2014-11-25

性同一性障害推定)で、どうにも踏み出すべき道のりが薄暗い

これから社会人になろうとする20代学生で、性同一性障害(FTMTG)の自覚があるものです。

正直どういう風に「大人になって」生きたらいいかがわからない。

僕は、外見が完全に女である

ユニセックスな服・メンズ服でサイズの合うものを探して来てみても、完全に女である

背がとても低く、声が高く、顔は正直申し上げると目が大きくまつげが長いので、ノーメイクでもかわいい

そして、いまだに高校生と間違えられることがある。

おっさん嘘つくのも大概にしろよと思っただろうか。うん、俺も思った。

だが、残念なことにこれは嘘でもなく残念な事実であるのだ。

おかげで、同性の中でちょっとボーイッシュな感じの人をみつけると、

きゃあきゃあと盛り上がる年代中高生女の子に囲まれていた時代ですら、

びっくりするぐらい女の子から性的な意味でモテなかった。今も現在進行形モテてない。

ここ最近特に、色の濃い目で肌の露出の極端に少ないメンズしか着ていないのに、「小動物系で守ってあげたい感じ」と言われてしまう。

さらに、20代に入ってから自分の顔に女としての色気が足されつつあるのを実感する。

不潔に思われないギリギリラインの装いをしているのに、男から性的な意味で)見られるようになった。

(単純に、そういう目で見ているということに、僕が気づけるようになっただけかもしれないが…)

俺はこれほど男なのに、外見がどんどん、「あるべき僕像」というのからどんどん離れていっている気がする。

それは、一歩間違えれば不潔感を与えてしまうような、だらしがない真面目系クズ学生だ。

そうであるべき人間が、何かの間違いで、「外見に無頓着かわいい小動物女の子」として、周りの人間から認識されている、そんな感じだ。

僕は物事真剣に捉えない癖があるのか、結構馬鹿なので、「朝起きたら女の子なんておいしいじゃないか…!」みたいなところがある。

あと、性同一性障害といっても、身体的違和が強いタイプ(FTMTS)ではなく、性に対しても恋愛に対しても大して興味がない性格なので(FTMTGのノンセクシャル)あまり自分性別にまつわる問題を今まで深刻に捉えてこなかった面もあるかもしれない。

自分のこととして深刻に考えていたら、そりゃ、この身体でまともに自尊心を保ったまま暮らせるわけがないのだが、

どうも自分人生について投げやりなのか、(自分性別と外見が食い違っているけど、)まあ、いっか。

女の子からも警戒心もたれにくい感じだし、まあ、いっか。

と、自分の外見についてあまり真剣に向き合わずに逃げてきた。

不快に思われない程度に似合う程度の、男物やユニセックスの服を着て、違和感がない程度の短髪にして、

胸を潰して少々体型補正をしただけで、自分としてはそれでいいと満足していた。

満足しようとしていた。

結果、初対面では100%男と思われない状態でここまで来てしまった。

性格をよく知っている人から問題がない。

しかし、そこまで深い仲でない場合、ただの女の子として認識され続けるしかない。

最近、周囲から違和感を持たれにくい範囲内での「男の服装」をした状態で、ナンパされることが複数回あった。

僕が男物の装いをした所で、ボーイッシュ女の子しかならないし、

そして、そういった化粧っけのないボーイッシュで素朴風な女の子需要があるということも、そんなことは分かっている。

分かっているし、理解はしているつもりだが、そういった現実を突きつけられるのは、流石に少々こたえた。

幼稚園児の頃に、(当時はお嫁さんになりたいという生き方が主流だった)自分は働いて自分の稼ぎは自分で稼ぐといい、

変な子ねといわれつつも、(当時、まだ主流だった)女としての生き方一般職寿退社専業主婦という息方だけは御免だと思っていた。

ふたを開けてみれば、今の時代女性が働くことが普通時代になっていた。

仕事内容を性別区別されること自体は減ったようだから、その点は大分生きやすくなったかと思いきや、

今度は、「社会人女性」という型に嵌められて生きなければならないというルールも着いてきた。

しかし、ここで付属してきた、「大人の女性になれ」との社会から要請に、一体、僕はどのように対処すればいいのか、ほとほと困っている。

小中学生の頃は仕方なく合わせていたものの、もうこの歳になってしまっては、自我を押さえ込んで、いやいや拷問(=大人の女性としてのマナー)に従うほど僕は従順ではなくなってしまったし、そもそも、なぜ僕だけが周りの誰も受けていないような拷問をすすんで受けなければいけないのかも妙に腑に落ちない(性同一性障害だと自覚しているわりに、今までそのことへの対処について、真剣に向き合ってこなかったというのが落ち度といえば落ち度ではあるのだが…)。

かといって、その拷問回避するような生き方では、社会的な信頼が得られづらいのも事実なわけで、一体何を優先してどう折り合いをつけてどこを妥協するべきかを迷っている。

若いうちから体や財布を傷つけて性転換をしようとする性同一性障害人達にたいして、「そんなことをしても、よっぽど身体条件に恵まれた人でない限り、

本人の希望のように、男/女 としては見られないだろうから、結局奇異の目に晒されるだけだ」と、彼らのことを器用でない人達だなあと馬鹿にしていた。

しかし、今思えば、彼らは真摯であった。自分生き方について真剣に考えた結果、そのような行動をとらざるを得ないと、早いうちから判断したのだろう。

たとえ、外部から彼らの男/女になりきれない容貌を嗤う者があったとしても。

僕は、他人の目の方を気にしていた。TVスクリーン上のオカマ、或いはドキュメンタリー取材される哀れな性同一性障害でありたくなかった。

なるべく、ただの一般人でありたかった。だからギリギリライン自分を騙していた。

しかし、今後、「大人」になっていくうえで、もう、これは限界だ。

僕は、このままでは、「大人」になれない。

社会ルールとしては、「大人になる」ことの中に「一人前の男/女になる」という意味が含まれるらしい。

僕は、精神的には一人前の男を目指したいと思うし、そして、一人前の女になる気はない。

しかし、周囲の目が求めてくるものは、逆である

僕は生まれてこのかた自分を女だと思ったことはないし、これからも多分ないだろう。

しかし、外見を男としてパス(=希望性別として周囲から認識されること)することも多分ないだろう。

だとすると、男の服を着た身体的女であり、「精神的には男である女」と周囲から認識されること、

それが一番自分にとって(当面は)ストレスのない生き方だ。

しかし、一般に、そのような外見の人間は、「歳相応の振る舞いが出来ない幼稚な人間」と認識されがちである

もちろん、「中性/あるいは、男でも女でもない性別」という性別が公のものとして世の中から認識されれば、僕の悩みはすべて解決する。

しかし、この国でむこう数十年のうちにそういうことが実現するのは、まあフィクションの中だけだろう。

それゆえに、今後、僕に、外側から付きまとってくるであろう「女」という属性と、これからどう向き合っていけばいいか、わからない。

性転換して男になるわけではなく、女性としてのTPOに従わない見るから男装した女のままで、

子供でなく、ひとりの大人としてただそこに存在している、ということを、社会からは認めてはもらえないのだろうか。

(正直今まであんまり深刻に考えてなかったのですが、

ここにて文章化してみて割りと絶望しています…)

  • 美的執着心が一般的な♂のそれなら 太るのも吝かではないはず そこへ一歩踏み出せないなら 所詮♀なんでしょ 化粧だの服だの・・・w

  • よく知らんけど、ネットにはおまえと同じ悩みを抱えつつ人生をより長く、上手に生きている先輩がそれなりにいるはずなので そいつらを探せばいいよ いわゆるロールモデルとして参考...

  • http://anond.hatelabo.jp/20141125005211 私は年下だしなり楽観的なところがあうから少し違うかも知れないのだけど。参考までに。 GIDではなくトランスジェンダーやXジェンダーのグループがネッ...

  • 客観的に見ると、いかにもなんちゃってっぽいんだけど。 「僕」って、これから社会人になるような男が使うか? 幼稚園児の頃に、(当時はお嫁さんになりたいという生き方が主流...

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