はてなキーワード: 小中学生とは
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。
いやいや,知性はベキ分布だと思うよ.
きっと,頭の悪い奴は表層化してないだけで大量にいるだろうし,
1パーセント以下だろうけど,とんでもなく頭いいやつは存在するでしょ.
アリとかの社会性昆虫の研究でもあっただろ,能力や貢献度の分布はパレート則に従うってやつ.
あまり知ってる奴いないのかな?
テストの成績が正規分布になるデータがあるとか反論する奴もいるだろうけど,
ただのテストで知性が計れるとは思えないし,小中学生の知性の分布と有権者の知性の分布は違うだろ.
俺でも働きアリの分類だろうし,ましてや馬鹿ばかりに見える社会だしな.
超縦社会で生き残るには自分に適した仕事を見つけることだ,働きアリは一生働け!
内容は別に何の変哲もないんだけど、なぜこのエントリがイラっとくるのか落ち着いて考えてみた。
まずこれ。「貼った」ならイラつかないけど、「貼ってやった」だとイラっとくる。
「貼った」という事実を言えばいいだけなのにそこに妙な感情を込めてくるのがイラつくのと、
この程度の特に何もない普通のことで「どうだやってやったぞ」みたいな気持ちを持っているように見えて、
その性根の小ささにイラっとくる。
あとやっぱりなんと言ってもこれ。
別に怒られたら謝って改めて管理会社から対応してもらえばいいだけの話なのに、怒られることを無駄に怖がる小ささがイラつく。
さらにはそれを(自分の力ではなく)「みんなの意見」を後ろ盾にして安心を得ようとする小心者根性が本当にイライラさせる。
普段はなんだか怖いからビクビクオドオドしてるけど勇気を出して(直接言わず管理会社とのコミュニケーションをとるという正当な手段も使わず)張り紙を貼ってやった!どうだ分かったか!ああでもこれ管理会社に怒られちゃうかな?怖いな…。でもみんな迷惑してるって言ってるし大丈夫だよね!?ね?ね??
という感じに見えるのである。これはイライラする。小中学生のいじめられっ子がこれならまだ分かるが、子供もいるようないい歳こいた大人がこの小心っぷりである。
ここ数日間めちゃくちゃ凹んでいるというか気が滅入っている。母校のことだ。
中2男子生徒自殺か 「悪口言われた」 NHKニュース http://nhk.jp/N4K74Fpv
私は数年前にこの中学校を卒業し、現在は岩手を離れて暮らしている。おそらくもう中学の生徒・先生で(知り合いを介さずに)直接知っている人はいないけれど、それでも多感な3年間をあの学舎で過ごせたことに感謝しているし、だからこそ今回母校で起こった事件は残念で腹立たしいし哀しい。自ら命を絶った少年の絶望感を思うとやるせなくなってくる。
全国的に取り上げられるようになってから2,3日くらいいろいろなメディアを周回してこの事件を追っている。報道する側も糾弾する意見も擁護する意見もあまり核心を捉えられていない感じを受ける。一部分の情報しかあらわになっていないのでまだ判断しかねる部分はあるけれど、矢巾で学生時代を過ごした印象やこの事件の所感について書き連ねていこうと思う。
まずこの事件へのコメントとして目に付いたのが「田舎の(岩手の)人って陰湿だから」という感想。人が集まれば人間関係のこじれなんて田舎も都会もいくらでもあるわバカヤロウ、と言いたいところだけど矢巾に関していえばちょっと特殊な事情があるのかもしれない。
もともと矢巾は農村地帯で、北隣の盛岡の人口が増加するにしたがって田んぼが住宅地へと埋め立てられ変わっていった歴史がある。私が小学校の頃に人が増えすぎて新しく小学校が建設されたし、岩手医大が矢巾に移転されてからも人口はますます増加している。そんなわけで地元の小中学校は旧家の子と新興住宅地の子が混在する。私立の小中学校に進むという選択肢がメジャーではないため学力は上位と下位の差が激しい。また、部活動は強制加入で、運動系が非常に盛んであり文化系は吹奏楽部か美術部しかなく受け皿が少ない。以上のような点から、いわゆる「スクールカースト」が発生しやすい環境だったのではないかと卒業した今にして感じている。ちなみに、運動部の激しいところは一度入ったら放課後や休日はほぼ部活や練習試合に充てられるため勉強する暇がなく、勉強のできない子はとことんできないまま卒業していく。
私の在籍していたときの学校はどうだったのかというと、浮く子もいればいわゆる不良もいたけれど、問題が起こればきちんと学年の先生が一丸となってしかるべき対処を取っていたし、それぞれの得意な分野を各行事で活かしていこうという雰囲気が生徒間でもあったと思う。報道を見て気になったのは担任の先生ばかりクローズアップされているけれど学年主任や他クラスの担任のサポート体制は整っていたのかな、ということだ。私たちの代の学年主任は週1で学年通信を発行して問題が起こるたび記事にして公開していたし、学年にひとり副担任がいてたまにクラスの様子を見に来ていた。荻上チキさんのツイートにもあるように( http://togetter.com/li/844936 )、担任の先生1人が抱え込む構造になっていなかったかを検証する必要があると思う。
一部報道では18年前にもこの学校で自殺があったと書かれている。私たちがいたときはすでにその代は卒業してしまったけど公然の噂となっており、「学校内のステンドグラスを割ってしまいそのことを苦に思っていた」などと言われていた。報道ではその自殺を今回の件と関連付けて荒れた学校であるようなことを書いていたけれど、正直学校内では共通の関係者はいないはずで、影響は薄いのではないかと思う。
ネット上の掲示板で行われている「犯人探し」は、大津のときや過去の事件と比べて情報が集まっていない印象を受けた。このことから「この町は隠匿体質で恐ろしい」などという書き込みもあったけれど、そもそもこの町は人口の絶対数が少ない。ネット環境が整ってない印象もある(LTEが入るようになったのはここ1,2年くらい)。また、田舎の地域に特有だと思うんだけど、「2ちゃんねるを閲覧することですらバレたらヤバい」みたいな雰囲気が小中学生にあって、そのためタレコミが少ないんじゃないかと思う。
ただこの町の子供にITリテラシーがあるのかというとそうではなく、事件後のTwitterでは「矢巾北は報道されているような悪質な学校ではなくこんないいところもあります!」みたいなツイートが散見された。この件に関係のない卒業生はそんなツイートしても効果がないことを理解して欲しいし、在学生ならそんな書き込みをしている場合ではないということを自覚して欲しい。
この事件が大々的に報道されるようになったのは、担任のbotのような応答の影響もあれど、町の教育委員会や学校の対応がことごとく悪手だったのも挙げられると思う。なぜアンケートの結果の報告が二転三転したのか。なぜ校長は最初の会見時にマスコミを通して顔を公開させなかったのか。なぜ炎上がひどくなったタイミングで中学校のWebサイトを閉鎖したのか。このような対応への不信感と、被害者の父親の糾弾もあいまって今回のバッシングに繋がった感じがする。岩手では夏休みが始まるまであと1週間ほどなので、長期休みでうやむやになる前に町と学校は真摯に情報を公開し迅速な対応を取る必要がある。
母校をかばいたい気持ちもある。父親の子供への対応は適切だったのか、マスコミが一部のみをクローズアップして報道していないか、など疑問に思うことはいろいろある。だけどいまはただ少年の冥福を祈りたいし、事件の詳細が明らかになることを望んでいる。今度帰ってくるときには花束を手向けるつもりだ。
追記・
否定しておきたいのは、一部掲示板で上がっていた「どうせ宗教がらみ」「部落の多い地区なんでしょ」という声。たしかに公明党のポスターはちらほら目につくしローカル番組のスポンサーに創価学会、ということは多いけれども、しつこい勧誘はないし宗教の本部が町内にあるとかいうことはなく、宗教がらみの人間関係への影響は薄い地域である。また、東北以北で部落問題は聞いたことがなく教科書で初めてその存在を知った程で、岩手近辺の地域で「部落」という言葉は「集落」と同義であることを付け加えておきたい。
小中学生の頃は勉強と部活ばかりしていたので、それ以外の思い出となると女子のエロハプニング、ラッキースケベばかりだ。
小学生低学年の時、通学途中に幼なじみが唐突に泣きだしたと思ったら、地面に大きな水たまりが広がっていった。
同じく小学生低学年の時、掃除中にふざけていたら委員長気質の女子が注意してきて、言い合いの内に身振り手振りが大きくなったと思ったら胸を触ったらしく
身を捩りながら硬直した後、こちらを見て「エッチ」と言われた。
小6の時に、床に座ってだべっていた自分たちの会話に混ざってきた仲の良かった女子が、下着が丸見えのままだったので凝視していた。
中学生の時、階段を登っている時に前を行く女子の下着を見てしまい、さらにスカート越しにその女子と顔が合ってしまう
見たの見てないだの言い合った後に恥ずかしそうに顔を背けて行ってしまった。
夏になると想い出す
罪悪感というより自分への嫌悪感かもしれない。自尊心が傷ついた。
誰に何をされたわけでも言われた訳でもないのに自分にショックだ。
もともと、物語やキャラクターにそこまで入れ込めないほうだった。
映画を見ても「俳優が頑張っているな」、マンガを見ても「漫画家が頑張っているな」という感じで、
キャラクターについては単に「絵」という認識で、人がキャラクターについて語っているのには付き合えても、
自分が主体的に熱烈に語れるかというとそんなエネルギーは無かった。
いわゆるオタクに目覚めるというか、絵に描かれた異性に恋すること(腐女子化を含む)の初体験の年齢って、
一般的には小4~中2くらいの時期に集中しているように見えて、
恋とまでは行かなくても「そのくらいの年頃でチュンリーで抜いた」的なエピソードはネットのそこらじゅうに転がっている。
私はそういうのは「ナシ」と思っていて、いや、そういうのが好きな人は自由にすればいいんだけど、
私はそういう風に思おうとしても思えない体質なんだなみたいに思っていた。
そのまま大学まで卒業して社会人になって、こんな年齢になったら今更二次元にとはならないと思っていた。
それに、小中学生で二次元に目覚めても、成長して生身の恋人が出来たら二次元は忘れていく、
そういう経験談がネット上ですら多いものだから、三次元から二次元という「逆行」は起こらないんだと思ってた。
でも私に起こったのは完全にその逆行で、中学の頃からずっと三次元の好きな男や彼氏が居たのだけど、
いま彼氏と別れていて、そのタイミングで唐突に二次元のキャラクターにハマった。
原作のそのキャラクターを見ているだけでも「もうなんだこの人、えっちすぎる」という感じで、
いや人じゃないし、絵だし、それに原作でえっちすぎる描写とか無いし、えっちすぎるとしたらそう解釈する頭の問題だし、
そう冷静に思おうとするのだけど、ブレーキがかかりきらずに滑りながら突き進んでいるような感じで、
暇さえあればツイッターでキャラクター名を検索しまくり、ファンが描いてる絵を見ては「ああああーーーーかっこいいーーーーー」とか、
「かわいいーーーーーー無理ーーーーーーーーー」というテンションで、脳がバグってるような感じになった。
オタク話がわかる友達など一人もおらず、この話を共有しようものなら心底気持ち悪がられて軽蔑されそうで、
でもツイッターからあっという間にpixiv依存症になり、こういうの「○○沼」とか言うんだってね、ファンフィクションのR18にどっぷりになった。
そのキャラクターのR18作品の新しい投稿を待ち続けるような感じで、こんなの人としてダメだろと思うんだけど、
そのキャラクターのR18が幸せすぎて止められなかった。「BL」でも「NL」でも単体のエロでも、そのキャラさえ居れば全部幸せだった。
生身の恋愛でもこんなテンションになったこと一度も無かったのに。
女性オタクの間でも好きなキャラクターをオカズにするかってところになるとタブー感があって、
「私はそこまでじゃないです」的な一線を引きたがる人が多いように見えるし、
オタク暦の浅い私が急速にハマって一気に一線を越えてしまったみたいなの、すごくみじめというか、
やっぱり少数派なんだろうか、エロ絵は描いたり楽しんだりしても「かわいいね」と愛でるもので、
オカズとかそういうのは引くわっていう女性が多いんだろうかと、普通を探してもどうしようもないんだけど、
思うばかりで、なんか混乱のさなかだ。
ただ冷静に思うのは、私はストレートなんだけど、女性の創ったものでしたんだなと……。
そして男性のオタクはこういう同性内エコシステム(???)的なものの中に、ずっと前から自然と居たのだなと。
身近な異性の好意に恐ろしく鈍感という設定。
「その方が面白い」「ストーリーを伸ばせる」等がその理由だろう。
子供はなんにでも影響を受ける。
それをあろうことか鈍感主人公の影響を受け、
「異性にアプローチする事は恥ずかしい事」
などと潜在意識が支配されてしまえばどんなに恐ろしい事が起きるか。
多感なのに鈍感なフリをする。
異性に対して「俺は異性になんて興味ない」と硬派をきどる。
そして色のない青春を送る。
そうして大人になって自身の愚かさに気づくが時既に遅し。
異性との関わり方が分からず「もういいわ、自分には無理」と腐って諦めてしまう。
今の少子化の一端は間違いなくマンガ・アニメの発展と鈍感主人公の台頭にある。
自分は霊的なものや俗にいう「見えてはいけないもの」は一切信じていない。
ただ身の回りには本気でその手の話をしてくる人がいる、小中学生じゃなく立派な大人がだ。
自分が底辺な会社に務めているからだけかもしれないが、そんな話をする人の共通点を考えてみた。
職種・性格・収入もバラバラでお互い忌み嫌っているものもいる。
そんな中で唯一の共通点を見つけることができた。
もしかしたらニコチン中毒は思いのほか、重度な障害をもたらしているのかもしれない。
もしこの記事を読んで霊的なものを信じ、喫煙している方がいるのであれば禁煙し、その後の心情の変化を教えていただきたい。
きっと禁煙して数カ月後にはその手の話を信じなくなっているのではと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150211212201
App Storeのレビューが極端に低く、最初サードパーティ製アプリかと疑いました。低評価の大部分は管理(質問が消されたなど)やユーザーに対するもので、アプリの品質に関してのものは少ないようです
アプリはLINEと同じようにシンプルで良いデザインですが、かなりGoogle+のアプリに似ているなと思いました。購読したジャンル(購読情報はプロフィールで公開されます)に寄せられた質問がタイムライン形式で流れます
んで中身ですが、まあ小中学生ならこんなものかなあと言う印象です。特に酷いとは感じません。小中学生が皆マトモなら少年法なんていりませんしね、色々馬鹿なことをやって成長していくもんです
・無視するのが一番穏便に済む
・一人目のミイラ取りがミイラになるとカオスになりやすさがグンと上がる
・まともそうな奴も半分ぐらいは一皮剥くと頭おかしい
以下は補足という名の駄文
1. 無視するのが一番穏便に済む
よく言われてるけどこれは本当にそう。
自分でやってみて分かったけど荒らしなんてのは構ってちゃんかキチガイなので相手にするだけ無駄。
小中学生の人間関係なら舐められないようにやり返さなくちゃいけない状況はあるのかも知れないけどインターネットの世界ではそういうことはするべきじゃない。
こういう奴はちゃんと痛い目見せてやろうなんて考えてものらりくらりと暇つぶしの道具にされるだけだ。
こういうのはちゃんと注意をするのが相手のためなんてのも考えない方がいい。
キチガイはいくら注意をされても相手が何を言ってるのか理解できないし、ただ構ってほしいだけの荒らしなら注意をしようという立場を選んだ相手は揚げ足の取りがいがあるいいカモだ。
その場の全員が無視してNGに放り込んでしまえば綺麗スッキリ平和な世界が戻ってくる。
あとは荒らし側の持ってる燃料が切れてしまえば自然といなくなってしまう。
大抵の荒らしは本人が持っている燃料はそんなに多くない。
せいぜい20行程度もあれば話題が尽きて話がループし始めそこに反応が一切ないと本人も馬鹿らしくなってやめてしまう。
それに無視されている時間が長いと釣り針に餌がかかるのにも疲れてその場を去ってしまう。
2. 一人目のミイラ取りがミイラになるとカオスになりやすさがグンと上がる
無視しておけばいいものをわざわざ荒らしに触れてしまう人がたまにいる。エンガチョ
これはまずい。
何がまずいかって言い争いが始まると言うのは荒らしに大量の燃料が供給されるのと同じことだからだ。
それは精神的な燃料でもあるし荒らしをする話題としての燃料でもある。
荒らしをして見ればわかるがこんなことでも反応があると嬉しい。というか反応がないと虚しい。死ぬほど虚しい。
そしてその反応に対してこっちもリアクションを起こしてそれにも反応が起こるとこれまた嬉しい。
丸めたウンコを豪速球で投げ合う世にも醜悪なキャッチボールの始まりである。
相手の返答に対してとっさにデッドボールを投げ返せばいいだけなのだから話題を引き伸ばす手間もいらない。
単に悪口を言いあうだけで見る間に薄汚れた光景が広がっていく。ビューティフォー
この時に上手くいくと相手が「この荒らしを懲らしめてやろう」という感情に支配される。
「またいつも通りの環境に戻したい」ということから意識が逸れていくのだ。
こっちが寝てる間にも「もうあんな奴が来ないようにどうにかしようぜ」とか言い出して荒らされた後の状態を維持しててくれる。
場合によっては普通の話をしてる相手にまで「お前荒らしだろ?」と突っかかるようになる。
とにかくこっちをギャフンと言わせたいばかりに必死に尻尾を掴もうとするあまり他人の尻尾に掴みかかりまくるのだ。
荒らしを懲らしめたい心が荒らしと同じことをさせるのである。肉染みの連鎖だ。復讐の狂戦士だ。
後はもうコイツと一緒になって他の奴を攻撃したりされたりを繰り返して次々とお互いを荒らしと呼び合うキチガイを増やしていけばいい。
こうしてミイラがミイラを生む楽しいアンデッドパーティーがどこまで続いて大勝利。
荒らしをやっていて驚いたのがこっちの偽物が結構出てくることだ。
こっちに恥をかかせようと余計な失言を増やしまくる奴もいるし、一緒になってスレを荒らす奴もいる。
前者の場合でも当然失言の揚げ足とりでその場は本来の話題から逸れていくし、
後者の場合はこちらの戦力が倍やそれ以上になったことと同じだ。
要するに善意でこっちの荒らしに加担する阿呆とは別のベクトルで荒らしに加担してくれるのだ。
ありがてぇありがてぇ。
場合によっては自分の偽者が揚げ足を取られ返して恥をかかされているのを遠くから笑ってみているだけでも良くなる。
楽ちんで楽しいのでこれは凄い助かる。
ありがてぇありがてぇ。
4. まともそうな奴も半分ぐらいは一皮剥くと頭おかしい
それまで普通に話せていた奴が少し場が乱れただけど言葉や理論が怪しくなってくるのだ。
少し嫌な気持ちになるだけであっという間にまともさを失ってしまう。
2chのようなIDが出てくる掲示板で荒らしをやると人間的まともさというのが安定した精神状態の間だけつけていられる社会的な仮面にすぎないのだなと改めて認識させられる。
すでに上で書いたミイラ取りがミイラって話と被るけど自治厨は本当にヤバイよ。
たとえば公園の遊具を危険だから撤去しろってのが時折話題になるじゃん?
要はその場所に新しいルールを設けようとゴリ押ししてくる上に、そのルールが意味不明で、それなのに本人は誰もがそれを正しいといつかは分かってくれるって考えてる、そんな危ない奴ら。
こいつらの凄い所は自分が問題を起こしているという認識が一切ない所。
あったとしても「必要悪」「仕方ない」という魔法の言葉で片付けてくる。
荒らしがなんとなく構って欲しいとか嫌いな奴に痛い目見てほしいからでやる行動よりもよっぽど強い力を持つ。
なぜなら後ろめたさがほっとんどないから。
精神的なリミッターが全くない暴走列車と戦えばそのコミュニティはあっという間に壊滅状態になる。
隔離するか要求を受け入れるか相手の凄まじいエネルギー量が尽きるまで耐え切るか、対処法はそれぐらい。
荒らしは半日無視すればいなくなるけどこいつらは何日も何ヶ月も住み着く。
本当にヤバイよ。
あれ目指そうとして頑張ってみたけど本物が出す凄みはやっぱ出せないですわ。
凄いよね天然。
真似してみてその凄さが改めて分かった。
感動した。
最期に
荒らしはやっぱり虚しいよ。
後には荒らした場所の連中がぶつけてきた憎悪が薄っすらとだけど心に数日残る。
これがなかなかに気持ち悪い。