はてなキーワード: 仕事人間とは
というのはよくある話だけど
30代でもうそこまで来ると思わなかった
もうBAD ENDということで電源落としたいんです
それでいいじゃないですか
でもそれも許されないみたいなんです
____
詳しく
単純に趣味が楽しくなくなったのが大きいと思う
前から言われてるけど、30代以上の男性が楽しいように世の中はできていない
仕事人間だけど、ある種の到達点まで一旦来てしまった、この次は社長になるしかない、そのモチベがわかない
旅行や飯には元々興味がない、興味があるふりをしてるけど本当は無い
体作りや人脈づくり、これも同じ
ゴミクズ人間なので友人もできない、作ろうとする気力もわかない
それでもネット徘徊したりゲームしたり楽しく生きてる人も居るんだけど、何か辛いことがあった瞬間に本性が出てしまう
何もないことに気づく
次に何をしたら良いかもうわからず、最近は誰かに言われるがまま生きている
その人もやがて消えるだろう
最悪山梨の彼女のように個人が特定されて社会復帰不可になるのか
そんなことを考えていたら1週間めまい不眠頭痛が治まらず病院にお世話になった
第二波は今
恋人との月に数回のお家デートのたびに罪悪感と恐怖心が止まらないのだ
デート(と仕事)以外友人と会ったりイベント、外食や無駄な買い物などリスクとなりそうな行動はしていない
毎朝検温してアルコールを見つけたらシュッとしている
こまめに緑茶を口に含む
職場での昼食も外食は絶対にしないし会話が発生しそうな自席ではなくベンチなどで一人で食べるなどしている
しかし、肝心のデートのたびにもし、感染したら今日この日のデートを後悔しないか?といつも怯えている
この恐怖心と、恋人に会うだけで恐怖を感じなければいけない状況がいつまで続くのか分からないことが大きなストレスになっている
もちろん感染したら後悔すると思う
だけど恋人とのデートは仕事人間の自分にとって唯一の癒しと楽しみなのである
会わないという選択肢は死に匹敵するが、かと言ってすぐに同棲や結婚ができるわけではない
喉が弱いようで昔から疲れると喉だけ痛くなることがあるのだが、デート後たまたまそうなる事があると感染したのではないかと夜も眠れない
完全在宅の部署から出社しないとできない仕事の皺寄せが来るので本来自分がやらなくていい仕事で忙しさが3月からずっと続いている
そのため終電で慌てて帰ることも珍しくないし、土日もどちらかは出社している
職場には年寄りも沢山いるのでもしうつしてしまったらどうなってしまうのか
誰も口にはしないかもしれないが戦犯扱いは免れないかもしれない
恋人に会うだけでこんなにも怯えなくてはいけないことがとても辛い
そして、こんな世の中で自分の周りの人にとってもリスクがあると分かっていながらも自分の気持ちを優先してデートを続ける自分はとんでもなく身勝手で非常識な人間なのではないかとも思う
みんなデートどうしてるのかな…
【覆水盆に返らず】
自分は、小学4年生(10歳くらい?)の時に父親が女をつくり、家から出ていき、それから母方の実家で高校卒業まで育ち、東京の大学に進学した。
こういう話は今のご時世ありふれた話であるし、母子家庭で育って苦労しました…という話でもない。
母方の実家にある程度金があったので何も苦労することなく大学まで出してもらったし、何なら大学生の時にアルバイトもほぼしなかった。
父親の実家にもある程度金があったので、教育費をほぼすべてサポートしてもらっていたらしい(これは最近母親から教えてもらった)
仕事人間だった父親は土日もほぼ家にいなかったし、平日は父親が帰宅するころには寝ていたから父親との思い出というものがほぼない。
土日に父親がいないことで家がたまり場になっていたことは内向的な性格の自分にとってはいちいち友達に声がけしなくて友達と遊べるからからありがたかった。
母方の実家に住むことで弟と別の子供部屋ももらえたし、叔父が残していった80-90年代の大量の漫画(マスターキートンなど)などに触れられたこともラッキーだった。
母方の実家がもともと住んでいたマンションと比較的近いところにあったので、通う小学校が変わらないこともストレスにならなかった。
ご飯も祖母が毎回きちんとしたものを作ってくれるので、生活の質は全般的に向上したと思う。
学校が終わると亡くなった祖父と弟と夕方早めに風呂に入って、祖母が作ったバランスの取れた夕飯を食べて、夜は弟とポケモンルビー&サファイアをするパラダイスみてぇな環境だった。
パラダイスみてぇな環境で過ごしていたある日、父方のひいばあさんが亡くなったと連絡をもらった。
そこで父親と5-6年ぶりに再会した。自分は高校生になっていた。
母親は僕が父親が接触することを嫌がっていたが、久しぶりに父親と会話するのは新鮮だった。
これからはこういう時代になるから大学はこういうところに進学したほうがいいとアドバイスをもらったが、的外れな意見だったのでシカトした。
自分は父親が出て行ったいたことは正直に言うとあまり気にしていないと伝えると、安堵した様子だったことを覚えている。
(だって父親と住むより環境が良いし、そもそも一緒に暮らしていないも同然だったので)
父方の祖父・祖母が家業を畳んだり、引っ越ししたり、老人ホームに入ったりとちょいちょいイベントがあったので、前よりも父親と関わる機会が増えていた。
父方の従兄弟と久しぶりに再会したり、父親の粗相でなくなっていた親戚が一堂に会するみたいなイベントもこの頃に復活した。
父親の祖母が嬉しそうだったので、まあこういう時間も悪くないななんて思ってた。
社会人になってからは会うというより電話することが多くなった。
老人ホームに入った祖父・祖母が怪我や病気をしたりすることが多くなり、そういう情報を共有してもらっていた。
父親からはお通夜のあとに一晩葬儀場に泊まるので、自分と弟も一緒にも泊まって欲しいとお願いされた。
自分は断った。面倒だし葬儀場にはシャワーがないらしく、朝シャワーを浴びることができないことは、現代人の自分には耐えられないと思ったからだ。
父親の弟(叔父さん)からは、父親は自分と弟と一晩語りたいという思いがあるらしく、説得らしきものをされたが、断った。
別に恨んでいる訳でもないが、いまさら何を語るのか?不思議で仕方がなかった。
父親が赤ん坊だった自分を抱っこしたときに、自分におしっこを漏らされた話でも延々するつもりであったのだろうか?
「語る」だなんて、大学生の宅飲みじゃないんだから勘弁してくれと思った(しかも、となりの部屋には祖父の遺体がある、実にスリリングである)
ただ、父親が20年近く前にした家を出る(家族を捨てる)という行為に対する、代償は確かに存在する。(僕ら兄弟がそういった行為に対して、大したダメージを受けていなくとも)
父親が僕ら兄弟とよくある親子のような関係を今になり望んでも、残念ながら、僕ら兄弟はそれを望んでいないのである。
こういうことって端的に言えば、「覆水盆に返らず」になるかーと思い、人は太古から同じ過ちを繰り返すものだと身をもって理解することができた。
ただ、僕も年齢を重ねるように当時の父親が置かれている環境に同情することも増えてきた。
「仕事をしてお金は稼がないいけない」「妻とは上手くいっていない」「子供にはなついて貰えない」。
そんな状況の中でリセット願望が出てきて、それを実行しちゃうって気持ちも正直わからんではない。
ただ、そういうことを実行した際には後に金を積んでも何をしても戻せないものがあるっていうことだ。
この記事がどれだけの人の目に留まるかはわからないが、きっといま20年近く前の自分の父親と似た境遇の人もいるはずだ。
蒸発してしまう前に一度冷静になって欲しい。将来あなたは子供に恨まれるのではない、子供にとって関心がない存在になってしまう可能性があるのだ。
二ートを抱えた家族は、すぐに崩壊はせず、緩やかに壊死していく。
私の実家もその典型的な一例であるため、「ザ・ニート家族」はこのように形成されるということを、
兄と私の半生を交えながら紹介したいと思う。
2人兄弟の末っ子として生まれた私は、兄と年齢が少し離れていたこともあり、両親、祖父母、親戚から可愛がられており、兄は必然的に放置されがちだった。
兄からしてみれば、自分を蔑ろにされている感覚からさぞ私を恨んでいたことだろう。
しかし、家族全体を通して見れば、多少ケンカをする2人兄弟の4人家族という一般的な家庭であった。
定期テスト、塾、受験、進学に関して、成績が悪かった兄を強く叱るようになり、それに兄が反抗し更に勉強をしなくなるという、負のフィードバックループが起こっていた。
また、学業だけでなく、日常生活全般に関しても気に入らないことがあれば怒鳴り散らし、自分が思う「躾け」の型に兄をはめていった。
そんな中、高校卒業を間近に控えた兄は、今まで自分の進路や行動を母に縛られていたため、
当初、大学に進学せずに働こうと考えていた兄だったが、やりたい仕事もなければ行きたい大学もなかった。
結果、ただ親に「今のご時世、大学には進学しておけ」と言われたから進学しただけの、Fラン大学生が誕生した。
高校は自由な校風の進学校に進んだ自分は、真面目に部活と学業に打ち込み、上位の国立大学に進んだ。
決定的な転機が訪れたのはここである。
今まで母は過干渉なぐらい兄につきまとっていたが、
今まで自分の人生に無頓着で、重要な選択さえも母の干渉を受けていた兄は、
「ただ今が楽であればいい」と考えるようになった兄は、
親がうるさく言ってこなくなったのをいいことに、大学卒業を間近に控えても就職活動をせず、ニートの道に進んでいった。
一方、兄への干渉を辞めた母は、幼少期ぶりに自分に接近するようになる。
しかし、今まで自分は母親に悩みも相談したことが無ければ、進路や人生の指針を相談したこともなく、
就職も結婚も確定してからの事後報告であり、「親を喜ばせる」なんてことは一切頭になかった。
そしてこの物語には、父は一切出てこない。
父は仕事人間であり、躾けどころか子どもの相談にも乗ろうとしなかった。
母が兄を怒鳴り散らしていた日々においても、その教育方針に口を挟むことはなく、黒子に徹し続けていた。
今まで教育を母親に任せきりにしてきた父は、無職の兄に対し躾けをする権利も、家庭内での発言権も無くなっており、
そんな威厳の無い父親を、兄と母は敵扱いしていた。
父→普段から育児に加わらず、家庭が崩壊寸前でも何もしようとしない
子(ニート)→小さいころから主体性を奪われているため、一人では何もできない
子(非ニート)→実家から逃亡し、何を言われても他人で押し通す
これら過干渉・不干渉の極端なバランスが、家族の形をいびつにしていく。
このパターンに当てはまる(緩やかな)崩壊家族、日本に結構あるんじゃなかろうか?
兄が30後半に差し掛かり、両親も定年に入り収入が無くなった今、
親が亡くなれば、家や土地を兄が継ぐのかもしれないが、後に残されうるのは主体性を失った兄であり、
そんな兄にいくら財産が付与されようとも解決の道は開けないだろう。
人と関わるのが苦手で、大人に取り入るか周囲の期待するピエロになることで10代を生き延びた。20代も基本方針は変わらず。ていうかそれしか生き方知らなかったからなあ。そして20代から、不良品仕様のやらかしが多発して要所要所で人生がプチ炎上。たぶん発達障害だなと30手前で気付く。
カッとなったら周りが見えなくなって、人やモノを平気で傷つけることができる。今は全くやってないし反省もしてるけど、小さい頃は親に隠れて弟を虐待しまくってた。下手してたら殺してた。いや、もしかしたら幼心に「上手いこと殺さない程度に」やっていたのかもね。
やりたいって言ったことは基本やらせてくれるし、お金もどんどん注ぎ込んでくれた。一応それなりに怒られもしたけど、両親も含めて周囲にはしこたま甘えて生きてきた。
他人から見たら「何か要領良くやってるし、好きなように生きてる」ように見られる。でもそんなことない。
人付き合いは疲れる。仕事も長続きしない。家から出たくない。別にやりたいこともない。
行動や意思決定は気分本位。気分がノッてたら自分でもビックリするようなパフォーマンスができる、逆の時は何やってもダメ。気分障害だなって最近やっと気づいた。
緩やかだった躁鬱の波の振れ幅が数年前から大きくなってきた。躁になって、借金しまくって金を湯水のように使い果たした。今思い出してもゾッとする。誰にもお金なんて借りたことなかったし、その行為自体を忌み嫌ってたのに。今は鬱モード。休職してたまの通院以外は引きこもり中。
今年の頭に一人で海外出張に行ったんだ。先方はとても親切で協力的でいい人達なのだけど、私はコミュ障だし、責任とかプレッシャーとかいろいろなものでガチガチに緊張して、とってもしんどかった。なんとか無事に仕事が済んで、成果もそれなりに上がって、次の仕事との間の週末を挟んでいたので1日だけ現地で休暇をとった。次の仕事もプレッシャーでいっぱいで緊張していたから、とりあえず休みが必要だったんだ。
どこかに行こうにも、仕事人間すぎて何をしたらいいかわからなかったから、街をうろうろ歩き回って、目に入った現代美術館に行ったんだ。現代美術なんて、これっぽっちも興味なくて、いつもなら素通りするのに。まだ寒い時期だったから、とりあえず建物に入りたかったのもある。
展示は風刺画とか意味がわかるものもあって面白かったけど、意味のわからないものもたくさんあった。意味がわからなかったのにすごく印象に残っている展示があった。部屋に入ると紙飛行機の形に加工された古びた大きな鉄板が置いてあった。そのすぐ前の壁にプロジェクタで映像が写されていた。映像では、どこかヨーロッパの田舎の村の空撮が写っていて、一軒の古い家にカメラが寄っていくと、二人の男性が梯子でその屋根に登ってくる様子が見えた。その二人は、そのまま工具を使って屋根から鉄板を2枚切り出して、紙飛行機の形に折り曲げ、終わるとそのまま去っていった。屋根には大きな穴と、2つの鉄板の紙飛行機だけが残っていた。
なんだか分からないけど、映像を見ながらドキドキした。見つかっちゃいけない、でも楽しいいたずらを仕掛けているみたいだった。なんかね、映像のなかで紙飛行機がちゃんと完成して、男性二人が屋根から無事に逃げおおせたのを見たとき、ふっといろんなプレッシャーから自由になれたような気がしたんだ。
世には大企業信仰みたいなのがあります。かくいう俺もその信仰にドップリ浸かっちゃってるんですが、かといってその大企業は最高かと思いきやそんなことはないらしく、ツイッターにはドワンゴとかNTTとか富士通の有名企業の悪いところがいっぱい書いてある退職エントリがいっぱい転がってる始末です。
じゃあ中小やらベンチャーなのかって話なんですが、TLの(おそらく)中小勤務の人たちは低い給料に喘いだり、消息を絶ったり、いいね報告でしか生存を確認できなかったりみたいなことが散見されるので基本闇だと思います。全員がエンジニアじゃないのでまちまちだとは思いますし、観測範囲も狭いですが、、、
話は戻りまして、退職エントリの話です。退職エントリを書いてる人は、文章から察するにとても知的で、勉強量も積んでて、技術を学ぶことが趣味のような人たちです。でも俺はスキルなんてぜんぜんなくて(たまにPythonでDiscordのbot書くくらいです)、頭も悪いし、勉強は必要に応じてするレベルです。こんなんで俺マトモになれるんですか?どうしてそんなバリバリに仕事してきた人間がそんなストレス背負う必要があるんですか?そんなバリバリ仕事人間ですら壮絶なストレス背負ってるのに、チンカス人間の俺はどうすればいいんですか?そもそも俺は就職できるんですか?助けて...助けてください...
新しい上司がやる気に満ち溢れていて眩しいくらいポジティブで最初は今までの放任主義の上司と違ってなんていい人だろうと思ってたけど真人間というか仕事人間というか自分と人種が違いすぎて辛い
上司と言っても別々の場所で別の仕事をしていることが多く、私の仕事は「レジピッピッするだけの仕事」と思われている
いやまあピッピッはするけど接客もあるしその合間に値札つけたり品物をいい感じの配置で並べたり廃棄処分の手続きとか色々あるんですよって言ってもピンと来てもらえなくて
これぜ~~~~んぶ棚に並べてね!あとここからここまでは処分しようね!簡単だね!と
物は腐らないし取引先がいるわけでもないし締め切りもないのに○日までにやろう!と言われ
古い品物の処分なんかゴミ箱にポイ!するだけでいいと思っていていや処分にも色々手続きが……と説明してもやっぱりあまり分かってもらえなくて夏くらいに毎日サビ残をしていた
辛すぎて別の人に愚痴ったらそれとなく本人に伝えてくれて「急かしてごめん、○日に終わらせなくてもいいし勤務時間通りに帰っていいから」と言われていたのだが
今日見せてもらった人事評価が5段階中3中心で仕事のスピードについては2だった
そもそも人事評価を導入するのは来年と言われていたはずなのに唐突にいや今年からですけどみたいなことを言われて二重に不意打ちで言葉が出なかった
時間通りに帰っていいとか言っておきながら内心は増田さんってノロマだなあと思ってたんだな
上司は、というかこの業種の正規雇用の人たちはサビ残や持ち帰り仕事当たり前で休みの日にも仕事のために車を走らせ仕事に必要なものを見繕ってレンタルして車に積んで月曜日に積み荷を職場に運び込むなんて当たり前のようにやっていて
でも私は正規じゃないし手取りも10万くらいだし5年に一回契約切れる不安定な立場だし車も持ってないし休みの日にも働くなんてやりたくないのでやらない選択をしているのだが
何で増田さんは仕事のためになることをしないんだろう、勤務時間内にできないんなら勤務時間外にするべきなのに、どうして?とキョトンとした顔で何の悪気もなく不思議に思っているのかもしれない
たぶんそっちの地域だと私と同じ職種でも正規雇用でフルタイムでそれなりの給料をもらっているのかもしれない
だから上司は私が限られた予算でやりくりしなければならないことやフルタイム勤務じゃないことや給料が少ないし立場が不安定なので職場にそこまで尽くす義理を持たないことに思い至ることができないのかもしれない
超がつくポジティブでちょっと天然でネアカでセロトニン常時ドバドバ出てますみたいな人だし妥協して職種選んで嫌々出勤している人の気持ちなんて分からないんだろう
でもそんなにポジティブな上司がおそらくもっと上の人に「増田さんの人事査定しなきゃいけないんだけど増田さんの働きぶりはどう?」と聞かれ「仕事が遅いです、5段階で言うと2ですね」と伝えてこうなったであろうことを思うと気持ちが悪くなってくる
中学生の時よりまともな人間になれた気がしてたけどそれは自分のゴミっぷりを直視させられる機会が減ったからでやっぱりゴミはゴミなんだなあ
今年は契約が切れる年だからまた試験受け直して採用されなきゃいけないけどあの人事評価が影響するなら落ちるかもなあ
送別会は上司が花束を贈呈する役なんだろうけど増田さんはいつも頑張っていて~って心にもないことを言わせることになって申し訳ないなあ
と先のことばかり考えてしまう
あ~~~~仕事したくないなあ
とある女性のツイートを読んで、世の男性のなんと哀れなことかと同情せざるを得ない。
>https://twitter.com/kourei_mama/status/1177371710875521024>
「俺も我慢してる」「仕事で仕方ない」とか言うけれど子供は大きくなったらあなたを求めないし子供が大きくなったら妻もあなたを求めないし年老いたら会社もあなたを求めない
今だけだよこんなに求められるの。それでも理由付けて自分優先して後悔しないようにね
と、夫に言ったら考え込んでる
>https://twitter.com/kourei_mama/status/1177696583380389888>
家庭にもよるけれどうちは共働きだし父親だけが稼ぎ役ではない。互いに支え合ってる。それでいつも自分を優先していたら妻も子も父が居なくてもドンドン歩んで行くから、後になって逆に求めても父不在で歩む力を既に妻子は持っているんですよ。
察するにこの男性は仕事人間なのだろう。子育てにはあまり関われていない。それを妻は諫めている。しかし、私にはこの男性の苦悩が良く分かる。ATMと父親という二つの責務を如何にして全うするか。喫緊の課題である父親の役割と、将来的なATMの強化をどう両立するか。
ATMたれ。これは男性にとって強力なプレッシャーである。最早呪いと言っていい。ATMとして家庭に金を提供する。まずこれが出来ない夫はクズであると評価される。平均以上で不自由のない生活が出来るだけの十分な量の金を提供できて、やっと一人前。妻も当然のように要求している。もしこれが不十分であるなら、父親の役割どころではない。最優先で注力すべき事項である。しかも、妻も働いている。おそらく「俺の稼ぎが不十分なために働かせてしまっている」と負い目を感じているであろう。余計に熱が入るというものだ。まずはATMを強化するのが俺の役目。そう信じているに違いない。しかし、これを自分優先と非難されるのだから哀れである。
運の悪いことに、社会において昇給が大きい時期と子供が育つ時期が重なっている。今仕事を頑張らなければ昇給は望めない。しかし今子育てしないと子供は大きくなってしまう。同時にこなせるだけの能力と時間はない。詰みである。この男性が考え込んでしまうのも納得だ。
もし今、この男性が仕事に重きを置くのを止め、子育てを選択したとしよう。一時的に妻の要求は満たされ、家庭に円満が戻ってくるかもしれない。しかし、その先はどうだろう?子供が大きくなれば、今度は教育費が最大の課題となってくる。さらにその先には年老いた両親の介護が待っている。そこで問題となるのは一にも二にも金だ。その時収入が伸びていないとすると、妻は何と言うだろうか?「あれだけ子供を放っておいて仕事したのに、ATMとしても役にたたないわ」最早哀れという言葉以外何が当てはまるだろうか。自らの趣味などかなぐり捨て、仕事と子供に全てを捧げて、この言われようである。
価値観の問題ではない。育メンなどともてはやされたところで、結局金を十分に稼げない男性は不要物の烙印を押される構造になっているのである。若き未婚の男性諸君、現状で十分な金を稼ぎ出していないのであれば、努々(ゆめゆめ)結婚して子供を持とうなど思うなかれ。
途方もなくめんどくさいし、どこまでいってもこれがモデルケースだよ!ちゃんとやんなくちゃダメだよ!って言われそうで。
誰かと一生懸命に向き合いたくない。向き合えば向き合うほど裏切られるし、自分も思い通りにできない。
でも、仕事だけして一人で生きていくのもいや。
そんな人生虚しすぎる。というか、休日が暇すぎて寂しすぎて死ねる。
かといって仕事に向かいすぎて仕事人間になってもウザがられて、そんなん誰も望んでないよって言われて社会から放り出されそうな気がする。
本当のこと言うと、一人でいると40〜50になった時、寂しすぎて狂うと思う。
なんかみんなは器用に人生生きててちゃーんと家族作って幸せそうにやってそうで。
というか実際そうなって来てる。
あとそれだけじゃなくて、金がとにかくない。
社会人6年目なのにまとまった金が全然ない。貯まらない。それどころかちょいと借金。
税金もどんどん増えてくみたいだし、老人もどんどん増えてくみたいだし、国自体もお先真っ暗。
どうやって生きていけばいいのこれ。
でも、なんとなくわかってる。
ちゃんとやれるんだ本当は。
投げ出しさえせずにきちんとマジメに一個一個折り合いつけてやっていけば。
形は完璧じゃなくてもそれなりにやれるんだよ。
でも、それなりじゃ嫌なんだよなあ。
それなりでなんとなく窮屈に諦めて生きたくないんだよなあ。
愛し合ってる人と最愛の子どもを生んで、やりがいのある仕事をしてみんなから認められて、そんでお金もいっぱいもらって何不自由ない暮らしがしたい。
親の面倒も見たいし、子どもも大学まで育て上げたいし、奥さんと死ぬまでイチャイチャしたい。
どうすりゃいいんだよこれ。
真面目に生きようと思えば思うほど無理ゲーすぎることに気づいていくよ。
死にたくもなるよなこれじゃ。
でも生きていたいよ。希望持ちたいよ。
泣いちゃいそう。
いわゆる仕事人間。
ビットコインとか、株式とか、不動産投資には全く興味がなかった。
老後に2000万円必要だというニュースがあったので、今日、ふと銀行に分けてある貯金を合算してみた。
1億600万円あった。
家買ってないし車も持っていないので借金はない。アセットもない。完全に純金融資産。
考えてみれば学生の時と持っているものは大して変わっていない。
増えたのは奥さんと犬だけだ。
億万長者っていう言葉に子供の頃は心踊ったけど、いざ億のお金を自由に動かせるようになったとしても
多少の安心はあるかもしれないけれないけれど、
僕にとってはお金はあってもなくてもあまり意味がないことがよくわかった。
そう思ったら、生活に必要な分だけあればお金って必要ないということがわかった。
それが僕が一億ためてわかったことでした。
パパ活でいろんなコと知り合って、最近の「そこそこ可愛い」コの成り上がりストーリーがわかってきた。
■前提
・整形が発達して、「そこそこ可愛いコ」なら「相当可愛いコ」にすることができるようになった。釈由美子の時代の整形と、深田恭子や石原さとみ時代の整形の差。最近の数年で整形技術は飛躍的に進化し、一般人でも100万程度で手が届く。
・水商売は過激なほど稼げるわけではない。 「そこそこ可愛いコ」がソープやデリで働くよりも、整形して「相当可愛いコ」になってキャバクラやラウンジにいる方が圧倒的に稼げる。
・AVはそれ自体稼げない。パパ活や海外売春のためのステータス付け。
・パパ活の普及はヤバイ。「そこそこ可愛いコ」でも普通に月30-50万は稼げる。「相当可愛いコ」だと、月100万は余裕。
・海外売春は完全にルートができてる。おそらくは反社系のシノギだけど、「相当可愛いコ」なら月に200万稼ぐことも可能。
—
こういう背景の結果、頭やスキルで稼げない、どこにでもいる「そこ可愛い女のコ」の成り上がり術として
以下のルートができた。
ちなみに「そこそこ可愛い」の定義は、高校のクラスで上位2-4番目くらい、って感じのレベル。
4:さらに200万くらい稼ぐ
5:さらに整形する → 「まあまあ可愛いコ」から 「相当可愛いコ」になる
7:1000万から2000万の現金と「相当かわいいアラサー」になる
8:可愛いアラサーとして婚活して、ハイスペ童貞と結婚。これまでの経験を活かせば簡単に手玉にとれる。
9:稼ぎが良くて真面目で仕事人間な旦那とコドモ作って何不自由なく暮らしつつ、人妻不倫をエンジョイ。稼いだ2000万はヘソクリで手堅く運用。離婚しても安心。
描きたい内容を単純化しつつわかりやすい折り目をつけ、誰でもついていきやすい速度でありながら明確な変化を持って描かれる最大公約数的なストーリーテリング。画面を広く使いつつ視点を大きく動かさないようにする雄大なカメラワーク。日常と幻想の間に半透明の敷居を置き両者をはっきり区別しながら横へと並べる非連続的な非日常性。これがいい意味での細田守らしさ。
ショタコンにしてケモナー。自意識過剰なキャラクター。誰もが承認欲求に飢えているという断定の元に進む構ってちゃんストーリー。全てを自分の口で説明してしまう自信のなさ。ヒステリックさと寛容さの両極端。これが悪い意味での細田守らしさ。
未来のミライを面白かったと言えるかの全ては、細田守の悪癖、性癖、嗜癖を理解した上で、その発露を作家性として消費することが出来るかにかかっている。逆に、そういったものに対して一切無頓着に、ただ何も考えずに綺麗な映像が流れる2時間のパラパラ漫画だと思って鑑賞するかだ。
未来のミライには細田守の内面”だけ”が描かれている。”だけ”である。この映画は主成分が細田守なのではなく、すべての成分が細田守なのだ。全スタッフの労力、作業は製作の過程で全て細田守分として返還されてしまう。そこに慈悲はない。この映画は全力で細田守であり、それ以外のものが含まれることは認められていない。実際、この映画の制作にあたってスタッフに細田家のホームビデオが見せられたというエピソードすらある。スタッフが「家庭」というものに描くイメージを、「細田家の家庭」というイメージで塗りつぶし、他の家庭から異物を混入されることを防ぐ徹底した管理体制である。
甘えん坊でわがままで自分を認めてもらいたくてたまらない子供は当然細田守であり、彼の成長を通して鑑賞者から贈られる称賛を求めているのも細田守自身なのだ。彼が作中では徹底して直接その苦しみを認められることがないのは、そういうふうに世界を見る細田守が細田守の中に居るからである。電車好きである点などは細田守の実子がモデルとなっている。彼にとってこの映画は自分の子供が成長する姿を通して「かつて自分が子供だった頃に成長したことを客観的に見ることになった」という事実を描いたものでもあるのだ。ケモナー成分を取り込んだりハチゲームでクネクネしていたりと(ショタコンケモナー向け)サービスシーンも多く、彼が主人公であるということは、細田守にとってはケモナーやショタコンであることが自己同一性の核であることを示す。
客寄せパンダとして使われまくったのに、出てくるシーンは意外と少ない。未来という名前、赤ん坊であること、婚期を逃すことを気にする発言、最終的にくんちゃんに血縁上のつながりを思い出させる役目、これらの要素から「男女の関係によって子孫を残すこと」のメタファー、ひいては「(ショタコンではなく)普通の人間として生きること」のメタファーであることが伺える。同時に「世間で受け入れられ、未来に繋がる作品」のメタファーでもある。最初にキャッチコピーとして登場し、最後のクライマックスにおいてただの細田守回顧録であった映画を一般向けの娯楽映画へと引き戻す役目を追っていることからもこれが分かる。
仕事人間であり、子供の親でもある細田守。一般的役割に対して性別が反転しているのはジェンダーフリーというよりも、それぞれに細田守に繋がる要素をもたせることで、どちらもを細田守にするためである。時折ヒステリックなのも妙に余裕ぶってみせるのも、自分たちが変わってきたと殊更に言うのも、全て細田守の独り言なのだ。
オスケモ。王子だったという発言は、細田守の中で最も大事なものがケモナー性癖だったことの暴露である。それにかつてという言葉をつけるのは、今の自分はそれを卒業したという自負である。
ホモホモしい外見、言動、であるのだがそれがハッキリと語られることはない。ここまで赤裸々にショタコンもケモナーも自己開示してきて、それをあえて語らないのは、細田守の中において自分のホモセクシャルへの興味がまだ疑問の残るものであるからである。逆に言えば「それすらも」赤裸々にスクリーンに映し出したのだ。
上で述べたようにミライは『普通の家庭』や『世間一般の価値観』のメタファーであり、それが細田ハウスに持ち込まれるのは、ショタに興奮だけしていればよかった世界の終わりを意味している。ミライファーストの生活を否定する姿は、一般向け要素を散りばめた映画を作らされてきた細田守の姿である。その中で雑な反逆に出ては怒られる。悪い意味で細田守らしい映画を作ってきたことへの反省と、それに対する怒りが描かれる。『自由にショタでケモいアニメだけやらせてくれ』、くんちゃんが繰り返すミライ否定発言はつまる所こういうことなのだ・
『雛人形を毎年1日ずつ出し続けていたら1年ずつ婚期が伸びる』という会話は、ずっと結婚できないということを意味している。それを片付けてミライちゃんが未来で結婚できるようになった。これは、細田守が自分の中で幼少期から積み上げてきた結婚感を今一度棚卸しして、普通に恋愛をして普通に結婚をする人生を受け入れたことを意味している。作中に置いて、未来ちゃんが過去にやってくるのは、細田守の中で過去の細田守と共に今の細田守が気持ちの整理をつけた経験を描いているのだ。そこに犬が加わっている理由は、それが彼の性癖に置いて重要な意味を持つからである。普通に見ていると何がしたいのかわかりにくいシーンも、このように整理していくと理解できる。これが未来のミライの面白さだ。
これもうそのまま細田守が自分の親に対して「心の中で」やっていたことです。自分が親になって子供を持つ身となってそれで子供の頃の両親の大変さとか知って感謝してーっていうアレです。そのままかよ!そしてその中で全部セリフにしちゃうのかよ!このシンプルさ!観客への信頼の無さ!そして自分の表現への自信の無さ!これもまた細田守なんですわー。自分がちゃんと愛されているか不安だとそのまま口にするのは、自分の映画がちゃんと観客に伝わっているのか不安だっていう宣言でもあったりするわけで。メタいぜー。
ホモホモしいアンちゃんとの初体験。遠くを見据えろと語られるが、そのさきに見えるのは廃墟。この道の先に未来はない。細田守も分かっている。ショタコン一本では子孫は残せない。アニメだって歴史に残らない。分かっている。分かっているけど、そうして進んだ先で結果を出したのが今の細田守だろ?そんな叫びが聞こえてくる。補助輪無しで突き進むには、遠くに廃墟を見据えなきゃいけなかったんだ。そうしてバケモノの子が生まれてしまったんだ……。
自分を見失ったとき、戻ってくるためには家族の名前を呼ぶ必要がある。自分に流れる血の繋がりを思い出す必要がある。そして、そのためにはミライを認める必要がある。ミライは「普通の家庭」「普通の価値観」のメタファーであり、自分がそれと深くつながっていることを認めることが、自分を取り戻すためには必要だと、最後の最後で認めることになる。途中からひたすらショタキャラメインで妙な話ばかりしていた映画が、ここで突然なんとも一般受けしそうなキャラと共にさもストーリーがしっかりとある映画であるかのような物語へと戻っていく。細田守の敗北宣言だ。人間としての細田守がここにいるには、彼の父親や祖父がショタコン一本で通さなかったからである。映画監督としての細田守がここにいるのは、デジモンやサマーウォーズといった一般向けに迎合した作品を作ってきたからである。自分が今ここにいるなかで、ケモナーであったことや、同性愛的な面を抱えていたことはたしかにあったが、それでも『普通』を受け入れてきたからだ。そう認めることで、見失っていた自分は取り戻される。そして、和解は結ばれた。ケモノやショタへと一度は預けられた細田守界の王位継承権は、最後には『普通の未来』へと託された。
凄まじい映画だった。「作家性の塊」と呼ばれる映画はいくらでもあるが、純度99%作家性の劇物はそうそうはないだろう。アニメ映画というと娯楽作品ばかりで、文学性や哲学性を謳っておきながら結局は娯楽作品に片足と重心は置きっぱなしにした作品ばかりな中で異彩を放っている。そんな世界にこんなものが現れたらそりゃ受け入れられないだろうな。ましてそれを作った人間の最大のウリ文句がサマーウォーズや時をかける少女なんていう痛快娯楽一般層向け作品なら。サマーウォーズや時かけ期待してこれ見に行ったら羊頭狗肉も良いところだって怒りたくもなるだろうな。
この作品には作家性以外を求めちゃ駄目なんだよ。日本の広告業界や映画業界はそれを頑なに伝えようとしなかった。そこは紛れもなくEVILだね。
ミライちゃんがただの客寄せパンダであり、その使われ方も「はいはいこのへんでパンダ投入すれば良いんだろ?」っていう態度で行われることに、細田守の中に渦巻いた鬱憤を感じ取ろうっていう気概を最初から持って見る分にはね、いい映画なんですよ。
そこは分かってあげて欲しい。
でも娯楽映画としては本当に駄目だけどな。俺はこれを娯楽として楽しむことは出来たけど、それは正しい意味での娯楽じゃなくて単に俺の見方が捻くれてて性格が悪いから娯楽に出来ただけだわ。素直な心の持ち主が素直に楽しめる娯楽映画を作った方が最大多数の最大幸福だよ。新海誠の君の名はと、細田守の未来のミライ。このコントラストはある意味美しいけどね。
独身時代は憂鬱だった月曜日が、結婚してからは待ち遠しくなった。
妻が妊娠してからは、これらの事がより酷くなった。先々月に安定期に入ったみたいだが、未だに何を言っても悪く捉えられキレられる。反論すると「お腹が張って子供が苦しむ。虐待だ。」と言われるので、ただひたすら耐えるしかない。妊娠初期に私の無知から始まったケンカを未だに怒られるが、妻に昔言われた鋭利な言葉は全て古い話と一蹴される。出産後の事を考えると憂鬱で食事が喉を通らない。結婚前は21あったBMIが今は17を下回る。夜も寝つきが悪くなった。市の無料の男性相談に電話したら、相談員の優しい言葉に思わず泣いてしまった。会社で人と普通に仕事の話ができるのがとても嬉しい。許されるならば、仕事人間として生きていきたい。しかし、残業の年間の上限が360時間しかなく、それも難しい。
少し遅くなったがビ・ハイア関連の諸々を読んで思い出したことがあったので。
今回の件で話題に上がったものの一つが清水氏本人によって書かれた会社説明である。その文章ではハードワークであることを前面に打ち出し、残業のことを隠そうともしていない。その文章を見たとき今回の件とは全く関係ない会社のことを思い出したのである。
といっても増田はその会社に関わりのある人間ではない。その会社(A社とする)はビハイアと同じようにYOUTUBE等で配信を積極的に行っており、増田が当時ファンだった人物がその配信に出演したことで存在を知ることになる。
A社は自虐的に「うちはブラック企業」を繰り返し、採用情報にもそれを前面に打ち出した文章だった。社長はいかにも「出たがり」な人物で、社員はそれにつき合わされているような雰囲気だった。夜10時過ぎに社長の配信のために社員を居残りさせる姿は今考えると異常でしかない。その上その会社はみなし残業制度を採用していた(配信の中で社長がはっきりといっていた)ので配信のための居残りには対価もなかったはずである。さらに仕事中もずっと社内を生配信していた(視聴者数はもちろん少なかった)。一部屋だけとはいえ、監視に近い状況である。
配信を見始めたとき、「この会社は異常だな」と思ったのは事実である。しかしそのことを積極的に問題視しようという気にもなれなかった。A社が「ブラック企業」を明言した会社である以上、社員も居残りに喜びを感じて生きている酔狂な人間なのではないか、と思えてしまったからである。ブラック企業に自ら飛び込んでいく人間は仕事が生きがいのすべてで、それを問題とすることは逆に彼らの生を奪ってしまうのでは?とすら思えたのである。
というか社長も同じ事を考えていたのではないか。彼は典型的な仕事人間で、仕事のためなら何でもできる、社員も同じ気持ちでいてほしい、というようなことを言っていた。彼にとって社員は「自分のスタンスに賛同してくれた人たち」であり、「自分の目標のための指示には無条件で従う人」だったのだろう。
ビハイアの社長も、「ブラック企業」を打ち出すことで同志を集めたかったのだと思う。実際に「仕事人間」を集め(もしくは仕事人間になるよう洗脳し)、常軌を逸した労働を強いていたのだろう。 (余談だが個人的に会社側が主張する「被害者が毒親育ち」という話は本当ではないかと思っている。そういう人に「君の存在価値は仕事しかない」と植え付けるのはたやすいだろう)
やがて自分の目当てはA社の配信に出なくなったが、増田のA社への興味はしばらく続いた。社長はとある大きなチャレンジ(会社をここではぼかしたいから詳しいことは書かないが)に挑戦し、社員を巻き込んだうえで失敗し(社長的に失敗だったのかは知らないがはたから見れば失敗だった)、それと前後してその会社から20代の社員がいなくなった。辞めた理由は本人しか分からないが、個人の推測だとその「チャレンジ」と、社内配信によって小さなコミュニティの中でアイドル化された女性社員へのネットでの罵詈雑言コメントが原因だったのではないかと思っている。今思えば「辞める」という形で抜け出せた彼らはまだ幸運だったのかもしれない、と今回の件を受けて思う。
社員たちが辞めたあたりで完全に興味をなくしていたA社を今回の件で思い出し久しぶりに社長のTwitterを見に行ったが、ビハイアについては一つも触れられていなかった。HPには相変わらず「ブラック企業」の文字があり、社長の酔狂としか思えない新たなプロジェクトも始まっていた。社員は増えてないみたいだ。増田が見ていたころはパワハラらしきものは見えなかったが、実際はどうだったのだろう、今はどうなっているのだろう。ただのウォッチャーとしては「これから死者がでませんように」としか言えない。社長よ、あまり社員を巻き込みすぎないであげてくれ。