はてなキーワード: ポジティブとは
なんかさー
目上の人に
「○○のためになるよ!」と言われて巻き込まれるみたいな事が起きるんだけど(仕事外ね)
相手は何か、自分と同じカテゴリでしょ君は!みたいな感じでくるんだよね
確かに世話になったし、やろうとしてることは良いことだと思うけど。
これまでの関係性とかあるから、いきなり関係切る、とか無理なわけで。
どっかで区切りつけたいんだよね
丁重に断るってのがいいんだろうけどさ、
どう言っていいかわかんないの。
丸め込まれる感じ。上にも書いたけど、「○○にとっても良いことだよ」という、確かにその通りなんだけど、その言われ方で同意を誘ってるのがなんか、すごく、違和感。
逆にポジティブに相手を利用してやるって気概になれたらいいんだけど、ストレス。
なんていうか、違うんだもん。
仲間とか後輩だと思ってるのかもしれないけど、違うって違和感をこっちは既に持ってしまっていて、しんどくなる。フェードアウトしたい。
こういう人、いませんか?
みんなどうやって対処してるん?
いちばんの解決方法は「いちいちツッコミが入るような自分が不得意な仕事には就かない」だけど、
なんらかの事情で不得意な職のままを過ごさないといけないなら、
「ご指導ありがとうございます。改善します」と伝える。反論や嫌な顔はしない。凹んだ顔も見せない。
何を言われようが気にしていない風を装いこちらから積極的に元気に挨拶し話しかけよう。
そのうち態度は軟化する。
これでも態度が軟化しないのならおそらく誰構わず不機嫌な態度を撒き散らすタイプの人。
たぶん増田以外の人にもロクでもないことを言っているだろうから、
https://anond.hatelabo.jp/20210320184518
ウマ娘の話ではないけれども、アイドルも同じ言説を目にするなあと思った。
馬たちは、自分の意志で自分を売り物にしてる芸能人とも、擬人化された無機物とも、想像上のアイドルとも違って、今も生きてる。
増田の想定する「芸能人」にアイドルが含まれてるかどうかはわからんが、アイドルも一般的には「大人に利用されてる資本主義の象徴」「ファンが一方的に消費している」「本人の意思は尊重されていない」というようなことを言われる。確かにそのような面はあるし、特に女性アイドルは過度な期待を背負って潰れていく子も多い(男性アイドルには詳しくないが、ジャニーズ外では男の子もそうなのかな)
だけど、本人たちを見ているとアイドルに憧れてアイドルになり、アイドルとしてファンに愛される自分をポジティブにとらえて、愛情を返してくれる存在も確かにいる幻想にとらわれてしまう。真に歌って踊ることが好きで、我々ファンのことも愛してくれているように見える。しかし、実際にアイドルビジネスからリタイアしてしまう例を見ていると、これが錯覚なのか、そうでないのかいつも悩んでしまう。私は一方的にアイドルを消費しているのか?
続きの書き方合ってんのか知らんけど書いてく。
https://anond.hatelabo.jp/20210320124138
ここでいう容姿、ルックスは肌の部分までをイメージしています。一方で、洋服や髪型は思ったときに言葉にすることも多いです。ある友達は「顔がかわいいと言われるより髪型とか持ち物とか、自分の努力やセンスで作ってる部分を褒められたほうがうれしい」と言っていたし、それは反応や表情を見ていれば分かることだよな本当は、と思います)
ホンマかそれ?お前さんホンマに反応や表情を見ているだけでわかるんか?
まず大前提としてさ、女性全員の反応や表情が似通っているわけではないやんな?
ってことは、その反応や表情をまず分析するためにも、相手が思う良し悪しをどっちも踏んでみないと、喜ばせることも悲しませないようにするのも無理くない?
その子が顔より他で褒められることのほうが嬉しいように、他の子は顔のことを褒められることが嬉しい人もおるし、本当は嫌と思っているが嫌な顔ができない状況もあるやろうし、嫌な顔に見えるだけで本当はうれしがっている人もいるってゆう十人十色な世界やんか。
それでもお前さんは相手が欲しがる言葉をわかるんやったら、もうメンタリストを優に超えているやんな。おめでとうやな!
さも自分は周りが見れているものだと誇示しているが、一番見えていないのはお前であり、それを疑わないどころか、その歪んだ主観で人の価値観を決めるとゆう、悪質ながらも模範的なブーメランを投げる彼に感銘を受けたので+55点
ギターらへんの話とTikTokについてらへんは、しょうがないやろとしか思えない部分が多いのでスルーで。
大抵の男性がかわいい人や胸や尻や脚や下着が好きだろうし、そのことに小学校高学年からはほぼ自覚的だと思う。だけど目の前の人に「顔がいいね」「胸がいいね」とわざわざ伝えてはこなかった。
でも新歓や合コン、そしてTikTokではああいうノリがはびこっている。隠さなくていいというノリ。茶化していいというノリ。踏み込んでいいというノリ。
かわいいってことを伝えるのって意外と恥ずかしいもんやで。
男性も女性も、面と向かってやシラフで言えないのは割と普通の感覚やろ、付き合ってても恥ずかしがって言えない人とかやっておるもんやしな。
だから、わざわざ言わないのではなく、言いたくても言えなかったってのがほんとのとこやと思うで。
SNSや新歓、合コンで外見についての発言は確かに多いと思う。
SNSは匿名性があってのものだから致し方ないとして、新歓、合コンで胸について発言するやつってそんなにおるか?ぶっちゃけまぁ珍しいやろ。
もしそんな新歓が多かったのなら、それはおまえさんが止め切れていない証拠なのと、サークルの民度による問題やん。
合コンでも多かったのなら、類は友を呼ぶってやつだとしか思えん。お前さんのつるむ周りの問題な気がしてやまないわ。合コンで胸の話かますやつとかふつう呼ばれんだろうし、されたらされたでカオスやろ。
あたかも、合コン・新歓ではセクハラが当たり前だと、誇張した書き方をするのは気持ちが悪いので-20点
頭いい人なら特にわかっていると思うけど、人との関係構築ってめちゃ大切やから合コンも新歓も積極的に参加したほうがええぞ。
SMAPの中居くんが司会業を本格的にやっていくと覚悟したときに、こう決めたそうだ。仲良い人を作るということは、仲良くない人を作るということだから。
また変なの持ち出してきたけど、これは中井自身のモチベーションの話や。
モチベを変動させないようにやっているのは自分のためであり、お前さんがやっているのは他人の自尊心を下げないためのもんやろ?
これも考え方は似ていても、自分が変えられる部分なのか、そうじゃないかで全然違ってくるし、そもそもの対象が違うわ。
自分の考え方はある程度変えることが可能でも、他人がそう思わないようにさせる事はかなり難しいことやで。お前さんの場合ひた隠しにすることが正解やと思っているしな。
さらに、お前さんは他人がどう感じるかの基準を、おまえさんのものさしだけで勝手に判断しすぎなんや。確かにそうやって想像してかなきゃいけないのはわかる。
だから、勝手に考えることそれ自体は別にいいが、それをあたかも正解のように考えたりするのは絶対違うやろ。
まぁ自分の察する能力を過信しているからこそ書けることとは思うが、典型的な周りを見れてないやつの特徴でしかないわ。
自分は全知全能であり、世界が自分中心に回っていると錯覚していそうなので-15点
かわいいねとみんなの前で言うということ。
それは、かわいいねと言われない人を作るということ。
よく話題に上がる「男の前で態度が変わるぶりっ子な女性」は実際は少数派だと思う。男が集団で勝手に特定の子をチヤホヤして、そうでない人をほっておいてる。
その「みんなのことをカバーしているんだぜ俺は!」みたいな書き方すんのホンマにやめろや。
そのかわいいねについては最後に持っていくとして、また謎理論が出てきたやんな、お前さんほんまに好きやな。
その度に頭抱えるこっちの身にもなってほしいがまぁいいや。
え?なに?ぶりっ子はほんまは少数派で、ほっとかれるのが嫌だから量産されてるってことか?どゆことこれ?やっぱ天才なのこの人?
またしてもゲボ吐きそう。
それと勝手にちやほやはさせろよ。
構ってもらえない女性を配慮するなんてマナーあるんか?みんな好意を持った相手に時間を注ぐのなんて当たり前すぎて、疑問を持つことすら意味がわからんわ。
それに特定の人をちやほやするのは、男に限らず女性もするやろ。
またしても、男性サイドが悪いように誇張する内容と、ぶりっ子のくだりが意味不明すぎて頭痛がひどくなったので-10点
メイク禁止の学校で、まじめに校則を守ってる人のことを、余計なお世話だと思いつつ、ときどき勝手にイメージする。 周囲には、休みの日だけじゃ物足りず、学校にまでメイクをしてきてる人もいる。あーあ。そんなことしてたらまた先生に怒られるのに。
そして大学に入学すると、突然美醜が最重要の世界に放り出される。自分との会話は一言二言で終わってしまう。チヤホヤされているのは、校則を破ってメイクを勉強してきた女の子たち。でも、いけないことと教わってきたメイク道具を手にするのは勇気がいる。薬局の化粧品コーナーすら恥ずかしくて立ち止まれない。そしてそのうち、そういうキャラ、になってしまう。
会社に入ると、身だしなみくらいちゃんとしなきゃねと苦笑いされるようになった。身だしなみくらい? 学生の頃からずっと勉強してきた。この本の内容くらいとか、この資料作りくらいと言われるならまだ分かる。え? 身だしなみくらい?
周りの友達が、恋人どころか結婚相手まで決め、子供さえ生み始める。このままでいいとも思ってたけど、都合の合う友人も少なくなってくる。そうだ、私も子供が欲しかったんだ。恋人だってできるならほしい。だけどどうやって?
気付かないようにしていた。女には期限があるということ。そもそも何の出会いもない私が、運命の出会いを待っていたら子供が授かれなくなる。周りの友達が、離婚さえし始める。
涙が出る。モテメイクのサイトを見て、美しく見える下着を買う。こびを売ってるような女性も、胸が大きいだけで声のトーンが上がる男性も嫌いだったのだ。ガツガツいくのは下品だと引いた目で見ていた。でもガツガツしないから何もかからなかった。結局ちゃんとモテることをしている人がモテた。あのフライングスタートしていた人たちには既に圧倒的な差を付けられている。化粧品売り場の女性から「こうすると可愛くなりますよ」と教えてもらった。そうしないと可愛くないのだろう。
「最近変わったね」「なんか接しやすくなったっていうか」「ってかむしろ俺タイプかも」
涙が出る。
妄想にマジレスするのもホントに頭おかしいことやと思うが、もう引き下がれんわ。
想像して女性の立場で考えることはすごくええわ。理解しようとするその行為は尊敬すべきところだと思うしな。
が、その想像はお前さんの想像の範疇でしかないし、お前さんの問題ありな捉え方で考えているわけだから、やっぱり妄想ってことにしかならないやろう。
その妄想ゆえにしょうがないことなんだろうが、想像している「まじめに校則を守ってる人」女性の人物像が限定的すぎるわ。なんでそんな限定的な女性像をここで出してくるのか悶絶するほど意味がわからん。
お前さんのイメージしている女性像って、メイクを禁止されていたからってよりは、メイクにあまり興味がないからしてこなかった女性やないんか?
学校にメイクをして行ってない人が、休日も同様にメイクしていないように書いてるのがむず痒いわ。
さすがにメイクに少しでも興味があれば、プライベートではおめかししたりもするやろ。まぁ妄想やからしょうがないんやろうけど。
それと、学校で禁止されているからって、学校外でも抑圧されてしまうように感じるのはその人の考え方に問題があるとしか思えんわ。
学校にメイクがそぐわないってだけの事で、メイクがいけないことって感覚が形成されるのはかなり難しいことやろ。それもこれもただの妄想やからしょうがないんやろうけど。
それに、禁止されていたとしても、興味があるものとないものとでは、あからさまに自分の反応も違うもんやで。
興味のあるものは積極的に情報を入れるし、そうでない場合は気にも留めんもんやろ。
あーでも、そう考えると、お前さんもほんとに女性の考え方や立場に興味があるのか微妙やなぁ。浮ついた情報だけで判断してたりするし、Twitter以外で情報仕入れてるのか懐疑的やしな。
まぁでも、そこについてはあんまり言わんようにしといたるな(o^―^o)
少し脱線したが、つまりお前さんの妄想している女性像は単にメイクに興味がない女性の境遇をイメージしていると思うわ。
なんかそれっぽく入れられているから割と流してたワイもおったんやけど、ここでいれていくる意味がわからんよな。まぁもうだんだん疲れてきたからとりあえずいいや。
>「大学に入学すると、突然美醜が最重要の世界に放り出される。自分との会話は一言二言で終わってしまう。チヤホヤされているのは、校則を破ってメイクを勉強してきた女の子たち。」
勉学の場であるのに、容姿が最重要の世界になってて腹抱えて笑ったわ。
現実的なことを妄想しているのかと思ったら、お前さん異世界転生しとるやんけ。違う世界のことをこちらの世界に置き換えられても困るわ。
それと、チヤホヤされることを学校で求めるなよ。それが目的ならチヤホヤされるような場に行きなさいな。
>「会社に入ると、身だしなみくらいちゃんとしなきゃねと苦笑いされるようになった」
その会社は即刻辞めろ、無駄に社員のモチベを下げてくるとか会社にとってもマイナスだし、本人も働きづらいやろ。だからいますぐにでも辞めろ!って真面目に考えたけど、これお前さんの妄想やったわちくしょう。
これはお前さんが内心思っていることでカテゴライズしてるくないか?それを相手がどう思うかは、人それぞれやろ。蔑んでるからこその発言にしか見えんわ。
メイクしていない人が、あたかも女性としての魅力が無いように書いてるのはマジでないと思うわ。
>「化粧品売り場の女性から「こうすると可愛くなりますよ」と教えてもらった。そうしないと可愛くないのだろう。
「最近変わったね」「なんか接しやすくなったっていうか」「ってかむしろ俺タイプかも」
涙が出る。
化粧品のやつも捉え方が歪みすぎや。こうするともっと可愛くなると思って言ってる可能性もあるやろ。実際プロなんだし、今よりもっと良くなるやり方だってわかっているはずやで。
化粧品を販売しているスタッフの言葉選びが益々大変になる書き方はめんどくさいで。
それから、ポジティブなリアクションをもらえることは嬉しいことやと思うんやけどなぁ〜。
急に態度変えることが問題やったり、メイクで可愛くした自分だから褒められることに葛藤があるってところやと思うんけど、だからって何も言われない方がツライもんやと思うんやけどなぁ。まぁこれもお前さんの妄想だしあてにする気は一ミリだってないんやけどな。
他にもツッコミたいところが多数あるが、すべてお前さんの妄想なんだからやってること自体ナンセンスでしかないわな。もう置いとくことにするわ。
一部の女性像の妄想をかまし、その妄想が的を得ているように思ってるのかもしれないが、別ケースなどへの思慮がなさすぎるのと、妄想でもポジショントークを行う愚行さを正当化してしまっているので-10点
どうして学校は、週1でも補習でもメイクやファッションの授業を入れておいてくれなかったのだ。地理や数学をどうせ使わない人も多いんだ。使うか使わないかは私達に委ねて、選択肢ぐらいくれておいてもよかった。
どうして学校は、教えておいてくれなかったのだ。女性は男性に対して「かっこいい」「収入がある」「背が高い」以外にも、優しい、オシャレ、おもしろい、声が素敵、自分の世界を持っている、絵や歌が上手いなど様々なパラメータを持っているのに、男性が女性に対して「かわいい」か「若い」か「胸が大きい」程度のパラメータしか持ってないことを。意見が伝わるのはそのどれかをクリアしてからだということを。
あのさぁ、メイクがそぐわないから学校側は禁止してたりするのに、メイクを率先して教えくれないからって、学校に不満垂れるのはやばすぎると思うと思うんだけど大丈夫か?
そんで、メイクやファッションだけですべての人が美形になるわけじゃないやんな?
それで補えない人には整形の勉強をなぜさせなかったんだとでもゆうのか?
ワイら男だって、筋肉が恋愛には重要なんだから筋トレの授業があったほうがよかったと思うわ。
おかげでワイの腕が細いまんまやないか。なんで学校は筋トレの授業を設けなかったのだろうか?
お前さんが言ってるこうゆうことだぞ。ただの妄想上のわがままを、女性の意見と置き換えてモノ言うなや。
そして、おまえさん相変わらずすぎてめんどくさいなとすら思ってきたけど、女性に対して男性が浮かべるパラメーターを歪んで見過ぎやろ。
え?ほんとに「かわいい」か「若い」か「胸が大きい」程度のものだけでしか判断してないと思うのか?
男だって求める理想に、優しい、オシャレ、おもしろい、声が素敵、自分の世界を持っているなどのことは普通に考えるやろ。
結婚に関しても、料理ができる、掃除洗濯ができる、育児に対しての知識があるなどなどの要素を求める人の方が大半だわ、そこを考えない男性の方が少ないやろ。
恋愛のみに重視すれば、男性も女性もハードルが下がるのは普通のことやと思うわ。
男性側は何も考えず性欲的な部分で付き合っているかのような書き方は、男性への理解に誤解を生む行為であり、またしても悪い方へイメージさせるので-10点
次で終わると思うわ。長くなってすまんの。https://anond.hatelabo.jp/20210320134304
書くことで(書いて一旦読み直すことで)冷静になるときと、
頭に血が上ったまま書くことで思いを強化していく、視野が狭くなっていって本当は書いた以外の考えや正反対の発想すらあったのに、過剰な表現やミーム込みで書いたことだけが自分の考えのすべてに思えるときがあるんだよ
人によってはこのうちの片方しかないのもいる
今回も引き続き、雑誌『映画秘宝』の中に蔓延っていた「ボンクラと云う『甘え』」について考えてみます。このような風潮が同誌の内部に醸成された一因として、町山智浩や高橋ヨシキらが「恵まれた境遇に生まれ育った/生きている」ことの影響を考えてみる必要が有ると思います。
と言うのも、恵まれた境遇で生まれ育った/生きている人間にとっては「生きるか死ぬか」と云う状況や「生き延びる為には泥水をも啜る」と云う覚悟は、所詮「他人事」であり、だからこそ彼らは身勝手なまでに好き放題できたのです。
これまでの投稿で私は「雑誌『映画秘宝』内部では一部の人間により業務の『私物化』が起きていたのではないか」と云う仮説を述べました。そして、この仮説に符合するような動きが『映画秘宝』最新号に見られました。
それは、同誌にアニメ作品の特集記事が掲載されたことです。この動きは「高橋ヨシキらが居なくなった『途端に』」と言えます。そこに私は「新体制となった『映画秘宝』編集部から、読者を始めとする外部の人間に向けてのメッセージ」が込められていると考えています。
そのメッセージとは何でしょうか?
私はそれを「これまでの『映画秘宝』では高橋ヨシキら『切り株作品好きの派閥』の一存で、アニメ作品などの特定ジャンルに関しては肯定的に取り上げないように抑圧されていたが、これからの本誌は変に気兼ねすること無く幅広いジャンルにも目を向けるように努めて変革する」と解釈しています。
仮にこの解釈が正しいならば、映画を紹介・批評するメディアとして実に「まっとうな態度」と言えるでしょう。
投稿(13)でも述べましたが、雑誌『映画秘宝』が生き延びるには、読者層を拡大することが避けて通れない課題でした。仮にアニメ作品を取り上げても、それが正しい戦略か否か、直ぐに読者層の拡大と獲得に繋がるのか否かは未知数です。しかし少なくとも、従来の『映画秘宝』が好んだ、自分たちと異なる趣味や嗜好を排斥するような閉鎖的で排他的な態度を、反省して改めていくという「ポジティブな可能性」を感じさせるものであることは確かです。
路線を模索して読者層の拡大を図り、それにより雑誌の生き残りに努める姿勢を打ち出した新体制『映画秘宝』の姿は、過去の同誌を主導していた『切り株派』よりもよっぽど「生きることに真剣かつ必死である」ように私には見えます。謂わば「生きる為の切実さ」を感じます。
これとは対照的に「読者の拡大なんぞ知ったことか!」「アニメが好きな奴らに読んで欲しくなんざ無えよ!」と云う強気な態度を取り続けてきたのが、高橋ヨシキら『切り株派』に主導権を握られていた従来の『映画秘宝』でした。
おそらく、彼らにとっては「『たかが』雑誌の生き残りの為に、女やアニメ好きに媚びる必要は無えよ!『そんな』事をするぐらいなら潰れた/死んだ方がマシだ!」と思えたのではないでしょうか。
この「思えた」「できた」と云うのが重要な点で、これは「そうすることが『できる』と云う『可能』」を表す物言いです。こんなことを「思える」上に「実行できる」のは、それをできる「余裕」が有るからです。
人は「食べるための苦労」をせずに済む「恵まれた境遇」なればこそ、「生き残る為に泥水を啜るなんて、みっともない真似するか!」と云う態度も取れるのです。
町山智浩と高橋ヨシキが早稲田大学出身者であることは、ファンやウォッチャーにはよく知られた話です。入学金や授業料が高額な有名私立大学に通うことが可能であった、こんな「お坊ちゃんたち」に、生きる為に泥水をも啜るような覚悟が生まれるでしょうか?もちろん「否」です。
そうです。彼らの本質は、何処かの首相の息子と同じく「お気楽な身分のお坊ちゃんたち」なのです。
ちなみに高橋ヨシキは、英語とフランス語がペラペラらしいですね。これは素直に凄いと思いますよ。しかし、そんな彼が非・都市部居住者や非・富裕層をあからさまに侮蔑する姿を見る度に、私は赤塚不二夫の漫画の登場人物であるイヤミを連想しつつ「やっぱり外国語能力と人間性の間には関係が無いんだなあ」と再確認する次第です。
柳下毅一郎は東大出身者ですが、柳下のファンやウォッチャーからは「翻訳・文筆の仕事だけで食えているのか?」「食う心配をしなくて良いぐらいに実家が太いんじゃないの?」と言われている様子です。少なくとも「爪に火をともして暮らしている」とか「糊口をしのいでいる」といったイメージは抱かれていない様子です。まあ、浮世離れした人間でなければ、海外のシリアル・キラー事情に詳しい特殊翻訳家稼業とか無理でしょう。
てらさわホークは…私はよく知りません。
恫喝DM事件以降に露呈した『映画秘宝』内部の対立に於いて高橋ヨシキの側に立つ『切り株派』ライター人脈を見ると「普段は会社員をやってます」的な人間が目立ちます。これは「食い扶持に悩まなくて済むから『映画秘宝』の売り上げも気にせずに済む」と云う条件にも当て嵌まるように思えます。
もっとも、この人たちの場合、自分で働いて身を立てているのですから、決して「お気楽な身分のお坊ちゃん」ではありません。少なくとも、奥様の稼ぎに助けられつつTwitter芸人としての活動に日夜勤しんでいる、何処かの誰かさんとは雲泥の違いです。
しかし、切り株派の「お気楽な身分」とは、結局のところ「他人に負担を押し付ける」ことで成り立っていたに過ぎません。彼らが好き勝手にしていた分の尻拭いを負担していたのが、他ならぬ洋泉社です。洋泉社としては雑誌の刊行を「商売」として成立させたかったのに、それを雑誌の作り手たち自身が「私物化」することで台無しにしていたのです。そう考えれば、休刊から復活を遂げた『映画秘宝』が、町山智浩らの古巣である宝島社に拾われなかったのも容易に理解できるでしょう。
泥水を啜る覚悟も持たず、負担は他人に押し付ける。このような姿勢については、まだまだ話を展開できそうですが、また長くなりました。
こういってはなんだが、当時の母はシックスティーンを倒すためだけに戦う復讐マシーンと化していた。
それは偏に、シックスティーンが母から大事なものを奪っていったからだ。
もちろん、復讐を果たしたとしても、失った身体が戻ってくるわけではない。
だが後ろ暗い感情ではあっても、それが母の背中を押してくれていたんだ。
父からすれば、それがどこか儚げで、酷く痛ましく見えたのだという。
まあ、邪推するなら“個人的な理由”も多少は含まれていたんだろうけど。
「俺もネガティブな感情そのものを否定する気はないよ。なんだったら、復讐も否定はしない。そういったものは、綺麗事を超越した先にあるものだから。そこまで否定してしまったら、本当の意味でヒトじゃなくなる」
「じゃあ、あなたは私にどうしてほしいの」
「それは、ちょっとズルい言い方じゃない~?」
「……ごめん」
「ま、分かるけどね。要はポジティブな理由で生きられるなら、それに越したことはないって話でしょ」
なにはともあれ、父との出会いで母の復讐心は徐々に薄れていった。
いや、薄れたというよりは“これからやりたいことが他にもできた”というべきか。
今までは復讐心でハイオク満タンだったけど、他の燃料でも十分に動けるようになったってことなんだろう。
その燃料がエコなのかは知らないが。
「確かに毎週は面倒そうだね」
「機械に詳しい人が近くにいたら、行く頻度を減らせるんだけどね」
「それって……分かった。頑張って勉強するよ」
「いやらしいこと考えてない?」
「考えてないよ」
「だ、大丈夫。慣れてみせるさ」
こういうやり取りを聞いている時に感じる痒みって、科学的になんていえばいいんだろうな。
固い誓いを交わしてから後日の戦い。
「え……もう終わり?」
いや、あまりにも“あっけなさすぎた”んだ。
母が今まで戦ってきた中で、最も手ごたえの無い戦いだった。
もはやシックスティーンに、マトモに戦える機械は作れなかったのである。
この時にいたシックスティーンのロボットは、どれも子供のように小さな人型だった。
「……ムカつく」
いくらコストがなかったとしても、四足歩行のロボットなどはいただろうだし、そっちの方が勝負になったはず。
つまり、これは同情を買おうと、わざと弱いロボットをよこしたってことだ。
母は、そのことにすぐ気づいた。
「あなたたち、自分たちが何をやったか覚えてる? そもそも、なぜこんなことになっているか分かってる? 本当に分かっているなら、少なくとも“こんなこと”はやらないでしょ!」
だが、しかし、それでも。
もし父と出会っていなければ、シックスティーンは跡形も無く消え去っていただろう(物理的な意味で)。
いくつかの元所属チームが新たな企業を起こし、今も密かに活躍してるって話をたまに聞くくらいだ。
そして母と父はというと……これは言うまでもない。
非業な出来事に翻弄された母が、それ故に父と出会い、今はこうなっている。
そう思うと感慨深い気もするし、この話から復讐は虚しいとか教訓を得られなくもないが、俺から言えることは一つだけだ。
思春期の息子に、親の馴れ初め話は勘弁してくれ。
10年以上使ってたが同じスポーツをやる仲間を中心にした狭いリアルの繋がりでしか使ってなくて、特に沢山の友達と繋がるでもなく仲間内でゆるく近況報告をするくらいの使い方しかしてなかった。
最近になって、いろんなフォーラムやグループに参加して使うということがわかり、トレーニングのメソッドを紹介し合うとか、同じローカル地区のグループとか、クレイグスリストみたいに不用品を交換したりとか、同じゲームをやっているグループに参加したりだとか、そういう使い方をするもんなんだなあということがわかった。当たり前だけどこれインターネットのグループだったんだな。
redditとかよりも雑多じゃないし、基本的にポジティブなリアクションしかないし、(意地悪なやつはグループマスターからBANされる)世界中で繋がってる感あるし、なんかすごい90年代のパソコン通信の黎明期みたいな治安の良さがあっていい感じだ。
書きたいところだけ。
旧劇のラストでは、世界を滅ぼして融合させても、他人の心は一体化できないし、拒絶されるときは拒絶される。しかも突然それはやってくる。ということを高い映像技術と滅茶苦茶な演出センスと訳の分からない熱量で伝えられた。と思ってる。見た人の解釈が沢山あるから、言いきれないけど、そう思ってる。
それが当時の監督の失恋の表象だったとしても、ディスコミュニケーションの表現としてはある程度昇華されていたし、共感を呼べた。だってみんな思ったでしょ。「そんなの酷い!」って。
そんなの、が「キモチワルイ」って言われたことに対してなのか、受け入れられなかったことに対してなのか、説明もなく終わったことに対してなのか、は視聴者ごとに違うのだけど、世界は自分を受け入れないまま唐突に終わる酷い場所だっていう気持ちを共有して、世界の底を見せたところでエヴァンゲリオンは完結した。
底を見てしまったからには、各々自分の世界に戻って自分のやり方で上っていくしかない。テレビ版と旧劇はそういう話だった。と思う。
だから続きをやるには、今度はコミュニケーションの階段を上がっていくしかないのだけれど、エヴァンゲリオンは上がるため物語ではなく、底を覗くための物語なので、エヴァに上る方法を期待しても仕方がない。
仕方がないと思うんですけど…エヴァの物語の中にコミュニケーションの成就を望む人が多いんだな、ハピエン主義って結構根強いんだな、というのが「序」が始まった時に感じたことでした。そこに無い物語を望んでも、無いものは無いのに。(結局劇場では「序」しか見てなくて、「破」と「Q」はレンタルになってから見た。)
今回は本当に終わり、ということなので卒業の意味で公開初週に見に行った。
シンエヴァの終わりはハピエンだった。崩壊しかけた、ハピエンだった。
成長と生殖と日常を肯定し、現実へ行こうとしていたけど、映像としてイマイチだったな…。
だから、まあ、エヴァはコミュニケーションの成就を描くための物語じゃなかったんですよ…狭いところで悲しい気持ちになるための物語。そういう役割の物語も世の中にはある。ハピエンだけじゃない。
でも、監督は、カラーを作ったから、エヴァを再起動したし、エヴァを終わらせないといけなかったんですよね。シンエヴァは奥さんの影響はあるだろうけど、カラーを守りたいっていう気持ちの方を強く感じました。
カラーを存続するっていう意味での成長と生殖なんじゃないかね…。シンエヴァが100%監督とシンクロしている話だったら、監督には子供いないじゃんおかしいじゃん、とは思う。
震災を経て、Qを経て、病気を経て、さあついに終わろうってなった。しかも前向きに終わろうって。
ポジティブに考えられるものを作ろうとなって、監督にとっての前向きで成長していく大事な何かってカラーのことなんだな、と。
監督も同人で作ったガイナックスを卒業して(せざるを得なくて)、自分の国を作ったから、カラーを守りたい、育てたいっていう気持ちを第三村やミサトさんの子供に託すのは分かるんやだけどやな。
「うちの国、わりといいところだよ」っていう気持ちを、エヴァにのっけて終わらせようとしてしまったのが監督の残念なところだな…エヴァはそういうことを言うのに適した器ではない…いろいろ考えると仕方ないけど…。
ところで、監督は群像や組織を描けないという批評もあって、それを読んで納得しかけたけど、いやいやシンゴジはまあまあ上手くいってましたやん。巨災対を視聴者のみんなは愛したし、政治家パートには議論が巻き起こった。映画としては普通の人間模様になっていたし、そのうえで最高に格好良い怪獣と戦闘機がのっかったから、世間一般も巻き込んでブームになった。ポジティブな人間関係描写が一番うまい監督ではないけど、全然駄目でもない。
私は思春期にナディアに出会った人間なんですけど、ナディアの人間関係は若い子向けの前向きさで一貫していて、その背後に大人や世界の薄暗さが垣間見えてとても楽しかった。
単にエヴァが群像向きではなく、徹底してシンジとゲンドウの話だったから、無理に全員の幸せを描くとおかしくなっちゃったんでしょう。
突然だが俺はもう止めようと思う。
『地球に優しい』とか『地球を守ろう』というスローガンに代表される、環境に配慮した生活を、である。
別に今更「"地球の為"なんておためごかしだろwww 人間が困るからやってるだけだろwww」みたいな中二病に開眼したわけでも、宗教右翼的な温暖化懐疑論に鞍替えしたわけでもない。気候変動の対策は何より人類の為なんてことは、重々承知だったし、少なくとも今のままなら温暖化は進むだろうと思っている。
端的に言ってもうモチベーションが無い。尽きた。というか何で今まではモチベーション続いてたんだ、ってレベル。
世間は『サスティナブルな社会の在り方』とか『SDGs』とかで姦しいけど、そもそも俺には『今の社会を持続させる』動機がなーんも無いことに、遅ればせながら気付いたわけだ。
俺には子供はおろか姪や甥もいないし、何か後世に残せるものもない。何者でもないまま孤独に死んでいくことしか出来ないしがない一市民だ。(同世代のいとこは結構いて子供もいる家庭持ちも多いが、いとこやその子供たちが俺を孤独から救ってくれるわけでもないだろうから遠慮はしないことにする。そもそも同世代でも、家庭持ちと独身の間にはどうしたって断絶が生じるのである。)
だから俺は下りる。環境に配慮することはもう止める。石炭発電もバンバンやれば良いし、コンビニでは毎回袋貰おうと思うし、ガソリンエンジン車の暖気運転もガンガンやろうと思っている。
別に環境に配慮した生活にウンザリしたわけではない。地球温暖化対策にネガティブになったというより、温暖化が進むことにポジティブになったと言うべきか。仮に温暖化で生活が苦しくなったとしても、自分一人なら全然平気な気がするし。
それよりも運が良ければ地球温暖化による世界の変革を目の当たりに出来るかも知れない。そっちの方がよっぽど楽しみだし、モチベーションも湧くってものだ。
グレタ・トゥーンベリさんとかには怒られるかもしれない。「私たちの未来を奪うな!」って。うん、ごめんね。でも俺にはそもそも未来なんて無かったんだよ。そんな人間に自分がいなくなった後の未来のことまで考えろってのは、そもそもリアリティのある話じゃないんだよね。
卑屈だね
ちなみこれになんらかの答えは持ってる?
『知的ボーダー』『重い精神障害』『受動的で依頼心が強く問題解決能力が皆無』
それぞれ誰もが問題だと思っていると思うよ。自分自身が上記の該当者でなければ
ただそれらの問題に上からじゃなくて対等な人間として向き合うには
下手したら宗教家よりも求められると思う
■ 子どおじ?ニート?学生?おっさん?おばさん?ガキ?とか理解不能の煽りがあるけど
実際、その通りだったとして『で?』なんだがなにかオチはあるんだろうか?
■ いくら稼いでるか? どのくらいの資産があるか? どんなスキルがあるか?
これが一般的には社会的ステータスを決めるものだと思っているけど
例えばこれがゼロだった場合も 子どおじ?ニート?学生?おっさん?おばさん?ガキ?の謎の煽りと同じく
『で?だからなに?』ってなると思うんだけど
なにかオチはあるんだろうか?