Twitterで話題のラブドールや小児性愛について自分が一番強く感じた事は、今の人類じゃ到底LGBTへの理解も配慮も出来ないだろうという、個人のざっくりとした落胆だった。
小児性愛は性的指向ではなく性的嗜好であり、そも犯罪であるという論調は噛み砕いて嚥下する事で辛うじて理解できるが、同性愛が法的に禁じられている国がある以上、法によっては個々人の性的指向すら理解される事なく断罪される事実があるのであれば、リビドーの向く方向が偶然にも法に触れない(法に触れない国に生まれた)だけに過ぎない。
小児性愛を法的に禁じない国があるならば、その国では小児性愛は性的指向の一つとしてLGBTの羅列の末席に存在しただろう。
「未発達で社会的責任を負うことの出来ない個人と大人の恋愛」と、「成熟した個人同士の恋愛」ではその意味するところが違うという論調は、現在の法の多くがそう定めているだけであり、人類史におけるスタンダードでは無いだろう。
自分もそうだが君達も理解すべきだ、俺達は偶然、たまたま、運良く、リビドーの向く方向が法的に許されている方向であるだけで、その法を定めたのはたまたま自分が所属していた多数派だったに過ぎない。
男が女を好きだなんて、女が男を好きだなんて、同年齢の異性、同性が好きだなんて、それって変だよ、犯罪だよ。と言われる世界にならなかったのは多数派が少数派を過激に差別してきたからであり、それこそがLGBTの歴史に他ならない。