2016-11-18

デスソース結婚に似ている

そんな気がした。

初めてデスソースを見たのは、よくイオンモールの中に入ってる青い看板コーヒー屋。ずらりと並ぶ赤いソースに釘付けになった。

面白そうだし使ってみたいと思い、そこそこの金額を払ってしまった。衝動買いなんて滅多にしないことだったからわくわくしてた。

で、使った瞬間に後悔した。

買う前はこんなに辛いとは思わなかった。確かにラベルには「適量は料理にほんの一滴」って書いてあったよ。でもそれにしても辛すぎるでしょ。せっかくの野菜炒めがおじゃんになってるでしょ。

でも払った金額を考えると、その場で捨てるのがすごくもったいなく思えた。食べ物無駄にしたくないとか、こんな時に思ってしまった。

ほんとにいかれてると思う。ネットを見るとデスソースてそこそこ人気なのね。ヤバイ!とか言いながら挑戦して辛かったねーとかほざいちゃってさ。

こんなくそ辛いソースのどこに魅力を感じるんだよ。

デスソースに手をつけないようになって数ヶ月経った(もちろん初めて使った時から数ヶ月だ)。デスソースは一向に腐る気配がない。いや、腐れよ。さっさと腐って捨てさせろよ。

更に半月経った。流石に使わないと減らないという現実に向き合い、いろいろな方法を試した。

牛乳を飲んで辛味を和らげようとしたが、効果なし。

ならば中辛カレーの中で目立たなくなれと思ったが、デスソースの圧倒的な存在感カレーを凌いでいた。

特に炒め物のソースとして使った時はひどかった。デスソースを少し入れて炒め始めただけで咳が止まらない。玉ねぎの比じゃないくらいに目が痛い。結果できたのは蓼食う虫を殺せるほど真っ赤な炒め物だった。

でも全てが失敗に終わったわけじゃない。たまに辛いけども美味しい食べ方を見つけられた。それはもう限りなく低い確率しか見つからなかったけども、一つ見つけただけで勝ち誇った気持ちになれた。

デスソースが憎たらしいことに変わりないけども、憎たらしさを通してデスソースをどう扱うべきかを知った。じゃがいもと一緒だと比較的美味しくなるとか、炒めてる時は呼吸したら死ぬとか、そんなものだ。

それから更に数ヶ月後の現在

デスソースはまだ3分の1も残っている。でも一気に使うと腹痛を引き起こすから、少しづしか使えない。

デスソースなんてものは、なくたって生きていける。世の中を生きる大抵の人はそうだ。デスソースなどという大台に乗るよりは、百均で売ってるラー油を選んでちょこちょこ使う方がよっぽど精神健康上すばらしい。デスソース購入とかいう損しかしない選択をしたことで、幸せになるために自分から動かなくてはいけなくなった。決して楽じゃなかったし、費やした時間はすごくもったいないと思ってる。

しかし残り3分の1になったデスソースを見て、これまでのことが頭をよぎる。喉を焼き尽くす辛さを初めて感じた時は、ひどかったけれどなんか笑けてくる。咳を繰り返したことも、今考えると激しい笑い話だ。

振り返らないと、幸せってわからないものだ。嫌な記憶は忘れられなくても、気がつくと風化されて、よくわかんないけどいい思い出だったんじゃない?ああそうだったわねと記憶を捻じ曲げてしまう。人間って幸せに対して異常にがめつくできてる。

あくせくソースの量を減らしていた時間は長かったし、先もまた長いだろう。

デスソースめ、お前がしてくれた仕打ちは忘れない。

一つ気になることがある。

これから先、数ヶ月後。空っぽになったデスソースの瓶に向かい合う時、憎しみを感じていた自分は、何を思うのか。


お前なんか好きじゃない。青いコーヒー屋でまた見たとしても、もう二度と買わない。

でもお前がいなくなるまでは、ずっと大切にするからな。

そう言いたくなった。

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