はてなキーワード: 元気玉とは
ドラゴンボールでは悟空が元気玉を集めて当てる相手は悪者だけど
もう元気玉食らうのはどうやったって避けられないけど早めに食らった方がマシ
でもお前は逃げ続けて即死するまで逃げ続けて溜まってもう喰らって二度と蘇りすらできないのを期待して放置してる状態
救護する義務を放棄して事故車両を無視してスルーしたら普通に犯罪になるから
糞便垂れ流して誰にも世話してもらえず死ぬかホームレスになってどっかの茂みの裏で悪臭出すか
人工透析もままならずに手足が腐って毎日痛みに苦しんで自殺するか
そういうのが続いた結果の死が待ってる
発展途上国の死みたいに温い結末が迎え入れられると思ったら大間違い
どこまでもメルヘンなんだな
facebookのプロフィール写真をトリコロール調に変更できることに対する論争について感じたこと。
僕としては、トリコロール調に変更するような善意の第三者による小さな善意の積み重ねって世界にとって必ずしもプラスじゃなくて時には世界の崩壊に繋がる壊滅的なダメージも与えうるって考えている。今回のトリコロール調への変更が、世界全体にとってマイナスになりうることかどうかわからないのでよく議論するのがいいのかなと思っている。
多くの人は、「小さな善意の積み重ねが世界をよくしていく」と信じているように思う。元気玉がベジータや魔神ブウを倒したように、小さな善意が大きく集まれば巨悪も倒せると信じているように思える。学校の授業でも「世界の森林破壊を救うために割り箸は使わない」など、一人一人の小さな善意の積み重ねで世界が少しずつよくなるというストーリーで溢れている。
こういったストーリーが当てはまるものもあれば、逆に世界を悪い方向に導く善意の積み重ねといったものも存在している。
例えば、エコキャップ運動なんかはそもそもキャップを集めて輸送費を負担して送るぐらいなら「世界の子供にワクチンを日本委員会」に直接寄付した方がいいのに、わざわざ収集する手間をかけてエコキャップ推進委員会のよくわからん理事のおっさんが仲介手数料を取るというモデルになってしまっている。
世界を破壊に進めるという意味で言うと、日本が突入した第二次世界大戦も多くの人の小さな善意の積み重ねで突き進んだと考えている。お国のために、祖国のために、お国のために動かない人間は非国民だと、小さな善意が積み重ねった結果として後戻りできないところまで進んでしまった。一部の偉い人や軍人が悪かったという総括をしたがる人もいるけれど、恐らく多くの国民は今回のfacebookのトリコロールのように、戦争に対する賛成や戦争に行っている人のために弱音をはかないなどなど、自分ができる小さな善意として積み重ねたのだろうと思う。
何も僕は全ての善意の積み重ねが悪い方向にいくとは思っていない。大事なのは「話をすること」だと思っている。周りの空気に流されて考えもなく積み重ねるのもよくないし、善意を積み重ねるのが悪いことだと一方的に非難するのもよくない。議論をしようとしているのに、「一人一人が何をしようと勝手でしょ」、「何も行動に移してないやつが偉そうに非難するなよ」って態度もよくない。
今回の例で言えば、トリコロールに変え哀悼の意を示すことは本当に世界のためになるのか、トリコロールに変える意外に哀悼の意を示すことはできないのか、トリコロールにすることが自己満足に成り下がってないか、混沌とする世界を理解するために知っておいた方がよい歴史の知識は何かなどなど様々に話し合うことができるのではないか。
特にトリコロールに変えた人が議論を拒絶しようとしたり、何もアクションしない人に対して非難しているように感じて書いてみた。
ジャッキー・チェンの映画見たらその後数日はカンフーをしたくなるが、
ドラゴンボールはそういう根源的なアクション欲求を満たしてくれる作品だったと思う。
主人公だし!
この頃の好きは単純だったように思う。
ギャグが面白くて好きだった。後、ククリからニケへの好意の描写も多くてよかった。
この作品はアニメ終了後も単行本をずっと追いかけてずっと好きだった。
単行本は終盤の絵柄が好きじゃないとか言う人がいるけど俺は気にならなかったし、
初めて買ったCDはEDの「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」だった。
もちろんククリも好きだが、やはりニケのボケ、ツッコミはこの作品の肝だ。
この作品を知ったのは親父が映画「Air/まごころを、君に」を借りてきたからだった。
OPが非常に好きだ。
あの全部理解させる気のない圧倒的情報量、スピード感はこの作品を象徴していたように思う。
敵も毎回色んな形態、シチュエーションで、全ての話数で飽きさせない、先の読めない展開の連続だった。
BGMのクラシックが非常に印象的で最高の盛り上がりから最後のカヲルくんを握りつぶすタメまで、息の詰まるというか、
心拍数が上がるというか画面の中に意識を囚われて、終わった後も戻ってこれない感覚を味わった。
傾向として、物静かなヒロインより、自己中心的だと捉えられることも多いが、
自分の意見を言う、他人に不利益が例えあったとしても自分の意志を通す、欠点のある人間らしいヒロインの方が好きなようだ。
思うに放送局がNHKでどの地方の人間でも見ることができて、何度も何度も再放送されたことがこの作品の地位を築き上げていると思う。
さくらちゃんは可愛いし、小狼くんと打ち解けていく過程がいいです。
この回は小狼からさくらちゃんへの好意が明確に描かれた回だった。
この作品はそういう視点で見ていたので、この回が印象に残っている。
当時はツンデレという言葉はなかったが、振り返って考えると当時からツンデレキャラが好きだった。
小狼くんはクロウカードを集める関係上敵対的な態度を最初取るが、どんどんさくらちゃんに好意を寄せていく事になる。
最初の印象はポケモンアニメの亜種という感じだったがポケモンアニメがサザエさん的なのに対して、
デビモン編では各キャラクターの紹介。
ダークマスターズ編では提示された欠点の再描写と解決となっている。
デジモンワールドと現実世界を何度か行き来するが、時間の流れが違うおかげで、
デジモンワールドに戻った時に状況がガラッと変わっていて、新たな問題の提示と困難度が劇的に表現されていた。
FF6の崩壊後の世界とかそういうシチュエーション好きなんです。
基本的に各編のボスと主人公勢との間には圧倒的な力の差があって、ボスから逃げつつ、
勝つ手段を探すような感じで、敵の強さの描写とその敵を倒したときの爽快感はすごくよかった。
何だかんだで主人公勢が勝つだろうと安心して見ていたそれまでのアニメと違って、
本当に勝てるのか?という感じで展開が読めない所がよかった。
この回はとにかく異色だった。
当時はアニメ、ドラマ、映画等の面白さはシナリオの面白さのみに依存すると思っていた。
合奏における指揮者は棒を降っているだけで誰がやっても同じだと思っていた。
厳密言うなら、この回を演出した人が監督を手掛けた映画「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」を見て、
その人は今でこそ知らない人はいないほど有名になった「細田守」で俺の中では宮﨑駿と同列になった。
この人が有名になってトトロのように金曜ロードショーでぼくらのウォーゲームが流れることを切に願っていた。
なんか妙な色っぽさがあった。小学2年生なのに。
全部21話が悪いんです。
けど、元気なヒカリちゃんも好きです。
リブート版『ファンタスティック・フォー』が駄作でない理由(ネタバレなし感想) カゲヒナタのレビュー
気持ちはわかる。
俺も「『クロニクル』のジョシュ・トランクが監督!」と聞いてワクワクとときめきをおぼえ、
公開後、実写版『デビルマン』がアメリカ侵略したかと思われるほどの大炎上に怯えたクチだ。
で、正直、観た時の印象は「世の中の91%(RT調べ)から総スカン食らうほどダメってわけじゃないだろ。アメリカ人きびしすぎ」。
しかし、「思ったほど酷くはない」でも、F4が駄作であることは変わりないと思う。
びっくりしたことに、本作の主人公たちは人生がうまくいっていないダメな若者で、わりと性格も悪いのです(作中で、彼らは「Kids」と呼ばれています)
まず、「主人公たちは人生がうまくいっていないダメな若者」ではあんまりない。
研究所を放り出されていたドゥームや、厳格な親に反発したがるジョニーなんかは当てはまるかもしれない。
が、主人公はバクスターに入学(就職?)した時点で「それまでコケにされてきた天才的な才能が正当に認められた」わけで、事実ここいつは終始ずっとノーテンキというか、あんまりグツグツした情念めいたものを燃やしていない。青春を超エンジョイしている。別にそれはそれでいいけど、マイルズ・テラーのあのアンニュイさを活かしきった『セッション』のあとだけにやけにもったいない。『クロニクル』アゲインを期待していた観客もそこで肩透かしをくわされる。
ケイト・マーラも親と弟の板挟み、ドゥームとテラーとの三角関係、コソボ出身という暗い過去、などなどドラマになりそうな設定が顔を覗かせるものの、びっくりするくらい本編に活かされてない。そもそも何考えてる人かよくわからない。観る人によったら、中盤までジョニーと姉弟だって気づかないんじゃないか? テラーとの恋愛要素も、テラー視点でうすら青春っぽく描かれるだけで、特に深くもならない。
中盤前半まるまる出番のないベンくんに至っては書きこみもクソもない。最序盤でこそゴミ山の底辺家庭で育ったという劣悪な家族・養育環境が思わせぶりに描かれるものの、その後一切言及はない。なんでテラーと仲良くしてんのかもわかんない。信頼関係がどうやって育まれてきたかもわかんないのでザ・シングになってからの「大親友に裏切られた辛さ」みたいなものが薄く感じる。傍目には、ひさしぶりにあった古いクラスメイトに怪しい宗教に勧誘されてのこのこひっかかった、頭のよわいかわいそうな人にしかみえない。
ドゥームもドゥームでバックボーンがよくわからない。出てきたときからフードかぶってちょっと気難しいギークを気取っている童貞野郎にしか見えない。ドゥームという希代の悪役へ至らせるトラウマイベントに欠けている。研究所を叩きだされた経緯もむしゃくしゃしてとりあえずロックなことをしてみた、程度のマインドっぽい。尾崎豊か。
とりあえずケイト・マーラが好きで、マーラとテラーの仲を快く思っていないみたいな描写はあるものの、二人の仲は決定的なところまで行ってない。しかも、「俺の女にちょっかい出すんじゃねえ」的な釘をテラーにさそうとしたら、逆にテラーから「あの機械もうできたよ」と言われて「えっマジで」とばかりに盛り上がる。女にそこまで執着なさそう。
じゃあテラーに対する嫉妬心なのかといえば、そこも開発チームとして一致団結する過程でうやむやになってしまう。
総合するに、なんでこいつが地球を滅ぼしたがっているのか、なぜ異次元に永住したがっているのかがわからない。異次元エネルギーの影響で頭おかしくなった、で済むかもしれないが、それは「人間ドラマ中心のF4」としてどうなんだ。
ついでにいえば、クリストファー・ミンツ=プラッセをちょっとだけ細くしたような絶妙なムカツキおフェイスがどこかヘタレっぽくて、情けない。
唯一、バックボーンやコンフリクトの描写(病院での父親との衝突シーンや能力使用に関する言い争い)に成功したヒューマントーチだが、せっかくそうやって高めた緊張を爆発させるシーンがない。問題を劇的に乗り越えるシーンがない。
「壁」だった父親が唐突に殺されて、「兄弟仲良く……」と言い残して死ぬだけだ。え? これまでの親子喧嘩はそれでオールオッケーなの? もったいない。
要するに全体的に人物への書き込みが不足している。死ね死ねパワーを充填し損なっている。リア充デビューを果たした主人公、脳内で一人相撲を繰り返してるだけの童貞悪役(まあテラーも童貞だろうけど)、何を考えているかわからないヒロイン、中折れしたブラック・コックのような黒人枠、影が薄いだけのかわいそうな親友。これが今回のF4の面々である。到底、ハーレム少女漫画で活躍できそうなバイタリティーはない。
こうじゃなかった。『クロニクル』はこうじゃなかった。ちゃんと主要キャラ三人それぞれの書きこみができていて、そのうえでの関係性がちゃんと……まあいい。これはF4だ。
ジョシュ監督自身が「デヴィッド・クローネンバーグ的に人間の肉体が変化していく場面を描きたいんだ」と言っていたとおり、作中では「これホラーだろ!」と思いたくなるシーンがあります。
あー。うん。これはできてた。なんでクローネンバーグやりたかったのかわからんけど、できてた。超こわかった。能力ゲットシーンだけじゃなくて頭パーンも爽快感込みで。
いや……でもさ。俺たちはホラー映画観に来たわけじゃなくねえ? 百歩譲ってさ、暗いヒーロー映画自体は否定しないよ? みんな『ダークナイト』大好きでしょ? おれだって実は『マン・オブ・スティール』そこまで嫌いじゃないよ? グロシーンばっちこーいだよ?
でも、だから、なに? ホラー描写ができてるから、なに? それがF4の本筋とどう絡んでくるの? 「自分たちが変わっていくことへの恐怖」? いや、おまえらそれかなーり早い段階で適応してたよね? いきなり「一年後……」とかつってたよね? そこ書かないの? 変わっていくプロセスを見せたかったんでしょ? なんで変わってしまった自分に適応する/できない/やっぱするプロセス書かないの? なんでスーツきりゃ全部オッケーなの?
これはジョシュ監督のデビュー作にして、高い評価を得た『クロニクル』と同様です。
『クロニクル』は「能力を持ってしまったがゆえの悲劇」が描かれており、本作では「能力を持ったという運命を受け入れなければならないという試練」が前面に押し出されています。
「運命を受け入れる」か。良いセリフだな。でも、それ、ドゥームさんの前でもおなじこと言えんの?
え? 言っちゃうの? マジで? 「こうなったのもたぶん運命なんだ」って? 本人の目の前で????
たしかに、みんな能力を持ってしまったことにどうやって向き合えばいいのか、その葛藤はありました。
けど、『X-MEN』なんかと違ってその葛藤が全部あいつらの内部で完結してるし、しかも特に真摯に向き合うことなく、ラストバトルのテラーさんによる安い演説一発(本当にここはとってつけた感がすごい。それまでのテラーのキャラとも合ってない)で解消されてしまうので、本当にこいつら悩んでたのかよ、と白けてしまう。
この映画見てると「ああー技術者って大人になってもガキくせえバカばっかで、酒に酔った勢いでうっかり世界滅ぼしかけたりもするんだなー、害悪だなー」って気分にしかなんないよ? 脚本からは科学者や技術者に対する悪意しか伝わってこないよ? テラーが劇中具体的に技術で世界に貢献した例って、レジの故障を直したくらいじゃない?
テクノクラート讃歌なら『ベイマックス』のほうがよほどポジティブなメッセージ性を与えてるぞ? 科学っていいなあ! 研究室っていいなあ! になれるぞ??
細々書いてきたけど、こんなものは全部些末なダメさにすぎない。「時間配分に失敗している」せいでもない。ましては「暗いから」でもない。
本作が駄作である最大の理由、それはラストバトルにおける勝利のロジックのなさだ。
ラスボスであるドゥームさんは異次元世界では神に等しい力を持つ。地形を変形させるなんてお手の物。まさに最強クラスの敵だ。
しかもリブート前のドゥームさんを知る我々にとって彼は「F4の宿敵」として広い認知を得ている。
こんなもやしみたいなシリーズ一作目でうかうかと殺されるような敵ではないはずだ。
それがである。
ドゥームさんはビックリパンチ一発でやられる。しょぼい。イモータン・ジョー様もびっくりのあっさりさでぶっとばされる。イモータンさまはそれでもみんなの心のV8をいつまでももやしつづけるであろうが、この偽クリストファー・ミンツ=プラッセの最期はせいぜい鮫入りの水槽に落ちたどっかのヴィランと混同される程度でしかなかろう。
もうちょっと説明すれば、このビックリパンチはいわば友情の団結ビックリパンチ、少年漫画的な元気玉であるはずなのだが、バラバラだったチームが団結するまでの流れがおざなりというか、雑さ極まっているのであんまり元気そうに見えない。
しかも、既にドゥームさんに対して一ダウンを奪った直後の攻撃である。そう、ドゥームさんは圧倒的なパワーと地の利を得ているにもかかわらず、ラストバトルに於いてはあんまり圧倒しないのだ。とりあえず序盤は筋肉バカ二人を撃破し押せ押せムードにはなるものの、ケイト・マーラごときのバリアに手こずる始末。もうちょっとがんばれ。
このバトルさえ、ラストバトルさえよければせめて駄作よばわりはまぬがれえたかもしれない。
序盤のダルさやルックに反したノーテンキさも、中盤の物語運びである程度までは取り返せていた。
あとはクライマックスで盛り上げるだけで40点程度は獲得できていたはずなのだが……。
それでも、ギリギリ次回作が楽しみな程度のクオリティではある。増田はトランク監督を応援しています。マーラもルーニーではなくケイト派です。
あ、そうそう。本作で唯一良かった点をあげるとしたらケイト・マーラの着ているスーツのビッチビチぷりですね。エロいことこのうえない。監督、ラバースーツAVとかにフェティッシュを感じてるんだと思う。そういうのが好きな人は60点いくとおもう。
以上。
最近、職場の同期でも後輩にも、いわゆる「意識高い系」が増えてきた印象があります。
彼ら意識高い系は、距離をとって見ている分には楽しいのですが、少し仕事で関わるとクソのように使えず、
その割に「高尚な」ことばかりほざくので、最近ではイライラすることも増えてきました。
ですので、自分のため、そして同じような目にあっている皆様に、
意識高い系に対する理解を深め、彼らを見た時に感じるモヤモヤ感の払拭と、彼らの取り扱い方法の理解を目的とし、私見を申し上げたいと思います。
■意識高い系とは
エベレストのように高い理想と、マリアナ海溝のように低い実力を持った人がかかる、
■意識高い系の特徴
意識高い系と聞くと、何人かパッと頭に浮かびませんか。
彼らを観察していると、面白い程高い確率で似通った性質を示します。
個人的な経験からですが、大きく下記のような特徴があるので、照らし合わせてみてください。
1 理想は高いが実力が無い
公私共に、彼らは何の成果も生み出しません。生み出しても、一般人のそれより遥かに低いです。
逆に、成果を生み出している人は「意識高い系」ではなく「意識が高い」人ですので、今回の話の対象にはなりません。
「意識高い系」は、口だけは素晴らしいことを言います。多くは社交的でフレンドリーで饒舌なので、一見して凄そうな人に見えます。
ところが、実際に仕事で接すると、あるいは私用で軽いイベントの運営でもすると、実行力が全くなく、途端に尻尾を現します。
受け答えがイマイチ(言いたいことだけ言う)、成果物の品質が低い、納期に間に合わない、集合時間に遅れる、ドタキャンを多発する、等、
最初は、初対面の好印象もあり「ん?」と違和感を覚えるだけなのですが、それが恒常的なものだとしたら、意識高い系確定です。
2 実力が無いことに気付いていない
意識高い系はビジネス書や起業家が書いた本が大好きで、それらに惜しみなく投資(と思っていることを)します。
そしてビジネス書を多読する人が高確率でそうなるように、本を読んだだけで仕事ができるようになった気になり、自己認識と実際の実力に大きな乖離が発生します。
そのため多くの「意識高い系」は、頻繁に「最近調子がイマイチだなー」みたいなことを言いますが、
何のことはなく、本人が気付いていないだけでそれが単に彼らの実力なんです。
彼らを見ていると、「じつりょく」というものが、ドラクエの「ちから」のように、自身の中にパラメータとして存在し、
本を読んだりセミナーに行くと、その「じつりょく」が ◯ポイントあがった!みたいな認識があるようなのですが、
現実の世界ではその人が出した具体的な結果でしか評価をできないし、評価もされません。
彼らはそこに気がつかず、延々と平積みのビジネス書について「〜読了!」と呟いたり、
セミナーに頻繁に参加して、「アウトプットが大事だからブログにまとめました」といって単なる議事録を書いていたりするのです。
3 SNS
よく指摘されていますが、マグロが時速80kmで泳がないと呼吸ができないように、彼らは毎日高頻度でFacebookやTwitterのようなSNSをチェックしないと、死にます。
さらに、FBの「いいね!」は、彼らに取っては元気玉の元気であり、「もっとオラに、オラに元気を!!」という勢いで「いいね!」を欲します。
個人的に、親指を数mm動かすだけの評価をいくら集めても何の価値にもならない気がするのですが、
「この記事を読んで参考になったら、「いいね!」を押してくださいね」と言わないと、多分人質に取られている娘が何かされちゃうんでしょう。
ちなみに、LINEとかでも無意識に「いいね!」と言ったりするんで、要チェックです。
市場というのはよくできているもので、今まで接して来た色々な会社の人達を見ても、その人の労働価値と密接にリンクしています(大企業のおじさん達は年功序列ポイントの下駄付きですが)。
そのため、実力がなく、それに気付かず適切な努力をせず、大口を叩いているだけの「意識高い系」は、転職等で不思議な程年収を下げて行きます。
多くは今流行りのスタートアップ系やNPO系に行きますが、「やりがい」を餌に買いた叩かれているケースが多く、
転職後の業務実態は、単なるサイト運営や社内事務スタッフ等、やはり金額に見合った仕事しかしていない印象です。
5頭が良いと本気で思っている
彼らは、少し会話すると気付くのですが、本で読んだ内容や、偉い人の発言を、そのまま自分の意見として堂々と発言します。
その場その場で話の内容に沿って考えている訳では決してなく、議論のテーマに沿った中で、最も有用と思われる過去に仕入れた情報を反射的に発言しているだけなのです。
ですので、たまに「あ、あの本のここに書いてあった内容だ」とこちらが気付く場合さえあり、聞いている方が恥ずかしくなることさえあります。
また、現状の社会的、組織的な不満点を指摘し、「日本のココがダメ」「IT化したら省力化できるのに」みたいなことを頻繁に言うのですが、
どうやら彼らの中での「ゼロベース思考」なり「問題発見能力」という能力として評価できる発言のようです。(「ママーあの人また大企業の悪口言ってるー」「しっ!見ちゃダメ」)
また、最終形態に近づくに連れて、何故か名前をカタカナで表記することが増えてきます。(深い思索に耽る余り、非効率な漢字という表現方法を忘れてしまったのかもしれません)
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と、元々の構想の約半分まで書いたのですが、思ったより長くなってしまったので、一回切ります。
気が向いたらまた後半書きます。
「自分がスーパーサイヤ人を目指すと仮定した際に、クリリンとも付き合うべきなのか?」という問題が話題になりました。
元記事は炎上目的くさいのでリンクは、はらないので、ぐぐってください。
(記者でぐぐると「可燃系メディア」の方だったので、危険物取り扱い免許のない方はけっして近づかないでください)
ここでは、原作ドラゴンボールをもとに意識の高いサイヤ人の皆さんがどうしたら、スーパーサイヤ人になれるか考察します。
地球人やナメック人では無理です。もし、自分がサイヤ人でなければ、クリリンとかと付き合おうが付き合うまいが無理です。あきらめてください。
次にスーパーサイヤ人の条件を考えましょう。
「変身に必要とされる条件は、一定以上の戦闘能力と穏やかで純粋な心、あるいは純粋な悪の心を兼ね備え、極端な危機感や強い怒り、悲しみに苛まれていること」
共通すべき項目としては、他人との関係性が引き金となってスーパーサイヤ人として覚醒しているのが読み取れます。
そして、原作を読むと地道に修行するより、スーパーサイヤ人になることで大きく成長する事がわかります。
あと、トランクス(子供)、孫悟天の例をみるに近くにスーパーサイヤ人がいたほうが目覚め易いようです。
なので、近くにスーパーサイヤ人のいる場合、彼と付き合いましょう。この場合、クリリンと付き合う必要はないと思います。
もし、近くにスーパーサイヤ人がいない場合は、他人との関係性が重要なキーになります。
あの自分大好きベジータですら、悟空が強くなってなければスーパーサイヤ人には、なれていないでしょう。
こういうときは、幅広く交友関係をもったほうがいいでしょう。当然クリリンさんとも付き合いましょう。
まとめると次の通りです。
・近くにスーパーサイヤ人がいる千年に1度の幸運の持ち主の場合は、どっちでもいいです。
意識の高い系のサイヤ人の皆さんは、この入門書を片手にスーパーサイヤ人を目指しましょう。
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ちなみに人生論として、ドラゴンボールを使うなら、世界最強のサイヤ人のだれもが勝てなかったブゥを、戦闘力の劣るサタンが一般の人間の協力をあおいで、元気玉で倒せたという事実を持ち出すべきでしょう。
どんなに強くなっても、周りの人間(戦闘力たったの5のゴミでも)の協力がなければ、大きな事は出来ないということを教訓とすべきです。
主人公の孫悟空が天才少女ブルマと出会い、祖父の形見であったドラゴンボールの残りを探すところから始まる冒険潭である。
今回はタイトルの通りに意趣を少し外してOP歌詞に目を向けてみようと思った次第である。聞いてもらえると嬉しい。
ドラゴンボールOPは全部で4つだ。無印、Z前編、Z後編、GTとある。
> 胸わくわくの愛が GISSIRI
そう、ドラゴンボールは冒険潭なのだ!妖怪変化、仙人などワクワクする様な冒険にあふれていた。
続いて、Z前半の歌詞だ。
大人になった悟空が主人公となる作品であり、息子の悟飯も登場することになる。
戦いに明け暮れ、子づくりまでする有様である。
胸がパチパチして、タマが騒ぐとは全くもって嘆かわしい。
嘆かわしいなどという状況を超えてしまった。
いっぱいのおっぱいに元気になるなどなんとうらや、いや、情けない。
この頃の悟空はまさに恐妻チチの監視から離れ、あの世で好き放題だったわけである。
これにはお察しとしか言えまい。
胸でもおっぱいでもないが、心はやはり胸部にあるという説を押したい(適当)
どうやら賢者モードになったのか、と思ったが、この頃の悟空はピラフ一味によって少年時代に戻された状態である。
どうやって悟空が生き返ったのか覚えていないが、チチの恐妻っぷりに怯え竦みながらただ強さを追い求めたのであろう。
非常に純粋な状態に戻ったと言えるのではないだろうか?
>> 客から預かった消費税を税務署に納めるときに、経費にかかっていた消費税は差し引けます。 <<
最近知った人が多いのかこの論調をよく見かけますが、消費税を納める時は何ヵ月後ですか?その時までは3%もしくはそれ以上、負担が増えているわけです。しかも全てが通算できるわけではありません。そのことはご存知ですか?資金に余裕のあるところはいいんです。自転車一生懸命漕いでいる小さいお店がそんな負担できるわけがありません。必要以上に潤うわけではない、存続のために必要な経費なのになぜ「ビンジョービンジョー」と騒ぐのでしょうか。小さな元気玉をみんなで少しずつ出し合って作ればいいじゃないですか。お店が潤えば、仕入先が潤い、農家が潤い、流通が潤い、各々がまた別の場所で使えるお金が増える。社会ってこうやってみんなでうまく回して好景気に進んでいくべきものでしょう。
貴方のお仕事の販売物(形の有無は別にして、どんな仕事にしても売っているものがあるはずです)には消費税増による価格変更はなかったのでしょうか。なかったとすれば、いずれ貴方がたの給料や設備投資が削られることになります。収めるお金が増える以上、どこかで捻出しなくてはいけないのです。それを「企業努力」と言います。
俺は、土日にハナクソの記事を書いた者だ(ハナクソの記事→http://anond.hatelabo.jp/20130824122536)
もうここに降臨することは無いかと思っていたが、はてな匿名ダイアリーのトラックバック君が仕事を投げ出したので、拾わずにはいられない。
【はてなブロガーズサミット(サイバースペースにて)を開催すべきだ!!】
http://anond.hatelabo.jp/20130825202707
お前な、トラックバック君よ。
これ仕事でも通じることなんだけど、アイデアの丸投げはやめろ。
いいか。
なんて考えるのは楽なんだよ。誰でも色々妄想するんだよ。
あんなこといいな♪
できたらいいな♪
ってな。
お前の場合はアイデアを出して丸投げして、煽ってるだけで何も仕事してねぇじゃねぇか。
いいか。
まず、こういうのをやるときは、最初に自分で苦労して調べるんだよ。
「ブロガーと読者の関係について」、そのブロガー達が過去に言及していないか調べるんだ。
後でちゃんとまとめるけど、最初に見つけたのが
「あざなえるなわのごとし」さんの、
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/08/13/123407
という記事。
ちゃんと書いてるじゃねぇか。「ブロガーと読者の関係について」
お前は少しでも検索して、こういう記事があるか調べたのか?
自分で汗を流したのか?
それが大事なんだよ。
※調べた分は下の方にまとめる。まずはトラックバック野郎に説教しないと気がすまん※
あとな、ついでに言うと、鉄は熱いうちに打て。
意志も熱いうちに動け。
人の気持ちって、冬の体育みたいなもんなんだよ。動かないと体が冷えてくるだろ。
まず、動いてみることが大事なんだ。そうじゃないと、どんどん冷めてく。
じゃねぇよ。怖いとか言ってるうちに周りも冷めてんだよ。
ごまかしてんじゃねぇよ。スベったときは、スベったことを受け入れろ。
「負けたことがある」ということが、いつか大きな財産になるんだよ。
で、次。
次にやることは、自分なりに考えてみることだ。
ここから少しの間、「ブロガーと観客について」俺なりの意見を書く。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブログってのは特殊なもんだ。
何に比べて特殊かっていうと、TwitterとかFacebookとか、昔流行ったmixiなんかと比べて、だな。
ブログの向こうには、たしかにその記事を書いた1人の人間がいるんだけど、どうもそれが意識されにくい。
要は、「書いている人間がいる」ってことがあまり意識されないんだな。
やまもといちろう氏とかイケハヤみたいに、顔出して書いてる人はまた別だぞ。
顔が見えないブロガーのことだ。
で、俺が考える「観客のあるべき姿」ってのは一言で言える。
コメントをつけたら読む人がいる。
ブコメというハナクソをつけても見る人がいる。
Twitterでつぶやいても書いた人は見ている。
そこにはたしかに「人」がいるんだよ。
なのにだな、「観客」の一部からは、「人」に対する敬意とか愛情とか、そういうのが全く感じられねぇんだよ。
とにかく「けなしたい」
とにかく「馬鹿にしたい」
とにかく「見下したい」
そういう気持ち、わかるよ。優越感、感じたくなるよ。
初期のドラゴンボールで、透明人間にボコボコにされてたヤムチャみたいに、弱い人間もいる。
そういう奴らを見えないところから殴るなよ。
記事の向こうにいる「人」を意識すること。
「人」が書いていることを忘れないこと。
それが、俺が思う「観客」のあるべき姿だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それに加えて、他のブロガーがどういう考え方をしているのか、まとめてみる。
まず冒頭で紹介した「あざなえるなわのごとし」さん。
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/08/13/123407
以下、簡単な内容の紹介(訳者:俺)
「知識もないし、何も語れもしないクセに偉そうにコメント付けるのだけは一人前」が多くてウンザリする。
ブロガーは言いたいことがあるから書く。そういう人が長く続く。確かにその通り。
でも、「読んで欲しい/いかに読まれるか」と「何を書きたいか」はイコールじゃない。
書きたいことを書いていると、夏のゴキブリのように次々湧いてくるバカは早くいなくなってほしいわ。
次、「かみんぐあうとっ」
【ブログは多くの人が読みたくなるような内容じゃないとダメなのか?読む価値がないのか?】
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20130811/p1
記事の紹介(訳者:俺)
ある人に、「あなたのブログは多くの人が読みたいような内容じゃないよ、それじゃダメだよ」というようなことを言われた。
それ以来、
「ブログは多くの人が読みたくなるような内容じゃないとダメなのか?読む価値がないのか?」
ってことにずっと悩んでいる。
答えは出ない。私に価値はあるの?
次、「Hagex-day info」さん
【Hagex脳の恐怖!】
http://d.hatena.ne.jp/hagex/20101019/p4
Hagexさんは、読者(ファン)との関係を「Hagex脳患者」と呼んでいる。
Hagex脳患者には以下のような特徴がある。
・年収1000万円を超える人間がでてくるとエピソードは全て創作(と思う)
・2ちゃんねるや発言小町で文章が上手いエピソードは全て創作(と思う)
・配偶者は基本的に敵
【BLOGOSへの掲載をやめた理由】
http://hatena.fut573.com/entry/20130612/1371027920
BLOGOSへの掲載をやめた。
yahoo newsのコメント欄みたいなノリは個人的にはちょっとダメなんだ。
楽しくないからあまり読まなくなる。するとだんだんコメント読まないんだったら、わざわざ転載する意味あるのかなぁという気になってきて、最終的に寄稿をストップした次第だ。
次、「gothedistance」さん。
http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20101224/1293172379
自分の記事が誰かの役に立ったり、悩んでいる人の助けになったりするのは基本的に結果論。
役立つ or 役立たないといった二元論に思い悩んで「アウトプット熱」が下がってしまうのは大きな機会損失なので、そこについて考えたい。
僕は、誰かの笑顔が見たくてブログを書いたことは一度もない。でも。特定の相手を意識して書いたことはある。
誰かの笑顔を思い出しながら、書いたこともある。
(随時追記・・・)
・・・でだ。
お願いするんだよ。プライド捨てて頭を下げるんだ。
他の人のパワーをもらうときは、まずは自分で闘わなきゃダメなんだ。
そして最後に、「オラに元気を分けてくれ」って頼むんだよ。
【追記】
数日見てなかっただけで、投げんなよ!!ですかw どんだけ早漏なの?バカなの? 今日までに、返事が来るか待とうと思ってたんだけど、いいや。
久しぶりに見たらこんなトラックバックが。消えてたけど。
情けない。本当に情けない。なんなんだこいつは。こんなにダメな奴なのか?
見えない奴に期待すると、こんな気持ちになるのか。情けない。
お前は本当に馬鹿だ。
まずな、返事が来るのを「待とう」なんて時点で、終わってるんだよ。
お前は学生だとしたら、うだつのあがらない地味で退屈なヤツで、社会人なら窓際だと思うが、そんなお前が待っていて、誰か誘ってくれるか?
こねぇだろ。
雑魚は自分で動かなきゃ、誰も雑魚のために動いてはくれないんだよ。
人に注目されたくて色々とはしゃいでみたものの、ダメ出しされたら悔しくて言い訳する。
言い訳し続けて機を逸して、いつまでも何もしなかった結果が、お前そのものだ。
どうだ?自分を見て、自分が情けないと思わないか?ネットの世界で考えるなよ。
リアルなお前を見つめてみろ。
今回の件はもういい。
しかし、お前は社会に出るまでに一度、自分を見つめ直すことだ。
一度ひねくれたら終わりだぞ。指摘されたらそれをチャンスだと思え。年をとれば取るほど、リアルでは誰も注意してくれなくなるし、誰も相手にしてくれなくなる。
そして、このままだとお前がそうなる未来が見える。
あとな、「純粋にキモいわ」とか「ムカツクわ」とか、そういうのが通用するのはネットの中と、学生中だけだぞ。
筋を立てなきゃダメなんだよ。キモい、ウザい、腹が立つなんていうお前の感情には何の価値もねぇんだ。
そこ自覚してないってことはたぶんまだ働いていないんだろうけど、お前は仕事をする前に俺に説教されてよかったな。
子供に仕事を教えてやるつもりで頑張ったんだが、響かなければ空回りだな。
残念だ。実に残念だ。
今回学んだことは、スカスカな奴に情熱をぶつけても、肩透かしにあうということだ。
スカスカには何も響かねぇんだよ。
同じ土俵に立ってると思うなよ、観客風情が。
お前もまずは舞台に立って、矢面に立ってみるといい。
そこがお前の成長の舞台だ。
おまえ、やる気だけが空回りしてるって言われるだろ?w
お前、やる気があるやつを馬鹿にするなよ。
お前はリアルでもそういう態度を取っているのか?恥ずかしくないのか?
この文章を読むことがあったら、胸に手を当てt自分を見つめなおしてみてくれ。
自分に胸を張れるのか?
https://www.google.com/adsense/support/bin/answer.py?hl=ja&answer=115242
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まおゆう読んだ。すごくおもしろかった。みんなぜひ読むべき。
魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」まとめサイト
http://maouyusya2828.web.fc2.com/
ほかの人の感想はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20100510/1273472249
泣けるほどおもしろすぎるネット小説を読んだので熱烈推薦するよ。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20100423/
人生を変えることのできる物語/魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」
http://d.hatena.ne.jp/izumino/20100422/
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100429/
はじまりの物語
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/795
魔王が世界を征服できない問題への一つの回答となる「まおゆう」
http://d.hatena.ne.jp/lastline/20100517/1274022158
みなさん、すげーテンション。気合の入った文章。実際、かなり面白かったので、興味のある人はぜひ。
そして以下は、読み終わったあと、テンションがあがりきって大学時代の講義ノート引っ張り出して書きました。
たぶんネタばれはない、はず。(追記)スポイルするかもしれないので、読了後によむことをおすすめします。
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昔、ある人は考えました。
「幸せってなんだろう?」
みんなは「お金があれば幸せ」っていうけど、何か違う気がする。
幸せの源泉は、お金じゃなくて、お金で買うことの出来る『モノ』だよね?
『幸せ=お金』だと思っている人たちは、みんな奪いあいばかりしていて、
「誰かが得をすれば誰かが損する」っていうけど、それって、きっと間違ってるよ。
例えば農作物なんかは、みんなががんばって働けば増えるよね?
この『ある人』の名前を、経済学の父、アダム・スミスと言います。
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「まおゆう」は、みんなが幸せを求めて奪い合いばかりしているのに、
「奪い合わなくてもみんなが幸せになれる世界」を目指し、ある程度の成果を収めます。
しかし、魔王は考えます。「何か足りない」「何かおかしい」
アダム・スミスが『国富論』を出版し、経済学がスタートしたのは、1759年のことでした。
この『国富論』は彼の独創ではなく、多くの先人の思索の上に成り立ったものでした。
魔王が足りないと感じていたのは、おそらくこの『多くの先人の気付き』なのでしょう。
前近代においては、まず『国王、国家』があり、その下に各人民が権利を与えられます。
近代においては、まず『個人の権利』が前提として存在し、そのために国家が設立されます。
前近代社会というのは未だ「神様のいうことが唯一正しい」という世界で、
過程をすっとばしていきなり答えを出しちゃったようなもので、
基礎となる考え方が共有されていない以上、いくら成果をあげても、なんか、ふわふわ。
魔王に影響を受けて、少しずつ『多くの先人達の気付き』を埋めていきます。
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昔、ある人は考えました。
そもそも「人間はみんな善の魂を持っている、だって神様がそう決めたから」
っていうけど、そんなこと無いよね?現実みろよ!
みんな欲望むき出しじゃん!奪い合ってんじゃん!人間は悪だよ!
誰かが「恐れられる君主」になって、縛り付けないと平和に何かならないよ!
「人間の一生は既に決まっている。奪い合うならそれは運命なのだ」
ってそんなことないよ!
運命に挑戦する強い意志が、事実を冷静に判断し、決断する強い心があれば、
運命だって切り開けるはずだ!!
彼の名をマキャベリと言います。
マキャベリが『君主論』で説いた『運命に挑戦する強い意志』=『徳』は、
主体的に道を切り開こうとする近代的個人のモデルとなりました。
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昔、ある人は考えました。
「国って何で必要なのかな?」
あれだね、人間ってほんと欲望強くて、いやになるね。
でも、それを放っとくと多分、みんな自分の利益のために奪いあいになっちゃう。
きっと、みんなそんな世界には住みたくないから、
人間の欲望=『権利』を預けるところが欲しくなったんだろうな。
きっとそれが『国家』なんだ。人間が作った元気玉。別名『可視の神』。
でも、ちょっと元気集めすぎて、絶対的な権力になりすぎかも。
怖くて逆らえないし。でも、生きてくためには仕方ないか。。。ジレンマだなぁ。。。
彼はこの『可視の神』を、伝説の怪物『リヴァイアサン』に例えました。
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そして昔、ある人は考えました。
なんか最近「人間マジクズっすわ」「あぶねえ」「あいつらの権利とりあげようぜ!」
って言う人いますけど、ぼく、それおかしいと思うんですよ。そんなことないんじゃない?
『生命』と『身体』と『自由』と、そして『財産』を持つ権利があるんだ!
「人間が放っておくと欲望に取り付かれる、殺しあう」
そんなことない!
たとえ人間の行動は欲望からスタートしたとしても、『真の幸福』について思いを馳せて、
誰かを傷つける前に自分の欲望をとめられる、『真の自由』が人間にはあるんだ!
国に預ける権利は「誰かに傷つけられた時に報復する権利」だけで十分だ!
ぼくたちはいつだって白紙の切符を手に持って生まれてくる。
だから『真の自由』を持って平和に暮らせるような社会をみんなで作っていこうよ。
例えば、ほら、教育とかにちからいれてさ。
彼は、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言に大きな影響を与えました。
そして現在の資本主義、自由主義の考え方の源泉となっています。
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おれ、気付いたんだけどさ。『モノ』作るとき、一人で作るんじゃなくて、
みんなで役割分担=『分業』したら、生産性、めちゃくちゃ高まるよ!
だからさ、みんなで前よりたくさん『モノ』を作れるようになって、みんなで交換したら、
もっともっと幸せになれるんじゃね?
そして、この労働の分業化が進むと、他人の労働生産物との交換が不可欠となるため、
人々の経済的協力が要求され、結果として調和的秩序がもたらされる。
物語の始め、魔王が夢見て、商人が憧れた『あの丘の向こう』は、きっとこの調和的秩序なんだろうと思っています。
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『あの丘の向こう』を夢見て手に入れたものだということを
改めて再確認してくれる、すばらしい物語でした。
おれ、いい歳して、けっこういろんなところで、ぼろぼろ泣いちゃったよ。
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