はてなキーワード: ノンポリとは
皇居なんてものはな 公園にしてニューヨークのセントラルパークみたいに開放して欲しいよ
ヒトラーやムッソリーニのようなヒロヒトの一族に媚びてる神道信者の連中は異常
昔は天皇が「天皇陛下万歳」って叫ばせながら自爆テロやらせたんだろ?
イスラム国と同じだよまったく
神道なんてものは何の教義も救いもない古代の権力者のための土人宗教がしぶとく残っただけだし
とにかく天皇や神道ごとき普段はどう〜でもいいカスのように思ってるノンポリ層をもこんな感情にさせるのが新元号の話題なんだよ
新元号の話題さえなければ天皇や神道への敵意はまったくないんだが 向こうから社会の中心気取って制度を支配しようとしてくるので仕方ない
悔い改めろ
Facebookはリアルな友人関係が少しで、Twitterのオフ会で仲良くなった人らがメインなんだけど、
TwitterでもたまにウヨいRTがきてうわぁってなるけど、左よりなのは少ない感触がある。
特にFacebookだと、友達のみ公開にしてウヨい発言してる人がいるけど、ネットだと本音を言いやすいんだろか。
大企業に務めてる人とか社長(といっても、当然中小零細企業だが)とメンヘラ。
まあ彼らは社会的強者だから、体制側になるのはある意味必然なんだけど、
そんだけ見下してるなら、中韓なんて、相手にしなきゃいいじゃんと思うんだけど。
困るのが、取引先の社長と二人で車でどっか行くときに、ひたすらいかに中韓がダメかという話をされること。
別の会社で2度ほどあった。取引先だし、面倒臭いから適当に話を合わせるんだけど、
車の中でひたすらウヨい話を聞かされるのは、地味に拷問だった。
ネットde真実(もはや古語)な話をひたすらされてみろよ。キッツいぜ?(笑いをこらえるという意味でも)
自分より社会的弱者のはずの「在日」が、「特権」を得ているのが不愉快で叩きたいんだろうか。
ただ、ガチサヨが何故かいない。どっちかというと、自分は左寄りなのに、不思議だ。
トランプ勝利で、ポリコレ棒を回避した隠れトランプ派が云々といわれたが、
自分の観測範囲では、隠れてなくて、ネトウヨはわりといる。が、左翼はいない。
ノンポリ層の方が多いってだけなんだろか。
https://www.amazon.co.jp/七二-仮-高山直人-ebook/dp/B01DDAUVMA
貴方は読んでいるかどうかも怪しいかもしれないが、かつて、私は七二(仮)という電子書籍で文化カーストXというものを提唱した。
詳細は実際に書籍を読んでほしいので省くが、早い話が、エリート、ヤンキー、オタクのいずれにも属さない文化階級で、わかりやすく云えば、理性と精神的価値を重んじる階層で、エリートとは正反対の性質で、精神的価値を重んじるお宅と、理性を大事にするヤンキーを足して2で割ったものだ。
大企業が仕掛けたり、ましてや政治や行政が実施するわけではないのに、ネットと連動する形で自然と大きく盛り上がった文化現象と言う風に考えれば2000年~2010年代の「オタク」も今の「デモ」も類似している。そしてどちらも、世の中の支配的な構造に圧迫された人たちが参画しまくったのだった。
OOAだけでなく、高齢のネット原住民がファッション関連の騒動で活躍したこと、東海道新幹線から「和製自爆テロリスト」が生まれたことなどを考えると、日本の主流もノンポリ優勢の構造ではなくなりつつあり、むしろ今の左翼のパルチザン化の流れに合流するような兆しを私は感じている。
いずれも社会の日陰者扱いされた鉄道オタク文化とバイクオタク文化を大衆文化にぶち上げた「流れ」の当事者たちがもしも左翼に合流するとどうなるだろう。すでに日本でも韓国の10分の1の規模のデモは頻発している。「自分がでネット原住民で流行に煩い大人だから、無意識にバイクお宅にはまっていた人」がこれに加わるとどうなるだろうか。
日本社会の抱える相次ぐ問題である、汚職、裏社会、スパルタ労働(ブラックなんて可愛い言葉はもうやめよう)に続いて、鉄道業界にも政治イデオロギーがらみの黒い噂が立ち込めているという。所謂ネット原住民空間はともかくとして純粋な鉄道オタクさえ右翼バッシングが多いのは、単に右翼憎しという日本人としての公憤や鉄道の印象を悪くされたオタクとしての義憤だけでなく文化への干渉があるからだと思う。裏社会沙汰で自身が影響を被ったり、私鉄が解体されるために遊び場所が鉄道からなくなることもあると思う。
既にJR北海道とか認知症や右派団体がらみの大炎上があるわけで、今後もこれに匹敵したり凌駕する騒動や汚職が続くことは必至なんじゃないかと思われる。そういう繰り返しがあれば、不満によって私鉄否定論が支配的になり、ネオリベに怒りの矛先が向かうようなこともありえなくないだろう。
ポストファミコン世代とかリア充世代とか、30代以上のオタクからすれば「自身の弟子の左派かぶれ」な人間がすでに左翼の側にある。同じく強烈な文化発信地であって同じように1980年代~2010年代時期にトップダウン的な潮流のもとで大衆文化化が進んだ「デモ文化とオタク文化と左翼(リベラル含み、ネオリベ除く)が手を結ぶ」可能性もありえなくはない。
そういうものを「公のお墨付き」と位置付けて、往年の西側諸国のように大衆文化を国民のコントロールを円滑する道具にしつつ、対外PRのための政策芸術として用いようとしていた日本の政治からすると、サブカルや大衆文化という大きな文化軸に矛を向けられることだけは避けたいと思われる。
2000年代の福知山線事故以降、日本のエスタブリシュメント層は鉄道オタク的な文化を嫌悪するようになり、それまで叩く側にあった車・バイクサブカルチャー文化を急に持ち上げだした。そしたら2000年代後半にエスタブリシュメント層によるノンポリ・道路文化迎合政策と鉄道文化・政治思想家潰しが激化し、1990年代には等しくのいかがわしいとされた両者は全く別の道をたどった。
一方は冷遇されたためにプロテストの積極的な集団となり、一方は厚遇されたために御用化したが、この二極構造が、今まさに変わっているさなかにあると思う。それがどうなるのか気になっているため、最近の社会運動やテロシーンの動向にはずっと注目しているのだ。
今年で36歳になる。
自分より上の世代の人たちが、右派・左派に分かれて自分の意見をぶつけあっているのをみると、引いてしまう。
自分にはイデオロギーというものがほとんどないからだ。ノンポリと罵られようがないものはない。むしろノンポリ最高!である。
僕の中にあるのは、世の中がどうなっていくにしろ、その中で生き延びるしかないという感覚だ。
自分なりに判断を下し、できるだけ自分と自分の妻子が平穏かつ平均以上に生き続けられる道を模索する。派手な成功も大きな失敗もいらない。
引き分け続けでもいいが負け続けてはいけない。現状を維持できる大負けしない道をきちんと検討し、妥当な判断を下すこと。
そうした道を取捨選択していくことで「相対的に」幸せになれると僕は信じている。
自分の中学時代の友達やいとこたちを見ていると、自分から見てクソみたいな生活をしている人が割といる。そこまで多くはないが少なくもない。
高卒、専門卒、非正規労働、子供をおいて妻に逃げられる男、低収入の配偶者とその日暮らしをしている女、子供を大卒にできない夫婦。ギャンブルやタバコをやめられない人たち。
そういった普通~普通未満の人たち。そうした人たちは、取捨選択を誤ったのだと僕は思っている。
大学に行かない道、正社員にならない道、その道を選ぶことのリスクをきちんと考えられなかったのだと思う。
偏差値60以上の高校・大学に進み、就職活動をすればある程度の企業に入ることはできる。できなかった人は何かしらの問題がある。リスク管理や方向性の検討が不十分だったのだと思う。
なりたくてもなれなかったと言うかもしれないが、毎日の積み重ねを続けていれば、そこまで高いハードルではないと正直思う。
言っちゃ悪いが、僕が大学を卒業した2003年は過去最悪の就職率だった。しかし大した資格や強みのない自分でもある程度の大企業に就職することはできた。
ここでベンチャーや起業を選んだ人で成功し続けているヤツはいない。みんないなくなってしまった。どこで何をしているかはわからない。
みな自分の理想とか夢とかクソみたいなものに邪魔されて消えていった。希望的観測を信じ願望と現実を分けて考えられなかったんだと思う。
例えば仕事は、自分がやりたいことではなく、無理なくできることや努力した覚えがないのに人からほめられたことを第一に考えるべきだ。
恋愛や結婚もそうだ。自分と好きなことが同じ人ではなく嫌いなことが同じ人を選ぶ方が良いし、学歴や職歴が自分と似ている人を選ぶ方が良い。
毎日の衝突が減り持続性が増すからだ。大切なのは、自分の理想ではない。そんなものは幻想だと思う。大切なのは、生き延びるということ、持続するということだ。
キレイ事を並べられても、現実的に自分一人が選挙に行ったところで何の影響力も金銭的メリットもない。
そのため、選挙に行かず他の事で時間を有意義に使う方が得策だ。
日本の投票率は低いとはいえ、行っていないことを知られれば、軽蔑されるかも知れない。
中には自身の正当性を主張し、投票をなかば強要してくる者もいる。
またパワーの浪費よりも、相手にして逆に自分に感化させてしまうことの方が問題だ。
そうなった時、自分の姿勢が一票だけの問題ではなくなってしまう。
さらに感化された者がまた別の者に広げてしまう事があっては、選挙に行かない理由が崩壊してしまう。
「選挙行ってるよ。国民の大事な権利だしね。誰に投票したかは言わないけど。」
などと言うのが望ましい。
政治の話題を出すことを忌避する職場もあれば、そうでない職場もある。
前者であれば問題ないが、後者であれば彼らと話を合わせる為に最低限必要な政治知識は得ていたほうが無難だろう。
そしてなるべく早く転職先を見つけることも大切だ。
どこかに吐き出しておきたかった。
しかし、
と言うとおり、この増田がホッテントリ化してしまえば問題は絵空事ではなくなってしまうだろう。
が、実際は誰もブクマしないと予想している。
まず内容が微妙に長く、また目新しい考えではない。
さらに、軽蔑する者、あるいは感化された者は、それぞれこの増田を広めまいと努力するはずだ。
ただ、それ以外の者によって広められる可能性はあるが、ブクマが付き、自身の承認欲求を満たす事に比べれば大した問題ではない。
まず、くだらん書き込みをしてくれた自称「保守」諸君、どうもありがとう。諸君の行為によって、100年前の日本人の恥ずべき行為に対して、人々の関心が再び集まった。歴史を直視することはどのような集団にとっても重要なことであり、ことに自分たちに都合の悪い歴史を直視するのは勇気のいることである。諸君の書き込みのお陰で「震災+虐殺」で検索する人々は増えたであろう。このような機会がなければ、どんどん風化していく過去であるが、極めてショッキングな形で、これを改めて日の下に引きずり出してくれた。感謝したい。
また、その上、現在の自称「保守」の皆さんのいわゆる民度が100年前のそこから一歩も出ていない(ジョークとして消費できるというその感覚!)上に、歴史に対するどのような反省もないという点で、お仲間の市会議員・新聞社メディア等を巻き込み、極めて悪質であるということを満天下に知らしめた(http://b.hatena.ne.jp/entry/ironna.jp/article/3143)。この点においても、その功績は大である。おそらく、先日の「保育園落ちた」騒動と同じように、国会で取り上げられるなりすれば、ヘイトスピーチ規制を一段と進めるよいキッカケとなるだろう。『ヘイトスピーチが蔓延した結果、このような言動をする人間が実際に出てきているんですよ!どうですか!』…と言われて、公にヘイトスピーチ規制に反対できる人はいるまい。
正しい保守の皆さんも、さすがに「こんな連中と同一視されたら、ちょっと困るんで…」という引き気味の反応になっており、大変望ましい状況である。自称「保守」の諸君が、その仲間内で極めて醜悪なコトバを日常的に消費しているのは知っているし、もちろんそれは自由である。そして、それが自由であるということは、結果としての他者からの視線や批判を謙虚に受け止める責任も負うということである。諸君がどのように見られるかは、諸君の言動にかかっている。それは誰の陰謀によるものでもない。自業自得である。
なお、親切心から少しアドバイスをしよう。諸君への批判者=左派だとどうも諸君は信じているようだが、左派が自分たちに対してそのように敵意むき出しでかかってくると実際に思っているところを想像すると、いささか滑稽な感があるのは否めない。諸君への批判のうち、大変純真な反応を示しているごく少数を除けば、半数は一般的な「良識」からの拒否反応であり、残り半数は「保守を名乗って醜いことをするな」という保守の皆さんからの批判であるとお見受けする。社会の片隅でひっそりと左派を自認する立場からすると、諸君がまき散らしているヘイトスピーチ自体には特に『興味がない』。当初はその傍若無人さや余りな不勉強に眉をひそめることもあったが、いまでは諸君のことを「理屈ではなくそう信じている人たち」として心静かに眺めるようになった。信仰ならば、どのような非合理的主張も行動も、そういうものと思って眺めるのみである。「神は存在する」という主張に対して「反論」をする意味がない。
そんなわけで、自称「保守」の諸君が左派を攻撃するつもりで今回の件において自分たちへの批判者を攻撃すると、随分的が外れるどころか、ごく普通の保守の人たちの気持ちを逆撫でする結果になるだろう。その結果、諸君はますますカルト化していくことになり、最終的には保守的潮流自体を退潮させる結果につながるだろう。そのことは、少し自覚しておいた方がいい。
左派の側として、実は政治的に一番困るのは、今回の件について諸君に「謝罪」されたり「素直に反省」されたりすることである。自称「保守」の諸君にも一片の理性があるではないか…という雰囲気になると、本当のところ大変困る。なのになぜ正直にこんな話をしているかというと、まずそういうことは起こらないだろうと安心しているからだ。そもそも、自称「保守」の諸君は、私が左派であると知った時点でもうこんな文章を最後まで読んだりはしないだろう、それどころか、一行目を読んだ辺りでもうタブを閉じているだろうから。さらに、私がどんなに理のとおった有用な忠告をしたところで、諸君が私の忠告を受け入れるはずがないということについてもほぼ確信している。左派の言うことを聞くくらいなら死んだ方がマシだと思っているだろう。全くそれで構わない。そもそも、私も諸君に話しかけているという体で、本当のところはここまで読んでいるであろう一般の保守及びノンポリ良識派のみなさんに語っているのだから。だから、自称「保守」の諸君はそのまま変わらないで構わない。まあ、私が構おうが構うまいが変わらないことは変わらないだろうが。
というわけで、今回の件は、自称「保守」のカルト化の進行が、保守潮流全体の行き詰まりや退潮の兆しを明らかにする段階に至ったことが見られたという意味で、印象的な出来事となった。本屋などでも、自称「保守」の諸君が喜びそうな本を並べたコーナーは最近縮小しつつあるように感じていたが、その理由が今回の件でよく分かった。あとは、カルト化した連中による「事件」が起これば、それが決定打となるのだろう。それはおそらく1、2年のうちではないかと踏んでいるのだが。
最後に…最後まで読んでくださっている、自称でない普通の保守、またはノンポリ良識派のみなさんの、そのうちの極めて読解力の高い少数の人……私の皮肉に満ちた冷たい言い草から、それとはまた違った気持ちを汲み取っていただける人がいるとすれば、その方々にはこう申し上げておきたい。ご批判は甘受します。ただ、私がしているのは、今ではなくその先に向けた準備なのです。
最近でこそネットでデータ比較して右翼のほうが学歴も所得も高いとかいう話も見るようになったけど
俺は昔から右翼のほうが高学歴じゃないかなって思ってたんだよね
これから書くことは感覚でしかなく、根拠は俺がそう思うからでしかないんだけど
なんでそう思うかって、知ってる東大生そのほか高学歴な連中がみんな右翼的だったから
京都大学とか関西方面の大学、あるいは地方の旧帝大や国立医学部がどうなってるのかは知らないけどね
でもよくよく考えると当然なんだよね
とはいえ、そこはまぁ高学歴ですから、表向きけっこういい感じに隠すんですよええ
でもまぁ2ちゃんねるとか見てくださいよ
これが国とかになったのが右翼だとしたら、高学歴なひとこそ大好きでしょうねきっと
国際競争でかつにはとかほんといろいろなんか
かしこい | 中庸 |左右に分かれて議論することの意味のなさを知っている | 「時々の情勢に応じて左右の考え方を活かすべき」 |ネット、特にSNSで政治議論するのはもうあきらめている | | ずるがしこい| 左翼を扇動 右翼を扇動 |ロングテールのニッチな購買層をターゲットとしたビジネスチャンス | 「それなりの購買層」 「炎上ウマい」 |『真実はネットにある!』 | | ふつう | 左翼的思考 ノンポリ 右翼的思考 |いろいろ思うところはあるがリアルでもネット上でも炎上が怖い | 「声を上げるとバカに噛みつかれるのが怖い」 |ちゃんと議論しようにも、準備や調査はめんどくさい | | あまり | ネサヨ ネトウヨ |基本的に何も考えておらず、何を言っているかもわからない かしこくない| 「ちんこあばばば」 「ばかばかまんこ」 |攻撃・罵倒できれば詭弁でもダブスタでもなんでもあり | | 動物 | 「にゃー」 「わん」 |かわいい
まず、自分がローソンやファミマの回し者じゃないことを言っておく
「セブンの弁当、おにぎり、サンドイッチ、どれも美味しいわよね」
「ホントにそうよね。セブンを食べたら、他を食べれなくなる~」
「ところで〇〇さんは?」
自分は根っ子が正直なので、正直に答えた。
「別に言うほどの違いは感じないけどなあ。わざわざセブンにしなきゃ、というほどじゃない・・」
正直に語った途端、
「〇〇さん、大丈夫?」「味蕾がどうかなったんじゃない?」というバッシングが始まった
「ローソンの方が美味しい」「ファミマの方が美味しい」人より多いんだろうなあ、ということは推測できる。
コンビニは資金勝負だから、規模に秀でたセブンの方が、商品開発能力があるから、
多分美味しいものを開発できるんだろう。
でも、コンビニ客が100人いたとして、「セブンが美味しい」と「本心から感じて」即答する人って、せいぜい20人程度なんじゃないか?
残り80人のうち、「ローソンやファミマが美味しい」と答える人が10人程度、
後の70人って、「大して味の違いなんて判らないし、気にしない」という人だと思うのだが、どうだろう。
セブンで中食を買う人のうち、「セブンが美味しいから」ということでセブンを指名買いしている人って、
過半数じゃない気がする。
過半数の人は、「別にコンビニなんてどこでもいいけど、単にセブンが、コンビニの中で一番最寄り・通り道だから、
なんとなく選んだ」という人なんじゃないか?
それを、「セブンの美味しさがわからないのは奇人変人、味盲」いう扱いをセブンファンからされるのは、
どうにも納得できない。
で、このノンポリな70人って、
「美味しいと思うコンビニ中食は、どこだと思いますか?」と突然知人に聞かれた際に、
「世の中的には『セブンが美味しい』と言われてるから、自分も『セブンが美味しいと答えておけば、無難だろう』」
という消極的理由で、「セブンですよねぇ」と迎合した答えをしてしまう人が、結構出てくる。
ノンポリ70人の中で、40人が「空気を読んで、セブンが美味しい」と答えたら、
「セブンが美味しいと答えた人=コアなファン20人+ノンポリ40人=60人」で、過半数だ。
自分みたいに「どうでもいいじゃん」とストレートに、KYな回答する人間は、かくて少数派扱いを受ける。
頂いたコメントへのリプライとして、ちょっと補足したほうが良いかなと思ったのでまた書きます。
全ての労組が政治色が強いわけではありません! 特に各職場の労組(単組)レベルでは政治色がほとんどゼロのところも多いのではないでしょうか。
人気ブコメの中に
というコメントがありましたが、私たちの職場の労組は実はかなりこれに近いです。
私たちの労組は政治色は殆どゼロであり、事実上「職場環境の改善のための研究所内互助会」的な組織です。執行委員も各部署内での持ち回り任命(任期もだいたい2〜3年)なので政治色を前面に出す委員も居ないし、もし居たとしても周りの委員におそらくドン引きされるでしょう。
活動としては組合員・非組合員の区別もそれほど強くせず、職場環境の改善にフォーカスすることに徹しています。近年は最重点の課題として「契約職員の処遇改善」を訴え続けており、交渉も続けています。そのことが評価されて、なのかどうかは分かりませんが、研究所系の労組としては珍しく近年も加入者数を増やしています。(大幅アップとまでは言えませんが)
なので、先日の話は「そんなノンポリな労組でやりがいを持って活動してたんだけど、いざメーデーに動員されてみたらいきなり政治色が強くてドン引きした!」という話です。全ての労組が政治色が強い、とかそういう話ではありません。
なので、もし「労組って政治色が強くていやだよね」と思っている方々におかれましては、政治色の強さは各単組によって大きく異なると思われますので、執行委員の経験がある方に「うちの労組はどのくらい政治色が強いですか?」と聞いてみると良いかと思います。
少なくとも私の場合、単組レベルでの活動に全く違和感はありません。違和感があるのは上部組織でのレベルの話しです。
そういうことですよね。
殆どの活動は単組レベルで完結するのですが、研究所間で連携して対処しなければならない案件もあり(具体的に書くと秒速で地域が特定されそうなので書きませんが)、上部組織とも一定の友好的な関係を保つ必要があります。また、各単組の身の丈を超えること(メーデー開催とか)については既存の組織力のある団体に頼らざるをえない部分があるのかと思われます。
そこでそのような「組織力の強い団体」に協力を仰ぐと、バーターとして政治色が不可避的に入れられてしまうようです。「うんざりだけど、しょうがないよね」というご意見もありますが、私の意見は「しょうがないけど、うんざりだよ!」というものです。
「職場環境の改善のための互助会」としての私たちの単組の観点からは、加入者数の増加はその単組の「戦闘力/正統性の増強」に直結するのでとても大事なのですが、あまりに強い政治色を見せつけられると加入者数が減りかねないので本当に止めてくれないかなあと思わざるを得ません。
まあ実は上部組織ってどういう人が牛耳ってるのか実は良く知りません。単組のいち執行員レベルだと上のことはよく分からないのです。
実際のところはどうなのでしょうか。意外と若い人も多かったりするんでしょうか?
誰か詳しい人がいたら教えて下さい。
「今どきいくらなんでもメーデーでこんなこと言わないだろ」「全労連系だったら今はもう安保粉砕って言うはずないよね」などのコメントが実は一番ほくほくいたしました。一連のブコメを「良識派の市民の声」としてプリントアウトして上部組織の会合で回覧させていただけるよう動いてみたいと思います。あの現場を共有していた幹部の方々が何とおっしゃるのか楽しみです。
「これ書いてるのぜったいあの人だな」と思ってもそっとしておいてください。もしこの話題がでても知らん顔しますのであらかじめご容赦ください。
人権問題やら表現の自由、憲法解釈のうんちゃらとか改正とか法案とか、そういうのぶっちゃけ分からんのだ。
分からんというか、興味がないのかもしれない。ちゃんと考えて理解するというプロセスを放棄して、世の中の流れを無視して趣味にのめり込み続けたいだけなのかもしれない。
一時期そういうものをネットで調べていたことがあった。いや一時期って言っていいのかな、ほんの数日、一週間にも満たないくらいだったかも。
当時かっこつけてニュースとか見るようになりだして、そういう政治的なあれこれにも興味を示しだしていたのだ。
しかしその頃僕は中学生で、つまり今よりもっと馬鹿だった。や、いくら馬鹿だとは言っても、流石に書いてあることは理解できたが。
でも、その理解したことと対極のことを言っている人がいて、更にそれに反論する人がいて――と、今現在の地獄インターネットと変わらない有り様で、結局それらについてのまともな判断ができなかった。
分からないなら分からないなりにと、どっちが正しいかを調べて、それについてもまた意見があっちゃこっちゃに飛び散って、どれが正しいのかさっぱりわからなくなる、それを繰り返すこと数十回。ついに中学生の僕は諦め、「ああいうものは僕とは別の、どこかの関係のない場所にあるものだ」と興味を失った。
ある程度の分別がつくようになった今になってまで、自分と関係のないものだとは思ってないが、それでもなんというか「相容れない異質なもの」という考えがこびりついている。
理解する必要があるのだろう、何らかの意見を表明すべきときがあるのだろう。でも、正直な話今更めんどくさい。
聞けばノンポリなんて(僕にとっては)素晴らしい価値観があるらしい。採用だ。今日から僕はノンポリだ。
社会不適合者としての道を着々と登っている気がするが、気にしないことにしておこう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/why-kaisan.com/
なんでこんなしょうもない炎上騒ぎが起きてしまったのかというと、青木くんが小学四年生を騙っていたからではなくて、
かれの思惑にまんまと乗せられて自分の馬鹿さ加減を露出狂よろしく大衆の前で開陳してしまったことが悔しくてたまらなかった者がただ大勢いたからなんであるwww
かれは考えたwwwかれ自身がそうと信じてやまないところの高尚な政治的洞察、つまり衆議院解散はまったくナンセンスな愚挙であり、
そんなことを断行しようする与党は国民の風上にも置けない不埒な無教養者の集団である、というかれ独自の意見を、
余計な文脈や忖度なしに内容それ自体が無条件で注目され評価されるためには、大学生という身分の青臭さは意見発言の行為遂行的な側面を強調しすぎているとwww
誰がなんのために、という忖度を回避するためにこそ、高度なサイト構築技術をもつ小学生という、
意見発信者の奇抜なプロフィールとともに根源的なノンポリ性が捏造されねばならなかったんであるwww
したがって、「どうして解散するんですか?」という問いは、こうした要請のもとで成立する非人称化されたかれの意見であり、パラフレーズされたかれの煽りに他ならないwww
そして青木くんの洞察はある意味ではきわめて正当であったwwwかれが身元を偽っていたことに憤る連中は、
もし本人が自己顕示欲の肥大した一介の大学生だと知っていたならば、こんな意見に付き合うつもりなんてさらさらなかったはずだと
自分でもわきまえているからこそ憤ったんであるwww言い換えれば、自分たちが意見の内容をそれ自体で吟味することがいっさいできず、
誰がなんのために発言したのかというつまらない忖度と状況からの憶測でしか物事を判断できない人間であることがかくも華々しく暴露されてしまったので、
そのことに地団駄を踏んでいるんであるwwwあほであるwwww
かれらのさらに滑稽な点は、そんな己の不明を恥じ入ろうともせずに、かれの虚偽を真顔でなじるところにあるwww
しかし一介の大学生が自分は小学生だと名乗ることにいったいどんな深刻な問題が潜んでいるというのかwww
連中のくだらない熱情はいまのところ青木くん一味の倫理的落ち度をことさらに強調することに向けられているが、
その熱情は、腐りきった俗物根性が自分自身に露呈されるのを恐れるあまり、それを未然に覆い隠すために発せられたものなのであるwww
これを転嫁とよぶwwwwwwおわりwwwwwwwww
共産趣味者ってのはさあ、なんつーかさ、思想的に非常に悪い意味でステイブルでニュートラルだよな。
すげえ自分は安全なところから、左翼的な部分に言及する。思想的に安全なところからさ!
「私はノンポリでぇ~す!!左翼的なものとは元来は関係ありまっせーーんッ!」って。臆面なく言えちゃう。だから共産趣味者を標榜できる。
そんなものを一切考えなくてもいい。21世紀の現代はな。そんなものを考えなくても生きていける。
もちろん、貧困や格差はある。だがそれをブルジョア的、プロレタリアート的、あるいは階級闘争と引きつけて考えなくなっている。
だからこそ、ふわりと共産趣味者が現れる。ブルかプロか? の埒外からの「観察者」が現れる。
共産趣味者でも、こうした構造に自覚的な者はまだわかる。というか趣味者を生産的にこなせている。
しかしこうした構造にあまりに無頓着に共産趣味者を標榜する人間、すなわに勉強全然してない表面的な語彙的面白さで趣味者をやっている人間が多すぎる。
ノンポリ読者の購読停止を止めたいために従軍慰安婦に関する争点の一つが誤報だったということを認めつつも、新聞の編集方針を支持してくれる層へ配慮を目的とした中途半端な訂正記事が、朝日新聞衰退の転換点になると考えている。
自紙に誘導したいと思っているのだろうが、一度購読をやめた読者は二度と再購読しない。他のメディアと比べて最も速報性が劣っているのに、毎月4,000円をまた払おうと思うのだろうか?
部数を落としているのに、今の編集方針を継続するのは最悪な選択だろう。
紙媒体から他のメディアに軸足を移す軟着陸期なのに、何を血迷ったかイジェクトレバーを引っ張ってサバイバルレースから脱落しつつある。
安倍政権もあと数年の寿命と考えて、辛抱して耐えていれば良かったのに。
朝日新聞は、誤報を知りつつも認めないのが最良の策だった。しかし、同紙は二兎を追う者は一兎をも得ずの状態になりつつある。
組織の腐敗や衰退が表面化したときには、もう手遅れなほど根腐れ手していることが多い。同紙は失地回復はもう無理で、残された道はダメージコントロールをきちんとして購読者離れをどう防ぐかという段階にいる。
そして、朝日新聞の編集方針を支持していた層がどこに移るのかと、同紙を隠れ蓑にして世論を誘導しようとしていたスポンサーがどこに鞍替えするのかが気になる。