はてなキーワード: 自己啓発書とは
料理屋が何で本日のおすすめって日替わりメニュー作ってるのか知らんのか
いつきても本日のおすすめが統計学的に最強であるカレー置かれててもちっともうれしくないやつも当然いるんですよ
そりゃたまにならカレーもいいけど毎回カレーだけでいいなんてやつの方がごく少数派
今どき統計データの数値そのものを信用してるとか何週遅れだよ、そんなん小学生でもできるわ
統計云々でいうなら生き残りを考えないといけないフェーズになってんのを考えろアホ
統計ってのはただのデータで指標であって、ちゃんと実際の人の動きや心理を考えろ能無しクズが負け犬雑魚クソ虫
自己啓発書がカレーくらい俺の好みならよかったけど、残念ながらただの本の形をしたウンコですわ
飲む前と飲み続けた現在ではどう違うか質問すると良くなっていると言う。
それは効いている、薬が合っていて、あなたがちゃんと病院に行き、服薬してきたから良くなってきたのだろうと自分が言うと、でも不安だと言う。
不安なら先生に話したか、質問したかと聞くと、ごにょごにょ呟く。
先生に聞くのが一番だけど、聞きづらいならまず自分でも調べたりしてみたのかと言うと思いもよらないことだったらしい。それが自分には思いもよらないことだった。
思わず、10年以上薬を飲んでぜんぜん知ろうと思わなかったの?と言ってしまった。
失言だったなと思う。
その時点で学校卒業から10年近く、読書は自己啓発書ばかり、ゲームは携帯の女性向けアイドルゲームを好み、未経験のアルバイトは徒歩圏のお洒落な店が良いと言い、ネット検索も恐がるくらいの人(ここまで、偏見にまみれてるとは思うよ…)に、自分で精神科の薬について調べろ(調べろとは言ってないがそのようにとっただろう)はあまりに大変な事だったかもしれない。でも短大を卒業するくらいだから調べる位…と思う自分がいる。
でも思い返すと病気になる前、子供の頃でも自分からしたら戸惑う位気弱だった。
雌雄の個体の平均身長は158~167cmほど(性成熟すると雄は盛んにマウンティングの際の鳴き声で185cmや190cm代という声で鳴く)
日本全国に分布するが、海外への移入や外来種は記録されていない、過去世界各地、主にアメリカ西海岸や、イスラエルのテルアビブなどに輸入が図られたが、スキル不足や季候に合わずすべての個体が定着に失敗している
基本的に雑食性であるが、性成熟した雌雄は盛んにアメリカ西海岸産や、アメリカ流行の食物を好む、反面中国産、韓国料理やノルウェー産の魚介類、オージービーフなどは「勝ち組は食べない」などという鳴き声で嫌う習性が報告されている。
22歳で性成熟した個体、特に雄に関しては、IT業界に生息するが、数万体に一体の割合でなる個体「上級SE」「フルスタック」等を除けば、30歳~35歳を境にIT業界からはいなくなる、これは専門家の間では自然淘汰によるものという説が現在有力である
IT企業における飼育下では、特にSIerやソフト屋の客先常駐、スキルが高いエンジニアしかいない自社開発などの環境下においては、チック症候群、うつ病、消化器不良、パニック障害、躁うつ病、統合失調症、慢性疲労症候群にすぐかかるが、精神治療や薬物治療、自己啓発書、なろう小説、雌個体は悪役令嬢小説などを与えると、亜科に属するヒトと同じくらいの寿命は生きるという説がある。
飼育下で家畜として使役したい場合は、web業界の檻を与え、やりがい、将来性、スキルといった餌をあたえ、勉強会や週に一回の自宅リモート勤務を与えるとよい
ただし、週2~3回に増やすと、サボり始めて生産性を著しく落とし、「マウンティング」「給与交渉」「SNSに会社の内情を暴露」といった習性に出るために注意が必要。
増田の飼育は困難を極めるため、国内で飼育したい場合は、IPA資格プロジェクトマネージャー、もしくはPMPの資格がなく、許可なく飼育して野生化個体、精神病個体などを生み出すと、罰則などが設けられている。
野生化、飼育下での繁殖率は著しく低く、一説にはジャイアントパンダよりも繁殖が難しいため、繁殖手法の確立などの研究がされているが、未だ有効な手段は確立されていない。
フリーランス、完全フレックス制のweb系ホワイトベンチャー、外資系社内SEといった環境でなければすぐに病気にかかるほど非常に繊細な個体であるが
やりがい、スキルといった言葉を与え、フリーランスで放牧、男女ともに容姿のいい飼育員などで介護すると、泡の立つドブ川に生息し、ジャンボタニシの卵を主食にしても問題がないほどの免疫力を得るという説が存在している。
匿名ダイアリーを書いたり、人の投稿にコメントしたりしているうちに、自分がどういう行動や性格をキライだと思うかよくわかるようになってきた。若い頃は「友達なんだから否定しちゃいけない」とか「同期なんだから仲良くしなくちゃ」と黙っていたけれど、どうも納得いかないと思っていたことは20年以上経った今もしつこく記憶に残っていて、ここに書くことでだいぶすっきりする。
○自分の常識が他人にも通用して当然だと思っている人がキライ。自分と違う価値観を認められない人もキライ。
○裏表の使い分けが異様に上手く、私の前では調子の良いことを言っていても陰で全然違うことを言うような人がキライ。
○自分の期待していることを相手が察してくれて当たり前だと思っている人がキライ。
自分のコミュ力が低く、空気を読んだりするのが苦手なことを差し置いてもなお、上記のような人々に心を許せない。裏表の使い分けが上手くて、空気に応じて全然違うことを平気でいえる人が世の中を上手く渡っていくんだろうと思うけど、自分がバカ正直でかつ考えていることが顔に出やすいタイプだけにそういう連中にイラっとする。
たぶん父方の祖母のコミュニケーション方法を見て、反発を覚えたのが最初なんだろうなと思う。最近流行りの自己啓発書とかコミュニケーション指南書を見ると、祖母のやり方は正解だったみたいなんだが、きわめて外面が良く、口先だけの褒め言葉が得意で、自分の本音に関係なく相手が喜ぶであろうセリフを平気で口にすることができた。
実家はやたらもらいものが多く、必ずしも祖母や我々の好みに合わないものも届いたんだが、祖母はしゃあしゃあと「○○ありがとう!これ美味しいのよね」などとお礼の電話をし、自分は一口も食べずに家族に押し付けていた。せめて「○○どうもありがとう」までで止めておいてくれれば、次の年は別のものに変わったかも知れないのに、まるで自分がその贈り物を好物であるかのように言うから翌年も同じものが届いて我々家族は迷惑した。私は好みに合わない贈り物をもらうぐらいなら自分のお金で自分の好みに合うものを買いたい。
あと、私はさほど親しくない人との飲み会や食事会で何となく雑談をする…みたいなシチュエーションが苦手で、何をしゃべっていいか分からなかったし、話の振り方や相槌のうち方もどうすれば良いのか分からなかった。コミュ力が高い人は「何となくうなずいて話をつなげればいいんだよ」と簡単にいうけれど、私はいまだにそれが上手く出来ない。
前半と後半で話の内容が変わってしまったけれど、学歴とか職業の違いよりもコミュ力の差で人生には大きな差がついてしまうのだなとしみじみ実感している。
先に断っておくが信者ではない。
本題に入ると、何がすごいってこの宗教の教えは自分の考える限り
を用いたメンタルケアをスピリチュアルな要素を織り交ぜて実行させていく。
※アドラー心理学については、嫌われる勇気 を読んで学んだくらいなのでご了承ください。
宗教 | メンタルケア |
---|---|
不安な時に心の中で言葉を唱える | 頭で考えなくさせるところがマインドフルネスに近い |
地域奉仕活動 | 人生のタスク |
家庭での役割の再認識と実践促進 | 人生のタスク |
他者・他宗教との和合奨励 | 人生のタスク |
身近なストレスに対処しつつ、長期的には共同体感覚を持つために仕向けているように思える。
更に言うと、自分からは嫌われる勇気などの自己啓発書を読まないような意識の高くない層も取り込んでいる。
そして、霊能などのスピリチュアルな要素を取り入れることで夢中で実践させる。
見ている感じ身ぐるみ剥がされるわけでもなさそう。
新年早々、Facebookのタイムラインに、新年の豊富が流れるわけじゃないですか。
昔流行ったバトン、みたいな感じで、質問形式で今年の豊富に答える投稿が流れて来たわけです。
いくつかある質問の中に「今年関わらないあいてはどういう相手ですか?」ってあって。
ビジネス書、自己啓発書でよく言われてる「○○な相手には関わらないようにしましょう。」っていうやつ。
僕は自己啓発的なものが好きで、Facebookの友達には、そういうのが好きな人たちが溢れかえってる・・・問題は、自分自身が病んでしまって、所謂ビジネス書に書かれているような「距離を置くべき人間」に、自分自身がなってしまったこと。
年末年始に流れてきたその「新年の豊富」を見て、「ああ、この人たちは僕のこともその中に入れてるんだろうな。」と、内心思った。
正直、それを責めるつもりは毛頭ない。僕自身、関わる人間と関わるべきじゃない人間を、明確に判断してるので。関わりたくない人間とは、僕も関わりたくないです。
ただ、それってなんか「優しくないなー・・・。」って、最近思う。
僕はよく「精神性」っていう言い方をする。端的に言えば、精神性の低い人間とは、関わるべきじゃない。
そうすると、三段論法的に、精神病の人には関わるべきじゃない・・・ってなっちゃうのね。
精神病の人には、救いどころのある人と、救いようのない人と、いるのね。
救いようのない人はともかく、救いどころのある人は、どうしてもほっとけないんだわ。ほっときたくないんだわ。
所謂ビジネス書とかでさ、「関わる相手を選びなさい」って言うアレ、そういう救いどころのある人も置いてきぼりにしちゃう感じがしてさ、自分がかつて「精神性が高い」って信じてたものってさ、なんだか冷たいんだなー・・・。って思うのが今日この頃。
もちろんね、救いどころがあったって、救う力のない人間が無闇に関わるのは、単なる偽善だよね。そういう意味では、関わるべきではない・・・というのもまた然り、だと思う。
誤解なきよう、僕の病んでるのは、とっくに寛解してます。病みやすい思考は、してるけどね。ただ、孤独なんだわ。周りに置いて行かれちゃったから。味方なんてだーーーーれもいない。敵もいないら、気楽でいいけどね。嫌われも好かれもしない。社交辞令だけで生きてる感じ。
人間関係の悩みがあるって贅沢なんだなーっていう。最近悩んでないなーと思ったら、あまりにも人と関わらなさ過ぎるだけだったわ。
自分が特別な存在ではないことに気づき始めたのは中学生の時だ。そして高校生の時に自分がこの世界のモブキャラであるということを嫌という程思い知らされた。そして浪人生になる。浪人生の俺は高校で自分の凡人さを思い知らされたくせに
「俺はモブキャラじゃなくて何か特別な何かがあるんじゃないか」
という願望を捨てきれずにいた。もうほとんど諦めてはいたけど自己啓発書や成功者の書いた本を読むことで自分が凡人であるという現実から目をそらしていた。
そんな時にクリスマス生まれが結構多いということを知った。そしたら「ああ自分は誕生日も普通なのか、名前もよくいる名前だしやっぱり俺はモブキャラなんだな」となぜか納得できた。
自己啓発書を読み漁ってみたり、幸福学の本を読んでみたり、瞑想をしてみたり。
客観的な幸せの指標については知ることができたが、しかし、私が知りたいのは「どうしたら私自身が幸せになれるのか」ということだ。大学生のとき「私は幸せにはなれない人間だ」と直感した。悲観的で自己肯定感が低い私は、どんなに恵まれた状況でも「幸せ」を感じることが出来ないだろうと考えたのだ。こんな私が幸せになれるには、性格から改善するしかないのではないか。とある新書によると、楽観的な性格は、幸せな人生には重要らしい。
そこで私はまた考えてしまう。満足な豚と不満足なソクラテスのたとえ話を。
楽観的な性格になること、あるいは趣味に没頭したり、スポーツで体を動かすことは、満足な豚になることではないのか。気の持ちようは大事だ。体と感情と思考はつながっているだろう。となると満足な豚は決して不幸とは言えないのではないか。ここまでくると「どう生きるべきか」という問題につながってしまう。そりゃあ倫理学的に考えると、「いい人生」とは「不満足なソクラテス」になることだろう。でもそれが決して幸せの実感とはつながらないとしたら。
私がほしいのは「べき論」ではない。じゃあ豚で満足しろよという話なのだが、しかし、そう簡単に割り切れないから悶々としているのだ。私は満足な豚にも不満足なソクラテスにもなれない、中途半端な人間だ。
前に書いたように、私は自分自身を「幸せになれない人間」であると認識している。不幸せなりに生きていくしかない、と思い、割り切って生きてきた。結婚相手を決めた理由も「この人となら一緒に不幸になっても構わない」と思ったからである。が、実際に結婚してみたところ、自分の不幸に配偶者をつきあわせるのは申し訳ないという気持ちが今さらながらに湧いてきた。私は配偶者や私たちの子供に不幸になってほしいわけでは決してない。
そして、そのうちに「もしかしたら私も幸せになれるのではないか?」といった希望までもが芽生えてきたのだ。
私も幸せになってもいいのだとしたら? 幸せになれるもんならなってみたい。
ところで、そもそも私は不幸なのか?
第三者から見れば、私は十分に幸せだろう。衣食住については満たされているし、スキルはないがいちおう働いている。家族も自分も健康だ。特別欲しいものはない。
これ以上、何を求める?
私はよく宝くじが当たればいいのに、と妄想しているのだが、もしも億単位(生涯賃金相当)の高額当選したらこの不安はなくなるのかもしれないとは思う。結局、私が求めているのは、「何があっても大丈夫」と思える人生の担保なのではないか。と考えると、結局幸せになるのに必要なのは、「私は何があっても大丈夫」と思える自己肯定感なのかもしれない。
一時期赤羽の駅前を賑わせた男性がいる。彼はどう見ても普通の、背広を着てネクタイを外したサラリーマンなのだが、なぜか道行く人にノートを見せつけてくると言う。そのノートにはどれほど猥雑なことが書かれているのだろうかと怪訝に思われるだろうが、実はそうではなく、ノートに手書きで書かれているのは
「君の名は」
に関するあらゆる情報。どうやら彼は映画館で観ていたく感動し、その作品を広く世に知らしめるべく行動に出たようなのだ。すごくないですか?このインターネット全盛の時代に。しかもすでにみんな結構観てるし。でもなんかいいなと思った。どうしても色んな人に観てもらいたかったのだろう。
今年観た映画には素晴らしいものが数多く、会う人会う人に、向こうのリアクションなどお構いなしに下を見ながらブツブツすすめ続けてしまう。わたしは何かを観たことによるマウントを行いたいわけではない、と思う。ただ、自分が今ラリっているブラントを配りまくっているジャンキーのようなもの。たぶん。ヘイ、ニガ!一緒に吸おうよ!みたいな。たぶん。知らないけど……。僭越ながら紹介させていただきます。とっておきのブラントなんだぜ、ニガ。
長い前置きすみませんでした。
◆超オススメ◆
韓国の鬼才によるエロサイコミステリー。しかも百合!韓国映画敬遠しがちな人は度肝抜かれるので観てください……。戦時下、美しい日本庭園で美しい衣装を着て日本人のフリをする朝鮮人たちが騙し合うんですが、セリフがずっとカタコトの日本語。この時点でカルト映画だ!となるんですが、話の展開も予想だにしない方向へと引っ張られていき目が離せないです。しかも最後が爽やか。イェーイ!となるという。とにかくエロいんでそこ目当てでも観て欲しい。
公式サイト:http://ojosan.jp/sp/index.html
②映画「コクソン」監督:ナ・ホンジン
韓国の寂れた村に國村隼が住みついてから、村人が家族を惨殺する事件が相次ぐ……なんで國村隼?本当に犯人は國村隼?なんでフンドシで鹿の生肉食べてる國村隼?こう聞くとB級映画にしか思えないと思いますが、カンヌ出品も納得のテーマへと迫っていく。何を信じるのか?終わり方は苦手な人もいそうだけど、でもそういう人こそ観るべきだと思う。途中、祈祷師なる人物がドラをジャンジャン鳴らしながらヤギの首をかっ切るシーンは尋常じゃない高揚感が得られます。
Netflixで話題を呼んでいるドキュメンタリー。ニュージーランドの記者が「くすぐり我慢大会」なるものを見つけ取材を申し込むと「オカマ野郎には関わって欲しくない!てめーはクソだ」のような攻撃的な返事。調査を進めるうちに、まるでゲイポルノのようなくすぐり動画を撮影し、恐喝に用いていたことが判明する……。
実話であることが恐ろしすぎる!見ず知らずの若者を支配し人生をぶち壊すことにしか興味がない恐ろしきサディストの話。こんな怖い話があってたまるか……。ゾワゾワしたい人は是非観てほしい。すごく怖い。
参考サイト:http://cinemandrake.blog.jp/くすぐり
勉強するとはどういうことか?勉強するとはキモくなることである!勉強すると100%キモくなる。なぜなら周りのノリに対し浮くからだ、という箇所に大納得。でもそれでも勉強してしまう。なぜなら自分が変わっていくマゾヒスティックな快楽があるから。勉強とは、今までわからなかったことがわかること。言葉が自分のなかで血肉を持つこと。でも言葉で自分と環境を一度切り離し、客観的に捉え直すことが必要。自己啓発書風だけど中身はすごくわかりやすいドゥルーズだった。わたしがなぜ学生の時にドゥルーズに心惹かれたか、腑に落ちた。とても平易な言葉で書かれているけれど、勉強そのものに切り込んでいくのでスリリング。名著だと思う。……伝わってますか?すごく読みやすいのに考えさせられる、とてもよい本。
こちらもNetflixにて。アメリカン・ドリームを夢見る、人種もバックグラウンドも様々なドラァグクイーンたちがバトル!ル・ポールの前で1番を競い合う。カーテンでドレスを作ったりものまねショーをしたり。あれ?意外に予算がかかってない?しまむらチックな私服を着た屈強な男たちがメイクと豪華なドレスで美しく変身する様、見習わないといけないなと思わせます。そしてなんてったってル・ポールが美しい!普段はダンディなスキンヘッドの50代のオジさま(声だけ女)なのに、ひとたびドレスアップすると193センチの美女!日本の番組にありがちな、 「でも実はオッサン」的ないじられ方をすることなく、ただただ美の化身として存在するル・ポールが尊いです。あと発音がわかりやすくてリスニング力を鍛えることができる。
⑥映画「モアナと伝説の海」監督:ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー
海、砂、黄金のテクスチャーが本物以上。海洋スペクタクル大アドベンチャー。モアナはプリンセスというよりかは立派な施政者。16歳なのにあんなにしっかりしているなんて……。話の説明パートは歌かギャグが入るので飽きることがない。オチも完璧だったし、この映画を観て育った子供は絶対に自然環境を破壊しないと思う。ホントか?半神ムアイは全身タトゥーだらけで顔もいわゆるディズニーのヒーローとは違っているけど、とても愛らしい。ディズニーは反ルッキズムへと舵を切っているのかも。人間に御礼を要求する歌がいいです。派手なカニやココナッツのマッドマックスも必見。
今激激激激オシしている映画。なぜなら全然流行ってないから。でもそれはどう考えたってオカシイ。だってこんなに面白い映画そうそうない。映画館で終始ニヤニヤ、たまにゲラゲラ、笑いすぎてむせてしまったかと思えばしんみりさせてくれる。バットマンでかつレゴ、でもどちらも必然性があるストーリー。レゴがとにかくかわいくカラフルで魅せられるんだけど、話は意外に考えさせられる。
「ダークナイト」では、悪に対し私刑を加えるにすぎず、その行動がより悪を増長させ自らもまた悪の似姿となるバットマンが、アメリカにオーバーラップさせる形で描かれた。奇しくもジョーカーを演じたヒース・レジャーの死によってダークナイトの問題提起に答えが与えられることはなくなってしまったが、その答えを与えるのが「レゴバットマン」。まじです。しかも子供も楽しめる。すごい。ウォルデモート卿やマトリックスのエージェント、キングコングまで。騙されたと思って観てください。
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/legobatmanmovie/
韓国ノワール。人がイヤな死に方をすることでは天下一品な韓国映画にまた一作、観ていて痛そうな映画が。サイコ市長に飼い犬のように使われるダーティー刑事が牙を剥く。観終わったあとに結局なんだったのか?感が否めないが、市長がフルチンでキレたり、やたら痛そうな拷問など、観ると楽しい。主演が西島秀俊に似ている。
公式サイト:http://asura-themovie.jp/
閉鎖的な黒人社会でセクシャルマイノリティとして生まれたこと、というよりかは孤独な子供あるあるとして観た。静謐さ、不安定な視界、不安げな表情、どれも既視感のある普遍的なものだったので、不器用な子供だった人にすすめたい。また、車、言動、振る舞い、筋肉、どれをとってもギャングスタに憧れないわけにはいかなかった。
公式サイト:http://moonlight-movie.jp/sp/
⑩映画「湾生回家」監督:ホアン・ミンチェン
台湾で生まれ育つも敗戦により引き揚げざるを得ず、しばらくかの地に足を踏み入れることのできなかった日本人を追ったドキュメンタリー。故国ではないところに故郷がある人の、心はいつだって異邦人という言葉に痺れる。人の優しさと詩情に満ちている。
11映画「スウィート17モンスター」監督:ケリー・フレモン・クレイグ
とにかく女の子がダサい。二日酔いから覚めると一人しかいない親友といけすかない兄貴がウチでヤッてた!?最悪な気持ちのまま適当にアジア系のイケてない男の子とデートしたり先生に悪口言ったり、ジタバタ。パーティで人に話しかけることができなかったり、目も当てられないが、それはまごうことのなきいつかの自分。近頃よく見るイケてない青春ムービーの一角だが、大した事件が起きないのにしっかり成長するので見ごたえがある。サントラがいい。
読んだだけで行動もアウトプットもしてなかったらまぁそうなるわな。
ちなみに、多読が必要な理由は「たくさん読まないとどれがいい本かわからない」から。逆に言えば、たくさん読んでも良書に出会えなければ意味がない。
で、ある著者曰く、「良書に出会ってその成果が本当に出るのは10年後」。
成果を出すために必要な年数の目安として、1−3−10の法則。
1年後ー微細な、小さな成果
3年後ー平凡だが実のある成果
10年後ーとてつもなく大きな成果
ちなみに、凡人の多くが成果が出る手前で挫折してやめるそうだ。
あと、書籍って言ったって、自己啓発書やビジネス書の他に「専門書」とか「実用書」だってあるだろ。
自己啓発書やビジネス書は胡散臭いのも多いけど、専門書や実用書が役に立たないわけがない。
追記。もし「書店」というのが小型書店のことなら、「そりゃそうなるわ」って思う。小型書店は売れない本を置く余裕がないから、売れる本しか置かない。売れる本の殆どが「誰でも理解出来るレベルの内容の薄い本」で、その殆どが、既存のロジックの焼き直し。希に良書がベストセラーになることもあるし、長年読み継がれている良書ももちろん置かれているが、小型書店でひたすら本を探し続けても、特にベストセラーにフォーカスして買い続けると、「入門以外の目的では読まなくていい本」を大量に抱えることになるだけ。
てめぇらが一生体験、体感することができないありがたい話をしてやるから
その腐った耳と目を使ってよく聞け、できねえならそのまま死ね
はてぶ、増田だけじゃねえ。
インターネットに運びいる有象無象の陰キャのカスオタク共。お前らもだ。
まずな、インターネットに運びいる可愛そうな陰キャのお前らに教えてやるよ。
お前ステージにあがってんの?
上がってないよな、毎日毎日観客席の下からうんこ垂れ流してご苦労さん。
お前らはな、一生「ありきたり」で終わるんだよ。
お手軽に毎日毎日やってんな。引用して、話して、コメントつけて。
は、、、、、、
毎日毎日ありがたい他人の作ったものを食ってうんこしてるだけ。
ゴミ。手のひらの上で踊ってる。
「お前ら、誰の人生を生きてんの?」
クソつまらんな、お前。
お前がひところ偉そうに言ってるそれ、「お前が作れるの?」
作ってる。書いてる。ブログ書いてるもーーん!!
じゃ、ねえんだよカス。
他人の作ったモンにクソを塗りたくってるだけだろ?
お前らは、なーーーーーんにも、何一つ生み出せてない。
偉そうに、ステージの下で騒いで、ステージの下で馴れ合ってるだけだ。
作れねえじゃん。
welqだかなんだかキュレーションだか、それ、お前自身の話じゃねえじゃん。
いつまで他人の話してんの?地位も名誉も肩書きもキャリアも全て奪ったとき、残るお前ってなに?
自分自身100パーセントでお前が生み出せるものなんて、なんにもねえじゃん。
そのくせ偉そーーーに、「つまんない」だの、ジェンダーだの、クソみたいな事を撒き散らす。
語らない価値を知らない。
そうやって、誰にもなれずに、クソみたいな小金だけを得て
誰かの作った料理を食って
誰かの作った音楽に踊って
誰かの作った物語に感動して
そうして、金を得て上質な何かに触れて、消費して、その上質な何かに触れている自分に価値があると錯覚する。
誰でもできることを、一生繰り返して、他人のものを食ってうんこを吐き出すだけの、クソ生産機だ。
お前らは「みんなの誰か」にはなれない。
予防線を張って、偉そうにまとめて、お前らはステージの下から、下から、全てが見えると思っている。
誰の話をしてんの?お前の話は?
消費したところで、レビューしたところでお前の価値はあがらねえよ。
お前は、カラッポでありきたりで、クソなんだよ。はげば何も残らない。
お前らは知らない。
注目を集める人間の苦悩を。唯一性をもって自分自身で勝負している人間の苦悩を。
才能を信じていいのかわからず、不安になりながら、自分自身だけで戦う人間の苦悩を知らず、
何も生み出せないまま、他人の作ったものを食ってクソをはきだすだけだ。
探せばgoogleにあると思っている。
お手軽にお前が批判する人間が、なぜ「反論しないか」知っているか?
クソダサイって知ってるからだよ。
お前らみたいなカスの一言にいちいち反応して反論するのがダサいって、知ってるんだよ。
その代わりに作り出して、それを無言で叩きつけるのが一番かっこいいって知ってるからだよ。
googleにないものを、そいつらは自分自身で勝負してるから知ってるんだよ。
まぁ、わからないだろうな。ステージに上がらなきゃ、わかんねえよ。
引用して引用して論理性を求めて、その分自分の人生から一生剥離して、
他人の上で踊れ。
他人の上に成り立っているお前の上位互換は、腐るほどいるからな。
お前らはわからない。
ステージに上にあがれない。
上がったことが無い。
会社や仕事やネットじゃない、多くの人間にその場の現実でみつめられて、
パフォーマンスをしたことがない。何かを盾にしている。
自分は何もできないくせに。
誰もお前のことを認知できない。
肩書きも年収もキャリアも学歴も他人の話も奪われたとき、お前は存在しない。
せいぜい誰かにとっての誰かで終わる。
みんなの誰かにはなれない。
よかったな。
そのまま、一生やってろ。
何もできないまま。
一生論理性を追い求めて、予防線を張って、他人の話をして、検索してろ。
ステージの上に立つことがいかに恐ろしいか。それでも全てを捨ててでも。
そして、そのまま死ね。
ーーーーーーーーー追記ーーーーーーーーーーーー
よぉチンカス共。
あがると思ってたよ、ホットエントリーに入ると思ってたよ。
お前らカスは、真実を突かれるとギャーギャー騒いで、誤魔化して、煙に巻いて、笑いものにしてなかったことにしようとする。
コンプレックス丸出しの、結局俺の言葉に、揚げ足取り繕って、そして下でギャーギャーやるだけのカス。
お前らみたいなカスは、どうでもいい。
そういうカスだ。
目に見えている物が全てじゃない。
コメントをつけないだけで、黙ってみているお前。
お前。「しゃべらなかった。コメントをつけなかった。つける気にならなかった」お前。
お前に向けて話をしたい。
これにギャーギャー言って騒いでるゴミはもう手遅れだ。
お前はまだ間に合う。
ケツの穴を俺に差し出せ。
お前は、熱量を信じるか。
論理性を捨てることができる、自分自身の話ができる熱量を、持っているか。
何をしたいのか、ステージにあがりたいのが、それとも、別に望んでいないのかは知らない。
「こんな風になりたくない」と思ったのなら、自分の熱量を信じろ。
方法論が知りたくなる。
ステージの上での、認められ方は、googleには乗っていない。
他人の話をするのでもなく、瞑想や方法論に頼るのではなく、自分自身の道を切り開くとき、お前の話は始まっていく。
そして、結果を残さなければ、目立たなければ、わかせられなければ、そのまま、降りて、またステージの下に還ることになる。
お前は、どれだけボコボコに殴られても、それでもビッグマウスでいられるか。
観客は忘れっぽい。動かなければ、すぐに忘れ去られるぞ。
お前が何かを叶えようとしたとき、googleに頼るのを、辞めろ。
遠回りでも、遠回りでも、その道を選べ。
自己啓発書を読むな。
読んだところで、お前はそいつには、なれない。
お前の道は、その本の先に乗っていない。
ステージに上がる前の、どこにも答えが書いてないものを探すとき、そのとき、己自身に答えがある。
血が冷えていく前の一瞬を信じろ。
無理をするな、休めといわれたときにこそ、手足が引きちぎられても、もがけ。
その先に見た答えが、お前の唯一性だ。
甘えるな。
熱量を信じるか。熱量を信じるか。熱量を、信じることができるか?
どれだけ馬鹿にされても、最後にビッグマウスでいろ。それを、貫け。
周りに、だんだんと自分より、「刹那的な誰もが体感できる娯楽を振りかざす連中」が出てくる。
惨めな気分だろう。惨めな気分になるだろう。
そのときこそ、何も語るな。
ビッグマウスでありながら、堅く口を閉ざせ。
その刹那的な娯楽よりも、お前が望んだ道の方が、誰もなすことができない瞬間だ。
インターネットじゃない。
全てを捨ててでも欲しい何かを得るためのの答えは、100億年経っても、googleには乗らないんだ。
自分自身で100回戦え。そして100回負けろ。
0戦0敗よりも、自分自身で戦ったお前は、誰よりも何よりも美しくかっこいい。
50点でも、60点でもいいから、お前の中にある自分自身を出せ。
頭の中じゃ、あらゆるものは傑作なんだ。
そうして、50点で笑われたら、そのことを、誰にも漏らさず小さく誇れ。
いつかの一回が、全てを。全てを。
熱量を信じることが出来るか。
熱量を信じることが出来るか。
論理性を捨て去れ。予防線を張るな。今まで身に着けてきた防具をはずせ。
語らないことの価値を知れ。
熱量を、信じきることができるか?
彼は、祖母が鬱と言うことでどうにかして直せないかと奮闘していた
その間にマーフィーの法則はもちろん釈迦やブッタやキリストに関する本まで読み漁り
巷に出ている自己啓発書はほぼ全て読破した。(おおよそ300冊くらい?)
「俺は神だ」
「俺に敵うものは誰もいない、世界の法則を誰よりも理解しているから」
鬱になった祖母を直そうとして自己啓発書や神に関する本読んだ結果、精神をおかしくしてしまったようだ。
もちろん瞑想もしていたが、瞑想を「神に合う最高の時間」と言い切る辺り瞑想して更に迷走した。
彼とは1年ほど付き合いがあったが今は完全に関係が切れてしまった。
ふと気になって知り合いに彼の事を聞いたら行方不明との答えが返ってきた。
東京に来てから何人かの人と会ったのだが、どいつもこいつも気味の悪い人たちばかりなのでびっくりしている。そういう人たちに共通しているのが「意識高い系」だということ。自己啓発書を読んでいる、起業している、自分磨きしている、フリーランス、そういうアピールをしてくる妙な人ばかり。嫌いな相手には自分と似た傾向があるということなので、もしかしたら同族嫌悪なのかもしれない。
最近知り合った女性と軽く飲んだ。ブスではないが典型的な意識高い系。起業している知り合いがたくさんいて、人との出会いを大事にしているらしい。年上だったのだが、いちいち言葉の矛盾を指摘してきたり、審査でもするような目で自分を見てくるから正直鬱陶しかった。年が離れているとやっぱり話が合わない。噛み合わない会話がしばらく続いた。どうでもよかったので飲み代も割り勘にしたが不服そうだったので、お釣りは全部あげた。帰り際に本屋に寄ると彼女はロバートキヨサキのうさんくさい本を自分に進めてきた。「自己啓発書は苦手なんです」と言いつつ、「ホリエモンの本は読んだことあります!」と言うと、「ホリエモンの本なんて典型的な自己啓発書じゃない!」と矛盾を指摘された。こいつうぜえ。
雨が降っていた。若い女とジジイがいちゃつきながら歩いている。ブン殴りたい気持ちを抑えつつ、不釣り合いなカップルの横をそそくさと通りすぎた。
服はびしょびしょになるしクソみたいな木曜日だった。
自分好みの人があらわれるまでずっーとこの不毛な作業を繰り返さないといけないのかな・・と考えると、眩暈がしてくる。
そういえば、ちょうど去年の今頃は内定がなくて、同じようなことを就活に対して思っていたな。
帰ってから毎日書いている自分のブログの過去記事を読んでみた。意識高い系の記事がずらりと並んでいる。 やっぱり同族嫌悪だったのかな。虚しい。
https://twitter.com/AkinoMiyu/status/723053315391549440
でもああいうラノベの主人公ってどこか性格悪いよね、周りの人に恵まれないと友達できないタイプ
お前らほんとテンプレだな。テンプレを批判するお前らがテンプレ。 テンプレはテンプレどおしひかれあうのか。
この人が言ってることをひっくり返すとだな。
「もともと優秀な人が、異世界転生した先でもやはり優秀。
そんなラノベが読みたいってか。 まぁログホライゾンとかこんな感じですけれども。
でもさ、それ全く楽しくないじゃん。納得性は高くても意味無いじゃん。
SAOで、アスナのパートナーが現実でもエリートの青年で容姿端麗で、二人はなるべくして活躍し、なるべくして結ばれましたって。そんな作品が楽しいか?
俺はこんなラノベは嫌だ。 そんなん読むくらいだったら自己啓発書読むね。
単にそういう現実をリアルに描こうとすると十二国記やらグイン・サーガ外伝みたいなことに成るんだよ。
作品として美しいかもしれないが、それ楽しいか? お前は本当にそういうラノベが読みたいか?
俺は好きだけど、文句言ってるお前は本当にそういう作品が読みたいのか?違うだろ?
さらに言えば、物語中でクズを一から鍛え直して使い物にしようと思ったら「マブラヴ」とか「Reゼロから始める異世界生活」くらいボリューム要るんだよ!!!
お前文句言うならマブラヴを通しでプレイしてから言えよ。 「Reゼロから始める異世界生活」6章まで読んでから言えよ。
マブラヴは確かにすごい作品だけどさ。あんなくっそ長い長編読むくらいだったらラノベなんか読まずに現実で一から努力するだろ。
まぁあれか。
こういう人に納得性持たせつつ楽しませられるのは
「この世界がゲームだと俺だけが知っている」みたいな系統はいいかもね。
現実では有能かどうかわからんけど、ゲーム世界であることを利用してチートしながら上手にクリアしていく。
これならいいよな。納得性はある。
え、でも読まないって?
最近のラノベが叩きやすいから叩いてみただけで、お前自身は物語大して読んでないだと?
それはもうシンだほうがいいんじゃない巻