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2016-12-05

マンションの前に正露丸ぶちまけたやつ誰だよ

1ヶ月経っても匂い残ってるぞ(´・ω・`)

これ半分テロだろ

2016-12-04

自分語りかいつまんだつもりですが長くなりました。ごめんなさい。

母親暮らしていた。水商売だったから夜は一人だった。いつも男を家に上げていた。子供が寝ている横でセックスをしていた。

休日になっても夜型の母親はいびきをかいて寝るだけだった。友達は貴重な休日家族で出かけて過ごしていたから、休日が辛かった。

一人で出かけて、時間を潰して帰るのがいつもだった。自分を害する気はなかったと思われるが、子供にとって放置が最も苦しかった。

およそ娯楽と呼べるものは家にはなく、しかブランド物のカバン複数あった。母親の男は決して長くはないスパンで入れ替わっていた。

父親に引き取られた。再婚していた。新しい母親には罵声を浴びせられた。出て行け、生きている価値がない、といったメッセージが多かった。

しょっちゅう折檻をされた。寝坊したときに15分以上の折檻を受けたこともある。今からだと余計遅刻するだろと思うがお構いなしだった。手足を縛られて押し入れに押し込められたこともあった。

父親罵声を浴びせてきた。酒を止めようとしても飲み続ける姿は嫌いだった。

高校生の時、アメリカに1週間ほど留学できるという主旨のプリント学校で配られた。

20万円ほどだったので安い方だと思うが、うちでは行けないと分かっていた。アルバイトをしても間に合わない。何とか策はないかとしばらくプリント放置していた。期限が過ぎてプリント処分した。

それから一ヶ月経って何かの拍子で父親と言い合いになった。プリントのことをなじられた。「あんプリントを置いて、行かせてくれるとでも思っていたのか。うちの経済事情を考えることも出来ない自分勝手なやつだ」もう捨てたんだし期限も切れたんだから放っておいてくれよと思った。

母親からはお前の教育費は高いと言われた。自分公立なので、私立の他の兄弟よりは圧倒的に安いのだが、高いと言われた。

流石に高校になると折檻はされなくなっていた。

小学校の時、○○病というのが流行った。女子集団にやられた。

友人だと思っていたグループで実は嫌われていて、自分一人でそのグループの数人をイジメていたということで排斥された。傘でぶん殴ろうと脅す卑劣なやつ、という事実とは違う形で親に伝わっていた。

教師にもよく殴られた。隣の教室先生同士の授業参観があって、自分クラス自習だった。みんな喋っていた。自分も喋っていた。先生が怒鳴って「騒いでいるのはどいつだ!」と言った。自分だけ手を上げた。自分だけ殴られた。おかしい。自分けが喋っていたわけじゃないのは分かっているはずなのに。

また別のイジメを行っていると言われた。半年に及ぶということで6回全身を殴られた。

高校では、女に嫌われまくった。何かと指を指して笑われた。

クラスの出し物で、ダンスをすることになった。全員で手をつなぐ場面があった。隣が女子で、そいつ自分のことを気持ち悪がっていた。通し練習で初めて手をつなぐ場面をすることになった。その女子友達女子と「地獄がやってくる」などと言っていた。友達の方も「聞こえるよ!」なんて言っていた。聞こえていたので用事を付けて練習から抜けた。もう参加しなかった。

兄が危険運転で死んだ。あいつは馬鹿だと今でも思う。

大学は途中から最低限しか行かなくなっていた。女に振られたからだ。その女はレイプされそうになったと周囲に言っていた。それまでの学校生活で女不信になっていたところに致命傷だったと言える。女を警戒して暮らすことになった。

家事ができなくなった。朝起きたらコンビニに飯を買いに行って昼になったら飯を買いに行って夜になったら飯を買いに行った。何もやる気が起きない自分は弱いと思って栄養ドリンクを飲みまくったが何もやる気にならなかった。留年ギリギリ回避して卒業した。

就職した。先輩は酒の席になると自分を罵ってくる。それも二次会上司がいないとき限定なので、飲み会は一次会で帰るようになった。

親が死んだ。その数カ月後にうっかり二次会まで行ったら事情をお構いなしで詰ってきた。そうやって暮らして6年たった。去年に先輩は異動して会わなくなった。

今日も気分は晴れない。

最近愚痴

親のことでしんどい

http://anond.hatelabo.jp/20161215004851

2016-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20161130090016

・毎回にお笑いオチにくるのは巻末目次後の掲載(「"巻末ほのぼのマンガ"というくくりで、」(ユリイカ2016年11月号P35、こうの))だった為。

妊娠騒動は、栄養不足と環境変化による月経不順とのこと(原作中巻P38。また同頁脚注にて「『戦時下月経症候群』は、勤労動員された女子に多く、ちょっとした社会問題だったようです。」とのこと)。

・この件(妊娠騒動)は19年9月、原爆投下は20年8月、あの少女がすずの産んだ子供だとしたらまだ乳飲み子でなければおかしい。最遅で少女出会ったのが21年1月でいずれにせよまだ乳飲み子であったはず。

2016-11-18

デスソース結婚に似ている

そんな気がした。

初めてデスソースを見たのは、よくイオンモールの中に入ってる青い看板コーヒー屋。ずらりと並ぶ赤いソースに釘付けになった。

面白そうだし使ってみたいと思い、そこそこの金額を払ってしまった。衝動買いなんて滅多にしないことだったからわくわくしてた。

で、使った瞬間に後悔した。

買う前はこんなに辛いとは思わなかった。確かにラベルには「適量は料理にほんの一滴」って書いてあったよ。でもそれにしても辛すぎるでしょ。せっかくの野菜炒めがおじゃんになってるでしょ。

でも払った金額を考えると、その場で捨てるのがすごくもったいなく思えた。食べ物無駄にしたくないとか、こんな時に思ってしまった。

ほんとにいかれてると思う。ネットを見るとデスソースてそこそこ人気なのね。ヤバイ!とか言いながら挑戦して辛かったねーとかほざいちゃってさ。

こんなくそ辛いソースのどこに魅力を感じるんだよ。

デスソースに手をつけないようになって数ヶ月経った(もちろん初めて使った時から数ヶ月だ)。デスソースは一向に腐る気配がない。いや、腐れよ。さっさと腐って捨てさせろよ。

更に半月経った。流石に使わないと減らないという現実に向き合い、いろいろな方法を試した。

牛乳を飲んで辛味を和らげようとしたが、効果なし。

ならば中辛カレーの中で目立たなくなれと思ったが、デスソースの圧倒的な存在感カレーを凌いでいた。

特に炒め物のソースとして使った時はひどかった。デスソースを少し入れて炒め始めただけで咳が止まらない。玉ねぎの比じゃないくらいに目が痛い。結果できたのは蓼食う虫を殺せるほど真っ赤な炒め物だった。

でも全てが失敗に終わったわけじゃない。たまに辛いけども美味しい食べ方を見つけられた。それはもう限りなく低い確率しか見つからなかったけども、一つ見つけただけで勝ち誇った気持ちになれた。

デスソースが憎たらしいことに変わりないけども、憎たらしさを通してデスソースをどう扱うべきかを知った。じゃがいもと一緒だと比較的美味しくなるとか、炒めてる時は呼吸したら死ぬとか、そんなものだ。

それから更に数ヶ月後の現在

デスソースはまだ3分の1も残っている。でも一気に使うと腹痛を引き起こすから、少しづしか使えない。

デスソースなんてものは、なくたって生きていける。世の中を生きる大抵の人はそうだ。デスソースなどという大台に乗るよりは、百均で売ってるラー油を選んでちょこちょこ使う方がよっぽど精神健康上すばらしい。デスソース購入とかいう損しかしない選択をしたことで、幸せになるために自分から動かなくてはいけなくなった。決して楽じゃなかったし、費やした時間はすごくもったいないと思ってる。

しかし残り3分の1になったデスソースを見て、これまでのことが頭をよぎる。喉を焼き尽くす辛さを初めて感じた時は、ひどかったけれどなんか笑けてくる。咳を繰り返したことも、今考えると激しい笑い話だ。

振り返らないと、幸せってわからないものだ。嫌な記憶は忘れられなくても、気がつくと風化されて、よくわかんないけどいい思い出だったんじゃない?ああそうだったわねと記憶を捻じ曲げてしまう。人間って幸せに対して異常にがめつくできてる。

あくせくソースの量を減らしていた時間は長かったし、先もまた長いだろう。

デスソースめ、お前がしてくれた仕打ちは忘れない。

一つ気になることがある。

これから先、数ヶ月後。空っぽになったデスソースの瓶に向かい合う時、憎しみを感じていた自分は、何を思うのか。


お前なんか好きじゃない。青いコーヒー屋でまた見たとしても、もう二度と買わない。

でもお前がいなくなるまでは、ずっと大切にするからな。

そう言いたくなった。

2016-11-17

生理身体メンテナンスって説明した

旦那姉妹がいなくて女性生理現象ほとんど知らなかった。もちろん月経の有無くらいは知っていたけれど、それがどういう状況なのかとかまでは理解していなかったので何でも口頭で解説を求められた。結婚から生理痛で少し横になっているとどこか具合が悪いのか、薬か医者かなど騒いでいたので「病気ではないし直に戻る」と言ってもなかなかわからなかったようなので生理業者に例えることにした。

女性身体の中にはメンテ業者がいる」

「それが大体月一回くらいのペースで抜き打ちでやってくる」

メンテ前はもうすぐ業者が来るんじゃないか身体がそわそわして落ち着かない」

「いざメンテが始まるとサービス使用できない。セックスはできない」

メンテ中はリソースメンテに集中するのでパフォーマンスが低下するが異常ではない」

「打音検診みたいなのとかたまにあって痛みがあるときもあるけど、仕様なので仕方ない」

「痛みがひどい時は業者に苦情を言うと(薬を飲むと)楽になるときがある」

メンテ業者には個人差があって上手で痛くないところと下手で痛いところがある」

「主な作業初日から数日を予定していて、残りの数日は残務処理になる」

メンテ中は不便だけど、メンテが定期的に来ないのも困る」

ストレスなど他の不具合があるとメンテ業者が別のところに行ってしまい、不順の原因になる」

「まだ若いメンテ業者作業スケジュール管理が大抵下手なので不具合が起きがちになる」

メンテ業者スケジュールを知るには基礎体温などの方法がある」

風邪胃腸炎などの体調不良メンテ業者とは別の修理業者が対応している」

子宮内膜が剥がれて、などというよりわかりやすかったらしい。

以後夫婦の会話が「業者調子はどう?」「ごめん、今夜はメンテ中だから」など色気のない隠語になってしまったけど気軽に体調を共有できるのが嬉しい。

2016-11-15

セクロス反省会

匿名27

彼ぴっぴ49(バツイチ子あり)

付き合い初めて五ヶ月経過、セク口ス後毎回反省会をしている

最近お互い歳のせいか体の節々が痛む

みなさんセク口スのために日々なにかトレーニングしていますか?

転職活動を初めて2ヶ月ほど経ったけど内定が出ない

エージェントを2社使って内定が出ないので、最近エージェントをもう1社増やしてみたけど、

先週数件応募して1件も進捗が出ない。

転職開始から利用していたエージェントは、親身になってくれていたのですが、

2ヶ月経たからか「うち以外でも、友人の紹介や直接応募してみたほうが良いのでは」と

アドバイスされて、コレって見放されたのかなーとショックでした。

オススメされた企業への応募数はそこまで多くもなく、

応募12社、面接5社。

最近まで動きがなかった企業は、初めて「推薦不可」になってしまった。

見放された証拠かしら…と更に不安に。

からと言って、適当に応募する気にもなれず…。

自分なりに頑張っているつもりで活動してたけど、2ヶ月で話が進んいる案件もなく、

からなかったなけなしの自信も無くなり、もはやどれもダメなんだろうと思い始めた。

自分希望に合った企業仕事はできそうもないし、そうでなくても就職できる自信が持てなくなってきた。

あぁー就職、決まりますように。

2016-11-08

今年の夏に出会い系出会った女

さすがに真夏出会ったんだからやる前はシャワー浴びるもんだと思ってたのに、ホテル食事してすぐに結合とか頭おかしいのかなと思った

とりあえずクンニは避けてゴムつけてやったわ

3か月経って検査したけど問題なかったからよかった。

婚活年収800万の20代男と結婚したよ

これつい最近の話ね。婚活業界はすぐ状況変わるから、一応断っとく。

高望みだー、とか、その年収20代はいない、とか色々ネットでは言われてるし、私もそう思ってたけど全くないわけじゃないみたい。

そんなケースの1つを書こう。興味ない人は最後のまとめにGO

私は20代前半の頃は、フリーター・殴る・貯金なし借金あり・10歳年上っていう何でそんなのとみたいなのと5年付き合ってた。

女子大生だったのにねー。

自分なんかと付き合ってくれるのはこの人くらいだと思ってた。

でも何度言ってもこっちが貸したお金を返してくれない上に、さら借金を作ってきていい加減目が覚めて別れた。

そんで、2年ぼーっとしてたらもう30歳目前。

それで婚活を開始したの。

婚活ネットもやったし、相談所にも登録したけど、基本婚活パーティがメインだった。

ネットだと一人に合うのにとても時間かかるけど、パーティだと1時間以内に数人~数十人に会えて効率がいいし。

前回の教訓より、実際合わないと時間のムダだと思ったし(元カレとはネットで知り合った)。

ちなみに私は年収240万の会社員婚活男性にだけ北川景子に似てると言われまくる容姿。(男女共に婚活を年単位でしてると目がダメになっていく)

そのせいか1年目はパーティでは割と無双状態だった。(自分が選べる側だと大学時代に気付いていればなあ…)

婚活パーティ最初に1~3分会話する時間があるんだけど、ここで大勢から0~2人くらいに絞れて、その後の数分の会話で0~1人に絞れる。

その後2~3回会って、付き合うことになったのは2年間の婚活中で、結婚した夫1人だけだった。

わかりやすダメ男と別れる別れないを5年間迷い続けたおかげか、判断スピードは早く、こりゃダメだっていう直感もはっきりしたのかも。

夫は初めての婚活は初めて、パーティも初参加だった。

年収は500万、爽やかな服装、会話が弾む人で、即、恋に落ちて交際一年プロポーズされ結婚

そして結婚して数ヶ月経った今日、毎月渡される給料明細をどう計算しても年収800万以下にならない事に気付いたの。

まとめ

以上です。

2016-10-23

[]

今回は少年ジャンプ+

i・ショウジョ+ Ver51.01

今回、随分と露悪的な作風にしてきたなあ。

これまでも鬱屈とした要素が多少含まれエピソードもあったが、全体的な構成がここまでのは初じゃないか

アプリ自体も、長いことやってきたせいもあって少しズレた機能が続いていたのに、随分と明瞭だし。

今回の主役の人格や、ストーリー構成マッチしている印象。

もちろん、最終的な落とし所次第ではあるけれども。

ジャンプの正しい作り方! ジャンプ流!編4

今回のジャンプ流の取材ルポはうすた先生

話はよく聞くが、やっぱり結構ナイスミドルらしい。

しかサクラ先生ハシャぐねえ。

そのくせインタビューでは緊張しっぱなしとか、ただのファンになってしまっているじゃないか

ルポとしてはちょっと不満足な内容だが、サクラ先生テンションから熱量は伝わってくるね。

後はジャンプ流!読もうって感じか。

まあ、感想は書かないけれども、買おうかなあ。

あと、ブリーフサイン書いてもらうのとか、妙にほっこりした。

彼方のアストラ 19話

今回は親たち視点

そもそも手がかりがないので、どうしようもないという状態だったか

1ヶ月経っていて冷静に思考するようになっているのか、割と落ち着いている人が多いね

そういえば謀殺疑惑があったが、どいつも怪しいといえば怪しいんだよね~。

フードファイターベル 46話

まあ、フードファイトってのは食べにくさとかも競技ポイントになりうるだろうから、それ自体は割とアリだとは思うんだよね。

それにしても、明らかに無茶なことをやって、無理を通していたのに、いきなり我に返ったみたいに現実世界に引き戻すギャグ手法はさすがベテランだと感じた。

で、結局いやがらせみたいなピザを出しまくった挙句ストックがないせいで引き分けという展開。

もちろん、こんな不完全燃焼展開を誰も許すはずがなく、ピザ屋に猛講義

鶴の一声とばかりに謎の観客が出てくるが、ナレーションでも「正体は……?」みたいなのが出て、「え、今更ここでそれを引っ張るの?」て思ってしまった。

2016-10-12

水曜日23分後の未来に飛ぶ

週刊少年サンデー電子化されてから約3ヶ月経った。

それまでは、職場から帰る途中でサンデーを買って、読みながら電車に乗るのが水曜日の帰り方だった。

荷物が増えてしまうので、帰りの時にしか買わないようにしていた。

本当は時間を持て余す行きのときに読みたかったのだけれど。

けれどいまは朝にiBooksで買って自宅のWi-FiiPod touchに入れておき、荷物を気にせず、出勤の電車から読めるようになった。

自宅の駅から職場の駅まで約23である

サンデーを読んでいるとき時間を忘れる。

もちろん乗り過ごしてはいけないので、自分の表層に「いまどこの駅にいるか」だけを把握している薄い人格を用意している。

しかし大部分の自分は、今週号の展開にわくわくしながらページをめくっている。いまはスワイプだけど。

現在地目的の駅に差し掛かったときに、ようやく自分自分の体に戻ってくるのを感じる。

そのとき自分は正に23分前からタイムスリップたかのような錯覚に陥る。

サンデーを読んでいる間の時間を飛んでいる。

水曜日23分後の未来に飛ぶ。

2016-10-10

旧友をブロックして2ヶ月経った

メール通話もまとめて連絡先をブロックして2ヶ月

すっかり忘れていたのを、ふと思い出す

怒りもとっくに収まり解除しようかとも思うが、やっぱり…と放置する

1回の出来事ブロックしたんじゃないのだ

ずっとずっと煩い/腹立たしいと思っていたところの決定打だったのだ

しょっちゅうメールアドレスを変える・新しく作る彼女のことだ

電話番号メルアドブロックされたところで、連絡しようと思えば手段はある

新しいアドレスで送ればいい

けどそれをしてこないことを思うと、自分の怒りはようやく伝わったということなのだろうか

どんなに友達距離を置かれても「あの子は付き合いの悪い内気な子で困る」と自分の行動を顧みなかった彼女だが

いかげん理解したということなのだろうか

どういう状況なのかはわからない

若干の心配もある

けれど連絡する気には依然としてならない

2016-09-11

情報処理試験模試を受けてる。

午前1の問題で、30人月半年、計176人で立ててた計画

三ヶ月経った時点で余裕が見えてきたので計画的に人を減らしていくよ?

何人くらい口減らしできるかな?という問題があった。

プロジェクトの後期が最も人を必要とするし、リカバリマンパワーを要するのに

何言ってんだ?コイツ?あ?となったり。

カープせっかく優勝したのに、街で自分も祝いたいのに。

景気が悪いことばかりだ(´・ω・`)

2016-09-09

拗らせヤンデレが自滅したはなし

別名と言うか、長々と書いてみると。拗らせた承認欲求依存嫉妬心独占欲を爆発させたヤンデレ、その根源に巣食い続けた劣等感のはなし。

今こうして自分で並べても笑える程に、救いようのない要素だけで生成された恋の寿命は、三年に届かず終わりを告げました。大層に書き出してみましたが、結局何があったのかと言えば、好きな人を失いましたという、20文字にさえ満たない、世間一般に転がっているような、何の変哲も無い話なんですけど。

そんな、何の変哲も無い話だからこそ、タイトルを付けるにあたって、ヤンデレと言えば多少はライトに聞こえるだろうかと希望を籠めて。それでも結局は、どうしようもない程構ってちゃんな我儘メンヘラが、独りの人間を食い潰した話です。追い詰めて追い詰めて、限界がきて縁が途切れて、そして、私も自滅しましたという笑えない救えない話です。

それでも、この文章を書き切ることで、この喪失感が埋まりやしないだろうかという期待をしています。悲しいです。苦しいです。でもそれ以上に、この恋がもう駄目だったのだという事を、誰より私自身が理解しているつもりです。そう書きながら、それでもやっぱり苦しいですと続けたくなるぐらいには、依存していた心はどうしようもなく、矛盾していて。

それから、もうひとつ私自身、時間がある時は常にネットの読み物を漁っていて。匿名のまま、色々なことに真剣に長文を書いている人がいる。そういうのを読むのが、好きなんです。以前Twitterで見掛けたんですけど、文字や長文を読むことに依存していて読み物のジャンルは問わない、っていう状態。私、それも当て嵌まるなぁって想ったので…どうしようもないこの歪んだ恋のなれの果てが、とあるヤンデレの恋の顛末が、ネットを漂う読み物のひとつになればいい、と想っています。こんな想いは有り得ないと一笑に付されるのでも構わないし、この歪んだ欲求が誰かに共感して貰えるなら、それはそれで凄く嬉しいこと。勿論匿名ダイアリーなのでそれを私が知る術はおそらく無いんですけど、それでも、このメンヘラ日記が誰かに見て貰えるのなら、この恋が誰かの時間潰しになるのなら、なんて願望も抱いています

わたし最初にあの人と出逢ったのは、共通趣味世界で、その場所Twitterでした。

まずはその上手さに本当に驚いて、心底、凄いと想いました。ただ見惚れて、あの人にしか出来ないことに、心から惹かれた瞬間のことを、未だに強く覚えています。この人と関われなかったら後悔すると想って、勇気を出して声を掛けて、関わりを持てるようになって。そこから幾つかの幸運が重なって、あの人に、私の出来ることも認めてもらうことが出来て。一緒に、趣味に携わることが出来て。

毎日毎日Twitterでお互いにすごい熱量でその趣味のことを話すことが出来るようになって…本当に幸せでした。仕事が終わって、あの人がTwitterに浮上するのが本当に毎日の楽しみで、どちらともなく声をかけ、楽しい会話が始まって…眠る瞬間までそれが続くんです。本当に、睡眠さえ惜しい程、ずっと喋っていたいぐらいでした。あの時期、私の思考回路自由時間もすべてあの人の為にあったと言い切れますし、憧憬尊敬混じりの好意は、募る一方でした。たくさん時間を重ねて、私自身も、あの人の思考回路を占められていた自信があります。恋情ではなかったとしても、好かれていた、という自負も。本当に、私の一目惚れに近かったので…奇跡みたいな話だと、状況だと、ずっと想っていました。ずっと、夢中でした。まるで夢のような日々が、あっと言う間に始まって、私の日常侵食していきました。

だけど、奇跡はやっぱり奇跡で。私にとっての夢は、長くは続きませんでした。

その趣味世界で、あの人は、私より素敵な人と、出逢ったんです。それはいつか起こることだと理解していましたが、本当にあからさまなぐらい、毎日たくさん話していたTwitterでの会話はぱたりと止みました。あの人は、新しく出逢った人と毎日時間を重ね、私としていた時と同じように…いいえ、それ以上の熱量で、沢山の言葉をその新しい人に向けました。趣味は私ではなくその人とやるようになり、私が構って欲しくて、お話がしたくて近付いても、ええと、その頃はまだ星のマークでしたので、星が飛んでくるだけで。やるせなくて、悲しくて悔しくて寂しくて、どうしようもなくて。私はその時、一回目の失恋しました。

所詮Twitterでの話し相手を失っただけだ、と笑われるかも知れません。それでも、会話をする内容や頻度、趣味世界の話。文字はその人に惹かれるには充分な要素であると、私は想います。あの人に向けていたのがその時点で好意だったのか、恋情だったのか、その当時の私にも、今想い返してみても、断言は出来ません。それでも、欲しくて欲しくて堪らない人が私の方を向いてくれない、明確に"興味を失われた"その感覚に、涙が溢れて止まらなくなりました。毎日毎日、あの人がTwitterに居るのに、私とは話さずに、新しい人と、趣味に夢中になっているその姿をぼんやりと見ているその日々が、辛くて苦しくて、息を止めてしまいたいと想って。それでも、Twitterから離れることは出来ませんでした。心の何処かで、あの人が私の方を向いてくれていたのなんて最初から奇跡だったのだからと諦めを付けようとしている自分自身が居るのに、それに堪えることも割り切ることも出来ず。新しい人が私よりずっとずっと上手な人だったので…劣等感も悔しさも、仕方ないと想う心も。全部が、綯交ぜになったまま、ただ、其処に存在し続けました。

そして、私自身も、誤魔化すように、また違う誰かと出逢いました。そして、趣味の話を、あの人以外の人と、とりとめも無く喋っていました。文字は凄いと想います。笑っていなくても、笑えます。心が沈んでいても、テンションは幾らでも取り繕えます。そんな風に、Twitterでは誤魔化しながら、現実世界では泣いて吐いて、眠れなくて、ただひたすら、あの人が恋しくて、悔しくて。私は飽きられたんだ、捨てられたんだと泣いて喚いて、だけど新しい人の上手さに叶う気もしなくて、幸せそうに楽しそうに趣味に耽るあの人を見るしか出来ず、絶望するように目の前が真っ暗になって……失った喪失感で一杯の、日々でした。

それから、日を重ねましたが私とあの人の立ち位置は、共通趣味世界の仲間、のままでした。私が一方的に抱いた喪失感失恋感覚も、悔しさ寂しさ、嫉妬心も…言葉になる事は無く、消える事も無く、勿論あの人が知ることも無く…ただ、私の胸の内で、私の心に影を落とし続けていました。時折言葉を交わすことはありましたが、あの人が夢中なのは、新しい人でしたから。幸せそうだなと想いながら胸の何処かが酷く痛み、けれど私よりずっと上手な二人を見て、お似合いだなと感じて。苦しみながら、憧れながら…そんな、矛盾を孕んだ生温い日々を送っていました。

そんな日々が変わったのは、知り合って数か月経った頃。奇跡の夢から覚めて、絶望の淵に立って。

それでも、私があの人を好きなことは変わらないし、趣味だって辞めるつもりはない。そんな、一方的に私だけが居心地の悪い関係は、突然新しい道を見出します

既存趣味の…変化版?に、二人で手を出す事になったんです。匿名で、伏せに伏せて今更、なのですが…例えるなら、パン作りが趣味だったなら、二人でお菓子作りにも手を出すことにした、とか。ネットゲーム趣味だったなら、二人で新しいサーバーにも行くことにした、とか…調理ゲームなどの趣味としての大きな枠組みは変わりませんが、何にせよ"二人だけ"の、ことが出来ました。それは私にとってとんでもなく幸福なことで、近くで見るあの人の出来ることに、やっぱり改めて憧れ惹かれました。その憧憬に加えて今度は、その素晴らしいことが、私だけ、独り占めが出来るんです。新しい人ではなく、私となんです。そんな感覚に、嫉妬で喘ぎ、苦しんでいた自身が満たされ癒されるような、快楽を味わいました。好意も恋情もすべて含めて私はこの人が好きで、関わっていたくて、話がしたいんだ、という気持ちが、確固たるものに変わりました。

其処からは、また、幸せな日々が始まりました。飽きられ捨てられたと想っていた、それでも好きだった、あの人との関わり。大きな枠組みが同じとは言え、やはり今までの趣味範疇からは少々外れていたので、二人とも新しくTwitterアカウントを取りました。二人ともいずれ誰かをフォローする予定ではいましたが、その時点ではお互いにお互いだけをフォローしているアカウント。そこは私にとって堪らなく居心地が良い、幸せ増長させる秘密場所になりました。

毎日繰り返す、共通趣味世界の話は昔の熱量を想い出して堪らなく胸がときめきましたし、そのアカウントは二人だけと言う気易さからか、少しずつ世間話も入るようになって。あの新商品が美味しかったよだとか、今度どこでどんなイベントをやるみたい、だとか。他愛ない日常世間話はまるでLINEのような一対一の会話で、Twitterで新しい人は勿論誰かに向けて話されるのとは確実に違うものだと感じて、私は至上の喜びを味わいました。

あの人が私と、私とだけ喋っている、ということ。嫉妬を拗らせて鬱屈させていた私が、あの人を独占出来るその時間依存していくのに、時間はかかりませんでした。けれど、同時に。過ぎたる幸福は、抱いてはいけない欲を育てるのも、早かったのです。

私は次第に、あの人が、今まで通りのTwitterアカウントで喋ることに、恐怖と苛立ちを覚えるようになったんです。

どうかしていると、笑われるでしょうか。あの人の自由を奪う行為に、賛同はきっと得られないでしょう。解っています、解っていても、それでも、尚。脳裏にこびりついた、また捨てられるという恐怖が、私の心を蝕んだんです。

また奇跡が起こって、私はあの人と二人の場所を手に入れて。これ以上無い幸せを味わいながら、その幸せは、いずれ弾けるものなのだと心の何処かで想っていて。あの人がまた新しい誰かと出逢うのはいつだろう、私には抗えない、勝てない、私よりもっとずっと上手な人と出逢い、その人に惹かれるのは、いつだろう?また、私との会話をぱたりと辞めてしまうその時は、いつ訪れるんだろう…?

そんな恐怖が日に日に増していき、あの人が今までのアカウントで喋っていると、その恐怖と焦燥感で一杯になるようになりました。あの人に捨てられる、飽きられてしまう恐怖が、あの絶望が、どうしても忘れられないんです。奇跡が覚める瞬間のあの足場が崩れるような、あの感覚を、二度と味わいたくはなくて。新しい人と出逢ってしまったら、私が勝てないことは目に見えていて。

まりの恐怖に、私は、あの人に、二人の場所に居る時間を増やして欲しいと、今までのアカウントに行く頻度を少し減らして欲しいと、お願いしました。それは、強制力のあるものでは無かったと記憶しています。ただ、二人の場所が大好きで大事であること、たくさんの人と繋がっているTwitterアカウントで皆に囲まれている姿を見ていると、寂しいこと、嫉妬してしまうこと…。今想い返しても、少し甘えたような可愛い我が儘だった、と想います。勿論、自分可愛いと言っているのではなく――後々言うことになる言葉に比べれば、かわいいもの、と言う意味で。

結果的に、この行為は私を泥沼に落としました。

最初に私がその葛藤を、恐怖を…嫉妬独占欲に言い替えてあの人にぶつけた時。その我が儘をあの人は喜んで受け入れてくれました。そして同時に、あの人が新しい人と出逢った頃、私自身その孤独に堪え切れずに誤魔化して他者と関わっていた頃。あの人も、他者と関わる私に対して嫉妬をしてくれていただなんて、リップサービスだとしても嬉し過ぎることを教えてくれました。私は、堪らなく幸せでした。そして、憚ることなくあの人に好意を伝えることが出来て、あの人からも、好意が返って来て。二人のTwitterアカウントは、本当の意味特別で、秘密場所に、なりました。迷うことなく二人の関係を恋だと定義付け、二人で趣味世界に没頭しました。お互いが、お互いのものになったんだと、幸せで、日々が満ちていました。あの人に感じる憧憬混じりの恋情はもう私の一番根の深い場所まで侵食していて、あの人が二人のTwitterログインしてくれるのを今か今かと待って、二人の時間に躊躇いなく依存して…あの人が喋るたびに、通知が来るようにして。専用の通知音が、私の幸福を彩りました。

から、きっと忘れていたんです。夢が覚めるものだと言うこと、奇跡が長くは続かないことを。もしくは、見ない振りを、気付かない振りを、していたのかもしれません。

そもそも、私の我が儘は叶えられたとは言っても、その言葉に―二人のTwitterに居て欲しいというお願いに、強制力はありません。今までのアカウントログインしたところで、私以外の人と本来趣味に没頭したところで…それを責め咎める権利など、私には最初から無いのです。

元々他者に囲まれることも、評価されることも好きなあの人は、今までのアカウントも変わらず利用していました。二人のTwitterにも勿論来てくれてはいましたが、私自身も今までのアカウントで喋っていましたし、割合は日によって変わりました。

今、本当に、此れを書いている今、想い返せば。これで満足出来なかった時点で、この恋は、いつか終わる運命だったのだろうと、私は想います。私は、幸福の量にも、恐怖の量にも、堪えることが出来なかったんです。あの人が今までのアカウントで喋っていると、恐怖で恐怖で、堪らなくなりました。叶えて貰った筈の我が儘では物足り無くて、納得出来無くて。不安は益々色を濃くするばかりでした。だって、また新たな人に出逢ってしまってからでは遅いのです。もっと素晴らしいことの出来る人に出逢い、惹かれて、あの人が私のことをまた捨ててしまってからでは、遅いのです。私が、その新しい人に勝てる訳は無いのです。だからこそ、二人のTwitter時間は堪らなく安堵して幸せで、もっと此処に居て欲しいと願うように、なりました。

それからの私は、恐怖と絶望に憑りつかれ、唯一の希望が二人のTwitterだ、と定義付け、お願いを繰り返すようになりました。いつものアカウント趣味の話をして盛り上がっているところに水を差すように帰って来てとコールしたこともありますし、今日はあちらのアカウントに行かないで欲しいとお願いしたこともあります今日だけはのもので居て欲しいとお願いし、それが表面的に叶えられ、私は仮初の満足を得て…そして、翌日になればまた不安に駆られ…気付けば、私のお願いは、お願いと言う枠を随分と超えるようになっていました。今日は行かないで欲しいと言う回数は日に日に増え、ある時は酷く甘い言葉で、ある時は、酷く乱暴な言葉で。まるでDVの飴と鞭のように、私はあの人を、追い詰めました。

好意嫉妬独占欲を盾に、私の歪んだお願いは時として命令染みた強制力を持つようになりました。あの人が他者と関わろうとしたら、私も同じように他者と関わって、嫉妬しまたかと問うてみせて、それなら二人でTwitterに籠りましょう、嫉妬するのは痛いでしょう、と…身を以て感じさせるようなこともあって…まさに、泥沼でした。私は、あの最初に"捨てられた"感覚から、抜け出せていませんでした。あの人を、根底から信じられなかったんです。いつか誰かに惹かれ消えてしまう人なのだと想い込んで、もう、その固定観念から、抜け出せなくなっていたのです。私の行動はエスカレートし、あの人の行動を制限し、出来ることがどんどん消えていき、いつしかTwitterアカウントに割く時間は逆転して――二人で、二人の居場所だけに引き籠るようになっていきました。

それでも私の膨らんだ恐怖は拭い去ることが出来ず、私は二人の居場所に居ても尚不機嫌で、苛立ちが隠せなくなる日が、増えてきました。お互いに没頭していたはずの趣味の話も出来ないことが増えて。そんな日々が、楽しい筈がありません。あの人は楽しさを求めて今までのアカウントログインし、私は其れを見て益々苛立ちと恐怖を募らせて…まるで、鼬ごっこです。沈み始めた泥沼は底無し沼のようで、私も、きっとあの人も。正解が解らないまま、お互いの可能性を、殺し続けました。

何処かで、きっと満足出来るラインがあった筈なんです。だけど私は、それを見付け出すことは出来なかった。満足することは、出来なかった。あの人は私の歪んだ独占欲嫉妬を受けながら、他者と関わることを辞めはしませんでしたが、それでも出来る限り、私に愛を誓ってくれました。でも、それって、とてもとても中途半端で、生半可で、生殺しなんです、と書いてしまう私は、やっぱり冒頭にも書いた通り、救いようのない、ヤンデレメンヘラだと想います

でも、だって、私はこんなにもあの人が欲しいのに、私はあの人だけで構わないのに、あの人と二人きりで趣味に没頭していられるなら、それだけでも幸せなのに。どうしてあの人は、私を愛していると言いながら、他の人を見るんでしょう。そんなに、他の人と行う趣味楽しいですかと問いたくなって、そうですよね私なんかと一緒に居るより楽しいですよねと、黙ったまま、傷付くんです。勝てる訳が、無いから。あの人が他の人と関わるたび、私よりずっとずっと凄い人と出逢って、どこかに行く為じゃ、ないんですか?どうして、私を見てくれないんでしょうか、と、恐怖から来る理不尽で身勝手欲求が、抑えられないんです。劣等感が身動きを取れなくさせて、あの人に、誰より愛していると言って欲しい、認めて欲しい、何処にも行かないと言って欲しい…と、私の存在意義は、どんどんあの人から言葉に委ねられました。承認欲求を満たして欲しい、独占欲嫉妬を慰めて欲しい。そんな風に、転げ落ちていきました。

何度も何度も責めました。何度も何度も謝ってくれて、二人の場所に居ると誓ってくれました。それでも、あの人は想い出したようにいつものアカウント趣味世界を拡げては知らない誰かと出逢って、愛されそうになるんです。気が気じゃなくて、私は、いつも、あの人を監視していないと、落ち着いていられなくなりました。その頃にはもう、私の余裕なんて微塵も残っていなくて、私とあの人の趣味の話は殆ど無くなっていました。悪循環だ、と気付いた時にはもう遅く、趣味の話なんて残っていない、ただあの人の存在に執着して二人の場所に籠り切り固執する私と、息苦しそうに、私とは趣味を共有出来ないと判断して、いつものアカウントにもログインし続けるあの人が、残りました。今、想い返しても、可哀想だ、って想います妄想に憑りつかれてしまった私の心も、その我が儘に振り回された、あの人も。

そんな悪循環から抜け出す術があれば、それを私が知っていれば、この文章にも起承転結が生まれて、もしかたらこの恋はハッピーエンドを迎えられたのかも知れません。もしくは、少しでも泥沼から抜け出せたのかも知れません。けれどこれは、私の歪んだ恋心が終わるまでの顛末ですから、結局は"このあとも、あの人が限界を迎えるまで、この地獄のような鼬ごっこは繰り返されました"と、作者が放り投げたような展開しか、待っていません。

私は、趣味世界に二人で没頭したくて、あの人の存在が行動が誰に与えられることが許せなくて、何処にも行かないように安心したくて、生活のすべてを呟くように義務付けました。お願いのつもりでしたけれど、暗に脅迫いたことを含んでいる言葉など、命令しかないと、今は想えます。それでも、私は、そうしないともう自分を保っていられなかったんです。帰宅したら二人のTwitterに来て、眠る瞬間まで、居て欲しい。会話をしながら、その返事が1時間以上空くのは堪えられませんでした。誰かと連絡を取っているかもしれない、もしかしたら見えないだけで、いつものTwitterで誰かとDMしているかもしれない…。そんな妄想に憑りつかれて、居ない時にはただひたすらあの人を責め、あの人の存在に餓え続けて。言い争うことも毎日のようになっていき、互いの言葉はどんどん酷くなり……そして、決定的な終焉を、迎えました。言っていいライン、と言うのは確実に存在して、それでも餓えて麻痺して、心の何処かで被害者を気取っていた私は、その地雷を、踏んでしまいました。それはあの人にとって堪えられる言葉ではなく、けれど其れを言うに至ったまでの経緯も私にとって堪えられるものではなく。お互いに追い詰めて、お互いに限界を迎えて……当然と言えば当然の、結末でした。

あの人は私と関わりたくないと言い、私も、もうこの恋を続けてしがみついても幸せになどなれないと、想います。この先、私が癒える方法など私自身では想い付きもしませんし、それはつまりあの人の自由を許せないことです。息苦しい想いだけを、させることになるのです。私も、裏切り続けられ疲弊し、泥沼に沈んだままです。追い詰め、逃げ、それを責め……そんな悪循環しか戻れないと、お互いに解っていて、だからあの人は私との関わりを無いものします。そして私はそれを上手く出来ずに、この文章を、書いています

依存しきっていた、毎日交わしていた言葉が無くなって、私の日々は表面上、穏やかです。

ただ何もせずとも、ぼんやり時間は過ぎていきます。けれど、壊れてしまった私の箍はどうしようもなく、今でも、あの人が何をしているのかを考え、頭のおかしヤンデレから解放されてきっと幸せなのだろうと想うのに、一言でいいからまたあのTwitterで喋ってくれないだろうかと待ち、いつものアカウントはいかないで欲しいと、願ってしまうのです。

愛しています、と、愛していました。どうか私のことを忘れて幸せに、と、今すぐ私と死んでくれたら良いのに。今、あの人に向ける言葉は何を想ってもぜんぶが矛盾していて、自分の往生際の悪さに、辟易しています。この恋に未来は無かったと、泥沼だと散々書き連ねてきたのに、それでも尚、この恋さえあの人さえ居れば私は他に何も要らなかったのにと、未練がましいことばかり想ってしまって、でもその数分後には、最低だと、あの人が私にしたきたことを反芻しては心の中で罵って。私はどうしたいのか、もう解らないまま、この文章を書き終えようとしています

私はこの恋をまだ教訓には出来ていませんから、お説教染みた、愛した誰かを大事にしてくださいだとか、相手を信じてだとかをこんこんと語る気はありません。この文章は何処まで行っても私の歪んだ恋愛録でしかなく、フェイクが多分に含まれている時点でその記録としても殆ど価値は無いものです。それでも、この飽きる程に長い文章が、愛しくて愛しくて堪らなくても上手くいかなかった、拗れて病んだこの愛情存在していたことが、このネットに残れば良いなあ、と想っています

姪の女子力に恐怖した

4歳の姪っ子から手紙が届いた。

誕生日おめでとうという他愛のない内容だった。

もちろんまだ4歳なので、自分投函したわけではなく、母親(私の妹)がわざわざ代わりに送ってくれた。

4歳でもう手紙という発想があるのか~。最初はただ純粋に感心していた。

しかしこれが男の子だったら、手紙を書くという行動とはどうしても結びつかない。

実際、その兄である甥っ子が手紙を書く場面は見たことがない。

そういえば自分の子もの頃を思い出してみても、手紙をやり取りしているのは女子に限られていた。

かわいい文字ちょっとしたイラスト、そんなものが書き連ねられた便箋だかノートの切れ端だかが、(ほとんど女子的繊細さをアピールするためだけにそうしているのではないかと疑うほど)趣味良く折られ、

これぞ女子技量センス結集とばかりに授業中の教室を舞っている。

そんな光景を思い出した。

そしてそれは教室を舞いながら、その中身を知ることのできないその他大勢へ無言の威圧を放っていた。

(実際、中に重要なことが書かれていることは少なく、ほとんどそういう機能だけのものなのかも知れなかった)


何を間違ったか、そんなものが私のもとに届いたとき、私は戸惑った。

まず、手紙の内容があまり他愛のないものであること。わざわざそれを手紙に書く意図がわからない。

そして相手はいったいどんな応答を私に求めているのだろう。全くわからない。

次に襲ってくるのは、同レベル女子力でもってこれを打ち返さねばというプレッシャー

こんな一画一画を意識して書いたような文字、書けない。きれいに折る自信もない。

それらが私を戸惑わせた。

全力で“女子”を模倣し、なんとか打ち返した後には、消耗と、これで正解だったのだろうかという迷いと、たかだか手紙一つに翻弄されていることへの自己嫌悪が残った。

本来の私なんて、調理実習で作ったカレーをいち早く食べ終え、手持無沙汰な中、頭をぼーっとさせていたら、

「そんなに見つめられたら食べにくい」と、偶然目の前にいた武藤さんに告げられてしまうような、そんな人生だ。

自覚のない食欲が私にそうさせていたらしい)

そんな自分と、周りの女子との落差がありありと甦り、そしてそれと同じことが4歳の女の子手紙によって突きつけられている。


本当に彼女たちのこの女子力はどこから来るのだろう?

私や母、そのまた母である祖母まで遡っても見当たらない。

そんな女子的なムードを醸し出したり読んだりすることから全くかけ離れた血筋しかった。

の子の母である自身も、「私もあの感じないわぁ~」と言っていた。

また、妹の旦那さんのお母さんにしたって、カラッとサッパリした印象で、微細な女子ムードとはまた違ったタイプの人だ。

「見ているアニメの影響かもなぁ~」と妹は言うけど、アニメの影響だけであれほどのものが発揮できるとは思えない。

やはり、私からしたら充分女子力高めの妹由来ではないかと思う。


いずれしても、彼女が発揮するそれを前にして、私はこう思わざるをえなかった。

女子力というのは、アニメや周囲の女性などの外的な影響から独立し、彼女が望むと望まざるとに関わらず、存在するのではないかと。

そして今になって、私はやっぱり生まれ持って女子力の何割かが欠けているタイプだったんだな再認識させられた。(どうりでやりづらい半生だった)

よくネット上でもフェミがどうとか男女の話題があるけど、本人の意向とは関係なく、生理があり、月経周期ごとの体とメンタルの波があり、女子力があるんだなと思う。

(もちろん個人差のあることで、何割かの女子力が欠けた私がその証拠だ)

どんなに性差を均そうとしても、生まれ持って備わってるもの無視することはできないし、(よほど本人がホルモン療法を望まない限り)コントロールできないだろうと思う。

それを踏まえた上で、女性であることの不自由や、女子力が欠けていることによる不自由や、その他男女問わず、性に囚われる不自由、そしてその不自由の由来や責任の果てしない押し付け合いもいつか克服できたらいいのにな、などと無理やりスケールを引き伸ばし、焦点をぼかすことで現実逃避をしてもみるが、しかし実際のところ、私の問題は、この歳になってもまだそれへの恐怖を克服できていないことだ。そして4歳の女の子にそれを突き付けられたことだ。

別のシチュエーションだったら、あーめんどくせー、女めんどくせーで済ませて回避することもできるけど、今回はそうはいかない。

だってその女子力を宿す主は、4歳で、妹の子で、私を想って手紙を書いてくれたのだから

盆や正月に会う時には、まだ澄んだ目をくるくるさせながら、私に心の中を話してくれたり、問いかけてくれたりもするのだ。

2016-09-06

とちくるったので占いに行く

とか言ってたら、同期(男性)に引かれた。

分かってる、分かってるんだよ。

婚活疲れた女が何かにすがりつきたくて占いにハマって変な方向進んでいく未来が見えてるんでしょ?

わかってるよ。

でも、分かんないんだよ、将来。

結婚なんてできるのかと、不安になるんだよ。

自分の中で結婚って一生の良し悪しを左右する大選択だと思ってるわけ。選択を間違えたらどうしようとか思ってるわけ。

勿論、やり直せないわけじゃないけど、後悔しない選択がしたいわけ。

結局ね。占いで聞きたいのは婚活出会った元彼と復縁して結婚したほうがいいか、なんだよ。下らないことで、ごめんね。

なーんだって感じだろ?ごめんぴょ~~ん!

1ヶ月くらいしか付き合ってなかったけど、別れて3ヶ月経った今もくっそ引きずってて、自分がこんな女々しかったのかと笑うw

別れたあと6回くらい婚活パーティー行ったけど、どの人と比べても全然前の人のほうが良く思えて、どうにも動けない。

かと言って、事情があって別れたわけだから、もう一度付き合うには覚悟がいる。

前にも後ろにもにっちもさっちもいかなくなって、だったらいっそ、なんとなく占い行って、針路立ててもらうかあ!!!ってなったの。

そんな感じなの。

けどそんなこと言ったら同期は、あこいつそろそろやべえなってなったんだろうな~

私もちょっとやべえなって思ったけどな!!ああ、思ったさ!

けど、もう、どうしようもねえんだ

2016-08-18

就活留年したけど何も変わらなかった。

夢を目指して始めた就職活動

とは言っても呑気なもので、4月の半ばにスーツを買いに行ったら店員のお姉さんに笑われた。

「えっ、3月説明会とか行かなかったんですか?w」

好きな会社情報しか見ていなかったから、就活3月から始まることなんて知らなかった。

行きたい会社説明会は少し時期が遅かったので別によかった。

それから行きたい会社説明会を回ったりエントリーシートを書いて送ったりした。

結局受けた企業10社もなく、ある1つの会社を除いてエントリーシートは全て落ちた。

エントリーシートの書き方も知らず、バカ正直に自分の書きたいことばかり書いていた。

就職活動の場において「やる気と熱意」というのはあまりにも無力だった。

たった1つだけ最終面接に漕ぎ着けた会社があった。大本命だった。

グダグダ面接だった。

夜行バスの中で眠り興奮して眠れずにシュミレートした、たくさんの喋りたいこと。

何一つ喋ることはできなかった。

そもそも面接官が聞きたいことはそんなことではなかったのだろう。

まりにもトンチンカンなことばかり言うからきっと面接官も困っていたはずだ。

なにより、

通らないエントリーシート不安になり、

夜行バスでの東京往復と

他人より残りすぎた単位を集めるための講義

ゼミのための予習と

時々やってくる卒論演習での中間報告と

資金を稼ぐための土日のフルタイム夜勤バイト

消耗戦フルコースで疲れきった私には驚くほど覇気がなかった。

あれほど行きたかった会社の最終面接を目の前にして。

結果は言うまでもなく「お祈り」だった。

持ち駒がなくなったが、なんとか志望の業界に近い仕事を探しだし、

説明会エントリーシートを提出するためだけに再び東京へ向かった。

藁にもすがる思いだった。

やっぱり落ちた。

この辺りで心が折れた。

7月だった。

テストも近いというというのに身体は動かない。

クーラーもない蒸し暑い部屋で泣いていた。

自分にはやりたいことををやる資格がないことがとても悔しかった。

それでも頑張ってテストのために学校へ行き、

中身のないレポートを書いて、拾える単位だけ拾った。

そうして夏休みを迎えた。

就職活動卒論があるからと週1に減らしてもらったバイト身体を引きずる以外、

本当に一日中寝てすごした。夜は眠れず、不安に泣いた。

時々起きて求人サイトを見るが、やりたい仕事は見つからず、さらに泣いた。

手付かずの卒論に心は焦る。でも焦るだけで、なにもできなかった。

前期の授業料を払った口座の残高を見て肝が冷えた。

12万。これから半年間毎月奨学金が振り込まれるにしても、あまりに心もとない金額だった。

そうして本当に何もしないまま2ヶ月が経とうとしていた。

これからのことを考えなくてはいけない。

内定絶対に無理なことではないのだろう。秋をすぎて内定先を得た先輩たちをよく知っていた。

卒業もできないことはないだろう。うんこみたいな卒論を書くことになるが。

でも自分にはそれに立ち向かっていく勇気はなく、これ以上に心が潰れていくことが怖かった。

なによりも半端な気持ち就職が決まっていくのも、

せっかくやりたいと思うテーマを見つけた卒業論文をてきとうに済ませてしまうのも、

嫌だった。

親の前で泣き、先生の前で泣き、そして留年を決めた。

4年生の残りの半年は残った授業の単位を取ることに集中し、

あとは自分の心を立て直すこと、メンタルをしっかりとコントロールすることに費やした。

そう安心した矢先、家庭やバイト先、人間関係などプライベート面で信じられないほどのトラブルにも見まわれたが、

残った単位をしっかり取り、卒業論文も進め、心も立て直し、新たな気持ち3月を迎えることができた。

そうして、新たな気持ちで始めた就職活動はとても楽しかった。

就職活動の流れようなもの理解して、しっかりその波に乗っかることができた。

去年の反省から違った業界を覗くようにもなった。他にもやってみたい仕事を見つけることができた。

エントリーシート面接の乗り越え方もなんとなく理解し、選考を進んでいくことができた。

面接に落ちることはあっても割り切り上手にもなった。

なんども行き慣れた東京でも時間の使い方なんかも上手くなってきた。

それでもやはり就職活動の大変さに驚く。

完全に学校に縛られることはなくなったはずだが、暇ができたような感じは全くしない。

ピーク時には1ヶ月中半月ほども東京滞在していたし、

やっぱり工夫はしていてもお金はどんどん減っていく。

去年失敗したのはしょうがないことだなと思えた。

はいえなにより、また夢を目指せることが本当に嬉しかった。

やりたい仕事のために頑張れることは本当に嬉しかった。

ところがどっこい、6月の頭にまた持ち駒を失った。

面接ではどこでもそれなりにしゃべれていた。

落ちていくのは「合わないな」と思った会社だったので気にしなかった。

2つの会社でかなり良いところまで進んだが、

片方ではヘマをしていまった。片方はサラッと落ちた。

ヘマをしてしまったのは惜しいことをしたが、

受けていたところはどこも狭き門だったのでそれこそ「ご縁」がなかったのだろう。

持ち駒を失った時、自分が体力的に疲れ始めているのを感じたし、

資金の消耗も激しく、交通費などでクレジットカードの支払いがかさんでいた。

少し休んでまた始めればいいや、そう思って就職活動を2ヶ月ほど一度休むことにした。

そして2ヶ月経って就職活動を再開し、

少し興味のある会社に応募するものの、

説明会にいっても心は沸き立たず、

面接にいってもどこか身が入らない。

そのうちに求人を見ていても興味が湧かなくなった。

このままでは拉致があかないと思い、いわゆる求人紹介会社を利用してみる。

まり話も聞いてもらえないままにとにかくIT企業を紹介される。

正直なところそうとう気持ち萎え気味だったが、

いつまでも駄々コネてられない、何も見ずに判断するのも良くないだろう、

そう思ってとりあえず紹介された会社選考スケジュールを埋めてみる。

やはりちっとも興味を持てなかった。

イヤイヤ選考に足を運ぶ日々が続いた。

そしてある日、面接官の女の人に怒られた。若い人だった。

それは圧迫面接相手と試そうとするようなものではなく、

ただただ怒っていた。そして、至極もっともなアドバイスをくれた。

「しっかり目的意識をもって行動できるはずの人なのに、全然うちに入りたいという意識が感じられなかった。

 本当に入りたいの?違うんじゃない」

「本当はやりたいことがあります。」

「いやいや気持ちを取り繕ってもすぐやめちゃうよ」

「そう思います

 多分自分は取り繕いきれません。」

「ちゃんとやりたいと思える仕事探した方がいいよ」

はい……」

結局自分にとってはどれも紛い物でしかなかった。

この1年で何も成長しなかった。

この期に及んで自分のやりたいことしかやりたいと言えない、わがまま不器用クズだ。

どこかでちゃんと覚悟を決めなきゃと思いながら、ずっと心はイヤイヤ言っている。

社会人になるという覚悟が足りない。知っている。

でも、どうしても自分の心にふたをすることができないのだ。

時々取り繕う言葉に混ざる本心に涙が出る。

半端な気持ち面接に言っても「ははっ、やりたいっすね~w」みたいな舐めた態度に見える。

じゃあこんなクズは素直に卒業してアルバイトいからでも行きたい業界に潜り込むか。

でも、今から全てを投げ打ってでもそういう努力ができない自分は結局クズなんだよな。

時々ある行きたい業界二次募集や小さい零細会社求人に手を出す勇気がない。

つのまにか「やりたいです!」と言う気力さえ失ってしまった。

あれも嫌、これも嫌。

結局自分はなにをやりたいんだろう。

結局就活から逃げたいだけ。

ああ、そうなんだろうな。

おそらく面接官のお姉さんの言葉警鐘だったのだろう。

毎年多くの人が入社し、それと同じくらい多くの人たちが辞めていく、そんな会社だった。

そんな中で自分のような同期や後輩たちがくたびれて辞めていくのを目にしていたのだろう。

やりたいと思える仕事を見つけたい。

なるべくそ努力をしようと思う。

でも、少し疲れてすぎてしまったし、

なんだか見つけられる気がしないんだ。

2016-08-12

もう数ヶ月経っているのに忘れられずにいる

パートナー候補現実でできたにも関わらずだ

彼の何が良かったんだろう

条件関係なく一緒にいたいと思ったのはなんでなんだろう

その割に声をかけることすらためらったので

まあ、無理ではあったのかもしれない

何度か勇気出したけどそれっきりだったし

つきあってる人は一緒にいる分には疲れず

かと言ってこちらからどうこうしたい気持ちはまるでなく

距離を詰められると逃げ出したくなる

ふと思い出してしま

どうにもならない気持ちを捨てたい

2016-08-08

何故Vimを使うようになったのか興味ある?

SublimeTextにお金を払わず使用し続けてたので流石に良心が痛むから無料エディターを探してた。

クロスプラットフォームで使えるエディターが欲しいのでVimEmacsで悩んだ。

Emacsってなんとなくかっこいいと思ったのでインストールしてみる。

和訳ドキュメントを探したら古いのしかないので新しもの好きの僕チンには息が苦しくてやっぱりアンインストールする。

お次はVim

Vim和訳ドキュメント存在するか調べたらあった。

ドキュメントをまったく読んでないがそこまで古くないと思ったかインストールして使ってみる。

ああ面倒くさい今まで慣れてきた操作とまったく違うからストレスが溜まる。

慣れないと入力スピードが向上しないので他のエディタと併用して使い続けて1ヶ月経つ。

Vim自体は1ヶ月使い続けていれば慣れた。

1ヶ月我慢が出来るのならハードルは高くない。

エディタの併用をやめたのはVimを使い出してから2週間後だったと思う。

2016-08-01

郷に入っては郷を改善せよ

座右の銘にこう答えて入社したんだが、3ヶ月経っても改善できてねえ

言うは易し

2016-07-25

50歳で初潮来た

つい一ヶ月前ペニスの先から血が出た。

二日目は本当に辛かったあそこがちぎれるような痛み。

一週間で出血は止まったけど仕事どころではなかった。

そして一ヶ月経ってまた血が出始めた。

生理だったのかとようやく気付いた。

これが毎月あるかと思うと辛い。

女の人は本当に大変なんだなとつくづく思った。

2016-07-20

生理痛がクソすぎる

頭痛い。お腹痛い。腰痛い。吐き気が止まらん。食欲もない。

仕事に集中できない。エクセル見てるとゲロ出そうになる。

小6から毎月毎月こんな思いしてる自分を褒めてあげたい。

いわゆる「月経困難症」なので、低用量ピルを飲んでる。

が、たまにこうやってめちゃくちゃ思い生理痛がやってくる。クソすぎ。

会社休みいくらいだったけど、上司に言うのもダルいし、なんか恥ずかしいし無理。

あー気持ち悪い。クソクソクソ。薬も効かないしもう帰りたい。おえっ。

痛みの記憶

彼氏とのセックストラウマで何も入れられなくなった後、別れて、指、ディルド(2.5cm)と段階を踏んで克服してきた。

だけどここで調子に乗ってしまった。永らく「受けろ受けろ」と言われ続けていた、婦人科検診に行ってしまったのだ。

脚の力を抜くことを覚えてきた私は、器具を余裕で受け入れた。すげー! 練習って、積み重ねるものだなぁ。

そんな感慨を覚えたのは最初の30秒くらい。そこから、中で、色んなものが動いて回って大変なことになって、地獄を見た。あまりの痛みに、目を剥いた。なんだこれ。

以来、指は入るけれど、ディルドは激痛の身に戻ってしまった。

痛み方が、彼氏に入れられたときの、ヒリヒリした痛みに逆戻り。力の抜き方も、いまいち思い出せない。

そろそろ1か月経つんだけど、その痛みを忘れてはくれないかな。ダメか。

次の彼氏にこそ、まったくもって大丈夫身体提供できる日は、まだまだ遠いようだ。

2016-07-09

ホルモンバランスとか日内変動とか

http://anond.hatelabo.jp/20160709002156

調べないで書いてる。

自分場合暴言まで行かないけど発想が「ひたすら死にたみ」

他人から言葉かけを全部悪意あるもの解釈」ってなる時期があって、

たいていその後月経が始まっていた。

おそらくホルモンバランスがだめな感じになるタイミングなんだろう。

運動習慣と食事管理(もともと酒タバコなし、スイーツカフェイン減らして肉野菜)で

月経の痛みとだるさは軽減されたけど、メンタルのアレさは解消しきれなかった。

意味わからん荒れ方してる女性配偶者、すでに抱えてる疲労と苦痛タスク多い、自由無い、疲れた等)を

仕事中・家事中 断続的に甘いもの食べ続け、珈琲がぶ飲み」みたいな対処してないだろうか。

嗜癖物で疲労と苦痛を軽くしようとすると倍返しを食らっていた気がする。

一方で、

睡眠時間を派手に増やす10時間以上眠る

・穏やかで信頼できる、自分釣り合う知性を備えた成人と、生産性ゼロのおしゃべりをする

・その場足踏みでもひとっ走りでも音楽かけて踊り狂うでもいいか運動する

上述の対策副作用なしで疲労と苦痛月経苦痛軽減に有効だった。

充分には実践できなかったけども。

生産性ゼロのおしゃべり」ないのつらかったわ。

ただしゃべりたいだけなのに理詰めでこられると精神がしぬから黙る努力しても精神ゾンビだった。

「なにが言いたいのかわからない発語を聞かされるのが苦痛」というのももっともだとは思った。

おしゃべりできる相手ができたらだいぶ幸せになった。

えーと、もとの話なんだっけ。

配偶者とおしゃべりするか、友だちとしゃべくり倒してきてもらう(不在中家事はやっとく)

で、少しは楽に過ごせたりしないかな。

送り出してると、しゃべれるひとのほうが重要なんで最終的に出て行くかもしれないけども。

いないものとして家事育児切り盛りしてるなら大丈夫そう。

あといっぱい眠ってもらう(家事外注するかやっとく)

運動は、本人がすきじゃないと難しそうだな…。散歩でもWiiFitでもいいんだけど。

これ配偶者が荒れててしんどいと思う本人もいっぱい寝て運動してほどよい食事しててね。馬鹿話しててね。

とくに男性、中身が古風でマッチョなひとって愚痴らなすぎなのでもっと無様なこと吐き散らかす義務があるよ(

バカしかやらないような無駄の極みの生産性ゼロおしゃべり」をして人間アピールしてくだしあ

こころおだやかにすごせるといいね

「いまさら配偶者とおしゃべりできるようになる方法」は誰か書いてー。

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