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はてなキーワード: 教養とは

2023-07-18

コストコ高時給って悪だよな

ここを理解出来るかで教養あるかないか別れる。

まず、コストコ外資から遠慮なく節税してくるし税金が入ってこない。日本企業外資だらけになったらどんな弊害があるかぐらいはわかるよね?

そして、大企業効率化されてて従業員を沢山雇えない。例えるなら、一つの街で1000人の客に対して様々な店において100人従業員対応していたのが、様々な店は消えてコストコのみになり10人の従業員対応出来るようになると90人が失業者になる。この弊害はわかるよね?

地域経済ってのは生態系とも言えるバランスがあって、それを崩すと色んなところに歪みが生まれ

当然、従業員給料は増える方がいいんだけど、生態系を壊さず増やしていかないといけない

これを理解出来るかどうかが教養あるかどうかの分かれ道だよ?

途上国金持ちって教養がなくて下品だよな

日本だったら、

zozo前澤氏、

avex松浦勝人氏、

メルカリ創業メンバーは総じて倫理観と品がない

楽天三木谷氏は頭はいいのだが、反社との繋がりが痛いし

伊藤弘了「この絵すごくエロいブクマカ「あたおか」「認知の歪み」「ツイートしないでクレーム出せ」

伊藤弘了『教養としての映画』 @hitoh21

女性股間を隠す浮島が亀のように見える。「ヤシの木一本実が二つ」の含意は小学生にもわかる。それが「亀の頭」(直球)の部分を形成している。グラスを飾る「花」植物生殖器官そのもの。これだけ露骨コード化されたエロティシズムと戯れているのに、そのイメージ否定される方が気の毒。 twitter.com/i/web/status/1… pic.twitter.com/LWLp5CqEnP

2023-07-16 18:38:19

普通の絵を勘違いエロ扱いするツイッターあるあるhttps://togetter.com/li/1376667 にまじになっちゃってどうするの

「これはいけない表現だ」というのならツイートせずに直接企業や団体なりにクレーム出せよ。SNSに書いてお気持ち表明とか「いけない表現」を世間に広めているだけで本人も加害者になってるの分かってないんだな

poko_pen 2023/07/18 15:06

いけない表現…?

エロいですね、って言ったら いけないですね、って言ったのと同じ意味になるの?

お前の頭の中で エロい=いけない なのはどうでもいいけど他人押し付けるのやめてくれる?

加害者はさすがに草 もうこれ誹謗中傷でしょ…。

ミニスカートで太腿露わにしてるのは男を誘ってるんだから痴漢されたがってるんだ!けしからん!!ムフー」って言う奴と大体似たような脳みその作りだなと思いました。

triggerhappysundaymorning 2023/07/18 16:02

絵じゃん

現実ミニスカの人の心情を認知歪んだゲスパーしたらアカンけど これ絵じゃん

痴漢されたがっててもいいじゃん

あたおか案件

hiroujinhiroujin 2023/07/18 15:36

ちょっと性欲が激しいってだけであたおかか

お前みたいなのが純潔教育に走るんだろうな

怒りに震えて涙止まらないとかいってる人はさすがに受診された方がいいと思うが・・

trade_heaven 2023/07/18 15:37

@jakogameは冗談で言ってるだけだから大丈夫

それに今回の件とは無関係な数年前の案件

規制しろとは書かれてないような?

casm 2023/07/18 15:29

それな

おおかた「エロい 規制しろ」を恐れて吹き上がってるんだろうけど

エロい」で噛みつきに行くとは気が早い

まだ何もしていない人間を「あいつならやりそうだから」で叩きに行くのって最低だよな

ただの差別人治主義

anond:20230717174144

若さ故の傲慢さに溢れてていいね教養技術を身に付けてから読んだら、感想も変わるかもね。

2023-07-17

物語わたしたちの中にある(君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか、をみた。

自分ジブリファンではないので、物語の先にある「モデル」や「元ネタ」までは考えが及ばないのだが、

「こんなお話だと解釈したぞ〜」ってのを書きたい!(ネタバレあり)



大まかなストーリー

ライフステージ転換期の、戸惑いと受容を描いたお話」だと思った。

・眞人:少年から青年期への変化(ヒミ=ヒサコも同年代

・ナツコ:青年から母親への変化

転換期の渦中、心や体の変化に戸惑いを抱える者たちが神隠しにあった〜みたいな。

キリコに関しては、次のステージに引き上げてくれるキャラに感じた。

ちょっと悪知恵をくれる先輩だったり、手助けしてくれる産婆さんみたいな(実際物語では船頭や見守り役に徹するし)。





以下、私の解釈をつらつら書く



1.変わりたくない眞人とナツコ

戦時中だが暮らしには困ってなさそうな眞人。

だけど眞人はこの先の人生に興味がなさそうで、疎開先の学校も嫌、新しいお母さんも嫌、

気持ちはこれから先の「生」よりも、死んでしまったお母さん、つまり過去」に向いている。

しかし体や心は先へ先へと成長していて、ナツコや父親の「性」に触れて戸惑い、怒りを感じている。

塔への侵入が失敗に終わった後の眞人の声の低さに驚いた。

「塔への侵入を試みる=精通メタファー?」なのかな。

2次成長の強調を感じて、眞人は少年青年になりかけている状態なんだなと思った。

初期、アオサギヘ異常な攻撃性を持って接しているのも思春期のあまりあるパワーを感じたw

自傷行為は、クラスメイトへの嫌がらせではなく「こんな環境に送り込んだ父親」を責めたい面もありそう。

自分拒否しているんじゃない、周りが自分拒否しているんだ」という状態を作り出したい、

社会への拒絶を相手のせいにしたい…という受け身な心の表現のように思えた。

アオサギはそんな「社会的死を望む眞人の心の表れ、葛藤」なのかなと。

成長なんかしないでずっと自分の中にいたい!ずっと子供でいたい!みたいな願い。

眞人はずっとお母さんの子供でいたかった。

異世界に行ったのもの「ナツコを取り返しにいくぞ〜!」みたいなモチベがあったわけではなく、

ただただお母さんに会うために、流されるままにいった印象。

なんなら「お母さん=過去」に向かって、成長したくない〜〜みたいな思いも抱えながら向かっている感じ。

門をあけるのもペリカンの力だし、船をこぐのもキリコの力。

まだまだ与えられる存在の「キッズ」なんだよね。

同様に、ナツコもつわりに苦しみ、出産が怖かった。いきなりできた息子(眞人)が怖かった。

言われなきゃ妊娠中なんてわからない、母親感のない妖艶なお姉さんビジュ。

そんな、変化が怖い!変わりたくない!状態の眞人とナツコが、同じく殻に閉じこもった大叔父に導かれて異世界へ行ったのかな〜というのが物語の始まりの捉え方。


2.大人のヒミツを知ってしまう眞人

ヒミとの出会いは、「自分の中の母親像に別の面を見つける」という体験だったんじゃないかなあ。

母親元少女だったことを知る、そして少女母親になるということのヒミツを知るというか。

産屋に入る=禁忌を犯す…というのは、「性行為」を知る?とかなんじゃないかなと。

(ナツコとヤったとか、ナツコで抜いたとかじゃなく、どうやったら子供ができるか知っちゃう…みたいな)

ヒミ/ヒサコ、ナツコ、眞人は性行為を知っているか楽園から追い出される…みたいな見方もできるのかなあ。大叔父はそれを知ることを拒んだからずっと楽園にいる。

血の表現の多さや、おどろおどろしいジャムパン処女性の喪失のようにも思えたし、ジャムパンキリスト教で言うワイン(血)とパン(肉)にも思えた。

(あの食事シーンでキリストとの契約人類繁栄させ続けることを約束させられたのかな?とも思ったり。)

精子っぽい表現の多用、「命を奪う、頂く」「命が死ぬ、命をつくる」みたいなモチーフも多くて、全体的に「命の受け継ぎ」が描かれてる感じがした。

ワラワラ邪魔をする老ペリカンたちは、戦争によって死んでしまった人や今で言う氷河期世代なんかの

「そう生きざるをえなかった人々=命を繋げなかった人々」なのかなあとも思えて、

その選択や悲しみを否定する気にはならず、敵キャラだとは思わなかった。

このへんは私が出産適齢期を過ぎつつある未婚女性からそう感じ取ったのかも。

そしてこれだけ性的な印象を感じておきながら、物語全体を通して「子を産め」というメッセージだとは思わなかった。

というか、大叔父世界で作り出されるワラワラたち=精子たち?は…なんか受精しなさそうな感じがするw

殺生もせず、無垢もの加害意識を持たざるもの)の精子放出は、オナニーなんでないかい…?と。。

ナツコが「あんたなんて大嫌い」みたいに言うのは、眞人だけに向けられた言葉じゃなくて

子供を産み育てることへの恐怖、与えられる存在から「与える・守る存在」に変わらなければならない、母になることへの恐怖の表現なんじゃないかなと。

眞人が「お母さん」と呼びかけることでやや柔和な表情に変わるのは、眞人への好意ではなくて覚悟が決まったような、我を取り戻したような感じがした。

あのシーンでナツコは母になる覚悟、眞人は大人になる覚悟母親の死を受け入れ新しい母親を受け入れる、実社会と向き合う覚悟)が決まった感じ。

そういう意味ではこの物語神隠しではなくて、「ナツコの出産」の寓意でもあるのかな?


3.世界への責任に気付く眞人

13個の石の積み木が駿の作品数を意味しているとは思いもしなかった〜!(というかそんな知識なかった!)

英語12まではeleven…twelve…て数えるけど、13からはteenで数え始めるので、そういうキッズティーンの境目に留まる…みたいな意味なのかなと思って見てた。

叔父キッズにしがみついて、1から13まで積み続けるが13を超えられない(13個詰むとバランスが崩れてしまう)

知識自分想像の中だけで楽園を作り上げ、維持している。

眞人にとってのアオサギは、大叔父にとってのインコ大王なんじゃないかな。大叔父は、インコ大王と共に自分楽園に閉じこもることを決めた。

眞人はアオサギを説得し、社会と向き合うことを決めた。13よりその先の世界を作っていくことを決めた。

(この異世界聖書楽園だとしたら、キリコは蛇の側面もあるのかな…)

叔父もけして悪役とは思えなかった。

本をたくさん読んで知識理想社会への願いはたくさんあったんだろう。だけど実社会で石を積むことを選ばず、自分楽園を"理想世界"にすることを選んだ。

叔父は眞人を楽園に閉じ込めようなんて思ってなくて、世界へ送り出すことを心から喜び、希望を託しているように思えた。

このシーン、これが駿からメッセージなんだろうなと思って見ていた。

自分理想知識教養を大切に、でも自分の中だけでもなく、血縁でもなく、半径5mでもない、外の世界と折り合いつけて"よく生きてくれ"みたいな。

いつまでも誰かの作品や誰かに庇護される世界に留まっているなよ〜みたいな。

私たちはみんな14個目のブロックを渡されていて、この世界をよくするためにそれを投じる責任がある。そんなことを思った。


4.じきに忘れていく

神隠しのような、蘇りのような、胎内回りのような鑑賞体験を通して自分が感じたのは「やだ〜〜思春期追体験みたい〜〜〜」という感想

アオサギが言ったように、私たちはじきにこの感情を忘れてしまう。

だけど異世界は石のカケラと、キリコ人形を残してくれた。

成長と共に、私たち世界への意志理想希望や野望)はどんどん弱まってしまう。だけどカケラぐらいはみんな持っている。

自分が忘れても、キリコ私たち思春期を見守っていてくれた少し上の先輩)はうっすらとその青い時代を覚えていてくれる。

私たちはいつかの眞人でありナツコでありキリコなんだろうな。

この社会の暖かさと、この社会大人として生きていく自分責任…みたいなものを感じらせられて、鑑賞後はなんだかじんわりと涙目になってしまったのだった。


感想おわり

アッ…そういえばこの映画には「おわり」がなかった。たぶん。

監督から後世を生きるわたしたちに対して「社会と関わること」「命を紡ぐこと」「ものをつくること」のバトンを受け渡されてるような気がして、

この世界はおわらない、つづいてく…さぁ、君たちはどう生きるか?みたいなメッセージを感じた。(タイトルのまんまァ!!)




さいごに

この映画難しいなって思ったのは、小さな感情の動きやメタファーっぽいものバラ撒かれていて、

それらが調理されて最終的にハンバーグやらカレーになって出されるでもなく、そのまま終わるところ。

見る人は、物語カケラ自分なりに取捨選択して、頭のなかでそれぞれのストーリー調理しなければいけない。

それゆえ、ジブリや駿ファンはそれを彼らの社史や人生だと捉えるし、そうでない人は何か別のものに捉えるのかも。

(当然"カケラ"だけ渡されるわけなので「なんのストーリーもなかった…なにこれ?」となるのも当たり前。)

私は出産適齢期を過ぎつつある未婚女性なので、どうしてもカケラの拾い方や積み方にクセがあると思う。

でもそういう、「見る人によって様々なミスリードが生まれる=見る人の中にいろんなストーリーが生まれ作品」って本当に面白いと思うんだよね。

結局この映画が見せているのは映画ではなく、自分自身のような気がする。

私の勝手解釈を読んでイラだった人もいるかもだけど、もしよかったら他の方が感じたストーリーも教えてほしい!

▼楽しかった解説メモ

先人の皆さんたちの解説も楽しく読みました〜!!(ジブリいろいろ未視聴なのでほ〜そう読み取ると確かにおもろ〜と勉強になった…

https://anond.hatelabo.jp/20230714205336

https://anond.hatelabo.jp/20230716093137

https://anond.hatelabo.jp/20230715212033

anond:20230717174144

教養として読んどけばいいじゃん

10年後くらいに良さが分かるかもしれない

anond:20230717125406

音楽世界言葉などということはない。 文法はあるし、各国の文化背景や時代によっても異なる。

十分な教養なく聞くクラシック音楽に対して感じることは知らん外国語に対して感じるのと同じような感覚だ。

要するに上手いか下手かを判断する以前に「わからん」ということ。

教科書わからんものをわかるようにすることを目指しているので大半がわからんでも普通のことだよ。

君たちはどう生きるかが響かなかった件について

普通にネタバレあるからまだ観てない方はスルー推奨】

結論から言って

犬王(アマプラ)

廻るピングドラム(アマプラ)

君たちはどう生きるか(劇場)

を立て続けに観た自分に、一番刺さったのはピンドラだった。

ジブリの新作がそうでもなかったや…という事実しょんぼりした理由は、自分に響いたのが

持つ者の冒険

よりも

持たざる者の救済譚

だったからだ。

ピンドラについてはいろんな人が言及してると思うから割愛する。

今回は、ジブリの新作がピンと来なかった地味なショックについて書こうと思う。

君たちはどう生きるかの中で印象に残ったのは、黄泉の国という名の生き地獄になっていたペリカンたちが最後あの塔から飛び出して、眞人に「出られたんだ、よかったね」と言われるところ。

そこで初めて自分が、乙事主よろしく老いペリカンが語った「絶望感」に共感していたのだと気づいた。

扉を開ける直前にお母さんが言い放った「火は得意よ、素敵じゃない!」は普通に泣かせポイントだったからそれはそれとして、

しか家族観をめちゃくちゃ大事にする文化を持つ韓国の人たちが千と千尋を見た時に号泣したのが冒頭の「両親が豚になる」シーンだったと聞いた。

それと同様に、半ば宮崎駿自伝ともいえる今作の通低音が「今を生きる人たちのバックボーン」とは異なりすぎてて、しかも我々のそれが割と地獄めなベクトルへ向いていることを、「自分にピンとこなかった」ことで改めて突きつけられたような気がしたのだ。

冒頭から描かれる「すげえいいとこの家」という事象けがギラギラしちゃって、内容が頭に入ってこない。

金持ちの家の子」という要素だけで、「自分とは違う子」として切り離して捉えちゃって、主人公やその周りの人物の誰にも共感できない。

目の前に展開されているのはフルスロットル宮崎駿なのに、最後までついぞ一緒に冒険できなかったのだ。

金持ち描写一つで足止めを喰らい、あの作品を正面から喜んで受け取れないくらいには、自分が貧しくなっていた。

なんかそれが妙にショックだったというか、悔しかった。

と同時に、かねがね思っていた〝最前線文化教養は「生存不安のない者」たちからしかまれてこねーんだな、そいつらの夢想という名の創作物をありがたがって消費してるのが私なんだな〟という、自分もびっくりするほど狭量な感覚に襲われた。

ってゆー結論なっちゃうのがどうしても悔しいからもう一回観に行きたいなとは思ってるんだけど、Twitterとかで「とりまもっかい見る」つってる人たちの心の中、なんか同じような感覚の人いない?

ねえいない??

コミケ原稿落ち着いたらもっかい見に行く予定ではあるんだが、その時にはすっきり消化できてたらいいなあ…

anond:20230717060822

受験はまぁもう終わってるから改善できないにしても、

社会の仕組みってのは大学4年の段階ではわかっていないのは認めるので

教養は身につけないといけないなと思う。

2023-07-16

anond:20230716121047

メタファー理解するにはものすごく深い知識教養洞察力が必要で、生半可なオタクには不可能に近い。

良識のある大人こそ、わからないものを「わからない」と言える勇気必要。それができず、理解できなかった部分を妄想で穴埋めし理解した気分になる態度こそ恥ずかしく思うべき。

しかダニング・クルーガー効果というか、全然理解できてない人ほど熱く語りたがるのをよく見る。

気取った言い回し

描写が細かいのを「解像度が高い」とか、理由説明させるのを「言語化しろ」とか、大雑把な話を「主語が大きい」とか、ああいうの。

最初に使った人はセンスが素晴らしいと思うけど、使われすぎて陳腐化しても相変わらず使ってる人を見るともう少し教養を身につけたほうがいいんじゃないのって思ってしまう。

君たちはどう生きるか」が賛否両論ということはこれは名作だ

見てないがこのパターンはしばらく後になって語る言葉も持たぬ無教養の輩が去ってからが本番

分かる人達による高い評価が大半となるだろう

特にはてなー否定するということはこれはいい作品に違いない

はてなーの考えることの逆が正解だ

すみません事実よりもオタクに都合の良い嘘の方がバズりやすSNSユーザー主体ファクトチェック機能を付けても無意味どころか逆効果ではないでしょうか?

しかし、オタクアニメを始めとする創作物に触れる機会が多いので陰謀論に強く、教養があり、日本経済を回しています

そうなのですね

2023-07-15

読書の才能がない

才能がないと書いたが、教養かもしれないし、やる気かもしれない。

とにかく本が読めない。

気がついたら

スマフォ

タブレット

PC

漫画...

みたいに別の媒体に移ってる。

読書によって

・得られないものわずかながら存在する

効率的に得られる知識はそこそこある

集中力?みたいなものが磨かれることによって得られる恩恵はなくもない

と思ってる

読書は楽しくないわけではないが、さっき上げた媒体よりはつまらないと感じる。

ここまでなら読書はしなくていいってことになる。

現状、自分は数十年停滞しているように感じる。

これは最初に書いた才能や教養等の基礎的なものの低さが起因していると考えている。

それを教養として捉えて、今からでも改善できること前提で

読書継続が気軽で低いハードル改善策の一つだと考えている。

質問しても何も得るものはないことは5年くらい前に理解したが、

こうして投稿する前提で文章化することで何かわかることがあるので

投稿するつもりで文章化してみた。

ここまで書いて、特に得られるものはなかった。

まりこれはうんこ

うんこ排出しなければならない。

ちょうどここは便所みたいなところだからこのまま排泄する。

ブリ

なぜ「普通の」男性の多くが「性交同意可能年齢なんて必要なの?」と疑問に思うかと言えば、「自分未成年少女性交したいから」ではなく、「自分がガキの頃に綺麗なお姉さんに誘われたら、喜んで性交したけどなぁ」という想定があるからだわな。

それはそれで視野の狭い話ではあるが、彼らのような「普通の」市民を、説得しようというのではなく、レッテルを貼って排除しようというのが、「民主主義的ではない」と批判されているんだよね。


普通の」というのは、特別教育を受けていない、大した教養もなく漫然と日々を生きている人のこと。

日本国民の半数以上は高卒以下。大卒以上は少数派なんだよね。

大学レベル教養を「常識だ」と言って憚らないのは傲慢だよ。世の中には、事情があって大学に行けない人、高校にすら行けない人もいる。

からインボイス制度に反対しろって言ったのに

自民党はまず国民サラリーマンフリーランスに二分して、フリーランスには不正が横行してるからインボイス制度導入するとした

お前らは馬鹿から、この扇動に乗っかってフリーランス叩きの中でインボイス制度を後押ししちゃったんだよ

んで、自民党はそんな甘くないから今度はサラリーマン退職金課税通勤手当課税までしてくることになる

フリーランスへの増税を後押しした手前、自分たちへの増税も受け入れざるを得なくなった

本来国民不利益ってのは一丸となって反対1択なんだよ

例え自分関係ない属性であってもな

それを後押ししちゃうんだからお前らって馬鹿だよな

絶対フリーランスサラリーマンに協力しないどころか、お前らと同じようにサラリーマン増税後押しすることになるから

そもそもフリーランス不正なんて幻想で、実際は単なる企業がやってる節税対策個人でやってるだけだから

サラリーマンも間接的に恩恵受けてる

こんなんで簡単に分断されるとか本当に教養ないよなお前ら

anond:20230715101014

下品さのような、知識教養が無くても広く理解できる要素が無いと、より広い層をターゲットにできないからな。

バカさや下品さの笑い、攻撃性や怒りを煽る炎上みたいな、ボトムをターゲットにした商売流行るわけだ。

【気になったとこ・ネタバレ君たちはどう生きるか

ジブリはじめて映画館でみた、ジブリようしらん。

ジブリ集大成意見はわかったよ。

・冒頭の述懐で本を読みすぎて気が狂った、であっ…となる。

 奇書かな? 

白雪姫天の岩戸モチーフ多すぎて行列

・こうかいしますよ?→そっちのこうかいかよ!

姉妹である設定の必要よくわからん

・種蒔く人ねー、ふーん

・石で額を傷つける、石が拒否意思意志?はぁ……

宮崎駿真実残酷ものという前提で捉えてるんか?

・途中のハゲペリカン、まひとの将来の暗示でいい?

インコ十字軍?つくってやがる。

民衆ペリカンインコになっていったってこと?

インコね、糞の公害問題にひっつけたか

・ちなみにインコ、君等のことだけど、どう生きるの?感

・クソかけられても笑えるのが夏子さん

釣り

・魚の内臓臭そうだった。面倒なものには蓋したいね

ジャムもやべぇ、あれ全然美味しそうじゃない

トーストチェンソーマンかよ、と短絡的に思った

過去にあった美味しそうなメシテロはなし、スープあったけど

・3人が一気に神隠しに会うなんてー!ハハハは笑った

ダンテ神曲かとおもった

 この門をくぐるものは一切の望みうんたらかんたら

はいはい教養トマス

・まぁジブリ見た人はポノックとかの単体見に行くの?

 そこはまぁいいや

・他に元ネタっぽいのわかった人いたらあれば教えて

・国際旗信号

インコ意気揚々とした感じで映画おわったあと、何見た んだおれたちみたいな観客の表情をインコにすげ替えると笑う

修正したわ、オウムじゃねぇ

君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか

この話は難解という感想をよく見るが、その実は全く逆で、宮崎駿監督作品として一貫して伝えたかった事を、教養のない愚かな大衆の為に限りなく簡潔で単純なストーリーに落とし込んだ結果、宮崎駿自身も「訳が分からなくなった」作品である

この作品宮崎駿自叙伝であることは既によく知られているが、彼の内面バックグラウンド、そしてこれまでの作品で彼が伝えたかったテーマ一貫性を保っている。

彼はそもそもこれまでの作品にも自分と周囲の環境とを幾度となく投影してきた。ただし、それは一部のマニアしかからないものであった。今回は、そのベースに加えて現実宮崎駿自身の回想を複雑に絡ませて投影されているだけでなく、そのものずばりで作品オマージュという形で追想しているのだ。

そしてここから重要な点だが、当然それは単なる追想ではなく彼が監督作品で一貫して伝えたかった「生きるとはどういうことか」というテーマに対して「自分はこうしたがダメだった」のだというメッセージになっている。

戦闘機の風防を量産する軍需工場経営をしていた父のもとで軍国少年として育ち、裕福ながらも厳しい家庭で母の愛を十分に受けることができなかった宮崎は、敗戦左翼に傾倒して東映アニメーション高畑功と出会い、強い影響を受けて監督作品にそれを秘めるメッセージをこめてきた。

これまでの監督作品で散りばめられていたオマージュや背景設定には、子ども向けの作品でありながら大人には「鑑賞者の教養」をもってして強烈な現代資本主義衆愚政治に対するアンチテーゼが展開されてそれこそが深みとして楽しめるものになっていたのだ。

だがそれは一部のマニアけが知るものとなり、実際に「大人である大衆が想定以上に教養がなかったがためにジブリ作品ストーリーアニメーションとしてのレベルの高さといった表面的なものばかりが「良い」とされ、宮崎駿高畑功が伝えたかった事は伝わらなかったのである

それでも宮崎駿は諦めず、本作のアオサギたる鈴木敏夫にそそのかされて愚かな大衆と私腹を肥やす連中のために作品を作り続けた。いつか伝わるだろうと鑑賞者を信じて。

いや、もう飛べないのに何度も何度も鈴木敏夫に首根っこをつかまれて。

そうして作った過去作品たちだが、まるで伝わらなかった。そして彼は遂に「諦めた」のである。「諦観」にも近いだろう。戦後日本人が当然に持っていた強く気高い教養は、戦後75年高まるどころか全く失われてしまった。

まさに劇中のインコのように、脳みそが小さく何も考えることができない、ただぴーちくぱーちくインターネットで喚き、特異なもの攻撃する。コンテンツをひたすら消費する愚かな大衆に対する、宮崎最後の強烈にシニカル表現である

そして現代日本人代表するように庵野のような表現個人主義的な自己実現による自己救済、新海のような風刺のない純潔大衆作品、そして特に何もない残せていない息子が残った。中盤から終盤にかけて、継母のタッチが明らかにジブリキャラではなく、庵野や新海といった顔の印象を残しているのは、「俺はこう生きた、お前らもあとは好きにやれ」という餞であろう。

こうした自身の溜まりにたまり、ある種の呪いに近しい諦観を、いよいよ吐き出し昇華せんと最後の力を振り絞って、教養が無くてもそれとわかるように単純かつオマージュジブリ作品にし、走馬灯のように仕立てた。大叔父は死期を間近に控えた自分自身であり、13個の積み木と世界スタジオジブリのものである自分自身が、自分自身に対してケジメをつけた作品なのだ

作家経験したことしか書けない」は宮崎駿とて例外ではない。自己を総括するように、母性に対する渇望と周囲の女性達との思い出が上手く母・継母・見守るおばあちゃんたちといった具合に添えられている。

この作品を単なる消費物としてみたとき評価駄作であろう。

だが、この作品は紛れもなく宮崎駿自伝かつ遺書であり、「君たちはどう生きるか」はこれまで一切メッセージが伝わっていなかった人間達に対する、まっすぐな問いかである

追記

残念なことに、この作品を観て本当の意味で「あぁこれはねぇ~」と嬉々としてはしゃいで満足するのは岡田斗司夫ぐらいで、上記のような内容を今にYoutubeレビューをするだろう。

2023-07-14

anond:20230714032849

AKIRA以降アニメインテリ教養なのでアニメ軽視は社会階層が低いことの暴露になるので現実ではやらない方がいいよ

2023-07-12

「くだらない」仕事って本当に全てが「くだらない」ので皆頑張って「ちゃんとした仕事」について欲しい

若いちゃん就活しておくべきだったと強く思う。

全てがくだらない。

サービス内容がくだらない。

そもそも社会に役に立っていると言い張る根拠がくだらない。

職場人間がくだらない。

顧客人間としてくだらない。

雑談の内容がくだらない。

階級社会の作り方がくだらない。

年功序列と老人煽りポジショントーク合戦がくだらない。

保身最優先で仕事を増やしたがる人間ばかりでくだらない。

最終的に砂消しや差し替えで誤魔化し放題なのがくだらない。

身内ルール回覧板一つで増える癖にそれが保存されていないのがくだらない。

技術を身につけられる機会の少なさがくだらない。

マナーばかり大事にするくせに敬語グチャグチャなのがくだらない。

知りたがる癖に責任は取りたがらない上層部がくだらない。

自分が手を抜くことばかり考えてずっと仕事押し付けあってるのがくだらない。

休日出勤当たり前みたいな態度を取っておいてワークライフバランスポスター貼りまくるのがくだらない。

パワハラしかコミュニケーションの取り方を知らないおじおばだらけでくだらない。

若手同士が普段と1オクターブ低い声で悪口言い合ってるのがしょっちゅう聞こえてくだらない。

俺の若い頃はでプレッシャーかけつつ「でもそんなの求めないけど」で逃げようとする指導方針がくだらない。

とにかく何から何までくだらなくて吐き気がしそうだ。

やっぱ駄目だな。

マーチも出てない連中が多数派職場って本当に駄目だ。

「俺は高卒だけど~~」が口癖の学歴コンプみたいのまでいるか吐き気がしてくる。

高専卒でも高卒でもいいけど、その学年の中でちゃんとした学歴になってないと話にならんな。

まれ持った頭の作りというより気持ちの持ちようがアカン。

反「知性」主義というか、昔のドラマみたいな「俺はバカだけどよ。ガリベンと違って心はエリートなんだよ」みたいな感覚で本当に暮らしてる。

その心のエリート様がするのが、教養のなさからくるハラスメントオンリーコミュニケーションなんだからもう聞くのも辛いよ。

本当に駄目だな。

ちゃん就活はするべきだし、そのためにはちゃん勉強をするべきだ。

人間性がくだらない人間に囲まれていると人生が全部くだらないものになってしまう。

休日はくだらない理由で奪われ、くだらない理由飲み会は断りにくく、くだらない忖度をどうこなすかを休みの間まで考える羽目になる。

もうね、人生が全部ゴミになるよ。

皆は間違っても「くだらない」仕事につくなよ。

具体的な例が欲しい?

とりあえず俺調べだと

公務員地方国家わず

・清掃業

ヤクザ

水商売

ライン工大手中小わず

フリーター従業員の大部分がフリーターな中での正社員含む)

ライター

アフィリエイター配信者含む)

乞食配信者含む)

携帯ショップ

辺りかな。

ひとまずこの辺は避けた方がいいぞ。

2023-07-11

anond:20230711130152

あのデブみたいに頭悪いやつが意見をいいまくるの本当よくないと思う。

その番組見てる人みんな日々教養が下がっていくわけで。

私自

最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分直視することから逃げてきた。

幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベル胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しか祖母毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。

私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎人間としてはかなり)知的好奇心教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。

祖母は80歳を過ぎるまで苛烈自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。

物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい名前を挙げられた女の子たちに向かい祖母を止めない母親に向かい自分にも向かった。

はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格容姿趣味人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。

肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。

私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。

土地二束三文で買える田舎町にある実家敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室ひとつ風呂台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。

母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。

母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分不手際が契機となり、怒鳴られ人格否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。

小学校5年から学校いじめの標的になった。担任女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道いじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。

家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校いじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動いちばん盛んな頃に短大に進学して、父親警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。

それから長い年月が過ぎた。

祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。

母は合わない職務鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。

私は中年になった。自分と向き合うことから逃げ続けたままで。

この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。

脳内には14歳の私が世界万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれ規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。

ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。

私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。

それは、世界でただひとり私にしかできないことだからだ。

一流の血筋ってすごいなあ

NHKが出してる「教養としての俳句」を読んでたら俳人高浜虚子親友として「河東碧梧桐」とか言う人が出てきて、河東ってあんま聞かない名字だよな。東大数学科にいる教授がそんな感じだったよな。とか思って調べてみたら、その教授の妻の曽祖父の弟が河東碧梧桐だという。

やっぱ一流の家庭の先祖も一流ですかそうですか。と思ったけど見返してみたら妻の方の先祖か。一流の家庭だから婿入りしたってこと?なんにせよすごいなあ。

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