はてなキーワード: 小中学生とは
まー、なんか答え出てしまっているけど、なぜ、と問うた増田自身がもう自分で答えを出して納得しちゃってるので、今さら外野がなにか言うのもアレなんだが、その問いについては、ライトノベルというのは、「馬鹿にされることをみずから望んでいるジャンル」だから、という話にしかならない。
ここらへんが、「オレたちをブンガクとして認めろ!」という異議申し立てを行った、SFやミステリや大衆文学とは根本的に異なる。
なぜなら、ライトノベルというのは、マンガしか読んだことのない、マンガしか読めない小中学生に、「これならぼくでも読めそう!」と思わせなければならないジャンルだからである。
ラノベ側が「オレたちはブンガクだ!」と異議申し立てをした瞬間、「そんな難しいものぼくたちには読めません」と、このメインの読者を取り逃がすことになる。
ライトノベルとは言わば駄菓子であって、そのチープな雰囲気こそが最大の魅力であり、みんながよってたかって馬鹿にすることによってこそ、「そんな本ならぼくでも読めるかも……」と小説を読んだことのないガキを引き寄せるのである(その内容が本当に「駄」で「チープ」かはまた別の話だ)。
たとえ本人がそのつもりでも、あれはラノベのステマなのである。
だって今日から一年間、ありとあらゆる人間が、「ライトノベルは素晴らしいブンガクだ! みんな石川博品を読め!」と大合唱をはじめて見ろ。少数のブンガクオタクと引き替えに中学生が離れて速攻で滅ぶ。
そういうわけで、繰り返すが答えは、
「ライトノベルというジャンルが馬鹿にされることを望んでいるから」
ということになる。
以下余談:
「ラノベというのは、漫画でいえば少年漫画のようなものではないか。」という指摘は、半分正しく、半分間違っている。
実際「ライトノベルとはマンガしか読めない中学生が読めるマンガのような小説」であるのなら、「ジャンプに載ってるマンガみたいな小説」が、いっぱい読めるジャンルになっていてもおかしくはなかった。
……何かが奇跡的に上手くいって、ジャンプみたいな小説、サンデーみたいな小説、マガジンみたいな小説が並び、ちょっとコアな読者向けにアフタヌーンみたいな小説とかコンプエースみたいな小説も並び、そんな多様な「マンガみたいな小説」がいっぱいあって、「マンガみたい」だと馬鹿にされるから、小説より遙かに広い、マンガと同じだけの読者層を持つようになる。それが、私がかつて夢想した、ラノベの未来であった。
なぜそうならずに、
「コンプエースに載ってるマンガみたいな小説」しか読めないジャンル
になったかと言えば、これはもう単純で、シェア握ってるのが今も昔もKADOKAWAだから、という話にしかならない。
ジャンプもマガジンもサンデーも、みんなコンプエースの後追いしかしない少年マンガ界……というのが、残念ながら現在のライトノベルである。
が……それはそうと、もう少し別の形のライトノベルは、ありえたのではなかろうか、とは常々思っている。
冒頭の一文、確かにわかりにくかったので修正……。ごめんよ、ラノベ天狗、せっかく褒めて貰ったんだけど、そういう意味じゃなかったんだ……。
人の怒鳴り声が怖い。大声が怖い。
怒られるのが怖い。怖いだけならいいのだけれど
どうやら自分は怖いことが起きると腹が痛むようで。
ほら。「学校行きたくないなあ」と思いながら電車に乗ろうとしたら
腹が痛くなるという。アレね。
発症した当時はまだ小中学生。
いじめを受けていて
いじめのストレスで〜とかなんとか理由になるんだかならないんだか分からない理由で
腹が痛むようになってしまった。
高校の時は、一ヶ月に一回痛むことがあったぐらいで、特に支障はなかった。だからこのまま、それなりに病気と付き合いながら生きていくのだと思った。思っていたかった。
今。
彼が言っていることは正論だと思うし、理解できない私が駄目だ。
教授が正しい。分かっている。
怒られるということはある程度期待されているということも分かる。
見捨てられたら終わりだ。
完璧にやらなければ、と思う。
でも、どうしたらいいのか分からなくて
不安になって、怖くなって、そして腹が痛む。
何度も吐いてしまった。
それが三週間ばかり続いている。
必修じゃないんだから。
友人は優しく言ってくれる。
ビクビク教授の顔を伺って物を作るなんて
上司が彼のような人だったら。日常的に怒られる日々が続いたら。
と思うんだけど、身体はボロボロ崩れていく。はは。
ああ、情けない。あまりにも心が弱すぎる。
これから社会人になろうとする20代、学生で、性同一性障害(FTMTG)の自覚があるものです。
正直どういう風に「大人になって」生きたらいいかがわからない。
僕は、外見が完全に女である。
ユニセックスな服・メンズ服でサイズの合うものを探して来てみても、完全に女である。
背がとても低く、声が高く、顔は正直申し上げると目が大きくまつげが長いので、ノーメイクでもかわいい。
そして、いまだに高校生と間違えられることがある。
おっさん嘘つくのも大概にしろよと思っただろうか。うん、俺も思った。
おかげで、同性の中でちょっとボーイッシュな感じの人をみつけると、
きゃあきゃあと盛り上がる年代の中高生の女の子に囲まれていた時代ですら、
びっくりするぐらい女の子から(性的な意味で)モテなかった。今も現在進行形でモテてない。
ここ最近は特に、色の濃い目で肌の露出の極端に少ないメンズ服しか着ていないのに、「小動物系で守ってあげたい感じ」と言われてしまう。
さらに、20代に入ってから、自分の顔に女としての色気が足されつつあるのを実感する。
不潔に思われないギリギリのラインの装いをしているのに、男から(性的な意味で)見られるようになった。
(単純に、そういう目で見ているということに、僕が気づけるようになっただけかもしれないが…)
俺はこれほど男なのに、外見がどんどん、「あるべき僕像」というのからどんどん離れていっている気がする。
それは、一歩間違えれば不潔感を与えてしまうような、だらしがない真面目系クズ学生だ。
そうであるべき人間が、何かの間違いで、「外見に無頓着風かわいい小動物系女の子」として、周りの人間から認識されている、そんな感じだ。
僕は物事を真剣に捉えない癖があるのか、結構馬鹿なので、「朝起きたら女の子なんておいしいじゃないか…!」みたいなところがある。
あと、性同一性障害といっても、身体的違和が強いタイプ(FTMTS)ではなく、性に対しても恋愛に対しても大して興味がない性格なので(FTMTGのノンセクシャル)あまり自分の性別にまつわる問題を今まで深刻に捉えてこなかった面もあるかもしれない。
自分のこととして深刻に考えていたら、そりゃ、この身体でまともに自尊心を保ったまま暮らせるわけがないのだが、
どうも自分の人生について投げやりなのか、(自分の性別と外見が食い違っているけど、)まあ、いっか。
不快に思われない程度に似合う程度の、男物やユニセックスの服を着て、違和感がない程度の短髪にして、
胸を潰して少々体型補正をしただけで、自分としてはそれでいいと満足していた。
満足しようとしていた。
結果、初対面では100%男と思われない状態でここまで来てしまった。
しかし、そこまで深い仲でない場合、ただの女の子として認識され続けるしかない。
最近、周囲から違和感を持たれにくい範囲内での「男の服装」をした状態で、ナンパされることが複数回あった。
僕が男物の装いをした所で、ボーイッシュな女の子にしかならないし、
そして、そういった化粧っけのないボーイッシュで素朴風な女の子に需要があるということも、そんなことは分かっている。
分かっているし、理解はしているつもりだが、そういった現実を突きつけられるのは、流石に少々こたえた。
幼稚園児の頃に、(当時はお嫁さんになりたいという生き方が主流だった)自分は働いて自分の稼ぎは自分で稼ぐといい、
変な子ねといわれつつも、(当時、まだ主流だった)女としての生き方=一般職で寿退社・専業主婦という息方だけは御免だと思っていた。
ふたを開けてみれば、今の時代は女性が働くことが普通の時代になっていた。
仕事内容を性別で区別されること自体は減ったようだから、その点は大分生きやすくなったかと思いきや、
今度は、「社会人女性」という型に嵌められて生きなければならないというルールも着いてきた。
しかし、ここで付属してきた、「大人の女性になれ」との社会からの要請に、一体、僕はどのように対処すればいいのか、ほとほと困っている。
小中学生の頃は仕方なく合わせていたものの、もうこの歳になってしまっては、自我を押さえ込んで、いやいや拷問(=大人の女性としてのマナー)に従うほど僕は従順ではなくなってしまったし、そもそも、なぜ僕だけが周りの誰も受けていないような拷問をすすんで受けなければいけないのかも妙に腑に落ちない(性同一性障害だと自覚しているわりに、今までそのことへの対処について、真剣に向き合ってこなかったというのが落ち度といえば落ち度ではあるのだが…)。
かといって、その拷問を回避するような生き方では、社会的な信頼が得られづらいのも事実なわけで、一体何を優先してどう折り合いをつけてどこを妥協するべきかを迷っている。
若いうちから体や財布を傷つけて性転換をしようとする性同一性障害の人達にたいして、「そんなことをしても、よっぽど身体条件に恵まれた人でない限り、
本人の希望のように、男/女 としては見られないだろうから、結局奇異の目に晒されるだけだ」と、彼らのことを器用でない人達だなあと馬鹿にしていた。
しかし、今思えば、彼らは真摯であった。自分の生き方について真剣に考えた結果、そのような行動をとらざるを得ないと、早いうちから判断したのだろう。
たとえ、外部から彼らの男/女になりきれない容貌を嗤う者があったとしても。
僕は、他人の目の方を気にしていた。TVスクリーン上のオカマ、或いはドキュメンタリーで取材される哀れな性同一性障害でありたくなかった。
なるべく、ただの一般人でありたかった。だから、ギリギリのラインで自分を騙していた。
しかし、今後、「大人」になっていくうえで、もう、これは限界だ。
僕は、このままでは、「大人」になれない。
社会のルールとしては、「大人になる」ことの中に「一人前の男/女になる」という意味が含まれるらしい。
僕は、精神的には一人前の男を目指したいと思うし、そして、一人前の女になる気はない。
僕は生まれてこのかた自分を女だと思ったことはないし、これからも多分ないだろう。
しかし、外見を男としてパス(=希望の性別として周囲から認識されること)することも多分ないだろう。
だとすると、男の服を着た身体的女であり、「精神的には男である女」と周囲から認識されること、
しかし、一般に、そのような外見の人間は、「歳相応の振る舞いが出来ない幼稚な人間」と認識されがちである。
もちろん、「中性/あるいは、男でも女でもない性別」という性別が公のものとして世の中から認識されれば、僕の悩みはすべて解決する。
しかし、この国でむこう数十年のうちにそういうことが実現するのは、まあフィクションの中だけだろう。
それゆえに、今後、僕に、外側から付きまとってくるであろう「女」という属性と、これからどう向き合っていけばいいか、わからない。
性転換して男になるわけではなく、女性としてのTPOに従わない見るからに男装した女のままで、
子供でなく、ひとりの大人としてただそこに存在している、ということを、社会からは認めてはもらえないのだろうか。
(正直今まであんまり深刻に考えてなかったのですが、
http://b.hatena.ne.jp/entry/wired.jp/2014/10/22/sweetie-webcam-sex-conviction/
ブコメでバーチャルセックスをナメてる人居るけど、裸がデジタルデータ化されて
ネット上を流れるのはある意味で、売春よりタチが悪いかもしれないってこと理解して欲しいね。
http://www.youtube.com/watch?v=bVN27bw87EI
この動画で過去を告白しているアマンダ・トッドさんは、幼い頃にペドに言われるままにオンラインで裸を見せて、
キャプチャを取られ、ペドに名前や住所などを突き止められ、脅迫され、学校にもバラされて、ついには自殺してしまった。
リベンジポルノの例もある。裸のデジタルデータ化は本当に危険。
「自業自得」って言う奴が絶対に居るだろうけど、自分が小中学生の頃にそんな判断能力あったと思うか?
自分が男子小中学生の頃に、チャットで年上のエッチなお姉さんと知り合って、
「可愛いね」「大好き」「もっといろんな姿を見たい」って言われたとして、
「うわこいつショタコンだ!変態だ!関係切ろう!」と思えた自信があるか?
ネットに入り浸り、ペドでもいいから相手をしてくれる人を探してしまう子供たちは、
家庭の雰囲気が悪かったり、学校で辛い思いをしていたりと、寂しさに追い詰められていることも多い。
なんか前書いたやつがブクマ300超えちゃったみたい。コメント読んでないんだけど、調子に乗って、ぼくがこれはラノベよりひどいなと思った有名な人気小説を紹介したいと思う。
どれも超人気作品なのでぼくの感覚がおかしいだけなのは十分わかってはいるのだけど、こう思うひともいるってことで。本気でラノベのほうがマシだと思っている。こういう小説を好んで読んでるくせにラノベ批判してるやつらって頭おかしいんじゃないのって思う。
というか、そもそもフォークナーやナボコフを原書で読むような日本に1万人いるかもわからないガチの文学オタクのひとたちがわざわざラノベだけを指定して批判するなんてことがありうるのかってことなんだけど。世界レベルの傑作を読んでしまうと、ラノベも一般層向けの大衆文学も大差ないよねって話になるわけで、ラノベはだめで一般層向けの大衆文学はすばらしいなんて話には絶対にならないと思うんだが。
ラノベはたしかにくだらないが、一般層向けの大衆文学だって同じようにくだらない。一般向けの大衆文学を擁護するくせに同じ大衆文学カテゴリーのラノベを批判するのは意味がわからない。どっちも同じだよ?
でははじめます。
ひどすぎて絶句する。プロの小説とは思えない。こんなものが大量に売れる日本は終わってるなと思わせてくれる。ぺらっぺらで何もない。ラノベ1冊読むのに40分かかるぼくが20-30分で読み終わる程度のうすーくかるーいゆるふわ小説。
>http://www.amazon.co.jp/dp/457551344X/>
「愛美は死にました。しかし事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです」我が子を校内で亡くした中学校の女性教師によるホームルームでの告白から、この物語は始まる。語り手が「級友」「犯人」「犯人の家族」と次々と変わり、次第に事件の全体像が浮き彫りにされていく。
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重松清って有名だからどんなもんじゃいと思って読んでみたが、ほんとにしょうもない。こういうくだらないの読んでなにかいいもの読んだ気になっちゃうのはどうなんだろうな。まあ小中学生までかな。ラノベのほうがまし。
>http://www.amazon.co.jp/dp/406274998X/>
死んじゃってもいいかなあ、もう…。38歳・秋。その夜、僕は、5年前に交通事故死した父子の乗る不思議なワゴンに拾われた。そして―自分と同い歳の父親に出逢った。時空を超えてワゴンがめぐる、人生の岐路になった場所への旅。やり直しは、叶えられるのか―?「本の雑誌」年間ベスト1に輝いた傑作。
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アホか! と叫んでしまう。「みずみずしい感性」ってこんなものかよ。エンタメのだめさが如実に表れている。こういうのを読んでいい話だと思っちゃうひとはあぶないのでは。『半分の月がのぼる空』でも読んだほうがまし。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4087484920/>
そのひとの横顔はあまりにも清洌で、凛としたたたずまいに満ちていた。19歳の予備校生の“僕”は、8歳年上の精神科医にひと目惚れ。高校時代のガールフレンド夏姫に後ろめたい気持はあったが、“僕”の心はもう誰にも止められない―。第6回「小説すばる」新人賞受賞作品。みずみずしい感性で描かれた純愛小説として選考委員も絶賛した大型新人のデビュー作。
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評価が高かったから読んでみたが、ほんとにしょうもない。少年漫画か! と言いたくなる、糞みたいな人間関係とストーリー展開。主人公はさっさと死ねと思った。例外中の例外『神様のメモ帳』のほうがまし。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4062761386/>
生後五ヵ月の娘の目の前で妻は殺された。だが、犯行に及んだ三人は、十三歳の少年だったため、罪に問われることはなかった。四年後、犯人の一人が殺され、檜山貴志は疑惑の人となる。「殺してやりたかった。でも俺は殺していない」。裁かれなかった真実と必死に向き合う男を描いた、第51回江戸川乱歩賞受賞作。
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日本語訳がひどすぎるという話は知ってる。それにしてもひどすぎる。ファンタジー大好きなぼくでも全然内容が頭に入ってこなかった。かといって原書読もうとも思えない内容だった。要するに俺TUEEE小説。これだったら「さすおに」こと『魔法科高校の劣等生』読んだほうがよい。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4915512371/>
ハリー・ポッターは孤児。意地悪な従兄にいじめられながら11歳の誕生日を迎えようとしたとき、ホグワーツ魔法学校からの入学許可証が届き、自分が魔法使いだと知る。キングズ・クロス駅、9と3/4番線から紅色の汽車に乗り、ハリーは未知の世界へ。親友のロン、ハーマイオニーに助けられ、ハリーの両親を殺した邪悪な魔法使いヴォルデモートとの運命の対決までの、息を飲む展開。9歳から108歳までのファンタジー。
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ハヤカワepi文庫は積極的に集めているのだけど、そのなかでもしょうもなかった作品がこれ。まずタイトルがアホ。原題はこんなんじゃないのだが、日本人向けにあほなタイトルにしたらしい。もうね、日本人はなめられてるよ。内容はほんとにくだらない。アホかって千回叫んでしまう。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4151200436/>
「君のためなら千回でも!」召使いの息子ハッサンはわたしにこう叫び、落ちてゆく凧を追った。同じ乳母の乳を飲み、一緒に育ったハッサン。知恵と勇気にあふれ、頼りになる最良の友。しかし十二歳の冬の凧合戦の日、臆病者のわたしはハッサンを裏切り、友の人生を破壊した。取り返しのつかない仕打ちだった。だが二十六年を経て、一本の電話がわたしを償いの旅へと導く―全世界八〇〇万人が涙した、衝撃のデビュー長篇。
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やたらとネットで絶賛されてるので読んでみたが、ほんとにしょうもなかった。構成は下手だし、描写もなんだかなあ。もっとヘビーでまともな文学はいくらでもあるよ。ケッチャムは有名になりすぎちゃったね。一部のカルト的人気でおさまっていればよかったのに。萌えラノベのほうがましなのは言うまでもない。
>http://www.amazon.co.jp/dp/459402534X/>
1958年の夏。当時、12歳のわたし(デイヴィッド)は、隣の家に引っ越して来た美しい少女メグと出会い、一瞬にして、心を奪われる。メグと妹のスーザンは両親を交通事故で亡くし、隣のルース・チャンドラーに引き取られて来たのだった。隣家の少女に心躍らせるわたしはある日、ルースが姉妹を折檻している場面に出会いショックを受けるが、ただ傍観しているだけだった。ルースの虐待は日に日にひどくなり、やがてメグは地下室に監禁されさらに残酷な暴行を―。キングが絶賛する伝説の名作。
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言わずと知れたノーベル賞作家なのだが、まあつまらないものはつまらない。でも海外のサイトのおすすめ文学みたいなリストにはよく入ってる。ちょっとよくわからない。これだったらフォークナー読んでたほうがずっといい。モリスンは調子に乗りすぎ。ラノベのほうが読みやすいしおもしろい。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4151200576/>
元奴隷のセサとその娘は幽霊屋敷に暮らしていた。長年怒れる霊に蹂躙されてきたが、セサはそれが彼女の死んだ赤ん坊の復讐と信じ耐え続けた。やがて、旧知の仲間が幽霊を追い払い、屋敷に平穏が訪れるかに思えた。しかし、謎の若い女「ビラヴド」の到来が、再び母娘を狂気の日々に追い込む。死んだ赤ん坊の墓碑銘と同じ名のこの女は、一体何者なのか?ノーベル賞受賞の契機となった著者の代表作。ピュリッツァー賞受賞。
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しょうもなさすぎる。イシグロはブッカー賞作家なのだが、ブッカー賞作家でいえばクッツェーの足元にも及ばないと思う。ぼくは世界的な作家ではモリスンとイシグロが大嫌い。ラノベ読んでたほうがまし。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4151200517/>
優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設ヘールシャムの親友トミーやルースも提供者だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度…。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく―全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞作家の新たなる代表作。
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純文学だが、とにかくつまらない。これ以上つまらない小説は存在しないのではないかというくらいにつまらない。文体がうつくしいというが、個人的にはそこまでいうほどかなと思う。なんか置きにいってキレイに整えているだけで、文章におもしろさを感じないんだよな。純文学にもラノベ以下のがあったんですねえ。
>http://www.amazon.co.jp/dp/4101030073/>
祖父と母との過失の結果、この世に生を享けた謙作は、母の死後、突然目の前にあらわれた祖父に引きとられて成長する。鬱々とした心をもてあまして日を過す謙作は、京都の娘直子を恋し、やがて結婚するが、直子は謙作の留守中にいとこと過ちを犯す。苛酷な運命に直面し、時には自暴自棄に押し流されそうになりながらも、強い意志力で幸福をとらえようとする謙作の姿を描く。
<<
と、いろいろ中身のない愚痴を言ってみたけど、これらはどれも超人気小説なのであり、世間で評価されてるわけで、グダグダ言ってるぼくがおかしいのは間違いない。つまり、逆に言えば、自分が平均的な人間だと思うなら、ここで挙げた小説を読んでみたら楽しめるかもしれないってことだ(『ビラヴド』『暗夜行路』以外は)。ただ、ぼくみたいな人間も一部にはいるというのはたしかなことで、そういう人間にとっては、これらの人気小説よりもラノベのほうが価値がある。ちなみにぼくはべつにラノベばっかり読んでる人間というわけではない。
ラノベを擁護したいのは、一般層向けのくだらない大衆文学しか読まないような人間がラノベを馬鹿にしていたからだ(前も書いたのだけど、かれらはカントやヴェーバーやアドルノなど文学部で絶対に読むような本すら読んでない。そんな無教養な人間が多い)。きみの読んでる小説もラノベと大差ないのだがねといいたいのだけど、いちいち突っ込みいれてたらなんかけんかになるしいえない。というわけでここで書いたわけ。
いや、ほんとにラノベとその辺の大衆文学に差はないよ。基本的にどっちもくだらないのが多い。そしてラノベにも見るべきものはあるってこと。そんなシンプルな話なんだが、なんで議論になるのか。ひとによってはぼくみたいに、ラノベ>ノーベル賞作家の作品ですらあるわけ。ラノベだからくだらないってのはおかしな話だわな。
ラノベを見下したいやつらってなんなんだろうね。上でも書いたけど、文学オタクがラノベを見下すってほとんどありえないことだよ。だってまず最初から相手にしてないんだから。ラノベを見下しているのは大衆文学のファンなんだよね。ラノベも大衆文学の一部なのに。読み捨てのエンタメ同士仲良くしろよって思う。
言っておくけど、べつに釣りではないよ。いつも思ってることを書いてみただけ。
「ボケて」や「アメーバ大喜利」など、2chでも定期的に貼られる大喜利だが
しかしながら、そのどれもがレベルが低すぎてびっくりしてしまうのだ。
なんだかもう大喜利という言葉の本来の意味は失われてしまっているというか、
写真に対して率直に今思った事を書く場所、みたいになっているのだ。
こいつら小学生かと思うような大喜利が多いんだけど、アメーバ大喜利は実際に小中学生のユーザーは多いだろうから
実際に小学生なんだろうな。
そんで、全然ボケれてない面白くもないやつが、称号「大喜利マスター」みたいなのとかなってんのよ。
どうなんだこれは。
ブコメでも大喜利とかってやってるやつらいるけど、こいつらも勘違いがひどい。
JTさんさすがだ。
「自殺」だよな。
たまたま自分に向いた仕事を親や親戚がやっていて面倒みてもらいながら仕事を順調に覚えたといった特別なケースを除けば、
高校生や就活生の内ならまだサイコロを振って大当たりが出る可能性(親戚でもないのに理解のある上司に出会えたり、才能が爆発して能力で弱点を補えたり)に賭けてみるのもいいけど、
もしも試しに社会で生きてみてどうしようもなく生きづらさを感じたのなら、
やっぱ一番正しいその後の針路は「自殺」なんだろうな。
社会で打ちのめされれば妙にセカイ系な脳みその作りも相まって「俺が生まれてきた事が間違いだった」という思考にまでなっているだろうし、
そこから立ち直ってもう一度踏み出して今度こそ上手くいく本当の本当に低い確率に賭けるぐらいなら、
「死んじまった」方が色々と幸せってもんだと思うんだよな。
まあ俺も未だに踏み出せてないわけだが……
踏み出さずにどうするつもりなんだろうな、俺は、俺達は
ダラダラ再就職の道を探しても上手く行く気はしないし、
若ければな、まだ小中学生だったのならトチ狂って小説家でも目指して細々と生きられたのかも知れんが。
今はもう駄目だ。
今からフワフワっとした将来の夢なんて作っても、その将来を俺はすでに追い越しちまった後だ。
今この場所にいる自分が、今ここで手に職を付ける方法を探すしかなくて、見つからなくて、
心を殺して工場とかで働こうにも、どうにも俺は心の殺し方が下手くそなようで、
気づいたら心がちゃんと動いたままで腰の痛みを感じながら単純労働を毎日体感時間で50時間やる羽目になっちまう。
心を活かしたままやる仕事をやろうにも、俺には「クリエイティビティ」ってやつが無いらしく、その上コミュ力も無いと来た。
居場所の無さから逃げる方法が墓の下に潜ることなのだとしたら、それだけが俺の救いなのだろう。
畜生……負けたまま終わるのは嫌だが、負けが決まった苦痛な勝負をこれ以上続けるのも嫌だ。
救われてぇ……救ってやりたかった……弱い自分と強い自分が両方揃って膝を抱えてるのが今の俺の心境だ。
もうどうしようもない、死ぬしかないが、犬死にでしかないのが本当に悔しい。
このまま心の隙間が広がるままにしておけば、世の中への怨嗟を晴らす怪物に俺はなるだろう。
その前に自分を葬らないといけない、でも何も出来ず、救われもしなかった人生のまま終わるのが本当に悔しい……
だけどやっぱ「自殺」が俺たちの最適解なんだろうな。
スマンな、チャンスが十分ある奴を一瞬でも仲間だとお持ち待って済まなかった。
まだチャンスが十分ある奴らは、同じ立場でも「自殺」以外の道を選ぶといい。
俺はもうあまりにちっちゃいチャンスを抱えたままで、「チャンスがあるなら掴んでみせろ」と自分の内側から叫ばれ続けるのに疲れた。
もっとまともなチャンスを掴み損ね続けたんだ。
もう休ませてくれ……
お前らももう自分を休ませてやれ……
寄付や税金を話題性によって集めるってのはどうかと思うんだよな。
アイスバケツチャレンジみたいなのが流行ったら募金の集まらない団体に関して
「宣伝が下手なのが悪い」
とか言い出す奴らがいてもおかしくないじゃん。
このままだと募金を取り合うためにステマっぽいことをカネ使ってやるやつがますますはびこるし、
その果てにあるのはアコギな奴らが他人の善意を上手に毟り取る手段を競争する世界だ。
いよいよそれが来る所まで来て全ての募金がアコギな連中の手に集まって
今は売りがある所がちょっと頑張って税金誘致してもらってるだけだけど、
そのうち競争がどんどん加速して最後には売りのないような県が無理してまでカネを集めようとするようになる。
そうなったらふるさと納税なのに産地偽装とかが起こるようになるよ。
そしたら一つの地方自治体がやった不祥事のせいで国中の税金への不信感はいよいよ爆発する。
年金が使い込まれて、箱物行政が失敗して、消費税増税のタイミングや調整を完璧にしくじって、
パンパンになった堪忍袋がいよいよ弾け飛ぶ、その最後の一撃になりうるよ。
ふるさと納税なんて今すぐやめさせた方がいい。
こんな「生き残るべき自治体を決めるためのラットレース」みたいな事を続けてたら何かがきっと崩壊する。
世の中は錆びついてるから一度崩れてしまった方がいいという気持ちは自分にもあるが、
そういった気持ちはある種の病理だ。
巨大なスパゲッティコードを一から全部やり直して結果的にプラスになる確率がどれぐらい低いかを俺たちは知ってる。
答えが見つかり、変革のチャンスが訪れるまでは、無理に崩さないで崩れないようにした方がいいんだ。
アイスバケツチャレンジやふるさと納税みたいなのは結局のところ
こんな事をやってたら世の中自体が宣伝がうまい奴らや嘘が上手につける奴らの食い扶持になっちまう。
いい加減やめるべきだ。
質問1
残虐な行為に対する抵抗度を考えるときに、質的な違いがあるとこに区切り入れるとすると、
a)対虫 | 対動物 | 対ヒト
b)対虫 | 対動物・ヒト
どっちを想定します?
その場合、件の女子高生がネコを解体していたからといって、ヒトを解体することは時間の問題ではなかったよね?
なんか、父親の責任追及のネタにしてる人いるけど、変だなーと思ったので。
その場合、(家畜はともかくとして)野生動物を食べることに対して抵抗はないの?
僕自身は捕獲して殺して食べるってたとえ家畜であっても残虐だよなーと思うんだけどね。
あと薬物混入もちょっと気になってる。僕の小中学生時代は、僕も周りも、理科で使う薬剤の危険性に対してひどく鈍感でした。
水酸化ナトリウム水溶液(水ナトって呼んでた)を触って、「なんかぬるぬるする〜w」「ちょwやべえ指紋薄くなったw」とかしてましたし。
なので、クラスメイトの給食に塩酸を入れるのが普通ではなさそうなことはわかるんですけど、ヒトに残虐性を向けた行為だったのかは疑問符です。
「みんながなんとなく超えない一線を超える性質」と「ヒトに対する残虐行為を実行する性質」は必ずしも一致しないと思います。
例えば花火の火薬集めて鉄パイプ爆弾つくる、っていうのは前者に当てはまるけど後者には当てはまらないよなあ、とか。
混入の件はサーベイ不足なんでおまけです。
http://anond.hatelabo.jp/20140730014718
もちろんその中には公平な選考を行っている者もいるのでしょうが、私が実際に交流を持った彼らの選考基準は、それはもうひどいものでした。
面白さというものを計るに当たって、読む人間の趣味嗜好が反映されることは少なからずあります。
ですが、作家志望の彼らが選考で基準にしていたのは、なんら客観性もなければ、直感というには理屈に凝り固まった独自の創作ルールでした。
少し前に“……”の使い方を巡って持論を展開し非難を浴びた下読みの方がいらっしゃいましたが、彼などまだ生やさしいほうです。
元増田がしているのはラノベ新人賞の下読みの質が低下しているという話だが、
これは何も小説に関わる人間たちの間でのみ起きている問題ではない。
「人が何かを選ぶ」という要素が入るあらゆる部分で起こりうる問題だ。
とりわけ『面接』という「人が人を選ぶ」場所において頻繁に起きている。
選考基準としての指標などはあるだろうが、
たとえば面接官が
「こういったチャラチャラした学生は面接で嘘をつくものだ。全部の点数を2段階低く見積もっておいた方がいいだろう」
つまり、公平をきすために用意されていた数多の指標全てに面接官の主観が入りこむ隙間があるのである。
つまり現代の面接制度は「面接官自身の選考者としての資質」に大きく左右されてしまうのである。
そのことに関して「人事課など元々左遷先のようなものだから仕方がない」などと言う者すらいる始末だ。
そもそも全ての企業がその会社独自の求める人材をキチンと定義づけられていない事が問題なのかも知れない。
会社が求める人材が明確に定まっていないから、人事の主観が入る隙間がいくつも開いてしまう。
「優秀で」「よく働き」「誠実で」「素晴らしく」「俺と趣味があって」「健康的で」「サビ残も沢山する」、
はっきりと絞るべきなのだ。
「キチガイ上司ともコミュニケーションが取れる根性がある人」「エクセルがメチャクチャ上手い+雑用を苦にしない」、
そういった求めている人材の明確な基準を示せない企業に、「いい人材がこない」などと嘆く資格はない。
「どんなラノベを求めているか」という指標を示さずに「面白いラノベほすい~~^q^」などとのたまって応募を募るのだから、
当然賞全体の選考基準はガバガバになってしまいその隙間に下読みの主観が潜り込んでしまうのだ。
「日本語ができていれば通ります」という選考基準が通じた時代が終わったのなら、今度は基準を増やしていかなければならない。
「ヒロインがシコれる文章」「共感できる主人公」「おっさん向き」「小中学生向け」、大きな括りを一つ増やすだけでいい。
それだけで何を選ぶべきかが明確になる。
http://anond.hatelabo.jp/20140722143610
ブコメにも幾つか挙がってるけど、神童・元増田に対して「お勉強ができる」
特に数学の素養があったなら、高校の数学なんぞは適当に済ませて
アマチュア無線の免許を取るなり、プログラミングを始めるといった
元増田の年齢は知らんが、四半世紀前なら「マイコンBASICマガジン」等のプログラミング投稿雑誌があったし、
そういう世界では、小中学生でも大人と同じ土俵に上がれたから、
飛び級で大学に入って腫れもの扱いされるよりよっぽどスリリングな体験ができただろう。
現代ならGoogleプログラミングコンテスト? ロボカップ等のロボットコンテスト?
「我こそは神童でござい」などと踏ん反り返る暇があったら、年齢無差別のバトルに飛び込んで
コテンパンに打ちのめされてきたらいいのだ。
…以上は、元増田と同じく
親バカ上等。
ちょこちょこ、何のタイミングなのかわからないけど、相方だから・・・とか、大好きな先輩だからと言って、極楽山本の復帰待望論を言い出すけど・・・
今のお笑いって、芸というより、プライベートの切り売りで、笑いとっているのがほとんどなのに(それが悪いとは思わない)、極楽山本戻ってきて、じゃあ、なにさせんの・・・なにしゃべらせんの・・・
山本がぽちゃってたら(今は知らないけど)、グルメレポートとか、自分の番組で、させんの・・・横に、グラビアアイドルとか引き連れて・・・
ぶらり旅とか、させんの・・・素人のへんなツッコミ、絶対、入って嫌な雰囲気とか、なるんじゃねーの・・・
一発ギャグでも作って、連呼させんの・・・それ、小中学生とかが、使うの・・・
なにをボケで言えばいいの・・・誰をなんて言って、ツッコめるの・・・
山本も、芸人に戻って生き恥さらすというか、生き地獄に戻りたくないと思うよ・・・
芸人互助会で、マンションでも一棟買いして、芸能人専用にして、管理人でもして、給料発生させてやれよ・・・みんな、カネ持ってて、誰も悲しまんし、誰も怒らんしよ・・・
くだらないマスコミ来てインタビューされても、「管理人ですから・・・」で終わるじゃん
山本の罪の風化を思うより、山本自体を風化させてやれよ、待望論、いう人達
※追記
まともな人の意見が聞けて、良かった・・・ありがとうございます
確かにね、でも、山本は、復帰したいのかなぁ・・・それても、楽して稼ぎたいのかなぁ・・・
復帰したいなら、そう、テレビとは、関係ないトコから、スタートすればいいだけ、ですよね
山本思いの、同期や後輩には、恵まれたんだろうけど、相談出来る、先輩とかがいないのかも・・・
ロストがある理由、戦闘システムが簡素な理由、内部データをあまり開示しない理由は
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http://www.4gamer.net/games/205/G020591/20130911062/
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司令部レベルによって敵の強さが変化するのは、ゲーム始めて間もない人の救済の為じゃないですかね?
1年近くやってる人と、初めて2ヶ月位の人とでは練度や育ってる艦の数も違う訳ですし、
前者に合わせれば後者はついてこれず、後者に合わせれば前者は簡単にクリアしてしまいますし。
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新装備については、現在は戦闘機系以外、無くても既存の兵器でクリアできるので
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ツール使いは、鯖に負担をかけて運営や他のユーザーに迷惑かけるだけではなく
しっかり取り締まって欲しいですね。
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艦種によって強さが異なるのは仕方無い事では?
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5については概ね同意。
完全に嘘言ってる事あるので、これは運営改めて欲しいですね。
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現在艦これは、旧日本海軍は、有名所はほとんど使ってしまいましたので
なんとかゲームの寿命を伸ばそうとして苦慮している感じですね。
勲章の使い方は疑問です。
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それとゲームバランスの取り方も苦労している感じですね。
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艦これは肩肘はらず、まったりやるのが長く楽しめるコツだと思います。
そして何より自分にとって艦これの一番の問題は、駆逐艦は小中学生設定なのに如月さんはエロすぎないか?
という事であります。