はてなキーワード: 軍国少年とは
多くの犠牲者を出したアジア・太平洋戦争。追悼の場では「尊い犠牲の上に、平和な日本がある」というフレーズが使われ続けている。戦争を起こした責任が忘れられていないか――。軍国少年だった男性は憂慮している。
朝日の「季節モノ」の角度付きポエム記事を見かけて、思ったことをいくつか。有料記事なので中身は読んじゃない。
「元特攻兵の憂慮」は「平和のための尊い犠牲」という決まり文句の決まり文句性に向けられているようである。
私こと団塊ジュニアの祖父は抑留帰りである。でも時間の経つのは早いもので、いまや兵士として戦争体験したのは、そしてそれを確かに語れるのは稀な長生きの方だけになった。あと一歩でそれは完全なる「歴史」になってしまう。ツルっとした決まり文句しか残らないのか?という危惧はよくわかる。
朝日の意図は「戦争を起こした責任が忘れられていないか――。」のほうにある。日本のした戦争は悪の戦争なのだからろんりてきに言って日本人戦没者は「自業自得」または「単なる巻き添え」であり「尊い犠牲」ではありえないというアホが極太マジックで書いたような単純な理屈がそこにはある。
ちょっと話逸れるが井上和彦氏とかがやる戦争美談、英霊漫談みたいなのは聞くに堪えない。左翼へのカウンターのつもりなんだろうが、普通に考えて誰が国のために死にたいもんかよ。まず気の毒だし申し訳ないし、そんな気持ちよく語れたらもう嘘だろう。ましてや誇らしいだなんて、まともな神経で言えるわけがない。
だれも簡単に言葉にしようのない万感込めた「尊い犠牲の上の平和」なる決まり文句だったはずだ。今後はその意味も変質していかざるを得ないが。どうしたって我々は応仁の乱の犠牲者を思って泣くことができない。
ずっと昔に「きけわだつみのこえ」を巡るゴタゴタのルポを読んだ。その悲しくも美しい詩の力の影響下に、わだつみ会なる遺族会みたいなものができ、しかし純粋な「慰霊」あるいは「顕彰」を意図する派閥と、彼ら戦没学徒兵はあくまで侵略側であり「犬死に」であったという解釈にこだわる派閥のあいだで「わだつみブランド」の争奪戦が起き…
「犬死に」のドグマは今日に至るまで何の進歩もなく朝日に受け継がれているのである。だってドグマだからな。
「尊い犠牲」が戦争責任を曖昧にするとかいうなら主語不明の「あやまちはくりかえしませぬから」はどうすんの?とかそういう議論はいまさらしたくもないが。
前述の通り戦争体験者はもういなくなる。いわば戦争の記憶そのものが鬼籍に入っていく。現実との結び目をほどかれて「犬死にドグマ」や「誇らしい戦争美談」は文面を変えることなく軽やかにツルツルと高級なそうめんをすするがごとくに語られ続けるだろう。
人生の経験を凝縮した、メタフィクション(メタファンタジー)として読む。
異界での経験は、誕生→頼れる大人(親)との出会い→世界の仕組みの理解→友人との出会い→親との別れ→友人との冒険→敵との対峙→異性との出会い→呪い(真の困難)に直面→人生を決める決断 とステップを踏んでいく。
物語全体の構造は、千と千尋の神隠しと一緒。異界へ踏み込み、親(的な人)と別れ、ボーイミーツガールがあり、自分の力で成長し、元の世界に戻る。
異性が自分の2人の母である点が奇妙だが、これも「子どもにとって、恋人との関係性は想像し辛いが、母親との関係は想像しやすい」からだとすると納得はいく。母親との別れは辛いのだ。
なぜ現代を舞台にしなかったのか。千と千尋と近くなることを避けたかったのか。真人の軍国少年ぶりの中に、アシタカのような武人性を込めたかったのかも。しかしこれはキャラクターに共感しにくい弱点にも見える。
この話は難解という感想をよく見るが、その実は全く逆で、宮崎駿が監督作品として一貫して伝えたかった事を、教養のない愚かな大衆の為に限りなく簡潔で単純なストーリーに落とし込んだ結果、宮崎駿自身も「訳が分からなくなった」作品である。
この作品は宮崎駿の自叙伝であることは既によく知られているが、彼の内面やバックグラウンド、そしてこれまでの作品で彼が伝えたかったテーマの一貫性を保っている。
彼はそもそもこれまでの作品にも自分と周囲の環境とを幾度となく投影してきた。ただし、それは一部のマニアにしかわからないものであった。今回は、そのベースに加えて現実の宮崎駿自身の回想を複雑に絡ませて投影されているだけでなく、そのものずばりで作品のオマージュという形で追想しているのだ。
そしてここからが重要な点だが、当然それは単なる追想ではなく彼が監督作品で一貫して伝えたかった「生きるとはどういうことか」というテーマに対して「自分はこうしたがダメだった」のだというメッセージになっている。
戦闘機の風防を量産する軍需工場の経営をしていた父のもとで軍国少年として育ち、裕福ながらも厳しい家庭で母の愛を十分に受けることができなかった宮崎は、敗戦後左翼に傾倒して東映アニメーションで高畑功と出会い、強い影響を受けて監督作品にそれを秘めるメッセージをこめてきた。
これまでの監督作品で散りばめられていたオマージュや背景設定には、子ども向けの作品でありながら大人には「鑑賞者の教養」をもってして強烈な現代資本主義と衆愚政治に対するアンチテーゼが展開されてそれこそが深みとして楽しめるものになっていたのだ。
だがそれは一部のマニアだけが知るものとなり、実際に「大人」である大衆が想定以上に教養がなかったがためにジブリ作品のストーリーやアニメーションとしてのレベルの高さといった表面的なものばかりが「良い」とされ、宮崎駿や高畑功が伝えたかった事は伝わらなかったのである。
それでも宮崎駿は諦めず、本作のアオサギたる鈴木敏夫にそそのかされて愚かな大衆と私腹を肥やす連中のために作品を作り続けた。いつか伝わるだろうと鑑賞者を信じて。
いや、もう飛べないのに何度も何度も鈴木敏夫に首根っこをつかまれて。
そうして作った過去の作品たちだが、まるで伝わらなかった。そして彼は遂に「諦めた」のである。「諦観」にも近いだろう。戦後の日本人が当然に持っていた強く気高い教養は、戦後75年高まるどころか全く失われてしまった。
まさに劇中のインコのように、脳みそが小さく何も考えることができない、ただぴーちくぱーちくインターネットで喚き、特異なものを攻撃する。コンテンツをひたすら消費する愚かな大衆に対する、宮崎最後の強烈にシニカルな表現である。
そして現代日本人を代表するように庵野のような表現と個人主義的な自己実現による自己救済、新海のような風刺のない純潔な大衆作品、そして特に何もない残せていない息子が残った。中盤から終盤にかけて、継母のタッチが明らかにジブリのキャラではなく、庵野や新海といった顔の印象を残しているのは、「俺はこう生きた、お前らもあとは好きにやれ」という餞であろう。
こうした自身の溜まりにたまり、ある種の呪いに近しい諦観を、いよいよ吐き出し昇華せんと最後の力を振り絞って、教養が無くてもそれとわかるように単純かつオマージュもジブリ作品にし、走馬灯のように仕立てた。大叔父は死期を間近に控えた自分自身であり、13個の積み木と世界はスタジオジブリそのものである。自分自身が、自分自身に対してケジメをつけた作品なのだ。
「作家は経験したことしか書けない」は宮崎駿とて例外ではない。自己を総括するように、母性に対する渇望と周囲の女性達との思い出が上手く母・継母・見守るおばあちゃんたちといった具合に添えられている。
だが、この作品は紛れもなく宮崎駿の自伝かつ遺書であり、「君たちはどう生きるか」はこれまで一切メッセージが伝わっていなかった人間達に対する、まっすぐな問いかけである。
追記:
残念なことに、この作品を観て本当の意味で「あぁこれはねぇ~」と嬉々としてはしゃいで満足するのは岡田斗司夫ぐらいで、上記のような内容を今にYoutubeでレビューをするだろう。
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今から71年前の1945年1月25日、彼はフィリピン沖で護衛空母に特別攻撃を実施し、戦死した。
陸軍の飛行場が近くにあったこの地域では、東大に入るのと同じくらい難関のパイロットという道が、
彼もまたそんな軍国少年の一人で、軍人になることを決意し、陸軍少年飛行兵となった。
彼が乗ったのは「戦闘機」ではなくて、「爆撃機」だったそうだ。
99式双発軽爆撃機、通称「99双軽」と呼ばれたその機体は、かの有名な零戦と同じく、
序盤はその軽快な運動性で戦果を挙げていたが、後継が続かずに旧式化していった歴史を持つ。
ただ一度、その99双軽で帰ってきたことがあったそうだ。
彼の乗った99双軽は実家のあった大字上空で旋回、上昇、降下といった曲芸飛行を見せた後、
小学校の校庭に彼のしたためた遺書を投下して、飛行場へと消えた。
弟の方がこの一部始終を見ていて、曲芸飛行の様子を教えてくれたが、その飛行の意味は分かっていないようであった。
飛行機、特に大戦中のレシプロ機はとてもデリケートな乗り物で、華やかなイメージとは裏腹に、
常に危険と隣り合わせの代物であった。
急降下爆撃を念頭に置かれて開発された99双軽も、降下速度を見誤れば引き起こしの際に粉々に吹き飛ぶし、
戦闘機に比べて機体が重い爆撃機は旋回や上昇での失速も激しい。
恐らく何時間にも及ぶ訓練の中で、彼は自分と機体を極限まで追い詰め、その操縦スキルを手に入れたのだろう。
恐らく、故郷上空で見せた急降下で敵の車両や拠点に爆撃を加えたのだろう。
記録は残っていないが、さんざんっぱら旧式化した双発の爆撃機である。
戦果は無かったろう。
享年19歳。
死ぬ前に書き残そうと思った次第。
僕が子どものころ京都の北のはずれ岩倉というところに住んでいた。
今でこそ家が立ち並んでいるが当時は戦争とは無縁な田舎だったが、
それでも大阪が空襲を受けると空が燃えるように赤くなって怖かった。
当時の大人たちは次は京都の番だとささやいて恐れていた。
有る時、親戚を頼って滋賀県の虎姫の方へ移住することになった。
もう終戦間際の話である。
田舎の滋賀県でもさらに田舎のところだから爆撃なんて受けない。
なので上空を敵国の戦闘機が飛ぶと、みんな竹槍をもって、空にむかって
それをみなが一斉に真剣な顔をしてやっている。
田舎とは恐ろしいところだと思っていたが口にはだせなかった。
みながエイッエイッと竹槍を上空に突き刺していたら本当に戦闘機が落ちてきた。
もちろん竹槍が功を奏したのではなく、対空射撃がたまたま当たったのである。
竹槍で刺し殺すためである。
毎日毎日鬼畜米英と教育をされていたので、外国人をほとんどみたことがない
結局そのパイロットは竹槍で突かれ惨殺された。
僕は死体はみなかったが、地上に降りるや否や殺されたらしい。
みな敵を撃ったと喜んでいた。
当時の僕はやったかーと興奮して夜は眠れなかった。
今でもあの時のパイロットは記録に残っているのだろうかと思うことがある。
以前、森毅の本で、軍国少年だった旧制中学時代の友人が戦後に共産党の議員になったという話を読んだことがある。
要はそういうこと。右か左かが本質なのではなく、現実に合わせて世界を解釈するのではなく、あまりにも単純な「模範解答」に世界を無理矢理合わせこもうとする教条主義者か否かというのが本質。
ネトウヨとか電波系反原発とかと要するに似たような人種。意見の合わない人間を「鬼畜米英」とか「軍国主義者」などと悪魔化し、気にくわないことは全て「韓国の捏造」や「原子力ムラの陰謀」で片付ける。
この手の人は結局、自分で気付くしかないんだと思うよ。でないと一生そのままだよ。それまでは、中核派とかオウムとか在特会とかに絡め取られないよう祈るしかないね。
あるテレビ番組で、スーパーの店長だった人が一念発起して、ひきこもりがちな人にデート相手を派遣して外に引き出すボランティアを始めたというドキュメンタリーをやっていました。番組で、ボランティアの人とひきこもりの人が一緒に集まって話していて、話の内容自体はどうってことない雑談なんです。
ただ、その場の雰囲気が、どうも精神的に不健康というか、異常というか、なんとなく薄気味悪いものを感じた。こりゃ健康じゃないぜ、と思ったんですよ。
その元店長さん自身、引き出すことはいいことだと信じきっている様子で、怖い。ひきこもる人には様々な理由があるんだろうけれど、僕は外に出たくない人はひきこもらせてやったっていいじゃないかと思うし、本当におかしくなっちゃったら、それは専門の医者の領分でしょう。素人さんの価値観で引き出すのが正義だと、そんな簡単なことなんだろうか。
僕みたいな物書きは一日中ひきこもってますよ。精神状態はどうかって言われたら、自分でも何となくおかしいような気がする。でも、そのギリギリのところを歩く職業だと思って僕はやっているわけですからね。
役者さんとか女子アナウンサーとか、人目につくところに出る仕事の人がいる一方で、藍染め、友禅染めの熟達した職人さんのように、目立たないところで一日中口もきかずに同じことを繰り返している人もいる。僕に言わせれば、そういう人が職業としては一番まっとうで、すごいと思う。立派な職業人、専門家というのはそういうものです。
人間を外に引き出したほうがいい、社交的なほうがいい、こういう考え方は、メディアの発達とともに力を持ってくるんでしょう。インターネット、携帯電話と、コミュニケーション手段が発達していくのが最近の世の趨勢で、これに逆行することはできないんですが、コミュニケーション自体が自己目的化したらそれはちょっと病気です。
そういえば、これもテレビでやってたんですが、自殺願望の人ばかりインターネットを使って五千人くらい集めたグループがあるそうです。勧進元の若い男の子が出てきて話をしていたんだけど、やっぱりいいことをしてると思ってるわけです。自殺したがっている人どうしが相互に励ましあったりして何とすばらしいのかと、これまた何の疑いもなく信じ込んでいる。
僕はこれを「引き出し」症候群と呼んでるんだけど、ひきこもりの人にデート相手を紹介してまで外に引き出そうと思うこと、自殺願望の人を五千人集めようと思うことの異常さに気づいてほしい。客観的に見て、あんたのほうがちょっと病気じゃないかと言いたくなるんです。
何だかひとりぼっちでいることが軽視される風潮があるんじゃないか。友達がたくさんいないと駄目なような雰囲気があるんじゃないか。
これもテレビで観たんですが、「ランチメイト」症候群っていうのがあるそうですね。学生さんやOLが、弁当を一人で食うのが嫌だっていうんで、前の日の夜から電話で約束するらしい。「明日わたしと一緒にお昼ごはんを食べてよ」なんて具合にね。
僕らの子供時代なんて、親から「食べるときは黙って食べろ」と言われたもんです。
僕は一人で新聞を読んだり雑誌を読んだりしながら弁当を食べるのが普通だと思ってたんだけど、いつの間にか「それは異常だ、友達のいない奴だと思われる」という価値観になってしまっている。誰も自分自身でものを考えることができなくなっちゃったんじゃないか、こりゃあ大変なことだぜ、と思ったんですね。
ただ、よくよく考えてみれば、戦争中はリベラルなことを言うと「けしからん」と村八分にされたし、戦後も市民運動なんて馬鹿なことをずっとやっていますから、日本という国は元来あんまり自分でものを考えない国柄なのかもしれません。環境ホルモンが危険だとか、原子力発電所反対だとか大声でやってるでしょ。連中は数を頼みにして感覚だけを根拠にいろいろ言う。僕は市民運動が嫌いです。彼らは自分で作りだした恐怖感に酔って、気分でものを言っているだけだからです。
選挙のときもそうだけど、みんな民主主義を勘違いして、数が多ければそれが真実だと思いこんでいるから、自分の頭で考えることもせずに、員数集めばかりしている。
他人の目を気にして弁当仲間を集めるOLも、ひきこもりを外に出そうとする人たちも、根っこは一緒なんですね。誰かが「カラスは白い」っていえば、感染症のように「白い」「白い」って言い出す。雰囲気がすべてで、それしかない。開かれているようで、実は思考が閉鎖しているんです。
未来のある人には冷静な自己反省というか、自己相対化というか、内省する時間を持ってほしい。ひきこもるくらいでちょうどいいんです。
何が強いって、最後はひとりが一番強いんですよ。僕はいつもひとりで考え、ひとりでものを書いてきました。まあ、僕も戦争中は軍国少年だったから、お前だって同じじゃないかと言われるとちょっと恥ずかしいんですけどね。