今年で36歳になる。
自分より上の世代の人たちが、右派・左派に分かれて自分の意見をぶつけあっているのをみると、引いてしまう。
自分にはイデオロギーというものがほとんどないからだ。ノンポリと罵られようがないものはない。むしろノンポリ最高!である。
僕の中にあるのは、世の中がどうなっていくにしろ、その中で生き延びるしかないという感覚だ。
自分なりに判断を下し、できるだけ自分と自分の妻子が平穏かつ平均以上に生き続けられる道を模索する。派手な成功も大きな失敗もいらない。
引き分け続けでもいいが負け続けてはいけない。現状を維持できる大負けしない道をきちんと検討し、妥当な判断を下すこと。
そうした道を取捨選択していくことで「相対的に」幸せになれると僕は信じている。
自分の中学時代の友達やいとこたちを見ていると、自分から見てクソみたいな生活をしている人が割といる。そこまで多くはないが少なくもない。
高卒、専門卒、非正規労働、子供をおいて妻に逃げられる男、低収入の配偶者とその日暮らしをしている女、子供を大卒にできない夫婦。ギャンブルやタバコをやめられない人たち。
そういった普通~普通未満の人たち。そうした人たちは、取捨選択を誤ったのだと僕は思っている。
大学に行かない道、正社員にならない道、その道を選ぶことのリスクをきちんと考えられなかったのだと思う。
偏差値60以上の高校・大学に進み、就職活動をすればある程度の企業に入ることはできる。できなかった人は何かしらの問題がある。リスク管理や方向性の検討が不十分だったのだと思う。
なりたくてもなれなかったと言うかもしれないが、毎日の積み重ねを続けていれば、そこまで高いハードルではないと正直思う。
言っちゃ悪いが、僕が大学を卒業した2003年は過去最悪の就職率だった。しかし大した資格や強みのない自分でもある程度の大企業に就職することはできた。
ここでベンチャーや起業を選んだ人で成功し続けているヤツはいない。みんないなくなってしまった。どこで何をしているかはわからない。
みな自分の理想とか夢とかクソみたいなものに邪魔されて消えていった。希望的観測を信じ願望と現実を分けて考えられなかったんだと思う。
例えば仕事は、自分がやりたいことではなく、無理なくできることや努力した覚えがないのに人からほめられたことを第一に考えるべきだ。
恋愛や結婚もそうだ。自分と好きなことが同じ人ではなく嫌いなことが同じ人を選ぶ方が良いし、学歴や職歴が自分と似ている人を選ぶ方が良い。
毎日の衝突が減り持続性が増すからだ。大切なのは、自分の理想ではない。そんなものは幻想だと思う。大切なのは、生き延びるということ、持続するということだ。