はてなキーワード: カップラーメンとは
「生活保護1」
生活保護、200万人。過去最多を更新しましたって、まあそりゃそうだろうよこの社会時勢。それでもその制度を知らずに餓死している人やホームレスやっている人もいるから多いとは思わないけど。働きたいのに働けないって状況がどんなのかイメージするのは難しそう。封筒で現金支給。さっきから200万人ってことを誇張しすぎ。今回は咲さん。節約するのはいいことだよね。それがみじめだとは思わないし、悲観的に映すのはちっと違うんでないかい。咲さんは新しい化粧品を買うのが気が引けている。咲さんは14万円受給で大金らしい。俺にとっても大金。雇用保険がないと貯金がいっきに減るよね、しかも精神的にさあ次いこう!って行けるわけではないのに。会社辞めてショックを受けたらしい。働く世代が生活保護を受けやすくなった通知があったらしい。咲さんが服に金をかけてないってシーン、そういうの支出が明確ではないとなんともいえない。女の子がーって話なのかもしれない。食費を抑えるために自炊ができる咲さんはなかなかの社会的資源を持っていると思う。それすらできない奴多いし。貧困カップラーメン。。インターネット代は絶対に必要だろうね。面接で生活保護っていわないといけないのか。確かにそれだけで落ちるだろうし、それが辛い思い出になるのもしゃーない。特にプライドがあったりすればなおさら。生活保護のレッテルがある。次は中年ネットカフェで寝泊まりは騒音ですぐに精神が病みそう。テレビで特集されているのは正社員→日雇い→生活保護ってパターンが多いね。そのときに一緒に精神もやられるから就職そのものが難しいって感じ。球場の土を入れ替える仕事ちょっと気になる。仕事があるか毎日問いただすのダルそう。つーか多くの人が体調を崩せば生活保護まで待ったなし。咲さんまた登場。資格を取っている模様。つーか、咲さん22歳なのか。22歳で生活保護を受けるってのは世間的にも個人的にも色々と葛藤がありそうだが、死ぬか死なないかって話の前ではそんな葛藤やってる場合じゃないよね。咲さんファイト。
「生活保護2」
また受給者人数が多いことを誇張する導入から。28歳の男性。大阪の就業訓練で、接客業の訓練をやっている。こわい。教師のおばさんが超個性的。こんなおばさんが担当することもあるのか。しかしおばさんは接客業うまそうなおばさん。これが生きる力なのか。健さんは家族の介護で退職してズルズルとなったというキツイパターンだ。怪我で退職してそのまま生活保護。内心は複雑でしょう。やむを得ない人たちのイメージが貧困すぎるよ健さん。この人、立場が違えば自己責任論者になりそうだとちょっと思った。甘えてたらダメとか言いだすし、また社会に復帰したら立場変わりそう。健さんの面接訓練タイム。俺はどもるからもうこれすら無理。俺から見たらよく出来ている方だと思うんだけど、まあこれでは落ちるよねって感じだ。俺が無能すぎるだけの話。行っては断われる経験を繰り返すと、面接にいくのが嫌になるのも無理はない。成功体験がないとひたすらダメージが蓄積して自尊心と意欲がなくなっていくし。次は36歳の人。150くらいの店にすべて落ちたらしい。そんな無能そうに見えないけど……。俺のほうが圧倒的な無能だし意欲もないし救いようがないのはどうでもいいんだけど、大阪堺市はなかなかいい試みをしているっぽいな。つーかちゃんと働くより生活保護費のほうが高いなら働かないことが「合理的な選択」だろう。健さんの面接の話。自分をしっかりアピールするかが大事らしい。熱意とかが大事らしい。俺、当たり前の話にうんざりする。飲食店、居酒屋でいいなら働き口なんていくらでもあるんじゃないのか?と思っているんだけど、それでも難しいのか。ワタミだぞ、ワタミ。健さんすばらしい。酒が入った人は人の本性が分かって話すのが楽しいから居酒屋ってらしい。俺にはまったく理解できないが、俺に理解できることは少ない。健さんがこんなに苦労していると、俺なんかではもうどうにもならなさそう。健さん、面接する。「えーとですね、あの、あの、まあ。」案の定のコミュニケーション能力。しかしそれくらいどもってるのはそうマイナスではないから健さんがんばれ!健さん採用決定。まあ当然だろうね。つーか健さんでさえこうなのか。俺のなかで健さんの好感度は高い。こういう人が特集されたら生活保護へのイメージも変わりそう。しっかし、ブラック色全開の居酒屋を進んで希望するなんて、世間は広いのであった。俺はちょっと学んだ。
厨二っぽく書いたが、用は直接民主主義についてだ。日本は間接民主主義、つまり選挙をして、代表を選んで、その代表が政治をするよな。このシステムはほどんどの国で採用され、実際効率がいい。だが、世の中には民主主義であるにも関わらず、選挙をしない国があるらしいんだわ。スイスがそうらしい。下記リンク参照
仕組みを簡単に説明するぞ。まず普通に議会も裁判所もあるんだ。その辺は変わらない。違うのは、成立した法案や政策に対して国民が拒否権を行使できることだ。具体的には5万人分の署名を集めると、国民投票にかけることができる。その逆に、10万人集めれば法案や政策を提案できる。議会が了承しない場合は即国民投票。
この方法だと政治的な癒着もないし、自分たちで選んだ政策だから不満も減少する。カップラーメンの価格すらしらない議員たちがやってる政治よりよっぽどいいと思わないか?
だがこれを日本でやろうとすれば大変だ。まずスイスとは人口が違う。あそこは800万足らず、日本は1億越えだ。国民投票に必要な署名も5万や10万ではすまなくなる。さらに、日本人は世界一忙しい人種だ。月に何度も国民投票なんてやってられないよな。
こっからは俺っちの持論。面倒くさい国民投票やら署名だが、webを使えば比較的簡単に行えると思ってる。まず全国民に一意なIDを配布する。それを扱う暗号化されたwebシステムを作る。バイオ認証が望ましいな。あとはそこで投票や署名を行う。
もちろん日本にはメールすら送ったことが無い老人が沢山いるから、10年、20年後に実現ってことはないだろうが。いずれ日本にはPCに親しんだ人々だけが残るよな。そうなれば、この案も夢物語ではなくなると思ってる。
お前らの意見も聞かせてくれ。
いまの日本社会の本質的な問題点は、社会の内部が分断されていることにあると思う。
立場の異なる者同士のあいだを埋めるものがなく、異質な者同士では共感が生まれない。以前にはカップラーメンの値段がわからないと揶揄された首相もいたし、いまの安倍晋三君もひもじい思いをして暮らしたことがあるのか、私は寡聞にして知らない。
例えば、御法川氏が朝にテレビで「庶民」の立場でキレていたし、夜には古舘氏が、というのも結局は、「庶民」が自覚している孤立感を代弁してウケを取ろうとしているのだと思う。実際には、「庶民」だとか「官僚」「天下り」「公務員」「東電社員」だとか、そういったカテゴライズでは語れないものだと私には思えるのだが。
47都道府県あれば47通り、さらに市町村はもっと多いし、人口は1億3000万くらいあって、それだけの相違があるのにもかかわらず、その相違を包摂して溝を埋めようとする努力がなされているのだろうか。例えば、ニュース報道は、47都道府県分の各地のニュースを流しているのだろうか。おそらく地方版はその地方にしか載っておらず、在京キー局や在京新聞社などは最大公約数的なニュースを流しているだろう。例えば、共同通信社や時事通信社というできるかぎり無色透明で最大公約数的ニュースを配信する通信社があって、そのニュースに多くの新聞社は依存している。
例えば東京にいても、福島県民や宮城県民や北海道民や沖縄県民や高知県民や(以下略)の「声」が日常的にはどれほど聞こえてきているのか。あまり聞こえてこないと、私は思う。全国に流すための最大公約数的マスコミだからだ。
明治時代以後、そして戦後以降もなお、マスコミや広告代理店も国家機構も最大公約数的な社会づくりをしてきたのではないか。例えば「流行語大賞」だとかいまだに言っているが、「流行語」というのも結局は、相違する人間同士が、溝を埋めていないのにもかかわらず、共感している「気」になっているだけなのではなかろうか。
むしろ実際には、少数であればあるほど、その人の「声」はかき消されて聞こえなくなる。例えば少数民族(例えばアイヌ)にしても、性別的少数(ISやGID)にしても、あるいは最下層の困窮者(例えば貧困や障害や傷病など)にしても。実際には1億3000万のマイノリティの集積がこの日本社会であり、そこから最大公約数だけ取り出せば「効率」はいいのかもしれないが、まちがいなく取り漏らす。
いま、安倍自民党にしても、いわゆる全体主義的な、あるいは国家主義的だともいうような、社会全体のステレオタイプ化された秩序の押し付けに力を入れているけれど、そうした方法では、社会内部の分断された溝は埋まらないと思う。それで真の秩序が保たれるのだろうか。例えば特定秘密保護法を強行採決したり、唐突に靖国参拝をしたりしたけれども、そういうやりかたは民主主義的でない、話しあいが欠けているわけで、つまり、溝を埋める努力をしていない。
まあ、そんな言い方していいんなら、散髪はガキの鋏遊びと変わらんし、飯屋はカップラーメン戻すのと変わらんし、農業は泥遊びと変わらんわな。
初めてその店に行った記憶は、柿の渋抜き用にと焼酎を買いに行かされた「はじめてのおつかい」だ。
それからしばらくの間は子供が酒類を買いに来ても咎められることはなかったな、そういえば。
その酒屋には豊富に駄菓子も売られていたので子供の頃からよく利用していた。
たまに賞味期限切れだったり小虫が紛れている菓子があったのもご愛嬌。
顔見知りとなっていたので当時生意気だった私は酒屋のおっさんに軽口を叩いては遊んでもらっていた。
地域の祭にもよく参加していたおっさんが、竹笛をとても上手に吹いていたのを私は知っている。
おっさんのくせに上手いなあと思っていた。
海がとても近い町だったので、放課後に買ったアイスをかじりながら、よく堤防の上で友達とジャンプを回し読みしたっけ。
その後自分も中学高校へと進むにつれ行動範囲も広がり、その店に行くことも減ったが、
おっさんの母親であるお婆さんが痴呆となり、外を徘徊しているという話を両親が夕飯の席で話していた。
へー、そういえばおっさん元気かなと一瞬頭を過ぎるものの、そんなことより
生意気だった小学生も思春期を迎えて、その頃にはたいへん卑屈で地味で中二病交じりに内向的な高校生になっていて
あの頃の失礼極まりないながらも天真爛漫だった私はどこに行ったんだろうなどと考えながら白飯を口に詰め込んだ。
確か部活終わりに部室でまったりカップラーメン食ってる時に、同中の友人からメールが来たんだっけ。
中学校の近くの裏山で首をくくっていたという。例の痴呆の母親の介護を苦に…とかそれらしい話もで出回っていたが
背が高く飄々とした、竹笛のうまい顔見知りのオッサンに死のにおいは全く結びつかなくて戸惑った。
おっさんを知る友人も私も、泣くほどではない。ただ、あれこれ思い出話をしては、たださみしいなと思った。
海の近い町に生まれた。山も近かったが、なにより海に近かった。
それなりにいい町だと思う。とはいえ、人口に対して自殺の話題をやたらとよく耳にして、
それは同級生や後輩の父親だったり地元の名士的に知られた男性といった、面識があったりなかったりの人達だったから。
おっさんの死後、しばらくは彼の妻が会社勤めをやめ店に出ていたようだが、その頃実家を出ていた私はよく知らない。
おっさんが(屋号からしてきっと先代の頃から)営んでいた酒屋はもうない。当然、ジャンプを回し読みした堤防も。
世の中には「程度問題」という単純なことが分からない人が沢山いる。オールオアナシング、白黒でなんでも考えてしまう人。程度によって話が違ってくるのが分からない人。
認知を簡略化することでストレスを軽減しているのだろう。言うなればストレス社会の家畜。おのれストレス社会めと貴方がたは武器を手に立ち上がるべきだ。
一方で「恥の暴力」という特徴的な現象も日本にはある。日本は「恥の文化」と言われるが、それは恥が大きなパワーを持つ国ということでもあるんだよ。
つまり、相手が恥ってことにしてしまえば勝てる。これが恥の暴力であり、村八分やGoogle八分の原理である。
で、実は「程度問題」と「恥の暴力」って相性がいいんだよ。「程度問題」って要するに解釈のねじ曲げじゃん?
「カネないから毎日カップラーメン食ってるわ」と聞いて「カップラーメン買えるとか金あるだろ」と突っ込むようなマヌケは居ない。
でも「疲れたからゲームしてた」と聞いて「疲れてるなら寝ろ」「ゲーム何時間もやるとか疲れてないってことじゃん」くらいのねじ曲げであれば、世間でいくらでも散見される。
程度のねじ曲げって便利で、テンプレに当てはめることさえできれば簡単に相手を陥れることができる。良い子は真似してはいけない。
我々のライトな日常感覚からしてもねじ曲げの問題が多発するのだから、もっとデリケートなことになるとそりゃもう大変で、
イジメとかセクハラとか夫婦喧嘩とかもっと哲学的なことでもいい。簡単に程度のねじ曲げが発生してしまう。
もはや程度の数値化で解決できる話ではない。なるほど一見あやふやなことでも数値化できるケースは多いが、じゃあ数値化のプロセス自体に客観性はあるのか?そこなんだよ。
中途半端にしか勉強しなかった理系とか一切文系を受け入れないようなガチガチの理系に多いけど、
数値化した時点でそこから先は完全に客観的な話になった、もう主観的なことは考えなくてよいと錯覚しやすい。
しかしその場合「何が」客観的になったかが問題なのだ。なるほど数字は客観的だ。数値化すれば客観的になる。
でもその数字は何を表しているのか。何が客観的になったのか。そういうことを考えないから、すぐ程度問題のワナにブチあたり、争いの余地が生まれるんだよ。
貴方がたも心あたりあると思う。理系の学会なんかでも、くだらないねじ曲げあいの応酬が見られたりするね?
これが文系だともっと簡単で、相手の主張に表面的であれ反していそうな文献を掲げて、読んだことはあるのか問い詰める。
読んだことがない=恥であるから、日本の文系は延々とそういう喧嘩をやっているのだね。
争いは同レベルでしか起きないという名言があるけど、本当にその通り。似たものどうしでしか争わない。
本当に異質なものどうしでは、自然と離れてしまう。いじめのように一方が暴力をふるっているならともかく、
双方が更格廬のようにボクシングしているのは、これはもう完全にお互い同類としか言いようがない。
向上心ということが世の中では重んじられるけど、それは支配の道具として用いられているだけであって、
実際に本当に文字通り向上心のある人は少ないものだ。上を見ているなら横の対立は気にならないはず。斜め下からの攻撃も、隣人の目も気にならない。
自己啓発では目標設定が強調されるけど、これもくだらない支配者の論理であって、本当に脇目もふらずに目標を目指している人はごくごく僅かだ。
で、日本人のいう「恥」というのも斜め上にいるみんなから足蹴にされているという妄想だけれども、これも真上が見えているなら気にならない。
でも真上って何?そこが問題なわけ。上には雲がたちこめてて真上にあるはずの星が見えない。そういう世の中だから。
だから意識して真上を見ようとする。そうすればたまに真上から光から差してくるのに気付く。
そうでもしないと恥の暴力に巻き込まれる。暴力する側かされる側になる。それくらい恥の暴力は強い。なぜなら程度問題と密接だから。
程度問題というのは言葉の曖昧性の問題とも言えて、さらに言い換えると先ほどの上空に立ち籠めている雲でもあるのだ。
例えば、人に嫌な態度をとられて止めさせたいときについつい余計な嫌味を言ってしまう。相手を恥の暴力に陥れてしまう。
仕事には必ず一番いいやり方が存在するのと同じで、こういう時ももっとも良い言い方(星)があるのに、その星に気付かない。
嫌な態度という「言語=雲」にとらわれて、その曖昧さを都合良くねじ曲げてしまうから、正解である星が見えない。
本当はスッと上空全体を見ることができれば、見ようとすれば、ふいに正解が見えるものなのに。それをしないから、恥の暴力が生まれてしまう。
「もうクッキークリッカーはやりたくない。焼くのに疲れたし、マウスも壊した。おまけに会社も辞めることにしました」
そう語るAさん(40代)は、元クッキークリッカーランカーだ。かつては毎秒クリックし、秒間500京を生産していたことも。そしてクッキークリッカーオタクの間でも一目置かれていた存在だった。しかし、あることをきっかけに精神的不調に陥り、うつ病と診断され、現在は務めていたIT系の会社を休職中だという。
「会社の飲み会の席で『Aさんってクッキークリッカーに詳しいんですよね』と女の子たちに聞かれて、僕のおすすめを教えてあげたんです。最短の攻略法、BBAの人柄、コスパなど様々な側面を考慮して、女子向けのいいプレイ方法です。またオタ方面からのクッキークリッカーのニューウェーブ系の「まどマギクリッカー」もわかりやすく教えてあげた。開発者のOrteil氏に僕の紹介だと言えばリプくらいは返しくれるんじゃないかとも言いました」
Aさんにそんな話を聞いてきたのは会社の20代の女性社員3人だった。だが翌日、会社のランチルームに入ろうとした時、彼女たちがAさんの話をしていたという。
「酷いことを言っていたんですよ。『クッキークリッカーぐらいであんなに得意になれるって終わってる』『彼女もいないし、クッキーBBAと結婚したんじゃないの』『息がフリトレーのクッキーとコンデンスミルクの臭いがする』なんて。その場には僕の後輩の男性社員たちもいたみたいで、みんな笑っていた。その日は会社を早退して、家に帰ったらめまいがして」(Aさん)
電話取材を行っていると、この話をしているうちにAさんは嗚咽をもらしはじめた。Speed bakingⅢなど隠し実績を全制覇するなどクッキークリッカーに尽くし、恋愛、友人、仕事(休日の出勤もクッキー焼くために断っていた)を犠牲にしてきただけに、周囲の心ない言葉が響いたようだ。
「クッキークリッカーは結局、僕になにも与えてくれなかったんです」(Aさん)
こういう事例はAさんにとどまらない、筆者がかつて取材協力をお願いしていたあるクッキークリッカーランカーは、他のプレイヤーたちと競うことに疲れ、彼は現在クッキーを食べると吐いてしまうという程精神不安定になっている。またもう一人は、行きつけだったスーパーの店主から『カントリーマアムをフリトレーのクッキーに置き換えるやめてください。もうウザいからこないでください』と言われたことを機に、ますますゲームに陥って、もともと100CookiesだったBBAが現在は120亥Cookiesになっている。彼は現在BBA恐怖症だと言っており、家でカップラーメンをオナホ代わりにし、健康状態も心配だ。
9月中旬から下旬にかけて、多くのプレイヤーたちが生まれ、クッキーを焼くことに情熱を燃やしてきた。彼らの多くはクッキーを焼くことをステータスにしてきたから、クリックしすぎてマウスを壊すのはわかるが、まさか心まで壊してしまうとは。まあ、クッキーBBAには罪はないのだが。
コンビニのトイレを使ったら何円分の商品を買えば採算分岐点に乗るか。
「便利」の対価 - 未解決の文字
http://luvdarara.hatenablog.jp/entry/2013/10/15/013813
を見て思ったこと。
はたしてどれだけの商品をお客さんが買ったら
コンビニとして採算がとれるのだろうか。
初期投資は考えないとして
水の代金は、と検索しようとしたら
コンビニのトイレの秘密~使用NG店舗の事情、アノ貼り紙に隠された狙い | ビジネスジャーナル
http://biz-journal.jp/2013/09/post_2996.html
という記事が引っかかった。
どうやらコンビニ側も困っている問題らしい。
さて、戻ろう。
初期投資は考えないとして
水の代金はトイレ、手洗いで一回4円
家庭用の水洗トイレで大の方の水を一回流すと水道料金って大体い.. - 人力検索はてな
http://q.hatena.ne.jp/1197814491
女性のトイレ滞在時間は男性の3倍を超える!: トイレ診断士達のブログ!!
http://www.toireshindan.com/2009/03/post-90b2.html
男性 31秒7 (1日平均5.5回)
女性 1分37秒 (1日平均7.2回)
利用回数は
滞在時間から一時間あたりの利用人数は20人程度と考えてみる。
4~6時間に1回程度らしい。
水道代 4円
電気代 1円
清掃コスト 3.875円/1時間20人使用時(7.75円/1時間10人使用時)
合計 8.875円~12.75円
利益の4割程度を本部が持っていく事を考えると
百円そこらの商品一個でギリギリといったところでしょうか。
http://profit-labo.seesaa.net/article/221346504.html
想像がつくでしょう。
コンビニATMは取引の都度コンビニ側に手数料は発生しますか? | その他(暮らしのマネー)のQ&A【OKWave】
http://okwave.jp/qa/q1729928.html
>コンビニ店には、利用回数に応じてセブン銀行から手数料が支払われると思います。だいたいの計算で、手数料の7%くらいでしょう。
一品だけ買うとしたら
お腹が空いてないならよく処分品扱いされるガムなどを買うと
コンビニのトイレを使ったら何円分の商品を買えば採算分岐点に乗るか。
?じゃなくて、それ以外書いてないじゃん。。。
逆だろ。。。沸点高いからより高い温度で茹でられるってことだろ。。。どこまで馬鹿だ?
単にイタリアが海に囲まれてるからだ。お前が海沿いの都市しか言ったこと無いだけだろ。
海沿いの街で海側と陸側なんて標高差ないとこで比べんなよ?アホか?
どうなんだろ・・カップラーメンは山ので作ったりすると100度いかないから美味しくないけど、パスタは標高高いトコロだと美味しくないのだろうか。
これは聞いたことあるだろ。。。検索してみろよ?実際にそうだよ。山の上、って、1500メートルも言ったら5度くらい下がるから、そうすると流石に変わる。
?
あ!なるほど。君は最初から大気圧での沸点の変化を指摘なされてたわけか!
はー・・・だから標高が高いトコロでは沸点下がってしまうから、そっちの影響のが沸点に関してはでかいのではないかと・・
ほーほー・・・確かに沸点に影響が出るであろう標高で塩いれて沸点少し変えたところでって感じなのかな。
だから海抜0メートルである海沿いのパスタ屋のほうが良く沸騰するから繁盛するのではないかと。
なるほどぉ・・・確かにご指摘の通りかもしれない。
そういえばイタリアのパスタ屋は海沿いに多いような・・・いやあてずっぽうだが。
うん・・そうか。
もし茹でる時に塩を入れる理由が沸点上昇ならば、そして沸点ちょっとでも上げるとパスタが旨くなるならば、最初から海抜0メートル地帯にいろよと・・・
なるほど・・ご指摘通りかもしれない。
どうなんだろ・・カップラーメンは山ので作ったりすると100度いかないから美味しくないけど、パスタは標高高いトコロだと美味しくないのだろうか。
同じ標高海抜0メートルで塩を入れる場合と入れないのはどのくらい味が違うんだろ。
60グラムくらい塩を入れないと、沸点上昇しないみたいだけど。(0.5度くらいだったかな?)
やぱり沸点上昇とゆうよりも塩味を付けるとか吹きこぼれしにくいかも?とか多少沸騰しやすいかな?とか
そんなとこが塩を入れる理由なのかな。
ふむぅ・・・君が指摘してくれたように、こんなだから私は勉強が出来ないのだよ。
君もパスタ茹でようぜ!
かれこれ、少なくとも5年以上はまともな食事を取っていない。
晩は4種類のメニューのどれか(チンジャオロースー・きのこの炒め物・麻婆茄子・レトルトの餃子)と決められていて、
他のものは食べられない。
理由は、専業主婦の母が更年期障害になって料理をしなくなり、その上で自由に台所を触るのを禁じたため。
私は大学生だ。高校は、全生徒が大学に進学するのが当たり前ということになっていて、
それ以外の進路を希望すると指導室行きになる学校だったため、就職という選択肢はなかった。
父と母と私の3人家族。父は単身赴任していて好きなものを食べられるから、私のことなんて知ったこっちゃないのだ。
父の口癖は、「お前さえ黙っていれば家の中は丸く収まるんだ」。
朝ご飯と昼ご飯は、私は食べること自体が禁止されていて、お湯を沸かしてカップラーメンを食べることさえ許されなくて、
それでも食べない訳にはいかないから、大声で罵倒されながら、「すいません、すいません」と体を縮めて食べる。
一方、母は、朝ご飯はサークルKのチョコクロワッサン、昼ご飯はローソンのシャキシャキレタスサンドという規則になっている。
買ってくるのは私。母は一歩も外に出ない。
それらの商品が売っていなかったりすると、手に入れられるまで、いつまで経っても家に入れてもらえない。
晩ご飯は、先述の4種類のメニュー(つまり、フライパンで作れる簡単な料理)だけで、私の食べたいものを好きに作ることはできない。
「火を使うと暑くて汗をかいて嫌だから」という母の都合で、調理は私。どんなに疲れていても、私。
のろのろしていると、母の手や足が飛んできて、怒鳴られて、殴られて、蹴られる。
料理する時間は6時半という決まりで、だから門限があって、友人たちが飲みに行く背中をいつも一人見送っている。
台所には、いたるところにほこりが積もっている。食器棚にも、鍋にも、お玉やフライ返しにも、分厚い綿ぼこりが積もっている。
母は精神科に通院していて、幻聴が聞こえるらしい。その幻聴の内容や、母が便秘だの下痢だのというシモの話を、嫌な顔一つせず聞きながら、食事を取らなくてはならない。
実は私も精神科通いだ。ロヒプノール(睡眠薬)がないと絶対に寝られない。
今日した両親とのやりとりを書き出してみる(土日なので、父がいる)。
すると母が飛んできて、
「うわー、くっさい!なんてことしてくれるの!」
と騒ぎ出した。
いつもなら、ここで「申し訳ありません」と頭を下げる。
「電子レンジぐらい自由に使わせて。くさいとか汚いとか言わないで」
すると今度は父が飛んできた。
「お前ーっ!養われてる分際で何を言っとるんだ!!
ここにあるもんは全部俺のもんだ!
俺が外で働いてやってるんだ!
文句があるなら、家も学費も自分でなんとかしてみろ!
ったく胸くそ悪い!!(ほぼ一字一句再現)」
くさいって言われたら、嫌でしょう?」
とたずねてみたが、
と言われた。
豚汁は隅の方でこそこそ食った。
「養ってやってる」。小さい時からずっと言われてきた。
「養ってやってる」と言いながら、父は私の尻や足を触る。
例えるなら家庭内キャバ嬢という感じだ。
通学中の電車の中、夜寝る時の布団の中、父と母にされた仕打ちがぐるぐる回る。
小学3年生の時、父に包丁を突きつけられて、刺されそうになったこと。
その後、「あんたみたいな出来損ない、誰だって殺したくなるわよ」と言った母。
父に足首を掴んで11階のベランダからぶら下げられたこと。それを冷ややかな目で見ている母。
海に行くのを楽しみにしていたのに、母がカッターナイフで浮き輪を切り刻んだこと。
「俺は仕事があるんだ!出世できなくなったらどうする!」と怒鳴って、
何故か航空ショーを見に行ってしまった父。
買えなくて家に入れてもらえなかったこと。
それから。「大学受験の邪魔になるから」と言って、父が私の文鳥を殺したこと。
あの子の口から、血か内蔵かよく分からないオレンジ色のものが出てきて、目を見開いたまま死んでいたあの姿。
「文鳥ちゃんはあなたに勉強しなさいって教えるために死んでくれたのよ」とうっとりして目を輝かせた母。
来年、就活が始まる。就職したら家を出る、それまでは耐えなければ、と思うが、その前に折れてしまいそうだ。
ジプレキサを処方されているのは母であって私ではない。
ここに書いたことはほとんど事実だ。嘘だったら本当に嬉しいけど……
両親の作ったルールにも穴があるので(金銭管理がいい加減な家庭で助かっている)、
その隙を突いてこっそり飲み食いしたり、時たま起こる父の気まぐれでかろうじて生きている。
パソコンとネットは、リビングに置いてある父のやつを、勉強用(レポート書いたり、大学で配布されてるWeb問題集解いたり)という名目で借りている。
骨折以上の大ケガさせられて初めて「虐待だ」って言うもんだと思ってた。
これぐらい普通じゃないの?女ってこういう扱い受けるもんじゃないの?
だって、家で何か食べてると怒鳴られるけど最終的には食べてるし、大学だって行かせてもらってるし。
自分がどんなに怒ってても悔しい気持ちになってても、親の前ではへらへら笑ってなきゃいけないから、
なんかストックホルム症候群みたいになっている。
父や母も機嫌いい時は優しくて、急にケーキ買ってきたりして、
次の瞬間血相を変えて物を投げつけたりしてくるから、何が何だか分からなくなってしまう。
『母がしんどい』は本屋で立ち読みした。買ったのがバレたらヤバいので、自立してから買いたいなと考えている。
大学の保健室や相談室には、去年の5月くらいに相談に行ったよ。
今通院してる、保健士さん?がいる大きな精神科の病院でも相談した。
「かわいそうだね。頑張ってね」で終わりだった。
なぜ、こんな家にしがみついているかと言うと、私が無能で愚図でのろまだから。
せめて大卒にはなって最低限の専門知識を付けておかないと、まともに生計を立てられそうにないから。
普通の女の子みたいに要領よく何ごともサッサとできたら、高卒でも食っていけるのに。
「どうしてお前は普通の子みたいに要領よく何ごともサッサとできないの!?」「サッサとやりなさいよ!サッサと!」母の口癖だ。
もしかしたら、大学を卒業しても就職できなくて、風俗に沈んだりその辺で餓死したりするのかもしれないけど、
我慢して大学を卒業したら、その可能性は減るかなー減ったらいいなーと思う。
就職担当の先生には、なるべく遠くの企業に推薦してくださいとお願いしてある。
「昔から女性がする仕事だとされてきたような仕事は、たぶん君向いてないんじゃないか」って。
描いた漫画。
http://bincube.co/casea/sigen_fb/index.html
1993年(小6)の頃から漫画を描こうとしはじめて、1997年ごろまで頑張ったけど、画力以前に、リリースや配信の問題で断念した。
原本をコピーするお金はなかったし、ノートに書いても自由に配付できない。
ペン入れするほど余力もなかった。
そんな自分だけど、WEBの仕事でイラストレーターやフォトショップを学び、プログラマ経験で進捗管理や困難な手順を作業手順を確立し容易にすることを学び、DTPの仕事で縦書き文字のテクニックを知った。
そこで、昨年秋、コミックスタジオ買ったらCLIP STUDIO PAINTが開発中でこれに移行するというのを知り、いける!と思った。
まだ漫画のデジタル技術は過渡期でこれからも進化する余地があるからこそ、ソフトが一新するんだと思ったから。
そこでペンタブレットを中古で4千円でかい、プリントスキャナを中古で6千円で買い、17,5インチの大型ディスプレイの64ビット8GBの持ち歩けないノート(6万)を揃え、環境を整備した。
だから、登場人物を一人にしてしまい、1人称にし、四コマのように起承転結も考えなくていい、だらだら話が続くWEB漫画形式にした。
公開先はとにかくレスポンスが欲しかったから、カップラーメン上げても3いいね!がつくFacebookにした。
Facebookの写真アルバム機能で1話というアルバム作ってガーッとアップした。
Facebookの友人たちは何をはじめたんだ?と驚いてくれたのがモチベーションアップになった。
pixivで横顔の描き方を学び、2chでペンタブレットにはケント紙を引くとペンの走りがツルツルしなくていいことを教わり、図書館の「漫画の描き方」の本でコマは細かくし過ぎなくていいことを知った。
デジタルなので文字もすぐに直せる。配付はタダ。勢いがついて、完結まで漫画を描くことができた。
それから半年、Facebook以外の友達も読みたいといってくれて友達の個人サーバー借りて、漫画サイトを今日ローンチできた。
ビューワーは突貫で自前で作った。スマホでもタブレットでもPCでも見れる上にFacebookやってない人でも読める!!
個人漫画、二次創作漫画は既に盛況だけど、全くゼロベースに近い自分でもいきなり挑戦して漫画が描ける時代にまでなったんだなあとしみじみ思った。
漫画は作るのにすごく手間がかかる。
正攻法でネームからキャラから舞台からオチからなんやかんややると恐ろしい作業量だ。
でも、プログラムの知識が大半の自分でも、プログラム組む時と同じように、手順の再構築と最適化を繰り返してデジタル化にこだわって工数削減で執筆速度は3日で1ページから1日で1話まで短縮できた。
すごい時代になったんだなあと思う。
一昔前ならアップロードもヒーヒー言ってたのにお手軽になった。
今は、先週Galaxy Note2を手に入れたので、ネーム段階の完全デジタル化に挑戦し始めたところ。
複雑な手順、大規模な工程が驚くほど短縮できるというのは、プログラムの世界だけじゃないんだなと改めて勉強になった。
もし、漫画描いてみたいなーと思っている人は是非挑戦してみたらいいと思う。
漫画を描くのも楽しいけど、効率化を追求するのもすごく楽しいから。
中絶はよくない。まだ生まれてなくとも立派な命であり、まともな人間ならそんなことできない。
昔はこう思ってた。
だって世の中は苦しいことだらけだし、生きていくということはキツイものだ。
子供が幸せになってくれる保障なんてない。この苦しい世の中に生まれる前に、意識もない中、考えることもなく、合法的に殺されるのは幸せ。
自分が彼女を、そして子供を幸せにしていくなんてのは綺麗事だ。
自分に自信がないだけ、命をかけてでも幸せにしてやるっていう気概がないから逃げてるだけなんじゃないかと思われるかもしれない。
そうではない。自分が死ぬほど頑張れば子供が幸せになってくれるなら、何十人でも子供を持ってやる。
しかし、人間一人の幸せは周りのたった一人のによって左右されるものでもない。もっと複雑でそんな単純な道理ではない。
最近は子供を産む人は自分が幸せになりたいだけなんじゃないか、と思ってる。
彼女が居れば心安らぎ、幸せ。子供を持てば、かわいいから幸せ。
もう少し歩みを進めると、なんで人を殺しちゃいけないのかという根底も疑わしい。
殺人が禁止されているのはこれまで社会契約論として、単純に言えば自分がやられたくないことはやらないっていうことだと思ってた。
けどここのところ見知らぬ人に急に刺されたら、それはそれで幸せなんじゃないかと考えてる。
自殺したら親が悲しむ。ぼんやりとだけど、自分は親に感謝している。親より先に自ら死ぬつもりはない。悲しませたくないから。
なんで苦しくても生きて行かなくてはいけないのか、その自分の中の答えはそれだけ。
けど他人に急に殺されたら、あるいは事故で死んでしまったら、それはそれで親に納得してもらえるんじゃないか。
もちろんこれでも親は悲しむけど、自殺よりはダメージが少ないはず。だから急に死んじゃうのはいいこと。
こんな考え方で、この先どんな人生が待ってるんだろう。
殺されるのは幸せなことと思い込んで、他人様に迷惑をかけたりしないだろうか。
これだけじゃないけど、結局のところ僕は人生が怖いしこの先どうなるのか不安だ。
だから今日もタバコも吸い、毎日カップラーメンを食べ、ガレのある山に行き、バイクに乗り、少しでも事故死の可能性も向上させることを怠らない。
親が死んだら死のう。