はてなキーワード: 英語教育とは
日本の英語教育がダメだというのは誰もが分かっていると思う。反論もいただいているが、データを見ていくと、たとえば偏差値65の国立大学である東京工業大学の新入生TOEICスコアは500程度
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/04/21/1305014_2.pdf p23
神戸大のテストは志願者しか受けてないので、英語力に自信がある人ばかりが受けていて、点数が高くなってると思うが、新入生のTOEICスコア600程度
http://www.solac.kobe-u.ac.jp/2013/04/toeic-iptoefl-itp.html
大学別TOEIC平均点(http://uguisu.skr.jp/toeic/ave_score.html)を見ると、東大でも688点ということだ。
688点というのは、米国人7歳程度と同等ということだ。
http://uguisu.skr.jp/toeic/level2.html
TOEIC受験者の 36%程度がこのスコア以上のスコア所有しています。
TOEIC受験者の中では偏差値 54.3~57.3程度です。
米国人 7歳程度と同等
7歳だとまともに文が読めない。日本で一番優秀で一番勉強してる人たちが7歳レベルにしかなれないのだから、それは日本の英語教育がおかしいのだ。
大学を卒業する頃には、一応英語でマトモなコミュニケーションが可能な、小学校高学年ぐらいのレベルにはなっていて欲しい。そのレベルはTOEICだと850点以上になる
ちなみに上のURLには東大生の英語レベルについて実体験から書かれている。それを見ると688はそんなもんだろうなという感じがする。
知的エリートの東大卒業生であれば、当然950点以上ないとダメだろう。
米国人 13歳~程度と同等
13歳程度ではダメで、最低でも15歳レベルは必要だ。15歳の言語能力があれば、普通にちゃんとした本も読めるし、話していても「お、この日本人はいいことを言っている」と思ってもらえて、「さすが日本の知的エリート、Tokyo大学出身だな」と国自体も一目置いてもらえるだろう。
上が950(13歳以上)、平均が850(10歳以上)、このくらいの英語力があれば、「日本人の英語はメチャクチャだ、こいつら一体学校で何を習ってきたんだ」と困惑されなくて済む。650(7歳レベル)なら、「英語は酷いけど一応わからないこともないからまあいいか」ぐらいの評価にはなるので、下はそのくらいでもいいだろう。
なので、英語教育を改革して義務教育である中学卒業時の平均が650、大学卒業時の平均が850、東大卒業時の平均が950になるようにしたい。大体の体感で言うと、TOEIC650に必要な学習時間は3000時間、850は6000時間、950は9000時間ぐらいだ。
単語や文法に触れる前に、本物の英語を知る必要がある。教科書に書かれているI have a penのような文ではなく、実際に使われている英語から、その意味を体感させる。単語や文法による分解は、まず英語を知った後でいい。
子供の気を引くためには、やはりアニメだ。シンプソンズのような良質のアニメを国家予算で買ってきて、編集して教材にする。アメリカらしい、ナマの英語を感じてもらう。
しかしまず発音が難しすぎて聞き取れないので、ゆっくりはっきり喋るように音声を再録してもらう。語彙レベルもギリギリまで下げる。英語では(日本語でもそうだが)、難しい語彙も基本語の組み合わせでほとんどは表現できる。
小学校で学ぶべきは、give, take, get, go, makeのような横綱級に使い倒すことになる基本動詞達や、on,off,in,out,with,withoutといっ前置詞、副詞達、do, have, can, could, will, would, should, must, have to, be going toといった頻出助動詞、where,whenのような5W1H、this, that, it, a, the,といった基本語達を感覚で捉えられるようにする。これらは理屈では難しく、幾つもの実例に当たって感覚を磨かなければわからない。さらに、句動詞としての意味の変化や、頻出イディオムなど、理屈を覚えると逆になんでそうなるのかわからないものも、フレーズ単位で丸暗記させ、アニメのシーンとフレーズを関連付けて覚えさせることで感覚的に理解させる。
You can say that again(もう一度それを言っていい→全くその通り) 大人になってから真面目に英語の勉強を始めてすぐ、このフレーズに触れたのだが、その時の衝撃は計り知れなかった。なんでこれが「全くその通り」になるのか、あまりに納得いかなくて寝込みそうになった。
しかし英語の勉強を続けるにつれ、そっちのほうが英語の本質なのだと思うようになった。英語は字面にそんなに意味がないので、とくに口語では、なんでそうなってるのかさっぱりわからないイディオムが大量に出てくる。単語や文法にこだわるより前に、まず英語のいい加減さを受け入れなければならない。
I'm onto you(お前の企みを知っている)、He is up to something(彼は何か企んでいる)、You can't get away with it(その罪からは逃がれられないぞ)、You bet(まかせろ/どういたしまして)、I mean it(俺は本気だ)、頻出慣用表現は小学校時代に全部見せて覚えてもらう。
そして、小学校時代に鍛えておくべきは発音だろう。まず発音記号を覚えさせる。教えられる先生がいないかもしれないが、真面目に教材を見ながらきちんと正しい口の形を練習すればすぐできるようになるはずだ
https://www.amazon.co.jp/dp/4816344640
この本のDVDは役に立つ。Rの発音はこのやり方ではダメだが、そこはYouTubeとかでやり方を探してちょっと練習すればあっという間に発音は良くなるはずだ。
まずアニメを、英語字幕つきで見せる。意味が分かるということはないだろうが、長い単語も一瞬で捉えて認識する力が速読には不可欠だ。英語字幕を追っていれば、その能力は否応なく鍛えられる。
英語字幕は名詞と冠詞を緑、助動詞をピンク、動詞を赤、前置詞をオレンジ、副詞を青、形容詞は黄色、接続詞、関係詞は白、強く発音する単語は大きな文字、弱いところは小さな文字、修飾節はメインより一段小さい文字にする、イディオムは斜体にする、といった工夫をこらす。最初は意味がわからないだろうが、いずれ実際に英文を読むようになった時に、品詞ごとに色がついて見えてくるだろう。
まずは一周、楽しんで見終わる。5分ぐらいの長さを想定している。どういうストーリーだったか児童たちに推測で話をさせ、答えは言わない。
このためには、英語がわからなくても映像だけで楽しめるようなアニメでなければならない。シンプソンズのそういうエピソードを使う。
そして二周目に入る。今度は発音記号を字幕にする。色分けや大小などは英語字幕に準じる。キャラクターが喋るごとに一時停止していくモードにする(この教育法には 高度なシステムが必要である。教室の前方にはみんなに見える大画面があり、さらに児童1人ごとにタブレットを配り、作り込んだ英語学習アニメアプリを使うことを想定している)
大画面でアニメを再生し、キャラクターが一文を話し終わるごとに、発音記号の字幕を見ながら、みんなでアニメの声優の真似をして発音する。日本人の英語の先生では本当の英語の発音を教えるのは無理なので、ネイティブの声優を真似る。
発音が終わったら、さて、ここでなんと言ってるでしょう?と児童の一人に聞く。適当な推測で構わない。推測が感覚を磨く。
さあ、答えは何でしょうか、といいながら次に進むと、日本語の答えが表示される。それと同時に、英語字幕のルビ部分に単語やイディオムの意味が日本語で表示される。一画面に日本語と英語とルビの日本語が出てくることになる。
それで最後まで進んだら、三週目である。発音記号の字幕とともに、キャラクターが一言喋るごとに発音するところは同じ(さすがに退屈するかもしれないので、3週目は発音練習は飛ばしたほうがいいかもしれない)。その次は英語字幕と、ルビ部分に単語やイディオムの意味が日本語で出てくる。
さて、このシーンはどういう意味だったでしょうか。児童全体に問いかける。単語やイディオムの意味の日本語を見て、児童の1人が先程見た正解を類推で思い出して大きな声で言うはずだ。その後、日本語の正解が出てくるので、みんなで正解を言っていく。一体感の中で、英語ができているような気分がするだろう。この過程で日本人の英語コンプレックスは溶け去るはずだ。
次は個人学習にうつる。児童一人一人のタブレットで、アニメを見させる。先程のように、英語字幕一場面ごとに再生が止まる。
単語やイディオムをタップすると、4択で意味を答えるクイズ画面になる。答えを思い出して選んでいく。間違っていたら即×がつくので、4択の他の選択肢をタップして正解を探す。正解だと単語やイディオムのルビに正解の日本語が表示される。全単語の意味を正解したら、文全体の意味も4択から選ぶ。アニメ全部を正しくタップして日本語で意味を取れたら、ご褒美として日本語字幕でアニメを見られるモードがアンロックする。これでおそらく、授業時間中に終わらなくても、家に帰って自らアンロックのためのタップ作業をし、ご褒美の英語音声日本語字幕も家で見るようになるはずだ。
ルビから単語やイディオムの訳語を覚え、訳語の羅列から文全体の意味を推測する。この作業を繰り返していけば、確実な英語力の向上が見込める。
それとともに、英語音声を発音記号レベルでしっかり認識し、強く発音する所弱く発音する所を字幕からビジュアルに知って真似することで、音声的な部分も強化できる。リスニング力もかなり強化されるはずだ。
学年が進むに連れて、内容を高度にし、発音も現実のものに近づけていく。本物の役者を使ったドラマも入れていく(これはセリフを録り直して編集しても口がシンクしないので、新しく作らなければならないだろう)。
小学校卒業時には基礎的な語彙と、感覚的な英文読解法が身につき、TOEIC400点ぐらいには至っているはずだ。ここまでで読書のための基礎が身についたことになる。
http://anond.hatelabo.jp/20170529005228
(前回終わりと言っていたが、コメント返しをしたい。I'm easily triggered。書きたいものもまた出来てきた。そのうち理想の英語教育について書いてみたい。ただし、この書き込みを始めてから痔が痛くてしかたないので、まず体調を戻したい。
これは元記事に追加しようとして書いていたものだが、更新しても全然反映されないので新規記事として書くことにする。それと、前回最初に書いた記事は長すぎて入り切らなかったので削除したのだが、トラックバックは消えずトラックバックの依存関係がめちゃくちゃで、それも直せていない。増田の仕組みはよく分からない)
なぜ日本の英語教育が嘘まみれなのかわからない、というご意見を頂いている。
日本の英語教育で教えられているのは、日本人に教えられている英文解釈の方法論で理解できるように調整された、英語のように見える英語でない言語だ。日本の英語教育は、最初から英語でないものを教えている。それはものすごく罪深い嘘だと考えている。
論文を読み書きできればいいじゃないか、という意見もいただいた。科学の共通語は"Broken English"だ、という考え方は広く浸透していて、ならば英語は適当でもいいんじゃないかという考え方は根強い。
しかし、たとえば東京大学文科3類のTOEIC平均点は730点というデータがある。これはソースが見つからないので都市伝説のたぐいかもしれないが、神戸大のTOEICの平均点のデータは見つけることが出来た。
http://www.solac.kobe-u.ac.jp/2013/04/toeic-iptoefl-itp.html
神戸大は国立の立派な大学であるが、上級生でも600点付近をウロウロしている。下級生はもっと低い。
https://www.slideshare.net/sixaroundtheworld/report-on-test-takers-worldwide 8ページ
TOEICは日本人にとっては難しくても、世界的に見れば簡単すぎて、受験者の大半が日本人と韓国人で占められるようなテストだ。上のデータを見ると日本人が65%、韓国人が12%となっている。TOEICは900点あっても、Wikipedia英語版でまともに情報収集できるかも怪しい程度の英語力でしかない。たとえばこんな記述を見つけた
そういう意味でwikipediaの英語版はとても良質な英文の宝庫と言える。また、単語レベルもNewYorkTimesなど英文誌のようにバカ高くなく、TOEIC900点を目指すものにとってちょうど良い。自分が興味のある分野か、TOEICでよく出る経済用語がオススメだ。
http://www.iibc-global.org/iibc/press/2014/p016.html
ちなみにここを見ると、中国人の平均点は713点、韓国人は632点、日本人は512点となっている。他にも、留学経験のない人の平均点は539点だが、2年留学すると762点というデータも見え、2年留学してるのにたいして出来てない実態が浮かび上がってくる。
TOEICはかなりレベルの低いテストで、その中での神戸大の平均点600点というのは、英語は基本的にわかりませんというレベルだ。論文を書くだけなら、(Broken Englishが許される学問領域ならば)中学レベルの英文法を駆使して簡単な文を作り、大学が雇っているネイティブに添削してもらえば一応形にはなるだろうが、論文を読むのは、たとえそれがノンネイティブが基本的な文法だけを用いて作ったBroken Englishであっても難しいはずだ。
日本の英語教育は、最初から英語は教えておらず、教えているのは英語もどきでしかない。そこを誤解しないようにしないといけない。そしてそれはいくらやってもほとんど実用にはならないのだ。
日本人にとって、直訳という言葉は「機械的に文法に沿って訳語を並べて、意味不明の訳文を作ること」といった印象が強い。意味が通じる翻訳をするには、意訳、つまり元の文を理解した上でその内容を自分の言葉で書き直す必要があると考えられている。
しかし英語で直訳を表わす"literal translation"は、そういった言葉ではない。もちろん、機械的に置き換えて意味の通じない文を作ってしまうことも言うのだが、"literal translation"は「原文に忠実である」というポジティブな側面を持っていて、formalで立派な翻訳という感覚を伴う。
それはつまり、「意訳」に良い印象がないということでもある。それは「意訳」に当たる適切な英語表現がないことでも分かる。
https://www.onehourtranslation.com/translation/blog/literal-translation-vs-conveying-sense-text
ここでは"literal translation vs. conveying the sense of the text"(直訳 vs. テキストの意味を伝えること)というタイトルになっている。日本人から見ると「"直訳 vs."と来たら『意訳』が来るに決まっているだろう」と言いたくなる。しかし、英語で意訳という言葉は、直訳とvs.出来るほどの市民権を得ていない。
英語の翻訳はフランス語やラテン語といったヨーロッパ圏の言語から知識を取り入れるために行われることが多く、ヨーロッパ圏の近縁語同士では直訳は有効な方法論だ。結果として、"literal translation"は立派でフォーマルな翻訳という意味合いが生じた。
対して、訳者が勝手に自分なりの表現を加えてしまうと、fidelity(原文に対する忠実さ)が欠けているという批判の対象になる。
たとえば、私は素人ながらアニメの英語翻訳に関わったことがあるのだが、海外のアニメオタクは意訳を嫌う。佐藤さんはSatou-san,斎藤先輩はSaitou-senpaiだし、学校の先生の敬称は英語だとMr.なのだが、犬塚先生はInuzuka-senseiだ。
たとえば、アニメのセリフに「ありえなくね?」と出てきたら、文字通り"That's impossible, right?"と訳すのが好まれ、意味を汲み取って"Are you kidding?"と訳したりすると、"over-translation"とか"liberal translation"などと言われて叩かれてしまう。日本人の私から見ると、とても理不尽に感じるが、彼らの感性はそうなっている。
この問題についてググっていたら「literal translationが良いというのは神話だ」という海外の人の意見を見つけた。これを言っているのが日本語の英訳をしている人だというのも示唆的だ。
日本では英語文献を翻訳するのが主なので、literal translation、直訳はほとんど役に立たず、ひどい翻訳の代名詞のようになっている。英語話者にとっての日本語の英訳でも同じだろう。
基本的に、英語圏でTranslationと呼ばれているものと、日本で翻訳と呼ばれているものは、行為としては似ているが、内実は全く異なっている。
英語圏で行われているのは直訳であり、我々がやっているのは意訳だ。英語圏でやっているのは文法ルールと訳語を覚えて他言語に当てはめ、原文を出来るだけ変えずに英語に直すことであるが、我々がやっているのは「他言語を(何らかの方法で)理解し、その内容を自分なりに日本語で作文する」という行為である
直訳が役に立たないということは、つまり文法ルールを覚え、日本語の訳語を覚えて適用しても、英語を理解することは出来ないということだ。
これは残酷な現実であるが、「いくつの文法ルールを覚え、何万の訳語を覚えても、英語を理解することは出来ない」
これは文法や訳語が不必要だと言っているのではない。文法や訳語はヒントにはなる。だが、答えにはならない。
はっきりいえば、ヒントを一生懸命集めて暗記しても、意味がない。文法ルールをいくつ暗記しようと、英単語の訳語をいくつ暗記しようと、それは英語力ではない。
身も蓋もない言い方になってしまうが、法則化出来ないなんらかのプロセスによって、英語を直接理解する能力。それが英語力だ。
そして直訳が出来ない、つまり英語を日本語に変換して理解するための法則が導けないという事実から分かるのは、日本語を理解している我々の脳をどういじくっても、それを英語に適用することは出来ないということだ。
それはつまり、「英語を理解するための脳の回路を、日本語とは別にゼロから構築する必要がある」ということに他ならない。赤ん坊が新しい言語を習得するときのように、何年もかけて、少しずつ脳を開発していき、英語を理解できる脳を構築していくしかないのである。
どこかの英語学習体験記で読んだことがあるのだが、「留学に行った所、フィンランドの学習者と同部屋になった。フィンランドの学習者はひたすら単語帳を眺め、英単語だけをひたすら覚えていたが、それによってあっという間に英語が出来るようになっていた。だから、私も一生懸命単語帳を眺めることにした」といったものだ。
これがつまり、直訳が可能な言語を使用している脳と、直訳できない言語を使用している脳の違いだ。欧州の人々は基本的に、母国語を理解するために使っている脳を英語向けにアレンジするだけで、英語ができるようになる。我々はそうではない。
たしかその体験記の終わりは、「一生懸命英単語を覚えた結果、留学を終える頃にはかなり英語ができるようになっていた」となっていたように思う。しかし私が声を大にして言いたいのは「それは英単語を覚えたおかげではない」
日本の英語学習界には、留学神話がある。「留学さえすれば英語は出来るようになる。留学しないといつまでたっても英語ができるようにはならない」というものだ。
もちろん留学さえすれば英語ができるようになるというのは嘘だ。それはもちろん神話でしかない。「留学して、英語を使わざるを得ない環境に自分を追い込み、一生懸命英語に取り組めば英語は出来るようになる」というのは正しいが、「留学はしたものの、日本人同士で固まって遊んでいただけで、勉強はしていない」といった生活で英語ができるようになるはずもない。実はそういう日本人留学生は数多い。
しかし「留学しなければ英語ができるようにはならない」というのは真実を突いている。
日本の英語教育に従って、文法ルールを覚え、訳語を覚え、どんなに努力を続けても、英語ができるようにはならない。留学して、日本の英語教育から離れ、ただがむしゃらに英語と格闘すれば、それだけで英語は出来るようになる。
そして「がむしゃらに英語と格闘する」ためには、留学は別に必須ではない。がむしゃらに英語の本を読む事もできるし、映画を見てもいい。海外英語フォーラムに書き込んでもいいし、Lang-8で英語で日記をつけてネイティブに添削してもらうのも、アジア圏のネイティブとスカイプ英会話をやるのも良いだろう。
がむしゃらに英語と格闘することが必要なだけだ。そしてそれ以外に英語ができるようになる方法はない。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H1M_V20C15A5CR0000/
全国の公立中学・高校の英語教員のうち、英検準1級以上かそれに相当する資格を取得しているのは中学で28.8%、高校で55.4%だったことが25日、文部科学省の2014年度英語教育調査で分かった。政府の教育振興基本計画は17年度までに中学で50%、高校で75%との目標を掲げている。英語教員のいっそうのレベルアップが必要な状況が浮かんだ。
高校の英語教師で英検準一級が55%、半分近くが英検準一級を持っていないということだ。準一級を持ってないということは、日本の文法・単語の暗記中心の教育をする能力すら疑問符がつく。
準一級の問題は、日本の英語教育で教えられたとおりに暗記した単語を当てはめ、文法ルールにそって直訳すれば理解出来る、日本人向けの英語もどきでしかない。それが分からないということは、英語もどきを教える資格もないということだ。
もちろん教師は聖職として尊敬されるべき存在であり、それを指揮するのは霞が関文部科学省のエリート官僚であるから、自分たちが教えているのが「実際には役に立たない英語もどきです」とは言えない。「私たちは英語がよく分かりませんし、『生徒をちゃんと英語が出来るようにしろ』と言われても出来るわけありませんよ。むしろ、そんなやり方を知っているなら教えて下さいよ」などと口が裂けても言えるはずがない。
それに対して一方では「聞き流すだけで英語がペラペラに!」とか「たった100語で英語は出来る!」とか「頻出フレーズを暗記すれば日常会話はバッチリ!」とか、英語教育界はオカルトだらけである。
もちろん商売でやってるのであるから、「がむしゃらに英語と格闘しろ、それ以外ない」などと言えるはずもないのだが、そんなことを言っていても誰も英語が出来るようにならない。なんとかならないものだろうか。
私が実践してきた、オススメの、実際はがむしゃらにやるだけの英語学習法を紹介しておく。
http://anond.hatelabo.jp/20170526220542
http://anond.hatelabo.jp/20170524213622
http://anond.hatelabo.jp/20170522214348
コメントを頂いた。本を読んでもTOEIC3000語が覚えられない、ということだった。
TOEICのリーディングは結構速読が必要なので、その実力が身につくまで、100万語ぐらい、500ページのペーパーバックを12冊分程度読まないと、普通は最後までたどり着かないんじゃないかと思う。12冊分を辞書を引きながら、単語や表現の感覚を感じ取りながら舐めるように読めば、どうやっても8000語程度の単語を感覚的に理解できる、生きた語彙力が身についてるはずだ。必要なのは暗記力ではなく、文を深く読み、英語表現の意味を感じとる力だ。記憶は忘れるけれど、感覚は忘れない。忘れたと思っていても残っていて、何度か同じ表現を見かければ、その都度感覚は強化され磨かれていく。
単語を覚えるというのは読書の途中で自動的についてくるもので、ピクニックの途中で摘める野イチゴのようなものだ。しかし英語学習者は読書というピクニックには出かけず、ピクニックの準備だけを念入りに行っているように感じている。「自分にはピクニックも難しい。ピクニックに出かけたらヤマで遭難するかもしれない。その時のために食料を買い込んでおこう」と言いながら、辛い奴隷労働をして腐りかけのイチゴを買い込んでいるように見える。ヤマに出ればいくらでもおいしい野イチゴが摘めるのに、ヤマに行っても腐ってて使い物にならない表面だけの単語知識を必死で暗記しているように感じている。これは本当によくないことだと思う。
もう一つコメントを頂いた。学習者は英英辞典はオックスフォードでなく、ロングマンをやるべき、というご意見だ。
辞書から得られるものは単語の理解ではなく、ヒントでしかない。ヒントを英語で貰っても基本的に英語学習者にはわかりにくい。英英辞典自体を読み物として楽しめないなら、英英辞典を見ても英和より効率が悪いと考えている。もちろんロングマンが読み物として楽しい、読んで頭に入りやすいという方がいるならその方が良いと思う。私はオックスフォードが読み物として楽しいので使っているが、面倒な時はウェブリオに走っている。
この記事は長文すぎて最後が切れていたので、二つに分割したものの後半部分だ。前半部分はこの記事と繋がりがあるようでないのだが、いろいろと書いた。 http://anond.hatelabo.jp/20170529095534
ネタがなくなったので、多分この増田で吠える英語考察は今回でしばらく休止するかと思います。今まで長文をご覧いただいた方、コメントを頂いた方、ありがとうございました。
国際基督教大学、International Christian University、ICU。
私の母校だ。
2人の卒業生の婚約で日本(の一部)が盛り上がる中、ただただ一卒業生として発信したいことがあるので、筆を取った。
"過剰な一般化"かもしれないし、統計的なデータがあるわけじゃない。
だから、これは私の主観や経験によって構成された文章となっているはずだ。
ーーーーーーーー
結論から言うと、彼らが知り合ったきっかけとされる"意見交換会"が"合コン"だったということは非常に考えがたい。
(学校の規模が小さすぎて、自分の"友達の友達"でほとんど全員にアクセスできるため、学内合コンなどほぼ有り得ない。)
他の大学の方からすれば信じられないかもしれないが、ICU生の大多数は学内にしろインカレにしろ合コン未経験である。
ICU生はだいたい「他の大学と"違う"」という理由で、ICUを選んで入学している。
ICUは、上京を目指す若人が一般的に憧れるような"キラキラ"した大学ではない。
すごい地味な大学だ。
周りに学生街と呼ばれるようなものはないし、キャンパス内にスタバはもちろんない (武蔵境駅前にはあるけど)。
では、みんな何を求めて、ICUに入るのか。
ある人にとってはそれが、英語教育だったり、リベラルアーツ教育だったり、特定のメジャー(専門分野)だったり、学校の雰囲気だったりする。
何を求めて入学したにしても、ICU生は何故か批判的思考を知らぬうちに身につけていく。
そんなICU生の大多数が共通して敏感に反応するのは、"性"が関わるトピックについてだと思う。
それが、ICU卒業生や在校生が、意見交換会=合コンに対して、異論を表明している理由でもあるのではないだろうか。
合コンというのは、良くも悪くも"社会的に押し付けられた性へのイメージ"の結晶と言える。
(男性が〜〜すべきとか、女性は〜〜するとか、そういう類のこと)
ICU生の大多数はぶっちゃけ、この"性へのイメージ"に超批判的である。
くだらないと思ってるし、押し付けられたくないと思ってる。
だから、合コンにも無関心/批判的だし、実際行っても"需要"はないと思う。
だって、相手側から求められる"性へのイメージ"を体現し(て)ないから。
こんな感じで、ICU生は合コン未経験を貫くのではないだろうか。
勉強で忙しいとか色々な主張があると思うけど、私はそう思っている。
てか、書いてて眠くなってきたので寝る。
起きてまた気が進めば編集しよっと。
どうやったら、こんな非合理的な社会が作られるのか、教えてもらいたい。
日本の凋落は凄まじい。もはや世界に誇れるもの、優位性は何もない。
自動車産業があるだと?欧州のプラットフォーム戦略に飲み込まれ、水素じゃい〜なんて言ってる会社は流行らないだろうし、自動運転などによるソフトウェアによる付加価値のほうが高くなりIT超後進国の日本は車という部品供給程度の位置づけになりそう。いや、それすらも奪われるだろう。
一人あたりのGDPなんて世界22位とかそこらで、これからどんどん下がっていくことが予想されている。
22位程度の国力だぜ??もう途上国にどんどん抜かれ、衰退国のモデルケースにすらなりそう。
もう劣等感と焦りしかないから、盲信的に、日本すげ〜なんて下劣極まりないTV番組が日本でやっていると聞いた。まじかよ。
COOL JAPANだと?自分でいうか、それ。末期JAPAN。いや、TERMINAL JAPAN!のほうが現状に一致する。
おもてなしがすごいだと?だから自分でいうな、気持ち悪い。第三者に言われて初めて成立することだぞ。
いや〜ほんと末期。
俺昔は勉強できたんだよって過去の栄光にしがみついて、現状落ちぶれて見る影もないようないような情けないやつと何が違うの?
現実を見ようぜ。
そんな日本だがこの凋落は不思議でもなんでもない。そりゃそうだ、この社会に何の合理性もないもん。
成長するほうがおかしいよ。単純に非生産的ながら大量の時間を投入することでここまでやってきたが、それも限界だ。
今尚汚職が蔓延している政界、年寄りにだけ優しい政治、政治って何?みたいなアホな芸能人でも政治家になれちゃう。
さらに保身に走り、利己的な人間であふれている。何やってもおまえら庇い合って逮捕すらされないよな?
今の日本に必要なのはまず外部に目を向けて、この非合理的なシステムを変えることだ。
日本の社会しか知らない、さらにアホが政治家が改革なんて起こせやしないし、必要もない。
今時さあ、長生きすることが喜ばしいという時代錯誤の価値観。寝たきりのやつをサポートし続けて、医療費ってどこから出てるんだっけ?国は金がないない行って増税する前に使いみちの優先順位を見直せ。
日本人の平均寿命が長いのはなんてことはない、単なる過剰な医療制度であって、これはもはや恥ずべきことだ。
サポートされるだけの人間が社会に溢れたって何のメリットもない。さらに老人が老人を介護するって何だよ?その社会のどこに幸せがあるのか?
さっさと安楽死を導入したほうがいい。なぜなら日本人の「長生き」は「自然」ではないからな。
日本の会社は能力より、口先だけで政治力が高い人が出世する。本当無駄。
そもそも能力度外視の上下関係も無益だか、それが年齢とか、経験年数とか、何の意味もない要素で成り立つのが本当、馬鹿馬鹿しい。
会社の役員なんてバカばかりだ。椅子に座ってえらそうにしているだけで高給取り。その金をもっと有効に使えばいいのに。いっそのこと経営のスペシャリストという肩書に変えてみたらいい。
そうしたほうが周りもその役員をどういった軸で評価すべきかより見えやすいだろう。役員と言う名の隠れ蓑は必要ない。おまえら、自分の価値を示せ。
しかしIT業界の役員の場合は、役員全員クビにして、全員は言い過ぎか、経営のスペシャリストとして価値ある人間は残そう。代わりに1000万与えるに価値のあるプログラマーを多く雇ったほうが多くの会社で有益だと思う。
社会のIT化の波はすさまじい。日本を除いてな。どこの国もITエンジニア不足だ。日本の場合は単純に生産性が低いだけだけどな。
なぜITの重要性が高まっている昨今、日本の有名なIT企業なんて一社もないのか。楽天みたいな糞ダサい会社が「会社」として生存できる日本の社会って本当やばいと思う。
DeNAみたいな倫理のリの字もない会社が「会社」として生存しているのもやばい。メルカリとかさあ、現金販売できちゃうってどうなの??
七つの社会的罪を知っているか?そのうちの一つが、「道徳なき商業」だ。
おっと、合理性うんぬんの議題に、IT業界に触れたのは間違いだった。クソみたいなIT企業が多いのでつい。
論理に基づかない政策。文科省何やってるの、お前らの教育が足りないよ。
英語教育を早期にはじめても無駄。日本人が英語の習得に必要な時間を知ってる?義務教育だけじゃ全然足りないんだよ。
それが小学生から始めたところで糞ほどの意味もない。だってそれでも時間が全然足りないんだから。
それでいて本来学ぶべき国語とか数学、社会、理科の学力が落ちていたんじゃ本末転倒じゃん。
日本人が英語を身につけるのは言語学的に大変だ。そもそも他国と状況が違うのに、教育年数が同じなのがおかしい。
つまり、ストレートに進学して24歳で社会に初めて出ることになる。
なぜ英語教育を分離させるのか?多くの日本人はこれでも尚、習得できないだろうし、習得できないことにわざわざ時間を投入する必要はないからな。
ただ、やるなら使えるレベルにまで持っていかないと意味がない。だから一部の必要性を感じている人間だけが集中して受けられるようにしたほうがいい。モチベーションがないとそもそも取得できないことだしな。
社会に出るまでに2年遅れたからってそれがどうした?70歳どころか80歳まで働かなきゃいけない時代が到来するんだぞ?
飛び級的な制度も必要だと思う。その人のレベルにあった教育を与えるべきだし、皆一律同じスピードで教育するのがそもそもおかしい。
私立大学なんてほぼバカ大学で、高校の教育すらまともに理解できていないやつで溢れている。実質的に中卒程度の学力で大卒の人、多いよね。
私立は慶応だけ残して、全てこれから必要とされる分野の専門教育に転換ほうがマシだ。
年配の人と会話しても知性をまるで感じない。固定観念によって支配されてるし、考えるって行為をしない。だからどんどんバカになっていく。
そんなバカが社会に影響力を持つ。結果日本の社会はいつまでも合理的にならない。
年寄りはさっさと第一線から退く社会が望ましい。固定観念や昔の成功事例にいつまでもしがみついて、環境の変化にまったく頭がついていってない。
ちょっとうがった見方をすると今の英語教育こそ至上命題みたいな話って、海外進出したもののアメリカ様(とちょっとイギリス様)のうまい話に乗せられて大損したジジイ世代の恨み節なんだよね。
「英語ができてれば負けなかった」「欧米風の議論が出来てれば負けなかった」みたいなのを英語教育を次世代にさせれば仕返ししてくれるもんとか勝手な希望持たれてるわけ。
よく英語ができれば論理的思考ができるみたいな希望的観測も見かけるけど、欧米にも当然に文系学問はあるわけで、英語独特の詩的表現とかもあってそういうの得意にする人もいるんだし必ずしも英語だから論理的思考ができるわけでもないんだよね。
英語ができる=論理思考があるとか無条件に考えてるやつほど、白人様に無意識に劣等感持ってるってこと、いつ気づいてくれるのか。
「英語力」のイメージが完璧にちがってるんで、話が噛みあうわけ無いわ。
受験英語で何点取ったって、実際にビジネスで使えんかったらなんにもならんだろうが。
ビジネスとまでは言わん、トイレの場所を尋ねるぐらいのこともできんような大学生ばっかり量産してるのがいまの英語教育じゃないか。
でも、それは英語力じゃない。
そうか?予備校・参考書で入試レベルの文章を読めるようにして、そこから目的に従って会話に行くか、論文なんかを読めるようにしていくって割とスタンダードなコースだと思うんだけど。
まぁこれは俺が大学院生なせいで周囲にそういうやつが多いってのもあるかもしれんけど。
入試を全廃はさすがに飛躍しすぎでしょ。受験制度が英語教育に与える悪影響は否定しないが、全廃しただけで英語教育がまともになるとは思えん。とりあえず予備校が消滅するだろうが、それからどうすんの?
現状での一つの有効なルートは、予備校・参考書 ⇒ 研究目的なら英語論文に当たっていく、会話目的なら英会話教室・留学、ってとこじゃない?学校も予備校見習わな。
御説ごもっともだと思う。
特に、スペルを暗記させる意味は、実際には殆ど無い。ああいうので時間を潰す英語教育はムダでしかない。そういう意味で、スペルチェッカー付きのワープロ使ったほうがよっぽど英語の勉強にはなる。
ただ、学校の授業で、「書かせる」作業は、非常に少ない。なので、増田のイメージしている教室でタイピングさせるというのは、実際の授業内容の改善にはほとんど役立たない。
「書かせる」作業は、ほぼ宿題。で、この宿題に関しては業者が食い込んでて、独自の作業用冊子を用意している。たとえ各家庭にタイピング用の備品を用意させることができても、こういう冊子はそれに対応していないから、現状でそのまま移行するのは無理。
業者が練習用のアプリケーションまで用意して廉価(数千円まで)で簡単なタイピングができるハードウェアまで提供できれば学校教師は乗ってくるだろうが、そういうのは期待できんなあ。
未だに手書きが基本だということ。
正直言って手書きする機会は少ない。日本語でも手書きは少ないのに英語ならなおさらだ。会話の授業は置いておくとして、読み書きの授業は全てパソコンを利用したものに置き換えてほしい。
メリットをあげると、
1. 今までできなかった句読法の指導を行うことができるようになる
2. タイピングが速くなる
以下順番に、
1. について:
ある程度英語ができる人でも、正しくスペースを空けられない人が多い。英語のスペースはカンマとピリオドの後に一つ打つ必要があるのだが、日本語の習慣を引きずってか、カンマやピリオドを打った後にスペースを空けずに平然としている人がいる。これは知っていればすぐに直せるミスなのに、知らないせいで読みにくい英文が量産されている。はっきり言ってウザい。
2. について:
今の時代手書きなんかしないから、手書きが速くてもメリットはあんまりない。それよりも速く正確にタイピングできることの方が重要だ。国際比較でよく弱いと言われている、日本の子供のITリテラシーも補強できるかもしれない。
3. について:
パソコンを使って英文を書くことが当たり前になれば、スペリングにこだわる必要性は減る。毎日単語テストに10分費やしていた時間から解放されれば、読み書きの練習に充てられる時間は多くなる。そもそも、単語のスペリングなんて覚えたって英語の仕組みの理解には全く役に立たないのだ。
たいてい、教育を変えようというのは方針の変更であって、例えばよく言われる「今までは読み書き変調だったがこれからは会話を重視しよう」なんていうのは、会話のために読み書きを犠牲にしようという論である。でも「読み書きの授業をパソコンベースで行うべき」というのは、何も犠牲にしない。学校によってはパソコンの台数が十分用意できないかもしれないが、カリキュラムの変更は必要としないから、パソコンを使うことができない学校では引き続き紙ベースで授業を行える。パソコンが用意できる学校では、同じカリキュラムでパソコンを使って授業をし、空いた時間で追加の読解・作文の練習をさせることができる。
早起きもできるようになったし、ようやく授業のテンポにも体が追い付くようになった。
先生の英語もちゃんと聞き取れるようになったし、少しずつ話せる友達もできている。
(なんで英語の勉強にシンガポールを選んだかは突っ込まないで下さい…)
が
どうしても
生徒の言っていることが全く理解できない。
話している内容が理解できないのではなく、そもそも何について話しているのか
全く聞き取れない。
特に韓国・中国などアジア系、フランス系の人のなまりがキツイ。全く理解できない。
それが思いのほかストレスだった。
学校で英語を習っていたが、今日の今日までずっと本場アメリカ(きっと時にはイギリス)のネイティブの発音しか聞いたことなかった。
もしかしたら
そういえば、センター試験でも、発音・アクセントなど当時は「無意味」だと思っていた試験もあったな、と思い出した。
ふと
きっと日本の英語教育は、「育ちの良さ」をアピールしたいがための教育方針なのか?と思った。
なぜそう思ったか。
を知っていたからなのかな…。
だとしても、恐らく我々日本人には
欧米に「追いつけ・追い越せ」の精神って自分たちの中に無意識的に植え付けられていて
なんて
思ったり。
英語がなまっているから軽蔑しているとかそういうことは全くなくて
ただ、今は
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20161011/1476129642
これ読んで思ったけど、そもそも英語を勉強する目的は英会話したり英語の文献を翻訳するためじゃないと思う
もちろんそういう目的で英語を勉強する事もあるし、その必要性もあるけれど
そういった仕事は今後AIによって確実に奪われていくし、もう既に和英辞典とかはほとんど必要無くなってる
英語を勉強するっていうのは英語圏の文化を学ぶことに他ならないし
それを通じて日本という閉じた文化圏が全てだと勘違いしないようにすることだと思う
そして同様に日本という閉じた文化圏を守ることが大切だと感じることだとも思う
英語は兄弟をbrotherという単語で表して区別しない文化があるし
日本は一人称や二人称が俺・私・僕・自分,あなた・君・お前といった風に多種多様な文化がある
どれだけ意訳しても文化の違いは吸収できない
僕は京都の大学に通っている.元々東京で育っていたがその大学への憧れと京都に住みたい実家を飛び出したいという気持ちで京都の大学への受験を決めた、そして何とか拾ってもらい今京都に住んでいる。
大学生になって実感したのは周りの人間がどんどん海外に行くということ。高校の同級生と久々の同窓会で再会したときも、夏休みに数カ月留学してたんだとか、今度どこどこの国に行くとか、そういう話ばっかだった。
そういう人間は多かれ少なかれ海外に行ったことを示すためにTwitterやFacebookに写真を投稿する。どんな人もまあそうするよね海外の風景なんて珍しいんだから。
でも行って何をしたかって言ったらサバイバル力磨いただけじゃないの?正直海外に行くことで何を得ているのかよく分からない。
単純に海外旅行に行って遊んできました~ならうわ羨ましいなお前でいいんだけど、留学、これは本当に何をしているんだ?
例えばサッカー選手が海外に挑戦するみたいに、よりレベルの高い環境で自分の力を試すなら分かる。自分の専門についてその本場で学びたいと言うのならよく分かる。「○○先生のところで勉強したくて!」って理由なら「おお頑張れよ!」って思える。
でも、大抵の留学に行く人間ってそういう理由で行ってないだろ?他人とは違う経験がしたいから、その場にあった留学に飛びついたんじゃないの?お前は何しに海外に行ってんだ?
1回気になって留学に行く人に「なんで留学に行くの?」って聞いたことがある。そしたらそいつは「なんでだろうね。でも行きたいんだ。君は留学行きたくないの?」って答えやがった。ふざけるな真面目に考えてくれよ。
正直に言って俺は英語が苦手だ。文章を読むことは出来るけど会話は絶望的に出来ない。これはまあ中高の英語教育が(喋ることを重視し始めているとは言っても)読み書きに偏重しているから、そういう訓練を積んでいない、それだけだ。
京都という土地柄外国人に道を聞かれることは多い。そういう時「OK」「there(指差し)」「I don't know」ぐらいしか言えないぐらいにはクソな英語力だ。しかも超キョドってる。我ながらひどい。
だから、そういう英語弱者のコンプレックスから海外に行く人間を妬んでいるのかもしれないって自分でも思うよ。でも、だからこそ海外に行くメリットをちゃんと教えてくれよ。英語の出来ない俺を見捨てて海外に行かないでくれ。
海外に行くのは凄く怖いことに思える。
http://www.suzutaro.net/entry/2016/09/18/174626
でもこういう記事を読むとやっぱり本当にムカつくんだよな。大学に通っていても勉強してないのはお前だろ。そういう留学に行く人間の方が授業を真面目に聞かないんだろ。ふざけるな。
俺は今京都の大学で凄く授業が楽しいよ。そりゃ眠くなったり、全然集中出来ないときだってあるけど、それでも授業受けるだけでどんどん自分の中で知が広がっていく。特に哲学の授業なんかはこれまで考えもしなかったことを考えるんだ。俺はデカルトの認識論や観念論、現象学も講義を受けたけど今まで知らなかったことしかなくて本当に面白かったよ。でも友人はLINEで突然「○○の授業ってレポート課題出てたっけ?」とか試験直前に「○○の授業取ってるー?」とか聞いてきやがる。
今まで授業で一回も見なかった人間だ。他にも、授業後に「今の授業聞いてた?笑」とか聞いてくるやつだっている。興味ないなら来ないでくれよ。興味ないのに来るならもう少し申し訳なさそうにしてくれよ。。。
大学は授業出てるだけで面白いことはたくさんある。最初からそれを無視して勝手に大学の講義はつまらないとか行く価値がないとか言い切らないでくれよ。
上に貼った記事でも「ただ大学を卒業して、」って書いてあるけど、それ自体面白いんだって。
他にも日本で楽しいことはたくさんある。怪しげな地下イベントとか行ったことあるか?テレビでタモリ倶楽部見たことあるか?展覧会は行ったことあるか?
本を読んだことはあるか?京都は古本屋がたくさんある。古本屋で棚から棚へ視線をじっくり動かして掘り出し物探したことあるか?映画は行ったことあるか?ただあてもなく散歩したことあるか?何も考えずに路地裏を探検したことあるか?
毎日生きているだけで精神的に充実させることが出来てしまう。インターネットでいくらでも面白い記事が読める。YouTubeでMVを見てるだけで一日が終わったことがある。毎日生きるだけで楽しい。なあ、日本ってそんなにつまんないのか?
別にそんなことないだろ?京都にいるだけでも毎日を充実させようと思ったら出来てしまう。だから特別日本がつまらないって俺は思わない。
日本の文化の面白さって言ったらなんか薄っぺらいけどさ、でも面白さはあるんだよ。日本の文化っていうよりもうそれ自体が面白い、価値はよくわかんないけど好きだってものが。
だから、日本を軽く見て海外に目を向ける大学生はまずもっと毎日の生活を見つめてみようぜ。音楽でも文学でもアカデミックでもスポーツでもゲームでも何でもいいからハマれるものにハマってみようじゃんか。
意外と面白いものって視界のすぐ外側とか隅っこにあったりするんだって。だから安易に日本を捨てて海外に行くなんて言うなって。海外に素晴らしいものもたくさんあるだろうけど、日本で生きていたって十分面白い。