はてなキーワード: 軽蔑とは
その一報を父から聞いて胸中に去来したのは、幼き日の思い出ではなく、むしろ長じてから度々意識した故郷の衰退のイメージだった。
元より地場産業として誇れるものが取り立ててあったわけではない地元は、緩やかだが確実な経済的衰退と人口減少の影響を受け、公共施設の老朽化や各種インフラの経年劣化という形で自治体としてのほうれい線を隠す術を失っていった。
それでも、いや、それゆえに明確な転換点などなく、ただゆっくりとした老化から鈍感なふりをし続けた首長、自治体、そして何より住民が半ば共犯のように地元の腐敗と死滅とを看過していった。
だからこそ、いまさら太陽光発電などで延命を図ろうとする醜さにほとほと嫌気が差した、その実感があった。
それでも友人の結婚式に出席するために数年ぶりに帰省してみると、どうも聞いていた状況と乖離があったために改めて確認を取ったところ、どうやらこの度設置が決まったのはソーラーパネルではなく、例の宇宙太陽光発電の受電設備ということらしかった。
年齢を重ねたが故に知識と語彙の更新をやめた父をいまさら責める気も起きず、数か月前にニュースサイトで多少話題になっていたトピックに思いを馳せることで2次会の無聊を慰めていた。
令和4n-21年に決定された第n次エネルギー基本計画では、ついに原子力発電の占める発電電力量の占める割合が0%になった。
平成の震災とそれに連なる事故以降窮地に立たされていた原子力産業はついに時勢に降参し、明るい未来のエネルギーから歴史の教科書上の記述となることを選んだ、という建前を本気にしている奴は少々イデオロギーに傾倒しすぎているきらいがある。
現実は、国内ソーラーパネルメーカーの開発した、そこまで安価とは言えないまでもそこそこ効率改善の図られた新型パネルを推したい産業界が、細々と開発を続けていた国産ロケットのペイロードの使い途を探していた経産文科省に仮託した、おままごとのような科学技術的国威発揚の煽りを受けた全廃、と言ったところだ。
どこまで行っても消極的な退場に、却って日本という国を感じざるを得ず、左派メディアのこじんまりとした勝利宣言にわざわざ難癖を付ける余力もなかったと見え、平成後期から令和初頭に掛けてあれほど紙面を賑わした役者とは思えぬほど粛々としたレームダック期を享受していた。
実際、人々とメディアの関心は、中国による、気前の良い提供と、経済協力を人質に取った押し付けの中間の様な形で供与された受精卵遺伝子改変技術をどれだけ受け入れるかという議論にあった。
(科学技術という側面において現代日本が中国に対して如何にサブジェクト・トゥしているか、という話だ。宇宙太陽光発電所はさながらパクス・シニカに立ち向かうドン・キホーテのようだ、と明に暗に揶揄された。)
日米原子力協定の次回更新がないことは誰の目に見ても明らかであり、山のように余っているMOX燃料の行き先はIAEAも知らないようだった。
そんなことだから、中間貯蔵施設という名目の、事実上の最終処分場たる六ヶ所にすべてを押し付け、政府と行政と大多数の国民はNIMBYの精神を遺憾なく発揮することで各々の精神の安寧を獲得していった。
とにかく、ことの主犯たる国産宇宙太陽光発電所は「ひかり」という、加齢臭むせ返る横文字の候補群からはなんとか逃げ果せた通称を拝命し、20GWもの大電力を供給し始め、東京万博会場の灯りが一斉に点った日をもってひとまずのプロジェクト成功と見る向きもあった。
(日本による宇宙開発の数少ない世界的成功に肖って「はやぶさ」なんてネーミングを推す動きもあったが、流石にこの国にも一抹ながら恥の概念は残っていたらしい。また、「まりし」などという旧動燃の残留思念、いや怨念が具現化したかのような案も提出されていたもと聞くが、真偽の程は定かではない。)
実際、こんな大規模プロジェクトを実行する能力とエネルギーをこの国がいまだに持っていたことに驚いた。
ただ、ひかりから降り注ぐ高密度のマイクロ波を分散して受電する設備、すなわち受電所の立地が不足していると言う問題は依然として解決の目を見ていなかった。
安全よりも安心を求める国民性に変わりはなく(「焼き鳥デモ」の映像を見たときは流石に乾いた笑いしか出なかった)、電源交付金も雀の涙と来れば宜なるかな、積極的に手を挙げるごく少数の自治体は奇異の目で見られた。
とはいえ、大流量の循環水系のために沿岸部であることが求められる汽力発電でもなく、大規模な河川と高低差が求められる水力発電でもなく、只広い土地さえあれば良いというだけの必要十分条件は今まで大規模電源立地となることなど考えもしなかった自治体の目には福音として映ったらしく、それらの首長は新たな時代の権益ホルダーとなることを選んでいった。
反対に、新規制基準適合審査の遅々とした進展と繰り返される住民訴訟、そして最終的な結論としての廃炉の影響をもろに受けた原子力立地の反応はさっぱりであり、政治の影響をもろに受ける歳入に頭を悩ませられるエネルギー立地はもう懲り懲りと言った風情で、役人の誘いをアイリスアウトの向こう側に押しやっていた。
結局、ひかりの設計容量のすべてを受電するに必要な30GW分の受電所を運開当初から用意することを諦め、漸次募集という名の先送りを決定した政府は経産文科省を矢面に立たせることを選び、自らは飄々としていたというのだから大したものだ。
結局、運開から5年が経過した段階でもひかりの擁する200k㎡に及ぶパネルの3分の1は折り畳まれたままであり、白衣十人黒衣五人などと不必要な比喩を披露した大臣はメディアの総バッシングを浴びる権利を恣にしていた。
そうした、古式ゆかしい伝統的な時勢の中で、2次立地募集に手を挙げた自治体の内の1つが、我が郷里だったのである。
「親父が色々動き回ってたみたいなんだけど、さ。正直言うと、あんま関わりたくないなってのがあって」
私の友人であり本日の助演男優、またの名を新郎が、半分ほど空けたアサヒビールのジョッキをテーブルに慎重に据えながら、疲労を隠さぬ赤ら顔で言う。
彼の父親は町議を務めており、「太郎」というシンプルすぎる名前も出馬を見越して付けた名前だと言っていた。
(国政選挙に出るわけでもないのにな、とは彼の自嘲だ。)
その親父さんはどうやらこの度の誘致に際し懸命に旗を振っていたという。
しかし、僅かばかりとは言え受け取る交付金と、"多少の"造成による環境破壊と、電源立地になるという誇り(この価値観だけは共有が出来なさそうだ)と、それら3つをとりまく可愛らしい権力闘争の予感に、父親の説得と説教とに玉虫色の回答を重ねることでのらりくらりと回答の明言を避けてきたのだという。
彼のこの手の身のこなしは素直に凄いと思うし、そうした人付き合いに嫌気が差していた、というのは私の上京に係る動機の半分を占める。
「でもお前、今更そんなこと訊いてくるだなんて、本当にここの人間じゃなくなっちまったんだな」
この地でこの話題が取り沙汰され始めたのは軽く2年以上は前だという。
誘致か否かで侃侃諤諤の論争があり、どこに建てるかでまた侃々諤々の論争があり、さらに用地買収に係るあれやこれやのトラブルがあり、それでも最終決定がなされたのがひと月前というのだから、どれほど地元の世情に疎くなっているかを実感させられる。
あるいは、上京して好き放題やっている(ように見える)私に対する軽蔑と嫉妬の念が多少なりとも混じっていたのかも知れない。
なるほど、確かに私には家庭もなく、親族との濃密な付き合いもなく、仕事周りの土地付き合いもなく、自由気ままにやっていると言われても反論する材料がないことに気づく。
であるなら、こんな日くらい友人の愚痴と誹りを受ける義務も果たすべきだろう。
そう思って、コークハイを傍らに、言葉少なに彼の言葉に相槌を打つことに決める。
まったく、本当に大変な役回りだと思う。
返す返す、自分には出来る気がしない。
翌朝、久々に実家の自室で目を覚ますと(物置と化していなかったことに驚いた、こうした面に関する母の義理堅さには感謝しても仕切れない)、やはり気になっていた裏山に足を伸ばした。
アルコールが多少残ってはいたが、丁度良い運動だと体に言い聞かせて路を辿っていく。
子供の時から変わらない、というのはフィクションの中にだけ許される情景で、長らく人の手が入っていないことを伺わせる荒れ様には流石に心のどこかが痛んだ。
…いや、いや。
よそ者同然と化したお前が捨て犬に見せるような仏心を発揮して碌なことになるのか?
もはや何も言う権利などないことに遅ればせながら気付き、せめて在りし日の遊び場の記憶が損なわれぬよう、路の途中で踵を返した。
もう2度と見れぬであろう山の景色を視界から追いやり、そういえば客先から急ぎの問い合わせを受けていたな、などと頭からも追いやり、足早に帰路に就いた。
帰路。
実家への帰路か、東京への帰路か、自問せずとも回答は明白だった。
思い出深き裏山は、もはや私の裏庭ではない。
腐女子のお気持ちですが増田の皆様におかれましてはいい加減腐女子用語でAとかBとか言われるのも飽き飽きかと思いますのでコロッケそばの話と致します。
増田には10年来の友人がいました。中学からの同級生で親友と言っても差し支えない間柄でした。
ある日友人が「カツコロッケそばにハマった」と教えてくれました。
私もカツコロッケそばの事は知っていました。市民権があり割とどこでも食べられる、カツとコロッケそばという皆が大好きなヤツのおいしい相乗効果でした。
友人がカツコロッケそばの論文を出すと言うので手伝いをしたり、家に遊びに来た時には私がカツコロッケそばを振舞ったりしました。ココイチで新メニューが出るという時にはつきあったりしました。
ただし、友人はハンバーグコロッケそばの事がものすごく嫌いでした。コロッケそばに乗ってるハンバーグはネチョネチョしててキモい、といつも周囲に語っていました。
しかしある日の事、私はハンバーグコロッケそばを食べてしまいました。セブンイレブンでした。
私は元々ハンバーグの事が好きだったので、うすうすハンバーグコロッケそばもおいしいのではないかな、と思っていたのです。
思った通りハンバーグコロッケそばはとてもとてもおいしくて、私は隠れてハンバーグコロッケそばを毎日食べました。罪の味に私は苛まれる事になりました。
罪の味に苛まれながらも、毎日毎日ハンバーグコロッケそばを食べているとつい話題に出してしまう事がありました。
昨日何食べたの?なんて聞かれたらハンバーグコロッケそば食べた・・・としか言えません。何せ毎日食べているので。太りました。嘘をつく日もありました。
そんなやり取りをごく稀にSNSでしていました。友人はあまりSNSを頻繁に覗くタイプではなかったので多少ならいいか。と。
しかしとんこつラーメン大好きの別の友人とその友人が同席している時に、「増田はハンバーグコロッケそば好きだよね」とバラされてしまったのです!
このとんこつラーメン好きの友人はカツコロッケそばとハンバーグコロッケそばの間の確執を知りませんでした。なので罪はないのですがあの時の冷たい空気を覚えています。
「まあ別に好きなものは人それぞれだし」と友人は気にしていないように見えました。でも明らかにキレていました。SNSも見ていたようでした。
とんこつラーメンはわかっていませんでしたが私にはわかりました。とんこつラーメンがハンバーグコロッケそばはデミグラスっぽいコロッケそばの方がうまいとか話すので冷や汗ダラダラでした。
これは他人に話を振られてしまう可能性もあると考えて、私はハンバーグコロッケそばのSNSアカウントを作りました。
そして誰がどうとは名言しませんでしたが他所で私にハンバーグコロッケそばの話を振るな、と明記しました。これで友人からはハンバーグコロッケそばの話題は見えないはずでした。
私は友人と一緒に居る時は出来る限りカツコロッケそばを持ち上げました。サクサクの衣にコロッケそばがついた瞬間が最高!タンパク質も取れて健康!別にカツコロッケそばが嫌いな訳では無いので本心でした。
一方で私はハンバーグコロッケそばのアカウントを作った事で自由にハンバーグコロッケそばの話が出来るようになりました。ハンバーグコロッケそばの写真をアップしたりしました。
ご存知の通りハンバーグコロッケそばはカツコロッケそばに比べるとあまり人気があるとは言えません。ハンバーグコロッケそばもハンバーグとコロッケそばという皆が大好きなヤツの相乗効果とは思うのですが。
なので細々と、数少ないハンバーグコロッケそば信者とお話する程度でした。嫌がられるのが目に見えていたのでハンバーグコロッケそばの論文など書く気は更々ありませんでした。
ある日の事でした。通話中、私が「カツコロッケそばって本当安心する味でいいよね、ソースもあうし」とカツコロッケそばを話の流れで持ち上げました。
すると何が気に障ったのか、友人は「じゃあなんでハンバーグ乗せてんだよ」とキレはじめてしまいました。私は突然のことに青ざめました。
「ハンバーグはコロッケそばに乗せる具として人気ないんだからもうちょっと自重してほしい」「ハンバーグをコロッケそばに乗せるのやめろ、コロッケそばに失礼」などと言われ私は泣いてしまいました。
私はハンバーグコロッケそばのアカウントを消しました。ハンバーグコロッケそばを食べるのはそんなに悪い事なんだ、もう一生ハンバーグコロッケそばを食べるのはやめよう・・・。そう思いました。
そう思ったのですがハンバーグコロッケそばを食べることを私はやめられませんでした。以前のように誰にも見えない所でハンバーグコロッケそばをモリモリと食べました。
ハンバーグコロッケそばをモリモリと食べていると、「いややっぱハンバーグコロッケそばおいしいやん」という気持ちが込み上げてきて、なぜそんな批難を受けねばならないのか疑問に思いました。
声高にカツコロッケそばの話をする友人と違って、私はいつでも気を使って、こっそりハンバーグコロッケそばを食べてきました。誰にも迷惑をかけたつもりはありません。
でも友人の言い分からするなら恐らく、「ハンバーグコロッケそばを食うやつが1人でも存在する事が許せない」んだと思います。いや好きなもんくらい好きに食わせろや?常識的に考えてそう思うのですが、許せないらしいのです。
そんな感じで私はカツコロッケそばを見ると気分が悪くなるようになり、その友人とは会わなくなりました。
ほんとめんどくせえな、どうしたらよかったんだよ と未だに思うのですが、私がハンバーグコロッケそばをおいしいと思った時点で人間関係が終わってしまったんだろうと思います。そんなことで終わる人間関係がかなしいし、長年付き合って来た友人だけど本性を見た気がして、今は若干軽蔑の感情があります。
ある時友人はカツコロッケそばを好きな理由を「一番ファン母数の多い揚げ物に所属してるとマウント取れるから」みたいなことを言っていました。
いやカツが好きとかじゃないんかい!そんなヤツに侮辱されたハンバーグコロッケそばの事がかわいそうです。もうちょっと皆平和に生きられないのかなと思います。かしこ。
腐女子のお気持ちですが増田の皆様におかれましてはいい加減腐女子用語でAとかBとか言われるのも飽き飽きかと思いますのでカレーの話と致します。
増田には10年来の友人がいました。中学からの同級生で親友と言っても差し支えない間柄でした。
ある日友人が「カツカレーにハマった」と教えてくれました。
私もカツカレーの事は知っていました。市民権があり割とどこでも食べられる、カツとカレーという皆が大好きなヤツのおいしい相乗効果でした。
友人がカツカレーの論文を出すと言うので手伝いをしたり、家に遊びに来た時には私がカツカレーを振舞ったりしました。ココイチで新メニューが出るという時にはつきあったりしました。
ただし、友人はハンバーグカレーの事がものすごく嫌いでした。カレーに乗ってるハンバーグはネチョネチョしててキモい、といつも周囲に語っていました。
しかしある日の事、私はハンバーグカレーを食べてしまいました。セブンイレブンでした。
私は元々ハンバーグの事が好きだったので、うすうすハンバーグカレーもおいしいのではないかな、と思っていたのです。
思った通りハンバーグカレーはとてもとてもおいしくて、私は隠れてハンバーグカレーを毎日食べました。罪の味に私は苛まれる事になりました。
罪の味に苛まれながらも、毎日毎日ハンバーグカレーを食べているとつい話題に出してしまう事がありました。
昨日何食べたの?なんて聞かれたらハンバーグカレー食べた・・・としか言えません。何せ毎日食べているので。太りました。嘘をつく日もありました。
そんなやり取りをごく稀にSNSでしていました。友人はあまりSNSを頻繁に覗くタイプではなかったので多少ならいいか。と。
しかしとんこつラーメン大好きの別の友人とその友人が同席している時に、「増田はハンバーグカレー好きだよね」とバラされてしまったのです!
このとんこつラーメン好きの友人はカツカレーとハンバーグカレーの間の確執を知りませんでした。なので罪はないのですがあの時の冷たい空気を覚えています。
「まあ別に好きなものは人それぞれだし」と友人は気にしていないように見えました。でも明らかにキレていました。SNSも見ていたようでした。
とんこつラーメンはわかっていませんでしたが私にはわかりました。とんこつラーメンがハンバーグカレーはデミグラスっぽいカレーの方がうまいとか話すので冷や汗ダラダラでした。
これは他人に話を振られてしまう可能性もあると考えて、私はハンバーグカレーのSNSアカウントを作りました。
そして誰がどうとは名言しませんでしたが他所で私にハンバーグカレーの話を振るな、と明記しました。これで友人からはハンバーグカレーの話題は見えないはずでした。
私は友人と一緒に居る時は出来る限りカツカレーを持ち上げました。サクサクの衣にカレーがついた瞬間が最高!タンパク質も取れて健康!別にカツカレーが嫌いな訳では無いので本心でした。
一方で私はハンバーグカレーのアカウントを作った事で自由にハンバーグカレーの話が出来るようになりました。ハンバーグカレーの写真をアップしたりしました。
ご存知の通りハンバーグカレーはカツカレーに比べるとあまり人気があるとは言えません。ハンバーグカレーもハンバーグとカレーという皆が大好きなヤツの相乗効果とは思うのですが。
なので細々と、数少ないハンバーグカレー信者とお話する程度でした。嫌がられるのが目に見えていたのでハンバーグカレーの論文など書く気は更々ありませんでした。
ある日の事でした。通話中、私が「カツカレーって本当安心する味でいいよね、ソースもあうし」とカツカレーを話の流れで持ち上げました。
すると何が気に障ったのか、友人は「じゃあなんでハンバーグ乗せてんだよ」とキレはじめてしまいました。私は突然のことに青ざめました。
「ハンバーグはカレーに乗せる具として人気ないんだからもうちょっと自重してほしい」「ハンバーグをカレーに乗せるのやめろ、カレーに失礼」などと言われ私は泣いてしまいました。
私はハンバーグカレーのアカウントを消しました。ハンバーグカレーを食べるのはそんなに悪い事なんだ、もう一生ハンバーグカレーを食べるのはやめよう・・・。そう思いました。
そう思ったのですがハンバーグカレーを食べることを私はやめられませんでした。以前のように誰にも見えない所でハンバーグカレーをモリモリと食べました。
ハンバーグカレーをモリモリと食べていると、「いややっぱハンバーグカレーおいしいやん」という気持ちが込み上げてきて、なぜそんな批難を受けねばならないのか疑問に思いました。
声高にカツカレーの話をする友人と違って、私はいつでも気を使って、こっそりハンバーグカレーを食べてきました。誰にも迷惑をかけたつもりはありません。
でも友人の言い分からするなら恐らく、「ハンバーグカレーを食うやつが1人でも存在する事が許せない」んだと思います。いや好きなもんくらい好きに食わせろや?常識的に考えてそう思うのですが、許せないらしいのです。
そんな感じで私はカツカレーを見ると気分が悪くなるようになり、その友人とは会わなくなりました。
ほんとめんどくせえな、どうしたらよかったんだよ と未だに思うのですが、私がハンバーグカレーをおいしいと思った時点で人間関係が終わってしまったんだろうと思います。そんなことで終わる人間関係がかなしいし、長年付き合って来た友人だけど本性を見た気がして、今は若干軽蔑の感情があります。
ある時友人はカツカレーを好きな理由を「一番ファン母数の多い揚げ物に所属してるとマウント取れるから」みたいなことを言っていました。
いやカツが好きとかじゃないんかい!そんなヤツに侮辱されたハンバーグカレーの事がかわいそうです。もうちょっと皆平和に生きられないのかなと思います。かしこ。
Disdain for the Less Educated Is the Last Acceptable Prejudice
https://www.nytimes.com/2020/09/02/opinion/education-prejudice.html
より一部訳
重要なことは殆どのアメリカ人(3分の2近く)が4年制大学の学位を持っていないということである。彼らの悩みの原因は不十分な教育にあると労働者に言うことによって、エリート (meritocrats) は成功と失敗とを道徳化し、知らず知らずのうちに学歴偏重主義を広めている―大学の学位を持っていない人々に対する陰湿な偏見を。
学歴偏重主義者 (credentialist) の偏見は、エリートによる傲りの症状である。2016年までに、多くの労働者は高学歴のエリートたちが自分たちを見下しているという苛立ちを感じていた。この訴えには根拠がないわけではない。調査研究は、多くの労働者階級の有権者の直感を裏付けている;人種差別や性差別が好ましいとされない(排除されはしなくとも信用はされない)時代にあって、学歴偏重主義は最後まで残る偏見である。
アメリカ合衆国とヨーロッパでは、他の嫌われがちな集団 (disfavored groups) に対する偏見よりも、教育水準の低い人々に対する軽蔑は、より顕著であるか、あるいは少なくともあっさり認められている。アメリカ、イギリス、オランダ、ベルギーにて実施された一連の調査のなかで、 Toon Kuppens 率いる社会心理学者のチームは、大学教育を受けた回答者は、他の嫌われがちな集団に対する偏見よりも、教育水準の低い人々に対して、より偏見があることを発見した。この研究者たちは、典型的に被差別者とされるさまざまな人々に対する態度を調査した。ヨーロッパでは、このリストにはイスラーム教徒、貧困者、肥満、視覚障害者、低学歴の人々が含まれていた;アメリカでは、このリストにはアフリカ系アメリカ人、労働者階級が含まれていた。これらすべての集団のなかで、低学歴者はとりわけ嫌われていた。この研究では、大学教育を受けたエリートたちによる教育水準の低い人々に対する軽蔑的な見解を明らかにしただけではなく、エリートたちがその軽蔑を恥ずかしいと思っていない (unembarrassed) ことも発見した。彼らは人種差別や性差別については非難するかもしれないが、しかし教育水準の低い人々に対する否定的な態度については弁解しないのだ。
2000年代になると、大学の学位を持たない市民は見下されるだけではなくなった;アメリカと西ヨーロッパでは、彼らはほとんど公選職に居場所を失うようにもなった。アメリカ議会では、下院議員の95%と上院議員の100%が大学を卒業している。資格を持つ少数の人々が、資格を持たない多数の人々を統治するのだ。
これまでも常にそうだったわけではない。十分な教育を受けた人々は常に議会で不釣り合いに代表されてきたが、最近では1960年代初頭には選出された議員の4分の1が大学の学位を持っていなかった。過去半世紀の間に、議会は人種、民族、性別に関しては多様化したが、学歴と階級に関してはそうではなかった。
学歴分断の一つの結果として、公選職に就く労働者階級が極めて少数であることがある。アメリカでは、労働力人口の約半数が、肉体労働、サービス業、事務職と定義された労働者階級の仕事に従事している。しかし、選挙前にそのような仕事に従事していた下院議員は2%にも満たなかった。
ツイフェミが嫌いだ anond:20201207231556
のブコメを眺めていたら良いことを言ってる人がいた
izure 増田はツイフェミが嫌い。なぜならツイフェミとは増田の嫌いなタイプの意見を言う人の集合だから。虚しい。ちゃんと個々の意見を相手にしようよ。レッテル貼りみたいな横着してないでさ。
2020/12/08
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201207231556
しかし、、、
↓ ↓ ↓
izure ネトウヨなんてなにやってもおかしいだろ。まともな感性を期待できる存在じゃない。
2020/02/11
izure ネトウヨがミリオタにすり寄って動員力を簒奪してるだけだよな。オタクパーソナリティを演じようとするとハッピーセットみたいに「ご一緒にネトウヨもいかがですか?」って来るんだけど、別にネトウヨはいらない。
2020/05/17
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/mahirokisaragi/status/1261263228580978694
izure ネトウヨ志向の人ら、振る舞いの醜悪さで人気出ちゃうから、ファンの期待に応えることと良識を取り戻すのことが両立できないままドツボに嵌ってくんだよな。心底軽蔑してるけど、同情もしてる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hasumi29430098/status/1208357216387887106
izure 自身の威光の確認作業としてのハラスメントと、ネトウヨっぽい振る舞いの親和性が高いんだよな。わざと差別的だったり無礼な態度をとって「王様は裸だ」って指摘できない周囲を見るのが癖になってるタイプ。
2019/11/06
https://b.hatena.ne.jp/entry/okinawansea.hatenablog.com/entry/2019/11/05/202932
izure フェミとかアンチフェミとかネトウヨとか、ノウハウまで流通してる誰かの思想に乗っかるの、楽だし仲間も増えて寂しさも紛れるんだろーけど、意志や動機までアウトソースし始めるとただの道具に成り下がる。祝離脱。
2019/11/04
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/kakuyomu.jp/works/1177354054888099671/episodes/1177354054888111312
年末ガキ使出るかでないかかわからんけど、出るかもしれないで見る奴はいるだろう。
それで視聴率を僅かに貢献したことになるだろうし、いじめを見ているような記者会見も済んで禊は終わったことにしていいんじゃないかい?近藤氏の方なんかトレンドを外れてすっかり色あせてるよ。
それでも、あの輝かしいスターダムには戻れないかもしれないけど。
普段ならどこからともなく聴こえる助け舟もないし、客席からでは見えないけど、擁護できないほど酷い状況なんだろうな。
綺麗な嫁さんと、小さな子供、力になってくれている相方を大切にしてほしい。
個人的には、多目的トイレで売春まがいのことをやった女性にもフォーカスして欲しい。
こっちも、人として軽蔑されても良いと思うんだ。
保険や生活保護を金儲けの道具にするヤクザと同じ人種にまで失墜した。
こんなCM見て軽々しく「在日差別最低!サッカー最高!」と言われても、お前らに俺の苦しみの何がわかるんだって怒りしか湧いてこないよ。
むしろサッカー最高!ナイキ最高!の道具に自分たちの悲しみが使われたことが許せない。
『涙が宝石になる人魚(雪女)』の話ってファンタジー物の漫画や絵本に出てくるじゃん?
アレの気分かな。
自分たちの悲しみが商売道具にされて、それによって傷だらけのカサブタを次々に引っ剥がされるのは鬱陶しいとしか言いようがない。
ぶっちゃけこれを見て「在日批判ダッセー」と明日からいい始める奴こそ、まさにちょっとしたことで在日イジメをしてた奴ら。
そしてそいつらは結局こっちのことを助ける気なんて無くて「可愛そうな在日くんを使って女の子(男の子)にアピールしちゃお♡」ぐらいにしか思ってない。
けしかけてきてんだよナイキは、俺たちに対して鬱陶しいウンコバエみたいな連中を。
そうしてソイツらを無碍に扱うとかえって不味いなと迎合していくと、最後には「可愛そうな在日くんを助けてあげた俺たちに見返りは?」って空気になる。
んで、本当に仲良く慣れたはずの本当に差別意識がなかった友達は、俺が彼らと仲良くしてるのに遠慮して遠巻きに見てるだけでいてくれたりするわけ。
18歳の頃どんなブスでも女がいない環境に行けばちやほやされるだろうと思って男が95%の学部への進学を決めた。
確かに彼氏はできたし一部のコミュニティではちやほやもされた。でも人権は得られなかった。
男が9割だということは確かにブスでもちやほやされるということだが、ブスを謗ったって女性のコミュニティに嫌われて立場が悪くなるなんてことは起こりえないということだ。だって女がいないから。
男女比が半々だったときは人権はなかったが最低限の配慮はあった。直接ブスにつらく当たれば他の女から軽蔑されるって抑止力があったから、いくらブスでも表立って謗られることはなかった。
試験中に試験監補佐の院生から胸のサイズを目視でチェックされ、その情報が当然のように彼らのコミュニティで共有されていたこともある。
まあ別にそういうことをしてもいいが、こっそりやってくれ。私に悟られないように配慮してくれ。
「○○ちゃん貧乳って言ってるけど嘘でしょ?××先輩が試験のとき見たら結構あったって言ってたよ!」って直接バストチェックの話を教えてくれるやつほんと何なの。
そういうことをして許されるって当然みたいな空気。ガチで人権がない。でも私に人権は無いのかと怒ったりすればこっちがキチガイだと思われる。順応するしかない。
女学生が隣なのに研究室のPCの待ち受けを水着姿のAV女優にするやつとか、学科必修の研修の宿泊先を毎年恒例と言わんばかりに風俗街のど真ん中で抑える事務員とか、少数とはいえ女がいるのに平気でAVが流される宅飲みとか、猥談じゃなければ良いでしょと言わんばかりに話題に当然のように出てくるAVのネタとかもうなんか一切の配慮がない。
前歩いてるお姉さん女教師モノのAVに出てそうじゃねえわじゃあ先輩はアナル調教されてメスイキしてそうな顔してますね?
学科の数少ない女と女子会を開催すると、「セクハラ?まあ当然あるけどそんなの分かって入学してるわけだし。」って言われる。まあ過激派フェミもいるので過激派フェミはキレてるけど。男女比が狂った空間ヤバすぎる。
まあ人権がないならないで明治時代の人とかも人権なしで生きてたわけだし別にいいっちゃ良いけど、たまに人権がある環境で生きてる女と喋るとドン引きされる。
お前はおかしいとかあなたのいる環境は普通じゃないとか言われる。
知ってるけどじゃあ学校辞めて文学部社会学科女性学研究室にでも転学すればいいんか???どうしろと???私が???社会を変えないといけないの???無理ですけど??????
下ネタ無理ですなんて言えないから全部脳内で二次元のBLに変換して「セーラー服ってエロいよね」って言われたら「(私の推しの○○司令官が似合いもしないのにセーラー服を着用してるときの)プリーツから覗く(筋肉隆々の)太ももと(ぱっつぱつの)紺ソの組み合わせは(戦闘力的な意味で)最強ですよね」って返してる。
成人男性が女子高生を性的な目で見てるのとか生理的に無理だけどそんなこと絶対言わねえ。何が悪いのって空気を変える気概なんかない。
いやもうブス関係ないわ。男が9割の環境に来たらブスでも人権あるかなって思ったらブスとか以前に女に人権のないやべえ環境に来ちゃってもうやべえよわたし過激派フェミなのにつらたんって感じ。マジで。美人にも人権ない。
成績トップの女子に生意気だとかプライド高そうとか傲慢だとか陰口を叩く男マジでだせえから。言っとくけど成績が底辺なだけで私の方がトップの○○ちゃんより2000倍傲慢でプライド高いから。適当に媚び売ってるクソ女の私に騙されて評価を見誤ってんじゃねえよ。自分より馬鹿な女は傲慢でも可愛いで済んで成績がトップだと生意気なんか?マジで女に人権がない。ヤバい。
もちろん唯一の女性教授にも人権はない。平気で講義中に撮影した彼女の写真が出回っている。結婚だの恋愛だのプライベートの話を噂にして面白おかしく流されてるのだって彼女だけだ。人権がない。面白すぎる。
人権がない。
別にいいけど。こんな狂った環境にいたら頭がおかしくなる。でも就職先まで見据えて進学しちゃったからこのまま就職すれば社会に出ても男が9割だ。
今は若い女の子なので人権がなくてもちやほやされて生きてるけどこれ若さって付加価値を失ったらただただ人権がない人になるのかな。大丈夫なのかな。
これはマジレスなんだけどけど泣かれたらその時点でその場でクビにしたくなる
まぁクビにしないし、意地悪もしないけど、ただひたすらに軽蔑する
なんらかの発達障がいを抱えているとかではなければ
この話はメンヘラ二次創作(ポエム)者による二次創作めんど吐瀉物です
二次創作に最初に触れたのが、しょうがくせーの時に実家にあった某ジャンルのBLr18アンソロだった。
正直、オエ、でした。
大事な所を無理やり触られてアンアン喘いでいるキャラクター。アニメ化もされてたので、アニメではこんなことされてないのに、なんでこんな物が存在するんだろう、って嫌悪感しかなかった。
で、その持ち主(10くらい上)が〇〇と××(blcp)ってどう思う?って聞いて来た。××は△△さん(女性)が好きじゃん、って答えたら、その人は、あぁ、ーーちゃんは原作重視なのね、って。
好きな人が同性だろうと異性だろうと相手が好きになってくれるかはどちらにせよって感じじゃんって今なら言葉にできるけど、あの時はどうでもいいじゃん、って言葉にしかできなかった気がする。結局どうでもいいが。それはともかく。
原作重視、ってか、原作しか存在しないじゃん、これが存在してるのがおかしいんじゃん。
ってしょーがくせーの私はなりまして。そのアンソロの持ち主のことも軽蔑しました。
でも成長するにつれて、おかしいものが当たり前のようにあることを知る。
ちょうど自己嫌悪の機運が高まっていた頃。
軽蔑するものを見ないよりは、その軽蔑を自分に向けて自分を貶めたくて、わたしは二次創作を読みあさっていた。
話の隙間にこんなやり取りがあったら。
こんな関係でいてほしい。
二人のえろが見たい。
誰かの欲望が映し出されたものを見ることで、自分がその欲を持っていると錯覚した。本当はそんなこと思ってなくても、気持ち悪い、と自分自身を罵倒し痛めつけられる理由を作った。
そもそも、原作者が死んで長く経つ作品や、アニメ化も原作の二次創作のようなものなんだと大人になってから知ると、二次創作ってわたしがどんなに嫌でも存在するものなんだ…という諦めもあった。
二次創作をし始めたのは、その鏡合わせだった誰かの欲を自分と一体化させてしまった時からだった。
いろんな話を書いた。いろんな人に読まれた。褒めてもらった。嬉しい、という振りをした。rの付くものを書いて、拙いと言われることに吐き気がし始めた時には、もう夢を見る時間が終わりかけていた。二次創作は現実逃避と自分を殺すための方法だった。
今、それが剥がれかけているのは果たしていいことなのか。こうして増田に投げている時点で捨てられてそうかはお察しなんだけど。
作者が作ってないなら、全部違う。
好き、が勝手と結びつけられるみたいに、みんなその感情さえあれば自分の欲望を押し付けていいと思っている。わたしが自罰という欲を見出したみたいに。
それを楽しいと思ってやれる人は好きにしたらいいと思う。ただ私にとって二次創作は、誰かの欲の借り物、自分を殺す方法だった、んだなぁってだけの話でした。
80年て
まず80年生きた人間でマトモな機能維持してる個体かなり少ない
祖母、書道の先生だったとかで、うるさいが賢そうだし字も綺麗だしで尊敬してたんだが、90近い今は目も濁り腰も曲がって話も繰り言としか表現できず、かなり醜悪な感じになってきた
60〜70で死んでたらこの軽蔑は感じずに済んだと思うとけっこう悲しい
身体の耐用年数はせいぜい40〜50年なのにプラス30年も使ってるのがおかしいねん 70まで働くとかになってくるともはやビョーキや この社会は病んでるねん
主観的な話としても、正直80年も生きたくねえんだよな
長いんだマジで 長すぎるだろ
しかもそのうち40年以上が週(最低)40時間労働みたいな話らしい なんなんだ?
俺はいま25ですが、あと5年くらいで死ぬって話ならすげー頑張って生きると思う
松茸一本もらったらすげー大事に思いつつ美味しく食べるだろうが、これが16本くらいになると多分かなり雑に食うことになる
同じことが起きてんだよな
人生、ただでさえ人間が70億人とかいてヨコの価値が低い感じするのに、80年とかいうバカ長さによってタテの価値すら毀損しとる
30年が最長みたいな感じだったら俺は「ボクはいったいなんのために生まれたんだァ〜ッ!人生ってなんなんだァ〜!」みたいなことをウジウジ考えんともうちょいシャッキリポンと生きてたに違いない そんなこと考えてるうちに死んでしまうからな
哲人と呼ばれるくらいの人が人生のことを考えるのはいいんだが、俺みたいなバカのパンピーがそんなこと考えたってどうしようもない
のになんで考えるかって言ったら人生が無駄にチョー長いから なげえんだよバカ ちぢめろ
どうすんだよこれ ヘタしたらあと3倍くらいあるらしい 半分にも達してないのは確か
「明日死ぬと思って生きろ」って言われても実感わかん なぜならそう思って何日何十日もも死ななかったから 死なないんだよな意外と
マジで長いよ長すぎる
というか、20代でも身体の劣化感じるのに残りの下り坂どうすんだよ
ヤベーよこの消化試合感
いや、消化試合ならまだマシだけどこっからドンドン身体が悪くなって不調になっていくらしい
マジ?つらすぎるだろそんなん
毒飲まされながらの消化試合なんだよな
やめてくれやあ 殺してくれやあ
彼女がよそよそしい。以前彼女が「クレームなんて付けないし誰かに不満があっても言わない。他人に言われて変えられるようなことなら言われる前に変えるべきだし、相手を変えようと努力するくらいなら変える必要のない人を見つけたらいいだけ」(要約)ということを言ってて
彼女が察してちゃんとかではなく、ただ「何かこちらに落ち度があって、そしてもう見限られたんだな」と感じる。
彼女はミスも失言も限りなく少ない。卵を割るのが下手、くらいのどうでもいい些細な欠点しかないし、エミリアたんみたいな性格(と俺は思ってる)
直接聞いてもどうせ答えてくれないし、軽蔑されるだけだと分かってるから何がダメなのかすら聞けない。挽回する方法はないのだろうか。そもそも何が悪いのか思い当たることはいくつかあるけど、一朝一夕に変えられない。。。
クソすぎて笑える
なにが100倍エンジニアだ。100倍できようが1000倍できようが先輩上司は時間と手間をかけて後輩に親切に教えなければいけないし、下はできないこと先輩上司のレベルに達していないことを引け目に感じるべきではない
クソなコミットクソなプルリクをガンガン出していい。教えられないほうがクソ。手取り足取り教えることができない時点で上に立つ資格なし。下は先輩のレベルに達しないことに罪悪感を感じる必要なし。
上に立った時点で自分の時間を自分のために使うことができると思うほうがどうかしている。100倍エンジニアは上に言った時点でそのアドバンテージはゼロリセットだ。いつまで100倍エンジニアでいたいなら一生現場でもがいてろっつうの。なに他のやつにオフロードしてドヤ顔してんだよクソが。
だいたいデスマーチの歩き方って題つけて最後なんで面接の通り方の説明になってるんだよクソが
要するに100倍エンジニア様の気分を察して100倍エンジニア様の気分を害しないように24時間働けってことだろ。こういう奴隷根性のバカがドヤ顔してる時点で心底軽蔑する。バカである上に他のやつに被害を及ぼそうとしている。本当に害悪。世の中から消えたほうがいい。
もう時効だと思うから書く。時効っつったって俺がなんかやらかした訳じゃなく、そろそろこれについて語っても突っかかってる馬鹿どもも居なくなったろうと思う、という意味だ。
去年くらいまで、ある界隈で二次創作をしてた。自分で言うのもなんだが、作ったものはそれなりにウケてたしTwitterのフォロワーもちょっと多かった(ウン万とかいた訳じゃない)。
で、とあるコンテンツを楽しんでいたんだけど、当時はそのコンテンツを運営する裏方がはっきり言ってグズだった。俺は不満も不平もあったが、なるべくTwitterでそういうことを言わずにいた。言ったとしても裏方に対して苦言を呈するくらいだ(それくらいいいだろ?)。
しかし運営への不満感がファン全体で高まり、いわゆるアンチ行為をするやつもでてきた。そいつはアンチ動画を作ってニコニコに投稿しては、運営を叩きたがったカス共を喜ばせていた。俺も最初は運営に不満があったから喜んでみていたし、実際その動画はアンチというよりも「運営がこんな不手際をしている」という客観的事実をまとめてるように思えた。
でもそれはいつしか明らかに悪意のある動画になっていった。俺は確かに運営に不満はあったが、運営が嫌いなわけじゃなかった。むしろ、ちゃんとしてくれ、もっと信じたいんだよって気持ちだった。だから、そのアンチ野郎がそんな動画を投稿するようになってからは軽蔑して見なくなった。
そしてある日、突然とんでもないツイートを目にした。
は?
なんだって?
こいつは何言ってんだ?
俺はびっくりした。あのクソアンチ動画を作ってるクソアンチ野郎の正体が俺だって?なにを根拠にこんなこと言ってんだ?
当然このツイートは根拠レスだったが、裏を取ることもしない馬鹿どもがたくさんRTした結果「○○(俺)がアンチ動画を量産していたクソアンチ野郎の正体だった!」という根も葉もない話が広まった。
当然俺もなにも抵抗しない訳もなく、Twitterで「いい加減なことをツイートしないでほしいし、裏も取らずにリツイートしないでくれ」と怒りで震えが止まらない手で打ち込んだ。
これでとりあえず誤解は解けた…と思ってエゴサしてたら、とんでもないツイートを見つけた。
「○○はアンチ動画作ってたわけじゃないかもしれないけど、まず疑われる時点で終わってる。叩かれても文句言えないわな」
「○○さんって運営に文句ばっかり言ってて荒らしてたし叩かれても当然」
こいつらは要するに…事実がどうであれ…自分が悪いと思ったやつなら叩いていいと勘違いしていたんだ。
こんなのが何十件もツイートされててさすがに心が折れた。きつい。なんなんだこいつら。何を考えてるんだ?理解できない。自分たちが間違ってたら謝れないのか?それを押し通して俺を叩くのか?
おかげで1ヶ月間くらいはまともな精神状態じゃなく、会社でも心配された。あと自分のメンタルの想像以上の弱さにびっくりした。こんな理屈も筋も通ってないような悪口言いがかりでさえ心を凄まじく犯していく。クソッタレだ。
一応、俺がアンチではないと釈明したあとに謝罪したやつはいる。いるが、そいつはあろうことかTwitterのマシュマロで謝ってきやがった。なんだてめぇ?匿名で謝罪?何考えてんだ?それはてめぇが罪悪感感じたくないけど俺に名前も晒したくなくてマシュマロ使って謝ってんのか?ふざけるなよ。100%てめぇに都合のいい謝罪じゃねえか。絶対許さねえよ。こんなカスばっかりだ。
あれから1年経とうとしてるが、未だにトラウマになってて動画が作れない。アイツらがチラつく。居直りガイジどもが俺を犯す。
あいつらを土下座させて謝罪させて頭を地面に擦り付けて泣いている所にカカト落としをして脳漿ぶちまけさせるくらいしないと気が済まないし、そうしたって許せるか分からない。未だに怒りが湧いては行き場のないことに気づいて心の底に澱のように溜まっていく。