はてなキーワード: スリップとは
ヤンキーVIP車のハの字のタイヤ(鬼キャン)のエントリがバズっていたので尻馬に乗って軽く書いてみる。
多くの人は車のタイヤは全部直立してると思ってるだろうが違うのだ。
そもそもなんでキャンバーが必要かという事が判らないと、ハの字にするのがカッコ良いとう文脈が出来たって事が判らない。ヤンキー文化というのは大抵、カッコいいの特徴を極端にし過ぎて独自文脈に至っているというのが多い。
『「タイヤがハの字」のクルマ、たまに見かけるけど何のため?→専門家の解説が的確すぎた!』
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/diamond.jp/articles/-/349720
まず、多くの人が抱いている直立タイヤを模式化する為にペンと小皿を用意して欲しい。ペンを直立に立てて小皿をペンにくっ付けて立たせる。ここの小皿がタイヤでペンがハンドルを切った時にタイヤが向きを変える軸だ。
ペンを動かさずに小皿を動かしてみると、小皿はその場で向きを変えるんじゃなくてペンの周りをグルっと回るような動きをする事が判る。
これが自動車だとこの小皿=タイヤには車重が掛かっているのだ。数百キロの重さが掛かっているタイヤ2本をこうやって位置を動かす、しかも腕の力で、というのははっきり言ってチャックノリス以外は無理である。だからこの構造だと停止状態でハンドルを切るという事が出来ない。更にブレーキを踏んでいたらタイヤの動きがロックされるので物理的に無理となる。
初期の自動車もこの問題に直面した。その為、18世紀フランスで造られた蒸気自動車google:image:Cugnot Fardierも19世紀のベンツ初の車、モトルヴァーゲンgoogle:image:Benz Patent-Motorwagenも前1輪の三輪車だった。
でも3輪だと安定性と積載性に難がある。そこで4輪、つまり前の舵輪が2輪で運転に難が出ない仕組みが試行錯誤され、こういう風になった。
1.タイヤの向きを変える為の軸(キングピンという)をハの字に傾斜させる
こうすると、キングピンの旋回軸を延長して地面にぶつかるところとタイヤが設置する場所を一致させることが出来る。つまり、ハンドルを回してもタイヤは接地面を移動させずに向きを変えるだけなので、停止状態でもハンドルが切れるのだ。
剥き身になってる車では見やすいのでこれを見て欲しい。https://youtu.be/13WS1UpG38I?si=46LZ8ChZ6ftGXrZ9&t=180
3:00の辺りから前輪の内側が見えるが、スポークホイールの内側にブレーキドラムがあってその内側にキングピンが見えるが、キングピンは傾いている。またタイヤも逆ハの字に少し傾いていて、キングピンの軸の延長をタイヤの接地面が一致しているのが判るだろうか?
しかしこれだと問題も発生する。例えば右に傾いた円盤を転がすとどうなるだろうか?右にどんどん曲がっていくよね。だから逆ハの字に傾いたタイヤは走り出すとずっと右のタイヤは右に曲がろうとし、左のタイヤは左にっ…て状態になってて、無理にねじ伏せて走る事になる。タイヤのゴムはずっと「消しゴム掛けてる」状態になってるから直ぐに減ってしまうし燃費だって悪くなる。
そこでこうする。
右のタイヤは右に行こうとするので左向きにする。すると右に行くのと左に行くのが釣り合って直進するのである。
左タイヤはその逆に。
なんだが無茶苦茶で無理させてるように見えるが、実際にはちゃんと安定する。そしてこのタイヤの整列状態が戦前から1970年頃までの標準となった。
この為に逆のハの字が標準状態なので逆ハの字がポジティブキャンバーと言われる。上から見て前側を狭めるのはトゥインという。トゥはつま先で、つま先をすぼめた内股で立ってるイメージだ。ポジキャン+トゥインが70年頃までの標準ね。
だが逆ハの字の車というのは今は見ないだろう。それは駆逐されてしまったからなのだ。
まずレースなどのスポーツ走行。カーブでは外側のタイヤが踏ん張るのだが、車体が遠心力で外側に傾く(ロール)。するとタイヤも一緒に傾くので、逆ハの字が強くなってしまう。この状態だと踏ん張りがきかないというのは判ると思う。
だったらレースカーは駐車場の据切りとか考えなくていいのだから、最初からハの字(ネガディブキャンバー)にしておけばロールした時に直立状態になるからカーブを速く走れる。
という事でレースカー=ハの字となり、つまりはネガキャンは速さの象徴となったのであった。
特に1970年代まで多く使われていたタイヤは今のものと構造が違う。今使われているタイヤはラジアルタイヤといって、空気を入れる前も入れた後もタイヤの形が同じになるように構造がしっかりしている。更に接地面は平らになる様に鉄のワイヤを編んだベルトが入っていて、空気圧の多寡で形が変わらないようになっている。
だが70年代までのタイヤはバイアスタイヤといって、形が変化するように柔軟な構造になっていた。自転車のタイヤと同じである。空気を入れるとトレッド面(地面に当たる外周部分)も丸っこく変形する。だが接地面は車の重みで凹むので、これが接地面積になるという構造だった。
こういうヤワな構造のタイヤではタイヤが突っかい棒の方向に向いていれば踏ん張れるが、逆向きだとヨレてしまって全然踏ん張れない。
更にポジキャンが車界から駆逐されてしまったもう一つの理由がFF化だ。
FFは前輪を駆動する方式の事だが、初期のFF車には重大な欠陥があるものも多かった。
歩くほどの一定速度でアクセルを踏まずにハンドルを切ってぐるぐる回ると、前輪の向きと前輪が通るルートは一致している。だが速度を上げていくとタイヤはゴムなので外側にジリジリと滑りながら曲がるようになる。
ここでタイヤが大幅にスリップせずに路面とハンドルに追従するのは接地面のグリップ力によっている。このグリップ力を超えると滑りが大きくなってスピンや外側の壁にぶつかってしまうわけだ。
前輪駆動では駆動力が前輪にかかるが、グリップ力はカーブで踏ん張る力と駆動力で折半しているのだ。
これがどういう事かというと、首都高の急カーブでハンドルを切っているのにちゃんと曲がらず、外側に膨らんでしまうという時、グリップ力の限界付近になっている。
ここで慌ててアクセルを戻すと、駆動力分に割り振られていたグリップ力が全部カーブ踏ん張り力にやってくる。するとハンドルが効きすぎて急旋回し内側の壁に突っ込んでしまう。曲がらないからとハンドルの切り増ししていたら最悪だ。
だから首都高カーブでの事故というのは、外側の壁にぶつかるよりも内側にぶつかる方が圧倒的に多い。
逆ハの字のポジキャンではこの挙動が起きやすくなってしまう。因みに初期FF車でこの特性が強く出て問題視された車にはgoogle:image:ホンダ1300セダンなどがある。ホンダ1300は後から2ドアクーペが出るのだが、クーペの方が穏やかでセダンの方がじゃじゃ馬という不思議な車だ。
また車の駆動力は内側から伸びるドライブシャフトで伝達されるわけだが、この時、力を受ける軸の方に曲がろうとする特性がある。つまり両輪とも上から見て内側に向こうとしてる訳で、これはトゥインと同じ状態だ。これをこのままにしていると加速の度にタイヤが減ってしまうしハンドルも安定しない。
だったらFFではトゥアウトにしておけばいい。トゥインと逆にガニ股につま先を開いた状態だ。
トゥアウトにしたら加速していない時に備えて、キャンバーをハの字にして辻褄を合せなきゃならない。
という事で、FF車や4WDが殆どとなった現在、逆ハの字のポジティブキャンバーは見なくなってしまった。一番最後のポジキャン車は恐らく1990年終売のシトロエン2CVかと思われる。google:image::Citroen 2CV
市販車でネガキャンが可能になったもう一つの理由はホイール形状の変化だ。
昔はスポークホイールだったが、今は鉄のプレスホイールやアルミ鋳造のホイールが多い。ホイールのディスク面を外側にずらす事(オフセット)で内側に空間が生まれる。更にタイヤもホイールも太いものが主流になっている。
するとステアリングの旋回軸の先をホイール内に入れてしまう事が可能だ。するとこの旋回軸の延長にタイヤ接地面を持ってきて更に緩いハの字にする事が出来るようになった。
ところで、この10年ほどで省略される事が多くなったが、その前は黄色く細いスペアタイヤ(テンパータイヤ)を積んでいるのが一般的だった。
そもそも細いので接地面の位置が合わなくてチグハグな状態になる。その上で、上記のバイアスタイヤが抱える問題を抱えていて、FFのフロントに付けた場合は上記の危険な特性を呼び出してしまう可能性があるのだ。
なので、FFでフロントがパンクしたからとそのまま黄色いスペアを前に付けると危ないのだ。更にそれで高速に乗っちゃったりというのはもう自殺行為でしかない。だから黄色いスぺアには「FF車の前輪には絶対につけるな」と書いてある。
まず、道路を走行する車の規制法は二つあって、役所も二つある事を踏まえよう。
規制法は、車両法と道交法、規制役所は警察と国交省(運輸局)だ。
で、警察は道交法と車両法を扱い、国交省運輸局は車両法だけを扱う。
車両法の政令は「道路運送車両の保安基準」、略称保安基準と言って、具体的にどの部品はどういう風でなきゃいけないかという事が書かれている。改造する場合や荷台などを付ける場合はこれを参考して判断する。
保安基準ではタイヤは車体からはみ出して露出してはいけない。これは元は水はねを予防するための基準だった。
だがこれは違う意味で大事な規制になっている。それは歩行者との接触時にタイヤ周りの回転物を接触させない為だ。ボディに接触したのとタイヤやホイールのナットなどに接触したのでは受傷程度が全然違うのだ。タイヤへの接触では巻き込んで踏んでしまう可能性が高くなるし、ホイルナットなどに接触すると抉るような力が人体に掛かって重篤な傷害を負わせてしまう。
ネガキャン強めくらいだと上の方はタイヤハウスに収まっているし、張り出した下側もボディ外寸内に収まる。故に警察に検挙されるという事もない。
しかし鬼キャンともなると、明らかに下側が出過ぎているし、ボディ外寸を超える。だから警察に検挙されうる。
では車検は?というとこれは多分ネガキャン強めでも鬼キャンでも通らないはずだ。
というのも、車検では「サイドスリップテスト」というのがある。上記で説明した、タイヤに無理な力が掛かっていないか、トゥインとキャンバーの組み合わせが釣り合っているかのテストだ。
具体的には横にスライドする鉄板の上をゆっくり通過する。釣り合っていなければ鉄板が横に動くので「サイドスリップ ×」と電光掲示板に表示されて車検落ちだ。
キャンバーいじってあるとここで落ちてしまうので車検は通らないという事になる。
このサイドスリップは改造車じゃなくても駐車場で縁石にぶつけた、サスペンションのゴムブッシュが経年でヘタっている、とかでもタイヤの整列が狂って落ちてしまう事が多い。
だが警察はこのサイドスリップテスターを持っていないのだ。そこまで厳密な検査で車両法違反を摘発するという運用になっていない。だからサイドスリップでは車検には通らないが、警察には検挙されないという状態である。
というわけで、ハの字のネガキャンはレースなどの速さの象徴が過剰化し実用の範囲を飛び出して、速く走れなくなったというヤンキー文化にありがちな代物である。
だが昔は逆ハの字のポジキャンが車の当たり前であって、その中でハの字のネガキャンにするというのはレーサー標榜の不良であった。
しかしエンジンの高出力化、車重の増加により太いタイヤが主流となってネガキャンの方が都合が良くなった上に、FFの主流化によってトウアウトにする必要からネガキャン必須となった。
故に今は嘗ての不良の象徴だったネガキャンしか世に無くなった。そうなると不良性を売り物やファッションのアイデンティティとする者にとっては、実用性ブッパする程の鬼キャンにするしかアピールする方法が無くなったとも言えるのである。
だから「なんであんな異常なキャンバー角付けるの?」と問われたら「”世間側”の全てが不良側に寄って行ったからその先に逃げるしかなかった」というのが一つの答えになるのだ。
完全に日が暮れるまでに峠を越えられるかなと思って、うねうねした山道を車で登っていたらゲリラ豪雨がやってきた
このまま走り続けて、スリップして山から真っ逆さまに落ちるなんてことは嫌だったし、路肩に車を停めてこんな山奥で待つのも嫌だった
だからロードサイドに「カプセル」と書かれた看板が目についた途端、すぐにハンドルを切って敷地内に入った
建物に入ると、中は雨の音なんて聞こえなくて、静まりかえって真っ暗だった
「おひとり様ですか」と声をかけられて振り返ったら、壁が半円形にくり抜かれてそこから光が漏れていて、カウンターらしきものになっていた
奥にいる人の顔は見えなかった
ひょっとしたらそういう所に間違えて入ってしまったのか、でも「カプセルホテル」と書いてあったような、と思いながらも、連れがいると言うわけにもいかず、「はい一人です」と答えた
「32番どうぞ、奥へ」とカウンターに差し出された手の下には32と書かれたカードキーがあった
突き当たりのドアを開けると、細い通路が伸びていて、左右にはカプセルホテルにあるような小さな個室がぎっしりと並んでいた
なんだ、やっぱりカプセルホテルじゃないかと思って32番に入ると、ほとんど音もなく上からドアがゆっくりと閉まり、中は密閉空間になった
天井は座ってぎりぎり頭がつかない程度の高さで、個室の壁に細いテーブルがついていた
iPhoneで目覚ましを設定したときのような音が小さく鳴ると、壁の一部がスライドして開き、回転寿司のベルトコンベア的なものに載った丼が滑ってきて、目の前で止まった
このときようやく、自分はカプセルホテルと間違えてカプセルラーメンに入ってしまったことに気づいた
最近流行っているのは知っていたが、こんな山奥にまであるとは思わなかった
ラーメンは熱かった
真っ黒なスープに大量の白髪葱と柔らかなチャーシューが浮かんでいた
スープはどこか甘酸っぱい気もしたが、それを上回るコクがあって不思議なバランスを保っていた
腹が減っていたので思わず麺をすすり上げた直後、耳をすましたが、周囲からは何も聞こえない
他のカプセルでも今この瞬間、自分と同じように麺をすすっている人々がいるのか、それとも自分以外に人がいないのか、見当もつかなかった
空腹が満たされると急激に眠気がやってきて、いつの間にか寝入っていた
産経新聞が報じているクルド人ヤードで大騒ぎ問題に関して。因みに本稿では記事や事件そのものには触れない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20240818-Q7DJ43L7IVGBVIXACY4JX5FRBY/
産経の記事では冒頭に「過積載の(解体業)トラック」の写真が掲載されている。Xでもよく同じような写真が「クルド人解体屋の過積載トラック」として掲示され「何故か警察が検挙しない!」と指弾されている。
道交法は近年改正され、車両からのはみ出しの制限が緩和された。
後方については車両長の20%以下となった(はみ出しが後方だけの場合)。これはいすゞエルフ2t積みの場合、全長が4.7mなのではみ出しの最大は940cmとなる。写真のトラックはそんなにでっぱっていない。
側方については片方10%づつの両方で20%までが可能になった。
産経の写真のトラックは上の方が広い積み方がされている。一番上に畳が2枚並んであるのでこれを基準に幅を考えてみる。
畳は地方により寸法が違うが関東で使われる江戸間だと短辺は88cmだ。これが2枚で176㎝。真ん中に間隙があり、柱も一本挟まっている。また少し斜めになっている。それらを修正すると188cmくらいか。
エルフの全幅は1.7mなので両側合わせて34㎝まではみ出し可能だ。幅は1.7+0.34=2040㎝まで積載okであるから、全然余裕である。違反ではない。
では高さは?というと、実は規制がないのだ。いくらでも積んでいい。
でも道交法では「道路を運行する車両の最大寸法」が決まっていて、3.8mとなっている。だから荷台の高さに拘らずに全車3.8mまで積める。
しかし3.8mというのは観光バスの屋根とか電車の2階建てグリーン車の屋根の高さで、とんでもない高さだ。だから平トラックでそこまで積むという事はあまり無い。で、写真のトラックもそこまで積んでいない。見たところ3.2~3.4mくらいだ。
重量は?というのは測らないと判らない。でも間隙が多い廃材なので重量はそこまでいかない。2tくらいではないだろうか?因みに木造住宅の重さは30坪2階建程度で30t強といったところ。検索すると1600kg/㎡という数字が出てくるだろうが、これは家の積載荷重と耐雪荷重を合わせた重さで、自重は半分程度になる。また壁材のモルタルや石膏ボード、漆喰を合わせた重さだから木材だけだと大した事ないのだ。
平トラックに積む場合、まずはあおりの内側にコンパネなどで壁を造る。その中で安定するようにテトリスみたいにぴっちり積んで、時にTスピンなんかも駆使して動かないようにする。
コンパネ壁の上に来たら安定する大物を外側に積んで真ん中の方に小物を積んで行く。これもテトリスっぽいな。
いい所まで来たらロープを掛けて思い切り絞り完成。コンパネと大物が押さえになって荷崩れを防止する。
多分、Xとかで騒いでいる人らは平トラックの積み方知らないのだろう。なので解体屋のトラックを見たら全てで「過積載」と騒ぐ。しかも慎重に情報を流すという動機がない。
しかも後ろからではドライバーが何人かなんて判る由もない。クルド人かどうかなんて聞かないと判らない。更に言うと撮影場所がどこかとかどこナンバーかというのも確認しないしその動機もない。
「警察はなぜ検挙しない!」ってそれは平トラックの定積載だからだ。アホやね。
ヤードっていうのは物流基地の屋根のない構内をいうのだが、特に自動車解体屋の車両置き場の事も指す。最近ではそこから建築業の資材置き場や金属スクラップ置き場なんかのことも指す。これは自動車解体屋のヤードの誤用っぽい転用だ。
で、この自動車解体ヤードは簡易な壁で仕切られて中が見えない、中で盗難車解体しているのではないか?と言われ、それもクルド人問題として語られる事がある。
だがこれは無体な論難だ。壁を建てるのは法規制に拠る。
昔の自動車解体屋はテキトーで、その辺に廃車を積み上げ、外して売り物にするエンジンやボディーパーツをその辺に積み上げていた。
だがこれだと廃油や廃冷却水がタレ流しになって土壌にしみ込んでしまう。廃冷却水は河川に流れると魚毒性が高い。
・1.廃車置き場と作業場はコンクリ打ちして排水路を作り、オイルトラップを設置せよ
・2.1が難しい場合は作業場だけコンクリ打ち+排水路+オイルトラップとしてそこで全液体を抜いてから廃車置き場に置け
・十分な高さのある塀で囲って部外者が入れないようにせよ
最後の塀は子供が入り込んでかくれんぼをしてたら転落したり、車ごとプレス機に突っ込まれてキックアスの悪役みたいな死に方するのを防ぐ為の規制だ。
増田は学生時代、金がないからマイカーは買えなかったが整備の腕は幾分あるのでバイト先の友人に駆り出されて工具箱持参で解体屋にフォークリフトで86の廃車を下ろしてもらいミッションを自分たちで外したり、シルビアのノンスリップデフを外したりして金払って帰り、それらを交換したりしていた。日産のL型エンジンは重かったな。
でも今はそういうのは出来なくなっていて、勝手にヤードの中歩いたりさせてくれないしそもそも外から見えないから在庫が判らない。つまらん。
こういう仕事は当然がっつり汚れて暖房も冷房も無いところで働くから人気が無く、外国人従業員が多くなっている。
それで色の黒いガイジン=ヤバいとなって、「中が見えない=犯罪?」と連想ゲームになるのだが、法規制ぐらい知っておけという話である。
「本稿では記事や事件そのものには触れない」って書いがあれは嘘だ。やっぱ記事の中身に触れたくなったわ。というのも地理的条件説明したいから。
記事中に「(川口)市東北部」とあるが、市の東北側には人家がまれな地域があるのだ。一つは旧見沼、もう一つが木曽呂という地区だ。
江戸時代まで川口から大宮にかけて見沼という巨大な沼があった。土木工事狂の三代家光になると、見沼の下の方に堤を造って、今の川口市~足立区を開拓する事になった。その直接指示官は利根川東遷事業や荒川西遷事業を為した治水と土木界のチャックノリス、かの伊奈忠治である。
そこで八町堤が築造され、見沼は巨大溜池となり、その南は広大な田圃となって幕府の石高を上げ、財政情況を改善したのである。
ところで荒川はそれまで元荒川を流れていたので、上尾より下流は入間川だけが流れていた。しかしこの入間川下流は今の荒川と相当に違う所を流れていた。
指扇付近からは今の荒川の西を蛇行して流れ、中浦和駅→武蔵浦和駅→南浦和駅と浦和シリーズ駅スランプラリーしてるみたいな流路を取ってから浦和競馬場に踵を返して川口市を横切り今の外環道をクロスして、川口オート→毛長川→八潮という風に流れていた。地方競馬からオートレースのはしごかよ。
で当時綾瀬駅を流れていた利根川に合流して自由に氾濫し辺りをぐちゃぐちゃにしていた。オケラオヤジの大暴れみたいな奴である。
この川も荒川西遷で廃川になったので広大な土地を開墾でき、その辺は川が無くなったから見沼の溜池で潤すって感じだ。
河川跡は出水しやすいので田んぼとし、その横に形成された微高地(自然堤防、曽根)に集落を築いていたので川跡がくっきり残ったのだな。
で享保の改革の吉宗の時代になると、見沼に泥が溜まって貯水力低下。そこで、見沼を全部干拓しちゃえという事になった。でもそのままじゃ水が足りないね。そこで見沼代用水という用水路を作るのだが、どこから取水してるというと羽生なのだ。見沼から60㎞以上あるのだ。
途中には当然沢山の川がある。そこでどうしたかというと、全部立体交差で通したのだ。江戸時代なのにちょっとイカれた工事だ。舎人ライナーに見沼代用水親水公園って駅があるが、この代用水とは見沼の代わりの用水って意味なのだな。
それ以来、旧見沼は田んぼ地帯となっていて、地盤も悪いし土地が低いから都市化した後もそこに家を建てたり開発行為をしてはならないという規制が敷かれている。
武蔵野線東浦和~東川口間、東武野田線大宮公園~大和田、七里~岩槻で突然住宅街が途切れて田園地帯や荒れ地が広がるのを見た事ないだろうか?あれが見沼なんである。
で、八丁堤の下にあたる川口市の方は開発一切禁止というんじゃなくて調整地域という形になっている。これは一般の都市計画で建築物を規制するやり方で、住宅や工場などは建ててはならない。でも例外が設けられていて、学校、病院、特養ホームなんかはokなので、家は無くそういう建物ばかりが閑散に建つという風景になっている。
建物規制なので駐車場など建物がない用途では規制されない。すると、中古車屋(事務所は移動可能なプレハブ)、解体屋ヤード、建築資材置き場などは規制されないのでそれらが集まってしまい、景色としてはあまり良くない地域になっている。
( ^ω^ )
( ・`д・´)
「若き考古学者マーチィン・パッドウェイは、稲妻に打たれた瞬間、20世紀のローマから西暦535年の古代ローマの終末期にタイム・スリップしてしまう! 生きるのが難しい時代だった。各宗派間の陰惨な対立抗争、熾烈化の一途をたどる領土紛争……暗澹たる暗黒時代の到来を食いとめようと、パッドウェイは出版技術を開発し、合理的な加算法を人々に教え、ローマ侵攻を企てるゴート人、ヴァンダル人と闘った。彼は歴史のコースを変えるべく必死に生きたのだ、闇よ落ちるなかれと願いつつ……異色SFの巨匠L・スプレイグ・ディ・キャンプの古典名作。」
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●追記●
こんなに長い文章を読んでくれた人がたくさんいることにブコメをもらってびっくりしてます。
減量はアプリ登録1カ月前から婚約者と付き合ってもしばらくは続けていたため半年くらいで7kg落とした感じです。
参考になったとコメントいただいたので他に買ってよかったものを下記にまとめておきます。
•ラシャスリップ
塗るとピリピリして唇にハリが出る不思議なグロス。5000円くらいするけど1本買って良さにびっくりしてすぐ2本目を買いました。
パンツの上から履くスパッツみたいなもの。ウエストが強調される服をよく着ていたのですがこれを着るとかなり細く見えます。でも苦しいので本気度が高いお相手だけに使っていました。3000円くらい。
マスク剥がしたらもう顔が白くなっているくらいくすみ抜けに効果がありますが毎日使わないと持続しないので、残った液を翌朝コットンパックにして小鼻や目の下にパックしています。1枚を2日で使っています。近所の韓国ショップで1枚200円。
普通のビューラーと全く違う仕上がりでびっくりしました。マツエクは行けなかったので助かりました。3000円くらい。
出費も多かったし、高くても効果がわからないものもたくさんありましたが、その後も手放せないようなアイテムを知ることができたのはよかったなと思います。
●追記おわり●
30代半ばのある日、最後に本腰を入れてマッチングアプリをやってみよう、と思った。
初めてマッチングアプリをしたのは確か20代半ばの時だったと思う。最初にペアーズ、他にはwith、ゼクシィ縁結び、Omiai、クロスミーなどやってみた。
毎回登録のたびにほんのり期待するけど、やってるうちに虚しくなって辞めてを繰り返してた。
夜寝る前に結婚するまでのプロセス長すぎん?って考えだして寝れなくなったり、街行くカップルを見てなんで自分はああはなれないんだろうって思ったり。
子供の写真を見て素直に可愛いと思えなかったり、そんな気持ちでずっといることに心底嫌気がさして、一度本気でマッチングアプリをやって無理ならもう全部諦めて独身を貫こうかなと考えていた。
最後だからとりあえずできることは全部しようと思った。貧乏性だけどお金もこの時ばかりは全部使ってもいいやの気持ちだった。(のちにすごい額の明細がきてびびることになる。)以下やったこと。
登録する1ヶ月前くらいから写真撮影に向けてダイエットしはじめた。有名な相談所のYouTubeを見たらとにかく痩せろと言っていたので。
運動は25分越えないと痩せないって聞いたから、途中歩きながらでも30分は歩くようにした。
あとフィットボクシング。それからYouTubeの小顔マッサージ。めちゃくちゃ痛いけど、とにかくダイエットは間に合わなくても顔だけ痩せてるように見せたかったので必死で毎日やったらzoomで見る自分の表情が別人になってた。口角上がって目がでかくなった。小顔マッサージってデコルテとか首の横とかもするんだね。
もともと真面目にコツコツが苦手で、ダラダラ残業とかもしちゃってめんどくて風呂も入れない日すらあるタイプだったけど夜走る時間を確保するために定時退社をするようになった。サラダチキンの調理も1時間かかるしとにかく早く帰るようにしていた。プロテインやスムージー、肌の色がよくなるビタミンサプリ(リポスフェリック)など導入した。
近所で手頃な価格の店に行ってたけど、ホットペッパーで口コミが良いところに変えて、+1000円で良いカラー剤を使ってもらうことにした。(イルミナとかアディクシーとかスロウカラーってやつ。色々やって自分にはスロウカラーが合っていた)さらに+2000円でトリートメントもしてもらう、それを毎月必ずやることにした。以前3ヶ月ごとに5000円だった美容院の費用は毎月10000円に。高い!
あと恥ずかしくて前まで絶対やってなかったけど、いいなと思う髪型の写真を美容師に見せて再現してもらった。多分韓国のアイドルとか。(詳しくないのでわからん)あと髪のセットの仕方、今婚活中なんで教えてください!って打ち明けて聞いてた。これ言うとめちゃくちゃ真剣にみんな教えてくれる。
お金がかかるし恥ずかしいけど、もう最後だから思いつくことは全部やろ、の気持ちだった。
●服買った
どこで変えば良いかわからんくて、とりあえずマルイと百貨店に行ってマネキンが着てるイチオシであろう服試着しまくった。前なら20代前半までのブランドじゃんとか、半袖のトップスに15000円は高すぎて無理無理とか思ってた店もガンガン入って試着した。
めちゃくちゃ試着すると、質が良く見えて、自分の身体に合った楽だけど体型が良く見える服にたまーに出会えて、それを買うようにした。アポするとき初対面の人と2時間とか喋るのほんと疲れるので、楽ちんってのがかなり大事だった。楽だと良い姿勢もキープできるし、顔にも疲れがでないので楽なのしか勝たん(でもちゃんと見えるの大事)
●写真を撮った
20代の頃プロに頼んだこともあったけど(それはそれでよかった。タイムチケットというサイトで一万円くらいで撮ってくれる)
なんとなく本気度が伝わりすぎる気がして、自室でコンディションが良い時に撮ったソロのセルフィーを一枚だけ使った。肌の質感と唇の色とかはすこし補正した。(Camera360ってアプリで補正した)
顔の写真は一枚だけで、あとは趣味がよくわかる写真やお気に入りの猫の写真、手元の写真、服装の写真などをアップした。
もともと友達少ない&質素な暮らしなのでそれを理解してくれる人が良いと思ってそこはありのままで行くことにした。
登録して3日間はnewというアイコンがついて注目されやすいので、3連休直前に登録して最初に一気にプロフを仕上げてコミュニティに入りまくった。そして気になる人に足跡をつけまくる。いいねする。
とにかく3日間はペアーズばかり見ていた。1ヶ月たったくらいでいいねは500以上になっていた。ログインしているのにメッセージの返事をしていないと相手に悪い印象を与えると思ったので返事はすぐするようにしていた。
●運気をあげる行動をした
スピリチュアルとか勘弁してって思うタイプだけど思いつくことは全部やるべし状態だったので運気をあげるためのこともいくつかした。
占いで1番売れてる本がゲッターズが書いたものだと知ったので購入。365日の運勢が書いているので、運気が良い日にアポを集中して入れていた。
あと「人にしたことは全部自分に返ってくる」と昔よく母親に言われていたので、すべての人に真摯に向き合うようにした。具体的には返事は無視しない。相手を蔑ろにしない。メッセージのやりとりなどでもう無理と思ったときは、ごめんなさいとしっかり謝ってこれまでやりとりしてくれた感謝を伝えるようにした。アポしてくれた人には感謝を伝える。アポの際ちょっとしたお菓子を持っていったり、割り勘の申し出を断られたときは帰ってから半額分のスタバのオンラインギフトカードを送ったりしていた。
あと、アプリで返信率が高いといいねが増える気がする(注目度が上がっている?)気がしたのですがそういうアルゴリズムとかあるのかな。詳しい人がいたら教えてください。
部屋を綺麗にして暇さえあれば縁結びの神社にお参りしていた。
●フットワークを軽くした
もともと週末も1日は予定を入れずにダラダラしたいタイプだったけど、少しでも良いと思ったら即行動するようにした。Twitterで婚活垢作って何人かと会ったり、新幹線で2時間半かけて遠方の人ともアポして、その帰りにもう一件アポいれたり。ヘアサロンと脱毛とシミとりレーザーと歯のクリーニングに毎月行って、服も試着しなきゃだからとにかく時間がない。土日が一瞬で終わる。疲れた…!となったので初めてマッサージにも行ってみた。とにかくたくさん予定を入れて、今できることは全部やる!の気持ちだった。
これらのことをして、結果2ヶ月後に今の婚約者と出会うことになった。いい人がいて結婚できたらいいなって思ってたけど、結婚よりもなによりも、相手のことをめちゃくちゃ好きになってしまったことに驚いている。心の底から好きな人が自分のことを好きでいてくれる、という事実に毎日衝撃を受けている。好きな人が自分が作ったごはんとか食べてくれるのすごい。しかも美味しいって言ってくれる。自分がこんな気持ちになるなんて。そして毎日可愛い可愛いって言ってくれるので怠惰な生活に戻って婚活中に痩せた7kgはリバウンドした。
寂しかった、緊張をまぎらわしたかった、ストレスを忘れたかった。だから、すすきのに居た時は酒を飲んでいた。
おさけは凄かった。普段は言えないことも、お酒の力で言うこともできた。緊張がやわらいだ。酒を飲むことによってストレスはむしろ増えていたけれど、酒を飲まないというストレスに耐えられなかった。酒を飲まなければ私じゃなかった。酒を飲んでる時のわたしのことを私は好きだった。お酒も好きだった。お酒のつまみも好きだった。お酒を飲むところが好きで、いる人たちも好きだった。だからバーでミルクを頼む気にはなれなかった。
いつも1杯だけと思って、お店を訪ねた。飲み始めるとブラックアウトをするまでのんだ。初めて入った店のトイレで気絶していたこともあった。酷い飲み方に拍車がかかってから、友人が減った。毎日ブラックアウトするまでのんだ。資金繰りに困るようになった。
当時同居していた7年付き合った彼氏と酒が入るとよく喧嘩するようになった。その人も酒が好きな人で、飲んだら暴言とかるい暴力をふるってくるような人だった。いつも彼が何か粗相をした時に、何とかしてたのは私だった。私がそうなってみれば俺が恥ずかしいからやめて俺の世話をしろと言っていた。そのうち帰ってこなくなった。他にも決定的に課題があって別れた。知り合ってすぐの人と見せびらかすように付き合い始めた。弱ったようだったけど、いない時にしか私に関心がないんだな、と思った。その知り合ってスグの人とは割とすぐ別れた。
終盤は休日であれば朝から飲んでいた。それは友人が教えてくれた悪くて楽しい飲み方だった。その友人と一緒に、その友人の休日には朝から晩まで飲んだ。仕事がある日も夜に毎日飲んだ。楽しかった。わたしは仕事をやめていた。何もかもどうでもよかった。いつ死のうかと思っていた。アルコールをやめたかった。
アルコール依存症の初期症状が出始めてから4年、とんでもないような田舎に引っ越して四苦八苦して半年の禁酒に成功した。その4ねんの間に結婚した。最近街にまたこしてきた。大丈夫だと思ったから。少し楽しみだった。夫と少し距離が欲しかった。夫のことは好きだけれど、一緒に居るのはすごく窮屈だった。
そうして、このあいだ夫に隠れて初めて飲みにいった。ブラックアウトはしなかった。バーボンのダブル三杯と水をゆっくりのんだ。私は変われたんだ思った。夫は心配しすぎなのだ。
でも昨日は違った。明細を見ると日本酒3合、バーボンのダブル4杯、ハイボール1杯をハイペースでひとりで飲んでいた。ブラックアウトした。帰宅の時間も定かでない。完全にスリップした。案の定、夫にはバレた。やめる、今後一切行かないと約束した。これは空手形だと思った。後悔してるしやめたいけれど、そんな簡単じゃないことを知っている。お酒が飲めないように工夫をいくつくかするつもりだ。でも、本当は自信が無い。AAに通うのは夫が許してくれないと思う。夫は私か他人とかかわるのを嫌がっている。夫のことも大好きなままでいたい。でも、私どこかで、やめたいと思ってるアルコールのために離婚してしまうような、そんな気がしていて怖い
AI様に聞いたぞ。
Q. 日本は現在経済的な困難に直面しています。もし30年前にタイプスリップできるとすれば、これを解決するために何をすることができますか。
A. 30年前にタイプスリップできる場合、経済的な困難を解決するためには、政策的な決定と経済改革が必要です。これらには、財政政策、貿易政策、資本市場改革、労働力市場の改革などが含まれます。また、新しい産業の発展や投資の増加も重要です。これらの改革を行うことで、日本の経済は持続可能な成長を達成することができるでしょう。
Q. 具体的にはどうすればいいですか?