はてなキーワード: 性的嗜好とは
ここ最近FANZAやDLSITEで催眠モノや痴漢モノに対する締付けが厳しくなった。
今FANZAでは大人気ジャンルであった『催眠』がカテゴリ一覧から消え、検索しても1件も出力されないようになった。
このような規制は多くのアダルト作品の販売プラットフォームで同時多発的に行われた。
どうやら背景ではカード決済会社からの要望が入ったことがあるようだ。
ふと思い出したが、昔BCCのとある白人女性記者が自分から見て子供に見えるらしいアジア人がモデルの日本製ラブドール(自分にはこれのどこが子供?と感じた)を見て彼女は何かを憂いて涙を流していた。
別の海外ニュースでは女子高生キャラを描いたとらのあなの同人誌を見て海外記者はこの文化にド直球な憎悪の目を向けていた。
現在は昔よりはLGBTへの理解が深まっている、そして一方で『政治的に正しくないもの』を排除する風潮も強まっている。
LGBTといっても実態はもっと細分化していると言われているが、異性愛者中心の5chのエロゲ板やエロ同人板を見ていると純愛、寝取られ、リョナ、スカトロ、触手、催眠、変顔、ふたなり、
異性愛の中でも様々な性的嗜好があり、そして例えば『寝取られ』という1ジャンルだけにしてもその中身はめちゃくちゃ細分化されているのがわかる。
自分の予想では、今後は創作物の世界であってもこれら一つ一つが『政治的に正しい性的嗜好』と『政治的に正しくない性的嗜好』というジャッジがくだされ、
政治的に正しいと強い国に判断されたものだけが保護され、その他は今以上に迫害されていくものだと予想している。
もしかしたら『ゲイがゲイ向けの同性愛ポルノを消費するのは政治的に正しい』でも『女性が腐女子向けの同性愛ポルノを消費するのは政治的に正しくない』みたいな妙ちくりんな風潮になるのかもしれない。
多くの海外メディアもLGBTへの差別をやめましょうと言っているのと同じ口で日本のポルノ愛好者は治療すべき変態ロリコンで、醜く弱いインセルや障害者などがラブドールを抱くことすら弾圧すべき悪だと言っているのだろう。
『性的消費』という言葉があるが、例えば一定の表現の自由が確保されているPixivやコミケなどのプラットフォームでは人間以外も含めたありとあらゆる人種ががあらゆる形で性的消費されており、中には目を覆いたくなるものもある。
政治的に正しくない、例えば大っぴらに差別発言をした人間が社会に制裁を食らう様は痛快であることもあるが、これが自分が好きなものに向けられたら怖いとも感じる。
『特定の人種や属性』を『特定の人間が』『都合のいい形で描写し』『ときには痛めつけるような形で』『性的に消費する』
エロに関わる創作物なんて、政治的に正しくないと理由をつける要素はいくらでもありそうだ。
今何かしらのビジネスを展開するに当たってはCDN、OSのライセンス、カード決済機能、営業管理ツール、
政治的にアメリカ政府と対立したベネズエラがAdobe製品を使えなくなったみたいに、Huaweiが今制裁を食らっているように、
アメリカの政治家の女性層への選挙対策でフェミニズムをアピールをするために日本のエロ産業なんて簡単に潰されるのかもしれない。
自分はは今日もめっちゃ検索しにくい環境で痴漢モノのエロゲを探しながら、こんな歪でダブスタだらけでご都合主義の『正しさ』なんて消えてなくなってちまえと中指突き立てたくなる。
他人に性的魅力を感じない、あるいは恋愛感情を抱かない(アロマンティック)性的嗜好のことを指すらしい。
あなたは他人に性的魅力や感じない、あるいは恋愛感情を抱かないということを想像できるだろうか。
私は想像できない――自分が他人に性的魅力を感じたり恋愛感情を抱いたりすることが。
誰かとセックスするとき、相手の何に欲情しているのか、何に愛しさを感じるのか、教えてほしい。そこに充足感は、あるんだろうか。
私には学生時代から3年半付き合いを継続している恋人がいる。週末に会えばセックスをする。セックスは好きだ。気持ちいいから。感じやすい身体をしているし、相手を気持ちよくさせることも好きだ。
それでも時々強烈な違和を感じる。場に合わせて自分が口にした「好き」という言葉がひどく空々しく聞こえる。慣れないだけかもしれないと思い何度か繰り返したが、むなしくなるだけだったから今はもうやめた。恋人の欲情した目を見て、すごい目をしているな、と客観的に思う。重なる手や唇の感触が、思春期の頃に感じた離人症のように、画面越しの他人事のように思えた。とめどない身体的な絶頂と息の荒さだけが現実的だった。
恋人とハグをするのは好きだ、温もりや匂いを感じて安心するから。寝顔を見て愛おしいなと思う。
だけど、キスやセックスをするときに、自分を見つめて触れてくる相手に対して、何を感じればいいのかわからない。
この日記を書こうと思った理由は、一昨日ある記事を読んだからだ(恋愛的・性的に惹かれない人たち――「アロマンティック/アセクシャル」にとっての恋愛・結婚像/https://news.yahoo.co.jp/articles/c716935ea75a5eea8369ceae4b01406148ddfd1e?page=1)。
「性行為が一般的に愛情表現としてのコミュニケーションとなることに理解・共感ができず、多幸感を感じない、相手のアクションに対し感情が動かない」という文章を見て、ああこれが自分の違和感の正体か、と思った。
アセクシュアルという単語は以前から知っていたが、それを自分にラベリングしようとは思わなかった。自分の性質をラベリングするのはアイデンティティを確立させるため、ひいては自己承認欲求を満足させるためだと考えているが、私は自己の価値やアイデンティティを考慮する際に恋愛や性別にその重きを置いていない。他人と接するときにも性別を強く意識することはない。
メタ的に計測すると、街ですれ違う人の容姿や仕草に好意を抱く回数は、男性相手より圧倒的に女性の方が多い。メイドカフェに行ってかわいい女の子にどきどきする。生涯、この人以上に好きになることはないだろうと、諦めにも似た憧憬を抱いた相手は女性だった。だから昔は自分のことをレズ寄りのバイなのかもしれないとぼんやり思っていた。セックスは男性としかしたことはないが、おそらく女性ともできる。
魅力的に映る他人の肌の質感を想像することはある。でもその誰に対しても、触れたいだとか、服に隠れた素肌を暴きたいとは思えなかった。その肌の感触を確かめるのは私でなくていい。
他人に恋愛感情を向けられると驚く。付き合うとか、そんなこと想像していなかったから。
付き合って知ったのは、私は嫉妬することが少ないこと、独占欲がほぼ存在しないということ。恋人関係とは男女関係におけるファストパスの進呈で、そういう契約関係だから、期限も終了時の条件もある程度決めておくものだと思ってた。友人にそう話すと計画的すぎると笑われて、みんなはそうじゃないんだと知った。
創作物を読んで相手に恋愛感情を抱いたりの欲情したりすることへ共感はできた。
実感だけが、いまだに手元に降ってこない。
不義については触れずに、話を聞いてほしい。
事情があって、顔が最高にタイプの男性の友人と何度かセックスをした。布団に横たわって、相手の体温を感じると心臓がおかしくなったのかと思うくらいどきどきした。
触れ方が優しくて、ゆっくりだから、すごく気持ちよかった。セックスの最中、暗がりの中で相手の輪郭を視認して、唇を重ねて、高い鼻がぶつかって、快楽を感じて、抱き合って背中を撫でて、試しに耳元へ「好き」とささやいてみて、その後「きみとセックスするのが」と付け足した。何度目でも変わらなかった。
顔が好きな男に抱かれていると意識してみたが、そのことに特別何かを思うことはなかった。ハグをしたときの方がよっぽど滲むような充足感を感じた。
男女問わず魅力的な相手にはどきどきする。でも肌を暴きたいという感情が理解できない。
たぶん私は誰とでもセックスできるから、相手を限定するように気を付けている。そこに"特別"を付与しようとしている。
他人に性的魅力を感じない、恋愛感情を抱かないと恋人に告げたら、きっと恋人を傷付ける予感がしている。
ただ、相手を尊重することができれば恋人関係を維持することに問題はないから、打ち明ける必要もないと考えている。
それでも、教えてほしいと思うことがある。
はてな匿名ダイアリーやTwitterでよく腐女子の愚痴を目にする。
或いは萌え語りなのだろうか。傍からだとどちらも同じような物に見えるし実際似たような物だろう。
やれ「受け攻め固定」だの「リバは地雷」だの「逆カプは死ね」だの過激な意見ばかりが目に入る。
そんな中でも特に興味を惹かれた言葉がある。「顔カプ」という、所謂「顔が良い」キャラクター同士の組み合わせを指す言葉だ。
この言葉の対義語が「公式カプ」で、原作で接点があるキャラクター同士の組み合わせを指すらしい。
腐女子の間でもこの「顔カプ」派と「公式カプ」派は仲が悪く、顔カプ派は公式面する公式カプ派が憎く、公式カプ派はただ容姿が良いだけのキャラをくっつける顔カプ派が憎いらしい。
ここで思う事がある。「公式カプ」派はうちの子達は公式でイチャイチャしてるから、公式カプだから、顔が良いからくっつけちまえってあいつらにわかとは違うから、なんて愚痴をよく言う。Twitterでも簡単に読める。
だがよく考えるまでも無くその「公式カプ」も原作でゲイのカップルという訳では無く「友人」「兄弟」「ライバル」「同僚」など単に付き合いがある相手というだけだ。恋人や片想いの相手、伴侶が居るケースも非常に多い。
好きなキャラの性愛を向ける対象を勝手に捻じ曲げて勝手に性欲狂いの変態キャラにして一体どこが「公式」だと言うのだろう…?
やっている事は男性向け二次創作でエロ展開のためにキャラの性格を全く別物に変えてしまうのと一緒ではないか。どこが違うのだろう。
それと萌え語りだか何だか知らないけど検索避けもせずに下ネタ垂れ流している腐女子は本当に多すぎるよ。腐女子は恋愛とセックスの事しか頭にないのだろうか。それで人生楽しいならそれはそれで羨ましいと思う。
単に自分が興味のない性的嗜好を大声で語っている集団が居るというだけでも鬱陶しく思ってしまう物だけど、腐女子の下ネタツイートを見ていると如何に下品な事を言えるかのチキンレースでもしてるのかとさえ思ってしまう。
愚痴だの毒吐きだのフェミニズムだのミサンドリーだのポリコレだのLGBTだの腐女子に関係する要素はもう何もかも嫌だ。気が付いたら腐女子その物に対する不満になっていた。まあ良いか。
「女も男もそれ以外もオタクも非オタクも読んでいってくれないか」(anond:20200714091214)に答えますね。
男の子は小学校中学年にもなればエロに興味を持ち出すころかと思うが、男の子をお持ちの男性のみなさんは何歳くらいからどんな作風なら触れてもいいかなみたいな漠然とした指標があるのだろうか。とらぶるならいいよ、とか、どんな性的嗜好だろうがフィクションはフィクションって割り切れるから自由にさせとけとか。
自分の子供時代を考えてみると、小学校低学年のころに、うちに遊びにきた友達がどこぞで拾ったと思しき女の人の肌色が非常にカラフルなお雑誌を持ってきたことがあった。それは祖母に見つかり、後日学校で女教師に呼び出され「そういうのはいけないんだよ」という丁寧な説明を受けた。私は自分が何を見ているのかも何でお説教(いやすげえ優しい口調だったが)を受けているのかもわからずどちらの場でもポカンとしているほかなく、当然私の小さなちんちんは勃ってはいなかった。
それが中学生になるとエロ本の回し読みなんぞをしてシコシコするようになるわけだが、男どうしの会話とはいえあまりに露悪的な嗜好の持ち主だとなかなかそれを表には出しづらく、いろいろな作品が収録された短編集や雑誌のうち1本に陵辱ものが混ざっていれば欣喜雀躍、結局のところインターネットで陵辱ものが好きな同士にたくさん出会えて、同好の士がネット上にはたくさん存在していることに気づけて安堵したりするわけである。
だから元増田が挙げた、モブレやら体調不良やらでキャッキャウフフする若き腐女子たちには、素直に羨ましさを感じる。自分の好きなオカズを同年代の友達と共有する経験なんて私にはなかった。同好の士はいつもネット上の見知らぬ誰かで、彼らと会話を交わしたことなんてなかった。自力で探しだしたエロ画像はあっても友達と本当に好きなオカズの回し読みなんてできなかった。私には彼女たちがまぶしく見える。
「レイプされて虚ろな目になってる女の子いいよねー」みたいな会話をリアルの思春期男子のあいだでやったらドン引きされるだろうし、モブレでキャッキャウフフしている女子たちもおそらくリアル友人とのあいだでそんな会話はできないだろう。あくまでもネットで同じ趣味の相手を探して語り合うくらいは、男も女も別にいいじゃないか。私はそんなふうに語らったことはないので、語らえる子たちの気持ちはよくわからないのだが……
で、倫理についての話。
正直、あまり心配しないでいいと思う。というのは、陵辱もの好きな男として断言するが、私は自分がそういうものが好きな傾向があると自覚した幼き日から今日までそれを現実にやっていい行為と誤認したことはただの一度もない。当たり前だ。嫌がる女の子を拘束して猿轡噛ませて犯す、この過程がどうやれば合法で倫理に則っていると勘違いすることができるのか。現実にやったら犯罪であり、被害者を苦しめる外道な行為であることなど自覚している(いや苦しんでいるから興奮するんだけど)。だから漫画に頼るのだ。
ここで勘違いするようなやつは、はっきり言って元々倫理観がぶっ壊れているのでゾーニングがどうこうの話ではない。エロが綺麗にゾーニングされていたとしても別のやらかしを犯すに決まってる。
だからモブレだの殴られるだの飛び降りだの、露骨に倫理に反する表現はむしろ安牌に近いだろう。だって、推しが殴られているBLを読んで、そうか、男を殴ることは倫理に反してないんだ! って勘違いしちゃう小中学生なんている? いないでしょ。仮に勘違いしちゃう子がいるなら、それはもうBLの責任どうこうじゃなくて本人にマトモな倫理観が備わっていないことの表れでしかない。そういうやつはBLがなくても別のことをやる、絶対にだ。
危ないのは、むしろ一見して倫理に反しているとは思えない表現の方だろう。
男向けのエロ表現が「現実に影響する」として近年問題になっているのは、陵辱やロリペドではなく、むしろ和姦ものの表現だ。たとえば、ガシガシ手マンすれば女は喜ぶとか、感じたときには潮が吹き出す、とかそういう演出だ。AVを見て「そうか! こうすれば女は喜ぶのか!」と勘違いして彼女に同じことをやって性器に怪我をさせる男というのは一定数いて、こちらは性交の実務に携わる人たちの間では問題視されている。はっきり言って一部の頭でっかちなフェミ連中が陵辱ものやらロリペドやらで騒いでいるのは頭がどうかしているとしか思えない。そんなのが現実に影響するなんてのはごくごくレアケースであり(ないとは言わない)、本当に問題なのは、こういう善意による勘違いだ。
これをBLに当てはめて考えるとどうか。危ないのは、むしろ増田のような思考ではないか。増田は、「政治的な正しさ、ポリコレに照らし合わせて考えること」が重要であると主張している。しかし、本当にポリティカリーにコレクトなBLを目指すなら、女が創作していたり、作中のゲイたちが差別を受けずのびのびと暮らしているだけでポリコレ的な問題をはらむのだ(anond:20200712223432)。露悪的な嗜好の腐女子たちは自分たちが倫理に反していることなど百も承知だろうが、増田のように倫理を重んじる腐女子は、果たしてそのあたりに自覚的だっただろうか? 結局のところそれは「多数派の考える倫理」に過ぎず、勘違いした善意を性的少数者に押し付けているだけになってはいないだろうか?
たかが十数年、されど十数年である。十数年というのは、他人を強姦してはいけないとか、他人を殴ってはいけないとか、そういう規範を育むには十分な時間だと思うし、十数年も生きていれば支部のゾーニングをかいくぐる技術くらい身につけるものである。
積極的に子供たちにセンシティヴな創作を見せびらかしていくべきとは思わないが、小さな人たちが自分でセンシティヴ表現に積極的に触れようと思ったら、表現者の側でそれを阻むことなんてできない。だからまあ「うるせえ自由に創作させろ」でいいんじゃないでしょうか。男向けのゾーニングはそういう発想で動いているように思う。子供の前にわざわざ出したりしないけど、子供が自力でたどり着いた分にはニヤリと笑って不問に付す、的な。あれだ、一種の通過儀礼だな。
あれ、「オタクだけど」と名乗った割にオタクとは関係ない話になっちゃった。だからオタクと関係ある話を最後にしておくと、ワイ好きな作品のエロ同人ってほとんど買わんのよね。好きな作家さんがエロを出したら買うけど、基本的には全年齢向けのプラトニックな恋愛ものとかギャグものとか日常ものを買って読んでる。だっていちゃラブじゃいくらガッツリ性交を描写されても私は勃たないし、私が勃つようなひどいプレイを好きなキャラ相手にするのなんてひどすぎてかわいそうで見ていられないし、ということでエロはオリジナルに限りますね。思い入れのない架空人物ならいくらでもかわいそうな目に遭わせられて最高。だから好きな作品のエロ同人買ってNTR掴まされてキレてるオタクの気持ちはよくわかんない。エロ同人を買わなければNTRを掴まされることもないのでは……? なぜ好きなキャラのエロを読みたがる……? というか和姦ものを買う以上一定数NTR掴まされることは覚悟しておくべきじゃない? ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開を日常的に掴まされているんだぞ! 安易なレイプファンタジーを蔓延させやがって! NTRくらい甘受しろや! あ、これただの八つ当たりだわ、すまん。
ゆにちゃん様は好きだけどひまりちゃんはそこまで好きじゃないんだ、すまんな(単に興味がないだけで嫌いというわけではない)
"ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開" わかりみしかない。少し理屈をこねると、加害行為を被害者から肯定される展開は二重に正しくないだろって思う。
いやそういう理屈は割かしどうでもよくて、心底嫌がっているのを無理やり……というのが良いのになんで途中から愛が生まれてるの? は? って感じで萎えてしまうんや。萎えの機序としてはメガネっ娘がメガネを取るアレに近い、というかコスプレAVの衣装を脱がすな問題と同じ。
この増田があげてる「陵辱で相手が受け入れちゃうケース」はよろしくないと思う(ただ現在のゾーニング対象になっているとも思う)。
なんか勘違いしてるかもだけど「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開に特化したゾーニングはないよ?
ゾーニングといっても色々あるわけだけど、たとえばpixivでは、性行為や乳首・性器の直接的な描写の有無でR-18かそうでないかが決まり、その中でグロやスカの描写があればR-18Gになる、という感じなので、いちゃラブ和姦でもモロに性器やら何やらが描かれてればR-18で、陵辱してきた相手を好きになる展開でも描写が朝チュンなら一般向け。
「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開、個人的には別ジャンルということにしてほしいんだけど全部ひとまとめに「陵辱」扱いされてるのが現状だねえ。いずれおねショタとおねガキみたいにジャンル分化する日が来るんだろうか(でもこれは物語のオチを明かすに等しい区分だから無理だろうなぁ)。
で、勘違いされると困るので言っとくと、私がそういう展開を嫌いなのは性暴力を正当化しているからとかそういうどうでもいい理由ではなくて、単純に萎えるからです。嫌がってるのを無理やり陵辱する展開が性的な意味で好きなのに途中で受け入れられるとドッチラケなわけ。
でも、それは私のちんこに反しているというだけで、そういう展開が正しくないってことじゃないからね。そういう展開が好きな人には私の好きな展開は刺さらないんだろうし、好みの問題であるものを正邪の話にしないでほしい。
増田は「表現による心的ストレス」という影響を軽視してるな。ホラーを見てトイレに行けなくなるのは皆通る道だ。フェミやNTR嫌いの根幹はそこだし、オタクも住み分けには賛同する。自由の代償は他人が支払ってるよ。
アホらし。ホラー見ておトイレ行けなくなるのもNTR掴まされてショック受けるのも自己責任でしょ(もちろん私が嫌いな展開の陵辱ものを掴まされるのも)。私もうっかり寝る前に『ゴーストハント』読み返しておトイレ行くの怖くなるときがあるけど、それはそんなのをそのタイミングで読んだ私の責任。支部や即売会でエロ同人を漁るならNTRが一定数混じっていることを覚悟すべきで、展開に怒るなら好きなだけ怒ればいいけど(作品をdisるのは読者の表現の自由に属するので)そのストレスの責任は自分で負うべき。
自由に表現して自由に手に取って自己責任で怒ったり傷ついたり笑ったり泣いたりすりゃいいんですよ。
みんながまともなら問題ないけど、こういう極端な設定の作品は「これは現実ではない」注意喚起や一般には簡単に見えないよう棲み分けが必須 澁澤龍彦とか
ばっかじゃないの。ガッツリ性行為のシーンがある陵辱ものは当たり前だけどとっくにR-18で~す。R-18といっても広い世界なので、わざわざ「陵辱」とか「レイプ」とか「(自重)」とか「(自主検閲)」とか「(禁則事項)」とかそういう検索ワードを入れないと出てきませ~ん。あのさ俺が理想の陵辱ものを探すためにどれだけ検索ワードを工夫してきたと思ってんの?(血涙)
全然関係ないけど今テキトーに「R-18」で画像検索したらむっちゃBL出てきて草。R-18で検索したら男向け作品が出てくるという先入観はある意味ジェンダーバイアスだよなぁ。
だるま、欠損好きの友人と比べたらセーフかと思ったけどそれはそれで感覚狂ってるな。ところでなるほどなあと読んでたらいきなりゴーストハントが出てきてビックリした
だるま、作中で切断される場合だと「その傷が塞がるまで何日かかるんだ?」みたいなことが気になってしまうんだよな(いや、包帯巻いてる場合が多いだろうけど)
『ゴーストハント』は家人が寝静まって暗くなった家でうっかり読むとマジで怖いから困る。コソリが来るよ……『残穢』はおトイレ以前に家そのものが怖くなるからダメ(好き)。うっかり寝る前に『残穢』を読んでしまい家を焼き払いたい衝動に駆られたときは『営繕かるかや怪奇譚』で中和するのがいいと思います(そもそも寝る前に『残穢』を読むな)
中高生くらいの男の子に「正しい性癖とは何か」を教えられるのは同年代のホモソーシャルしか無い。ホモソを悪としか捉えられないフェミには都合の悪い話だろうがな。
「堂々と公言できる性癖」や「合法的に実行できる性癖」はあっても「正しい性癖」はなく、「公言するとドン引きされる性癖」や「実行に移すと犯罪になる性癖」はあっても「間違った性癖」なんてこの世にないんだよなあ。
「性癖という単語は性的な嗜好のことではない」というのをしばしば見かけるけど、もう元の意味に戻すのは無理なんじゃないかな。
どこかの辞書にも載ったんだっけ?
個人的には性的な嗜好という意味で使うことはないが、指摘したりもしない。
たとえば「お前は『すこぶる』を『少し』の意味でしか使わないんだな」と言われたら困る。
とはいえ、そういう意味じゃない、って指摘する側の気持ちはわかる。
こういうのって、自分が覚えたときに存在していなかった意味が足され、それが主流になることに対する拒否反応なのかな。
よく分からない。
連日、オタク女子の増田ばかりがホッテントリに上がってうんざりしているところ申し訳ない。
オタク女子に関する話ではあるが、非オタクや男性の意見も聞いてみたいので、良ければ読んでいってくれないだろうか。
発散ばかりで収束の気配もない、スタートもゴールも見つけられない私の話だ。
元々、同人誌の即売会に数えるほどしか参加したことのない、爪先つっこんだ程度のオタク女だ。仕事と子育てが一段落してちょっとばかしオタク女の世界に戻ってみた。唖然とした。
モブレとは、モブ(顔なし名前なし)キャラクターによるレイプのことである。
体調不良ネタとは、キャラクターが過呼吸や嘔吐したりするのを楽しむジャンルである。
オメガバースは…まあ話せば長くなるが性差別を美しく哀しく手軽に内在化した舞台装置であると認識している。
がっつり挿入を伴うR18表現は鍵をかけても、これらは問題なしとして小中高生たちがキャッキャ騒いで、当たり前のようにネタとして消費してて、それがどうにも気持ち悪いというお気持ち表明をまずしておく。
男性向け作品は昔からレイプもの愛好者はそれなりにいたよね。モブかどうかはさておき、あえて汚いおっさんが美少女を犯すシチュエーションも定番ちゃ定番だ。それを批判したいとか微塵も思っちゃいない。公開する場所と人を選べばそんなの自由だ。女性向け作品の中にそういった傾向を匂わす作品が増えてきたことは「女性が性欲を持つのははしたない」とする風潮が薄れて男女の非対称性が薄れたという意味では歓迎してよい一面もあるかもしれない。それと、上記のように倫理的に正しくないとされる創作もゾーニングさえされれば楽しむ権利はあるべきだと私は思っている。男性向けは最初からネット上はともかく書籍や映像作品はゾーニングが整っている部分もあるよね。女性向けも早くそこに追いつきたいね。
男の子は小学校中学年にもなればエロに興味を持ち出すころかと思うが、男の子をお持ちの男性のみなさんは何歳くらいからどんな作風なら触れてもいいかなみたいな漠然とした指標があるのだろうか。とらぶるならいいよ、とか、どんな性的嗜好だろうがフィクションはフィクションって割り切れるから自由にさせとけとか。
誰も傷つけない表現など存在しない。一家団欒で食卓を囲む描写さえ誰かを傷つける可能性がある。機能不全家族で育った人とか。一方で「豪雨による被害が続いている中で、七夕の星空を見上げてイチャイチャするネタを投稿するのためらうよね」と言う人たちもいる。ポリティカル・コレクトネスやフェミニズムという単語に概念にうんざりしている人たちもたくさんいる。ああ、まとまりがなくて申し訳ない。
どれか一つだけでどうにかできる問題じゃない。全部必要。バランスよくやろうよ。
「うるせえ自由に創作させろ」ってさあ…ねえ、まだ十数年しか人間社会を知らない子たちがそれを見てるんだよ。
センシティブな話をまるで少女漫画の定番展開みたいに消費してるんだよ。やめてくれよ。
人は変えられないから自分が変われって、この場合どのように適用すればいい?
はいはいお気持ちって言われたら、うん確かにお気持ちだね。ごめんなさいお気持ちです。
やっぱり女うぜえって思った人、ごめんね。うざくない女もたくさんいるよ。
どこを起点に、どこを目指して行けばいい?
これ読むといいよ!って文献とかあったらおしえてください。
匿名ならでは、無知を晒すような自分の愚痴を聞いて欲しい。Twitterでは言えない愚痴を。
差別を撤廃する動きが何年も各所で起こってる。それ自体はいいことだと思う。
性別、人種、性的嗜好、国籍等でその人の生活を妨げることは許されない。現代では当たり前の話だ。それが平等だと私は思う。
だから、特定の性別の人が、特定の肌の色の人が、特定の国の人が、特定の宗教の人が、特定の性別を好む人が不当な扱いを受けた時、それに待ったをかけられる今は昔に比べたらいい世の中だと思う。
だけども、所謂「ツイフェミ」と呼ばれる過激なフェミニストをはじめ、ポリコレポリコレと声高々に叫ぶ人たちに少し疑問を覚えている。
例えば、黒人の役を白人がやってはいけない。それが声優であっても。
なんて馬鹿げた話だろうと思う。黒人差別反対というのは、例えば黒人という理由で不当な扱いをすることを反対するという話で、黒人サマになろうとする白人なんて、という話では決してない筈だ。それは、白人がやるべき役を黒人がやるなんて白人に失礼なので黒人の役者はその役を降りろと言うことと本質的には何も違わないのではないか。そういう行為は果たして平等と言うのか。
LGBT差別はよくない。当たり前だ。愛に貴賤はない。だからLGBTの人はカミングアウトしましょうと所謂ストレートの人が促すのは違うだろう。フィクションの作品中に必ずLGBTのキャラを入れろというのも違うだろう。別にストレートの人もわざわざ「私は異性が好きです」なんて言わないだろう。作中でわざわざ「私は男が好き/女が好き」などと言うキャラばかりではないだろう。目の前にいるその人がどの性を好いていても、もしくは恋愛をしない人であっても「そうなんだ」とただ受け入れるだけでいい。同性愛や無性愛者という理由で不当な扱いをするなという"だけ"の話だと思うのだ。
目の前の相手が差別される側の人間だと分かったとき、求められてもいないのに必要以上にその人に気を使って、頼まれてもいないおせっかいをするのは、それは思いやりなどではない。ただの自己満足で、ポーズだ。偽善ですらない。
必要なサポートをすることと、勝手に思い遣るフリをするのは全く別だ。駅で出会った車椅子の人にエレベーターを譲るまではするだろうが、その人の家まで送るのは送られる側は恐怖だろう。ストーカーから守る為に女の子の後ろをついて歩くコピペネタのような行為は実際にやれば通報ものだ。
被差別者の待遇を上げることと、現状強者(と便宜上は表記する。白人や男性、ストレートなど)の待遇を下げることはイコールではない。それは強者と弱者が入れ替わるだけで何も解決しない。
異性愛者の私は、同性に恋愛感情を持つ人の気持ちを「分かる」とは言えない。
黒人ではない私は、黒人であるという理由で差別を受けた人の気持ちを完全に理解は出来ない。
外国でアジア人差別に出会ったことのない私は、実際にアジア人差別に遭った人の気持ちを理解することはできない。
そもそも、私は家族であっても他者の気持ちに対して軽々しく「分かる」などと言えない。
人の気持ちは分からない。されて嫌だったことが概ね共通していても、どの程度嫌だったかまでは同じじゃない。
自分と異なるもの全ては「分からない」ものなのだ、という前提のもと「でもそういう人もいるよね」とただ受け入れる、ということはそんなに難しいことなのだろうか。
別に嫌いでもいいのだ。無理に好きになる必要はない。同じ人種であっても同じ性別であっても嫌いな人はいるのだから、嫌いであること自体は悪いことじゃない。
ただ、だからといって権利を侵害してはならない。それだけの話だ。
それだけの話だと、私は思うのだ。
皆さんは夜寝る前に何を考えますか。
私は、私の性的嗜好がいつ、なぜ、どのように形成・構築されてきたか考えることがあります。
私は脚フェチなのですが、例えばこれはいかなる理由で発現したのか。
もちろん遺伝子のゆりかごで旧石器時代くらいから運ばれてきた何かが作用しているのでしょう。
ただ、その遺伝子を揺り動かした経験があるはずだ。と考えるわけです。
うーんと色々考えた結果、『地獄先生ぬ〜べ〜』のゆきめちゃんのせいじゃないかと思いつく。
で、考えを進めていく。ミニスカート的な衣装の女の子キャラなんていくらでもいるわけで、なぜ『ぬ〜べ〜』のゆきめなのか。
幼き頃の私は、現代人が着る服で、ミニスカートを着用している場合、パンツを履いていることを知っている。
ミニスカートという装束があることももちろん知っている。その先にはパンツがある。
ところが、ゆきめちゃんの股の部分がどうなっているのか、これがよくわからない。この点がフェチを発動させてしまったのだろう。
和服で裾の短い装束の場合、下着は着用するのだろうか。しているもしなくても、とにかくわからない。
おそらくこうして私は、ゆきめちゃんの脚ばかり見てその先を考えられず、だが脚は綺麗なわけで、脚フェチになってしまったのだろう。
それも、ゆきめちゃんは靴下的なものを着用しておらず、裸足でわらじみたいなのを履いているから、足フェチも同時に発動してしまったと考えられる。
こうした状況証拠から、私の性的嗜好にゆきめちゃんが大きな役割を果たしたという可能性を見いだせるのである。
このあと、ほぼ時を同じくして藤崎竜『封神演義』の王貴人が続く。