はてなキーワード: 心のケアとは
なんか(犯罪とか)するとニュースとかじゃ「教育者としてあるまじき……」みたいな論調になるけど、教師に何を期待しとんねん。
教師なんて普通~にただの人間だしどっちかっていうと頭おかしいやつしかいないだろ。
何が嫌かって、ほぼ自分じゃ選べないで強制的に入信させられることだね。もしくは、圧倒的に不利な状況に追い込まれる。"成績"はもちろん、"学校生活における自分"さらには学校なんか関係ない"自分自身"まで人質に取られて。
手のかからない子の心の摩耗もそうだが、まずこの、教師という宗教が本当に嫌だ。
そりゃ、どんどん高次元な学びになれば、○○先生を師として弟子やら部下やら手下やらなんにでもなれって感じだけど、足し算引き算なんて誰にどう教わっても同じであるべきじゃん。それを宗教が邪魔する。
足し算引き算なんて、まだアレだけど、やっぱり一番は"道徳"の宗教。それぞれの教祖が説く理想に沿わなければいけない苦痛。
いや、あえて、そういう風に個人個人で考えてることは違いますよって、ある特定の思想のみを植え付けられないように、毎年毎年下手すれば毎日毎時間異なる宗教を叩き込んでるのかもしれないけど。
子どもの頃って、大人が圧倒的に怖くて、教師なんて両親より"怖い"よりの大人で、その大人に、子ども心にも「なんだかよくわからない理由」で怒られるってのは、すごい恐怖だった。なんか、いっそのこと、「俺がそう思うからだよベロベロ~ン」と言ってくれればいいのに、基本、"道徳"を持ち出すよね。
それを、各々異なる"道徳"という宗教を押し付けられつつ、"成績"を人質に取られてまた踏み絵させられる、いつ他の教祖にそれは間違いだと言われるかもわからないことをする、もう、そりゃ、摩耗しますよ。
摩耗に対する、摩耗を防ぐための「心のケア」も、初めから教師に期待するのが間違ってるんだ。
生徒たちは、「心のケア」というこれまた踏み絵をさせられ、"ケアされた"顔にならなきゃいけない__毎年毎日毎時間ごとに。
そう考えると、ドラマの中「生徒はお客様ですよ!」みたいなセリフの、なんと馬鹿馬鹿しいことか。
学校なんて、「社会生活の練習」とか教祖はよく言うが、という名の、心をすり減らす訓練する場所じゃないか。
文字通り、学校で耐久性を何度も何度も何度も何度もテストされ、社会に出荷されるわけですね。客でもなんでもねーよ。
いや、かえって、学校の、授業の時間を教祖のディナーショウだと思えば、お客様なのかもしれない。教祖の、宗教の、言うなれば、サクラ客だね。この宗教はすごいってことをアピールしなければいけない。信者の顔、"ケアされた"顔をして。
長~くなったけど、要するに、教師がなんか犯罪とかしても、「まあするやろな教師なんだし」程度にしか思ってないということ。宗教・ショウを日々開催して、生徒がみんなワッとしてくれていたら("俺"に従わないような生意気なやつもスパイスとして楽しみつつ)、そりゃ頭もおかしくなりますよ。
国立大学法人のとりまとめの国の行政機関は?文部科学省です!。
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/03052702.htm
★国立大学法人等の平成23年度に係る業務実績の評価結果について
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/detail/1327573.htm
一例。
○ 附属病院においては、被災地へ延べ 117 人の医療スタッフを宮城県石巻市・東松島 市等へ派遣し、診療活動、被災患者に対する心のケア活動等を行うとともに、被災地 で高度な医療の提供が困難になった医療機関からの依頼による患者の受入れ、被災地 への食糧、医薬品、医療機器等の提供を行っている。
−−
被災した学生に対し、入学料・授業料の免除、「東京大学被災学生支援等義援金」や 東京大学基金を活用した生活支援のための一時金給付等の経済的支援を行っている
「沖縄」って入れちゃったけど半分釣りタイトルで、実は東京時代から6年ニートをやっている。
こっちにきて時間に余裕もできたので、たまったノウハウなどを書いてみようと思う。
バックグラウンドを話すと、東京でニートをしていたときに沖縄から来た人が「うちのコミュニティ回ってないんだよね」と相談を受けて、僕が1年沖縄に行く決心をした次第。住んでいる家主に相談したら「XX君頑張ってるから、沖縄行って来なよ。お金は出す」と言ってくれて、いまのところ滞在費はかかっていない。
②人としゃべり続ける
③情報収集
だいたい、お金にならない仕事をすべて引き受けるという感じ。東京のコミュニティも、沖縄のコミュニティも差はあれど、ニートは必須という感じ。〝お金にならない仕事〟って働いている人にとって、けっこうコスト高。
「場の管理」
これほぼメイン業務みたいになってる。昼の12時ぐらいに起きて、掃除と洗濯、ゴミ捨て。
地味だけどこれがめっちゃ大切。物があふれてると人が集まらない。風水的なのってあるんだなと感じる。
なぜかというと、那覇のこの家はもう4年の実績があるが、住人がみんな忙しすぎて手が回っていない状態だった。
だから初めて家に足を踏み入れたときは、散らかり具合にびっくりした。
住んでいた住人は5人。
まず初日の歓迎会で、これから1年お世話になることと自己紹介をした。
そしたらどんどん人が集まってきて、沖縄のコミュニティの強さを感じた。
見たところ、住人5人+よく出入りするお客さん8人といったところ。
まず、人の入れ替わりが多いので、誰の物かわからないものが大量だった。
今の住人に確認をとって、誰のでもないものは粗大ゴミでどんどん捨てていった。
今年4月に入居して、6月の始めには床面積が倍ぐらいになった。
すると自然と人のたまり場になって、家が生きてきた感じがした。
「人としゃべり続ける」
次にやったのが、毎週の飲み会。特に曜日を決めているわけじゃないけど、Lineグループとかでたまに「飲み会やるよー」とか「カレー作ったよ!」とか書き込んでチビチビ飲み会をやった。
これによって、特に何もなくても家に居着く人が増えた。この時点で家によく来る人が15人ぐらいに増えた。
人が増えると重要なのが「喧嘩を起こす」ことで、それぞれが不満をかかえた状態だとグルーブ感が高まりにくいので、とにかく本音を言えるようになるまで人と話す。このあたりの業務も、仕事をしている人にとってはなかなかキツい作業だったりする。あとは、落ち込んでいる人のフォロー。他にも、フラっとやってきたお客さんと喋ったり。物の管理とちがって、心のケアというのは常に時間がある人の仕事なので、ニートスキルの発揮しどころ。ここで、ニートの個性みたいものが出るんじゃないかな。
注意したほうがいいのは喧嘩し終わったように見える二人が、実は心にわだかまりがまだ残っていることがあるので、そういうときは「本当に言いたいこと言い終わった? またお互いイライラしているようにみえるけど?」とさらに喧嘩を促すことが大事。
怒りというのは蓄積する。
だから思いっきり喧嘩させる。喧嘩しても大丈夫だという空気を作り出しておく。
そうしないと溜まった怒りが爆発して、人がいなくなる ⇒ コミュニティが崩壊するという連鎖に繋がる。
これらの業務によって9月ぐらいには、さらに出入りする人間が増えた。
twitterとかで知って、東京から旅行者が1週間〜4週間ぐらい滞在することも増えた。
そういうときは車を運転できる知人に電話をして、沖縄の海へ行ったりする。
このへんの旅行コーディネーターみたいな仕事は東京ではなかったから新鮮だった。僕も沖縄は詳しくないから知ったかぶりで紹介するのだけれど。
「情報収集」
これは僕が沖縄でアウェーだったから一番苦労したかもしれない。
ネットやってればOK! みたいな感じでもないし。
最初の6ヶ月で、場を健全化する・人を滞在させるというミッションはなんとかクリアしたが、まだ次のミッションが残っている。「新たな人を呼ぶ」ということだ。知名度を上げないと継続は難しい。
コミュニティでありがちなのが、以前からいた人が飽きてしまっていなくなり、世代交代がうまくいかない場合だ。2008年〜2013年ぐらいで流行ったシェアハウスや、シェアコミュニティはもう2016年の時点はほとんど潰れてしまっているか、解散している。これを楽しく継続させるためにニートは便利なので、運用に困っている人はニートを一人置くといいかもしれない。
東京では6年ニートしていたからこの辺で困ったことはなかった。どの人間が忙しくて、どの人間が暇なのか? それらを把握しておいて、適切な配分になるように分配する。マネジメントに近いかもしれない。「つらい思いをしている人間を固定化させない」というのは場の運営だけじゃなく、企業とか会社にも適用できるかもしれません。
さまざまなプロジェクトが動いていて、それの雑用をしにいったり、あるいは適切な人を配置したり。
僕がコストを負担することもあれば、負担できる人を探したりするときもある。
このために日頃からいろんな人と話しておくことが重要。(得意なことや興味のあること等)
いまは沖縄の美術大学生がけっこう出入りしていて、オーナーが懸念しているのは卒業したら活動をやめてしまう環境についてで、一緒に場を作って活動を継続できるように日々の業務をこなしている。
・今後の問題点
③負担の偏り
とまぁ、課題はいろいろあるけれど本来今年3月に終了する予定だった家が、今も沖縄で生きています。
僕の活動がただの延命行為にならないようがんばりたいしょぞんです。
ニートでどうやって食ってんだよ! とよく聞かれますが(特に父親とか母親)、差し入れで食べ物をもらったり、みんなからお金をもらって料理するときとかに、こっそりおこぼれを貰ってます。
あと、沖縄のおじさん超やさしい。もう3回ぐらいバーでお酒をおごってもらった。
どうしてもお金が欲しくて短期のバイトをするときもあるけど、そういうときはニートの仕事がおろそかになるので、やっぱりよくない。あと面白い話がこなくなる。「バイトだから」って断ってると、だんだん面白い話がこなくなってくる。ニート期間は長い方が信頼度が高くなるので、面白い仕事やプロジェクトにありつける印象。
そして、いよいよ12月に活動している場所で僕の個展を打つことになった。
もし12月9日、あなたが沖縄にいたら僕の個展を見に来てほしい。
そいじゃ。
知り合いが過労で死んだことがここ数年で2件ありました。
マジで。
なんかおかしい。
わかるよ、ネットニュースでしか見てないけれど、電車が止まったかなにかで客にクレームつけられたかなんかした車掌さんが制服脱ぎ捨てて、線路に飛び降りて、それがテレビでは奇行として笑われているらしい、それに対してネットでは「車掌さんは悪くない」気運が盛り上がっているのは。知ってるし、車掌さんお気の毒やなあと思うし、笑いごとじゃないよなあとも思う。
けどさ、どうして会社に嘆願書を出すの。「処分じゃなくて心のケアをしてくれ」って会社にお願いしてどうするの。それは新しいクレームなんじゃないの。
近鉄からのなんらかの反応を期待してるわけでしょ、この動き。それは、あまりにも勝手すぎるんじゃないの。社員の処遇について、外野がどうこう言うことはおかしいんじゃないの。善意だからって、勝手に突き進んでいいわけじゃない。
なんでいま「車掌さん守れ」って会社に文句言うほうにみんな向いてるかっていうと、クレーマーが誰かわからないからでしょう。もし、この「数人から暴言を浴びせられていた」とされる「数人」が誰だか特定されていたら、その人たちが血祭りにあげられていたでしょうね。
この一連の出来事(人身事故→電車止まる→客怒る→車掌さん飛び降りる→テレビで笑われてるらしい)は、たしかに感情をゆさぶってくる。クレーマー最低、そんなのに詰め寄られたら地獄、それを笑いものにするワイドショー低俗、満員電車に乗らなければいけない働き方がおかしい、いやそもそも消費者が王様になってる今の日本は変だ、とか、いっぱい思いが湧いてくる。
でもさ、そのいやーな思いをさ、誰でもいいから顔が見えている登場人物にぶつけて、手っ取り早く解消しようとするのは違うよ。たとえば、この署名活動が無事実ってさ、「車掌は悪くありませんでした、彼のケアにあたります」ってことになって、なにになる?「『悪質なクレーム行為から職員(大切な社員)を守る』といった強い態度」が見られれば、クレーマー減るとでも思ってるのかしら。車掌さんよかったね、ってほっとするのかしら。
違うでしょうが。「クレーマーに傷つけられた社員を守るよう、会社にお願いする」ことでは何も変わらないんだって。これがもし「クレーマーに困っている駅員さんがいたら、代わりに話を聞いてあげましょうキャンペーン」とかならわかる。実際にクレームが発生したその場で、問題をなるべく小さくしようとしたい、という思いならとてもいいんじゃないかと思う。
けど、このキャンペーン、結局自分は名前を書くだけで何もしないで、「この人かわいそー、よろしくー」って言ってるだけに見える。そういう人たちが5万人いるように見える。たとえば明日会社から帰るとき、駅でよっぱらいが駅員さんにからんでて、そこに割ってはいって「なあなあおっちゃん、ちょっと飲みすぎやで水買うてくるからそこ座っとき」って言える人が5万人いたら、状況は違ってたはずだ。
なにか不都合なことを見つけたときに、「せんせー、すずきくんがザリガニいじめてまーす」って言いつけるところから変わらなきゃいけないと思うのよ。
自分じゃないえらい人がどうにかしてくれるから、自分は何もしなくていい、ってそのままだとできることが署名集めることになっちゃう。学級会じゃないそれ。「そういうことはしちゃいけないとみんなおもってます」って。
たぶん署名に参加した人たち、ただ、腹立つし、なんかやだから、できそうなことをしたくて、ここに名前書いたんでしょう。クレーマーを特定して叩きまくるのでもいいし、車掌さんを笑い者にしたテレビのコメンテーターを袋叩きにするのでもいいし、なんでもよかったけど、「車掌を守れ」っていうのは善意っぽいし、これなら胸張ってできるしって。
何かで読んだけど、「火事だ!」の一言で、善意の人たちがバケツを持って押し寄せてきて、家に水かけて、水浸しにするっていうイメージのとおりだ。その「火事だ!」は誰が言ったのかもわからなければ、ほんとかどうかもわからない。火事らしいという噂だけが広まって、言い出しっぺはどこかへまぎれて、バケツの人たちが帰っていったら、最後はたぶん、家を水浸しにされて立ち尽くす住人だけが残されるんだろう。
うちの市役所には市長への投書箱みたいなのがあって、そこには「ばーーーかwww」とかそういう便所のらくがきみたいなやつから、真面目な話、窓口のクレームまで様々なご意見がつまっている
それは担当者が全部読んで、原本は市長に渡して、担当部署にこういうご意見がありましたっていう回覧にして回す
たとえば年金の窓口の態度が気に入らないって話だったらそこの部長に渡したりね
「まあそうだよな」と思うことから「それは自分勝手すぎるだろ」って意見までいっぱい入ってる
この前、それらを読んでいて悲しくなったのがあった
そのご意見は「シルバー人材の老人たちはまともに仕事ができないのだから、税金の無駄である」って内容だったんだよね
そもそもシルバー人材って労働力を期待して募るものじゃないだろう
やることがない老人たちに働いてもらうことで活力を得てもらうとか、社会から孤立しないようにコミュニティを提供するとか、そういうのが目的だよね
定年してから何もすることがなくなってボケてしまうお父さんとか、昔は結構いたらしいじゃないか
そういう老人たちのために、場を作ってあげるのが目的じゃないか
たいていの仕事内容は誰にでもできる軽作業だけど、労働力だけを期待して募集するならそりゃ若い人のほうがいいよ
だけどそういうことじゃないだろう
もしこの内容が「シルバー人材とはいえ労働なのだからもっと給金をあげるべき」とかだったら納得するよ
でもさ、年寄りに給料を払うのは税金の無駄とかさ、そういうこと言っちゃいけないと思うんだよね
役所の仕事って言うのは、民間ではできないことをやることじゃん
図書館だってシルバー人材だって、あんなの民間ではできないだろう
友人も家族もいない老人はだんだんひねくれてきて、世間や他人に文句ばっかり言って迷惑かけたりするんだよ
そういう人たちの精神的なセーフティネットがシルバー人材じゃないのかなあ
そういう場にすら効率を求めて費用対効果を計算してしまうのは悲しい事だよね
あのご意見を書いた人はきっと、心にも生活にも余裕がないんだと思った
とにかく悲しくなった
表面上は許容しているのですが、限界は近いかもしれません。
職場で隣席の人には病的とも言えそうな「クセ」がいっぱいあります。そもそも当初配属された部署でいつまでも基本的な業務をこなすことができず、勝手に手順を簡略化してそれを報告もしないというようなことで混乱が続き、そんなこんなで日々叱責されたためにメンタルの健康を害したという経緯で異動してきました。メンタル関係の薬も飲んでいるようです。なのでこういった「クセ」の数々のうち薬の副作用的なものもあるかもしれません。「クセ」はいくつか挙げれば以下のようなものです。
・鼻すすり(ティッシュの箱を机上に置いてますが、ごくまれにしか鼻をかみません。四六時中ズルズルすすっています)
・鼻ふんふん(連続的に息を吸っているのか吐いているのか、謎の音を1分に数回のペースで一日中季節問わず発します)
・口グチュグチュ(謎の音です。何も食べていないときでもよだれでくちをゆすぐような音を立てています。精神薬の副作用でジスキネジアというのがあるそうですがこれでしょうか)
・口チュウチュウ(チュパ、チュ、ピチッなど四六時中)
・独り言(「ふざけんなよ」みたいな攻撃的なものが多いです。無視しています)
・怒りのしぐさ(特に私が上司とかではないんですが、たまに仕事をお願いすることがあるのですが、快よく受け取ったわりに、思ったより面倒だったのか書類を放り投げて「なんだよこれ」とか怒りすべての動作が乱暴になってとにかく怖いです。無視しました)
・指で机をトントンたたく
・肩をおおげさに上下する
メンタルヘルスと関係あるかもしれない「クセ」を話題にするのもすべきではないと思い、この件について本人と話したことは一度もありません。全然気にしていない風にふるまっています。しかしどうしてもイライラしてしまうことがあり、そういうときは集中もできずただ体を固くしたまま終業時間を待つということになります。最近そういう日が増えてきました。ストレスで動悸がしたりするのですが、休日もそれがおさまりません。ストレスを押さえつけすぎて自律神経失調症になりかけのようです(まだ病院には行ってませんが)。「こっちがおかしくな」ってきたんだと思います。
理想として、この程度の「クセ」を許容できなくてはいけないなと思いますし、またチックの人が無理解に苦しんだとかいうようなストーリーを読むと、そこでは私は悪者になるので、寛容にならなければ、というマインドが強化されますし、実際に数日程度そのマインドの効力が続き、そこまでストレスではないということもあります。ただ、その効き目も薄れてきました。
チック関係のことをネットでざっと勉強しましたが、周囲の理解、指摘しないことなどが本人のためにということで必ず挙がっています。理解しているつもりですが、身体がいうことをきかないという「周囲」について、心のケアとかなんでもいいので良い情報の蓄積はないのでしょうか。最近は障碍者雇用などもあるし、共に暮らすということについてなにか良い手法はありますか?
本人はおそらく病気なのでどうしようもないし、非難したくありません。口に出したら「クソ野郎」とののしられても仕方がない悩みなので相談できず本当に困っています。この腐った心を入れ替えさせてくれる文章でもセミナーでもなんでもいいです。救いを求めています。なにか情報をお寄せください。
長文になる。削れるだけ削ったつもりだが、長過ぎるかもしれない。あるいは逆に説明不足で削り過ぎたかもしれない。トラックバックやコメントを送っていただければ、誤読を誘う箇所に関して付記を施すつもりで居る。
本題だが、とある方が亡くなられた。その方をどうお呼びしたら良いか迷ったのだが、先生と呼ぶことにする。
おれはコミュ障である。具体的に言えば、表情に乏しいと言われている。これはおれが虐められて育ったことや、あまり深く書く気もないのだが発達障害者として(大人になってから)診断されたことも手伝っているのだろうと思う。オフ会で会った方に言われた言葉で一番ショックだったのは、「貴方には喜怒哀楽の『喜』と『楽』がないように思える」ということだった。こっちは特に怒っているとか悲しんでいるとか逃げ出したいとかそんなことを思っているわけではないのに、このコミュ障ぶりで誤解を招くことも多々あった。
その先生との出会いは、おれがアルコール依存症の自助グループに去年の春から参加するようになったことが切っ掛けだった。もちろんおれが依存症の当事者で、その先生は家族、つまり酒害に巻き込まれた者に対する心のケアを行っておられたのだ。
その日は夏だったのではないかと思う。先生は毎月一度お話しをされていたのだけれど、家族の方に対して色々興味深いことを語っておられた。そのお話自体は良く覚えていない。ただ、漠然とおれ自身がアルコール依存症の当事者として家族にどれだけ迷惑/心配を掛けたかについて考えさせられていた……そんな記憶がある。
本題に入る。おれがその自助グループに参加するようになってまだ日は浅かった頃のことだ。先生は話をひと通り終えるとおれの方を向いて、「ねえ貴方?」と仰った。つまり急に話を振られたわけだ。新参者だからだったのだろう。「な、なんですか」とコミュ障らしく戸惑いながら(無表情で)応えると、先生はニコニコしながら「なにか困ってることとかありませんか?」と言われたのだ。おれは迷ったが、自分が無表情で愛想がないことについて悩んでいる……というようなことを咄嗟に語った。「喜怒哀楽の『喜』と『楽』がないと言われました」と。
するとその先生は急にパッと誰も居ないところを向いて「そんなことを言うのは誰? 放っておいてちょうだい!」と怒って叫ばれたのだった。おれが目を白黒させていると、先生はまたにこやかな表情に戻って「そんなこと気にしなくて良いんですよ」とおれに対して仰ったのだ。「みんながみんな私みたいなにこやかな人間ばかりだと、世の中窮屈じゃないですか」と。
それがおれにはショックだった。青天の霹靂、と呼んでも良いのだろう。それまでおれは笑顔を作れないことが本当に恥ずかしくて、悩みの種としてつき纏っていたからだった。笑顔が作れないコミュ障のおれは最低の人間だ……そんな思いがずっとおれの頭を支配していた。だから先生のその言葉は、そんなおれの足枷を取り除く切っ掛けになったのだった。
おれはその時、笑顔を浮かべたような気がする。それまでおれは何度も作り笑いを浮かべようとして、作れなかった。無表情を貫き通してしまったために人前で笑おうとすると笑顔が引きつるのだった。口元がピクピクと……だから逆に怖いと言われることもあった。先生のその「貴方みたいな方がいても良いんですよ」という言葉は、そんなおれを初めて肯定する言葉として感じられたのだった。
それ以来、おれは人前で笑えるようになった。笑えるようになってからの世の中は随分違う。外国語をひとつマスターしたらこんな気持ちになれるのだろうか。ああ、面白い話を聞いて共感の証として笑顔を作れるというのはこんなにも心地良いものなのか……笑顔は相手に対して敵意がないということを示す重要なサインとなる(もちろん、世の中笑顔で包丁を研ぐ人間も居るけれど……)。相手を緊張させなくて済む。明るい雰囲気を壊さなくて済む。それがおれには、酒を止めて身体の健康を取り戻せたとかそういうこと以上に嬉しいことだった。
だからどうだ、という話なのだが、今日先生が亡くなられたということを知って、このことをなにかの形で書き留めておきたいと思った。だが、おれははてなブログを営んでは居るのだがこんな「私語り」でブログを埋めるのも気が引けるので、増田の住民には迷惑に映ることを十分覚悟した上で(申し訳ない!)ここに投げ込むことにした。これが亡くなられた先生に対するおれなりの追悼……いや増田に書いている時点で「不謹慎」なのだろうが、やはり表立って書くのも恥ずかしいのでここに書くことにする。
おれは処世訓を垂れたいわけではない。説教をしたいわけでもない。ただ、そういう出来事があった……それだけを残しておきたいのだ(そこから皆さんがなにを読み取るかはもちろん自由だ)。おれとしては、追悼文にもならないこの拙い文章で哀悼の意を表する。合掌。
http://anond.hatelabo.jp/20141125005211
私は年下だしなり楽観的なところがあうから少し違うかも知れないのだけど。参考までに。
GIDではなくトランスジェンダーやXジェンダーのグループがネットにはちらほらあるし私の入ってるところはオフ会なんかもあったりする。年齢層は中学生〜40代位まであっていろんな人がいるから自分に近い人とかに相談するのがいいと思う。
あとそういうところで見てて思うのは鬱病である人が多いし自分自身の心のケアなり、承認欲求を満たすなりしてバランスを保つのも大切だし、そもそもLGBTQである理想と現実とのギャップで鬱病になりやすい傾向にあると思うから引きずり込まれ過ぎないことも大切だと思う。
社会に出てるわけでもないし性的指向も違うしあんまり具体的にアドバイスは私からはできないけど少しでも良くなることを願ってます。
一般的かどうかは知らんが、
まぁ、やってみろよ。パソコンはコレ。
が今どきなんじゃないか?
お手本も見せずに、1度も料理したことがないやつに、たまごやき作ってみろ。手順を書き出せ。
は下手すりゃ泣くぞ。
模倣から入らず最初からフルスクラッチって超人じゃないんだから。
普通はお手本を見せて、1回めは成功させて成功体験を与えて、自分は出来るんだ!という自信を持たせてから。
じゃぁ オリジナル玉子焼きに挑戦してね。っていうのが普通だ。
だが最近は、最初から失敗させてへし折るか、 ずっと成功体験しかさせなくて冒険させないか、両極端すぎるんだよ。
まずはとにかく、成功体験を与えて、だめならいつでも、ここに戻ってくればいいという安全地帯を確保して。
それから、オリジナル玉子焼きに挑戦して まずい料理をたくさん作りながら、上手くなっていく。というのが理想的。
1度目にいきなり失敗させて、失敗することが重要とか、 うちの何とかちゃんに失敗はさせられないとか、バランスが悪すぎる
それこそ、増田が言ってることが手順を踏んでないよ。
「人に任せられなくて自分が全部やってしまう病」にネガティブな意見が多いが、そんなことはない場合が多い。
人に任せると、以下のロスが必ず発生する。
・確認コスト
・感情コスト(その人に対する心のケア、とりまく人間関係の把握など含む)
しかも、それでようやくできたものさえ自分の思惑どおりにならない「ゴミ」の成果物が出来上がる可能性もある。
・その人にしか出来ないものがある場合(鳥山明に絵を頼みたい場合とか)
もちろん一般論にあてはめられないが、業種によって個人がモーレツにやって、あぶれた所を拾ってもらうくらいで
やった方がいい場合が多い。
はじめから、「自分がいなくてもまわる組織」なんて絶対に考えない方がいい。「怠惰な道」だからだ。
自分が手を動かして、動かして、細かい作業など面倒な部分すら全て自分がやって、考え抜いて、
くらいの勢いで進撃していって、初めて成果が出る。
毎日使えない・理解の無い上司や部下にもまれながら大変な量の仕事をこなしている彼氏。苦労が多いので、たまに会えば愚痴も多い。
私も別にフルタイムの仕事を持っていてそれなりに大変だが、できるだけ彼氏といる時は自分の愚痴を言わない。せいぜい「今週も大変な一週間だったよ。お互い疲れたね」くらいにとどめるようにしている。
ところが先週はかつて無いくらい私の方が精神的・体力的に辛かったので、珍しく愚痴った。
そうすると、見えなくても良いものが見えてきた。
私→相槌を挟みながら気が済むまで相手に愚痴らせ「本当、大変だね」「分かってない人相手は疲れるよね」ととにかく彼氏の気分が上向くまでサポートに徹する
私→愚痴る
彼氏→私が「とどのつまりの私の不満や私の結論」まで話す前に「そりゃ、大変だ。つまりこういうことだろ?そりゃ気分悪いわ」と想像で先回りして勝手に気持ちを代弁(的外れな場合も有)し、私の口から不満を言わせてくれない。
自分の職場の場合にもこんなことがあるわーこういうのマジで腹立つよな!と自分のケースを話し出す。
私は結局自分の言いたいことを言わせてもらえず、まったくすっきりできない。
しかも、いま私が落ち込んでいて愚痴ってるのに、自分の職場のケースを話し出すって何だよ。
今私が落ち込んだ原因のエピソードを聞いてもらう番じゃなかったっけ。いつからあなたの話をする時間になったんだよ。
それとも何か?「お前の苦労なんてありがちなものなんだからその程度のことで落ち込むな」ってか?あ?
私→「食事でもして一狩りいって、ゆっくり過ごそう?」
□私が目に見えて落ち込んでいる場合
私→「……orz」
彼氏→「増田元気ないな?なんで?なんで?何があった?嫌だ!増田が元気ないの嫌だ!よし、狩り手伝ってやる(※)」
このなんでなんで言われるのがうっとおしくてさすがに「私あなたが落ち込んでいるときになんでなんでって追及せずに気が済むまで黙ってそばにいるようにしてるよね?」と言ったら黙りおったw
普段落ち込みやすくて他人に心のケアをさせている経験が豊富だからって、
他人の心のケアが上手になるわけじゃないんだなあ。
彼氏に話してもスッキリしないからもう二度と愚痴らないし、心の弱っているところも見せたくないと思った日曜日でした。
(※:私、自分の未クリアのクエに自分よりランク高い他人に手伝われるの嫌いなので実に余計なお世話なのだが、彼氏はその辺を分かってくれない。今の自分ではクリアできないクエををほぼ他力本願でクリアして金クリアになっても全然達成感ないし、取れた材料で武器や防具作っても全然嬉しくない)
180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:43:27.78 ID:92lrJ2eE
1、どうして義手足をつけないんですか? 周囲に気遣えるのならつけるべきです。義手足をつけら
れるのにつけないのは、障害を売りにしていると言われても仕方がないのでは?
2、障害が個性と言うのなら、医者も、介助者も、補助機具も、税金の補助も要らないんじゃないんですか?
3、どうして他の障害者と交流しないんですか? 他の障害者を差別してるんですか?
4、Z武ネタはよく言及するのに「自称スポーツライター」ネタはどうしてスルーし続けるんですか?
6、自分で言う障害ネタが笑えないんですが? 笑えないギャグを言うのは空気が読めない証拠なんじゃないんですか?
7、健常者が言ったら猛烈に叩かれる障害揶揄発言をして叩かれないのは逆差別だという意見がありますがどう思いますか?
8、周囲の人間に介助されていて、障害者として気を使われたくないというのは、矛盾してませんか?
自立してから「気を使わないでほしい」と言うべきです。
9、障害は病気です。病気を必要もなく強調したり、見せ付けたりするのは、コンプレックスを克服しているのではなく、
10、障害をネタに笑えるのが真のバリアフリーだというのなら、ぜひオナニーの方法を教えてください。
181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:44:08.19 ID:92lrJ2eE
11、どうして健常者にたいして教育者面してるんですか? 先天的障害者のあなたが五体満足の人間の
気持ちがわかるんですか? せめて障害者の学校で指導すべきです。あなたは先天的障害者の気持ち
12、障害を笑いにできる社会なんかきません。重度の病気を笑いのネタにすべきではないからです。
あなたはそれを知っていて、周囲の人を困らせる悪意ある障害ネタを言っているのではないのですか?
13、あなたは障害ネタを健常者にたいしてではなく、後天的な重度障害者とその家族にたいして、
面と向かって言う勇気があるんですか?
14、障害者は生活無能者です。だからこそ、健常者以上に社会にたいする謙虚さと感謝の心を持つ
べきではないのですか? あなたの言動には謙虚さと感謝の心が明らかに欠けています。もしかして、
障害者は介助、保護されて「当たり前」だと思っているんじゃないんですか?
15、障害をネタにできる社会が真のバリアフリーではありません。ネタにしているということは、特別視
しているということだからです。健常者が手足あることをネタにしますか? 当たり前すぎてネタになら
ないのです。障害をネタにすらしない社会、特別視しない社会、それが真のバリアフリーです。特別視
16、「若くして世に出てしまった(僕)」なんていう言葉は、他人に言ってもらうことであって、自分で言う
ことじゃありません。よくそんな認識で、道徳の教師なんかやっていましたね。
17、あなたの心無い障害揶揄発言を子供が真似して他の障害者に言ったらどうするんですか?
教育者として配慮が足りなさすぎるんじゃないんですか?
18、勉強して早稲田に受かったらしいですが、どうやって答案用紙に筆記したんですか? 数学の
182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:45:01.56 ID:92lrJ2eE
20、障害を持っているのにそれに負けずに、健常者以上の一流ピアニストや人気漫画家になった人を
知っています。あなたはいつも健常者に上から目線で説教していますが、そのような健常者に負けない
ような実績が何かあるんですか? 仕事が作家なら、一般公募している小説賞にでも投稿なされたら
どうですか? スポーツが好きなのなら、義手足をつけてパラリンピックでも目指したらどうですか?
21、あなたが障害揶揄発言をするから悪ノリする若者が出てくるんじゃないんですか? 自分から
誘っておいて、「越えちゃいけないライン、考えろ」はないんじゃないんですか? 二階に上げて、
階段を外すような行為です。あなたがまず越えてはいけないラインを考えるべきです。
22、あなたは失明するとか、顔に重度の火傷を負うなどの急な後天的障害をわずらっても、障害は
23、最近よく帽子をしていますが、四肢欠損は気にしてないのに、ハゲは気になるんですか?
24、フォロワーのTLを汚さない気遣いはするのに、晒しRTの影響については考慮しないんですか?
25、本当に幸せな人間はいちいち自分を幸せだと強調しないものです。そうアピールしなくては
精神のバランスを保てないほど、何か大きなコンプレックスを抱えているんですね。
26、世の中には何十年も教師をやっているベテラン教育者が大勢いるのに、それを差し置いて、3年
そこらの教師経験で、お金をもらって講演で教育論を語るなんて、人間として恥ずかしくありませんか?
27、チョークも持てない、逆上がりもできない、ピアノもひけない、倒れた生徒を医務室に運ぶことも
できないあなたが教員を勤めたために、他の優秀な教師志望者の雇用機会が損なわれました。それに
ついてどう思いますか?
183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:48:20.08 ID:92lrJ2eE
28、被災地をボランティアでまわったとき、障害者施設には一切近づかなかったと言うのは本当なんで
すか? マスコミはあなたと他の障害者の交流シーンを取材したかったのでは?
29、障害者代表として見られたくないなら障害論を語るべきではないのでは? 「障害をネタに出来る
社会を作る!」じゃなくて「僕の事はネタにしていいですよ」ていどにすべきです。
30、あなたは根本的に身体的特徴いじりネタを勘違いしています。あれは言われたほうが嫌がるから、
ネタとして成立するんです。あなたの場合は、仁美「だって、あんたカタワだもんね」 乙武「カタワって
言うな!」 仁美「あら、ごめんなさい。あなた全部ないからムワ(無輪)だわね」 乙武「もっとひどいわ!」
と言う感じに、突っ込まなくてはいけない立場なんです。自分で喜々と障害揶揄ネタを言っても寒いだけ
です。
31、「人生で絶対に失敗しない方法が、ひとつだけある。それは、何の目標も持たず、何のチャレンジも
しないこと。でもさ、そんな人生、ちっとも魅力的に思えないよ。」と語っていましたが、あなたがいったい
なににチャレンジしたんですか? そしてなにに成功して、失敗したんですか? そもそも何か競争に
真剣に参加したことがあるんですか? 障害者の特権を利用してあらゆる厳正な競争を免除され続けた
あなたが、他人に対してチャレンジの重要性を説く資格があるのですか? 何でもかんでも他人にやって
もらっただけで、あなた自身何も挑戦してないのでは? そんな人生、ちっとも魅力的に思えませんよ。
32、障害者として同情されたくないと言いますが、始球式でビニールボールを投げたり、しょうもない
ダジャレを言っただけで賞賛するようなあなたの信者が一番あなたに同情しているのでは? 今いる
信者は、あなたが健常者だったら見向きもしなかったと思いますよ。
33、障害をネタにできるのが真のバリアフリーと言うのなら、癌やエイズで死にかけている人も笑って
いいのですか?
34、野球に出たら代打として自分は使えるとか言ってましたけど、野球のストライクゾーン理解して
るんですか? 胸から膝ですよ。あなたはちょっと太もも短いだけで、そこの長さは健常者と大して
変わらないのでは? プロなら普通にストライク入れてきますよ。そんなこともわからないなんて、
184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:49:40.91 ID:92lrJ2eE
35、身体を病むとやはり精神も病んでしまうんですね。あなたを見ているとよくわかります。僕は
五体満足に生まれて本当によかった。あなたを見ていると心からそう思います。
36、「天使のオトくん」という虚像に苦しめられてきたと言ってましたが、それであなたがなにを苦しん
だんですか? その虚像で大金稼いでなに言ってるんですか? もし不本意だったと言うのなら、
五体不満足の印税全部返上したらいかがですか? あなたのような人格奇形児に金メッキして
商品化、プロデュースしくれた人々の努力を足蹴にしています。感謝の心が欠如していませんか?
37、本当に四肢欠損を気にしてないのなら、いちいちそれを話題にしないのでは? 話題にするという
ことは、それだけやはり気にしてるんですね。本当に哀れになってきます。
38、あなたの「障害は不便です。だけど不幸ではありません。」と言う言葉は明らかに間違っています。
障害そのものは病気であり、不幸です。不幸だからこそ、税金で補助され、医者と患者は一生懸命
リハビリして、それを克服しようとしているのです。正確には「障害をもっていることは不便で不幸なこと
です。しかし、人間は考え方や努力によって、その不幸を補えるだけの幸福を獲得することができる
はずです」と言うべきです。「障害そのものを不幸ではない」と断言しているあなたの短絡さが、理論の
ねじれる原因になるんです。
39、しかし、あなたは本当に障害「 しか 」売りがないんですね。何か他に芸を身につける努力を
なさったら?
40、教師として健常者の児童の心のケアはするのに、どうして障害者の児童の心のケアはして
くれないんですか? 「障害は不便だが、不幸ではない」と言う哲学があるのなら、それを障害者
の児童に伝えるべきでは? こんなこと健常者にアピールしても意味ないんですよ。
41、健常者が障害を揶揄しないのは、気を使っているからでもなく、壁を作っているわけでもなく、
単純に障害が笑いとして面白くないからです。笑う必要性がないからです。何でいちいち障害を
いじって、笑いにしないといけないんですか? 道に落ちている石をいじったり、笑ったりしますか?
そんなことしてたら、ただの精神異常者では?
185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 10:05:47.61 ID:92lrJ2eE
42、「子どもの頃から、野球が大好きでした。でも、子どもの頃から、巨人が大嫌いでした。
でも、それは巨人が嫌いだったんじゃなくて、渡邉恒雄氏のやり方が嫌いだったんだ。一野球ファン
として、断固、清武代表の“反乱”を支持します。」と、おっしゃってましたが、渡邉氏がオーナーに
なったのは1996年です。あなたはすでに20歳前後だったのでは? 中身もないし、さすが自称
43、障害者は生活無能者です。障害をネタにするということは、無能者の部分までネタにされる危険性
があるのでは? あなたは「カタワ」と言われて笑っていますが、「カタワだから役立たずだよな」と言わ
れて笑っていられるのですか?
186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 10:26:05.75 ID:92lrJ2eE
44、義手足をつけずに始球式をして、あなたはなにをしたかったんですか? 東北の人々に勇気を与
えたいと言っていましたが、あなたがビニールボール投げても、普通は勇気付けられることはありま
せんよ。義手足つけて、自然なフォームで球を投げたら、それこそ世界中が賞賛したでしょうに。
45、始球式であなたの姿を見て、トラウマになったと言う人もいます。それをどう思いますか?
病的なものや部位を見て、人間が生理的な嫌悪感や抵抗感を感じるのは本能的で、自然なもの
です。子供たちの前で、病気を見せびらかすあなたの精神性が一番病んでるのでは?
46、1日校長をやったとき、床や階段を這いずり回ったそうですが、子供から見て明らかに異様ですよ。
あなたが先天的障害者だと知らない子供たちは、事故や拷問で手足を切断されたとしか思わないで
しょう。子供からしたら、ホラーや猟奇動画そのものです。ゆっくりとでいいから義足をはめて歩くべき
だったのでは? 教師ならもう少し子供たちに配慮すべきです。
「甘えさせる」とか「優しくする」とか「愚痴を聞く」、「慰める」、「サジェスチョンする」などの心のケアを行う。行ってくれる自分以外の他人。その価値って言うのを低く見積もってるんじゃないのか?
これはすごくすごいことだよ(小並)
こんなふうに換算するのは無粋かもしれないけれど、1時間あたり数万円が飛んでいってもおかしくないようなケアなんだ。いや、ラポール形成の下準備に期間をかけることを考えればもっと高額になるかもしれない。
いやそんなことはない。馬鹿話をして愚痴を言い合うくらい日常的に友人とやれるだろ? って、それは決してケアの価値が安い理由にはならない。その友人と友人との関係がそれだけバリューがあり素晴らしいと言うだけなんだ。(一般論で言って)友人、恋人、家族というのは上記のような金額換算したら誰しもが破産しかねないようなケアを相互にやっているから素晴らしいし尊いんだ。
時に自分は、それに値するような何かを、自分の側からは友人だと思っている人々に、少しでも返せているんだろうかと思う。それを考えると飲みに誘うことさえためらわれることもある。でもそこで手を離すと本当に何も返せなくなるのでメールを送る。シモネタをからめて。ごめんなさい。今週のネタはすこし滑った。
増田に言いたい。この種のケアを一方的に求めると、相手はすり切れてしまうんだよ。中学生時代僕らが夢想していたように、女性というのは女神じゃないのだ。精神的キャパシティは口座に似て残高がある。引き出してばかりだと相手は破産してしまう。僕らが夢見ていたような「女性の女性らしい優しさ」というのは、あれは女子に生来備わっているものじゃないんだ。女性が、意志の力で、自分の中のエネルギーを結集して合成しているものなんだ。でもそれに幻滅するってのもちがう。むしろ、だからより尊いと思うよ。それは希少な資源で、女性が特別だと思う相手に与えるものだからだ。
もっとも男だって大差ない。世間を見渡してみれば、口座残高に余裕がある人と無い人ははっきりといる。
大人になるというのは、周囲の人間に多くのケアを提供できる。その能力を持つことだと思うよ。
俺たちは子どもの頃、無制限にその希少なケア資源を周囲に要求してきた。足りてないと判るとスーパーの床に泣いて転げ回ってまで愛情を求める生き物だった。しかたない。子どもにはそれが必要だし、ないと成長できない。ほとんどの子どもは両親の精神的キャパシティ口座から大きな額を引き出して、しかも自分からは与えない。子どもってそういう生き物なんだ。だから奥様の希少なやさしさは、いま、お子さんが使っている。そのエネルギーで大きく育とうとしている。でもそれは子ども時代の増田だってそうだったはずだ。
たとえばあなたはお祖母ちゃんに大きな負債がある。お祖母ちゃんは口座から引き下ろし増田に与えたんだ。
でもそれはおそらく確実に返せない。あなたも、僕も、他の誰もが、残念だけどその種の負債を返しきることが出来ない。返す前に相手は目の前から去ってしまう。
大人になるって言うのは、それを自覚して、だからせめて自分にまったく借りもないような周囲の親しい人々にギフトをすることだと思うよ。そのチャンスが目の前に奥様とお子さんという形で生きているんだから。