はてなキーワード: 性的嗜好とは
Twitterで、自分がとあるキャラ絵をリツイートして、その絵を褒めて、別のツイートでそのキャラの性的なことをツイートした。ところが、私のツイートを見たその絵の書き手さんが自分の絵に難癖つけられたと思ったらしく、急にブロックされた。別垢でその人のTwitterを覗きにいくとかなりキレられていた。
怒ってらした割にブロックで済ます程度だから、穏便にことを済ませてくれた方だと思う。悪いことをしたなと思う反面、別にこの人に向けて、当該ツイートを発信したつもりはないのになと、一日もやもやしてしまった。
一日中、書き手さんへの罪悪感と自己への弁明に胸中は喧しく、申し訳ないが仕事はうわの空だった。しかし、ふと我に帰った。紙に書いたキャラクターのことでなにをこんなに一日中もやもやせねばならんのだ?と。急に馬鹿馬鹿しくなってしまったのだ。原作者さんが作ったキャラクターを、我々が、勝手に自分たちの性的嗜好に都合よく味付けしていってるだけだろう?書き手さんの愛するキャラクターを汚してしまった事実は認めるし、書き手さんの気持ちを損ねた以上ブロックされて罵られても当然だと思うが、納税している大の大人が一日中あたまを悩まさねばならんことか?
そう思うと急に冷めてしまった。あんなに好きだったキャラクターも神絵師も神字書きへも、関心を失ってしまった。素晴らしい作品をありがとうと言う気持ちはあるが、いまこの気持ちで見返すと、もうお腹いっぱいですという気持ちになったのだ。
私は作り手の方々とも多少交流があったし、皆さん素敵な人だったが、急に冷めてしまった以上、ここを去るのに未練はない。明日、もう一度アカウントを感謝の気持ちで見直し、そっと消そうと思う。
そういう妄想で人間の子供と似ても似つかなくなったモノで発散するようになってから「実害はない!」って言い張るなら分かるけど
どう見ても人間の子供にしか見えない絵や造形物で発散してるのに「リアルには手を出さない!」って言われても信じられないでしょ。
そういう疑い持たれたくないなら公でそういうことしないってのはごく当然の自衛策だと思うんだけど、
どうあっても公の場で自身の性的嗜好を騙りたがる人が多いよなぁ。
多いってのは誤解か、目に付くようになったな。
生まれ持ったものを誰にも言えない事がどれだけ辛いのかマジョリティには想像すらできないでしょうね
はっきり言ってLGBTが羨ましいよ自分を擁護してくれる非当事者がいるんだから
俺は好きになった人に告白すらできないし好きになったことがバレたら即社会的に死ぬ綱渡りを常にやってる。その辛さが普通の人に理解できるとは思えない。
俺はちゃんと自制しているから俺の欲望は誰にも押し付けてないし誰の迷惑にもなってない。それなのにただの恐怖心で袋叩きにするって関東大震災の時の朝鮮人虐殺と何が違うの?
絶対やらないと誓えるけどもし俺が本当に手を出したらその時は死刑にしてもらっても構わないと思ってる。だけど手を出してないどころかその計画すら立ててない状態で攻撃する人は人権を知らない野蛮人だろ。
自分の持つ欲望を表に出しては行けないことを知っているから出さないし死ぬまで出す気はない俺と無実の人間をボコボコに殴る奴どちらが危険かなんて言うまでもないし議論の余地もないと思う。
多くの人が言うみたいに治療して普通の女性を好きになれるなら是非その治療を受けたいけどそんな治療あるの?ロボトミー手術みたいな脳を破壊するようなやり方ならともかく性的嗜好だけを都合良く変えられる方法なんてあるのか?
何も悪いことをしてない人間を生まれ持ったものを根拠に批判する事を差別と言わないのならこの世に差別なんて一つも存在しないだろうね
まず最初に警告しておく。
タイトルにもある通り、私は殺虫愛好家であり、今から始めるのは基本的に殺虫の話だ。
もしあなたに潔癖症の傾向があるか、名前を聞くのも嫌な虫がいるのなら、どうかこの先を読まずに引き返してほしい。
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ここ数日ネットの各所では、大雑把にまとめてしまえば「社会的に認められない性的嗜好をどう扱えばいいか」という話題が飛び交い続けている。
これに対して「社会的に嗜好としての理解はされずとも、行為に対しての感謝はされる」立場、殺虫愛好家の私にも少し思うことがあったので、拙いながらも書き連ねてみようと思う。
先程から繰り返している通り、私は「虫」を「殺す」のが好きだ。
アリンコを踏み潰し、羽をむしったトンボをカマキリに食わせて楽しんでいた子供時代の精神をそのままに、罪を犯さない程度の社会性を身につけて成長した。
まだ性的興奮を覚える域には至っていないが、虫を殺すことで多幸感を得ている自覚は十分にある。
そして運良く、殺虫行為が日々の業務として認められる職種……飲食店で働いている。
はっきり言ってしまうが、飲食店の厨房から虫を根絶するのは無理に等しい。
水道管、換気扇、近隣の家屋、届いた段ボール、侵入経路はいくらでもある。
それに奴等は生命のスパンが短すぎる。いくらでも生まれていくらでも産む。
だからこそ、私のような殺虫愛好家はこの仕事を飽きなく楽しめる。
私の業務は手洗いがてら洗面台にたかるチョウバエを泡で捕らえることから始まり、店を閉めた後で厨房の床に湯を撒いて彼らの子供たちが力なく流れていく様をせせら笑って見送りながら終わる。
それまでの間にも、醤油の匂いを嗅ぎつたショウジョウバエにアルコールを吹き付け溺死させたり、積荷に紛れたチャバネゴキブリを段ボールごと踏み潰したりもする。
定期的な殺虫剤の撒布も、死骸の後始末まで含めて喜んで行っている。特にゴキブリワンプッシュ。あれはあえて隙間から明所へ出てきて死ぬよう設計されていることもあり、私との相性は最高だ。力なく這い出てくる大小様々なゴキブリをモグラ叩きのように仕留め続ける。正直テーブル拭いてるより楽しい。
毎日ではないが、野菜をおいしく食べていた青虫を虫食い共々ゴミ箱に叩き付ける日もある。電灯につられて入店してしまった蛾をそれとなく握り潰す日もある。屋根の下で横たわるセミファイナルに引導を渡す日もある。
……それ以上となると飲食店として必要な業務ではないので、わざわざ外に飛び出して殺したりはしない。それといついかなる場合もその後の手洗い消毒は忘れない。
そうした私の殺虫行為は、少なくともこの飲食店という小さな社会では満場一致で「善行」と見なされている。
店長やオーナーからは、汚れ仕事も進んで引き受ける点を評価してもらえている。
同僚からは、急に湧いた虫を始末すれば、例え社交辞令だろうとも感謝は必ずされる。
客からは、逆にもし虫が料理の中に入ってしまえばクレームを入れられているわけで、それを防げている以上は相対的に良い心象を持たれているはずだ。
と、ここまでは「私自身の頭の中で考えている以上は」美談なのだが。
この場のように、こういった話を人に打ち明けてしまうと、少なからず次のようなことを考える人は出てくるだろう。
「命を弄んでいる奴のどこが良い奴なんだ?」
「虫を殺して楽しんでる奴は、欲求がエスカレートして犬猫や人間まで殺し始めるんじゃないか?」
私だって殺虫行為そのものを、手放しに善行だとは思っていない。
どんな虫にも生きる権利が認められる世の中なら、私は快楽殺虫鬼として裁かれるだろう。ジャイナ教に従えば、来世の私は虫以下の存在になっているだろう。
しかし私は、人の飼っているカブトムシを籠から出して引きちぎるような、殺虫に狂った人間じゃない。
童心に帰り、野山の虫を惨たらしく殺してやりたい気持ちも否定できないが、社会人としてあるからには、社会として許されるまでの殺虫をしているだけだ。
それが「虫」なだけでは殺さない。それが店にとっての「害虫」ならば、実害がなくともその状況に於いて「不快害虫」として認められるならば、殺すだけだ。
仕事として認められ、誰かから感謝される行為だから、私は白昼堂々……とまでしてはいけないが、縁の下で率先して虫を殺し、それで満足している。
そして、これは私に限った話だとは自覚しているが、私は虫以外の動物を己の手で殺したいとは一切考えていない。
端的に言うと血や骨、臓腑の処理をしたくないのだ。オタマジャクシ一匹だろうが死なれたら困る。ホイホイに引っかかるヤモリとか本当にやめてほしい。
私が楽しみながら触れられる脊椎動物の死骸は、血管や臓物と切り離された、おいしい食肉やあたたかい毛皮だけだ。私の職場が調理肉の状態で届く店で良かった。
そんなように、「虫を殺して楽しい」と「飼われた犬猫や人間の殺害」みたいな、一見段階的な関係にも見える嗜好と犯罪行為との間には、社会的な規範や、倫理的な了解や、個人単位の好き嫌いなどいくつもの細かい隔たりが存在しており、それらが人を犯罪行為に走らせぬよう機能しているはずだ。
それでも、私の場合はただ、恵まれていただけだ。私が殺虫の認められる社会に所属して、私が殺虫で喜ばれる仕事を得て、私が殺虫以上の欲求を持たないから、全てが噛み合い今の今まで機能しているだけだ。
これが、物議を醸した先の人物のように、社会として認めらなかったり、正統な仕事として実行できないものだったり、満足せずに発展しうる欲求だったりしたならば、私はとてもじゃないがこんな話を増田にしたためている場合ではない。私が起こしうる犯罪について真剣に考えなくてはいけない。
いや、殺虫に関してもそれが犯罪になりうるものではないか、誰かの権利や尊厳を損なうものではないか、立ち返らなければいけないことに変わりはないが。
自身にそのような嗜好がなく、子を持つ親としては、
身近にそのような人がいて欲しくないというのが正直な気持ちである。
しかし、どうも「ペドフィリアを社会的に隔離すべき」といった意見まででているようで、
これには眉をひそめる自分がいる。
以前から、個人の性的嗜好は何よって決定されるのか、ということに疑問を抱いてきた。
先天的な要素、遺伝子によって決められる要素が全くないと言い切れるのだろうか。
私は、遺伝的要素が全くないとは言い切れないのではないかと感じている。
ペドフィリアがその個人の持つ遺伝子によってもたらされている部分が多少なりともあるとすれば、
「人間を遺伝子で選別すべき」という考えに繋がるのではないだろうか。
別に人形買って自分で処理しているとかそういう分には構わないんじゃないのとか思うんだが、よく考えたら性的興奮を覚える対象に性的にアプローチをかけたら犯罪になるセクシャルマイノリティってたくさんあるじゃない。
ズーフィリア
エキシビショニズム
クレプトフィリア
タナトフィリア
タフェフィリア
ピロフィリア
インファノフィリア
ここにたくさん書かれている。上記がそれぞれ何かは調べたら良いと思う。
↓
https://note.com/urue/n/n41fe95033f33
というように、軽度から重度な犯罪につながっていきそうな性的嗜好が山のようにあるのに、何でペドフィリアだけ事さらに叩くのか、というのがよくわからないんだよね。
子供が犠牲になっても良いのか!という人たちは、ペドフィリアはもはや自分の性的欲求をコントロールすることができなくなっているという風に差別していると思うんだよね。
例えばコントロール不可能になったエロトフォノフィリアはもはや無差別なんだが、そういう人に警戒しようという人は見たことがない。近所にエロトフォノフィリアがいる!追い出せ!とかは聞いたことがない。
確かにペドフィリアはひどく差別されている。なんでか知らないが明らかに的にされている。的にしている人たちが社会正義を背負いやすい構図なのもあるのかもしれない。
Twitterにてトレンドを風靡した「少年ラブドールのすゝめ」的某漫画。
度重なる賛否両論・罵詈雑言及び誹謗中傷があり、とあるnote記事も瞬く間に拡散されていくのは、いかにもTwitter的現象と言って良いだろう。
ぶっちゃけ、なかなかに主観的倫理を試されるお話であり、明確にあの漫画が法的に引っかかっている事はなにもない。
(いや、Twitterの利用規約には引っかかっているかもしれない。これは俺はよく調べていないので、各自で良きTwitterライフを得る為にも確認しておくべきだろう。)
あの漫画の最大の汚点は、公開アカウントで公開した作中のこの文言だろう。
さて、この記事で問いたいのは以下だ。
「少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、この言葉を発した人間を本当に擁護する気なのか?」
彼らからの返答はだいたいこうだろう。
上記の発言意図を知りたい方は「石の上にも三年」、乱筆をご容赦いただきたい。
まあまあ先進的な国においては、きちんとした両者の承諾があれば相手が異性であっても同性であってもセックスに及ぶ事は全く問題はない。
では言葉を置き換えてみよう。
※尚、本記事において「手を出す」は「両者同意の上でセックスに及ぶ」と定義する。
なぜなら、女性に手を出すことも、男性に手を出すことも法律的には無問題だからである。
国語辞典をひかなくとも、一般的には黄色い帽子にランドセルを背負った子供たちをイメージするだろう。
まあまあ先進的な国においては、たとえその「児童」本人の合意があったとしても、セックスに及ぶ事は禁止されており、犯罪行為とされている。
※欧米各国では未成年ポルノ規制が激しく少年少女を象ったラブドールは販売・購入が規制されているが、日本はその限りではないので犯罪行為としない。
下記の文章は、「人生においてなんら犯罪行為を犯していなかった人達」が発言したと思ってほしい。
「実際に人を撃ち殺す前に、ぜひFPSを」
「実際に銃を購入する前に、ぜひエアガンを」
FPSをプレイして楽しむのも、犬猫のぬいぐるみを切り刻むのも、合法エアガンを手にするのもするのも、なにも違法行為ではない。
問題なのは「まるで犯罪行為の入り口・捌け口としてそれらの合法行為に勧誘していること」なのだ。
先に言ったようにこれは犯罪を一度も犯したことがない一般人の言葉だとするなら、彼らは
・銃で人を撃ち殺したこともない
・本物の銃を購入したり所持したりしたこともない
そしてあのアカウントは
さて、本題に戻ろう。
「少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、この言葉を発した人間を本当に擁護する気なのか?」
「本当に銃で撃ち殺すわけないだろう」
「本当に銃を持つわけないだろう」
その言葉は内輪以外には通じない。
まるで犯罪行為の入り口・捌け口のように少年ラブドールの体験談を語った表現者は、果たして擁護されるべきか?
「Twitterはレギュレーションがあり、児童は見ていないのだから無問題である」
これは児童への問題だけではなく、児童を持つ保護者達、そして児童を守らなければならない我々成人を迎えた人間にも問題となりうるのである。
かのアカウントは非常に直接的に言葉で児童の恐怖をあおり、子供を守る立場にある成人に不安を生み出したのだ。
ただ単に「児童とのセックスフィクション漫画を書いた」のではない。
実に直接的に、かのアカウントは
「まるで少年ラブドールを犯罪行為の入り口・捌け口のようにして体験談漫画を書いた」
のである。
たった一文、されど一文が、あの体験談の意義をあらゆる方面へ確かに変えてしまった。
「ホモ、を侮蔑言葉として使ったわけではないし、当事者達に言っているわけでもない。(だからこれからも使い続けるつもりである)」
だが、男性同性愛者当事者は往々にしてホモを侮蔑として受け取るし、傷つく人まだまだ存在するのだ。
なぜその言葉を使い続ける?
この世界には他にも男性同性愛者を指し示す言葉があるのに、当事者でも嫌がる人が存在するのに、なぜその言葉をあえて使い続ける?
「なぜあらゆる人を傷つけかねないその一文をあえて使った?他に誘う言葉はごまんとああるのに」
繊細なジャンルを扱ういかなる表現者も、実在する当事者・該当者たちに相応の敬意を払わなければならない。
我々表現者はその義務を決して放棄してはならず、傷つける言葉をあえて使用するのなら、相応の意味を持って発さなければならないのだ(例えば差別の現状を知らしめたり、時代考証等でリアリティを彫り込んだりする為に)。
とても厳しい言葉ではあるが、こんな些細な事にさえ想像力を働かせられない表現者に、マイナーな性的嗜好を扱う資格はないと、同じヲタクとして俺は考えている。
最後にもう一度。
要は男が女体に興奮するのが悪いので、幼少期からうまいこと誘導して全員無機物にしか興奮しないみたいな状況にすればいい
心理学者とかを動員して、子供が好むコンテンツに性的嗜好を歪めるような要素を盛り込んでいくわけですよ
ウルトラマン見てリョナとかマミフィケーションなんかに目覚めたって人は相当数いるからな それをもっとガチな感じで、狙いをもってやっていくわけ
「白い部屋で宙に浮いて回転する球体に泥がかけられる」みたいな映像でしか抜けないやつをマジョリティにするんだ そうすると女はエロい目で見られなくてハッピー、男は好きなだけ性的欲求を発露させても怒られなくてハッピー
これしかないよ
だと個人的には思っている。
もし、特定の児童を恋愛対象の異性または同性として意識し、いずれかのタイミング(それが世間的に適切か不適切かはこの際さて置く)で関係を持ち、そして一生添い遂げるような超レアケースがあったとして、それは「性的指向」に基づく愛とそれほど変わることはない。
しかし小児性愛というのは、むしろ「ランドセルを背負った華奢な身体」とかそういうのに欲情してしまう「性質」のことではないか。相手の人格や知性を愛するのではなく、相手の身体的特徴に性衝動を昂らせてしまう、ということ。対象がハイヒールかランドセルか、それとも豊満な胸か第二次性徴前の身体か、ってことだ。
豊満な胸も、第二次性徴前の身体も「無生物」ではない。しかしフェティシズムの消費対象になってしまう。つまり交換可能なのだ。消費され、交換される方はたまったものではない。大人から身を守ることが難しい子供であるならなおさらだ(しかも「子供」は成長し、小児性愛嗜好の「対象外」になる)。
※以下の肝心な部分を書き忘れたので追記〜
「【児童型ラブドール】が、【実際の児童】の似姿をしている」ことへの嫌悪感には、「児童型ラブドールの愛好者は、【実際の児童】を、【児童型ラブドール】のような【消費代替可能なモノ】として扱うことができる存在なのではないか?」という不信感が含まれているのではないだろうか。
〜追記終わり
(考えてみると、髪型や体つきやキャラクター類型で差異をつけただけの同じような顔立ちの中から「嫁」をとっかえひっかえしてるオタクにも親和性の高い概念かもしれない)
ところで、
https://anond.hatelabo.jp/20200901141152
「加害欲求が助長された人」が存在するのを認めるということになるのでしょうか。
そうなると、欲求を抑えられた人が99人で、助長された人が1人だとしても、児童型ラブドールは社会の脅威ということになるね(性犯罪の加害者は、たった一人で多数複数の被害者を傷つけるからね)。
じゃあ、残りの99人の自制できる人にはカウンセリングや薬物療法で対処してもらうことにして、児童型ラブドールを規制したほうがよさそう。そのものがなければ、欲望が助長されることもない。寝た子は起こさない。
って話になると思った。
え? 規制されたら百人が百人とも児童を襲うことになる? まじ? じゃあやっぱりこの人ら社会的脅威じゃん。存在するだけで児童に対して危害を加える可能性があるなら、そういうのに関心を示した時点で予防拘禁とかしたほうがいいのかも……え、差別だって? 将来の子供の被害を心配することが差別? 何言ってるの? じゃあ人を殺したくてたまらないってような奴も差別だから放っておかなきゃいけないの? 怖いじゃん。それでいいの? だめだろ?
「痴漢がいるから電車を廃止しよう」という話にはまずならなくても、「傷つく児童が出てくる可能性がわずかでもあるのなら、児童型ラブドールなんて規制しよう」ということには、容易になりうる。電車の恩恵に浴していない人はいないけど、児童型ラブドールは大多数の関心事ではない。
「普通の人」は、自動車が小学生を何十人と轢き殺している事実より、児童型ラブドール愛好者に小学生が一人傷つけられること(ただの可能性であっても)のほうを恐れる。自動車の暴力性はわかりやすいけど、児童型ラブドール愛好者はまったく理解不明の存在だから。
(成人同士での性的関係も持てる「普通の人」の中には、小中学生に性的な視線を向けたり、あるいは実際に手を出すような人もいるだろうし、一方、実際の児童に決して手を出さない児童型ラブドール愛好者もいるだろうから、そこにはねじれも生じるが、そのあたりのこともさて置く)
自分とは異質の存在が、口を極めて児童型ラブドールという、なんの意味があるのかわからないモノへの執着を叫ぶ。
大多数の良識ある(と自分では思っている)善良な人々からすれば、なんと恐ろしい光景であろうか。
酒に溺れない人間が、酒がなくて暴れるアルコール依存症患者を見て「なんであんなになるかねえ」と思うどころの違和感ではなかろう。
少数派だけが、他者からの視線に無頓着でいることをことさら非難されるというのは、まあそのとおり。
そのとおりなんだけど、じゃあその「不公正」を一体どうすべきかってのは全然わかんないんだなあ。
傍から見ると、どうも声の大きい無能な働き者が、非難される愛好者の立場をどんどん悪くしてるように見える。本件に関しては他の被差別マイノリティと同じやりかたで突破できる問題とは思えないのだが。
虐待をおこなっていないなんて当たり前の前提で、
そのうえで特定の指向(小児性愛)を持っているというだけで「特別の配慮をしろと命じられること」が差別
私にはその前提が抜けてた。申し訳ない。小児性愛があろうがなかろうが、子どもに対しての配慮をするのは当たり前だよね。そんな当たり前のことに個人の性的嗜好は関係ないわ。
達成うんぬんの話は、元のnoteの記事が言っていたことです。小児性愛の達成は犯罪である、だからそういう嗜好を持つものは他の人より配慮すべきだとの意見です。
でもラブドールの記事の人だって法犯してないのにそんなこと言われる筋合いないわな。
いろいろありがとうございました。
ショタ用ラブドールの話が燃えているので自分を思ったことを適当に吐き出そうと思う。
まだ本格的に燃える前にリツイートされてきたのであのレポ漫画にはしっかりと目を通している。
感想としては、「配慮の行き届きにくい性的嗜好にもちゃんと捌け口があるんだな」というのと、「なんか主語デカくね?」だった。
前者は書いてる通りだ。もともと規制反対派なので、まだ日本は寛容でよかったな、この先も自由が守られるといいな、って感じ。
元ツイはもう見れないので適当な書き方になってしまうが、確か『ロリ/ショタコンは実在の児童に手を出す前にラブドールを!』みたいなことが書いてあったような気がする。
この書き方が妙に気に障った。なんか、「世のロリコンは全員現実の児童に手を出したいと思っている」という風に受け取ってしまったからだ。
私はロリコンではないので彼らに完璧な理解を示すことはできないが、全員が全員そうではないだろ、と思った。非実在あるいは非現実だから安心して手を出してるだけで、現実でどうこうする気はそもそもない人だっているだろ、と。AVのレイプ物好きとガチのレイパーは違うだろ。
そこを区別せずに書いたから、側から見るとショタコン=現実で小児を犯したい欲求を持っている人みたいに見えてしまったんだと思う。
せめて、もっと真面目に書いてくれてたらな。このように犯罪防止に役立っていますみたいな書き方だったらまた見方も違ったのに。まあレポ漫画だから軽いノリで書いてしまうだろうし、ここまで大きな話題になると予測してたわけじゃないからそこは責められないだろうけど。
件のツイートが炎上した後にあげられたnoteも話題になっている。そちらの方も目を通した。
そこでは、未成年を性的に見ているからこそなお一層の未成年に対する人権を尊重するべきだ。みたいなことが書かれており、この意見に対しても、小児性愛に対する人権差別だという意見がわいている。
はっきりいって、小児性愛の達成は罪だと思う。そして、この意見が小児性愛者の人権侵害と言われる理由が分からない。
そもそも、性交というのは両者の合意がなければ致していいものではないだろう。異性だろうが同性だろうがお互いがこの人とならSEXしてもよいと思わなければしてはいけないものだと思う。だから性の知識が不十分な小児に合意がとれるわけがない。
同性間の性交が罪に問われず小児との性交が罪に問われるのは小児性愛差別ではなくて、性交についての知識を有していない者、性交することへの合意が得られない者との性交は認められないだけだ。
性的嗜好うんぬんの前にやりたがらない相手や、やることの意味を分かってない相手にやろうとすんなってだけの話だ。
最後に重ねて言っておくが、やりたいという気持ちの否定ではない。実際に手を出すな。それだけ。
長々と書いてきたけど、私の意見にもいくつか穴はあると思う。性的嗜好なんて個人によって違う曖昧なものに正解はないだろうし。でも規制反対派として、法を犯していない者に対しては寛容になってほしいなと願う。
私はざっくり言ってリョナラーである。いや厳密に言えばリョナラーには分類されないかもしれないけど、「殺人行為」と「死という概念」と「死体」に萌えを感じてしまう人間を分かりやすく表す言葉がないのでとりあえずリョナラーと名乗る。
一応言っておくけど、これから話すのは私個人の意見であってリョナラーの総意ではない。リョナラーてめちゃめちゃ色々いるし……
私の性的嗜好は実行すれば即犯罪である。私はこの性的嗜好が正されるべきとか病気であるとかは特に思ってないし、治すべきものとかも全く思ってないけど、それはそれとして実行すれば即犯罪だ。「現実で思いを遂げたら即犯罪である以上、ある程度犯罪と肉迫していると言わざるを得ない性的嗜好」という自覚がある。私がどんなに純愛を叫んだとしても、ハッピーエンドだったとしても、犯罪だ。
私の性的嗜好は、犯罪を誘発する可能性がある。殺人行為を肯定してしまっている以上、その可能性は否定できない。そして私は、私が犯罪者予備軍だという自覚がある。そのうえで、絶対に犯罪行為はしないと誓う。
大事なのは、犯罪者になるなんて有り得ないと否定して回ることではなく、自分がいつでも犯罪を犯す可能性があると自覚したうえで、それをしないと誓うことじゃないだろうか。自分が加害者になることを有り得ないと思っている人間は、とても怖いと思う。
それと同時に、私は犯罪を犯していないし、私の性的嗜好は治療されるべきものではないということも主張したい。別に理解されたいとも受け入れたいとも思わないが、そういう表現が規制されるべきという意見には従いたくない。わかる、そんなものが世の中から無くなってほしいという意見もわかる。気持ち悪いとか怖いとかいうのも自然な反応だと思う。ただ、それらの表現は過去の私にとって救いだったので、規制されて欲しくない。わがままでしかないが、それでも無くなるのは嫌なのだ。
私のことを「絶対に犯罪を犯すだろうから今のうちに死刑にしておくべき」とかいう人間がいたのなら、そっちの方が余程大変だと思う。自分に正義があると信じている人間は怖い。正義を持って人に裁きを下すという行為はとても気持ちいいからだ。別にその趣味を持つことを否定するとこはできないけれど、どうか見たい人しか見れないところでやっていただきたい。
性的嗜好の話に戻るけど、規制されないためには、やはりレーティングが必要だと思う。それを見たい人しか見れないようなところに置いておく工夫が必要だと思う。「実行すれば即犯罪」な性的嗜好である以上、ある程度「行儀良く」しておく必要は間違えなくあると思う。
私の思う社会的責任は、自分が加害者になる可能性を念頭に置いたうえで、犯罪は犯さないと誓うことだ。自分が加害者になるなんて有り得ないと思ってる人間は、怖い。自分の性的嗜好が実行すれば即犯罪だと自覚したうえで、それを好きなまま、悪い可能性にも目を背けずに創作を行なっていく、それが私にできる社会的責任かな、と思う。いや社会的責任って言葉なんなのかよくわかんないけど。
最近は色々なところで色々なものが燃えているがとうとう自村も燃やされた。
・これまでのあらすじ
発端はとある絵師が男児型ラブドールを購入し、そのレポ漫画をpixivにアップしたことらしい。
私はその漫画を読んでいないし、リアルタイムで事態を追っていたわけではないので、漫画の内容や作者本人の発言等についての言及はしないが、ようはリアルなショタコンの実態が描かれた漫画が非ショタコンの目に触れてヤバイキモい性犯罪者やんけ!!!と批判されてしまったというのが大筋のようだ。
まず本題に入る前に、ペドフィリアという性癖がペドフィリア以外の人にとっては気持ち悪く、危険なもののように感じられるということについて、私は反論するつもりはない。
小児性愛は倫理的に大きな問題を抱えた性的嗜好(指向)であり、性的マイノリティのLGBTQと比べても、受け入れられ難い。
また、児童への性的行為は明確に犯罪であり、その被害者が実在する以上、けして公にできない趣味である。
当事者は自分の性癖に関して慎重に振る舞う責任があると思うし、理解のない人たちがペドフィリアに対して身構えてしまうのも仕方のないことだ。
そのうえで、今回の漫画の内容、公開手段には問題がなかったと主張したい。
ここでは、争点の一つとなったであろう「インターネットの公共性」について考えてみようと思う。
これ、本当か?
・「公共性」とは
「公共性」、最近一部界隈でよく見かけるようになった言葉だ。インターネット激アツエクストリームスポーツであるところのツイフェミvsアンチフェミ闘争では毎秒この言葉が使用され、醜い表現物を公共の場に持ってくる持ってこないの論争が日々行われている。
これまでツイフェミ陣が燃やしてきたものは、主に自治体や献血等のコラボポスターだったりテレビCMだったりした。
フェミ陣営の批判の根拠は多岐に渡るが、その中の一つが「公共の場に相応しくない表現である」というものだ。
ポスター、広告、政府のHP、そのどれもが(一応は)不特定多数に向けて無差別に公開されているものであり、しかるべき場所に行けばいやでも目に入ってくるため、それが苦手な人たちにとってハラスメントになりうるというのがだいたいの主旨である。
この話題に深く突っ込むことはしないが、これらの炎上と今回の炎上が決定的に異なる点があるとするなら「公共性」、この点だと思う。
過去、インターネットとは便所の落書きであった。汚い言葉の廃棄場であり、そこには現実とは異なる独自のルールが存在した。
インターネットにおいては、基本的に「嫌なら見ない」がマナーだった。そもそも歩いていれば目に入ってくるような看板広告などとは違い、インターネット上のコンテンツは基本的に検索しなければ出てこない。
「全世界どこからでもアクセスできるから」「誰でも見られるから」
だから発信するな、やるにしてももっと隠れてやれ、そんな意見をたくさん見た。
でも、本当にこれが規制の根拠になり得るのだろうか。誰でも見ることができる、ということは、誰の前にも無差別に出てくる可能性がある、ということではない。
インターネットの仕組みは見たい人が見れるというものであって、見たくない人に無理やり見せつけるようなものではない。
今回の漫画に関して言えば、これはpixivにアップされたようだ(もちろんR18タグや注意書きありで)。あとTwitterで告知もしたかもしれない。
この時点で、件の漫画が目に入るのは「pixivで作者をフォローしている人」「似たような絵をいいねしていてオススメ欄に表示された人」「Twitterのフォロワー」そして「RTでそれを目にした人」たったそれだけだ。作者には3万人フォロワーがいたらしいが、絵師のフォロワーは大多数が作品のファンであると考えられるので、数の多さは重要ではない。
この中のうち、一つの集団を除いては、誰もあの漫画を問題とは思わないだろう。好きで見ているのだから。
この点から、問題の本質はインターネット上で公開したことではない、ということがわかってくる。好きで見るなら問題はない。
彼らはどうだろう。もちろんショタラブドールレポ漫画を堂々とRTするような人をフォローしている人は、似たような変態だろうと考えるのが自然ではある。
でも万が一、そうでない人がいたら。見たくもない特殊性癖のディープな漫画を見つけてしまい、さぞ不愉快な気持ちになってしまうことだろう。
つまり、問題の核心は「公開をある程度限定しているにもかかわらず、見たくない人の前にその情報が流れた」というところにある。
なぜショタコンでもない人にショタラブドールレポ漫画がシェアされてしまったのか?
これはTwitterの仕様であるリツイート機能が原因だと思う。
自分のフォロワーに向けて特定のツイートやウェブ情報を公開できる機能は、手軽に情報を共有できるという利点はあるが、相手に見たくないものを見せてしまう危険性を常にはらんでいる。
リツイートはたんに便利なだけの緑色のボタンではない。ある意味では、二次的な情報発信手段なのだ。だからリツイートする人は、その情報がフォロワーにどんな影響を及ぼすかを配慮する必要があると私は思う。
RT先で誰かが嫌な思いをした場合、そのツイート主本人よりも、むしろリツイートした人間にこそ責任が問われるべきなのではないだろうか。
そう、まさにこのリツイートという行為こそ、炎上を引き起こす諸悪の根源に他ならない。
想像してほしい。
インターネット教室の隅で、オタクがキモい絵を描いている。それ自体めちゃくちゃキモいし、周囲から白い目で見られてしまうのはもう仕方がないことだが、その中に猛然と突っ込んできて絵を引っ掴んで
「おい!!!!!!オタクがこんなキモい絵描いてる!!!!!!!」
と触れ回る奴がいたら、どうだろう。
オタクは自分たちのキモい絵をパンピに見られたくはないし、みんなもそんなもの見たくない。なのに、わざわざそれをオタク→一般人に拡散するやつ……
なんでそんなことするんですか。
放っといてくれればいいじゃないですか。
不快なものを見たとき、「ウワ!マジでキモい!!」と言いたくなる気持ちはわかる。だが幸にして、インターネットは情報を選択することができる。見たくないものはミュートできるし、気に入らないユーザーはブロックできる。
もしオタクのキモい絵をみて反射的にRTしてしまったら、フォロワー全体にそのキモい絵が拡散されてしまう。キモい絵をみた人たちは嫌な気分になり、その中からさらに絵を拡散する人が出てくる。
だが、最初にキモい絵を見たとき、「これキモいんだけど〜!」と言いたい気持ちをグッと抑えてRTの代わりにブロックボタンを押すことができたら。キモい絵はオタクたちの間でひっそり閲覧されるし、フォロワーはそんな絵のことなど知らずに可愛いねこの画像とかにいいねをする。
それは被害者の方であれ、まだ幼い子ども(といってもインターネットは使える程度の)であれ。嫌だなと思うものは見なくていいし、公開する側もそういう選択ができるように、キャプションやbioで注意書きをしている。
見たくないし、見られたくない。ペドフィリアと一般人の間の距離感はそんなふうに保たれてきたし、これからもそうあるべきだと思う。
結論。燃えるべき問題など最初からどこにもない。ショタコンの漫画はショタコンしか見ない。内容が多少、かなり、めちゃくちゃ過激だったとしても、見ない人には「関係ない」。
それなのに、
性犯罪の被害者や、子持ちの親御さんや、多感な時期の子供を不安にさせる、
そんな人たちこそ、1番の加害者なのではありませんか。
今、現在、性犯罪の被害者や子供たちを直接傷つけているのは、気持ち悪いペドフィリアたちではなく、あなたかもしれないのです。
・おわりに
これを書く前、あるツイートをみた。
「自分はショタコンだったが、子供が生まれて考えが変わった。ペドはいるだけで不安だから、規制してほしい」
なんだよそれ。子供産まれたら気が変わったからもうショタコンは消えてくれって?
ふざけやがってクソが。テメーみたいなのが一番迷惑なんだよ。そんな程度の気持ちでショタコンやってんじゃねー
以上です。
良く同性愛は性的志向だからあり、ロリコンは性的嗜好だからなしって言われるけど
適当にスマホポチポチして承認欲求だけ満たしてオナニーじゃないんだから
煽り抜きのガチで聞きたいんだけど、そういう矛盾を自分の中でどう処理してるのか聞きたい
教えてクレメンス
まず「性的嗜好」がある。
性的嗜好については「自制できる人」と「自制できない人」がいる。
また、性的嗜好が自制できなくとも、
この「自制できない」が「社会的に問題がない」という性的嗜好の別名が「性的指向」なわけだ。
それは当然ながら「病気」と見なされる。
もちろん「社会的問題があるかどうか」にはそれぞれの見方がある。
だから「社会的に問題はないよ」と訴えて安全を勝ち取ったわけだ。
これだけの話なんだよ。
https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/neda17138f9f7
ロリコン・ショタコンを叩く連中が持つ差別心とその自覚の無さにほとほと呆れている。
上記noteでは「性的指向」と「性的嗜好」を分け、「性的嗜好」に過ぎない「小児性愛」の持つ加害性を自覚して自重しろと迫ってくる。
小児性愛は「性的嗜好」である。性的行動の対象にその人固有の特徴がある、という意味で、簡単に言えば「好みやこだわり」に分類される。ジェンダー間での、性的魅力を感じるパターンや性的なアイデンティティを指す「性的指向」とは全く異なる。
確かに「小児性愛」はアメリカ精神医学会やWHOによる定義で「性的嗜好」に分類され、精神障害とされている。
しかし「同性愛」もアメリカ精神医学会には1974年まで、WHOに至っては1993年まで「性的嗜好」であり精神障害だとされてきた。
現在「小児性愛」を「性的嗜好」で病気だと叩く人間は30~50年前だったら「同性愛」を「性的嗜好」であり病気だと叩く人間であろう。戦中であれば戦争反対を唱える者には非国民と罵声を浴びせたことだろうし、1950年代には漫画を悪書として校庭で焼いたであろう。
「同性愛」や「漫画」が今現在差別されなくなってきたのはこの50年の間に人類が賢くなって差別しなくなってきたからだろうか?
否である。「同性愛」や「漫画」が「逸脱ではない」という空気が醸成されたからにすぎず、社会的に逸脱しているとされる対象に対しては差別を続けている。差別はなくなったのではなく、矛先が変わっただけである。
上記note筆者は「小児性愛」の対象は社会的弱者である子どもなのだから実際に行えば直ちに犯罪だ、とも言っている。
当たり前だ。
ここに関しては掘り下げるときりがないのでサックリといくけども、精神が未発達の児童と成人が恋愛関係を達成する、ましてや性的な接触を行うことは、明確に児童の人権侵害に当たる。なので法で禁じられている。ここですでに「?」な人は、ちょっとどうしようもないので自分で色々調べてくれ。
人に云々言う前にお前が調べろという感じだが、日本の刑法で規定されている性的同意年齢は男女ともに13歳以上だ。児童福祉法とも関連があるから全てが合法というわけではないが(というか現実的に発生する18歳未満との性交の多くは違法だろうが)、相手が成人年齢を下回っている場合ただちに犯罪に当たるわけではない。その実態が問われる。
騒動の発端となったショタドール所持者がどうかはさておき、上記のような言い切りは「真摯な恋愛」をしている人に対する「無理解さ」の露呈であり、直球の「差別」である。
そして極めつけはこれである。
小児性愛という嗜好を社会へ受け入れてほしいならば、当事者たちが「そんじょそこらの大人より児童の人権に配慮する」姿勢が必要ではないか。
黒人青年が母から言われた「16のやってはいけないこと」が、黒人にとって警察がどれほど脅威かを教えてくれる
https://www.huffingtonpost.jp/entry/unwritten-rules-black-man-follow_jp_5edb3ee5c5b6a80a46d465f7
差別のない社会とは、同性愛者や黒人のようなマイノリティとされる立場の人がそれ以外の人と同じような行動を、なんら躊躇なくなんら留保なくなんら呵責なく行える社会である。同性愛者だから、黒人だから、とそれ以外の人より注意しなければならない社会は公平ではない。
こういうことを言うと、同性愛者や黒人と小児性愛者を並べるなと激怒する人間がいる。
しかし未成年との性交がただちに犯罪となわるけではなく、実際の様態に拠る以上、小児性愛者=犯罪者予備軍であるかのような言動は慎むべきであろう。
そしてかつては元服が11~16歳前後で行われていたように、成人とみなされる年齢も社会的相対性を伴うものであって、今後社会や科学の発展によって子どもの社会的成熟が早まらないとも限らない。50年前は同性愛が病気とされていたように、社会の常識や観念は変動しうる物と理解した上で、当たり前とされることから「逸脱」する者も包摂することが差別のない社会であり、今我々が真に求めるべきものではないか。
小児性愛者は病気であり、小児性愛者以外の人間より慎重に生きろ、そうでなければ社会は認めてくれないぞ、と脅してくる人間は1974年より以前の世界では同性愛がどういう扱いだったのか調べた上で己の差別心とその無自覚さに向き合ってほしい。
いやそんな事言いだしたら一番強姦やってるのはノーマル性愛者なんだからノーマル性愛者は全員危険で犯罪予備軍だろ
https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/neda17138f9f7
これ読んだけど、書いたやつもブコメも頭湧いてんのか?
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前々から思ってたけど、性的指向と性的嗜好を分けるやつは全員頭おかしい。
自分が受け入れられるものを性的指向と呼び、そうでないものを性的嗜好と呼んでいるだけ。
そもそもなぜ小児性愛が嗜好で同性愛は指向なのかが、この記事にはなんの説明もない。
っていうのがよくある主張だけど、なんでジェンダーというカテゴリ分けだけ特別視してんの?
異性と同性どちらを愛するかということと、大人と子供どちらを愛するかということは、カテゴリの分け方が違うだけで同じ事象だろ。
「実在の児童に手を出す前に、ぜひラブドールを」って文言が炎上の原因になってるみたいだが、この文言こそツイート主の小児性愛が「性的指向」であることの証左だろ。
「このままだと実在の児童に手を出しちゃう」っていう自分ではコントロールできない切迫した思いがあって、ラブドールで救われたから漫画書いたんじゃねぇの?
あと、そもそもこいつの主張は「犯罪だからダメ」としか言ってない。今の日本の法律が完全に正しいと思っているアホ。
「法律における犯罪=人間として正しくないこと」だと思っているやつは思考停止のアホだから自分が正しいと思ってこういうこと書けるんだろうな。
同性愛者が現実で同性と結ばれても、当たり前だが全然問題はない(法律違反になる国も実在するのですが……それはまた別の話として)
いや、矛盾するから「別の話」にしたんだろ?いいかげんにしろ。
同性愛が法的にも倫理的にも認められていない国で、同性のラブドールに救われているやつにも同じこと言うのか?
それは遅れた国の法と倫理観だから!とか言うんだろうなこういうやつは。アホだから。
言っておくが、世界に「絶対的に正しい」なんてことは存在しないからな?
この世界のどんな時空においても、その場その瞬間そいつが思っている「正しさ」があるだけだ。
だから「自分にとって気に食わない!だから見えないところでやれ!」って主張はどうぞご自由に。
だけど誰にも誰かを「間違っている」と責めることはできない。
もちろん司法が法律で裁くことは出来るが、それがイコール「間違っている」わけではない。
もう一点、
ラブドールで発散することで、実在児童への性的加害欲求が抑えられる人もいれば、ラブドール使用によって実在児童への性的加害欲求が助長されてしまう人もいる。異論はあるか?ないだろ?
はい、異論ありません。なので、批判するためには「抑えられた人」が「助長された人」よりも少なく、ラブドールの発散によって加害が増えたという証明が必要ですね。
まぁ、ツイッターの規約違反なのはそうなので、仮にツイッターからアカウント凍結されたならそれはしゃーない。
ただそれも別にこいつがどうのこうの言える話じゃないけどな。
規約違反だからといって倫理的に間違ってるってことも無い。ただそのサービスを使う権利が無いってだけ。
Twitterで話題のラブドールや小児性愛について自分が一番強く感じた事は、今の人類じゃ到底LGBTへの理解も配慮も出来ないだろうという、個人のざっくりとした落胆だった。
小児性愛は性的指向ではなく性的嗜好であり、そも犯罪であるという論調は噛み砕いて嚥下する事で辛うじて理解できるが、同性愛が法的に禁じられている国がある以上、法によっては個々人の性的指向すら理解される事なく断罪される事実があるのであれば、リビドーの向く方向が偶然にも法に触れない(法に触れない国に生まれた)だけに過ぎない。
小児性愛を法的に禁じない国があるならば、その国では小児性愛は性的指向の一つとしてLGBTの羅列の末席に存在しただろう。
「未発達で社会的責任を負うことの出来ない個人と大人の恋愛」と、「成熟した個人同士の恋愛」ではその意味するところが違うという論調は、現在の法の多くがそう定めているだけであり、人類史におけるスタンダードでは無いだろう。
自分もそうだが君達も理解すべきだ、俺達は偶然、たまたま、運良く、リビドーの向く方向が法的に許されている方向であるだけで、その法を定めたのはたまたま自分が所属していた多数派だったに過ぎない。
男が女を好きだなんて、女が男を好きだなんて、同年齢の異性、同性が好きだなんて、それって変だよ、犯罪だよ。と言われる世界にならなかったのは多数派が少数派を過激に差別してきたからであり、それこそがLGBTの歴史に他ならない。
Twitterで色々な意見を読んでいて、多くの点がこんがらがってないか?と思ったので書きまとめる
読みやすいように書いてないから読みにくいとか知らん 私が一番読みにくいわ
世界的には「パラフィリア 性嗜好障害」と断定されている。ただ、「忘れ物が多い人が全員ADHDである」ということではないのと同じように、小児への好意や性的な欲求、加害性などの諸々を鑑みて治療が必要か否かを判断するのではないだろうか。
「人を殺しまくるゲームが好きな人は全員現実でも人を殺したいと思っているのか」と同じ問いだと思う。
全員がそうでは無いし、そうである人もいる。単純にイコールでは結び付けられない事柄。
小児性愛は言ってしまえば特殊性癖でしかなく、社会に認められはしないものである。
それは、未成年に手を出すことは法律上犯罪とみなされているから。
ただ、個人の趣味嗜好を制限する権利は誰にもないため、小児性愛を抱えること自体は悪では無い、と私は思う。
もちろん、子を持つ親は小児性愛者が犯罪者予備軍のように見えると思う。我が子の身に降りかかりかねないことだからね。
だからこそ、あのレポ漫画はひっそりと仲間内で喋る程度に収めておくべきだったと思うし、「ラブドールいいぞ!!犯罪する前に買え!」という文章はまずかった。
あれだけを読んだ人は「この人はラブドールが無ければ罪を犯す人である」と思ってしまう。どれだけ作者が「現実に手を出しません」と言ったところで信憑性は薄くなってしまう。
ゲームで人殺してるんだ!現実で人を殺さないために!って言われたところで安心する?無理でしょ こいつヤベー奴だと思うでしょ
結局「小児性愛は社会からそう捉えられている」というのを認識できなかった点で落ち度があると思う。
仲間内でひっそり楽しむべきものなのか、公に喋っても大丈夫なものなのかを考えるべきだったのでは。
そもそも性的マイノリティというのは、マジョリティから外れたマイノリティの話で、それが性的嗜好、性自認などのタイトルが付いていること。(だと思っている)
なので広義的に捉えれば、社会的なマジョリティからは外れているという意味で小児性愛も性的マイノリティとすることは出来ると思う。
ただ結局、「未成年に手を出すことは犯罪」である社会で未成年に好意を抱くということの危うさは同性愛にはないと思う。(もちろん男性が男児に手を出したら同性愛だろうが犯罪)
もちろんこの理論は「同性愛が犯罪ではない」という社会でなければ成り立たないのだけれど、なによりは対象者が「大人が守るべき未成年者」である点ではないか。
対象が未成年だからってだけで犯罪とされるのか!未成年もひとりの人間!自由!って思う人は児童婚の実態とかを調べてね。
判断力のない幼い子どもを自分の欲求のために利用することがどんな事なのか目の前の箱で検索してね。
だからこの「小児性愛は同性愛と一緒」という意見は「社会に犯罪とみなされてきた性的嗜好」という点でしか見ていないのだろうと考える。
「なぜ小児性愛は批判されるのか」「なぜ同性愛は批判されるのか」に対しての回答は別物なのに…
と
ここまで書いたけどこれ「未成年者に手を出してもいい」と本気で思っている人には理解できない文章だよなぁ
未成年に本気で手を出してもいいと思ってる、未成年は守らなくても良いと思ってる人には分からないよな
結局「小児性愛は違法」という考えは「未成年に手を出してはならない 未成年は守らなければならない」という前提意識がないといけないので…
分からなくなってきたので一旦切る
追記すると思う
分かったかも
同性愛はそもそも「性的マイノリティ」と名付けされているだけで本来自由なものであるべきだし、公にしていいものなんだ
だけどペドフィリアは違って、行えば犯罪で好意を伝えたとしても人権侵害になりうるんだ
ぶっちゃけ未成年に手を出しもいいと思ってる奴は実際に手を出すんだよな
結論として
・ぺドフィリア自体は悪では無いけど、それを公にした時の反応を考えるべきだった
・実際には手を出すな
だな
セクションの付け方を教えてくれてありがとう心優しき人
私は女。推しは男。
だけど、ある日を境に女になった推しにハメる夢を見るようになった。そこでの私は当然のように男。
射精までしたわ。すごい勢いで飛び起きて血眼で性別適合手術について調べた。
いまでも出した時のあの感覚が忘れられない。
それからも幾度となく推しとTSエッチした。もちろん私は男でチンコ生えてる。
マジで狂ってる。
別に溜まってるとか性欲が強いとかそういうわけでもなく・・・。
実際のところ恋愛対象は男だしオシャレも好きだから私はちゃんと女の子なんだよ。
何より「推し」の事は、男らしい部分を推してて、女々しいから好きとかもない。
BLもガチムチもレズも見れるのに、深層心理では自分にチンコが生えてると錯覚してしまう
頭おかしくなりそう
オシャレもしたいし、でも出産に立ち会いたい。
一体どういう欲望なんだろう