はてなキーワード: 風向きとは
木島氏が騒動を起こす前からバリアフリー法は制定されてた。当該企業もバリアフリーを推進している企業である。それは、奄美空港以外で自力で階段昇降できない人を搭乗拒否していないことからも明らか。いろんな意見はあるが、今回の騒動でも社会のバリアフリー化そのものに反対するという人なんてほとんどいない。つまり、木島氏は何にも貢献してないし、何の役にも立っていない。
やったことといえば、目的は手段を正当化するんだと一部テロリスト界隈の人たちに確信を持たせたくらいだ。マイノリティや弱者は、世間に迷惑をかけるくらいして当然だと。行き着く先は全共闘やらなんやらの暴力革命の匂いがしてくる。合理的な配慮を行う為の相互理解に基づく建設的な対話という極めて現代的で重要なプロセスが軽視されそうな風向きだ。
勘違いしているが、障害者の為のバリアフリー推進というのは、マイノリティの意見でもなんでもない。障害者自体はマイノリティだが社会のバリアフリー化に関しては、圧倒的にマジョリティに属する方針に既になっていることが無視されているように思える。もう既に社会は、法的にはもちろん世論もバリアフリーに大きく傾いて動き出してる。相互理解に基づく建設的な対話さえあれば、社会変化に繋げられる状況は既に整ってるはず。
いまだって問題視されてはいるけど、まだ笑って許されているところがある。
「こんなに課金したったw」といった冗談も、冗談として通用している。
でも、たとえばいま「パチンコに月10万使ったw」とか言ったら、完全に人間性を疑われるでしょ。
ガチャもいずれそうなると思う。
ガチャで借金をする人間や破産する人間が出てきて、徐々に風向きが変わっていく。
老いたオタクがガチャに金を費やして、それが冷ややかな目で見られるようになる。
ソシャゲ中毒者も、あの漫画で描かれるみたいになるんだろうと想像できる。
いまガチャをやめれば、まだ間に合うと思う。
10年後に今を振り返って笑い話で済むと思う。
「そんなのもあったね」と。
名指しさせてもらうけど、奈須きのこ。
他のソシャゲならともかく、Fate/GOなら奈須の一声で変えられるだろ。
そして奈須は、オタクの幸せを考えられるオタクだと信じている。
奈須ならガチャをやめられる。
Fate/GOがガチャをやめればめちゃくちゃ影響があると思う。
どうか決断してほしい。
すでに指摘されているけれど、日本では屋外禁煙は一般的ではないと思う。というか喫煙可でしょう。屋外禁煙は東京都心など一部に限られるんじゃないかなあ。
私の通勤路では毎朝毎晩たばこの煙を避けながら、あるいは息を止めてやり過ごしながら歩くのが普通。そして道ばたにはたばこの吸い殻。
改札口の脇が自然発生的な喫煙所になっているのが辛い。風向きでその日の運勢を占っています。
しかし昔に比べればまだマシになった。吸い殻ゴミも減ってはきている。
海外のことをいうと、10年以上前に訪れたオランダは駅や道路での喫煙が多くて辛かった。
最近では中国は上海などに行く機会が多いが、昔に比べてなぜかそれほど気にならない。台湾では路上は気にならなかった。ホテルのロビーが辛かった。
去年はベトナム(ホーチミン市など)に行ったけれど、たばこの煙に悩まされた覚えが全くない。喫煙者を見かけた記憶もあまりない。我ながら記憶ミスではないかという気もする。
山本一郎の風向きが変わったのを見ていて、今から10年ほど前のことを思い出していた。
当時はツイッターはまだなく、ブログブームは落ち着いて、もちろんヤフー個人なんてのもなかった。
そして、その中で山本一郎は新時代の書き手として、何やらすごい人というブランディングを確立していた。
多額の借金をDELL株で返済した天才投資家。一生分の資産は投資で築いたから、会社経営やブログは遊びでやっている。
今みたいに炎上ネタを暴くみたいなスタンスではなかったが(そもそも炎上するようなネタが当時はネットに転がっていなかった)、あたかも政財界を暗躍しているかのような書きぶりと、ネット民丸出しの面白全部な振る舞いがウケていた(後発の匿名掲示板を煽ったり)。
何が本業なのかは今と同じように明かしていなかったけど、「大っぴらに書けないようなすごいことなんだろう」と思っていた。
ホリエモンとフジテレビを仲介しただの、月9のゴーストライターをやってるだの、別名でライトノベルを書いてるだの、明言せずにいろいろほのめかしてさ。
当時を知らない人は今が全盛期だと思っているだろうが、実は今よりも10年前の方が勢いがあったのよ。
雑誌の連載を5、6本持っていて、本もコンスタントに出して、深夜テレビのレギュラーをやってたり。山形浩生や宮台真司が彼と対談して持ち上げていた。今よりもマスメディアは山本一郎の「設定」に乗っかっていたよ。
それがマンションを丸ごと買ったという発言が吹かしだったことがバレて、ほかの経歴にもメスが入り大炎上。ネット民の支持を失った。
当時はブログのコメント欄が開放されていたのだけど、記事を更新するたびに大荒れ。雑誌も連載もどんどん打ち切られていって、一本もなくなってしまった。当時あった公式サイトに連載の一覧が載っていたのだけど、それが減っていくのを微妙な気持ちで見ていた。
ネットの評価は「裏で暗躍するすごい人」から「中小企業を経営している売れないライター」に変わった。
そこから数年、山本は明らかに低調だった。記事を書いてもはてブには上がってこないし、雑誌やテレビにも出てこない。ネットでの存在感は皆無で、はっきり言って「終わった人」扱いされていた。
風向きが変わったのは2009年ごろ。山本がツイッターを本格的にやり始めたころだ。当初は「懐かしい人が出てきたな」という扱いだったけど、そこで頭角を現し始めた。
それに合わせて、ブログもはてブを集めるようになり、かつての調子を取り戻し始めた。
だが、明らかに変わったポイントがいくつかある。大きいのは自分の暗躍をほのめかさなくなったことと、資産について何も言わなくなったことだ。
自分が突っつかれないように注意しているようだ。ちなみにかつて挙がった経歴詐称などの疑惑には何も反論していないし、認めてもいない。
こうして炎上ネタをリークを交えつつ面白おかしく書き立てるという芸風で再び地位を確立した。ツイッター時代とマッチしたのだと思う。
しかし、再び風向きが変わってきた。このまま行くと、かつてのように存在感をなくすだろう。あるいはきっこや上杉隆のように信者に囲まれてカルト化するのだろう。
今回の復調は、しかしかつてのように雑誌の連載を持ったり本を出したりには至っていない。おそらく、前回「騙された」と思った人たちは彼を避けているだろう。
元2ちゃんねるの管理人、ひろゆきが特徴的だ。かつては相棒のように目されていたが、いつの間にか仲違い。ひろゆきはたびたび、山本を「嘘つき」だと明言している。最近出たテレビでも「嘘つきが儲かる世の中ってどうなんすかね?」と暗に山本を受け入れるネット社会を批判している。
今後の山本がどうなるかはわからない。しかし、素性は怪しいけれど、第三者の立場から切込む人、という立ち位置の自由さで信頼を得ていた人が、その立ち位置を疑われてしまったら、なかなか信頼を回復できないだろう。
三たび山本が復活するには、今まで頑なに公開していなかった本業を明らかにするしかないだろう。どこと取り引きをしてどんなことをしているのか。それは等身大の山本をぜんぶ出すことだ。これは山本の今までのネット活動のツケだ。それを払いきれるのか、あるいは消えるか。山本の明日はどっちだ。
35歳になりいじめの記憶を辿るという、かなりどうでもいいことをなぜかしようと思ってしまった。そこまでハードないじめのではなかったのかもしれないがまぁ思い出してみよう
自分の中でいじめだったという認識があるのは保育園、小中?高の4時代、中学はそこまででもないが順に辿ってみる
▼保育園
保育園にはいじめっこが2人いた僕はジャイアンとスネ夫に見立てていたがさながら僕はのび太だった。
ジャイアンと僕は同じ女の子のことが好きだった。彼はいつも「女の子ちゃんは俺のモノだ」と言って誰も近寄らせようとはしなかった。多分、彼女も当時はまんざらでもなかったのだと思う。とてもうらやましかったのを覚えている。(これは嫉妬)
保育園に通っている間は、ほぼその2人に毎日殴られ、泣かされて帰った。これは保育園ながら結構辛かった。ジャイアンとスネ夫は僕とは違う小学校に入った。救われたと思った。
人間失格のくだりではないが同窓会などで保育園の時の話をすると、当時の僕を覚えている人がなぜかいない。存在感が薄かったのだ。写真にはよく写っているようで不思議がられる。
▼小学校
小学校は山側に住んでいる人と、谷側に住んでいる人にわけられた。小学校は20人で1学年1クラスしかない小学校だったが、僕は山側に住んでいた。山側に帰るのは僕ともう1人だけ。残りの18人は谷側に帰る人達だった。おかげで、登下校時の話題に乗り遅れ、ブームに乗り遅れた。また、下校後に山側と谷側で遊ぶ交流もほぼなかったし、おまけに僕はピアノを習っていたため女のようだと言ってからかわれる日々だった。
そのうち成長してくるとクラスにはボスが誕生した。もちろんボスは谷側の人であったため、しもべのような人を数人従えて必ず僕はのけ者にされた。ドッヂボールや鬼ごっこ、サッカー・班決め。チームになるような何かの時には必ずヒエラルキー通りのチームわけになった。なので、勝ったためしがない。多数決では、彼の意見にみんなが賛成したのでかなり不条理な決定がまかり通っていた。先生もなぜか不条理なことを受け入れていた。
あるとき、集団相撲というのが流行っていた。チームで分かれて全員をなぎ倒したら勝ちというルールで、特に土俵などは存在しない遊びだった。教室でやっていたらロッカーの角に頭をぶつけて頭から大流血した僕はすぐに病院に運ばれた。
手当をされて戻ると「あれ?生きてるの?」と言われた。後になってわかったが、僕が病院に行っている間に先生の指導のもと、黙祷されていたようだった。今でも信じられない。
しかし、小6の頃革命が起こった。クラスのリーダー格の女の子が隣の席になると一気に仲良くなった。
その女の子と仲良くなることで女子陣が味方につくようになった。無論、男子たちとは更に距離が開くことになったが、初めて友達ができた感じがして救われたのは間違いない。
▼中学校
中学校では走り出しは順調だった。新入生代表挨拶を自分が読んだためだ。
(とはいえ、新入生代表挨拶は、小学校の時誰もやりたくないということで、ボスが僕を指名したために決まったものだった。誇れるものではない)
入学して3ヶ月頃までは普通だった。しかし、突然風向きが変わった。それまで仲の良かったと思っていた人達が僕を外し始めた。僕が小学校時代の弱者であるという認識が広まったのかもしれなかった。そして、若干名の無視を受けていたものの、そこからいじめが発展したということは特になかったが、中学時代はそのくらいだったので、平穏無事に終わったと思ってもいいだろう
▼高校
高校も走り出し1ヶ月は順調だったが、クラスの人間関係では最悪の高校生活だった。少しづつ友達が増えてきたと思ったら1日にして孤立してしまった。
きっかけは、前の席に座っていた1人の男子だった。ある授業中、居眠りをするととても激怒する先生がいたのだが、彼は居眠りをしていたので、起きなさい的な意味で、冗談まじりに消しゴムのカスを後ろからなげつけた。そんなに深い意味はなかった。起きて振り向いたが、殺すぞくらいのキレ方をされた。
そのことにおいては僕も悪かったのかもしれない。
それからだった。何日もしないうちにみんながよそよそしくなって、気付いたら完全に無視される状況が出来上がっていた。これは高校3年の夏くらいまで続いたので、2年半くらいだろうか。
初期の頃は本当に1日が長くて辛すぎた。特に辛かったのは修学旅行だ。3泊4日の沖縄は最悪の思い出だ。オール無視されながらの班行動。これはいじめ人生の山場だった。
高3の夏に何が起こったかというと簡単で、ターゲットが俺ではなくなっただけだった。そこで、そのターゲットをハブるため、俺に声をかけてくるようになったのだ。しかし彼らと仲良くなろうなどという気も一切なく、うれしくもありがたくもなかった。新しくターゲットになった彼はとても辛そうにしていたが、僕の2年半にくらべたらどうってことないだろうと思ったし、そしてその2年半無視していた仲間がターゲットになったところで、どうでもよかった。
長年無視をくらって、それでも頑張ってくらしているととてもタフになる。もう全然1人でも楽しめるような自分が完成していた。暇さえあれば、写真を撮ったり、美術室で絵を描いたり、学校を抜けて映画館に行ったり、本を読んだりしていた。おかげでちょっと人とは違う感性の高校生になっていたのだと思う。
そして、予備校・大学と進んだがそこはなかなか良い友達ができた。
▼その後
23くらいの頃、高校の同窓会が1度あったので参加してみた。既に俺のことを忘れてしまっている人もいたが、よく参加したものだと自分でも思うがまぁよい経験だろう
きっともう同窓会はないと思うが、あったらまた参加すると思う。おかげさまで強くなったし、自分の感性が活きる仕事にもついた。結婚もしたし、今はよい友達もたくさんいる。
こうやって記憶を辿るのはなぜか自分はわからないけど、今はとても幸せだから、なんか見返せたような気がする。それを実感したくて書いたのかもしれない
ベンチャー企業と言われる会社、いまだとスタートアップ規模?の会社に勤めて、最終的に大手企業子会社に収まった増田の話。
就活の時期になったのでベンチャーか大手かスタートアップかという話がよくよく取り上げられるのだけど、自分が最初に入ったのは受託開発をしながら自社のウェブアプリを開発する6名ほどのスタートアップ。最終的に30名くらいになったけど債務が超過してしまい倒産。というか事業売却で吸収されて終わった。
ベンチャーのメリットデメリットはあるけど大手企業に比べて情報が少なく情勢風のひと吹きで風向きが代わり倒産する。黒字で2年、攻めに出た瞬間の事だった。パナソニックなどの上場してても累積赤字がある会社を大手優良企業として良いのかは別として、ベンチャーもスタートアップもとにかく運転資金が危ない。
有名なベンチャー企業といっても増資や借入でなんとか回している実態もある。この辺は決算を公開してる以下のブログがオススメ
例、メルカリ
http://kessan-kanpo.blogspot.jp/2015/11/3_24.html
そんなわけで技術に自信があって手っ取り早く技術を磨きたいならスタートアップも良いと思う。その時の基準は資本金の厚さや増資の有無で少しでも安定感はあって越したことはない。
少子化問題が人口に膾炙した当たりからさ、何か世の中の風向きが変わったよな。
最近はそういう人種が「コミュニケーション強者」としてむしろ賞賛されている気がする。
確かに少子化を解決するには、異性をピックアップしてセックスすることが必要条件だから、
そういう能力が高いことが賞賛される空気はわからなくもないけど、
鳥取の自治体みたいに歌舞伎町の人気ホストを講師として婚活教室を開くとかはさすがに行き過ぎだと思う。
そもそも、そのホストは(女性経験が豊富だとして)結婚してないだろ、っていう。
中高生ですらTwitterでエロメンみたいな連中の垢を興味本位でフォローして
「女の子はエロに興味あってちょっと変態がいい」みたいな与太話を真に受けて、深く内面化してしまっている。
一昔前で言えば白い目で見られるような生き方が「真面目」「ちゃんとしてる」みたいな感覚で生きてる。
仕事柄、大学生と交流する機会が多いんだけど、ちょっと仲良くなるとビックリするくらい
明け透けにエロに関する話題を振ってくる女の子が多くて少し引いてる。
よく考えれば、トイアンナみたいに「お前が結婚できないのは自分から男を誘わないからだ」みたいな発言が結構支持されてるし、
一昔前なら好評価が得られないような行為がかえって推奨すらされてる。男のナンパも同じ。今やナンパは自己啓発のジャンルだ。
まとめると、エロが自己啓発的になっているというか、ある意味、意識高い系のジャンル化してきて
「エロ話に引いてるような人間は将来の少子化を助長してしまうようなダメ人間だ」みたいな空気すら醸成されている感覚。
東大生のHIS騒動にも見られるように、国内トップノッチの学生ですら「女を売る」みたいなことに抵抗がなくなってきているし、
その下の層にしてみれば、地下アイドルのみならず、水商売とか風俗みたいので稼ぐのすらむしろカッコイイってくらいの価値観も見受けられるし、
まとめられたつぶやきを見てみると、多くが高橋大輔もしくは浅田真央アイコンが目立ち、羽生結弦アイコン、そしてデニス・テンのアイコンはほぼ含まれていないのがわかる。
今回のいきさつとこういった状況から、デニス・テンを批判し中傷したのは羽生結弦ファン、ということにしたい向きがあるようだ。
(上のまとめ主も含めて)
https://twitter.com/sk8d3/status/716222370227163137
https://twitter.com/windicalclub/status/716230089856266241
https://twitter.com/00LT/status/716276098510639105
一方で浅田真央の一部ファンがこれまでずっとかつてライバルであったキム・ヨナをバッシングしてきたことはかなり知られている。
そこからさらに一部は嫌韓・ネトウヨに移行、かつてキム・ヨナのコーチをつとめたブライアン・オーサーも忌み嫌っている。
https://twitter.com/UUAO21/status/694151849058828288
https://twitter.com/daidaiyuzuyuzu/status/692957607183675392
https://twitter.com/monogusanukok/status/681601447226548225
そしてその一部は、ブライアン・オーサーに師事し(浅田真央がとれなかった)オリンピック金メダルを手にした羽生結弦をキム・ヨナ同様憎んでいる。
高橋大輔の一部ファン(全体に占める比率はかなり高い)は彼のみを崇拝するあまり、彼のライバルになりうる選手が出てくるたびにバッシングしてきた。
かつては織田、小塚といった日本人選手も対象となり、次に対象になったのがパトリック・チャン。
パトリック・チャンには卓越するスケーティング技術があり、そこからの高い演技構成点を獲得しているということが、一部ファンには理解できず(あるいはしたくなく)一時はバッシングの代表的なターゲットになっていた、が2012年~2013年あたりから風向きが変わってくる。羽生結弦の台頭である。
それまでは国内選手で安定して4回転ジャンプを成功させ、高橋大輔を凌ぐ成績を安定して獲得するものはいなかったのが、2012年春の世界選手権で羽生結弦が初出場で表彰台に上がった後、コーチを変更しブライアン・オーサーに師事してから世界新記録を出すようになり、年末の全日本選手権で優勝。
この頃からバッシングの対象は羽生結弦に移行し、オリンピック直前の2013年グランプリ・ファイナルで羽生結弦がパトリック・チャンにはじめて勝利し、年末の全日本選手権で羽生結弦が2年連続優勝しオリンピック代表選出し高橋大輔が5位であったころにはバッシングはピークに達した。
この頃には羽生結弦に対してだけでなく、彼のコーチ、振付師に対してもセクシャル・マイノリティであることを中傷する言動などがすでに出現していたが、キム・ヨナ経由でブライアン・オーサーを嫌う浅田真央ファン、羽生結弦のコーチであるという理由でブライアン・オーサーを嫌う高橋大輔ファンがこれらの言動に喜々として加わり盛り上がっていたのもまた当時の状況である。
オリンピック後も羽生結弦は世界選手権での表彰台やグランプリ・ファイナルでの優勝を複数年連続で果たし、ブライアン・オーサー師事直後にはほとんど成功していなかった4回転サルコウも確実なものとし、現在では2種類の4回転ジャンプをプログラムの中においてほぼ確実に成功させることができている。
これはかつての現役時代の高橋大輔が成し得なかったことでもある。(特に現役後期は怪我の影響もあり4回転ジャンプは転倒もしくは着地しても回転不足による減点が目立った。2種類目は練習でもほとんど成功していないような時期の試合で4回転フリップに挑むも回転不足認定であった。「着地したのに回転不足で点が伸びない」ことから、一部の高橋ファンの中ではジャッジに対する陰謀論や、回転不足を指摘されない羽生結弦へのバッシングがさらに高まっていった。)
また、かつては課題と言われたスケーティングも近年は向上し、高橋大輔ファンが「大ちゃんこそが世界一」と言い続けた「表現力」「ステップ」といった項目に関しての改善もめざましく、試合での評価もこの数年間で着実に向上してきた。
これらは当然羽生ファンや他のフィギュアファンにとっては喜ばしく頼もしいことであるが、高橋大輔ファン、そして一部の浅田真央ファンにとっては苦々しく、不当で、陰謀であると感じさせるもののようである。
https://twitter.com/taremimipanda/status/715547882053443584
https://twitter.com/muguet0320/status/703064812708720640
https://twitter.com/yuzuyuzu_panda/status/694271207407943680
https://twitter.com/yuzuyuzu_panda/status/680871219227312129
https://twitter.com/aikoku103/status/680764733662691328
https://twitter.com/bluetopazzzzzz/status/680762729787871232
https://twitter.com/RenonculePeony/status/680736253927538688
https://twitter.com/hubuki_0oo0_y/status/675966655843930112
このあたりの時期から、同様のバッシングに加わるものに、日の丸アイコンや「日本」を強調するプロフィール、アイコンが加わってきているのと同時に、つぶやきにもキム・ヨナや韓国へのバッシングが共存し始めている。
この時期すでにキム・ヨナは引退しており、最近に至っては韓流ブームも去っているのだが、バッシングは止まらない。浅田真央が休養を経て復活しても、高橋大輔が渡米している間も同様のバッシングは続いていたが、試合で結果を出しメディアに取り上げられているのが羽生結弦であり、それ以上のバッシングができる材料が試合結果やメディアから得られるわけではなかった。この世界選手権までは。
このタイミングでの「練習妨害」「抗議」報道、一般的なフィギュアファンの多くは当初懐疑的だった。デニス・テンは日本のアイスショーにも出演し、羽生結弦を含めた日本人選手との交流もあり、多くのスケートファンから慕われている選手であり、彼が日本人選手に対して故意に妨害する、といった情報はにわかには信じがたいものであった。
また一方で羽生結弦も、これまで様々な場面においても(ファンに付きまとわれ試合直前にドアにぶつかって眼の近くを打撲し試合に影響があった時でさえ)声を荒げた場面は報道も目撃も含め情報としてメディアに上がってきたことがなく、公式な抗議も無論初めての行動であったからである。
しかしこの時点でこの騒動に飛びついたのが、上記のような浅田真央ファン、高橋大輔ファンである。
「あなたは悪くない、素晴らしい選手。私たちは応援している」と口々につぶやきはじめた。
それらのツイートのひとつ前後には「悪いのはあの人」というように、抗議をした羽生結弦への当てこすりが含まれていたりするのだが、ここで(ある意味あまり考えのない)デニスファンでもある羽生結弦ファン達が、一部のつぶやきだけを眼にしてリツイート、拡散しはじめ、さらにこの動きは拡大した。
すでにTwitter上には彼の英文の翻訳はたくさん流れているが、アイコンを確認し他のつぶやきを目にすると、過半数が浅田真央ファンもしくは高橋ファンで、デニス・テンのファンがその行動に大きくかかわっているわけではない。
それらのつぶやきは翻訳の後に「レイシズム反対」「出自を問題にするのはおかしい」と主張する一方、羽生結弦をあてこすった内容のつぶやきをRTしたり、過去に「韓国は嫌い」「キム・ヨナは嫌い」とつぶやいていたりする。
炎上をいちばん喜んでいるのは、デニス・テンファンでもなく、羽生結弦ファンでもない。
この騒動をきっかけに羽生結弦をこき下ろしたかった、高橋大輔ファン、浅田真央ファン(のそれぞれ一部)である。
レイシズム反対を叫ぶのは浅田真央ファン・高橋大輔ファンが多いけれど、同時にこれまで韓国とキム・ヨナにいわれのない中傷をし、別の選手のコーチやスタッフにLGBTを理由にした嘲笑をこれまで執拗に投げかけてきたのも、また同じ集団なのである。
デニス・テンに対するレイシズムだけが悪であり、キム・ヨナや韓国への中傷やLGBTに対する中傷は正義、と考えているなら、今回彼らが盛り上げている抗議運動に加わるのも良いかもしれない。
煙草はどーも苦手、モノや体調にもよるけど、煙で気分悪くなったり頭痛くなったりしがち。
先日飲みに行ったら先に店に入って待っててくれた友人が煙草吸ってた。
普段は一緒にいると煙草吸わないでいてくれるんだけど、この一箱吸い切るって言って合流したあとも手持ちの煙草がなくなるまで半箱分ぐらいをずっと連続で吸ってた。
酒飲もうとしたら煙草のにおいがしてしんどかったけど、先に吸い切るって言われてしまってるとやめてくれとも言いづらいし、もう吸い始めてるし、
風向きの関係で煙が結構来てたけど、席変わってくれっていうのもカウンターだったし他のお客さんにまで気を遣わせそうで言えなかった。
煙草から煙草に火を移してたけど、移し終わった方の煙草を押し付けて消すでもなく灰皿に放置してて煙が余計増えてたのもつらかった。
なんか最後まで燃やさないともったいない感じがして落ち着かないから消さないって前言ってたなあ。
一度吸い始めたら一箱全部吸い切るのも、しっかり火を消さないのも多分友人の中でルール化されてるっぽいので、そこに水を差すようなことはあまりしたくない。
とはいえどうにも気持ち悪くなるし、機嫌よく喋る友人の話をしっかり聞くこともあまりできずに、
上の空で相槌を打って吸い終わるまで時間が経つのを待ってる感じになってしまって申し訳なかったと思う。
まあバーだし、カウンターで飲んでたら煙草吸う人がたまたま隣になるのは普段からよくあるけど、
そういう時は早めに帰ったりして対応してたので、連れが吸ってるとそうもいかないのがかなり辛い。
いつも我慢してくれているからと思って我慢してみたけど、一緒にいるのがキツイ感じになっちゃうことがわかったので、
もし次同じようなパターンがあったら、今度は何かしらお願いして対処しようと思う。
一杯1000円する酒がちょっともったいなかったなあ。
そういう性的消費を内面に隠し持ったものが、昭和から続いてきたアイドル観。
でも最近のアイドルは風向きが変わってきている。もちろんそうした性的消費に迎合する一面もありつつ、別のもう少し高尚っぽい要素が加わっている。アイドルグループというのは思想やコンセプトを表現する器であって、一種の劇団のようなもの。箱推しと呼ばれる人は、その劇団のファンと言ってもいい。そこで繰り広げられるリアルタイムの成長ストーリーに心動かされ、アイドル各々の価値観に共感し、応援し続けたいと思わせる、物語消費の要素が少なからず入っている。その要素に魅入られた人が感じるのは、性的消費というよりも、親心のような慈愛の情。もちろんそれと性欲を共存させられる人もいるが、出来ない人もいる。出来ない人にとって半性風俗ビジネスとしての昭和的アイドルは依然として嫌悪の対象であったりするが、うっすらそういう価値観を持っていても、性的要素を「カワイイ」「カッコイイ」という魔法のコトバで飲み込む人の方が多いだろう。女(男)ならそれを追求するのは普通なことだし、本人が望まぬ下卑た性的アピールではなく、本人たちの望んだ演出なんだと信じることで消化できるのだ。けれど、やはりリベラルで慎重な人権意識を持つ人ほど、その辺に漂う商業アイドルの危うさを払拭できない。そういう人たちの懸念も過去にしたのが、「スクールアイドル」という自発的でインディーなアイドル活動の概念を提案したラブライブという作品だった。似たような形態に地下アイドルがあるのだが、やはり現実を見ると思春期少女の心の闇につけこみ異様なファンに祭り上げられているような不健全さが見え隠れする。その点アニメ世界は非常に健全で美しい心のあり方が描かれており、実演するキャストもいい大人なので懸念の払拭の一助となっている。
総論としては、昭和的なアイドル観は、本来的な「アイドル」に回帰しつつある。すなわち、プロデュースし売り込む為に作られた――北朝鮮がやっているような――アイドルではなく、「クラスのアイドル」「ネットの人気者」のような、周りから自然と崇拝されるようにして発生し、何にも縛られず表現をして、そして美しく去っていくことが望まれている。誰も傷つくことなく、誰もが幸せになれる表現者としての繊細な美意識がアイドルに求められだしている。自らの青春を犠牲にして(恋愛を禁止され)、偶像としてキャラを演じることを求められ(「アイドルはトイレ行かない」はその極致)、人気や商売に翻弄され、頭を丸めたり謝罪会見をするようなアイドルを誰も見たくないのだ。
もしこれをバンドで例えるなら、メジャーレーベル信仰からインディー文化へ移行している、となる。ネット時代だからこそ、そういう自由な形態がアリになってきているのだろう。
別に、シャアはララァの意思や自己決定権を踏みにじって無理強いしてたわけじゃないじゃん? ”正義”とやらに凝り固まったアタマには理解できないかもしれないけど、ニュータイプの能力ってララァ本人と不可分なもので、たとえ戦争利用であってもその能力を愛する(救ってくれた)人のために役立てられるっていうのは、”自分を生かす”ということに他ならないわけよ。
一方、どんなに”正義”のためでも、自分のことを本当に理解もしてくれない大事にもしてくれない脱走兵は死刑だとか禁固刑だとかなんだとかゆってる一方的に搾取してくるだけの奴らのために自分の能力(=自分の生命)を浪費することは果たして”自分を生かす”ことなのか?っつーことですよ。何より、自分自身が奴らを愛してるってわけじゃないのなら自分の能力をそこに費やすのは不自然なことなんじゃねーのっつーことですよ。
それが善であれ悪であれ、官軍であれ賊軍であれ、大事な男のために自分のもてるもののすべてを生かせるのは女にとってこのうえなくしあわせなことだし、逆にそうでなければそれは不自然なことなんだよ。どーせ「正義」なんてそんときの歴史の風向きでいくらでも変化する猫の目みたいなもんなんだし。んな頼りないものに人生かけて真剣に付き合ってられっかよっつーね。
シャア自身、自分のもてる限りの能力を戦場に投入してたわけで、ララァばかり実験動物扱いで自分はごちそうのテーブル囲んで下っ端を煙に巻いて高みの見物してたわけでもないしさ。まあ、自分(やララァ)の能力をそういうふうにしか生かせないところを、ベルトーチカに「平和なインテリジェンスを感じない」と看破されてたんだろうけどさ。でもそこはもう、どんなに家柄が良くても情操面で育ちが悪いんだからしゃあないっちゃぁしゃあないよね。いやまあ他ならぬわたし自身がそうだからこんなこといえるんだけどね。愛情に恵まれて育ったバブバブ野郎が「シャアは愛情面で育ちが悪い」なんてゆってたら怒り狂うけどねwww 「シャアの悪口を言っていいのは俺だけだ」w
てか、シャアとララァに”先”があれば、シャアだって兵器利用以外の自分たちの能力の生かし方をみつけていけたんじゃないかと思うんだよね。ジャミルみたいにさ。
シャアが自分でがんばっても手に入れられないでいるものをララァは与えてくれそうだったし、それをシャアに与えられるということがララァにとってもよろこびたっだわけじゃん? 女冥利に尽きるっていうの?
シャアはララァの名前や記憶を奪ってその記憶をゆすりのネタにゆーこときかせてたわけじゃないでしょ。
わかるかなぁ~そこんとこの違い。ま、わっかんないだろ~な~www
佐野っちが大々的にデザイン業界に横行するパクリの実態を暴いてくれたのは本当によかったと思う。
私自身デザイン業界に長くいるので、弱小であったがために金にならないデザインをさせられそれをほぼそのままパクられるという煮え湯を何度も飲まされてきた経験がある。
ただここ最近風向きが微妙に変わってきたようで、かつて数年前に弱小事務所やフリーランスからアイディアの美味しいところだけパクりまくっていた大手広告代理店のデザイン力が急激に落下してきたのを感じるようになった。
うまく言えないけど、見ただけでもう「あ、どこかのをパクったな」ってわかるような中途半端さを感じるような感じだ。
以前はパクるにしてもどこかとんがったところがあって、さすが大手だけあってデザイン力すごいなって思っていた広告が実はあとから同業者から「パクられたんですよ」って話を聞くことが多かったのだ。
それが今はどうもパッとしないというか、なんとなく素人くさいような妙な下手さを感じるようになってしまった。
それはパクられまくった他の事務所がクライアントによい案を出さなくなってしまったせいか、それともパクリの技術がそもそも落ちてしまったのかはわからない。
でも思うのはパクリは最初こそ自分の能力を高く見せるためには有効でも、長く続けると自分自身の能力を著しく落としてしまうものだということだ。
弱小とはいえデザイナーのはしくれとして言わせてもらうと、他人のアイディアをそのままパクるというのはいわば魂を売るような行為だ。
最初は高く売れたと喜んでいるのだろうが、その代償は本人たちが思っているよりもずっと大きい。
カッコいい!は幻滅しやすいもの。それに比べて可愛い!は何をしても可愛く思えてしまうんだもの。
クーラーの風向きをこっちに少し向けてくれるだけで優しい!とかどんだけ優しさに飢えてんだよ私。普通の事だろ分かってるでしょ。それだけで優しい!って思うのはなんか違うぞ、分かってるんだよ。
一緒に食べましょ!の言葉に一瞬ドキっとするなんてどんだけ免疫ないんだよ。ただ商品のクオリティを確かめる為だろ。
それを食べた時に美味しいって笑った顔を見て あらやだ可愛い なんて中途半端な母性見せてるんじゃないよ。私に母性なんかないだろ。
大丈夫大丈夫 違う違う こうやって自分を勘違いさせるからまた厄介な勘違いが生まれるんだ
考えなければいい。別に大した事じゃない ただ優しくされる事に飢えてるだけだよ 盛大な勘違いだ。
美味しいって笑ってあっという間に食べてしまった姿見て、甘いもの好きなのかな?とか勘繰ってる場合じゃないから
私結婚してるし。子供いるし。学生時代の何やっても許されるような状況じゃないし。
ただちょっと勘違いしたいだけだ。私が。色々な事に飢えすぎて。
これ以上なんかあったらヤバイな、って思ってる状況だからあんまり考えないようにすれば大丈夫かな。そんな事にうつつを抜かしてる場合じゃないし。それ以上に覚えないといけない事沢山だし。
本当やめとけって 違うから。悪い癖が出てちょっと勘違いしたくなってるだけだから 大丈夫大丈夫。アイドルにキャーキャー言ってたらすぐ忘れるから
元はといえばその為にやってるんだし 目的はそこだから 勘違いしに行ってるんじゃないし 本当いくつになってもバカらしい事考えてるわ嫌になるな
何か買ったり、何か経験すると「ああ、これであと○日は生きられる」という感覚がある。
本や雑誌を買うと、これで1週間生きられるーとか。
家族や今まで親しくして来た友人は「わかるわかる」って言ってくれてたので、ごくごく一般的な感覚だと思ってた。
(ベースとして死にたさがあるわけではなく)
で、それをちょっと前に職場でいったんだけどみんな「は?」って感じだった。
「本買ったら1週間それよんで暇つぶせるってこと?」ちがう。
「嬉しくてポジティブな気持ちで暮らせるってこと?」うーんなんか違う。
うまく言えないけど、
本や旅行で得た経験(新しい価値観や、今まで持ったことが無かった新しい気持ち?感情?)が、読後や帰国後もなんとなく毎日を新鮮に感じ取らせてくれる。でもそれは少し時間がたつと新鮮みを失ってしまう。(だから半年生きられる…みたいななんとなくの期限がある)
って感じなんですよー。
そこまで言ったところで数人に
「あーなるほどねー。増田さんってそういうところあるよねー文系っていうかー」
「思ったー何かまた変なこと言ってるんだからー笑」
って言われてしょぼんとした。
伝わらないし、なんか孤独に感じた。
最近新しい人が入って来た。
なんとなく私と感覚が近くて、話の流れでこの「生きられる」感覚ってありますか?って聞いたら
「あるあるー!分かる!でも最近その"生きられる期間"が短くなってきた気がするんだよねー。
いろんなことの新鮮さを感じにくくなってきちゃってて雑誌とかもう1日しか生きられない!笑」
って答えてくれた。
嬉しかった。
あーーーーー分かるー!!!!!!ねーーーーーって。嬉しかった。
そしたら反対側の席の人が
嬉しかった。
会社の中に結構いろんな気持ちを共有出来る人がいることがわかった。
新しい人が入ってきてくれてから、なんとなく社内でいろんなことが話しやすくなった。
社内の風向きが一気に変わった気がする。
あのとき私を変なのーと言った社員さんは、ちょっとかわいそうかもしれない。
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社内の風向きが一気に変わった気がする。
今までは、
私が何か話す→社員数人が「は?」→「やっぱ増田さんて変だね」→一同笑う(私ちょっと孤独)
だったのが
私が何か話す→新しく入った人「わかる!」→他にも数人が「ちょっとわかる、僕の場合は…」→わいわい話が続いて行く(変!と行って来た社員さんは会話に入れず。)
に変わったってこと。
とはいえ前述の会話ばかりしているわけじゃないからその社員さんたちが仲間はずれになってるわけではないけど、
「私のことをを変なのーって言って笑いをとる」という一連の流れがぐぐっと減ったからその人にとっての共感タイムはかなり減ってしまった訳で、かわいそうかな…と思った。
というはなし。
どっちにしろ1人新しい人が増えただけで一方は楽しくなりもう一方楽しい時間がちょっと減る訳だから、それを暴力的とみてもおかしくないのかもしれないけど。