はてなキーワード: 養成とは
今回のような災害が起こって、北海道全停電とか関空孤立とかそういう事態が起こったとき、第一義的には電力会社や空港の管理会社が対応すべきであっても、一民間会社が対処できるレベルを越えていたら地元自治体や国が何を優先して復旧すべきか判断して補助する必要があると思うんだけど、みんな技術的な知識がなさすぎて、判断不能な状態に陥ってないか。
福島第一原発の事故のときも、豊洲市場の移転問題のときも、結局政治的な権力を握っている人物が技術的な内容を理解できないがゆえに雰囲気で「これは大丈夫そう」「これはたぶんヤバい」みたいな判断をしてるように見える。東京電力とか、直接豊洲市場の建築に関わった人々はそれなりに技術的な根拠を理解しているはずだけど、大人の事情で表に出せないことや偉い人に説明しても分かってもらえないことが多すぎて、結局話が変な方向にそれて行ってしまっているんじゃないか。
もう少し理系の専門知識を持った人間が自治体や政治の世界で権力を握るべきだと思う。あと、専門的な内容を素人にも分かるように説明できる人間を養成しておかないと、こういう時に「こうこうこういう理由でこの発電所は動かせないんです。まずこの発電所を復旧させてはじめてこちらの発電所も復旧させられます」みたいな話がなかなか権力者に伝わらなくて、対応が遅れるように思うんだけど。
特に役所なんかは法律系の知識に強い人間が威張りがちだけど、法律の知識なんてこういう非常事態のときには全く役に立ちゃしない。文系人間は自分の限界をわきまえて、理系の専門家をもっと大事にすべきだと思う。
今回はハイスクール・フリート(はいふり)を視聴した。視聴後の満足感は高く、その理由は登場人物がみんなかわいいし、手に汗握るアクションにドキドキしたしまあ最高なんだよ。
このアニメでは海保と海自の養成機関を異世界にぶっ飛ばしたような高校で美少女たちが艦艇にのって航海実習するお話。艦砲や魚雷、爆雷をバンバン打ちまくって、潜水艦や大型艦艇を沈めたり、タービンのお守りしながら最大戦速で相手の攻撃を回避しながら大海原を駆け巡ったりで、そーいうのが好きな人にはテンションMAXになるわけです。ソマリア海賊もビックリの戦艦への潜入作戦を敢行したり、まあ細かいことは気にしちゃイケないんだよ。
このアニメの特徴は「徹底したリアリズムの排除」だ。ツッコミどころは多いが、突っ込んだら負けなのだ。少女たちが水鉄砲感覚で艦砲や魚雷をバシバシ撃って沈めていく快感と美少女の可愛さが合わさって、細けえこたあいいんだよ! と叫びながら拍手を送りたい傑作だ。
一点だけ、リアルな描写がある。機関長はたいていちょっと変なヤツ。
水密区画を閉鎖するために仲間を内部に残したまま泣く泣く扉をロックするとか、
沈みゆく艦艇で総員退去を命じた艦長が自室にもどり船と運命を共にするとか、
そういうアニメも見たい気もするが、女の子がかわいくてバンバン撃ち合いしてれば、それは満足というものでしょう?
あ、ちなみに、自分が一番かわいいと思ったのは艦橋にいる褐色の娘ね。
このアニメは2016年のアニメだったんだ。2016年は僕だけがいない街、終末のイゼッタ、くまみこなどほんとに面白いアニメの多い年だったんだなあ。
学生時代、学校生活自体楽しかったからとかいう、自分の周り以外の他人のことを見れない、粗野な人、
学校をもっとまともにしたい、みたいな姿勢で自分の過去に対する意趣返しをする人、
は向いていないと思う。
何をもって教師となった?今の満足は何?
さまざまなタイプがいる生徒の親に対して、相手にするのは疲れる。
教師一介の力でなんとかなるなんて、ヒロイズムに浸った安易な考えやめた方がいいと思う。
大人だって自分と他人の区別がなく、うだうだ言っているだけじゃないか。
もう少し、自分の認識したもの、してきたものは、他人と一致してはいないということを自覚してほしい。
自分にとって学校は、自分と他人との区別がつかない人間を養成するところでしかないと見え、
当初の記事には
「医学部でも、保健学科や看護学科など、医師養成以外の学科は外している。」
という記述はなかった。
あとエビデンスのない意見ではあるけれど、推薦で合格するのは女子が多い傾向があると思う。
女子の方が音楽とか美術とかの成績がよかったり、提出物とか定期テストとかきっちりするからなのかなー?
入試全体での男女比だけじゃなくて、募集枠ごとの詳細がわからないことにはなんとも。
ハフポスに
という記事が出ていた。
男女別の「合格率」(合格者数/受験者数)を割り出し、さらに男子の合格率を「1」とした場合の女子の合格率を比べた。医学部でも、保健学科や看護学科など、医師養成以外の学科は外している。
という断り書きが書かれているにもかかわらず、現時点(8/11 16:35)のトップブコメは、
b:id:dc42jk 島根大学医学部医学科の学生総数は638人で男368人、女270人。医学部看護学科は学生総数252人で男17人、女235人。 http://www.med.shimane-u.ac.jp/_files/00076470/igakubuannai2019.pdf#page=30 これ確実に看護学科の数字も含まれてるよね。
である。
気になったので「島根大学 倍率」でぐぐってトップに出てきた、
パスナビ https://passnavi.evidus.com/search_univ/0690/bairitsu.html?department=015&nendo=2018
表が未整理だが、足し算と掛け算を行うと、
であることが分かる。
引き算を行えば、
志願者の男女比はパスナビには掲載されておらず、島根大学のページでも発見できなかった。
ハフポスの記述から、女子の合格率は1.64倍とあるので、そうなる数字パッケージを計算すると、
《医学科女子志願者193人:合格者50人:合格率25.88%》
《医学科男子志願者336人:合格者53人:合格率15.77%》
ここ数週間、女性医師の問題が日本全体でもはてなの中でも話題になっていたようですね。(裏口の方はどうしたのって感じですが)
東京医大の女子減点問題について、いち小児科医が思うこと anond:20180802123936
私が医療崩壊のトリガーになる未来 anond:20180805172629
女医さんがやってきた anond:20180701010648
さて、増田はタイトルにも書いてあるように「臨床から離れた女医」です。
ですが、臨床を行っていないだけでバイト医でもドロッポ医でもフリーター医でもありません。産業医でも保険医でも、もちろん主婦でもありません、念のため。
医師になって10年目前後で上の子供は小学生です。これはつまり初期研修前後で最初の子供を出産したということです。
医師キャリアの中で早い段階で子供を産むとどうなるか、を臨床から離れた立場から少しこの場で考えてみたいと思って書いています。
問題意識が高く、普段から悩まれるなんてとても偉い(語弊がありますが)なと思って読みました。
マイナー科にいったらいったで周りに負担をかけるし、医師のキャリアと女性としてのライフステージがあっていない!なんて私自身全然考えていなかったので。
直接お会いしたこともないのですが、既に亡くなられた某大の教授でいらした女性医師のインタビューを医学生のときに見かけました。
その先生は2回留学されて、お子様も二人いらして、教授になられた方でした。
結婚、出産しても医師としての縄跳びを止めようと思ったことはない、とおっしゃられていた記事を読んで
私もこのようにありたいと、今でも心の中でひっそりと尊敬し続けています。
おそらくあと25年、30年ほどある医師のキャリアの中でもずっとこの言葉を胸に進むと思います。
とはいえ、ロールモデルがあるから頑張って女性医師も働いてね、という方向に持っていかれるのは困るし頑張ってきた先達にも失礼だと思います。
現代の環境や考え方も変遷してきていますし、各人のやる気だけではもはや対応できないレベルに到達しています。
こうなると、アメリカのように科の選択に制限と競争が加わることが避けられないかなと思えてきます。
何科に進むかというのは医師の人生そのものにも等しい大きな選択であり、
女性医師の中にハードな外科ははなっから無理と思う意識があることも否定できません。
私自身、正直誰が女子の入試制限に反対しているのかと思うくらい、正直男性でなければできない部分があるのである意味当然の采配と思っています。
(裏口入学は別ですが)
私が入試を受けた15年ほど前でも、当然男性が優先される部分があると思って受験していたので、
今更そのような話が明るみに出ても不利だとも隠されていたとも感じません。その中でも優秀な成績をおさめれば合格するだけの話です。
一方で、これに関連して女性医師も男性医師も働きやすい職場環境を整えるのが先という意見や、
もしくは女性医師が働きやすい職場環境は男性医師に負担がかかっているんだよ、というエントリーが出ていて興味深く読ませていただきました。
同じ医師でも臨床をしていないので、こうした現場感覚は人づてに聞くくらいでしかないのです。
一定数男性医師が必要と割り切って男性医師確保の道(海外の大学での人種間の割合の差のように)へ動くのか、
ワークシェアのような形で職場改革の道を進むのか、正直今の私にはどちらがよいのか判断できません。
よりよい医療のためにはどちらの道がよいのか研究が必要だろうなという意見程度しかもちませんし、少し離れた立場から見守る形を続けます。
さて、医師キャリアの中で早い段階で子供を産むとどうなるか、という話に戻ります。
早く結婚して早く子供を産んでから医師のキャリアをつんだらいいという意見がたまにあるのですが、
研修前後で出産した立場からは、かなり否定的な立場をとっています。
正直いつ出産しても壁にあたることは間違いなく、医師としての負担が少ない初期研修前後で産むのも一つ、という意見は理解できます。
しかし、最も手のかかる赤ちゃんをかかえて、第一線で研修医として臨床を続けるのはなかなか厳しいものがあるだろうとも思います。
私の場合、今の道に進む決定的な出来事があり、今ではむしろそれに感謝しているくらいなのですが、
それがなければまだ臨床に迷いがあったかもしれません。
しかし、臨床に未練をもっても子供をかかえて同期より遅れていく知識習得や経験の差に焦っただろうことも想像できます。
今となっては、完全にできないということもなかっただろうとは思いますが、そうして後期研修やらなんやらを続けていたら
今度は同僚の迷惑だ、ということにもなっていたのかもしれません。
私自身はイレギュラーな道でそれらを回避してしまったのですが、万人に進められるものではありません。
どの段階で出産しても大変なので医学生だろうと研修医だろうと出産を祝福しますが、現在の環境においては決して早い段階がおすすめとは口が裂けても言えません。
ほら、結局最初から男性医師を養成しておけばいいんだよ、という先のエントリーの増田の指摘、現状の環境においてはごもっともです。
ごくごく優秀な一握りの女性医師と、肉体労働も長時間労働もこなす男性の医師を入試で入れる、それもありなのかもしれません。
これってつまりは昔のまま、なのですけどね。
18歳のとき、金ではないものが重要視される世界で働きたいと思って医学部に入り、
研修医の時、上医は国を医し、中医は人を医し、下医は病を医すを身をもって感じて臨床から離れました。
2年目増田も何かに気づいちゃったなら、視野を広く持つといいのかもしれませんが、
医師全員がそんなことを色々と考えだしたらそれこそまた医療崩壊に進んでしまうのかもしれません。
きつい仕事は結局社会の中でも医者の世界でも押し付けあいです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20180805-OYT1T50003.html
お前らは本当にアホだ。問題を切り分けよ。
1は絶対悪だ、忘れるな。なんかすでに忘れ始めてるぞ。
2は慎重に行かないと、騒ぐだけ騒いで結局各地の医学部は隠れて女性差別を続けるぞ。本質的議論に移行しよう。すなわち医療現場で女性が働きづらいのがよくないのだ。ちなみにこれは、看護師(女性が多い)が女医をいじめやすいとかも含めての問題である。
3は本当に悪なのかね?事前告知をしていけばいいのではないか。年齢について完全に公平性を担保すると、例えば医学部卒業時に定年の年齢を超えている者も現れうる。ブコメに「医者に定年はない」とか勘違いしているアホがいたが、大学病院や市中中核病院には通常定年がある。そのような医学部卒業生は、どこで研修をすればいいのだ?医者になるのに必要な年限は医学部の6年だけではない、さらに研修期間の4年でようやく一人前になるための第一歩、と言うくらいなのだ。さらに以前はほぼ全員が、そこから大学院に入って4年だよ。ここは事情が変わりつつあるけど、どう変わってるかと言うと専門医を取るためにまた修行、って言う風に変わった。3浪と言う年数はともかく、多浪と言う一般について、医学部入学を認めるかどうかに関する検討要素になることを否定することはおかしいのではないか。
厳密に言ってしまえば経営学部で経営学を学んだけど経営学使ってない人に投じられた養成費用も「無駄」ではあるんだよな。
でも、大学ってのは職業訓練の場ではなく・・・っていう定番の原則が出てくるし、
経営学そのものを使わなくても、間接的に「身につけた考え方」とかが役に立って養成費用が回収できる場合はごまんとある。
だけれども、医学科ってのはこの「大学というのは職業訓練の場ではなく・・・」の原則が当てはめにくいっていう問題があると。
大学としてはたしかに職業訓練の場ではなく、だけど現実的には職業訓練の場になってしまっているわけで。「養成のための課程」だし。
そもそもなんで医師免許イコール医者として最大限尽くさねば、になってしまったんだろう。命にかかわる職業だからどうこうってのはもちろん分かるんだけど。
医師免許が与えられた人間の内何割かが医者になればそれでいいとか、そういう形式だったら入学の時点でどうこうは起きにくいものだと思える。
現実として、基礎研究医などの医師免許が厳密には不要だけど実際的には医学科卒であることが求められる職業もあるけれど、
医師免許すなわち医者として最大限、はそういう職種への人材不足にもつながるわけで。
レベルも意味もぜんぜん違うけど、教員免許なんて大量の免許だけ持ってて教員でははない人間が生産されている。
その中では、教育学の研究に携わったり、教育系の企業に就職して免許取得のための勉強を生かしている人もいる。
女性教員は寿退職するかもしれんから教員養成課程に女は少なめにするとか、そういうことがおきないのはどうかんがえてもやはり、
免許が与えられたからといって全員がその職に就くわけではないという構造であるからだと思うんだが。
いまさら社会構造をかえれないからどうしようもないけど、やっぱり免許があればすなわち臨床医師、って構造そのものに無理が来ているのではないかなあと・・。
商業高校や工業高校は我慢できずに高校段階で目先の実用性に飛びついてしまった層。
普通科は学問的な基礎体力の養成に三年間勤しんで、その後の四年間でいっきに高度な商学工学などの世界へと羽ばたく層。
このようなキリギリスとアリみたいな関係性が学校制度上や雇用制度上(給料の差とか)の建前なのだと思う。
この結論は高卒就職した人が絶対怒るだろうし、自分も良いものとは思っていないが、制度がそうなってしまっている。
前回までのタマスジ
https://anond.hatelabo.jp/20130830202223
https://anond.hatelabo.jp/20130901102804
https://anond.hatelabo.jp/20160813154757
交通費と昼食を出してくれるというので、一日体験入学に行ってきました。
場所(校舎)は都内の一等地。年110万円の学費を払うとこんなとこに校舎が作れるのだなぁ。
学校法人だから税制面での優遇もあるし、これ学校経営ポシャっても不動産収入だけで食っていけるんじゃないか?
Webでも紙のパンフでも、デビューした作家が一人しか載っていない。
ノベルズ学科が書いた小説の表紙をグラフィック学科が書くみたいな。
早い話が学芸会だね。
あとは文学フリマに出展したよとか。そんなの金払えば誰でもできますけど……
それに学園提携の教育ローン。年利3.5%(オリコ)。返せるの?
話がラノベから逸れるんですけど、素人目にもはっきり分かるほどイラスト系・ゲーム系のレベルが低い。2年間勉強してこれ?って感じ。卒業したあとどうなるんでしょうね。
余談ですが待合室には大量の声グラが置いてありました。声優コースは儲かるのでしょうか?
積極的に私が他の参加者に話かけようとすると「やめてください」とスタッフに制止される。
「弱い子が多いんです」というのがその理由。何が弱いのか? 頭? 自尊心?
あと、全体的に顔が幼い。未熟さを感じる。
「脚本家をコーディネートする仕事」に就いている謎のおじさんが講師。
募集要項を守れ、下手な原稿は下読みに弾かれるぞ、推敲しろといった当たり前の内容。
ちなみにこの先生の下読み時代は手書き原稿を読んでいたとのこと。いつの話だよ。
ラノベの書き方やハリウッド式脚本術といった類の本を座学で教える感じ。
もうこれ本読めば分かるじゃんといった内容で途中で眠くなっちゃた。
今回のレポはこれでおしまい。どうだい、進学したくなってきただろ?
その前に元増田には労わりの言葉を送りたいが、すぐには適切な内容が思いつかないので、こちらの言及増田を読んでほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20180728223250
で、話を戻して、かかりにくさの話。
いのちの電話の相談員は無償で、集めるのは難しい。養成研修の費用(数万円)もほとんど相談員希望者の手弁当だし、交通費だって出ない所の方が多い。常に人手不足。
要するに、かかりやすさの改善には相談員を増やすことが必要だが、募集が大変で、養成にかける時間とはトレードオフの関係にある。
最低1年間の養成研修は義務付けられているけど、それだけで素晴らしい相談員になれるわけでもない。認定後も毎月研修を受けて、勉強し続ける必要がある。当然経験浅い人もいて、当たり外れはあるし、人と人が本音で話しているのだから合う合わないもある。残念ではあるが、元増田は運が悪かったと思う。
ネットは、元増田みたいに文句を言いたいケースは顕在化することが多くて、いい対応をしてくれたというケースはいちいちアップしようとする人は少ない。いのちの電話の相談員の対応がみんなこんなだというわけではないことは知って頂きたい。
<ろくに話を聞いていないのに「分かります」「辛いんですね」などと言ってしまう>
<これといった理由なく自殺衝動がわきあがるケースもある、ということを知らない>
などから考えると、この相談員さんはたぶん、認定されて1年目とかの、相当な初心者なのだろう。(それにしてもひどいと個人的には思うけど)
電話代以外の料金をもらわない「いのちの電話」のような組織の場合は、ブコメにあったような「ちゃんと専門知識を持った人に見合う報酬を与えて対応の質を上げ」るというのは難しい。anond:20180728223250 にも書いてあるように「寝不足のおばあちゃんたちに、当意即妙な答えをきたいしないこと。」
毎月10日のフリーダイヤル(https://www.inochinodenwa.org/free.html)は接続制限をかけているらしく、かなり繋がりやすくなっていると聞く。時間や回数などが基準を超えた人は、翌月は繋がらないらしい。また、この取り組みのため、非通知電話を受けないようにした所、いたずら的な電話(セックステレホンみたいなことをしかけてくる人)が激減したとも。
いのちの電話がつながりにくいのは、実は元増田のようにギリギリの状態になって初めてかけるような人が多いからではない。主として、「今は自殺を考えていないがこの電話にかけることが習慣になって依存してしまっている」ような人が多いことが原因だ。(依存の理由は様々で、精神障害を抱えているので話し相手がいないとか、寝られないので毎日かけるとか。希死念慮がなくとも、それはそれで本人としては大変なのだ。いたずらで習慣的にかける人もいるけど)
要はこういう、習慣なだけに緊急性が高いわけではない人たちで、回線が埋まってしまっているからかかりにくい。とはいえ、その方達もその方達なりの困難さを抱えているわけで、受けないわけにはいかない。
フリーダイヤルではその対策として接続制限をしているが、全国のいのちの電話でそこまでしているところはまだ少ない。
コメントとかでこの話を書いている人がいたが、実はアメリカではかなり進んでいる。AIが対応した方が本音で話せるという実験の話もある
https://wired.jp/2017/07/31/woebot-chatbot-therapist/
相手がロボットだと伝えられたグループは、もう一方のグループより心を開き、最も深刻で個人的な秘密を打ち明ける傾向にあった。「人間が室内にいる」という思考を取り去るだけで、セッションの生産性が向上したことになる。
https://dot.asahi.com/dot/2017042700049.html?page=3
アメリカの医療の現場では、生身のカウンセラーではなくAIに相談したい人が出てきているといいます。AIは集中力が強いしイライラしたりしないので、話を聞きながら時間を気にして時計を見てばかりなんていうことがないし、機械相手だと話しやすいのでしょうね。生身の人間が相手だと、気後れしたり体面を気にしたりして、心の内をさらけ出せないこともありますから。
このへんは本当に期待している。AIに聞いてもらうだけでも、けっこうスッキリする人もいると思う。1回で確実につながるし、初心者とか性格が合わない相談員にあたるよりは、いいかも。
専門家うんぬんの話を書いたのは間違いでした。
元増田に何かひとこと伝えたかったけどいい言葉が見つからなかったので、取り急ぎ自分が一番参考になったコメントを紹介したんだけど、元増田にとってそれを読むことがプラスになるのか、という一番重要な点を考えられていなかった。反省。。
コメントにあったLINEを使ったチャット的な相談は、長野県がLINEと共同で試験実施している。
https://anond.hatelabo.jp/20180709055614
の続き
ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾」
この本は、病院でフィールドワークを行い患者や医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています。目的は「ナースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。
第1章は、「ナースの世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊の頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家の商売なのだ」と続いています。
確かに病院は一般の生活とは異なる独特の世界があります。しかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナースの感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています。患者さえもそのルーチン化に含まれていきます。患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナースは患者に生じる多くの倫理的問題、道徳的問題を認知しなくなっていくのだと分析します。
しかし、倫理的問題こそナースが積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナースは患者を擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護師協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています。
こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性だから、看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見・先入観を捨てる必要があります。
それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的にモラル・倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。
根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から、科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師、助産師、看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医)
それゆえ、日本の近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒の信心深い修道女の禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会の修道女の誓い(神との結婚つまり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージを一般大衆に植えつけ印象付けてきた。
中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番。
問題なのは、日本の看護はその上っ面のイメージと形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性の道徳教育や倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教的道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。
そもそも現代日本の看護教育は、戦時中の軍隊式日本赤十字の従軍看護婦養成の伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。
日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去の看護師像に対する強い反発と反動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.
この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀・作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。
1967 年の指定規則の改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・
この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・
1989 年に指定規則が改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述は指定規則から全く無くなり・・・
1996 年の指定規則の改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・
2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重・擁護の方法について「看護職者は、対象者が治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳と権利を擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者の権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法を採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者の立場に立つこと、個人の文化背景・価値・信条の理解、意思決定に必要な情報の提供、自己決定権、人間としての尊厳・人権尊重、インフォームド・コンセントの実践と支援、プライバシーの保護と個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)
プライバシー尊重とか超超基本的な倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態。
恐ろしいことに、本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。
秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである。
今の30代以上の看護婦世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。
ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない。
そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある。
...
ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない。
...
日本医師会生命倫理懇談会による1990 年の「説明と同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明と同意」という訳語は,インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf
「看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります。
今日の日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知が蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言で黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。
続く