はてなキーワード: バイアスとは
セクハラの問題点は、それがセクハラか否かの基準がはっきりしない点だ。
女性は、「そんなのわかりきっている」というかもしれないが、男性からしてみると戦々恐々である。
男性が何気なく言った冗談が、女性にとってはとんでもないセクハラと感じられることもあろう。
私は中年男性なので、個人的に思うのは、公的な場では、女性とのかかわりは必要最小限に留めるのがよい、ということ。
特に地位のある男性にとっては、落とし穴になりやすい。セクハラ容疑でキャリアをダメにしてしまうのは、あまりにもったいない。
もしこういう主張に女性が不服を感じるなら、ぜひセクハラの基準を明確にしてほしい。
「ここまでなら言ってもやっても大丈夫」と明示してもらわないと、男性としては不安である。
それができない限り、男性が女性を敬遠する傾向は続かざるを得ないだろう。
セックスして性欲が満たされることくらいが利点でそれ以外はデメリットが多い。
女性にアプローチしても、そのやり方に問題があれば、セクハラだの何だとの社会的批判を受け、最悪、地位や財産を失う。
男性の視点から、女性の主張に対して疑問を呈すれば公的な場で徹底的に批判される。
「触らぬ神にたたりなし」という状況に近い。
性欲は本能の一つだから、男性が女性をまったく意識しないというのは難しいが、少なくとも要求が多い現代の三次元女性を相手にするのは、あまりおすすめできない。性欲はもっと安全な方法で満たすべきだ。実際、日本では若い男性はそういう方法に向かいつつある。アニメやゲームやアイドルの女性を追いかけて、身の回りの女性には関心をもたない男性も増えているが、こういう社会情勢では当然の帰結とも言えるだろう。
とっても高尚で高潔なボクはネットリンチに加担したことがない。それどころか、ネットの皆さんが批判してる記事や人物でも、
(叩くには早計じゃないか?養護できる観点がいくつもある、長期的に考えれば必要な失敗であった可能性は?)
などと、数分思索を巡らせ、その検証のためにまた数分の検索作業をして、表象に隠された他人の思想や構想といった背景を納得できるレベルまで紐解いてからブコメを書く。そんな時間があるのはニートだからだが、ともかくだいたいブコメの主流派とは反対の意見になる。それでむしろリンチが飛び火して降り掛かってくることもあるのだが、それはさておき。ネットリンチはさぞ中毒性のある快楽行為なのだろうなあと思うが、その体験はできないままネット歴20年を迎えた。
だが、考えようによっては自分も同様の行為に参加していたかもしれないと思う瞬間があったのだ。たとえば、ゲームやアニメの公式ツイートやVtuberのツイート等のうち、祝うべき発言に出くわした時。それを展開すると、現在進行系でいいねカウンタが増加中だ。ツイートを読んだ時点で「いいね!」と思ってはいたが、その勢いにも後押しされ、自分も、といいねボタンを押す瞬間。これも一種の「いいね」による袋叩きなのでは、という思いがよぎった。実際に嫌がられてはいないと思うが、考えようによっては、だ。この「いいね」機能だが、一般人が急にバズったときなど、いいね爆撃に困って通知を一時無効にした、と発言をする人を最近よく見かけるのだ。今日もフォローしていたIIJmioの中の人が、スパムと思しき複数アカウントから過去ツイートに「いいね」される怪行為が迷惑だとこぼしていた。本来は人を笑顔にさせる機能でも、使い方によってはかくも複雑な状況が発生しうるものだ。自分では、ネガティブで非建設的な思考をブーストする投稿は一切せず、ポジティブで建設的な感情だけブーストしてあげるネットの妖精でいたつもりだが、それを守るのにも広範な知識や想像力が必要なものだ。
そこで、ネットサービスやアプリケーションのインタラクティブ性そのものが、折衝を増やしているのだと思い至った。昔のネットはそこまででもなかったが、今は技術が発達してリアルタイムに人々の反応が集まってくる様子が見られる。そしてネット人口も増えた。このライブ感こそが、人に大胆な行動・発言を誘う要因になっているのだ。そういう場では、常軌を逸した言動をするおかしな人も乗ってこれるし、そういう鼻つまみ者レベルの人が力を得る場にすらなる。
めまぐるしく流れていく世界を尻目に、自分はその流れの速さに合わせずに、本来の自分の能力に見合うだけの時間をとって深く息を吸い、深く息を吐く。それができる度胸のある人はなかなかいないのだ。それでも遅れを取ることはない、と自分に自信がないとなかなかできない。それができない人々が、短文で直情的なレスポンスを山のように積み重ねていくのだが、一種のキョロ充を見るような憐憫がそこにはある。どうにかしてあげられないだろうか。
例えるならば、自分は2chのスラングやコピペ、なんJ語、淫夢語録などに精通していて、ほとんどを認識できるが、決してリアルどころかネットの匿名の場ですら使うことはしない。元ネタを認識できるだけで、好意を持ってはいない。むしろ下品だし嫌いだ。それを使うことで通ぶったりする欲求はない。けれど、こういう言葉を躊躇いなく使う人がいる。「知っている」ことと「使う」ことが同一化していて、その間にあるべき判断が抜け落ちている人々。そういう人々が多すぎて、「そうじゃないんだよ」と言えなくなっているのが今のネットだと思う。あとは堀江貴文に対してどういう印象を抱いているか、なんかでも分かる。ネットに浸かるほとんどの人が、ネットのミームに人格を呑み込まれている。そして、こうした集団の同化バイアス的なものとネットリンチは繋がっているのだと思う。
この記事は過去二つの記事を前提としていることを、最初にお断りしておく。
https://anond.hatelabo.jp/20170315161240
https://anond.hatelabo.jp/20180403003916
うつの揺り戻しの勢いで後日談を投稿した後、自分で読み返して「これ書いた人相当病んでるな」と他人事のように引いてしまった。
可哀想な元派遣社員が身も心もすり潰されて不幸のドン底にいる、という筋書きの方が読み物としては面白いのだろうが、実際はそうでもないので、もう一つの後日談を綴っておく。「同情や心配して損した!」と思って頂ければ幸いである。
仕事を辞め、諸々の手続きを終えて少し経った頃、タンポポを堀りに行った。
子供の頃使っていた植物図鑑を見つけたのだ。野草を使った遊びが色々書かれており、ほとんどは試したことがあるのだが、大きな刃物を使うもの、食べるものは母が許してくれなかった。
で、そこに書かれていた「タンポポの根のコーヒー」を大人の力で作ってみようと思い立ち、近所の土手でタンポポを探した。長い根を掘り出して、洗って晒して刻んで炒って煮出す、二日がかりの大仕事である。
手間暇かけてようやく出来上がった飲み物は、格別に美味しいわけではないが、喫茶店で「そういうブレンドです」と言われれば納得するような、中途半端な味がした。いっそまずい方が、ネタ的に美味しかった。
この話を友人にしたところ、「そんなにお金に困ってるの?」と心配された。好奇心ゆえとの主張も空しく、彼女からは誕生日プレゼントとしてコーヒーチケットを頂戴した。
同じ野草を食す行為でも、「山菜狩りに行きました」「自分で摘んできて七草粥を炊きました」はSNSのイイネを集めたというのに。美しい言葉には、現実を捻じ曲げる力がある。
粥に使ったお米は、親戚の田植えを手伝ったお礼として貰ったものだ。
手伝いと言っても、PC仕事にしか携わったことのない私の貢献度は、その辺で虫取り網を振っていた子供たちと大差なかったと思われる。だがお婆ちゃんは「遠いところを来てくれただけで嬉しい」と、後日お米を送ってくれた。
親戚の家の最寄り駅までは、着替えと文庫本を鞄に詰めて、特急料金の掛からない電車を乗り継いで行った。
大学生の頃、そうした小旅行を何度かした。本を読みながら電車に揺られ、行ける所まで行って、適当な店で夜を明かす。知らない街を少し見て回って、また本を読みながら帰ってくる。あれは結構楽しかった。
貧乏旅行は年を取ると辛いというのが一般的見解だろうが、今の私は完全インドアだった学生時代よりも体力がある。
働き始めてすぐの頃、背中が痛むようになった。病院で「体の前面の筋力不足で背面にばかり負担がかかっている」と指摘され、ジム通いとジョギングを始めた。
以前は多くて週二回だった運動が、最近は三回に増えている。体組成計の表示はもちろん、筋肉が補修材を欲するらしく、味覚まで変わってしまった。豆腐や卵がすごく美味しい。こういう時は肉を食べたがるのが普通じゃないか、とは思うのだが、安上りなので助かっている。
先日、桜吹雪の中を走るのは気持ちいいに違いないと思って川沿いのコースを選んだら、花びらと同じくらい大量のトビケラが舞っていて閉口した。文字通り、という納得と、しょうもねぇ、というツッコミが交錯して、一人でフフッと笑ってしまった。
この調子なら仕事も出来そうな気がして、求職活動に挑戦する度に泣いたりゲロ吐いたりするものの、生活自体は概ね楽しい。
あなたの「頑張れば必ず良くなる」は、視野狭窄と思考停止だ。「雇用主はそんなに悪い人じゃない」も同様である。そう考えているのは既に危険な兆候なので、転職先を探すか、休職も視野に入れた方がいい。
嫌だと思ったら、それは表明しておくこと。この人は多少薄暗くても嫌がらない、周囲がうるさくても集中出来る、汚れた場所なら掃除をする。そうした自他からの評価の積み重ねは、あなたの労働環境を改善するどころか、より暗く、うるさく、汚い場所へ連れて行く。
安心して逃げていい。収入はないし夢見は悪いし、揺り戻しで病んだ文章を垂れ流す夜もあるが、一年後も生きている。
逃げるタイミングの判断を誤ったのは自分のくせに悲劇の主人公気取ってバカじゃねーの?とか、そういう自責、全然要らない。ズタボロのメンタルに自分でトドメを刺すのはやめろ。自己憐憫も陶酔も、心の麻酔としてはすごく効くから、痛みが引くまでは好きに使え。中毒や廃人化の危険を伴うのは体の麻酔と同じだから、そこだけは気を付けような。
まだどうにかなりそうなら、上記を参考にして欲しい。
自殺を考えるほど追い詰められている場合、別に死んでもいいと思う。「生きてて良かった」は文字通りの生存バイアスに過ぎない。
ただ、私は「この世から消えたい」という感情のピークに文章を書く作業で手が塞がっていたため、なんとなく死に損なった。結果、なんとなく生きている。
そういう風に、死ぬことは確定だが今は保留にしておく、という選択肢もあることは覚えておいて欲しい。私は近々好きな作家の新刊が出るし、友人の誕生日も祝いたいので、少なくともその間は保留だ。たぶん自ら死ぬより先に、事故か病気か寿命で死ぬ。
当時の私は、「死にたくない」と「消えたい」の間でグラグラしていた。今でもよくする。生き延びて良かったのか怪しいとも思っている。
それでもやり直しの利く方を選び続けて来られたのは、あなたのお陰だ。厚くお礼を申し上げたい。
一週間前の自分へ。
いいから早く寝ろ。もう少し暖かくなったらザリガニ釣りに行くんだろうが。
野草食ったりザリガニ釣ったり、心の病とは別の意味で可哀想で心配されるかも知れないが、私自身は割と楽しい。さすがに用水路で釣ったザリガニを食べる勇気はない。
この人は女性なのかな?
僕はてっきり男性が書いたものと思って読んでいたが、記事への反応でのやり取りを見ると、女性のようだと思えてきた。(僕は自分が男だからそのバイアスがかかるのだと思う。)
何が言いたいかというと、自分が男か女かくらい書いといた方がいいと思うのだが、それすら書いていないという時点で、コミュニケーション能力に疑問を感じるなぁ。そのあたりに原因があるのでは?
小説家になろうではたくさんの人に読まれるためにはランキングに載らなくてはならず、ランキングに載るためにはポイントを稼ぐ必要がある。
新着から作品を発掘してポイントを入れてくれる読者というのはいつも決まっているので、ランキングに載るという目的から考えると、ポイントを入れてくれない読者向けの作品を書くのは努力の方向が完全に間違っていることになる。
したがって新着作品はポイントを入れてくれる読者向けか、ランキングなど興味がないという趣味的な作品かに二分される。もちろんランキングはポイントを入れてくれる読者向けの作品ばかりになる。
ランキングから作品を探す読者というのは、ポイントを入れる読者の趣味の範囲の中で探しているということになる。かれらはいろいろな作品があると思っているかもしれないが、それも実はポイントを入れる読者の趣味によって選別されたかなりバイアスのかかったリストなのである。
これが増田界にも言える。
現在増田界はブクマ狙いのかまってちゃん増田とブクマには興味を示さない孤高の増田とに二分されている。
かまってちゃん増田は増田を新着から見て行ってブクマするような暇人の趣味を理解して書いている。
まずは暇人にブクマしてもらわないとはてなブックマークの新着にも載らないという問題があるからだ。
増田を新着から見ていくような暇人ではない一般のはてなユーザーは、はてなブックマークに上がってくる増田(すでに暇人の趣味によってある程度選別されている)を読んでブクマするかどうかを決めるしかない。
一般のはてなユーザーは低レベルな増田記事に「またこれか」と思っているかもしれない。それはまったくその通りで、はてなブックマークに上がる増田記事というのは、暇人たちの趣味によって選別されているからどうしても似通ってしまうのだ。
かまってちゃん増田は暇人がブクマするようにますます低レベルの記事を書き、暇人は釣られてブックマークし、はてなブックマークは低レベルな増田で溢れかえる。
あれ?もう一つの方消えた?
特定される恐れがあるため、おいそれとは応えられない。
ここの部分の証明をしてもらったうえで、互いに身分証明を交換したうえでなら応じる。
その結果を前提とした判断を下す恐れがある。
この文章を見て、思い込みが激しい人であるし自己肯定が強すぎる方でもあるなと感じる。
まず、他でも指摘されているように同期全員と仲良くなるべきというのはあなたの勝手な考え。
飲み会の際に、”あまり喋らない彼らに話題を振って、なんとかその場をもたせていた”と書いているが、これはあなたの価値観の押し付けであり、しかもなぜか上から目線。
また、内輪ネタ(懇親会でもうそこまで仲良くなったらしい)と書いているが、それは内輪ネタではなくただの先ほどの話題だ。
話についていけない自分を正当化するために、相手を貶めるような表現をするのはやめた方がいいと思いますよ。
そもそも、たいして知らない相手をいきなり”やかましい”なんて(心の中であっても)形容している人と誰が喋りたいと思うでしょうか。
また、後半部分でも”一生懸命仲良くなろうとしているのに。同期だろ?”という分と、”グループごとに固まって行動する大学生活は終わったものだと思っていた”という2文が矛盾している。
後者は正しくて、別に一生懸命仲良くなって同期というグループを作る必然性はない。
別にその相手と親しくあろうがなかろうがそれぞれの業務をきちんとこなすのが社会人であるので、”一生懸命仲良くなろう”というあなたに幼さをより感じる。
また、決定的な一言だと書いている「後ろにいるやつら、なんで付いてきてんの?」という言葉も、飲み会でそれほど話してない相手が後ろをしばらく追いかけてきていたら、当然起こり得る発現だと思う。
もちろん、言い方に棘があったのかどうか私には判別できないが、他の箇所での記載を鑑みるに既にある程度のバイアスがかかってしまっているんでしょう。
加えて、自分も軽蔑の対象になっているだろうとあなたは書いているけれども、はっきり言ってそれほどの関心を持たれていないと思いますよ。
ちなみに、自分”も”という表現は、あなたも周りの人を軽蔑に値する人たちだと判断している証ですよ。
そして”変わり果てた境遇に行き着くのだろうか”って、たいして話したこともない相手に使う表現として、失礼だと思いませんか?
あと、こういう周りの環境が云々言う人に共通していることとして、あなたはその彼らと同じプロセスで同じ場所にいるという同程度の人間だということを忘れている。
もし、そんなことはないと考えるならば、文句を言わずに自分に相応しい環境にとっとと移行すればいい。
それはできない、というのであれば、あなたは結局周りにいる人と同じ程度の人なんですよ。
小学校、中学校は田舎で育ち、高校はその地方のトップ校へ進学した。
海外生活のいいところは仕事をしつつ、現地に駐在する社会人や志を高く持った学生と容易に会え、自分の時間も多く持てることだ。
休学をしなかったらどうなっていたんだろう、とよく考える。
日本の大学の文系学部は賛否両論あるし、人それぞれだろうが、基本的に居心地が良い場所だと思っている。
サークルにゼミ、バイト、インターン、ボランティア、テスト前に勉強。
そんな環境から抜け出してみようと思ったのは3年生になる前の春休みだった。
インターンの選考や就活が迫ってくると大体の学生は上記のことを考えざるを得ない。自分もその1人だった。
大学受験までは受験勉強や学校での生活以外に外に出ることなんて殆どなく、大学に入ってからは新しい環境や刺激のオンパレードだった。
新しく買ったiPhoneでFacebookやTwitterを開くとあふれんばかりの情報が流れる。
僕はその波に飲まれていた。
手元のスケジュール帳にはびっしりと詰まったサークルとバイトと授業、そして遊びの予定。
スマホを開くと魅力的に見える情報や起業家やビジネスマンといった輝いて見える人たちによる指南。
そうして情報を摂取し、目の前のことをやり続け、僕たちは意味もなく、価値もなく、満足していく。
満腹中枢を刺激され続けるそんな大学生活を送っていたら、あっという間に就活と言われる時期に突入する直前になっていた。
就活のための準備を3年生の前期から活動の合間を縫って少しずつ進めていた。
わからない。
フィールドは広がったものの高校の延長線上で生きていた大学生活。毎日それなりの充実感もあり、就活で自信を持ってアピールをできるような部分もあった。
目の前のキラキラしたものを追い求めていただけだったんじゃないのか?
いやでもそれが欲望だったんじゃないのか?
ここで自分の甘さに気づいた。
僕は泡の中に生きていた。自分で作った何重もの泡に囲まれて、泡に反射した社会や人々を見ていた。そんな風に感じるようになった。
僕はストレートで卒業することをやめた。逃げなのかもしれないけれど、逃げた。自分の欲望がわからないまま生きていくのが嫌だったから。
そして休学届けを出した。
当時自分が一番やりたいと感じていた分野でのインターンだった。
仕事の内容はそんなに楽しくなかった。やる気をなんども失うこともあって、そんな時はノートに自分のことを書いたり、日記を書いたりしていた。
環境も時間配分も変わった。自分を包んでいた泡はこんなにも屈折した解釈を自分にさせていたのかと自身をメタ認知するようになった。
そしたら泡が少しずつ割れ出した。
そして虚無に陥った。
画面の向こうにいるあの起業家の成功の裏にある日常は全く異なる。
そんな情報に惑わされ影響される。人間の意思は移ろい易く、弱い。
仕事はそんなに大きいインパクトを与えられるものばかりではない。
泡はバイアスとも言い換えられるのではないだろうか。
そして誰しもがそのバイアスを認識している/していないにせよ、それらを通して解釈をしている。
そして大学という物語、仮想現実を疑い始めた。そんな海外生活7ヶ月目。
良くも悪くも地に足がついた。とても遅かったと思う。
そんなことを考えながら、今日も虚無の中を前向きに突き進む。
1月21日に卒業した彼女が、SNSで戻ってきた。しかも、彼女の誕生日に。
とても喜ばしい。元気そうでよかった。心底そう思う。
けれど、どうしても受け止め切れなかった。うれしそうなTLに少し、心の距離ができた。
いつのまにか、ただただ喜んでいたツイートに混じって、受け入れられない人間を批判するものが出てきていた。
どこかで、なにかあったのかもしれない。それは知らない。
水をさされた気分になったのはわかるけれど、それが極論化して、攻撃性を帯びてきた。
そういう言説になって大多数の人間がそれを正義と信じているようだ。
疑問を呈すことすらダメなのか。
彼女が卒業するときは、みんながみんないろんな意見があってしかるべきとなっていたはずなのに。
なんで待ってあげないで、攻撃するんだろう。
グループを守りたくて、彼女を批判してる?なんでそうなったのかわからない。
受け止めきれない人間を批判して、彼女を守ろうとしているヤツに笑顔の天下なんて語られたくない。
そう受け止めるのはきみたちがそうであってほしいからでしょう。
たしかに、彼女は無闇やたらと批判の矢面に立つことがままあった。卒業自体ですらもそう扱われた。
それは業腹だったろう。
好きなひとを悪く言われることはだれだっていやだから、過敏になるのだろう。
でも、先手をとって守ろうとして、行き過ぎてないか?
知り合いの緑推しが楽しそうにしているのはとても、とてもうれしい。
そことは違うところで、叫んでいる。
普通の定義が人それぞれの中、その範囲でみんな自己解釈しているのに、定義の枠からはみでた他人を非難して、グループの名前の下批判していることに反吐が出る。
くだらない。
それはそれとして、彼女の自己表現なので好きにしてくれ。というかそれ自体は楽しみだ。
先日、ツイートであった警備員に緑消してください、と言われる場面を目撃したというレポ。
「悲しんでる中、ひどくないか」
そういうところだよ、きみたち。
どうしようもなく悲しかったのだろうと想像するしかない。そういう立場だ。
でも緑推しとは比べられないかもしれないけど、他推しだって悲しんでいた。
まだ推しがいるからいいじゃないか、と言うが、卒業を選んだのはお前らの推しだ。
間違いなく、それは言い切れる。悲しくてもやりきれなくても、彼女は卒業してしまった。
なにかあったからと冷静さを欠いて、他推しに絡むのはお門違いと言っておく。
そのことも私的にまだ尾をひいていた。
ただ本当はこんなこと言いたくなかった。
物事をどう受け止めるかなんて、実際にはひとそれぞれで。
卒業に際して、他界を選ぶのも、ヲタ卒を選ぶのも、推し変を選ぶのも本当にひとそれぞれだった。
ネガティブな意見を見たくないのは当然だけど、彼女を守るために手段を間違えていないか?
難癖つけてきている!といきり立ったとしても、その非難は難癖じゃないのか?
今回、そう思うような意見ばかりのTLにつかれた。
個人的に、現状で「普通」の女の子が公式発言するのも成りすましをかいくぐろうとするのも意味がわからない。
オタクのために、と言うけれど、なんでわざわざオタクのこと考えなきゃいけないの?
それだったらそれでいい。はよしてくれ。待っている。
オタクに向けた言葉も、彼女らしいとは思うけど、残酷だなと思う。
その彼女自身の優しさを求めているオタクに、救いの手を差し伸べる意味もわからない。
そう思ってしまった。
そういう考えの下、どうしても、うまく処理できなかった。
自分のバイアスあるのは事実だけど、全員が全員そういう個人の主観はあるはずだろう?
それなのに一方の意見が大多数の共通認識であるからと、正義感で殴ってくる。
なにはともあれ喜べよ、と。
宗教かよ。
まあ民主主義国家だからしかたないね。大多数が正義。それでいいよもう。
どれを読んでも飲み込みきれないし、納得できるだけの答えは見つかっていない。
そういう宙ぶらりんな感情を、本人が出てきてくれたのに心のスキマを埋められなかったことを、嘆きたかっただけなのに。
誰かのツイートでなにかあったのかな。
疲れすぎて掘ってないけど。
もちろん、単なるアンチ発言やソロ活動を嫌悪する人間もいるだろうけど、でもそれといっしょくたにされることが大変遺憾だ。
上記のことを言う人間は彼女のことが嫌いなのだと一方的に見なされるのが、心底イヤなだけだ。
なにを言ってもたぶんこの件に関してはアンチ扱いされるのでしょうけど。
でも、最初からそうだったわけじゃない。いろんな言葉に振り回された。
うん。
他推しの言葉は、きっときみたちを完全に理解していないし、無神経だろう。
どんなに言葉を尽くしても、きっときみたちを傷つけるだろうな。申し訳ない。
でも、傷ついた!と言って緑推しが殴ってくることに、どうしたらいいんだろう。
どんな発言も、きみたちの顔色を窺わないといけないのかな。
だったら緑推しとその意識を賛同する人間だけのコミュニティにでも篭っててくれ。
この世界で一番多いのは、緑推しでも他推しでもなく、無関心なくせに口やかましい、オタクじゃない人間なのに。
もしかしたら、そういう人間が、なんで公式つけるの?わざわざやる意味あるの?ふーんわけわかんない。そういう反応をするかもしれないのに。
なぜ、狭い範囲でちょっと反対意見が出ただけで過剰とも思える反論が噴出するのだろう。
ひっかかってしまった自分を責めた気持ちで、TLを開いても、15日からこのことが流れてくる。
そんな極論は一部のひとたちだと言われても、あちこちでいいねが押されている。
結局飲み込みきれない自分を抑えればいいのだけど、飲み込めない。
こんなこと言うと、お前が悲劇のヒロインぶってるだけじゃねーかと言われるだろうけど。
本当に、ごめんなさい。
しんどい。
(どっちのうんちでSHOW!! Vol.28535)
1353年9月2日
文責:ちんちん
うんち vs うんち
対戦結果:
482948294820948 対 895で見事うんちの勝利
・就活とは、「良質な情報」を利用して「正しく動く」奴が勝つゲームやねんど。
a) 「良質な情報について」
「良質な情報」:内容の正確さ+自身のキャリア価値観の構成に影響を与える
インターンシップ:直接来社してオフィス・社員を見れるので雰囲気が直で知れるので一番会社のことを直で知れる。この雰囲気きっもと思ったらその直感は正解で、受けなければいいんだ。大体こーゆ感じの人とはうまくやてけるが、こーゆーのんはNGって嗅覚があると思うけど、それが一番わかるのは実際インターン行って雰囲気を知ることなんだ。あと他インターン生とのコネクションを作っておくことで就活情報を交換し合えるし、他インターン生のいいところをパクリまくって自分も優秀な人材になろ~とするインセンティブが生まれるンダ
OB訪問:社員の生の声を聴けるので裏表を聞き出すことができる。ただし特に気になる企業については特に複数人に聞いて確証性を上げること。
ちゃんとしたニュース:ニュースから企業の体質・雰囲気を垣間見れることができるっっちゃ
・仕事第一でプライベートで気晴らしをするなんてレベルじゃないほどのハードワーク、プレッシャー
・そーゆーどあほうなことするレベルの倫理観持った奴のあつまり。どんなけ仕事有能で社会的地位が高くても人間としてはどあほ~の集まりどあほオ
・そーゆーことがまかり通ってしまう社内環境/文化→相談できる環境・自浄作用がない、そしてヴォイスアウトは限りなく難しく、またしたとしても黙殺されてしまう雰囲気
まーこんな感じ。
まともな就活セミナー/説明会:セミナー形式になるといーことしか言わんけどまー社員もいるし雰囲気も垣間見れる。ごみみたいなマナー講座とか有料の奴に行くくらいならうんちぶりぶりしてたほうが有意義。ぶりッ貯
教授に聞く:先輩がどんな就活してたのかとかいろいろしってるはず。失敗例も含め聞き、自分ならどう乗り越えることができるか追体験すること
企業のHP(採用用のHPと普通のHP両方):見えない部分はあるにしろウソは載ってないので。もちろんよく映える部分しか載せてないのでそこには注意すること。
キャリアセンター:OB訪問先を知ったりES添削してもらったり面接練習してもらったり。ただし企業を紹介してもらうときはあまりあてにしない。人によって知識や相性にばらつきがあったり、しょーみキャリセン的には就活浪人さえせずに最悪就職さえすればいいだけなので自身の思い描くキャリアに沿った企業を提示してくれるとは限らない。
まともな口コミサイトや就活サイトなどのwebページ(詳細は後述):ごみサイトも多いので注意
・就活に関する情報は玉石混交すぎてぱっぱらぱ~って感じなので、なるべくインターンやOB訪問を重ねるなどして自身の「足」を動かした情報を最優先すること。
・ちなみになんでうんちみたいな情報があふれてるかってゆーと就活で儲けようとしてうんちマンがいっぱいおって、そいつらがインターネットにうんち情報を垂れ流しにしてるので良質な情報にアクセスするのは難易度が高い。「就活」でググってみるといかにパッと見有名でSEOに強いだけのすっかすかの情報がトップに表示されて時間の浪費かがわかる。まーじで小手先の就活マナー(笑)とかどーでもいいっつー乃
・結論:なのでうんちには触れないこと。くさいし
・おすすめサイト:まあまあ良質な情報があったり有意義なサイト
オファーボックス:自己prとか入力したら企業から選考オファーがクルド。企業自体はあんま大手どころはこないけど、ES書く練習になるから絶対利用するべき
外資就活:トップ大学がよく受ける外コン、外銀、日系大手などの企業情報やインターン情報、就活レポートがのってる。この辺常駐してる学生の雰囲気に慣れてついていける人材になれば、日本の企業ならどこでも内定とれるんだ。
Vowkers:社員の口コミサイトの中で比較的まともなとこ。
b) 「正しく動く」ことについて
・自身の思い描くキャリアに合ってるであろう企業に内定をもらうことがゴール。
それを成し遂げるために必要だと感じることだけをすればいい
・もっけー言うけどわけわかんねえビジネスマナー(ノックは2回?3回?はどっちでもいいんじゃしばくぞ)とかほんとに社員が書いてるのかあやc口コミサイトでその会社を推測したりとか、他就活生と比較して悩むとか、そんなことしてたら就活で儲けようとしてるどあほうのいいカモ。人の苦境につけこんで商売しようとしてるどあほうにはうんちを授けよう。(ペタッ
・業界や職業なんて今から決めたり悩む必要は全くない。インターン・選考時はおもろそ!って思ったところに受けまくって範囲を広げまくって、選考中/内定後に絞る作業に移ればいい。免許取る前にどんな車乗ろうかな!?。。って悩むのに時間かけんのってあほらしすぎ(面接時とかES時の業界志望理由とかはそれっぽい事言おう。どーせ企業側に就活生の将来の幅を狭める正当性なんてねえっちゃ。
・いろんな人の人生を追体験して、おもろそうな人生のイメージを膨らませる。本とかウェブインタビュー記事とかあるやろ。それを読んで自分はどのアンテナに反応する人間なのか知る。どんな仕事してる時が人生おもろそうか考える
日本では新卒一斉採用という謎方式がメジャー。まじ会社にとってのメリット謎。しかし凡人にとっては大変ありがたく、専門性が特になくても、新卒カードさえあり、その「会社」が必要としている専門的人材でなく、「社会」全般が必要としてそうな人に成りきれればてーげーの企業にいけるど。勝ち。(もちろん専門的スキルが必要な会社・部門も多々ある)
→「社会が必要としている人材」に思われる/見られるように意識
⇒じゃーそれってどんな人材だよ??
社会が必要としている人材=基礎学力+対人スキル+何かを成し遂げた実績(おれがかんがえたむてきのほ~て~しき)
・基礎学力
あほなやつは取りたくないもん。だからほとんどの企業ではWEBテストとかやってる。対策は容易。
↓
これが本当のSPI3だ!
ってゆー系のspi本3周くらいしたらよゆー。この努力を惜しんで内定ほしいとか言うてるどあほうは、筆記試験通ってないけど路上運転ばっちりやから免許ほpって言ってるどあほう。必要最低条件。
・対人スキル
円滑なコミュニケーションがとれるかどうか。TPOに応じた適切な言葉のキャッチボールがとれるか。
↓
まあこーゆーコミュニケーションとかマナーとかは、インターンとかOB訪問、なんなら本選考の面接を通してどんどん実践してミスして恥をかくことでじわじわうまくなっていくもの。わいは素をぶつけてみようという思いで臨んだ社長面接で落とされて、tシャツビーサンで面接行ったらあかんのか・・!!という大切な気付きを得た。感謝感謝ぐわあ~。とにかく失敗して恥をかいて内省することを繰り返す。
・実績
いかに崇高な入社後のビジョンとイケイケな自己PRとかしてても、でそれにたどり着くために在学中にあなたは何やってきたんすか?ってのを証明するために必要なのは何かしらの実績であったり結果がいる(体験だけではインパクトにかけるから何かしら外部のお墨付きがほしい)。
↓
じぶんでなんとかする。1から100レベルに盛るのはいーけど、0から1はシンプルな虚言癖マンになるので、小さくてもいいから使えそうなネタを集める。自分の好きな事を突き詰めてそれを外部に認めてもらう(表彰とか)だけでいいのさ
・就活とは
何かになりたいという単なる「手段」であって、「目的」であったり「ゴール」ではない。
→どんなことやりたいか?という理想イメージを膨らませまくり、それにたどり着くまでの道程でしかない。
→ただその道程にいろんな”気づき”であったり”出会い”がある。( ̄+ー ̄)
期限はあるものの引き返したりいろんな道をキープして楽しむことができるんだ!たのP!pppppppppppp
・どの軸が自分にとって適切か考えよ~
→ワークライフバランス・収入・働きがい・職種・業務内容・勤務地・潰しが効くかどうか・・・などいろんな軸があるので自己実現するために近そうなそれらの最大公約数となる企業からばしばし受けていく。べつにイチブジョジョーしてるからとか、ホワイティ~な会社っぽそうだからといって自分にとってよさげなんかとはなんら関係ない。世間のバイアスを一切排除し、自己実現するために使えそうで快適なハコ(会社)を見つけてそこに居座るための作業くらいのイメージ。ちなみにわおいは「おもろそうなとこ」っていう軸だけで就活してたら選択肢が3個くらいしかなかったんご
\\\\\\
あとがき1
みんなも頑張ってな!!
あとがき2
ここに書いてることが使えるかどうか、自分のドタマでかんがえよ〜。使えそうなとこだけ切り取って、違うよなあっとことはボコボコに叩いて議論すればいいじゃん?