごっこをした
言うことを聞かない娘に癇癪を起こすようになる
診断が降りなかったので発達グレー呼ばわりし嫌悪
そして「このままでは娘を怪我させるだろう」と実家に言い再び娘を実家へ押し付ける
間もなく離婚、家は当然追い出されるが不倫相手の家に転がり込むことに成功
初めは「結婚願望がないから恋人じゃないし"相方"なんだ」とか「相方に好きな人が出来たら差し出す覚悟はある」とか言っていたが
気に入らないことがあると「あいつアスペルガーだからな」と、未診断なのに決めつけを行うなどの暴言を撒き散らす
そして、「本能では相方との子が欲しいけど、理性があるからつくらない」と言ういっぽうで
激太りしてきたからピルの中止を求められても病院を変えて同じ回答をされて癇癪を起こすなど、子ども以下の生き方を晒す
それでも、周りには「私はクビにされました」と謎の被害妄想を垂れ流していた
無職になったので相方との入籍をしようとしたら実家から反対され、ついに子供もろとも絶縁
当初の予定から前倒しに前倒しを重ねてすぐ入籍してたあたり生活に困ってたんだろうな感が漂う
そして絶縁した実家に対しては「私は機能不全家族の毒親育ち!!絶縁しました!!」と宣言
その後「仲良し新婚夫婦♪タイミング法で妊活中」→まもなく妊娠した
え?!
やばくない?
イヤイヤ期があったら現夫のアスペルガーが遺伝したとか言って癇癪起こして子育て飽きて、またよその男と不倫するんじゃね?
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こういう人は、子ども持っちゃいけない。
誰も直接は言わないけど、絶対やめたほうがいい。
周りを不幸に「しか」しない。
先に断っておくと、彼女とは親しくはない。中学を卒業して以来、きちんと会話をしたことはない。フォローを外されていたのを確認して私も彼女のフォローをすぐに外した。その程度の関係性だ。
彼女と私は同じ日に生まれた。私たちは同じ町内に実家があった。にもかかわらず全く違う人生を歩んでいることが面白かった。もしかすると見下している気持ちもあったのかもしれない。だからフォローを許可したし、こちらもフォローしていた。
彼女は生まれてからずっとこの土地にいた。小学校には保育園からの幼馴染がたくさんいた。父親の仕事は詳しく知らないが、母親は歯科で働いていると聞いたことがある。近所では有名なヤンキー両親だった。彼女の親は自分の親の家の敷地内に家を建てており(彼女は積○ハウスで家を建てたと自慢していた)、祖父母、おじおば、いとこたちに囲まれて生活していた。
一方の私は転勤族で小学校に上がると同時にこの土地に引っ越してきた。幼馴染などはおらず、親戚も県内にはいなかった。父はブルーカラーとホワイトカラーの間のような仕事をしていて(一応大企業の子会社で働いていた)、母は専業主婦だった。
私は小学校のあいだ、標準語であったこと、母親が働いていなかったことを理由にいじめられた。喋り方が気持ち悪いと言われた。祖父母に百貨店で買ってもらったランドセルに足跡をつけられ、水をかけられた。ピンポンダッシュをされた。遊ぶときにはいつもみんなに置いて行かれた。
同じ誕生日の彼女の方がこの土地ではスタンダードだった。彼女の周りには人がたくさんいて、私はひとりだった。近所に住んでいたため、下校のときは本当に惨めだった。みんなで楽しそうに学童に向かう中、私はひとりで家に帰っていた。
中学校に入ってから転機が訪れた。私は定期考査で学年1位を取りまくった。部活動でも表彰された。学級委員も生徒会も推薦された。先生からも生徒からも期待され、信頼されていたのを実感できた。常に私は同級生に、私の親は同級生の親に羨ましがられた。認められた、シンプルにいじめられなくなった。
一方彼女は成績が芳しくなく、態度も良くなかったため、常に先生たちから怒られていた記憶がある。部活動にも入っていなかったため、小学生のころほど大きなグループは形成できていなかった。
最終的に私は地元で最も偏差値が高かった私立の高校に成績優秀者の奨学金で進学した(公立はみんなが行くから嫌だった)。彼女は偏差値が30くらいの私立高校に専願で行った。
高校時代の話は割愛しよう。私はうつ病を拗らせたが無事に卒業して、地元の大学に進学した。彼女がこの間どうしていたのかは知らない。
大学に入って少しした頃、彼女からインスタグラムをフォローされた。
彼女は当時キャバ嬢をしていて、ヤンキーたちとつるんでいる生活が毎日投稿されていた。金髪だった。しばらくすると彼氏と付き合い始め、1ヶ月記念、2ヶ月記念、3ヶ月記念……と刻み始めた。
私もちょうど同じ頃、初めて彼氏ができたが、記念日など投稿しなかった(この彼氏とは3年目で別れた)。彼女は何ヶ月記念かに入籍して、数ヶ月後に出産した(子供の妊娠週数?も細かく刻んで投稿していた)。
ちなみに成人式のときにはボテ腹で振袖を着ていて、やはり妊婦であることを自慢げに投稿していた。私は成人式には行かなかった。
出産後も子供の月齢ごとに投稿していた(ストーリーは毎日)。この頃から飽きてきて特に注視していなかった。
フォローを外されたことに気がつく数ヶ月前、私は就活で使い終わったリクルートスーツを近所のクリーニング店に出しに行った。そこにいたのだ、彼女が。店員として働いていた。着いてきていた私の母が先に気がついた。
「あら○○ちゃん?」
私は言われるまで気がつかなかった。ふくよかになっていておばさんかと思ったのだ。
かたやパートで働く主婦、かたや結婚どころか彼氏もいない、就活のストレスでガリガリに痩せた学生ニート。
てっきり結婚して違う地域に住んでいるかと思ったが、親子三世代ここに住み続けていることにも驚いた。
私は地元ではそこそこの企業に総合職として内定をもらったので、バリバリ働くつもりではいる。結婚は……できる気がしないので、子供部屋おばさんまっしぐらである。
同じ誕生日、同じ地域に住み、同じ空気感の中生きてきた人間の人生がここまで違うのか。
私は彼女と目を合わせた。お互い話すことはなかった。私は母に物を託して先に家に帰った。
それから数ヶ月後、インスタグラムのフォローを外されていたことに気がついた。いつから外されていたのかは分からない。クリーニング屋の一件の前かもしれない。私はそのまま彼女のフォローを外した。たぶんもう互いの人生が交わることはない。
世の中のあるあるなんだろうけど、結婚~妊娠~子育てで、あまりにも義父母と自分の考え方が違って辛すぎる。
ここで吐き出させてください。
私(夫)は父親が中学の頃に家を出てって、実質的にシングルマザーの家庭で育った。
別に母子の仲が悪いわけではないし、それで寂しい思いをしたことはないし、まったく気にせずに過ごしてきた。
妻もそんなに裕福ではなさそうだが、家族は仲良い様子だった。ご両親と義姉の4人家族。
入籍は、私と妻が共通で好きな某ミュージシャンの誕生日にでもしようか、という話をしてた。
覚えやすいし、結婚のきっかけとなった人だし、クリスマスとか2人の誕生日とか行事ごとの無い月でプレゼントを買ったりするのにもちょうどよいと思ったから。
が、妻から「義父母に『その日は仏滅だからやめろ』と言われた。今年の11月22日・いい夫婦の日は大安だからその日にしよう」と提案があった。
妻の誕生日は12月なので、それでは短い期間に結婚記念日と誕生日とクリスマスが連続してしまう。
なにより私は仏滅とか大安とか気にしたこともなかった、というかその存在をほぼ初めて認識した。
でも、義父母のいうことなのだから、まあ聞いたほうがいいのかな…と11月22日にすることに決めた。
結局その日は大雨、役所もとても混んでいて、あまりいい思い出にはならなかった…。
ここから少しずつ、義父母のいいなりになることに後悔としんどさを覚えるようになっていった。
妊娠して数か月、お腹のふくらみも目立ち始めてきたころ、妻が「義父母から『家族みんなで某県のお寺に親戚の七回忌に行きたいんだが、一緒に来てくれ』と言われた」と告げられた。
世の中はコロナ禍の真っ只中だ。
妻は妊娠中の大事な時期で、しかも(これは私が悪いんだろうけど)我が家には車がないので、60代の義父の運転で行くという。
義父母の家族は全員喫煙者なので、申し訳ないが非喫煙者の私にとっては車の中はとてもタバコ臭くて苦手だ。
タバコ臭のする高齢者の運転する密な車内に、妊娠中の妻を載せて往復4時間以上…、おなかの子供が心配だ。
結婚式やお葬式ならまだしも、7年前に亡くなったご親戚のために侵すリスクではないのではないか、と反対したが、妻は「義父母が、あなたを親戚みんなに紹介したがっている」と譲らない。
そういうものなのだろうか…、親戚づきあいや冠婚葬祭に無頓着な家庭に育った私には判断がつかない。
また、これも私が悪いことなのだが、冠婚葬祭に無頓着かつ幸いなことに社会人になってから身内に不幸もなかったので、喪服というものを持っていない。
会社も私服勤務なので、フォーマルな衣装は結婚式用のもの一式のみ。
革靴はウィングチップなのでどうやら葬儀にはダメらしい、シャツもネクタイも柄物なので当然着ていけない。
なので結局、会ったこともない7年前に亡くなった義理の親戚のために、数万円かけて喪服一式と革靴を新調して某県へ向かった…。
七回忌後では、マスクもろくにせずに十数人の親戚と会食をした。
「これで万一クラスター感染して妻が流産しても、世間からは『自業自得』と言われるだろうな…」と、みじめな気分になった。
子育てのことを考えて、義父母の家から車で数十分のところにした。
これならいざという時に妻は義父母のことを頼れるし、妻にも子にも良い環境だと思ったからだ。
そして時は立ち、妊娠が発覚してしばらくしたころ、義父母が引っ越したという。
私たちのマンションからさらに近くなり、バスで1本、歩いても行ける距離だ。
近くなる分にはそりゃあ嬉しい気もするけど…、なんの相談もなく、なんだか、急に距離を詰められた気がする。
そして。
我が家には猫がいるのだが、品種的に人懐っこいタイプじゃなく、こちらから撫でようとしても撫でさせてくれない、なんならひっかいてくるような猫だ。
人と猫、お互いあまり干渉せず程よい距離感、たまーにデレるのがかわいいタイプなのだが。
こちらからちょっかいを出さなければ基本的にひっかき癖は顔を出さないし、もし何かのきっかけで興奮してひっかいてこようとしても、おもちゃで遊んであげて気持ちを鎮めれば大丈夫。
上手い距離感で遊べるように躾けていた(まあ、猫に躾けは無理なので、そういう習慣付けていたというのが正しいか)、のだが…。
週一でやってくる義母はそんな思惑など関係なしで、素手で猫にちょっかいを出す。
私がいるときは「遊ぶときはおもちゃで遊ぶようにしてください」とやんわり注意するようにしてるのだが、不在の時はどうしようもない。
猫は当然興奮して、人の腕をひっかいてよいものだと認識するようになり、お行儀もどんどん悪くなっていく…。
猫は何も悪くないのに、時にはゲージに閉じ込めなくてはならなくなった。
つらい。
そんなモヤモヤが少しずつ積み重なっていきながら、ついに妻が出産を迎えた。
コロナ禍で出産に立ち会えないどころか、出産後の2週間、妻の入院中も面会はNG。
スマホのビデオ通話でしか赤ちゃんの姿に会うことはできなかった。
そして待ちに待った退院の日!
妻ははじめての出産でとても疲れていたが、私は嬉しくて仕方なかった。
家に着いて、母と息子と父と猫、3人と1匹きりのはじめての時間…、ゆっくり過ごして嚙みしめたいな。
義母は、どこで買ってきたか、ペラペラの子供用布団とシーツ・キッチンに置き場の無い大きくて安っぽい哺乳瓶ケース・すでに我が家に用意してあった哺乳瓶を洗うスポンジなどなど…、何の相談もなしにたくさんのベビー用品を我が家に持ち込んできた。
もちろん、私たちもお店やネットでたくさん候補をリストアップしていたのだが…、Amazonプライム会員なので、注文すればすぐ届くのだが…、そんな言葉を飲み込んだ。
妻が妊娠してから皿洗いは私の当番なので、モチベーションを上げるためにコツコツと自分なりにお洒落なキッチン用品を買いそろえていたのだが…、統一感のない安めのプラスチックのグッズがキッチンに並んで一気に台無しになった。
皿洗いや哺乳瓶洗いが、視界に入る100均製品のおかげで全く楽しくなくなった…。
また、私の母は衣料品の工場勤務で、ちょうどちょっと高級なセレモニードレスやおくるみを作っており、お祝いに送ってくれた。
大変ありがたかったのだが…。
我が家に何があるかなど全く気にせずものを買ってくださる義母、もちろんセレモニードレスもおくるみもある日突然、何の相談もなしに持ってくる。
デザインもよく似た、父方と母方から贈られたセレモニードレスが2着…、行事ごとでどちらを着せるか胃が痛い。
そのほかにも、裁縫が趣味である義母は、自作のベビー服やおくるみをたくさん持ってきてくれる。
ありがたいとは思うけど…、いつ買った布なのか、白かったであろう生地部分が少し黄ばんでいるように見える。
義両親の家は全員喫煙者。
不安だ…。
前述の、私たち夫婦が共通で大好きな、結婚のきっかけになったミュージシャン。
そのミュージシャンの名前から取った、2人とも気に入っていた名前があったのだが…。
画数が良くない、言葉の響きが大昔の隠語を連想させる?といった、腑に落ちない理由で難色を示された。
その名前を書く命名ボードも、自分たちなりにモダンなものを買おうと思っていたのだが、結局は退院日に義母が勝手に(おそらく100均あたりで)用意してきたもの…。
その命名ボードを見るたびにモヤモヤしてしまう事が、子供に対して本当に申し訳ない。
例えば生まれて一か月の「お宮参り」、100日後の「お食い初め」、女の子ならひな祭り、男の子なら端午の節句、そして大きくなったら七五三。
私の実家では、そういったことはあまり無頓着だったし、やったとしても親子でしか祝ったことがないのだが、義父母にとっては「祖父母や親戚も含めて行う行事」らしい。
お宮参りも義父母家の近くで行ない、写真館で祖父母込みで写真を撮り(はじめて知ったけど、子供の写真を撮るのにこんなにお金がかかるとは…)、その後はコロナ流行真っただ中でも会食。
うちの母は遠くに住んでいて高齢だが今でも工場勤務をしているので、お宮参りのためだけに往復4~5時間を日帰りだ。
お食い初めも、もちろん食器も料理も私は選ぶ権利を与えられなかった。
そんなに行事ごととか親戚づきあいとか縁起を担ぐのって大事なのかな?
自分たちの好きな日に、親子でささやかにお祝いして、スマホで写真を残せば十分なんじゃないかな?と妻に言ってみたことがある。
すると妻には「我が家はずっとそうだったし、それが一般的だよ。そういうのが嫌なんだったら、結婚前に言っておいてよ」と返された。
だってそういうものがあるということを知らずに育ってきたから…。
まるで、私と私の母親は一般的じゃない異端な家族…そういわれたようで悲しかった。
十分、幸せだったけどなぁ。
この後の端午の節句も、七五三も、私や私の母の意向は関係なく進められるのだろう。
親子水入らずで何かイベントをするということは今後なく、義父母と一緒の写真がアルバムに並ぶんだろう…。
ずっと後悔としんどさを抱えて子供を育てていかなくてはいけないこと、そして自分の子供時代が否定されてるような気がして、寂しい。
何のための入籍なんだか